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2004.01.12
成人式で暴れる若者
(29)
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昨日・今日と成人式の記念式典が、各自治体で行われているところが多い。沖縄では今年もまた暴れる新成人が出てきたようだ。この現象について、興味深い考察を加えているページを見た。ヤフーのトピックスにも取り上げられていたので見た人が多いかもしれないが、次のアドレスだ。
http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/news/2003/seijin2003.html
ここに書かれていることにほぼ賛同する感じがするので、これをきっかけにして成人たちが騒ぎを起こすという現象を考えてみたいと思う。ここには、まず冒頭に次のように書かれている。
「これまでにも書いてきたように、騒ぐ新成人たちの心理は、基本的には「目立ちたい」「注目されたい」でしょう。もう少し、深層心理的な言い方をすれば、「愛されたい」のだと思います。」
僕も、全くその通りだと思う。この解釈には賛成だ。社会生活においては、ハレ(非日常)の場と、ケ(日常)の場があると言われている。ハレの場では、自分が目立つ存在であり、注目される存在であることを確認して、自分に対する大いなる尊厳を獲得できる。逆に言うと、ハレの舞台を持たないと、いつまでも自分に自信が持てない主体性を欠く人間になりかねない。
ハレの舞台は、人生の節目でバランスよく配置されてきたのが、これまでの日本の社会ではないだろうか。ところが、子供たちが、深層心理で「愛されたい」という思いを強くもっているとしたら、ハレの舞台で自分を確立しているという、今までの社会の機能が崩れてきていることを示しているのではないかと感じる。ハレの舞台が、必ずしも彼ら自身にはハレだとは感じられなくなっているのではないだろうか。
子供の成長に伴って、七五三などのお祝いをハレの舞台だと思いたくても、それは子供のためのハレ舞台ではなくて、どうも親のハレ舞台になっているようなところもある。学校では、ハレの活躍をするよりも、マイナス評価をされないように汲々としている。
これまで伝統的にハレ舞台だと考えられていたものは、今の若者には必ずしもハレ舞台にはなっていないのだろう。むしろ、彼ら独自のハレ舞台を作って楽しむというのが、今の時代の傾向のような気がする。ストリートでダンスや音楽を楽しむ子供たちは、彼らにとってのハレ舞台をそこで作っているのではないだろうか。成人式で騒ぐのも、騒いで注目されることこそが彼らのハレ舞台だという感覚があるのかもしれない。ハレ舞台に対する感覚が全く共有できないのだろう。
宮台氏は、日本人の祭り好きについてよく語っている。祭りというのは、非日常の世界で、ハレの舞台を作り上げるものだと思う。そこでは、何をするかと言うことはあまり大きな価値を持たず、そこに参加して、普段は味わえない高揚した気分に浸るところに意義がある。この祭りも、伝統的な祭りに変わって、独自の祭りが増えているそうだ。ちょっと前には「マトリックス・オフ」というものが新しい祭りとしてやられたらしい。
これなどは、これを祭りだと知らない人間にとっては、全く祭りとしての意味を成さないのだが、これに参加している人間にとっては、気分を高揚させる祭りになっているという現象が起こる。実は、日本全国であちこちにこのような祭り現象が起こっているのではないかという感じがする。仲間にとっては祭りだが、そうでない人間にとっては何をしているのか分からないという祭りだ。祭りどころか迷惑になっているのもあるかもしれない。
成人式で暴れる若者の現象も、一種の祭り現象のように見える。このような観点で眺めてみると、学校で行われているいじめなども祭り現象の一つかとも思えてくる。問題は、この祭りに対して、必ずしも楽しい気分になれない、眉をひそめてしまう人がいるということだ。伝統的な祭りなら、それが社会的に承認されていて、祭りの中で気分が高揚した者を、ある意味では社会がその価値を認めてくれる。かっこいいと思ってくれる。かっこいいと思ってくれず、迷惑だと思われている祭りをどう考えたらいいかというのは、社会にとっては結構重大なことかもしれない。
この論説では、若者は承認されたいという「愛されたい」という気持ちが深層にあると分析しているのに、世間は彼らを承認せず迷惑だと思っている。これでは、彼らの希望も満足させられないし、世間の方も彼らを排除するという対応しかとれない。論説では、彼らの表面だけを見ずに、その深い意味を考えようと呼びかけている。一緒に良い社会を作っていこうとを呼びかけている。この姿勢は共感できるものだ。
この論説で、さらに共感を覚えるのは次の記述だ。
「少年による凶悪事件は、長期的に見れば増えるどことか、むしろ激減しています。むしろ問題は、普通の子どもたちのモラルの低下でしょう。飲酒、喫煙、万引き、自転車泥棒、売春(援助交際)など、以前なら「非行少年」たちの仕業だったものが、一般の子どもたちにも広がってしまっています。
人が話しているときには、黙って静かに聞くべきだという考えをすでに持っていない少年たちもいます。
またそういう我慢や訓練を受けていない子達もいます。
こういう子どもたちが、二十歳になったからといって、社会人としてのルールに簡単には従ってくれないでしょう。」
