真理を求めて

真理を求めて

2006.10.07
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PPFVさんが 「[毎日新聞]靖国神社遊就館:米が批判の記述修正 アジア関連は変えず」 というエントリーで紹介している毎日新聞の 「靖国神社遊就館:米が批判の記述修正 アジア関連は変えず」 という記事に、非常に興味深い内容が書かれている。

この修正に関しては、僕は「アメリカに言われたから変えるという態度は、愛国的ということから見ていかがなものか」という印象を持ったのだが、「アメリカから言われたから」という批判は当たっていないという意見もあったようだ。特に時間的な問題を指摘してそのような主張をしているものがあった。

アメリカの批判や岡崎氏の文章が発表された直後に、遊就館がその修正という対応をしたのは、時間的に早すぎるというのだ。もしそれが影響したのなら、少なくとも何らかの検討をする期間が必要であり、すぐに対応出来たのは、そのことを以前から考えていたからだという推論でそのような主張をしている。例えば 「おやびっくり、昨日の今日ですから、でも「君子の過ちや、日月の食の如し…」」 というブログ・エントリーでは、次のような主張をしている。


「偶然でしょうが、きのうの今日のことなのでくりさんもびっくり。ちょうど夜中にブログを書いてアップし、朝起きたら寝ぼけまなこにこの紙面ですから。岡崎氏も知らずに「正論」を書いたようです。ニュースを産経記者から聞いて「早急に良心的な対応をしていただき感動している」とコメント。4月ごろから見直しの検討を始め7月ごろから本格的に見直し作業に入ったというのでウィル氏の批判や岡崎氏の「正論」が影響したわけではありません。別の批判があちこちからあったのでしょう。要するに、誰が見てもチョットおかしい部分だった訳だと思います。」


これは理屈としては通っているようだが、ここで推論されているのは、「アメリカから言われたから」と言うことの否定ではない。「ウィル氏の批判や岡崎氏の「正論」」の記事が直接的に影響して修正したのだという主張を否定しているに過ぎない。4月頃から見直しの検討をしていたということだが、それがアメリカに言われたからであって、他の国から言われたときにはそのような対応をしていないと言うことがあれば、やはり「アメリカに言われたから修正したのだ」という批判の可能性は残る。

毎日新聞の記事は、そのような疑問に答えてくれるような面白い記事だった。そこでは、





と報道されている。アメリカから言われた部分だけを修正するに際して、「アメリカに言われたからだ」と理由を述べれば、これはアメリカ追随主義であり、主体性のなさを批判されるだろう。だが、これは間違いを修正しただけだというなら、アメリカ追随主義にはならない。しかし、その時は、アメリカ以外のアジアの国々から批判されている部分に対しては、間違っていないから修正していないのだと言わなければつじつまが合わない。

つまり遊就館は客観的に正しいことを展示するのであって、愛国の精神を示すために展示しているのではないと言わなければならない。これが本当なら、僕は素晴らしいことだと思うが、その時は、アメリカの指摘のどこに適切な間違いの指摘があったのか、アジアの国々の指摘のどこに適切でない指摘があったのかを明らかにする必要があるだろう。そして、客観的に正しい歴史的事実が判明したなら、将来的には、アメリカの指摘でない部分も修正していくと言うことでなければならない。将来的にどうなるのか注目していきたいと思う。

僕は、遊就館が展示内容を修正したのは、基本的にアメリカに言われたことが大きいと思っている。時間的な問題があるにしても、岡崎氏の文章などの影響もあるのではないかと感じている。それは、毎日新聞の記事の中に


「国内でも首相参拝支持の代表的論客である岡崎久彦・元駐タイ大使が8月24日付産経新聞に「遊就館から未熟な反米史観を廃せ」と寄稿。南部利昭宮司らは即日、岡崎氏を招いて意見を聞いた。」


