真理を求めて

真理を求めて

2005.01.02
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カテゴリ: カテゴリ未分類
主体性というものを、僕はあくまでも自らの判断で選び決定する行為としてとらえている。しかし、これは形だけそう見えるという場合がある。例えば、小泉さんは、もしかしたらイラクへ自衛隊を送ることが本当に国際貢献であると「信じて」自ら決定しているかも知れない。このようなものを、自分で決定しているという外見から、やはり主体性であると考えるのは、主体性という言葉の持つ意味を限りなく曖昧にするのではないかと思う。

昨日の日記では、言葉というのは同じ意味でのレベルの違いを伝えるコミュニケーションが多いというようなことを書いた。そういう意味では、主体性という言葉も、自分の判断が高いレベルにある主体性と、自分で判断していると思い込んでいるだけで、実はそう判断させられているというレベルがあると受け取った方がいいのかも知れない。しかし、そういったレベルの意識が薄い人にとっては、同じ言葉で「主体性」というと、勘違いしてしまうことが多いだろう。

主体性とは、言葉の意味からすれば、やはり主体である自分が「主」であり、周りの環境やその他の影響は「従」であるときに「主体性」という言葉を使うべきだろうと思う。自分が「従」で、周りの方が「主」になっているのに、観念的には自分が「主」であると思い込んでいる状態もある。それは本来は「主体性」とは呼べないものだと思う。しかし、形式的に「自分が選んでいる」という形に目がくらむと、これも主体性と呼びたくなってくる。これは、レベルで言えばほとんど0に近い主体性であるのだが、形式しか目に入らない人間にはそれが分からない。

このような主体性を、本来の主体性から区別する意味で、「奴隷の主体性」と呼ぶことにしよう。このように、単に自分が思い込んでいるだけのものは、「奴隷の」という修飾語を常につけて表現するようにしたい。そして、これが本来の主体性ではないと言うことを意識したいものだと思う。

「奴隷の主体性」のイメージは、アメリカでの奴隷解放の頃に、むしろ奴隷の地位にいたくて解放に反対した奴隷がいたと言うことを聞いた時にイメージしたものだ。自由を尊ぶ人間だったら、解放に賛成し喜んで当然だが、奴隷の身でいた方が安心できるという感情を持つ人々もいたようだ。優しい主人に愛されて保護されていた方が安心できるという感じだろうか。自立し自由に自分で決定するのは、その決定を自分の責任として背負わなければならないので、常に不安にさらされなければならない。脆弱な自尊心はそれに耐えられなくなる。それだったら、たとえ自由はなくても安心の方を選びたいというのが「奴隷の主体性」だ。

小泉さんのアメリカのケツ舐め選択というのも、自ら選んだことには違いないだろうが、僕には奴隷の主体性のように見える。アメリカのケツを舐めていた方が、今までの利権がそのまま確保され、物質的な豊かさや、安全が保証されるという判断が働いて、結果として自らケツ舐めを選んでいるんだろうと思う。しかし、これは単に自由に選択すると言うことの不安を避けるために選んだのではないだろうか。

ケツ舐めを選ばないという選択肢もあったはずなのだが、その選択肢を選べば、そのために考えなければならないことや、責任を負わなければならないことが増えてくる。そのようなものを考えてもし失敗したらと言う不安に耐えられなかったら、失敗の少ない方へ行こうという感じになるだろう。つまり、これは本当に主体的に選択しているのではなく、ある種の圧力で選択させられているのに過ぎないことを、そう思うのは自尊心が傷つくから、自ら選んだと思いたがっていると言うだけなのではないだろうか。

小泉さんは、わがままに自分の思うように決断しているように見えることもあるが、アメリカが関わってくるところでは全くわがままに行動出来ていないように見える。そこがケツ舐めと言われる所以なのだが、このような人間はちまたでもよく見かけるだろう。自分より下の地位や、下の力しかないという風に相手を見れば、傲慢にわがままに振る舞うが、少しでも上の地位にいたり力が上の人間がいると、そこにすり寄り、自分の判断よりもそのすり寄った人間の判断を優先するというものだ。こういう人間は、自分ではそれを自分でそうしたいからしていると主観的には思っているだろう。しかし、客観的に見ればそこには主体性はない。「奴隷の主体性」があるだけだ。

かつての軍国主義を支えた日本国民の主体性も、僕は基本的には「奴隷の主体性」だと思っている。そこでは、本物の主体性を持っている人間が「非国民」にされて攻撃を受けた。そして、「奴隷の主体性」を持った多くの人は、その「非国民」という判断を批判もせずにそのまま受け入れて、主体性を潰す方に荷担したのだと思う。