モラルの低下は、子供たちだけでなく、大人にも蔓延しているような感じがする。これこそが、新成人が暴れるという問題よりも、もっと根が深い重要な問題なのではないだろうか。どうすればモラルの向上が図れるのか。それは、道徳教育で解決できる問題ではない。これは、すぐには解答が見つからないけれど、考え続けていきたい問題だと思う。
さてイラク関係のニュースでは次のものが目にとまった。
「イラク南東部で英軍がデモ隊に発砲、5人死亡
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040111-00000958-reu-int
この記事では、「デモ隊が手りゅう弾とみられる爆発物が英軍車両に投げようとしたのを英兵が確認して銃撃した」と英軍が発表したことを伝えている。これが確実に手榴弾だったのかどうかが分からない。もし疑いだけで発砲したのだとしたら、これはモラルに問題があるのではないだろうか。紛らわしい動作をした方が悪いのだと言ってすませられることだろうか。むしろ、紛らわしい動作を、人が殺されるようなことに結びつける状況こそが問題なのではないだろうか。それが手榴弾であるかどうか、確かめることが出来ないと言うモラルは、そのような状況で英軍が駐留するということにそもそもの原因がある。その状況をどうにかしない限り、このようなモラルを向上させることは出来ないのではないか。
「フセイン打倒は政権発足直後から計画…米前財務長官
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040111-00000013-yom-int
」
この記事からもモラルの低下を読みとることが出来る。次のような記述からだ。
「また、暴露本では、「大統領が『これ(イラク攻撃)をやるための方策を見つけてこい』と言っていた」ことも明らかにしている。前長官自身は、「米国が決めれば何であれ一方的に行えるという先制攻撃の考えは、論理に大きな飛躍がある」と考えていたという。」
イラクで発見された36発の砲弾についても、さすがにもう「大量破壊兵器の発見か?」というような記事はなくなった。
「びらん性ガス入り砲弾か イラク南部で駐留軍発見
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040111-00000118-kyodo-int
」
しかし、最初の一報で、確かめもせずに「大量破壊兵器の発見」を云々するのは、嘘でもいいからアメリカに都合のいい宣伝をしようという、これもやはりモラルの低下の表れだろう。この記事を紛らわしい表題で流したということには、ジャーナリストとしての最低のモラルも感じられない。
上の論説では、成人式で暴れる若者を次のように分析している。
「「ふつう」ではいやだと感じてします。それは、現代の一つの病理かもしれません。芸能人のようになりたい、普通の事務仕事はいやだ、たとえ悪いことでも目立ちたい、そんなふうに思ってしまいます。
けれども本当は、普通に生きている一人一人が、すばらしい、かけがえのない存在です。」
最後の言葉に共感を覚える。SMAPの「世界に一つの花」にあったように、注目を浴びるナンバー1でなくても、個性的なオンリー1であることの方が、本当は素晴らしいんだと知ってもらいたいものだと思う。次の最後の呼びかけも、全くその通りだと思うものだ。
「大丈夫。あなたは今のままですばらしい存在です。無茶なことをしなくても、ちゃんと注目してくれる人がいるし、愛してくれる人がいます。社会の中で、君の役割があるはずです。君の活躍を待っていてくれる人がいます。」
このことを信じられる人が多くなる社会を築きたいものだと思う。それがモラルの向上につながるだろう。
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最終更新日 2004.01.12 17:15:40
コメント(29)
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Re:成人式で暴れる若者(1/12)
とべとべさっち
さん
秀さん。
成人と同じく保育園児も愛されたがっています。
自信がなかったり、反社会的な暴力で表したり。。
内に向かうか外に向かうかの差だけ。
それに加え、「無反応」な子。この子たちが一番怖い。
うまく言えませんけど、怒ったり泣いたり悔しがったり、そういう感情まで面倒くさいような、スッとその場から離れていくような。
これって、何なんでしょう。
このままではきっと様々な実感を落として成長していく。
やはりどの子もどこか自尊感情を奪われる社会なのでしょうか。
1つ言えるのは、休み明け絵を描かせると家でゲームをしている絵、家でビデオを見た絵、ショッピングに行った絵、遊園地に行った絵・・・そんなのが多いのです。。「ひとり」という気がします。人込みの中でも「もの」を相手に楽しんでいるだけで「ひとり」。。
これでは「君はそのままでいいんだよ」と我が子を認めることができにくいと思います。
一見仲良く見える普通の家庭、普通の子ども、、大多数を占めるというだけで「普通」になるのかなぁ。。
ごめんなさい。混乱してきました。
また来ます。。 (2004.01.12 19:45:15)
返事を書く
Re:Re:成人式で暴れる若者(1/12)
秀0430
さん
とべとべさっちさん
僕が恐いと思うのは、従順な優等生です。彼らは、人の期待を背負って生きていて、期待に応えることで人生の勝利者として生き残っていきます。
