真理を求めて

真理を求めて

2007.05.05
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我々の社会にはさまざまな問題がある。学校の問題もその一つだが、その問題を生み出した原因が個人に帰するのか・制度に帰するのかは重要な問題だ。もし学校の問題が教師という個人に帰するのであれば、それは現政府や文科省が言うように、教師の資質の向上で解決する問題になるだろう。しかし、それが個人ではなく制度に帰する原因を持っていれば、制度を改革する以外に問題を解決することは出来ない。

ジョン・テイラー・ガットさんは、学校の問題は制度の問題であり、個人の問題ではないということを主張している。実際に教師個人というのはまじめで誠実であり、善意にあふれているのは同僚として働いている人々を見るとよく分かる。そして、彼らはそれなりに有能な人間たちばかりだ。しかし、このように優れた人材がそろっていても、学校が持っている問題の解決には程遠い。

ジョン・テイラー・ガットさんも「優しく、思いやりのある多くの人々が、教師として、助手として、管理者として働いているにもかかわらず、彼らの努力は学校の抽象的な論理に押しつぶされている」と書いている。「抽象的な論理」というのは、システムの問題であり制度の問題であるということだ。個人の努力では解決不可能な要素があるということをこの言葉で表現している。

「義務教育という形態は、1850年ごろ、マサチューセッツ州で考案された」そうだ。「その目的は大衆を厳しく管理することだった。つまり、学校は公式どおりに行動する人間、コントロール可能な人間を生み出すためにつくられたのである」とジョン・テイラー・ガットさんは語る。この目的が学校の問題を生むのだと主張している。これがまさに制度の問題として生じてくる。そうであるなら、ガットさんが言うように、「それは教師の質や予算不足とは関係ない」だろう。


「同じ年齢、同じ階級の人々をまとめて監禁するような制度に従うことは、人生を台無しにすることに他ならない。それは人間のあらゆる可能性を奪い、人々を過去や未来から切り離して、ただ連続する現在にとどめようとするものだ。
 チャイムの音で教室を移動させ、個人のプライバシーどころか、家庭という聖域にまで踏み込んで「宿題」をやらせようとする学校--そんなところで子ども時代をすごすのは、実に愚かで、不自然なことである。」


とジョン・テイラー・ガットさんは語っている。この学校がいかにして子どもを駄目にしていくのか、子どもの成長を阻害するのかを見ていこう。ガットさんはここでは8個の指摘をしている。最初のものは次のようなものだ。


1 大人の世界に無関心になる。
 昔の子どもにとって、大人が何を考えているかを探るのは実に刺激的な行為だった。しかし、最近では、誰も子どもが成長することを望まず、何より子どもたち自身がそれを望んでいない。彼らを責める資格は誰にもない。大人はただのおもちゃになったのである。




今は、子どもたち自身も成長したくないように見える。なぜ彼らは成長することを望まないのだろうか。大人に支配され邪魔をされることが、彼らを幸せにするとは思えないのに、なぜそこにとどまろうとするのだろうか。

かつての子どもたちには、たとえ身近の大人が邪魔をする存在であっても、理想となるようなロールモデルとしての大人があったような気がする。子どもの邪魔をするような大人は昔はひまをもてあましているような大人だった気がする。そのようなひまがなく、自らの仕事に没頭している大人は、子どもの成長の邪魔をするようなことはまったく関心がなかったようだ。そのような大人がかつてはたくさんいたように思う。

今は、子どもに関心を持った大人が増えてはいるのだろうが、残念なことに、子どもにかかわるときに成長の邪魔になっている大人が多いのではないかと思う。これなら、忙しく仕事をしていてくれたほうがまだましだったのではないかと思う。

映画「鉄道員」に描かれたように、かつての大人たちは自分の仕事に誇りを持っていたが、今は、内田さんが指摘するように仕事は不快さを示す記号になってしまったのかもしれない。大人になることは、その不快を受け入れることであり、子どもたちはそのような成長を拒否しているのかもしれない。


2 集中力がほとんどなく、あっても長続きしない。
 今の子どもは、自分で選んだことに対してさえ、集中力が持続しない。これはチャイムによる強制的中断と関係があるのではないだろうか。


このジョン・テイラー・ガットさんの指摘には僕は賛成だ。夢中になるというのは、回りのものから関心が離れて、まさにそのものだけが見えてくることに他ならない。そして、その状態を集中というのだが、そうしたいときに必ず中断されるような生活を繰り返していたら、集中しないほうが心を乱さずにすむようになると学習するのではないかと思う。集中したいときに集中できるような環境というのが子どもの場合には絶対に必要だろうと思う。子どもの集中力を阻害しているのは大人であり、学校の制度なのだと思う。


3 未来に対する認識が乏しく、明日が今日とつながっているという感覚がない。
 先にも言ったように、彼らは現在の連続の中で生きており、その瞬間、瞬間が彼らの意識の境界になっている。


未来の予測を正しく行うためには、合理的な論理的思考というものが必要になる。それは、刺激を単純に反応に結びつけるのではなく、原因と結果の連鎖というものを、必ずしもすぐに結びつかない対象にも広げて考える能力が必要だ。

それは過去から現在へのつながりを正しく受け止めて学ぶことから、これからの未来へのつながり方も正しく予想できるようになる。現在の快不快の感覚に縛られているだけでは、このようなことの正しい認識は学習できない。




4 歴史に関心がない
 彼らは過去が現在をどう運命づけ、自分たちの選択にどう影響し、価値観や生活をどう形成したかということに興味を示さない。


未来への期待が乏しければ、歴史に対してはこのような無関心になってしまうだろう。子どもたちに、未来への期待を取り戻させるにはどうすればいいのか、大人はよく考えなければならないだろう。


5 他人に対して残酷になる
 彼らは不幸な人への思いやりに欠け、弱い人や助けが必要な人を馬鹿にする。




不幸な人や弱い人には助けが必要だが、マスコミではそこに見栄えのいいドラマを設定する。その方がより売れるニュースが出来るからだ。そうなれば当然嘘が混じることになる。そしてその嘘はたいていはやがてばれるものになる。

子どもたちは、弱い人々というものが、実は同情を集めて利権を肥やす、弱い人を演じているだけの人々だというイメージを小さいころから植付けられる。同情心やいたわり・思いやりの気持ちを持つことが損だという気分を経験する。むしろ馬鹿にすることで溜飲を下げるという歪んだ喜びを味わったりする。


6 親しさや正直さを拒絶する。
 彼らは他人と親しくすることが出来ない。それは、テレビの影響による偽りのイメージや、教師を操るための見せかけの態度の中に、本当の自分を隠してきたからだ。他人の親しさに触れると、その見せかけのイメージが崩れるため、彼らは親密になることを避けようとする。


宮台真司氏が、今の子どもたちの「親友」という感覚は、昔の子どもたちの「友達」という感覚に近いと語っていたときがあった。昔の子どもたちは、「友達」の中のごくわずかの、本当に親しい相手を「親友」と呼んだが、今の子どもたちには、本当に親しいという感覚自体がないので、「友達」が「親友」になるという。偽りの自分や、偽りの人間の姿ばかりを見せられていると、本当の自分をさらけ出せる相手の「親友」というのは持てないのかもしれない。


7 物質主義的になる。
 彼らはあらゆることに成績をつける教師や、なんでもかんでも商品にしてしまうテレビの影響で、精神的なものを無視する傾向がある。


他者にも「心」があると思えるようになるには、自分の「心」がよく見えるようにならなければならないだろう。あらゆることに成績をつける行為は、子どもの心を消させる効果を持っているのではないだろうか。心を無くした子どもは、他者の心にも鈍感になるのではないだろうか。アイデンティティーや自尊心というものを持ちにくい人間になるのではないかと思う。


8 依存的で、受身で、新しい挑戦に臆病になる。
 彼らはしばしばこの臆病さを、強がりや怒り、攻撃的な態度によって隠そうとするが、その下には無防備な弱い自分がいる。


臆病な人間ほど攻撃的になるというのは、子どもに限らず人間に共通している現象ではないかと思う。犬でも、弱い犬ほどよく吼える。

この8つの性質は、学校教育によって育てられ大きくなっていく。学校に適応すればするほどこの欠点は助長される。学校は通過点であり、適当に付き合うところだと自覚しなければならない。学校に影響されることの少ない人間ほど、その子自身の個性を殺さずに成長することが出来る。このことに一人でも多くの人が気づくことが学校制度の根本的な改革につながるように僕は願う。





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最終更新日  2007.05.05 23:16:18
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