~青空しょって~ゆっくりじっくり歩こうか

乳児時代1年目後半

★☆★乳児1年目後半★☆★

市の療育相談員の先生が来るまで
結構時間が掛かりました。(広い区域を一人で回って
いるので仕方有りませんが・・・)

その間も、KOUはプール遊びでは乳児クラスは
ビニールプールで水遊びをする程度ですが
さほどプールに入る事はあまりなく
乳児クラス用の、ゾウさんじょうろをありったけ
持ってきて、一列に並べてみたり
ペットボトルに水を汲み、出し、を繰り返したり
していました。(その頃、水着はグレコタイプのモノで
しばらくすると着替えるようになっていました。
細身でお尻も小さくパンツ型だとズリ落ちてしまう)

療育相談員の方が見えた時、私も仕事の都合をつけ
行きました。職員室でKOUも呼んで、一緒に簡単な
発達検査らしきことをしました。
絵をみて指差し出来るか、先生の指示をどの程度理解し
模倣できるか、と言った感じのものです。

園の先生からは、パニックの時の対処法を確認して
いました。 先の見通しが立たないと不安になってパニックに
なるので、出来るだけ毎日、同じ流れにそって声掛け
して、これが終わったら次はあれをしよう、と見通しを
立てながら、過ごして行く事を勧められました。

一度パニックになると、その場ではアレコレ言う程
聞き入れられず混乱するので、落ち着くのを待って
具体的な状態を目で確認させて、次の行動に移すように。
との事でした。

言葉は、徐々に出てくるでしょうが、小学校にあがるまで
遅れはあると思う、と言われました。
その時、何を根拠にそんな事を言えるんだろう、と
思ったものです。ただ、ブツブツとひとり言を言っていましたし
(園の先生には意味の無い言葉の羅列に受け止められていたよう
ですが、私は言葉にならない言葉で、ひとり言とは思っていなかった)
先生の指示の理解度などから、そう言われたんでしょう。

当時、担任だったみー先生と、乳児クラスの主担任だった先生
(現在<年中時>の正担任)も、同席して話を聞いて下さいました。
その後は、園長先生も、他の先生方にも協力して頂いたおかげで、
みるみる変化が現れました。
徐々にパニックも減り、気に入った子とも少し歩み寄ったり
出来るようになりました。

それでも運動会は、終始大泣きでした。
いつもと違う雰囲気、親がそこにいることも解っているのに
そばにいけない不満、そう言った感じ。途中から、ずっと
私達のそばに居て、自分の席には戻る事はありません。
乳児は親子で簡単な踊りを一つ披露するだけですが
それも私に抱かれたまま、全く離れる事は無く終わりました。

毎日の生活では、笑顔も増え、目線も少しづつ合うように
なりました。おやつの時間に名前を呼ばれた順に、手をあげ
返事をする、という場面でも「はーい!」と返事が出来る
ようになりました。少しづつ、単語もポロッと出たりも
するようになってきたのでした。

そして2月、生活発表会では驚かされました。
毎日、練習しているうちは興味なく、周りをウロウロするだけ。
実際、その日も舞台に上がっても、降りてしまうだろう・・・と
先生も思っていたようです。
私はカメラで顔を必死で隠して、見つからないように鑑賞。
乳児組のその年の発表は、常日頃から行っている手遊びを
椅子に座ってやってみたり…というのがメインでした。
順番に名前を呼ばれ、椅子に座ります。KOUも椅子に座りました。
そして「むすんで ひらいて」を誰より一番上手に満面の
笑顔でやってみせたのです。
これにはカメラで隠す顔、涙でぐしゃぐしゃになってしまい
ました。そしてそれは、先生も同じでした。

その日、帰宅して・・・「じゅーちゅ ちょーあい」
(ジュースちょうだい の 意)と、初めての二語文を
話したのです。もう一回言って?は通じないけど
嬉しくて嬉しくて、は~ちゃんと2人、手を取って
喜びました。は~ちゃんも、本当にKOUがお話できるのを
心待ちにしている一人でしたから・・・。

喜びも束の間、3月の末。人事異動の季節。
信頼していた園長先生が移動になる・・・との事。
すごく不安になりました。
救いは、先生の配慮で乳児クラスの担任3名の内
2名は現状維持となること。でもその内の1人
主担任の先生は、妊娠した為、年度途中で産休に入る
と言う事でした。


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