自分を持たず、人の期待に応え、人のために生きることこそが人生の勝利者になると言うことが繰り返されることは恐いことだと思います。保守思想の権化のような感じがします。
期待される人間像が自分の姿であるという子供は、そのままの君でいいんだよといいたい「そのままの君」がどこにもなくなってしまうような気がします。
日本人にとって「普通」とは、期待される人間像の最たるものかもしれませんね。期待をすべて裏切ることが正しいとは思いませんが、期待ですべてを埋め尽くすことは、「過ぎたるは及ばざるがごとし」ということわざを思い出します。 (2004.01.12 23:31:52)
返事を書く
Re:成人式で暴れる若者(1/12)
msk222
さん
>とべとべさっちさん
秀さん。
それに加え、「無反応」な子。この子たちが一番怖い。
うまく言えませんけど、怒ったり泣いたり悔しがったり、そういう感情まで面倒くさいような、スッとその場から離れていくような。
このまま大きくなった青年たちが多くなったような気もします。バーチャルなネット社会もそのひとつでしょう。
ただ、一所懸命社会に関心をもって社会とのかかわりをもとうとしている青年たちも少なくないと思っています。
現代は、とべとべさっちさんのように、子どもたちの信号を感じることのできるせいせいの出番だと思いますよ。
(2004.01.13 00:21:23)
返事を書く
Re:成人式で暴れる若者(1/12)
みんみんパイ
さん
私は10代、大学に入るまでずっと怒っていた気がします。学校に「模範的で成績のいい子」を強制されていた気がするし、もうそうやって無理に模範にはめられると表向きでは一線を越えないようにしていても、裏では「いつか何かやってやる」っていう気持ちで一杯になっていました。
学校によって随分雰囲気が違うけれども、教育現場が「見かけと成績の模範」に捉われすぎてその枠で生徒を判断しようとすればするほど、自由になった時の怒りやストレスの発散の力は底知れないと思っています。
成人式自体も形式にこだわって式場に人を詰めてつまらない話を大人達がするじゃないですか。まるで学校の朝礼と同じように。そういうことは成人は求めてない。どうせなら、バンドでも呼んでみんなで成人らしいお祭りをすればいいのに、と暴れる若者のニュースを見るたび思います。
(2004.01.13 01:10:31)
返事を書く
Re:Re:成人式で暴れる若者(1/12)
秀0430
さん
msk222さん
宮台真司さんと藤井誠二さんの、教育の状況を語った本には、「反社会的」という言葉と「脱社会的」という言葉が出てきます。
「反社会的」の方は、社会に対する何らかの期待が裏切られたことに対して、それに反抗する気持ちから生まれてくるのですが、それでもまだ社会に対する期待がある分だけ、社会とかかわろうとする気持ちがあるぶん救いの可能性が感じられます。
しかし、「脱社会的」の場合は、社会なんか関係なく、自分だけの世界で完結して何か行動するという恐ろしさがあります。それは、全く予想できない行動が起こる可能性もあり、予防することが不可能な犯罪が起こる可能性さえあります。
池田小学校で多くの子供を死なせた宅間被告は、自分の死刑にすらほとんど関心を持たない「脱社会的」な人間に見えました。社会に価値を見いださない人間が、社会を破壊しようという思いを抱いた場合に、それを思いとどまらせることが出来ないと言う恐ろしさを感じます。
「脱社会的」な人間を生み出さないようにするためにはどうすればいいのか。これは、教育が抱えている大きな課題だろうと思います。 (2004.01.15 10:12:33)
返事を書く
Re:Re:成人式で暴れる若者(1/12)
秀0430
さん
みんみんパイさん
僕は、学校に対して怒りの感情はあまり持ちませんでしたが、無視をするという感情は持っていたようです。学校に左右されるような人生は送りたくないという感じでしょうか。
僕は、学校で教えていることに価値があるかどうかは、自分で選ぶものだと思っていました。価値がなければ学ぶ必要はないと思っていました。
もし怒りを覚えるとしたら、価値がないと思うようなものでも勝手に評価されたことでしょうか。僕にとっては価値がないと思って勉強していないんですから、評価なんかされたくないというのが僕の思いでした。
だいたい人を評価するというのはとても難しいもので、それが正確に出来るという可能性はきわめて低い。評価には間違いがあるのが当然で、たとえ正しく評価しても、それはその人の一面を正しくとらえているにすぎない。一面を全面と取り違えてはいけないというのが僕が思っていたことでした。
成人式にかかわらず、式典というのは、エライ人が挨拶をする場を作るという目的でやられるものだと僕は受け止めています。そこに集められる人間は、宣伝のだしに使われているだけですね。だから、本当はそんな式典など拒否してやればいいと思うんですけれど、祭りに作り替えてしまおうというのが暴れる若者の感覚なんだろうなと感じます。 (2004.01.15 10:19:43)
返事を書く
Re:成人式で暴れる若者(1/12)
小林とむぼ こと 唯乃葉羽
さん
>「大丈夫。あなたは今のままですばらしい存在です。無茶なことをしなくても、ちゃんと注目してくれる人がいるし、愛してくれる人がいます。社会の中で、君の役割があるはずです。君の活躍を待っていてくれる人がいます。」
先日、合唱部の同窓会でこの歌をうたいました。
テレビを殆ど見ていないため、歌は聞いた事がありましたが、配られた楽譜で、初めて歌詞を確認しました。
ステキな歌ですね。もっともっと広がってくれると嬉しい。