という記述があるからだ。もし、岡崎氏の文章が大した影響を与えないものであるならば、それに対する回答をどこかに発表するだけですむのではないか。なぜ「即日、岡崎氏を招いて意見を聞いた」というようなことになるのだろうか。見直そうとは思っていたが、踏ん切りがつかずにぐずぐずしていた靖国に対して、最後通告のように「この展示を続けるならば、私は靖国をかばえなくなるとまであえて言う」と言われたためにあわてて意見を聞いたのではないかと勘ぐりたくなる。

「今のところ具体的な指摘がない」と靖国の側が語る中国関連の展示は、「実際は昨年11月、劉建超・中国外務省報道官が同館を「軍国主義を美化する靖国史観の中心施設」などと批判している」そうだ。これに対しては、この指摘が客観的に正しいかどうかを考えなければ、アメリカの指摘に対して、単に間違いを修正しただけとは言えなくなるのではないだろうか。

このことに関しては、「侵略行為を認めるのは英霊顕彰にふさわしくない」という回答がされているようだ。これは客観的な歴史を求めるとは言い難いのではないだろうか。「侵略行為」というものが、「英霊顕彰にふさわしくない」と考えられようとも、それが歴史事実として正しいと判断されればそう結論しなければならないのが、客観的な歴史を求める態度だろう。それを最初から「侵略行為」がないものとして考えるのは、愛国の精神から歴史を見ることになるのではないか。

僕は、愛国の精神から歴史を見る立場を靖国神社がとるのは悪いことではないと思っている。それをきちんと表明すれば、そのような観点なのだと言うことが誰にも分かるし、そのような観点を持つことも、思想・信条の自由から許されると思っている。人に不当に押しつけない限りでは何ら問題はないと思う。僕は、靖国の歴史観をそういうものだと思っていたので、客観的な間違いを正すと言われると違和感を感じてしまうのだ。

反米愛国の歴史観からすれば、戦争の原因がアメリカの謀略によると解釈するのは理解出来る。無差別爆撃による空襲で、非戦闘員が何十万人も虐殺されたり、広島・長崎の原爆での悲惨な虐殺を受けたり、沖縄戦では、イラク戦争やベトナム戦争と変わらないような住民虐殺が行われたアメリカとの戦争が、反米的な思想を生まない方がおかしいと思う。反米愛国こそが正当右翼の歴史観となるのは無理はないと思う。

この歴史観から生まれた遊就館の展示が修正されると言うことは、歴史観が、反米愛国から親米愛国にシフトしたのだろうと僕は感じた。だから、この展示の修正は、歴史観の転換という大きなものではないかとも思ったのだ。

だが内田樹さんが語る 「2006年10月06日 これで日本は大丈夫?」


「繰り返し申し上げるように、東京裁判を仕切ったのはアメリカである。
アメリカ人将兵29万人の死について有責であるとしてA級戦犯たちを告発したのはアメリカである。
そのアメリカがどうして同盟国の首相がそのA級戦犯たちを祀る靖国神社に公式参拝することにきびしく抗議をしないのか、その理由は一つしかない。
アメリカが抗議しないのは、もし首相の靖国参拝に国務省が正式に抗議して首相が靖国参拝を中止した場合、それがきっかけで日中日韓の歴史問題が「解決してしまう」かもしれないからである。
アメリカにとっては同盟国首相が東京裁判の判決を不服としているという心情的な不快と、東アジアに日中韓ブロックが形成されるという地政学的な損失を比較考量して、後者を優先したのである。



アメリカの意志は、「中韓にはどのような失礼を言っても許すが、アメリカにはふざけた口をきくなよと釘を刺したのである」と内田さんは考える。いくつかの事実は、確かにそれが正しいことを物語っているように見える。そして、「中国韓国の言い分には決然として耳を貸す気のない靖国神社はアメリカのこの抗議にはただちに頭を下げた」と言うことが現象として読みとれる。

反米愛国を思わせる記述は、本来は親米愛国の靖国がうっかり間違えたために表れてしまったのだとも解釈出来る。だからこそ、「アメリカのこの抗議にはただちに頭を下げた」ように見えるのだろう。こんなものが真の愛国と呼べるだろうか、というのが僕の大いなる疑問なのである。





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最終更新日  2006.10.07 11:33:36コメント(0) | コメントを書く


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