全27件 (27件中 1-27件目)
1
年度替わりです。1年の疲れがたまっていませんか?僕は、たまっています。(笑)今回は、いつまでも元気でいられるように、健康に関する話題です。健康の秘訣は、「運動」、「体操」、「水を飲む」。この3つです。そのうちの「体操」と「水を飲む」については、以下の本にその具体的なやり方が書いてありました。『これで安心「医療体操」増補新版』 (足助次朗+足助照子、太陽出版、2013→新版2017、税別1700円)著者の「足助」さんは、「あすけ」と読みます。この方の考案された体操は「足助體操」(あすけたいそう)と呼ばれていて、わりと有名です。クスリや現代医療に頼らない自然療法や代替医療について勉強していると、この方にたどり着きます。表紙を見てもらうと分かるように、本書は「足助体操」の本なのです。ですが、「水を飲む」についても、書かれています。この2つは結局、「腸を働かせる」ことにつながるのです。健康の秘訣は、腸にあり、です。なぜ水を飲むと腸にいいのか、も本書に書いてあります。・水を飲むことで体内に酸素供給を行い、腸の働きを助けることになります。(p62より)おお!酸素!体内の隅々にまで酸素を送ることはとても大切ですね。運動も、そのためにやるといっても、過言ではありません。とはいえ、僕は普段なかなか水を飲まないのです。・・・だから、おならがよく出るのかな。子どもが生まれた後、子どもたちに日常的に妻が水筒を用意するようになりました。そして、どこにお出かけするときにも、必ず水筒を持っていかせるようになりました。僕はこれが、不思議でたまりませんでした。僕はそんなに水筒を常用していないからです。今も水筒をほとんど使っていません。でも、家族でお出かけするときに、僕だけ水筒がないのもヘンなので、僕も水筒を持っていくようになりました。大人でも、水筒を毎日持ち歩いている方は、けっこう多いですね。そのようなことを知ってからは、僕もなるべく水分補給をしないといけないな、と心がけるようにはなりました。ただ、たくさん水を飲むのは、やはり慣れないとなかなか難しいんですよね。500mlの量だといつも残しちゃうので、気づいたときにすぐ飲める、少量の水を常備するようにしています。↓いろいろ試した結果、僕がずっと買っているのは、この水です。「すーっと染み込む 木曽の天然湧水 KISO 110ml 機内食 カップウォーター (48個) 」さすがの僕も、これなら、飲みきれます!こんなふうに、「小分けにして飲む」など、一言で「水を飲む」とは言っても、いろいろなコツがあるようです。下痢の時に、水を飲むと余計に下痢をしそうだから飲みたくないというようなときでも、やはりコツがあるようです。・下痢をした時には水をぐい飲みするのではなく、よく口の中で噛んでから飲む(p64)知らなかった!そもそも「水を噛む」という発想自体がなかったので、知ってよかったです。いろいろと工夫をしながら水をしっかり飲むようにすると、さて、どんなメリットがあるのでしょうか?それも、本書から少し拾ってみましょう。・ひんぱんに放屁をする人が、水をよく飲むようになってからめっきり回数が減り、臭くなくなった・ヘトヘトに疲れて家に帰り、その夜多めの水を飲んで寝た人と飲まなかった人では、翌日の疲れ具合が全く違っていた (p65より)ほかにも、「咳が出るときには、少量のミネラルウォーターを噛むようにして飲むと止まる」「便秘症には700~800mlをぐい飲みするとよい」「下痢を止めるには、1000ml程度を数回に分けてよく噛んで飲むこと」「ミネラルウォーターで目を洗う習慣をつけると老眼になりにくい」といったことも書いてありました。(p66)僕は最近老眼が進んできたので、小さい字が見えずにかなり困っています。本書のアドバイスを聞いて、ミネラルウォーターで目を洗っていれば、それが防げたのかもしれません。でも、有料のミネラルウォーターで目を洗うのは、もったいなくて、なかなかできないなあ・・・。▼アンデシュ・ハンセン『運動脳』その1 ~運動で、不安を軽減できる!! (2023/02/07の日記)※その6まであります。▼「動作法」で健康に機能改善!? (2008/08/06の日記)▼新開発「うたいそう」で「世界に一つだけの花」♪ (2022/03/21の日記)▼『身体運動の機能解剖』~人体の筋肉のひみつを知ろう (2010/01/05の日記)
2023.03.26
コメント(0)
久しぶりに眠れない夜を過ごし、寝床でいろいろ考えていました。昨日少し持病の頭痛と腹痛のことを書いたのですが、その病状を乗り越えるたび、また新しい世界が見えてくるような気がしています。それはまるで、脱皮のようです。脱皮する生き物も、いざそのときを迎えたときには、自分で自分のことを病気だと思っているのかもしれません。記事タイトルに書いた「病気で脱皮説」、完全オリジナルの学説です。ネットで検索しても出てきません。できたてほやほやの新説。ぜひ、この記事をネットでシェアして広めてください。(笑)ここでの「脱皮」は比喩表現ですので誤解のないよーに。これまでの人生で何度も「病気」に悩まされてきました。そのたびに本などを読み、病気をネガティブにではなくポジティブに捉えようとする考え方に触れてきました。今では、本気で病気を「必要なもの」「ありがたいもの」と思えるようになってきました。苦しんでいるその最中は、つらいんですけどね・・・。病気をすると、当たり前のことのありがたさが身にしみます。ところで、ネットで「脱皮」で検索すると、京都大学白浜水族館のとても分かりやすいPDFがヒットしました。こちらは比喩ではない本物の「脱皮」です。▼脱皮で成長する理由(京都大学白浜水族館) https://www.seto.kyoto-u.ac.jp/aquarium/suisoukaisetsu-file/pdf/dappi-de-seityou.pdf完全に生き物の脱皮のことだけを解説しているPDFですが、人間についても比喩的に当てはめながら読むと、驚くほど気づきが生まれる気がします。脱皮とは、今までの自分の殻ではたちいかなくなったときに、古い殻を脱ぎ捨てることです。そこには、もしかすると痛みを伴うかもしれません。でも、脱皮することで今までと違う自分になって、新しい世界を見ることができるかもしれません。(この動画のザリガニは、僕が1年前に自宅近くを散歩していて出会ったザリガニ。 きっと彼も脱皮を繰り返してこんなに生長したんだろうな、と思います。)ここからは、蛇足です。冬休みですので明日から1泊2日で白浜に行く予定にしています。上のリンクで資料を紹介させていただいたのが、なんと偶然にも京都大学白浜水族館。大変勤勉なことに、年中無休らしいです。予定になかったけど、行くかも!?ネットで公開されている水中生物の貴重な映像の解説がかなり分かりやすく、興味を惹かれました。おもしろい動画がたくさん掲載されているので、ぜひ見てみてください。▼京都大学白浜水族館キッズページ https://www.seto.kyoto-u.ac.jp/aquarium/kids-page/movie.html↓今回宿泊予定の黄金の宮殿(笑) ふるさと納税の返礼品にもなっています。 夏休みの旅行がコロナで行けなかったので、今回かなり奮発しました。 病気だとキャンセルしないといけないのでヒヤヒヤしています・・・。【ふるさと納税】【ホテル川久】平休日1泊2食付ペア宿泊券《カワキュウスイート(洋室)》| 和歌山県 白浜町【ふるさと納税】【ホテル川久】平休日1泊朝食付ペア宿泊券《カワキュウスイート(洋室)》白浜温泉 ホテル川久
2023.01.03
コメント(0)
井上ひさしさんの戯曲『父と暮らせば』。新聞で紹介されていたのを機に、読んでみました。『父と暮せば』 (新潮文庫)(井上 ひさし、新潮社、2001、473円)原爆投下後の広島がテーマ。ちょうど、2学期の5年生の国語教科書で扱う物語教材も、原爆投下後の広島がテーマでした。光村図書の「たずねびと」(朽木 祥 作)です。この戯曲を読んでいたことで、子どもたちに原爆について関心を持ってもらう語りができたように思います。具体的には、原爆とはどういうものかを伝えるときの描写が、強烈に記憶に残り、その記憶で子どもたちに話をすることができました。『父と暮らせば』は戯曲ですので、お芝居の台本です。セリフが中心です。広島が舞台ですので、広島弁での語りです。広島弁で原爆のことを語られると、当事者の思いがありありと感じられ、とんでもない迫力で迫ってきます。「たずねびと」を教える前に、『父と暮らせば』。読んでみられることをおすすめします。以下は、僕が特に衝撃を受けた、原爆投下のその時を訴えた描写の一部です。=======================・爆発から1秒あとの火の玉の温度は摂氏1万2千度じゃ。 やい、1万2千度ちゅうのがどげえ温度か分かっとんのか。 あの太陽の表面温度が6千度じゃけえ、あのとき、ヒロシマの上空580メートルのところに、太陽が、ペカーッ、ペカーッ、2つ浮いとったわけじゃ。 頭のすぐ上に太陽が2つ、1秒から2秒のあいだ並んで出よったけえ、地面の上のものは人間(にんげ)も鳥も虫も魚も建物も石灯籠(どーろ)も、一瞬のうちに溶けてしもうた。 (p50より)=======================「やい」「分かっとんのか」と言われると、「すみません・・・」と頭を垂れざるを得ません。子どもたちに語る前に、自分自身が、もっと勉強していかなければなりません。今の子どもたちにとって、戦争や原爆は過去の話。平気な顔をして、「そんな昔、生きてなかった」と言います。生まれる前の話なので、無関心なのです。それではいけない、という井上ひさしさんの思いが、『父と暮らせば』を通して、僕に憑依しました。原爆投下は僕にとっても生まれる前の話ですが、だからといって風化させたくはありません。生まれる前の話だからこそ、現実に何があったのかを学び、子どもたちに伝えていきたいと思います。最後に、p104より、引用します。「あよなむごい別れがまこと何万もあったちゅうことを覚えてもろうために生かされとるんじゃ」『父と暮らせば』はこまつ座で何度も上演されてきましたが、現在は他の劇団のものがYouTubeで観られたり、ドラマ版が有料配信で観られたりします。時間のある時に観ておきたいと思います。↓舞台版動画さっぽろアートライブ MAM「父と暮せば」松橋/高橋バージョン↓ドラマ版予告編(参考リンク)▼朽木祥作「たずねびと」の指導方法-平和学習中心の読解教材 (「小松の教育」様)
2021.09.21
コメント(0)
昨日は終戦記念日でした。この時期にぜひ読んでほしい本があります。学校の先生には特に読んでほしい。言わずと知れた名作、『二十四の瞳』です。『二十四の瞳』 (ポプラポケット文庫) [ 壷井栄 ]8月にこの本を読むことで、戦争の時代に思いをはせましょう。戦時中の戦争のかなり具体的な描写があり、戦時中の暮らしを疑似体験することができます。そんな中で、大石先生の子どもたちへの愛情が、前向きな愛と希望として、読み手の心を揺さぶります。戦後の描写からは、ひときわ戦争への憎しみが感じられます。「いっさいの人間らしさを犠牲にして人びとは生き、そして死んでいった。」(p218)「人のいのちを花になぞらえて、散ることだけが若人の究極の目的であり、つきぬ名誉であるとおしえらえられ、信じさせられていた子どもたちである。日本中の男の子を、すくなくもその考えにちかづけ、信じさせようと方向づけられた教育であった。」(p222)「となり村のある家などでは、4人あった息子が4人とも戦死して、4つの名誉のしるしはその家の門にずらりとならんでいた。大吉たちは、どんなにか尊敬の目で、それをあおぎ見たことだろう。これは一種の羨望でさえあった。」(p225)戦時中の教育の、世の中の、なんとむごいことか。戦争を再び、繰り返してはならない。今を生きる私の、生きることへの責任を、ひしひしと感じます。今の時代に日本に戦争はないけれど、同じように追い詰められ、心を痛めている子どもがいることも、知らねばなりません。教え子を再び、戦場に送るな。
2019.08.16
コメント(0)
昨年からずっと病院にかかっています。自分の病気については、また改めて書こうと思っていますが、そんな中、「ネットで相談できて助かった!」というサービスがあります。Yahoo!ヘルスケアの「かんたん医療相談」です。 https://medical.yahoo.co.jp/soudan/他の方の相談内容を見るだけなら、無料です。回答を見る場合は有料。(ただし、一部、回答も含めて全体を見られる質問もあり。「インフルエンザについて」など)自分で相談をネットで書き込む場合は有料ですが、月額300円で、月に3回まで相談できます。(2017年3月末までは初月無料です。)主治医と話ができる時間が限られていることや、次の予約まではお出会いできないことがあり、この「かんたん医療相談」を使い始めました。使ってみて、びっくり。最初に相談したときは、5分ぐらいで最初の回答をいただきました。その後続々と専門の異なる複数の医師の方々から回答をいただきました。個別の状況に合った回答をいただけるので、とてもありがたかったです。4~5回相談しましたが、回答が遅い場合でも2時間以内には回答をいただけています。専門家の方からのスピード回答は、本当に助かります。今も、新しい相談をかけているところです。相談を書き込んだ後は、以下のような画面が出ます。 ↓月額300円なら安いと思いました。定期的に病院に通われている方や、ご家族のことで急に相談したいときが予測される方は、登録されてみては、と思います。なお、相談はすべて匿名となります。
2017.02.22
コメント(0)
コスモス畑がとてもきれいにあちこちで見られるようになりました。コスモスに「秋桜」という字を使用したのは、さだまさしさんが最初だそうです。(「コスモス」のWikipediaより。)さだまさしさんの『さだ語録』を読んでいると、次のような記述がありました。『さだ語録 あなたの心は元気ですか?』(さだまさし,2015)==================================== 秋桜は変な花です。梅にしろマーガレットにしろ、群れるときは同一色です。ところが秋桜は、したたかに群れあった個々が、別の色をしています。これが魅力です。 ふと、花も人間も同じだと思ったりするのです。群れのなかでも一輪を主張し、一輪そのものが群れを支える。 『さだ語録』p69より====================================これを読んで、今までただ「きれいだな」としか思わなかったコスモスが、大好きになりました。「群れあった個々が、別の色」確かに、同じように見えて、別の色が、混ざっています。今まで、そのことを、そんなに特別なことだと思いませんでした。僕が大事にしてきた「多様性」や「個性」というものと、「コスモス」という花がそんな風に重なるのだと気づいて、大好きになりました。「コスモス」には、花の名前以外にもう一つ、「宇宙」という意味もあります。僕は、「COSMOS」という合唱曲が大好きです。この曲は、ミマスさんの作詞・作曲で、イントロからエンディングまで、大変感動的です。この曲の歌詞では、人を星にたとえています。星も一見すると同じようで、みんな違う光を持っていますね。秋といえば芸術の秋、音楽の秋でもあります。音楽会で「COSMOS」を歌われるところもあるかもしれませんね。ミマスさんは「COSMOS」などの歌作りの経緯などを本にまとめられています。今年の8月に出たところです。僕は8月にすぐ買いました。(^^)『君も星だよ 合唱曲≪COSMOS≫にこめたメッセージ』(ミマス、2016/8)ネット上で、そのもとになったと思われる記事を読むことができます。歌われる方は、ぜひ参考にしてください。▼君も星だよ ――合唱曲《COSMOS》に込めたメッセージ 第1回 - 音楽之友社
2016.10.25
コメント(0)
『シンプルに生きる。 生きづらい時代を生きなおす方法』(柳田邦男・香山リカ(対談)、清流出版、2012、1400円)"学校教育では「生きる力」をつけるんだ~"と声高に言われたときもありましたが、さて、「生きる」とは何なのか。柳田邦夫さんと香山リカさんの対談では、「人生」や「幸福」について、考えを深めることができます。対談のメリットというか、一人の人の考えだけではないので、表層にとらわれなくなるというか、「あー、そういうこともあるか」と別の角度から物事をとらえられるようになります。お二人とも数多くの事例を知っておられるので、具体的な事例から考えることができ、「なるほど」とか、「そうなの?」とか、「そりゃしらんかった」、「そうだよな~」などと、自分も会話に参加しているつもりで読めます。香山さんは精神科医なので、アメリカの診断基準であるDSMの話なども出てきて興味深かったです。この本を読むまで、「基準はあると便利、なきゃいけない」というような考えでいましたが、この本の内容にふれて、その落とし穴というか、気をつけないといけないところもあるということが分かりました。以下、長文で引用するところもありますが、僕が大事だと思ったところです。対談としての雰囲気も、疑似体験していただければと思います。(対談としては、だいぶはしょってますが・・・。)===============================『シンプルに生きる。』p21 香山・現代は「ただ生きる」ということの価値が下がっていて、 「何者」として生きるとか、それこそ自己実現をして私らしく生きるとかの 付加価値がないと、生きている意味がないと感じてしまう人が多い。p48 柳田・人間というのはそんなふうに限界状況や崖っぷちに立たされたときに初めて 幸福というのを味わえるのであって、 与えられたところからは絶対に幸福は生まれない。p72-73 香山・「DSM」 という診断基準がアメリカの精神学会で定められた。 DSMは、基本的には、 精神科医になって1年目の医者も30年やっている医者も 同じ診断が出せるという理念で作られている基準。 診断基準が明確になったことで、 客観的な判断を下せるようになり、 技量の差異による診断の違いが最小限となった。 そうしたら今度は診断についで治療も、 誰がやっても同じ結果が出るような治療プログラムが アメリカを中心に開発されて、急激に普及している。 フローチャート化されて、こういう症状があった場合はこうして、 薬はこういうものを出して、それでダメだったらこのプログラムを試みる というような。 そういう意味では 医療者の人柄の部分や患者との相性などで対応が変わる ということを、逆にものすごい力で排除しようとしている。p74 柳田・標準化されたものには入らない、 あるいはこぼれ落ちてしまう分野もある。p88-89 柳田・医療者は医師にしろ看護師にしろ、 いつも冷静で客観的な姿勢を維持しなければならない。 けれど、その姿勢が「冷たい3人称」の視点であっては、 患者や家族は突き放されたような気持ちになってしまう。 かといって、1人称や2人称とまったく同じ気持ちになってしまったのでは、 医療者は患者・家族と感情の同一化が起こって燃え尽きてしまう。 そこで私は「2.5人称の視点」というものを提唱し続けている。 冷静かつ客観的に医学や看護学をベースに置いた対応をするには、 3人称の視点が必要だが、往々にして他人事のように、ことを処理しがち。 だからそれだけで割り切るのではなく、 自分が患者あるいは患者の家族だったらという、 1人称、2人称の立場の人に寄り添う姿勢も併せもちながら、 専門的職業人の務めをこなす。 そんなぬくもりのある2.5人称の視点が大切。 p140-141 香山・交通事故や脳梗塞の後遺症、出産時のトラブルなどで植物状態に陥って、 100%ケアを受けないと生きられない、そういう人たちがいる。 基本的には家族が24時間体制で看ていることが多い。 2,3時間ごとの痰の吸引にはじまって、 褥瘡(じょくそう)ができないように体位を変えるとか、 人工呼吸器をつけていればそれがはずれていないかを監視するとか。 家族はずっと寝ているような寝ていないような生活を強いられる。 こういう患者に対して、生命維持装置を使って生かしているだけであって、 「植物状態になったら生きている意味がないんじゃないか」 という見方をする人が多い。 特に医療の目から見ると、栄養や水分を補給して生かしているだけであって、 "生きる意味"は少ないととらえがち。 しかしケアをしている家族は、多くの場合、体はへトヘトではあっても、 家族間でものすごく密度の濃い精神生活を送っている。 例えば、自分の大事な子どもを看ている母親が、 ヘルパーに頼んでちょっと家を留守にする。 帰ってきて子どもに声をかけると血圧が上がるとか、 いろいろ話かけると血中の酸素濃度が上がるとか。 それを母親は自分の愛情のこもった語りかけなり、 手をさすったりすることによって喜んでくれていると読み取る。 p176 柳田・母親が絵本『たいせつなきみ』の読み聞かせの後で 「ゆうりはゆうりだよ。 お父さんとお母さんの大切な子だよ。 ほかの友だちと違ってもいいんだからね。 体育が苦手でも、ゆうりは本と歌が大好きじゃない。 ゆうりは世界に1人しかいない大事な子だよ」 『たいせつなきみ』 (マックス・ルケード、いのちのことば社、2010新装版、1400円) p181 柳田・大人になって、いろいろな生きづらさを感じたときに、 あらためて絵本をじっくりと味わって音読する日々を過ごしていると、 心が癒されたり、見失っていた人生の意味や生きる支えを 見出したりすることが 往々にしてある。p184 柳田・近頃、大人たちが集まって 自分たちのために絵本や童話の読み聞かせをする活動が 見られるようになってきた。 大切なのは、その感動に理屈をつけないでそのままに感じること。p196 香山・人生に最高もなければ、どうしようもない最悪もない。 ただ"そこそこで、いろいろな人生"があるということ。===============================自分の生きてきた人生や、ふれてきた他の人の人生に重ねて読むと、かなり重なり合うところがあって、理解が進んだような気がします。紹介されていた絵本『たいせつなきみ』、ほかのところでもよい本だと聞いたことがあります。読んでみたいです。 こういう本で、「生きる」ということを、自分の生だけでなく、いろんな人の生から考えることで、より客観的に自分の生を見つめ直すことができ、必要以上に悩んだり落ち込んだりしなくなるのかな、という気がします。人生、いろいろです。さあまた明日も、がんばろう。(^^) いつも見に来てくださってありがとうございます。励みになります。 ブログ王ランキング ▼にかとまの読書メモリスト ▼にかとま日記全件リスト
2014.01.23