しかし、大衆的支持というポピュリズムの方を判断の一番におくようになると、専門的に考えて正しいかよりも、大衆的支持が得られるかどうかに判断が傾いてしまう。この弊害が小泉さんに強く見られるのは、日本社会がまだ「奴隷の主体性」に支配されていることを意味しているのではないかと僕には思える。

数学者は、数学の世界にいる限りでは主体性を失うことはない。それは、数学というのは、それが正しいかどうかを自分で判断できるからだ。そして、全ての数学者が正しいという判断で一致する。これが違ってくるように見えるのは、「まだ分からない」と言うことを読み間違えるとそう見えることもある。分からないことに関しては、数学というのは「正しい」とも「間違っている」とも言ってはいけないのだ。そして、分かったことに関しては、それが「正しい」か「間違っている」かは明確に決まる。

「正しい」か「間違っている」か分からないことに対しては、判断保留という意味で「分からない」という態度を持つことは、主体性を保つ上では賢明な方法だと思う。これを、権威に頼ったり、先入観で判断したりすると「奴隷の主体性」が身に付くようになる。

民主主義的に多数決で決定したことが、その多数決を根拠として正しいと考えるのは、奴隷の主体性の表れである。多数決の決定というのは、基本的には「正しい」か「間違っている」かが判断できない時に、仕方がないから多数決で決めるのである。判断できるものなら、それは専門家の判断を信用してそれを受け入れるしかない。その際、その専門家が本物であるかどうかの判断がまた大事になるけれど。

実践的な問題というのは、「正しい」か「間違っている」か判断できない時でも、どちらかに決めなければならない時がある。そのような時に、最終的に多くの人が責任を持とうと言うことで多数決に従うのである。賛成した多くの人がその責任を負うという覚悟で多数決をするのである。

多数決というのは、そこで決定されたことが間違いであることが明らかになれば、多数決が否定されて正しい判断の方が選ばれなければならないのである。民主主義的な決定手続きというのは、正しさを保証するものではない。それは、誰が責任を負うべきかというのをハッキリさせるための手続きなのである。

奴隷の主体性の問題は、本人が自分の自発性を信じているので、なかなか奴隷であることの批判が出てこないと言うこともある。これは、自由の問題で大きく影響を与える。自由を何か社会を混乱させる不道徳なものと考えるのは、奴隷の主体性に毒されていることから来るのではないかと僕は思う。

自由というのは、むしろ主体性の根拠になるもので、これなしには主体性を発揮することは出来ないと僕には思えるものだ。どちらを選ぶのも自由という状態で、どっちかに決定すると言うことが主体性の発揮である。佐高信さんは、「悪いことも出来るのだが、悪いことを選ばない自由」を使う能力というものを論じていたことがあった。

悪いことをさせないためには、悪いことを全て禁止するという方法もある。しかし、何かのきっかけで悪いことに転びそうなものはいくらでもたくさんある。包丁のような刃物は、料理には欠かせないものだが、使い方によっては人を傷つける武器にもなる。だから、世の中から包丁を全部なくそうと思う人はいないだろう。そうしたら、料理をすることもあきらめなければならない。

便利さと欠点は表と裏のようにくっついている。だから、いくら欠点だけを取り外そうと思っても、それをすると便利さという長所も同時になくしてしまう。だから、本当に有効な対応は、自由の使い方を訓練して、破壊的な方向の自由の使い方をしないように人間をし向けるしかないだろう。悪に対する免疫性を作ると言うことでもあるだろうか。

旧日本軍は、中国大陸で様々の残虐行為をした。これは深く分析して、その原因を徹底的に糾明しなければならないだろう。なぜなら、よく分からないけれど、人間の感情としてそれも無理はなかったのだというような理解では、同じようなことが繰り返されるからだ。



奴隷の主体性を克服して、真の主体性を身につけるためには、自由を恐れないことだ。自由というのは不安をもたらす。自分で責任を負わなければならないと言うことへの不安をもたらす。この不安は、失敗したらもう終わりだというようなことからもたらされるような気がする。だから、失敗した時にいつでも修正できるのだという能力を持つことが大事だろうと思う。取り返しのつかないような失敗はないのだと思えるかどうか。そして、失敗に敏感になり、いつでも小さな失敗の時に気づいて、大きな失敗まで行かないように出来るという能力が大切だ。

僕は、三浦つとむさんや板倉聖宣さんを通じて、このような能力を身につけられたような気がする。多くの人がこのようなことを考えて、ぜひこのような能力を身につけて欲しいと思う。どうするのが最も有効かというのを考えてみたいものだと思う。





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最終更新日  2005.01.02 00:12:16
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