全1366件 (1366件中 1-50件目)
今年の5月から金光に住んでいます。自然が豊かで、いいところです。そこで修行をさせていただいています。毎朝午前2時40分ぐらいに起きる修行です。結構厳しいです。しかし、長年の修行の結果、できるようになりました。これから冬に向かいます。修行に厳しさが増してきます。
2018.11.09
コメント(0)
今日は月例祭でした。 今日のお話は、神様と共にすることと、無我になることと、神徳を頂くことは同じこ とだ、ということを話しました。 そのどれもが心配がなくなるのです。 楽な生き方になります。 しかし、そのことを体験的につかむには、厳しい環境での生活をしなければならない のです。 ですから、なかなか大変です。 何でも、大変と言えば大変です。
2015.08.16
コメント(0)
こちらのブログには、ずっと書いていないのに、毎日アクセスしてくれる人が、結構いる。50人から70人も。そういうアクセス数を見ると、なんか書かなくてはいけないと思ってしまう。人は、期待に応えようとする生き物なのですね。それはいいことでしょう。期待というのは、天地全体からの期待でもあります。それに応えてこそ、この世に生まれた意味があるのです。生まれたからには、何かをしようとして生まれたのです。そして、その何かは、他からの期待に現れることが多いのだろうと思うのです。
2015.08.14
コメント(0)
宛名を筆で書いている。筆によって、書きあがりも違うし、スピードも違う。いい筆はいいなあ。
2014.12.27
コメント(0)
光陰矢のごとし、と言われますが、本当に時間のたつのは速いですね。もう、今年も20日ばかり、いかんともしがたいですね。まあ、できるところをボツボツとしていきましょう。私は、9日前に、武蔵小杉教会の開教40年記念祭のお話の御用に行ってきましたが、その前後5日あたりで、前後にお葬式が入りました。よくぞ、お話にぶつからなかったと、神様にお礼申しています。時間は伸び縮みするようですから、神様が絶妙に調整してくださいます。こちらは、それをお礼申しておけばいいのです。
2014.12.09
コメント(0)
風邪をひきかけていましたが、神様のおかげで、だいぶ良くなりました。明後日は、武蔵小杉教会の記念大祭でお話しなくてはいけません。声のおかげ、体調のおかげを頂かなければなりません。油断なく、信心をしていきたいと思います。
2014.11.28
コメント(0)
信者さんの1年祭が3日続き、その翌日はお葬儀と、睡眠時間3時間で、突っ走ったからか、目ぼができ、少し風邪気味・・・。「御用しながら、おかげを受ける・・・」それがプロ。
2014.11.26
コメント(0)
信者さんの1年祭が3日続き、3日目の昨日は、1年祭を金光でした後、岡山に帰ってきて、信者さんの通夜祭を仕え、今日は、お葬儀を仕えさせていただきました。それだけのことをすると、本当は、寝る間もないのですが、祭詞の浄書を、家内と息子がしてくれたので、寝ることができました。3時間だけど・・・・。3日間、3時間睡眠。ふっと、あちらの世界に行きそうになる。
2014.11.25
コメント(0)
この度98歳の信者さんが亡くなられました。ご家族に迷惑をかけたくないと、体操をしたりして体力をつけておられました。ですから、亡くなられる直前まで、歩くことができられました。神様に願って、努力することで、願いが成就するのですね。あいよかけよで成就するということです。
2014.11.23
コメント(0)
急に書き出しても、アクセス数は、そんなに伸びないものですね。一番初めに書きだしたとき、アクセス数が、急に50ぐらい行って、びっくりしたことがありました。ここ3日は、20ほどのアクセス。今日は30ぐらい行けばいいがな。楽しみ。しかし、何か面白いことを書かないと、アクセス数は伸びないか。アメブロの方は、300アクセスぐらい行きだしました。200では少ないと感じる。やはり、継続は力ですね。
2014.11.22
コメント(0)
アメブロに移ってから、しばらく書かなかったけど、日記記入率は41%もあり、結構高いものだな、と感心感心。たまには、こちらにも書こうかな、と思っているところ。でも、1つでも、更新大変なのに、2つもできるの~~、という声も聞こえます。まあ、あまり決めずにスタートしましょう。よろしくね。
2014.11.21
コメント(0)
こちらのブログを、私の予定に使おうと思い、書いたのですが、ホームページビルダーが直り、私の予定が更新できるようになったので、こちらのブログは、また、要らなくなりました。しかし、こちらのブログは、その時までのアクセス数が載るので、リアルタイムでいいです。アメーバブログは、翌日の午前8時を過ぎないと、前日のアクセス数が出ない。ちょっと待ち遠しい感じです。そんなにアクセス数にこだわる必要はないのですけどね。
2014.11.20
コメント(0)
