ろくでなしとの戦い・by・こいちろ

ろくでなしとの戦い・by・こいちろ

入院までの経緯


 2004(平成16)年秋から年末にかけて、大好きなMTBでオヤジ仲間達と毎週のように山岳サイクリングに行きまくっていた。特に12月は年末ギリまで走りまくった。石尾根完全制覇、地図上にルートなしの長峰探索、その一本南の楢の木尾根探索。肉体的にも精神的にも充実した日々を送っていた。ただ家庭は顧みていなかったが・・。

 2005(平成17)年当初、なんとなく身体がだるく、疲れやすくなっていることに気づく。里山をMTBで流していても腹に力が入らず、集中力もなく、すぐに疲れる。そのときは単にこれまでの疲れが抜けきっていないだけだ、大したことはない、ちょいと休めば回復するよ、程度の認識しかなく、この程度のことを周囲に漏らすこともなかった。この状態は春先まで続いた。

 5月15日日曜日に長野県富士見市にある富士見パノラマスキー場で開催されたMTBレース、「アドベンチャーイン富士見」に出場した(42km)。一応完走を果たせたが、体調は終始悪く成績はボロボロだった。。。。。(T。T)/。もっとも成績はいつものことなので気にはしてなかった(*^_^*)

 5月20日金曜日21時30分、いつもの里山ナイトランに参加すべく、行きつけのMTBショップWでオヤジ仲間達とバイク話に花を咲かせていた。この里山ナイトランとは、夜な夜な誰も歩いていない(はずの)近場の里山オフロードをMTBで爆走しようというショップ主催のイベントの一つである。一般人から見るとマニアックすぎて理解しがたく、不良オヤジの夜遊びとまで非難された(?)ものだが、当時の僕は病みつきになっていた。この意味で僕は大分前から病んでいたのかもしれない・・。その夜は23時30分くらいまで爆走し、その後は参加者数名で近場のラーメン家で空腹を満たしてから25時前に帰宅した。いつものようにとても疲れていたためか、直ちに布団に潜り込み、眠りについた。

 5月22日日曜日の朝4時30分前後に、突如として強い腰痛(腰骨の中側がじんじんする感じ。目が覚めるほどの痛さ)・発熱(8度強)・倦怠感を感じた。筋肉痛ではなく明らかに骨の中からの痛みだった。10数分ほどで痛みは消えたのでそのときは無視した。

 翌日の5月23日月曜日も昨日とほぼ同じ時間帯(朝4時30分前後)に、昨日と同じ症状を感じた。これは完全におかしいと思った。妻からの強い勧めもあり、その足で、S大学病院の救命救急センターに愛車エスケープを走らせた。

【悪夢】
 昨日と今朝の様子をドクターに話すと鎮痛剤をくれたが、あと数時間で始まる外来で内科を受診するように言われた。妻と共に駐車場で時間を過ごし、総合診療内科を受診、血液検査をして、その日は自宅待機していた。

 その日5月23日月曜日の夕方に、S病院の外来担当医Hから自宅へ直接電話があった。「なんでわざわざ病院から、しかも医者から電話がかかってくるんだ。大学病院も暇なんだなぁ」なんて思っていたら、いきなり本題に入って「明日もう一度血液検査を受けに来れますか?」と強く言われた。「なぜ?急ぎなのですか?」と尋ねると、「一刻を争うかもしれません。急性白血病の疑いがあります」と言われました。「まさか」とは思いましたが、「ではない」ことを確認するために言われた通り翌24日火曜日も血液検査を受けにS病院へ行った(末梢血での白血球3800、unclass12%)。

 24日火曜日の血液検査を受けた結果は「ほぼ黒」。

「明日、直ぐに入院しても大丈夫なような準備をして、血液腫瘍内科を受診し、血液検査を受けて下さい」と言われた。その日は、その後、職場へ向かい、上司に現状を報告。「もしかしたら明日から長期の入院生活に入るかも。もうここには戻ってこれないかも」と。自宅へ帰り、妻とこれからのことを話し合おうとしたが、二人ともうまく頭の中を整理できず、僕も妻も泣きじゃくるだけだった。

 25日水曜日に、血液腫瘍内科を受診、三日連続の血液検査の結果、「急性白血病か、骨髄異形成症候群(MDS)か、成人T細胞性白血病の可能性が高い」と言われ、その日の午後、僕は入院した。骨髄検査(マルク)にて正式に「急性リンパ性白血病(ALL、L2)」と診断され、その後の長期入院、長期闘病生活が始まった。

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: