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2011.10.26
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カテゴリ: 鹿児島の歴史

CIMG7554.JPG 昨日は近所の人と連れ立って初めて2人で“常盤散歩”に出かけた。
日ごろ一緒にグラウンドゴルフをやっているのだが、雑談の中で私が近辺の史跡めぐりをしていると話したことから「ご一緒しましょう」ということで実行に移された。朝9時出発して帰り着いたのは、午後の3時前という充実した一日を過ごすことができた。

その方は、地質学が専門なのだが、歴史などその他にも造詣が深く、研究の成果は著書やホームページに沢山発表されている。一日ご一緒するなかで、いろいろ話も聞けて大変勉強になった。

昨日も史跡10箇所くらいまわったが、その中で3箇所が特に印象に残った。
一番目は、当ブログ10月15日に記載の南日本新聞の地図で(9)の「常盤谷仮屋跡」である。ここは常盤2丁目の谷の奥まった場所という表示になっているが、昨日初めて行ってみた。
現在は谷の先端まで住宅になっていたが、近辺の方に聞いてみると、かなり広い範囲に屋敷があったらしいとのこと。屋敷の入り口のあたりには、武家屋敷があり、武者返しの石塀などもあったそうだが、車を通す道を作るなどから区画整理も行われ、それらもなくなってしまったらしい。
それでも写真に見られるように、古い石垣や石門も残っていた。CIMG7515.JPGCIMG7516.JPG

二番目は(1)の千眼寺跡(薩英戦争本陣跡)である。ここは外から見える場所に「薩英戦争本陣跡」の石碑と表示板はあるが、千眼寺跡の遺跡は個人宅の奥まったところにあるので、これまで遠慮をしていたが、今日お許しをえて撮影をすることができた。快くお許しいただき感謝の他ない。ありがとうございました。
尚、写真は「智福開基老和尚塔と掘られた石像」である。

三番目は(12)の「水上の御仮屋跡の古井戸と岩永三五郎が手がけた石垣」である。
ここも個人宅の屋敷内にあるのでこれまで遠慮していたが、今回お許しをいただき撮影することができた。
感謝の他ない。ありがとうございました。

なお今回の写真4枚はいずれも同行した近所のIさん撮影のものを使わせていただいた。
ありがとうございました。CIMG7546.JPG

写真は一番上     水上の御仮屋跡
    二、三枚目   常盤谷仮屋跡の周辺
    一番下     千眼寺跡の石像






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Last updated  2011.10.31 17:04:44
コメント(7) | コメントを書く


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こんばんわ!  
専門の知識を持った方が、一緒に回ってくれると 知識が増えて良いですね~
史跡巡りは、予め下調べをしてから回らないと、分かり難い場所が多いんですね。
しかも個人の敷地内となると余計分からないですね・・
親切に中に入れていただいて、撮影までさせて頂けるなんて、クマタツさんの人徳ですね~
今日は何万歩歩いたのでしょう? (2011.10.26 23:49:00)

おはようございます  
春の陽だまりさん

 今回の歩数は24677歩でした。妙円寺詣りから一日置いての散策でしたが、タフマンは疲れを知りません(笑)
同行者が凄い先生なので、他の話なども沢山聞けてあっと言う間に時間が過ぎました。
(2011.10.27 09:47:08)

Re:常盤散歩 何回目?(10/26)  
つき指  さん
 細腕さんもアクセスしてると、言づかっています。お晩です。 (2011.10.27 16:35:21)

Re[1]:常盤散歩 何回目?(10/26)  
つき指さん
> 細腕さんもアクセスしてると、言づかっています。お晩です。
☆うれしいですね。沢山のアクセスお待ちしています。 (2011.10.27 17:27:35)

千眼寺跡(薩英戦争本陣跡)の写真は貴重ですね  
クマタツさん、こんばんは、やまももです。

千眼寺跡(薩英戦争本陣跡)の写真は貴重ですね(上から三枚目の写真ですか)。薩英戦争が起こったとき、薩摩藩の藩主の島津茂久(後に忠義と改名)と国父の島津久光が現在の常盤の千眼寺跡に本営を移していたことは今回初めて知りました。それで西山正徳著『薩英戦争』(高城書房、1999年1月) であらためて読み直しましたら、確かにそのことがつぎのように書かれていました。

「(七月一日)午後四時頃、本営は西田千眼寺(西田小学校西側)に移され、諸役も下町下会所から移動、軍役
方は柿本寺に転営した。
 千眼寺は、藩主島津重豪の時代に創建された禅寺で、前々代藩主斉興の天保年間中頃に堂宇を大きくして御座所を設け、数百人の兵も収容できるようにしてあった。
 後方の常盤山の中腹には遠望台があり、眼下に鹿児島湾を一望に見渡せた。」

本営を西田千眼寺にしたのは、英国戦艦が搭載しているアームストロング砲(当時最新最強の大砲といわれ、射程距離が4Km近くもありました)の情報が入っており、実力の程はまだ把握していませんでしたが(芳即正『島津久光と明治維新』、新人物往来社)、大事を取って錦江湾沖から遠く離れた内陸部のこの地なら大丈夫と判断したからなのでしょうね。

 なお、私は拙ブログ「ポンコツ山のタヌキの便り」に「篤姫ドラマと撮影戦争」という記事を書いています。
      ↓
、  http://plaza.rakuten.co.jp/yamamomo02/diary/200809280000/

 それでクマタツさんの千眼寺に関する記事を拙ブログのここに追加して紹介し、また貴重な写真をそこに転載させてもらいたいのですが、よろしいでしょうか。もしご承諾いただけるようでしたらそのことを貴ブログのこのコメント欄でお伝えください。 (2011.10.27 19:17:54)

撮影戦争は薩英戦争の  
先ほど、拙ブログ「ポンコツ山のタヌキの便り」に「篤姫ドラマと撮影戦争」という記事を書いたとしましたが、これは「篤姫ドラマと薩英戦争」の誤入力でした。訂正いたします。 (2011.10.27 19:31:05)

こんばんは  
 やまももさん  クマタツです

 今回も千眼寺と薩英戦争のことを教えていただき、ありがとうございました。知らないことばかりで大変勉強になります。今日こそ貴やまももの部屋の「篤姫」のことを全部読ませていただいたところでした。色々な書籍を読まれてその詳細な記述に引き込まれて一気に読んでしまいました。大変面白く、また勉強になりました。

拙ブログの写真が順不同でわかりにくかったので、最後にちょっと書き加えました。
よろしければ、何なりとお使いください。 (2011.10.27 20:36:30)

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