私のホームページに「私の予定」を書いているのですが、それが更新できなくなってしまいましたので、こちらで書こうかと思います。11月16日 10時から月例祭が仕えられます。その後、バザーの打ち合わせが正午まであります。17日 午後1時半から4時過ぎまで、クリエイト21の例会があります。18日 午前7時半から、菩提樹の15周年記念に出かけます。 帰るのは、午後2時ごろです。22日 午前11時から本郷尚美刀自の1年祭が教会で仕えられます。 その後お墓にお参りに行き、食事をして、帰ってくるのが午後2時ごろです。23日 午前11時から川口澄子刀自の1年祭に出かけます。帰るのは午後2時ごろです。24日 午前7時から西田毅雄老翁の1年祭に出かけます。帰るのは午後5時ごろです。25日 午後3時半から5時まで外出します。26日 午後1時半から4時ごろまで、東部教会連合会信徒部の役員会があります。29日 午前6時半から御本部へお礼参拝します。帰るのは午前10時過ぎです。29日 午後1時半から3時過ぎまで、少年少女会のバンド練習があります。 午後4時から、武蔵小杉教会の御大祭の講師の御用で出かけます。30日 午後9時ごろ帰ってきます。
2014.11.13
コメント(0)
日記更新メールというのが来ています。 いつもは、削除するのですが、このメールに返信するとブログ記事が書けます、と書 いてあるので、試してみます。 あと3日で、御大祭がやってきます。 泣いても笑っても、あと三日です。 御大祭だけではないですね。 人生を終える時は、泣いても笑っても、後○日です。 それなら、笑って過ごしましょう。
2014.04.17
コメント(0)
ブログを次のところに移転します。まあ、いろいろしてみるのもいいかと思います。忙しいときに、そんなことをしなくても、と思いましたが、他の方の気持ちを煩わせるのもどうかと思いまして。http://ameblo.jp/tenchihirosato/こちらでも、よろしくお願いします。
2010.12.13
コメント(2)
今日、ご本部の布教功労者報徳祭にお参りしました。よく思うのですが、その時々に、よく会う先生がおられるのです。今日は、平尾教会の芳野先生に、何度もお会いしました。芳野先生には、「元気塾」で呼んでいただき、お話をさせていただいたり、クリエイトの研修会に来ていただき、お話をしていただきました。芳野先生も布教功労者ですね。福岡の先生方のまとめ役的先生です。九州の先生では、南八幡教会の先生や日田教会の先生にお会いしました。どちらの先生も、過去いろいろお世話になっています。こうした先生方にお会いできるのが、ご本部参拝の楽しみでもあります。
2010.12.12
コメント(2)
人が他の動物と違っているところは、他の人や動物を助けてあげることができるところです。教祖様は、「牛馬は、わが子が川に落ちて溺れていても助けることができない。人間が見れば助けることが出来る。人が人を助けることが出来るのが人間と思って、信心せよ」と教えられています。逆に言えば、人を助ける気がない人は、人間でないとも言えます。人を助けるところを大きくしていけば、神になっていきます。教祖様も、「人一人助ければ一人の神、十人助ければ十人の神」と言われています。人を助けさせていただくことが、人間にとってとても大切なことなのです。斎藤一人さんが、「今日一日、人に優しくしよう」と自分に言い聞かせて生きていくと、だんだん幸せになっていく、と言われています。人に優しくする、と言うのも、人を助けることになるのです。このお道は、白神先生も言われていますが、人を助けて、己が助かるのお道なのです。
2010.12.12
コメント(3)
大阪教会初代白神先生は、目が見えるおかげを頂いた感激をもって、世の難儀な人を救いたい、神様に恩返しがしたい、と大阪で布教を始められました。しかし、激しいお勤め、修行により、命を縮められました。白神先生が、病床に伏し、代参をたてられた時、教祖様は、「白神は、時節を待たず、みだりに心を煩わすな、と言い聞かせておいたのに、世を憂えるあまり、自ら心を痛めて、かくはなったのである。今となっては、どうしようもない。しかし、世のため、人のために、身を犠牲にしたのであるから、生きても神、死にても神。皆、死ぬのを嘆くけれども、月でも見よ、雲が隠すことがある。この二十日になっても良くなければ、二十四日が安心のできる(亡くなる)日じゃ」と語りました。白神先生は、我が身を省みて、無理をしたら健康を害するから、無理をしないようにしよう、とは思われなかったのです。そこまで、人のためを思い、神様のお役に立ちたいと思われていたのです。逆に言えば、そこまで思われたからこそ、神になられたのです。人のことを思わず、自分のことばかり考えて、神になれることはありません。人の助かりを願う、神様に少しでも恩返しがしたい、その思いが、人間の一番尊い思いであり、神心なのです。その心になれたとき、その人は、神でもあるのです。
2010.12.11
コメント(1)
昨日は、ほぼ1日、芸備教会へのお参りで運転しました。睡眠時間を5時間ほどとっているので、眠くありませんでした。やはり睡眠時間は大切なのでしょう。一方、睡眠時間を減らす修行をされた先生方もおられます。湯川誠一先生は、1日1時間睡眠の修行をしておられます。睡眠時間を減らすのは辛いことですが、その辛抱でお徳が積めるのでしょう。小倉教会の桂松平先生も、甘木教会の安武松太郎先生も、日田教会の堀尾保治先生も、激しい表行でめぐりを取り払われたと言われています。ですから、睡眠時間を減らすのも、徳を頂く上には、意味があることのように思いますが、一方、眠ることも、意味があることです。眠っているときには、魂が神様のところへ行って、エネルギーを頂いているようにも思うのです。ですから、眠ると元気が回復するのです。そう考えると、睡眠時間は確保した方がいいことになります。睡眠をとることで、くもまっか出血になりにくくなるとも言われています。肉体面でも、睡眠時間は心してとるようにすることがいいと思います。そこで、御用と睡眠の兼ね合いが問題になります。寝食を惜しんで御用する方が、ごひれいを頂かれることに間違いありません。我が身を省みないで、人のことを思う思いが、御用の上では一番大切なものです。しかし、我が身を大切にすることも、必要なことです。いま、私は、睡眠時間をなるべく確保しながら、御用しようと思っています。