(2004.01.16 13:20:30)
返事を書く
Re:成人式で暴れる若者(1/12)
chardonnay2003
さん
秀0430さん
>
「脱社会的」な人間を生み出さないようにするためにはどうすればいいのか。これは、教育が抱えている大きな課題だろうと思います。
-----
こんにちは。
世の中に、脱社会的な人間が登場する理由は想像が
できるように思います。
それは社会が「棄民的」だからです。
犬や猫の屠殺には抗議する人達や団体が存在して
最近ではテレビでも犬や猫の里親募集がされている
のを見かけます。しかし路上で餓死する人達につい
てテレビで救済を呼びかける番組をみたことがあり
ません。私は、棄民すれすれになるような体験を
5歳の頃に体験しましたが、この社会は油断すれば
いつ都市部で餓死させられるか知れたものではない。
空恐ろしい面がありますよ。教育ができる事と出来
ない事がありましょう。政治的な課題も多いのでは。
(2004.01.17 13:34:20)
返事を書く
Re:Re:成人式で暴れる若者(1/12)
秀0430
さん
小林とむぼ こと 唯乃葉羽さん
大勢から注目されたいというのは、ナンバー1になることこそが価値があるという価値観で育てられているからではないかなという気もします。でも、ナンバー1というのは、大勢のその他がいるからナンバー1になれるんであって、誰もがナンバー1を望んでも決してすべての人を満足させることは出来ないんですよね。
しかも、なんでもいいからナンバー1になることこそが価値だとなったら、不正な手段を用いてもナンバー1になることを望むようになってしまうでしょう。
そういうときに、ナンバー1ではなく、オンリー1になろうと呼びかける歌は、とても素晴らしいと思いますよね。オンリー1になれば、その一人に対しては、きっとナンバー1になっているはずですからね。 (2004.01.17 13:39:30)
返事を書く
Re:Re:成人式で暴れる若者(1/12)
秀0430
さん
chardonnay2003さん
問題がいくつかの部分に渡っているので、まずは教育にかかわる部分での感想を返します。
日本の教育制度は、承認をし励ますという仕組みに欠けるところがあります。むしろ、これが出来ないからおまえはだめなんだという自己イメージを植え付けるようなところさえあります。
数学の教科書を執筆していたある学者が、教科書の内容が分かるのは5%でいいと語っていたのをどこかで読んだことがあります。それだけの人が、基礎を分かっているのなら、その中から科学の発展に寄与する人間が出てくるから、他は数学をあきらめて、自分の出来ることで社会に寄与することを考えればよいと言う考えでした。
5%を見いだすために95%を捨て去る制度というのは、まさに「棄民」と呼んでもいいような教育制度のように見えます。こうして社会から見捨てられた人間が、社会に期待を抱かなくなり、脱社会化していくのではないかと危惧します。教育が脱社会科に荷担している面があるとしたら、それはやはり大きな課題として自覚しなければならないと思います。
教育制度にかかわる問題は、政治の方向にかかわる問題であり、それに取り組むことは教育問題の解決に努力していることでありながら同時に政治的にかかわっていることにもなります。
政治的な課題に取り組むといっても、直接に出来ることとできないこととがあると思います。政治活動を直接できる人は、その方向で努力することも大切でしょう。しかし、自分の守備範囲で努力することが、政治的な課題ともつながってくる方向もあると思います。切り離してとらえるのではなく、出来るところから始めて、そのつながりを考えることが大切かなとも思っています。 (2004.01.17 13:54:39)
返事を書く
Re:Re:成人式で暴れる若者(1/12)
秀0430
さん
chardonnay2003さん
社会が棄民的だということの指摘については、その通りだと思います。タマちゃんは助けるけれど、ホームレスで倒れた人間を助けようとはしないですものね。
これは、一般的なイメージが、人間は努力しないからみじめな位置に落ちるんだと考える人が多いからかもしれません。つまり、ホームレスになるような人は、自業自得だから助けることはないと考えている人が多いのではないでしょうか。
それに対して、動物は努力するとかいう意志とは関係なく生きていますから、みじめでかわいそうなら助けてやろうという感情が浮かびやすいんだろうと思います。
この一般的に浸透しているイメージにまず疑問を持つことが大切だろうと思います。一定の割合でホームレスを生み出す社会というのは、社会そのものに矛盾があるからではないかと考える方を多数派の考えにする必要があるのではないでしょうか。これは、政治的な問題が大いにあるような感じがします。
小泉さんが進んでいる路線は、ネオ・リベラリズムと呼ばれている考えだそうです。これは、自ら助けるものは応援するけれど、努力しない人間は見捨てるという、弱者切り捨ての方向だといわれています。これには一面の正しさがあるので支持する人もいるのですが、どこが違っているかを見いださなければ、棄民的な方向を防ぐことが難しくなると思います。一般論としてすぐに説得的な論理は難しい感じがしますから、僕はやはり自分の守備範囲の教育において、弱者切り捨てはどうなのかということを考えていきたいと思います。 (2004.01.17 14:04:10)
返事を書く
Re:成人式で暴れる若者(1/12)
chardonnay2003
さん
