真理を求めて

真理を求めて

2010.01.10
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カテゴリ: 読書
牧さんのカルタで、最も有効に使えそうなものは次のようなものではないかと思う。

【つ】突き当たったら曲がれ

この「突き当たった」と表現されているものは、普通は「壁」と呼ばれているものだ。この「壁」というものは、まじめで、ある程度の力(パワー)がある人は、それを克服しようとしてがんばることが多いのではないだろうか。「壁」を乗り越えることによって自らを成長させるということもあるので、まじめな人は、特にそのように振る舞ってしまうだろう。

しかし簡単に乗り越えられないからこそ「壁」と呼ばれるということもある。あるときは、深い挫折感を持って「壁」に跳ね返されるということがあるだろう。このときに、それでもあくまでも「壁」を乗り越えるためにがんばっていると、自分が理想としてきたこともすべて終わるような深い挫折につながり、「絶望」という二文字が見えてしまうことがある。牧さんは、このような深い挫折を体験した後に、このことばに出会ったようだ。

これは見事な弁証法の展開でもあると感じる。「壁」というのは乗り越えないと向こう側にいけないというのは、固定された視点から「壁」を見ることになる。だが、ちょっと回ってみると、案外裏へ抜ける隙間が見つかることがある。上を飛び越えることは出来ないけれど、ちょっと回り道をして裏に抜けてしまえば、結局は反対側へ到達することが出来るのだから、結果的には同じ事になるわけだ。しかも、この方法の方が負担が少なく、余裕を感じられる分だけ失敗も少ないのではないかとも思える。

世の中で本当にいい仕事をしようと思ったら、それにはいくつもの困難が伴い、全く「壁」だらけで途方に暮れることがあるだろう。そんなときに、この牧さんのことばを思い出すと、ぶつかって玉砕するのではなく、ちょっと曲がって裏へ抜ける隙間を探せというふうに、指針として役立てることが出来る。

牧さんの深い挫折感は、次のことばとして書かれている。

「その当時、私の心を占めていた最大の問題は、「私自身がいかに間違っていると思うとはいえ、国際的にも国内的にも正当と認められている方針を認めてともに運動するのが正しい生き方なのではないか」という気持ちと、いやそうではない、もしその中に加わって私が私の信ずるところを常に主張する自由が認められるならともかく、そうでないことがはっきりしている以上、そこに加わるということは私が私自身を侮辱することだ。私は自分が間違ったと思えないことについて、私は間違っていましたということは出来ない」という気持ちの分裂抗争でした。」

主流派の考えを間違っていると思い、自分の考えは間違っていないと思っているのに、組織は自分が間違っていると思っている方針で動いている。それなら、自分の心を殺して、組織の方針をいったんは認めて、一緒に運動をすることが正しいのではないかという迷いと、自分の心情にあくまでも忠実でいようとする気持ちとの葛藤は、そのときの状況が孤独を感じさせるものであれば深い挫折となるだろう。



「世の中には壁というものがある。壁というのは人間の運動の邪魔になる。で、じゃあ壁があったらどうするか。まず、ぶち当たって、壁をぶっこぬこうとする連中が出てくる。でも、ぶち当たってもぶっこぬけないから壁なんだ。ぶち当たってぶっこぬけるようなものは壁じゃない。連中はぶち当たっちゃぁ首の骨を折ってる。世の中には壁に頭をぶつけるのが好きな人間がいて、どうしてもそこに頭をぶつけないと気が済まない。それで、壁と壁派の人間が共謀して、世の中をひどく窮屈にしている。どこを向いても壁だらけ。じゃあ、そういう壁があったらどうしたらいいのか。壁があったら曲がれ、と。やけを起こして頭をぶっつけ、目を回すには及ばない。これを発明したのがドストエフスキーで、こういうのを革命という。云々……というのです。」

牧さんにとっての「壁」は、自分のことばを理解してくれない多くの他者だったようだ。自分は正しいと思っているのに、その正しさにちっとも同意してくれず、こちらが力を込めて説明すればするほど相手の心が離れていく。この他者の意識こそが大きく立ちはだかる「壁」だったようだ。

それでは、牧さんはどのようにしてこの「壁」を回ったのか。それは後に説明される次のようなカルタに従って行動を決めたらしい。

【な】何にもせずも芸のうち
【ゐ】居直ってみれば世は事もなし
【や】やらぬよりやったがよいが命取り

これも短いことばなので、ちょっと説明が必要だが、詳しい説明はまた別の日記でということにして、簡単に言ってしまえば、要するに何もしないでじっと時を待つということを自分に納得させることばを見つけたということだろうと思う。孤独と焦りの中で、何もせずに待つというのはつらいことだが、待つことが「壁」を回避して曲がることだと思えれば、それにも耐えることが出来る。

また、もう一つ「壁」で大事なのは、それが、曲がって回避するだけの大きな「壁」なのだという理解が正しいかどうかも的確に判断しなければならないことだ。それが実は少しも「壁」ではなく、ちょっとした努力で克服できるのに、その努力が惜しいために「壁」のように感じている場合があるかもしれないからだ。相手が本当の「壁」であるかはどう判断したらいいのか。それには次の格言を使うという。

【ね】「ねばらなぬ」となったら行き止まり
【め】目が据わったら、もう終わり
【ま】まなじりを決してトン死する



「壁」に突き当たると、とかくまじめで誠実な人ほどダメージが大きく、暗く沈んでしまう。そんなときに、少しでも未来の展望が持てるように、明るい希望をつかめるように、このカルタを有効に生かしたいと思う。





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最終更新日  2010.01.10 08:36:15
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