2010.12.10
コメント(1)
最近、やる気が落ちてきていたので、早く寝るようにしてきました。10時には寝るように。そうしても、なかなか、やる気が復活しなかったのですが、早く寝るのを続けていましたら、やっとやる気が出てきました。やはり、エネルギー切れしていたのでしょう。疲れたら、休まなければいけませんね。あのまま突っ走っていたら、ダウンしてしまうのでしょう。そういうことで、今日も、もう11時になりましたので、もう寝ます。メールとか、返事が後れたりしているのですが、そこは御勘弁願います。
2010.12.08
コメント(1)
御霊のことについて考えると、輪廻転生が頭に浮かびます。教祖様は、お孫さんの桜丸様が亡くなられた時、「次は寿命長久のところに生まれ変わるよう願え」と言われました。そのままをとれば、生まれ変わりを言われているように思います。一方、スウェデンボルグなどは、人は死んだら、ずっとその御霊であり、生まれ変わりはないという考えのようです。しかし、一般では、生まれ変わるという説が多いように思います。死んだらそれで終りで、御霊としては生きない、という説は、信用の置けるものではありません。生まれ変わるにしても、生まれ変わらないにしても、御霊として生き続けるのですから、御霊を磨くことが要ると思うのです。教祖様は、「信心は本心の玉を磨くものぞや」と言っておられます。本心の玉=御霊を磨くのが信心なのです。本心の玉が磨かれれば、神様のお働きが受けやすくなります。神様を表せるようになるのです。そのことを目標に、信心していきたいと思ってます。
2010.12.07
コメント(1)
三宅美智雄先生から、御霊についての異議を頂きましたので、御霊について思っていることを書きます。まず、御霊が生きている人間の信心によって助かるということです。これは、教祖様が養子に行かれた家の御先祖の御霊様方が出てこられて、「あなたが来てくれたので、この家も立ち行くようになり、私たちも助かった」と言われたことから、推測したことです。やはり、先祖の御霊様は、肉体を持った子孫が信心することにより、助かることが出来るのだと思うのです。御霊同士で助けることが出来るのであれば、肉体を持った子孫に縋ることはないと思うからです。それと、合楽教会の初代教会長が、「御霊に働けというのは、死人に舞台に上がって踊れ、と言うようなものだ」という神様からのお知らせを頂かれたそうです。これに対して、私は、すごいお徳を頂かれた御霊は働くことが出来る、ただし、それだけのお徳を頂かれた御霊は、そんなに多くはない、ですから、ほとんどの御霊は、生きた人間に働くことは出来ない、と考えています。そういう考えから、前のブログでの発言になりました。
2010.12.06
コメント(1)
今日は、月例祭の後、バザーがありました。毎年恒例のバザーであり、信者さんでなくても、このバザーを楽しみにして下さっている方も多くいます。そして、品物を出して下さる方も、信者さんでない方も多くいます。その意味では、広く地域に開放されたバザーになっています。ご婦人たちを中心に、バザーの準備が進められていました。一方、私は、ほとんどバザーにタッチしなくなりました。以前は、会場設営の時などに、出向いていましたが、先生は、お結界を離れないようにすることが、徹底してきまして、そのようにさせていただいています。今日も、バザー会場にさえ行きませんでした。「洗心」に載せる写真も、弟に撮ってもらいました。そのようにして、お結界に座る時間を増やすことは、どういう意味があるのでしょうか。教祖様は、「私がここを動くと、世の氏子が怪我、過ちをするかもしれない。どうか、世の氏子に、怪我、過ちのないように、本当のおかげが受けられるようにと願っていると、私は、ここを動く暇がない」と言われました。そこまでのお思いであられたのです。その願いを受けている金光教の教師は、その願いに沿って、座らせていただくのですが、なかなかそこまでの思いにはなれません。そこで、せめて形だけでも、座らせていただこうと思うのです。しかし、その形さえ守ることは至難の業です。ですから、出来るところで座らせていただく努力をしているのです。決して、完璧には出来ません。しかし、出来ないなりに、お詫びしながら、させていただけるだけさせていただくことで、神様は、その真を受けて下さるように思うのです。
2010.12.05
コメント(1)
「かに家」では、名前のごとく、かに尽くしの料理でした。お直会で神様のお話をしなければならないのですが、かにを食べると、みんな無口になると言われるように、かにを食べるのに夢中になってしまいます。と言っても、最近は、本当に食べやすくしてくれているので、そんなに夢中にならなくてもよく、適度にお話が出来ました。そして、最後に、叔父が、私にお話を、と言って下さいました。私は、これが本当の私の御用なのだろうな、と思って、話させていただきました。「約2年前に、叔母さんが剥離性大動脈瘤になって、倒れたとき、すぐ叔父さんがメールでのお取次を頂かれて、助かったと思っています。その8ヵ月前に息子が京都の大学を受けに来たとき、叔父さんがいろいろお世話をしてくださり、その時から、2,3日に一度は、メールが来るようになりました。(なぜか、ここで笑いが起こる)それで、叔母さんが倒れたときには、スピーディーにお届けが出来ました。神様は、叔母さんが、このとき倒れるのが分かっておられましたから、その前に、息子を通して、メールでお取次が頂ける状況をつくってくださっていたのだと思います。そして、おかげを受けられ、叔父さんも、信心や先祖供養を思い立ち、こうしてお墓の建碑式も仕えられ、今日使った神棚は、叔父さんの長男さんのところでお祀りされるようになり、長男さんも神様を拝まれるようになってくださることが、祖父母も一番喜んでくれていることだと思います」と話させていただきました。叔父さんの子供さんやお孫さんが集まった席で、このようなお話が出来、よかったと思いました。
2010.12.04
コメント(4)
お祭りが済んで、みなで御食事に「かに家」へ向かいました。このお祭りの後の食事を、金光教では、お直会(おのうらい)と言います。神様のお下がりを、みんなで一緒に頂く、という意味です。ですから、ただの食事ではなく、神様のこと、御霊様のことを偲びながら、お話しながら頂くのです。送迎バスに乗って出発して、一夫婦は、後を自分の車でついて行きました。この頃から、道が渋滞しだしていました。そして、「かに家」の前を通ったのですが、道の反対側ということで、ぐるっと回って、道の向こうの車線に出なくてはなりません。それが大変でした。細い道に入ったのはいいのですが、車が行き交うのがやっとで、そこを人が間を縫うように歩いているので、なかなか進めません。曲がり角も、ちょっとハンドル操作を誤って、曲がりきれなかったら、後ろからも車が来ていますし、にっちもさっちも行かなくなります。そこを26人乗りのマイクロバスで走るのです。運転手も運転技術が要ります。私は、京都では運転できないなあ、と思いました。そうして、時間をかけて、やっと「かに家」につきました。運転していないのに、ふ~~~と言った感じです。
2010.12.03
コメント(0)
息子のところから、叔父がお墓を買ったメモリアルパークまで、20分ぐらいかかると思ったので、10時少し前に出発しました。お墓の建碑式は、11時からでしたが、叔父たちは10時半ごろ来て、お祭りの準備をすると言っておられたので、御供え物などの盛り付けを手伝おうと思ったからです。実際は15分ぐらいでつきました。まだ、誰も来られていません。そのメモリアルパークは、自由に入れるので、入って3階の休憩室に行きました。そこで休憩していると、叔父たちが来られました。叔父や叔母、従兄弟たちに挨拶をしました。久しぶりにお会いするのですが、皆さん、素敵な笑顔で挨拶して下さいます。従兄弟の中では、私は年長になるので、昔から、従兄弟のみんなには、「ひろしにいちゃん」と呼ばれていました。岡山の従兄弟には、だんだん「寛志先生」と呼ばれるようになっていたので、久しぶりに「ひろしにいちゃん」と呼ばれ、懐かしく感じました。神棚、霊舎、御供え物などを持ってこられていましたので、叔父の長男さんと、それから、息子とお墓に行き、墓前のしつらえをしに行きました。お墓の前に、二段の棚を用意して下さっていたので、その棚の上に、神棚や霊舎を置き、その前に御供え物を盛り付けました。そして、お祭りは、四条教会の先生にしていただきました。四条教会には、祖父も叔父も学生時代には、下宿させていただいていたのです。祭詞で、祖父母のことを詳しく述べて下さいました。お墓がある段までは、エレベーターで行けますので、階段を上がることもありません。その上の段もあるのですが、そこには、階段を使わなくてはいけません。それは、値段が違うのでしょうね。エレベーター付きの墓地ですから、結構高いのではないかと思います。訊きませんでしたが・・・。お祭りが済んで、御食事を頂きに、「かに家」へ行きました。送迎バスが迎えに来てくれました。
2010.12.02
コメント(2)
11月27日午前5時に岡山を出発して、いざ、京都へむけてスタートです。朝早かったので、途中渋滞もせず、スムーズに8時ごろ京都東インターチェンジに入りました。この分であれば、早く着きすぎるので、息子のところに行って、一緒にお墓のある墓苑に行こうと思いました。ところが、インターチェンジを下りた途端に、渋滞していました。やはり、早くても、外からたくさんの人がやってくるのですね。ナンバープレートを見ると、滋賀とか名古屋とか、他県の車が多かったです。普通であれば15分ぐらいのところを40分ぐらいかけて息子のところに行きました。そうすると、留守のようでした。携帯に電話すると、テニスの朝練をしていたとの事で、15分ぐらいして帰ってきました。そこで、9時から10時ぐらいまでおり、一緒にお墓のある墓苑に行きました。
2010.12.01
コメント(0)
11月27日には、京都に行ってきました。ちょうど、紅葉の季節で、沢山の観光客で賑わっていました。京都は、街全体が観光施設のようなものですからね。道路に、車と一緒に人力車も走っています。狭い道では、人と車と人力車と行き交っており、ハンドル操作を間違って、曲がりきれなかったら、もうどうしようもありません。こんなところは、車で走れない、としみじみ思いました。忙しい中、何をしに京都に行ったかと言うと、叔父が京都に骨をうずめるつもりで、お墓を建てたので、その建碑式に行かせて頂いたのです。そのお墓には、両親(私にとっては祖父母)も祀らせてもらいたい、ということで、岡山にある高橋家のお墓のお土を、そのお墓に入れました。そして、両親の霊璽も書かせていただき、御自宅で、神様御霊様を拝めるようにされました。そのことは、とてもいいことだと思います。叔父が神様御霊様を拝まれることで、御霊様も助かられ、叔父もおかげを頂くことができるからです。これから、しっかり信心をしてくだされば、有り難いと思います。前にも書きましたが、27日には、朝5時に岡山を立ちました。その後のことは、又、書きたいと思います。
2010.11.30
コメント(0)
頑張らないほうがいい時と、頑張るべき時とあります。今日は、頑張らなければいけません。この辛抱も身に徳を受ける修行になります。頑張れることが、おかげを頂いている時でもあります。エネルギーがあるからです。神様が、無限のエネルギーを下さいます。常に神と共にあり、です。
2010.11.29
コメント(1)
昨日は、京都まで400キロ以上の運転をして、今朝は早朝ご本部参拝をして80キロほどを運転したので、やはり疲れているようです。そして、今日は、午後から天瀬教会のご大祭に参列しました。「洗心」の原稿を書かなければいけないのですが、そこまでたどり着けませんでした。今日は、天瀬から帰って、クリエイト21の例会の時、話したお話のテープ起こしができているので、その校正をしました。大分書き換えないと、文章になりません。これも力が要ります。明日、直したものを渡したいのですが、力尽きた感じです。そういうことで、京都でのことは、ちょっと後にさせて下さい。
2010.11.28
コメント(1)
今日は、叔父が京都でお墓を建てたので、その建碑式にお参りしてきました。京都は、今、紅葉のいい季節で、観光客が多いので、しかも土曜で、高速道路が千円ということもあり、渋滞が予想されたので、朝5時に出発しました。そうしたら、8時半ごろ着きましたが、息子が京都にいますので、まず息子のところに行き、一緒にお墓のある墓苑に行きました。そこは、エレベーターのある立派な墓苑です。いいところにお墓を建てられたと思います。帰りは、渋滞で、京都の町をなかなか出ることが出来ませんでした。やはり、早めに京都に入っていて正解でした。帰ったのは午後9時15分でした。明日は、ご本部早朝参拝があるので、早めに休みます。詳しくは、又、書きたいと思います。今日は、これで・・・おやすみなさい。
2010.11.27
コメント(0)
信心をさせていただくことは、我情我欲をとらせていただくことでもあります。それには、自分という我を取る必要があります。自分の肉体も、周りと一体となり、溶け込んだ感覚になることがあります。これも、我がなくなった感覚なのでしょう。このことについて、5年前に亡くなられた家内の父である前天竜教会長・井村敏夫先生が、ある教会の「信徒会だより」に書いておられたのを、りんどうさんが持ってきて下さいました。それに、風呂の湯と自分の体内の水の境がなくなった体験をされたことが書いてありました。「自分が風呂に浸っている。自分と風呂の湯との間に、この肉体があることを実感していたのだが、それが、自分の肉体が消滅して、外なる水と、自分の中にある水が、一体となって、何と言ったらよいのか、一種の脱却の様態を覚え、大げさな言い方が許されるのなら、天地と共に我あり、天地との一体感のような、天地の生命と共にある。というより、天地の生命と連きつづけているのだなあーと、肉体のあることが自覚出来ぬ感情を味わったのです」と書いておられます。これは、一つの神秘体験です。自分も周りと一体である、といのが、真実なのです。一体であることが分かるときは、自分がなくなった時です。自分と周りの境が取れるからです。そういう体験をお持ちだったのだなあ、と懐かしく思い出させていただきました。
2010.11.26
コメント(1)
来年の7月24日で、テレビのアナログ放送は終了します。私は、テレビを見ませんので、この際、テレビをやめようか、とも思うのですが、子供たちが帰ってきたときは、見たそうなので、やはり、買い換えようかとも思います。しかも、12月からエコポイントが半減する、と言って、家電製品が、今よく売れています。その波に乗らなくては、という気持ちにもなります。一方、その波に乗らず、両親のところだけ、地上デジタルチューナーをつけて、見えるようにして、自分のところは、ほっておき、来年7月24日の最後のところまで見て、25日の午前0時にテレビが映らなくなる決定的瞬間を見るのもいいかな、と思っています。そんなこんなで、電気屋さんから来ているテレビの広告を眺めています。しかし、薄型テレビも安くなりましたね~~。でも、見ない者にとっては、高いものです。
2010.11.25
コメント(0)
今日、クリエイト21の例会があり、18人の参加がありました。ここしばらくは、16人平均の参加があります。だんだん増えてきた感じです。12月の総会には、20人は来られるでしょう。なぜ参加者が増えるのでしょう。やはり、参加しているメンバーが魅力的な信心をしておられるからでしょう。そうした信心に触れると、元気がもらえます。前向きな信心、不屈の信心、気づきのある信心・・・そうした信心が満載です。私のお話にも魅力がある・・・?ということにしておきましょう。今回は、肉体の意義についてお話しました。肉体はいいですね~~。どんな話なんだ!!聞きたい方は、クリエイト21にお入りください。聞いてみたら、大した話でなかった、ということになるかもしれませんが。
2010.11.24
コメント(2)
私が、青少年室のメンバーと検討を重ねて作った「祈りの手帳」の最初のものが出てきました。それには、「祈りのことば」の後に、本部広前の写真を載せ、神前と霊前の説明をしています。こういう基本的なところが大切なのになあ、と改めて感じました。やはり、自分が作ったものは、自分にピッタリフィットします。ある作家の人が、晩年には、自分が書いたものばかり読んでいる、ということを聞いたことがあります。自分が書いたものが、自分に一番フィットするのでしょうね。フィットすると心地よい感じがします。だから、自分が書いたものばかり読むのでしょうね。
2010.11.23
コメント(2)
今日は、いよいよ近付いてきました明日の林野教会でのお話を考えます。カメさんのコメントに意見をするのはやめておきましょう。カメさんは、神になることを主張したいだけのようですし、人の意見を聞く気もないようですから。自分が教えたい、ということでしょうから、その主張は、ご自分のブログでしていただきたいと思います。今日は、雨が降り出しました。しとやかな、落ち着いた雰囲気の中で、お話の原稿を書いていきましょう。これもまた、幸せな時間です。
2010.11.22
コメント(13)
昨日のカメさんのコメントに、この場で答えたいと思います。人が神様のお世話にならなければ生きていけないことが分からないのでしょうか?又、人は、他の人達のお世話になって生きています。自分の力だけで生きていける人はいません。ここの見解が違うと、どうしようもないのですが・・・。もっとも、これは、肉体をもって生きている人間に関してのことです。人間の本体は、神様のお世話にならずには生きていけませんが、他の人のお世話にならずとも生きていけます。肉体がないのですから、食べる必要がありません。病気になっても死にません。ずっと生き続けています。ただ、その生き方が問題になります。本体は、神様の分け御霊なので、神様のような心なのです。ですから、難儀な人がいれば助けたいと思いますし、人に親切にしたいと思います。そうして、人が喜んでくれれば、それが喜びになります。生きるために、食べるものを確保しなくてもいいので、気楽なものです。そうした、神の分け御霊が、なぜわざわざ肉体をまとって、この世に出てこなければいけないのでしょうか。それは、肉体を持つことで、魂の修行ができるからではないでしょうか。何でも思うように出来る神の分け御霊にとっては、その有り難さが認識できないのです。思うように行かない経験をすることによって、思うように行くことの有り難さが分かるのです。肉体を持ち、人のお世話にならざるを得ない状態に置かされて、はじめて、お世話にならなくてもいい状態の有り難さが分かりますし、又、困っている人を助けたいという優しい心も持つことができるようになるのです。そのことが、神心を磨くことになるのです。ですから、カメさんのように、お世話にならざるを得ない状態の中で、お世話にならなくていい、という認識では、本当は困ってしまうのです。お世話になって有り難い、という気持ちを持っていただきたいのです。
2010.11.21
コメント(7)
ここで言う生死とは、肉体の生死です。肉体は死にますが、本体は死にません。神は我が本体の親、と言われていますように、私たちの本体の親は、神様なのです。神様から分け御霊を頂いているのです。ですから、本体と言うと、分け御霊と言っていいかもしれません。その分け御霊が、肉体という着物をまとって、この世で生活しているのです。その本体を信心によって磨いていくのが、この世の修行なのですが、磨くと言う表現から分かるように、本体の周りについている我情我欲のくもりを取る修行なのです。それは、不自由を行としていく心行なのです。自分の思うようにしたい心を抑える修行なのです。自分の思いではなく、神様の思いにあわせていく、その修行により、我情我欲を少なくしていくのです。そうすると、本来の本体の光が輝きだしてくるのです。人は、本来すばらしい存在なのです。神そのものでもあるのです。ただ、自由勝手をしていては、我情我欲のくもりに覆われて、くすぶってしまうのです。水野南北などは、食を慎むことで、運命が開けてくる、と言いました。湯川安太郎先生は、水を大切に使うことで、水の徳を受けておられ、水に不自由することはあられませんでした。いずれにしても、慎みが大切です。慎み、すべてのものに感謝する生き方で、不自由を行として、本心の玉(本体)を磨いていきましょう。磨かれた本体は、生死を通じて輝き続けるのです。その修行は、肉体があるときにしか出来ません。「生きているときに神にならずして、死んでから神にはなれない」という教えは、そういうことなのです。ですから、肉体があるときを大切にして、心の修行をしていきましょう。
2010.11.20
コメント(1)
わこさんのファンが、コメントを入れてくれていますので、わこさんに関わる話題を。11月13日に少年少女会で、ハイクと芋掘りに行きましたが、その時、わこちゃんが「ガラスの仮面」という漫画本を持ってきてくれました。翌日、読んだのですが、よかったですよ。主人公のマヤ(女優)と、マヤを影で支え続けてきた「紫のバラの人」との心の触れ合いが、迫ってきますね。マヤが、「紫のバラの人」に通じている人に、「信じています、と伝言を伝えて下さい」という言葉を受けて、その人が、「信じていますか・・・あんなめにあっておきながら・・・」「なんて一途でひたむきな目だろう」「あんな目でまっすぐに向かってこられたら・・・」「きっと誰も勝てない・・・」「心を奪われる・・・」と言っていますが、一途な心は人を動かしますよね。神様さえ動かします。どのような目にあっても、「信じています・・・」と一心に向かっていけば、どんなことでもおかげになります。
2010.11.19
コメント(1)
11月16日の立教記念日の翌日から、又、1日1000人の祈りをしています。しばらく出来なくなっていましたが、体調もよくなってきましたので、再スタートです。今度は、2年間は続けたいと思います。夏場と、忙しさが重なると難しくなるのですが、そこを乗り切りたいと思います。1000人の祈りをしようとすると、ちょっとの時間があれば、ご神前で祈るように心がけることになります。そうすることが、御用にはりを与えます。気合が入ることになります。あと、腕振り体操をしたいと思っているのですが、なかなか時間が取れません。23日に、林野教会のご大祭で、お話をさせていただくことになっており、今朝から、原稿を書き始めました。他、色々しなければいけないことがあり、悠長に腕を振っている暇はないのですが、この腕振りは、白隠禅師が、肺病を治したといわれるもので、私も、神様に「せよ」と言われたので、しようと思っているのです。ただ、30分ぐらいはしなければ効果がないように思うので、それだけの時間をとるのが難しいのです。まあ、色々しようという、やる気が出てきたことは、有り難いです。
2010.11.18
コメント(0)
来年の祈りの手帳が来ました。教会として130冊注文しました。新年の記念品として出させていただきます。この「祈りの手帳」には、「祈りのことば」があります。しかし、この「祈りのことば」が、3,4年前からなくなってしまったのです。大変ショックを受けました。作成部署に、又復活してくれるよう、要望を出そうかと思いましたが、その部署で検討された結果であろうから、と思って、部署には言わず、神様にだけお願いしていました。そうしましたら、昨年、立教150年祭の記念品として、今年の「祈りの手帳」が下げられたのです。それには、「祈りのことば」が復活していました。やったー、神様ありがとう、といったところです。これで、来年からも「祈りのことば」が入るのだろうと思っていましたが、「祈りの手帳」の注文受付を見て、又、不安がよみがえってきました。それは、「祈りのことば」がなくなるときの注文受付の広告だったからです。あれは立教150年の特別企画で、又、元に戻るのだろうか、と不安になりました。それであれば、「祈りの手帳」の魅力が半減します。しかし、来たのを見ると、「祈りのことば」が入っているではありませんか。有り難かったです。神様は、ちゃんとおかげを下さるなあ、と幸せ気分でいます。
2010.11.17
コメント(1)
昨日は、151年目の立教記念日でした。昨年の昨日は、立教150年祭が盛大に仕えられました。そのごひれいを頂いて、その翌日、つまり1年前の今日から、私も1日1000人の祈りが出来るようになりました。それが今年の7月ぐらいから、だんだん出来ない日が多くなってきました。これではいけない、と思いつつ、今に至っています。それをさせようという促しも強くなってきました。今日を再出発点として、させていただこうと思います。それから、両手を振る体操、これもしなさいという促しがありました。この2つに、今日から心機一転、取り組みたいと思います。不言実行がいいのですが、有言実行で行きます。
2010.11.16
コメント(2)
今日は、他のことを書こうと思っていたのですが、昨日いただいたコメントから、いろいろ思わされたので、そのことについて書きます。それは病気と、それに効くものと、神様のおかげの関係です。カメさんは、風邪をひいた人に、ユンケルを勧めたら、道理に合わない信心である、と言いました。では、お医者にかかるように言うのは、道理に合わない信心でしょうか?そうですよね。風邪などの病気を治してくださるのは、神様です。人の持つ免疫力で治る、と言いますが、その免疫力が神様の働きです。ですから、神様にお願いすれば、免疫力が強くなり、治りやすくなります。その神様の治す働きの手助けをするのが、ユンケルであったり、お医者さんが出す薬であったりします。それを、ユンケルや薬が治してくれる、と思うといけないのです。あくまで、治してくださるのは、神様です。そこが分かっていれば、後、ユンケルを飲んだり、薬を飲んだりしてもいいのです。だからこそ、金光教祖の神は、「祈れ薬れにすればおかげが早いが、薬れ祈れにするからおかげにならない」と言われているのです。本当に短い言葉で、的確に表現されている、さすがですね。
2010.11.15
コメント(3)
太郎髪さんが、数日前の日記「お試し」のところにコメントを入れておられますが、半兵衛さんは、さかのぼっては見られないかと思い、ここで、半兵衛さんへの質問を、取りあげさせて頂きます。それは、半兵衛さん推奨のユンケルローヤルは、数百円のものから千円以上の物まで、多くあるので、そのうちのどれでしょうか、という質問です。私が、他の人からも、一発で効く、と聞いたものは、千五百円ほどのものだったようですが。
2010.11.14
コメント(8)