秀0430さん
>一般的なイメージが、人間は努力しないからみじめな位置に落ちるんだと考える人が多いからかもしれません。
-----
一般的なイメージどころか、制度が想定している像が
中央官庁のご都合なイメージと先例主義で不公正を
根拠づけるような解釈で埋められているという気が
します。私たちは中小事業者だったりしますが、私見では日本での事業
参入障壁の厳しさは努力限度を越えているのです。雇用情勢は芳しくな
いまま失業率が実勢で10%近い現在(厚生労働省は6%未満であるか
のような虚偽を述べます)いやおうなしに起業するものもいるのですが、
一向に。新規創業が堅調に増えない理由は、事業着手がどれほど難しい
かを如実に物語っていると思います。
経済行為の端緒から事実上無限責任を覚悟せねばならないという状況を
社会全体がけして直視しようとしない。いや、知っているから眼をそらす。
やれるものならばお手本を税収が欲しい中央官庁がやってみればいい。
人々がこの時代に少しは人らしく過ごすこと自体が、すでになにやら大
事業になりつつあるわけです。 (2004.01.18 21:48:21)
返事を書く
Re:成人式で暴れる若者(1/12)
小林とむぼ こと 唯乃葉羽
さん
秀0430さん
♪日記リンクを、ありがとうございました。(*^_^*)
♪随分前から、競争意識というのを排除したいと考えて、努力を重ねてきています。
自分の中に、それぞれの到達点を設定し、より近づくために頑張るという考え方を採用しました。
未だ未だ迷いは多く、時々はまりますが、抜け出しが早くなっています。
他人が失敗して転がり込んだ一位なんて、私は嬉しくありません。
一位になるといただけるご褒美については物欲的にはありますが。
順位を決めるものに対しての挑戦は、最大、とか、最小とかの基準の判断材料として有効活用するのは良いとも思います。けど・・・そんなに好みぢゃありません。
なのに、何故か、あの人の中の一番になりたい気持は、何だかとっても濃くあります。
オンリーワンなんて、あつかましくても、せめてナンバーワンくらいには在ってみたいななんて!
ち、違うか?!
-----
(2004.01.19 13:34:00)
返事を書く
Re:Re:成人式で暴れる若者(1/12)
秀0430
さん
chardonnay2003さん
宮台真司氏と神保哲生氏が、連帯保証人制度というものを批判していました。これは、本来銀行が負うべきリスクを、すべて借り手の方に負いかぶせてしまい、これが銀行の判断の力のなさに結びついているという批判でした。
銀行は、自ら考えてリスクを負わなければ、借り手に金を出していいかどうかの判断能力が伸びてこないということでした。しかも、借り手がすべてのリスクを負うため、新規参入のビジネスが伸びてこないという弊害もあります。
連帯保証人制度というのが、近代以後の先進国で残っているなんて言うのは、全く信じがたいくらいの後進性だと言っていました。日本の問題は、これがいかにひどい制度であろうとも、ある以上は仕方がないという受け止め方を国民がしてしまうことでしょうね。制度そのものがひどいという声が挙がる国にならなければ、本当に民主的な国にはなれないんじゃないかという気がしてきます。 (2004.01.22 10:16:28)
返事を書く
Re:Re:成人式で暴れる若者(1/12)
秀0430
さん
小林とむぼ こと 唯乃葉羽さん
僕が勉強してきた弁証法的思考というのは、現実に即して、対立を処理するという考え方でした。だから、物事はすべて反対のことを取り入れて初めて真理がつかめるんだろうと思います。
競争に関しても、それがすべて悪いわけでもなく、すべてがいいわけでもないと感じます。どんなときに、競争が気持ちよく感じられるかというと、勝ち負けのルールがはっきりしていて、その結果を誰もが納得して受け入れられる時じゃないかと思います。
勝ち負けに微妙な判定が入ってくると、これはちょっと納得しがたいことも出てきます。そういうときは競争の弊害が出てくるような気がします。実力以外のもので勝負が決まるのでは、不正もしたくなってきますよね。
ルールがはっきりしていて、その結果に納得できるなら、ゲームセットが告げられるまで全力で勝利に向かってがんばればいいのだと思います。そして、終わってしまえば、もう勝敗の結果にはこだわらないという気持ちの切り替えをすればいいんだと思います。
勝負の決め手であるルールに疑問があるときは、そんなものは1番を目指すものではないんだろうと思います。ナンバー1ではなく、オンリー1を楽しんだ方がいいんだろうと思います。 (2004.01.22 10:39:24)
返事を書く
Re:成人式で暴れる若者(1/12)
小林とむぼ こと 唯乃葉羽
さん
秀0430さん
♪物事は、全て鏡のような状態かなって感じます。
正と負というか・・・きっとゼロと関連しているのでしょうが、自分の中では未決です。
ただ、その深さが違うというか、深さに対応してバランスを保っているのではないかと思います。
ルールは、無駄な摩擦を減らすための手段だと思います。
納得して参加するのは好いと思うのですが、強要(適当な言葉で無いかもしれない)される場合や、考える能力が無いまま、避けられない状況に既に置かれていた場合等葉、どう考えたらいいのでしょう。
言いたい事があったのに、書いている内に混沌としてきてしまいました。
また改めて考えてみますが・・・
感覚的なことにも、統計的なものによる数値の基準が在ると好いなと感じる事があります。
そうしたら、それに自分の感じ方を当てはめて、これは良い事、悪い事と判断(楽チン)できるから。
幸せ感が得られ難いのは、自分の欲やらが多すぎる事によるのか?など、悩む必要がなくなるのではという気持ちになれそうだからです。
でも、結局、自分で納得する以外には無いので、
全てのものに共通の真理って追究しても、不毛なような気がしてしまうのです。
大気の流れやらから感じる「自然のエネルギ」を、論理的に整理して(科学的な分析が好きなのは、この辺から)、それを生かした生き方をする以外に無いのかなって感じます。
例えば、風に揺れる草の葉の動きを見、その運動に逆らわない曲線を頂き表現に使用すると、優しい線ができます。
そんな線を感じながら作った作品を、見て頂いた人から優しい線だねって言われます。
そんな風に、優しい気分が伝わっていけばいいなと思っています。
私の中では、真理は、自然の定理を感じながら生きる事かなって思うのです。
「真理」の意味が違う… (2004.01.23 10:39:30)
返事を書く
Re:Re:成人式で暴れる若者(1/12)
小林とむぼ こと 唯乃葉羽
さん
>秀0430さん
♪最後の一言が切れてしまいました。
このためにもうひとつ掲示板を使うのは恥ずかしいんですけど・・・
-----------------------------♪
「真理」の意味が違うって言われちゃいそうですけど。
-----
(2004.01.23 10:45:00)
返事を書く
Re:Re:成人式で暴れる若者(1/12)
秀0430
さん
小林とむぼ こと 唯乃葉羽さん
「鏡」という言葉を「対立物の統一」という言葉に換えると、僕が勉強してきた弁証法というものと同じものになりそうですね。正と負というのは、対立物の代表という感じがします。
ルールに強制力がある場合の考え方も、僕は対立物の統一で考えます。それが正しいという判断をする場合もあるし、間違っているという判断をする場合もあるだろうということです。さらにいえば、正しいと判断したときも、条件が変われば間違いになることもあると思います。一般論でいうとそうなのですが、これは具体的に論じないとイメージがわかないですね。
納得して参加するルールの例としては、スポーツのルールがあるでしょうね。これは、守らないと楽しくないし、破れば勝てるというときでも、それを破ることを許しません。
強制されるルールとしては、様々な法律があります。これは、民主制度のもとでは、形式的には、我々の代表としての議員が国会で決めたのですから、納得してルールを承認すべきなのですが、直接納得して承認していないというところに問題があります。
たとえば、人を殺してはいけないというルールに従いたくないと言う人がいたらどうするか。最近は、「一度殺してみたかった」なんて理由で殺人を犯す若者が出てくるようになっています。この若者にとっては、「人を殺してはいけない」というルールは、強制されたルールになります。
これは、強制しないと社会が不安になりますから、強制することが正しいと思うんですが、戦場では逆のルールが適用されます。「敵であれば人を殺すことも良いことだ」というルールです。
一般論としては、真理の成立する条件に気をつけろということになりますが、具体的な問題を検討するときは、対立する考えを取り入れて、どのような方向から考えても整合性があるかに気をつけなければならないのかなと思います。 (2004.01.24 13:20:45)
返事を書く
Re:Re:成人式で暴れる若者(1/12)
秀0430
さん
小林とむぼ こと 唯乃葉羽さん
数値の基準に関しては、物理的現象に関してはかなり厳密に決められますが、そうでない現象に関しては、境目を決めるのは難しいと思います。こんな時に役に立つのは、「量質転化の法則」なのではないかと思います。
この法則は、質的変化が起こるときには、どこかに量的な変化も見つかるということです。あるいは、量的変化が進行していくと、どこかで質的変化が起こると予想するというようなものでしょうか。
これも一般論なので、具体的な現実から、この法則が適用できる現象を見つけていかないとならないと思います。今は小泉内閣が高い支持率を保っていますが、小泉内閣の質が変化すれば、この量的な支持率にも変化が表れるだろうし、支持率が変化すれば、抵抗勢力にすり寄って改革の中身が鈍るという質的な変化も生まれてくると言う、相互に影響するような面をもっているように見えます。
とむぼさんの感性はとても素晴らしいものですが、感性は、分かるやつには分かるという面がどうしてもあるので、誰にでも分かるというものはやはり論理で構築するしかないのかなという感じがします。僕の専門の数学では、正しいことであれば、どの数学者からも反対されません。正しさが確定していないことは、どの数学者もそれが真理であることを留保しています。誰もが分かる形を提出したいと思ったら、論理に従うしかないのではないかと思います。 (2004.01.24 13:31:44)
返事を書く
Re:成人式で暴れる若者(1/12)
秀0430
さん
小林とむぼ こと 唯乃葉羽さん
>「真理」の意味が違うって言われちゃいそうですけど。
-----
この言葉に触発されて、もう一つページを増やそうかなと思いました。真理と誤謬との違いはどこにあるかという問題を見つめようと思っています。
真理というのは、立場を越えて正しいから真理と呼ばれると思うのですが、実は成立する条件があると思います。
だから、ある時には真理であったことが、条件が変化したときに真理でなくなってしまうということが出てくるのだと思います。その表面だけを見ていると、立場で真理が変わったり、真理の意味が違っているという印象を受けそうですが、実は条件の変化を見落としているのではないかという気もします。
真理というのは、ある条件の下では絶対的に正しいのだと思います。ただ、難しいのは、その条件を正しく設定できないということなのではないかという感じがしました。 (2004.01.24 13:36:29)
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Re:Re:成人式で暴れる若者(1/12)
小林とむぼ こと 唯乃葉羽
さん
秀0430さん
>真理というのは、ある条件の下では絶対的に正しいのだと思います。ただ、難しいのは、その条件を正しく設定できないということなのではないかという感じがしました。
♪いつも、「真理とは、正しい事なんだ!!!!」とか言われると、「待った!!!!」と言いたくなってしまうのは、これで解消できそうです。
私にとっての真理は、自然の摂理 かなあと感じています。
哲学って、農民には農民の哲学があるって言いますよね。土や天候などの自然と対話をしているから、生まれてくるものじゃなかったかしら?
なんでも効率よく機械により力ずくというのは、それの良さも理解できますが、自分を含め、無くしているものも多いのではないかと案じてもいます。
-----
(2004.01.27 11:16:55)
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Re:成人式で暴れる若者(1/12)
秀0430
さん
小林とむぼ こと 唯乃葉羽さん
>♪いつも、「真理とは、正しい事なんだ!!!!」とか言われると、「待った!!!!」と言いたくなってしまうのは、これで解消できそうです。
-----
真理というのは、あくまでも関係の上で判断できる認識の方にあるものなんですよね。条件と関係なく、ある存在を指して、これが真理だとは言えないわけです。それが真理だと判断した、その時の考え方は、どんな条件・背景のもとで判断したのかと言うことがいつも大事になるわけです。
その条件・背景が違えば、同じ言い方が真理ではなくなると言うのが、真理というものの本当の姿なんだろうと思います。もし、誰かの言うことが真理だと感じられなかったら、その人が言っていることの条件・背景を考えて、自分とは違うイメージなんだなと確認することが大事だと思います。
哲学にいろいろな哲学があるというのも、人間の生きる条件には多様性があり、その多様性の中では、条件が違うと、その条件の下での真理に違いが出てくると言うことなんじゃないかと思います。 (2004.01.29 10:38:12)
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Re:Re:成人式で暴れる若者(1/12)
小林とむぼ こと 唯乃葉羽
さん
秀0430さん
>哲学にいろいろな哲学があるというのも、人間の生きる条件には多様性があり、その多様性の中では、条件が違うと、その条件の下での真理に違いが出てくると言うことなんじゃないかと思います。
♪ここで言いたかったのは、
ひとつの事にこだわって、深く対話を続けていると、その他の色々なことに共通する大きな「 」(中の言適切な葉が見つからないけれど)に気が付いて、これが、真理に近いのかなって思うんだ。
今、思ったんだけど、「 」の中は、「仕組み」かも知れない。
-----
♪私は、雑多が好きなので、
色々なものに美しさを感じてしまうのだけれど、
シンメトリーや整然とした(論理的?)な美しさも好きで、その反対に、ア・シンメトリーなものも好きなのだ。けれど、
大きな見方(遠くから眺める様な)をし、それを切り取る作業をすると、アンバランスな面白さは、切り取った画面の中で、心地好いバランスを取り存在すると云う事に気が付くんだ。
アンバランスな美は、実は切り取り方(解りやすく言うと自分で作り出す額縁)で、バランスを保っていると云う事。
あくまでも、拙者の主観であるが。
------------------------雑食性のとむぼより
合理的、論理的な美しさは、不必要なものを切り捨てた最小の美。なのかなって思えるし・・・一件関連がないように思える、言葉を削ぎ落とした、詩や、短歌、抽象作品なども、タイトな美を感じる。
ふふ・・・ここまで書いて長くなって・・・自分の日記にアップしちゃおっと。
ごめんね!(にこにこ)
(2004.01.29 12:22:27)
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Re:成人式で暴れる若者(1/12)
小林とむぼ こと 唯乃葉羽
さん
あ・漢字間違えだ。一件の変換・・・パソコンの所為にしてしまおう。 (2004.01.29 12:36:38)
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Re:成人式で暴れる若者(1/12)
秀0430
さん
小林とむぼ こと 唯乃葉羽さん
「仕組み」というのは、「構造」という言葉でも言い換えられるのかなという感じがします。これは、対象をどんどん抽象的に高めていくと、最後に残っていくものだから、すべてに共通しているように感じるんじゃないでしょうか。
僕が勉強してきた弁証法というものでも、最初は現実に実際にあるものを観察することから始めるんですが、それを空間的・時間的に抽象を高めていくと、ものはすべて変化しているというような構造にたどり着きます。