私は、健康のおかげを頂いて、ここ十何年、風邪で寝たことがありません。しかし、少し前から風邪をひき、特に、昨日は、朝からのどが痛く、少し熱ぼったい気がしました。昼間、熱を測ったら、37.6度あり、何とかおかげを頂かなければ、と思いました。半兵衛さんが紹介して下さったユンケルローヤルを買ってきてあげましょうか、と親切に言ってくださった方がありましたが、お伺いすると、神が治してやるから、ということだったので、お断りをして、その代わり、昨日は8時過ぎに夕食も食べずに寝ました。早く寝たもんですから、2時半ごろ目覚めると、のども痛くなく、熱は36.6度に下がっていました。しかし、もう少し寝て、4時に起きました。そして、いつものように御用ができ、少年少女会の芋掘りにも行けました。神様は、ちゃんと御用にお使いくださいます。有り難いことです。そして、帰ってくると、又、声がひどくなっている感じです。今日も、早めに寝ましょう。しかし、メールの返事などで、ご無礼なことになってしまうのが、心苦しいのですが・・・。
2010.11.13
コメント(1)
この世には、遊びに出てきている面と、修行に出てきている面とあります。いずれにしても、楽しくさせていただきましょう。修行が楽しいとは変に聞こえるかもしれませんが、楽しくなければ、やり通せません。信心も辛抱が要るといわれます。でも、辛抱は、どうしてもそれが必要だと思えば出来るものです。辛抱させていただくと、お徳が頂けて、いろいろなことが出来るようになります。それは楽しいことです。信心辛抱には、もれなくお徳がついてきます。ハズレがありません。それって、すごいことではないでしょうか。
2010.11.12
コメント(3)
高橋家の信心が始まった茂久平が、つかんでいた信心が、「御理解感話」となって残っていますが、これを復活させようと私が思っていたと同時に、これを英訳しようと思われたアメリカで布教されている先生が、今日、お参りされました。茂久平も、喜んで下さっているように感じました。参られた先生は、霊感があられるようですが、茂久平も、霊感があったように思います。文章の背後にある神気が、読み取れるような文章になればいいが、と思っています。そのためには、修行が必要です。しかし、そのことは、人の助かりとリンクして、有り難いものでもあります。修行は単にきついものではなく、有り難さが秘められたものでもあります。そうした世界に踏み入れるよう、願っています。
2010.11.11
コメント(2)
明日は、京都から叔父がお参りされます。そして、午後3時からも、今度は、アメリカで布教されている先生が、お参りされることになりました。前にブログで紹介した、高橋茂久平の「御理解感話」を大切な宝のようにして読んでくださった先生です。私が、リライトして、「洗心」に連載したものも、送ってもらっています。どんどん輪が広がっています。明後日は、大阪から、お参りくださる方があります。この方は、クリエイトの関係で、繋がりができました。こうして、多くの方が、お参りくださるのは、有り難いことです。私は、もう少し、修行を徹底しようと思っています。今朝も、3時45分に一旦目覚めたのですが、又、眠ってしまい、4時10分におきました。もう少し気合を入れなければなりません。今日は、早く寝たいですね。これからお風呂に入り、メールの返事などを出すと、12時になりそうです。メールは失礼して、早く寝ましょうか。
2010.11.10
コメント(2)
昨日から、天竜教会の生神金光大神大祭並びに神殿落成奉告祭にお参りして来ました。朝10時からのお祭りですので、昨日、午後3時ごろ出発して、浜松に午後7時ごろ着き、駅の近くのホテルに泊まりました。お話の原稿ができていませんでしたので、新幹線の中と、ホテルで、原稿を書きました。それでも、新幹線の中で書いていると、気分が悪くなったのと、ペンのインクがなくなったので、やめにして、夕食を頂いた後、ホテルで、部屋にあったボールペンで、原稿を書きました。そして、10時半ごろ書き終わり、休みました。朝は、3時半ごろ目が覚めましたが、もう少し寝て、4時半ごろ起きて、もう一度原稿に目を通しました。6時間寝たのは、久しぶりの気がします。やはり、気持ちがいいですね。咳もあまり出ません。教会にいると、ゆっくりできません。しかし、それだけ使っていただけている、ということで、喜ばせていただきましょう。天竜教会は、外から、ご神殿が見えるように作られていました。外の壁には、岡東教会の信者さんが作られた八波の御紋が取り付けられ、金色に輝いていました。中も立派に出来ていました。有り難いことに思いました。お話は45分ほどさせて頂きました。祖父のお話をしているとき、涙が出そうになりました。歳をとってきたせいか、涙もろくなってきたようです。信心をしていない若い人が私の話を聞いて、「面白い話を聞かせてもらった」と言われたそうです。面白い話・・・?どこが面白かったのか聞きたかったです。帰りは、下谷教会の先生と岡山までご一緒しました。岡東教会の来年春のご大祭に参拝したい、と言われました。何か、私自身の信心の課題を与えられたような気がしました。
2010.11.09
コメント(0)
今日は、一足先に家内が天竜に行きましたので、一人で夕食です。食事が済んで、冷蔵庫をのぞいてみると、賞味期限切れの牛乳があったので、電子レンジで温めました。こういう時、ちょっと甘いお菓子があればいいがな、と思いましたら、今日、ミルフィーユというお菓子がお下がりが目に付きました。高級なお菓子です。ホットミルクとミルフィーユ、いいですね。リッチな時間を過ごして、さあ、天竜教会でのお話の原稿を書きましょう。半兵衛さんが、私のお徳で、お話は大丈夫と言ってくださったので、安心して休みましょう。結局お話が完成せずに突入になりそうです。
2010.11.07
コメント(4)
全1366件 (1366件中 1-50件目)