ものはすべてそのままの形で存在し続けることは出来ない。必ず変化をする。その変化の過程で、今ある姿が否定され、新しい姿が生まれていくと言うところに、反対のものすなわち対立物が統一されているという弁証法の考え方が生まれてくるんだろうなと思います。
これは、共通する「構造」にかかわることなのできわめて抽象的です。そのままで現実には存在しないことです。現実は、時間的な制約があり、その制限された条件下、つまり一定の長さの時間の中では変化が否定されることもあります。条件が違うと、真理が真理でなくなることもあるというのが、哲学の違いにも関係があるのかなと思います。 (2004.01.31 11:50:04)
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Re:Re:成人式で暴れる若者(1/12)
小林とむぼ こと 唯乃葉羽
さん
秀0430さん
>「仕組み」というのは、「構造」という言葉でも言い換えられるのかなという感じがします。これは、対象をどんどん抽象的に高めていくと、最後に残っていくものだから、すべてに共通しているように感じるんじゃないでしょうか。
♪言いたかったのは、きっとそんな事だと思います。
抽象化が進むと、構造のようなものを感じ、それを基本にして考えると、色々なものに適用できる気がするのです。
でも、それは、見えた!と感じた瞬間に、また、無 に帰るような気がしたり・・・
一生こんな事を探求しつづけるのでしょうね。
懲りもせずに。
>僕が勉強してきた弁証法というものでも、最初は現実に実際にあるものを観察することから始めるんですが、それを空間的・時間的に抽象を高めていくと、ものはすべて変化しているというような構造にたどり着きます。
♪変化という言葉も、私のキーワードです。
>ものはすべてそのままの形で存在し続けることは出来ない。必ず変化をする。その変化の過程で、
[今ある姿が否定され、新しい姿が生まれていくと言うところに、反対のものすなわち対立物が統一されているという弁証法の考え方が生まれてくるんだろうなと思います。]
♪この弁証方とやらがいまいちです。
「反対のものすなわち対立物が統一されているという」のを、後でゆっくり具体的な例でもあげて解説お願いします。
昨日、図書館で、アエラMookの新版 哲学がわかる。なんていうショウも無い表紙の本を借りてきました。
フフフ。
一頁目が、「哲学は、好奇心だ。」です。
-----
(2004.02.02 10:25:48)
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Re:成人式で暴れる若者(1/12)
秀0430
さん
小林とむぼ こと 唯乃葉羽さん
弁証法の具体例としては、いろいろなものがあるんですが、そのポイントは、対立物を背負っているというところにあるんじゃないかと僕は思っています。
対立した性質が、ただ存在するというのではなく、その対立した性質が、お互いの存在になくてはならないもので、切り離せないものとして背負っているという感じでしょうか。
これは、すべてにわたってこのようなものを考える必要はないと思いますが、物事の本質をとらえようと思ったら、そこに対立物を背負った存在が見えてきて、それをどう取り扱うかで本質が見えたり、見えなくなったりするんじゃないかと思っています。
難しくて、解決の方向が見えないという問題で、この対立物の統一という構造が、問題解決の方向のヒントを与えてくれる場合が多いんじゃないかなと感じたりもします。
短い言葉では説明しきれないので、まとまったら日記かページの一つとして書いてみようかと思っています。
今のところいい具体例が思いつかないので、抽象的になっていますが、これから探してみます。 (2004.02.02 23:18:01)
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Re:Re:成人式で暴れる若者(1/12)
小林とむぼ こと 唯乃葉羽
さん
秀0430さん
>今のところいい具体例が思いつかないので、抽象的になっていますが、これから探してみます。
♪私のようなものには、具体例というのはとても助かる手段です。
それをもと_、色々なことに当てはめて考えられるようになるからです。
どうぞよろしくお願いします。
私はとても気長です。
---------------------♪
廻し読みの件、先日の見学会の時に、足工大の教授に、こんな事をする予定なんだよといったら、とても興味を示して、学生とやってみても面白いなと申しておりました。
私は、本の中に涙の跡を捜して楽しみたいなどという悪事を思いつきますが、涙の跡をつけるのは、実は私かも知れなかったりして。
-----
(2004.02.03 00:14:10)
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Re:成人式で暴れる若者(1/12)
秀0430
さん
小林とむぼ こと 唯乃葉羽さん
今日の日記で、弁証法についてちょっと書いてみました。僕が考えていることが正確に伝わるかどうか難しいですが、読んでもらえたら嬉しいです。
本については、もう少し時間がかかりますが、次の教室までにはなんとか読めるんじゃないかと思っています。 (2004.02.03 09:32:32)
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