コメント(0)
以前読んだ本のからみで、フランクルの『夜と霧 新版』を読みました。 『夜と霧 新版』(ヴィクトル・エミール・フランクル 著、池田香代子 訳、 みすず書房、2002、1500円)他の本の中でちょっと紹介されているのを読むのと、その本1冊をまるごと読むのは、やはりちがいますね。特にこの本は、強制収容所の体験記なので、重みが違います。極限状態で愛する人を思い浮かべるあたり、涙なしでは読めません。いろいろと圧倒されることが多かったですが、今後のために、主として本の後半部分化から、少々引用して、残しておきたいと思います。===============================フランクル『夜と霧 新版』(・以降の太字部分が、本の内容。 顔マークのあとの緑文字は僕の個人的コメントです。)・人は強制収容所に人間をぶちこんで すべてを奪うことができるが、 たったひとつ、 あたえられた環境でいかにふるまうかという、 人間としての最後の自由だけは奪えない。・過酷きわまる外的条件が 人間の内面的成長をうながすことがある・そこが強制収容所であってもなお、 なんとか未来に、未来の目的に ふたたび目を向けさせることに意を用い、 精神的に励ますことが 有力な手立てとなる。 ・わたしは語るのだ。 講演のテーマは、なんと、強制収容所の心理学。 今わたしをこれほど苦しめうちひしいでいるすべては客観化され、 学問という一段高いところから観察され、描写される・・・・・・ このトリックのおかげで、わたしはこの状況に、 現在とその苦しみにどこか超然としていられ、 それらをまるでもう過去のもののように見なすことができ、 わたしをわたしの苦しみともども、 わたし自身がおこなう興味深い心理学研究の対象とすることができた。・「なぜ生きるかを知っている者は、 どのように生きることにも耐える」(ニーチェ)・わたしたちが過去の充実した生活のなか、 豊かな経験のなかで実現し、 心の宝物としていることは、 なにも だれも 奪えない。・わたしのひとりの仲間は、 自分が苦しみ、死ぬなら、 代わりに愛する人間には 苦しみに満ちた死をまぬがれさせてほしい、と願った。 この男にとって、 苦しむことも死ぬことも意味のないものではなく、 犠牲としてのこよなく深い意味に満たされていた。・人間とはなにものか。 人間とは、人間とはなにかをつねに決定する存在だ。 人間とは、ガス室を発明した存在だ。 しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする 存在でもあるのだ。============================= 強制収容所でなくなられた多くの方のご冥福をお祈りします。 ↓よろしければ応援のクリックをお願いします。励みになります。 ブログ王ランキング ▼にかとまの読書メモリスト ▼にかとま日記全件リスト
2013.05.11
コメント(0)
『まっすぐな生き方 人生の先達に学ぶ、43のエピソード』(木村耕一、1万年堂出版、2010、1500円)読書メモの続きを書きます。本日が第3回。(最終回)(第1回はこちら。)===============================『まっすぐな生き方』3(p150~最後まで。 ・以降の太字部分は、本の内容。 顔マークのあとの緑文字は僕の個人的コメントです。)・世界の発明王 エジソン 「人の倍、努力しているから、 人の倍、成功して当たり前だ」 99回の失敗の後に、1回の成功がある。・「世界の本塁打王」 王貞治 の打撃コーチ 荒川博 「毎日やることが大切だった。 努力というのは 毎日の積み重ねだから、 けっして休んではいけないんです」王さんという超有名選手の陰に、 王さんを表舞台で活躍させた打撃コーチの姿があったんですね。 ・自分の仕事を愛し 熱中するようにしよう・円谷幸吉 (東京オリンピックマラソンで銅メダル。 マラソンを始めて わずか7か月だった。) ・円谷の寝具は、いつも、きちんとたたまれていた。 ・忙しさ、慌ただしさ、高まる緊張感にも左右されず、 きちんと整理整頓ができるのは、心の鍛錬の表れ。スポーツ選手の技術よりも精神面にスポットを当てている 本書の内容は、好感が持てます。 僕は整理整頓が苦手ですが、 たかが整理整頓、されど整理整頓。 整理整頓はすべてに通ず、 ということが、最近わかってきました。 でも整理整頓がなかなかできない・・・。(>。<) ・英国の文豪 モーム 「成功の大部分は 訓練のたまものである」 ・国鉄バスの車掌 佐藤良二 ・イヤでイヤでたまらなかった車掌の仕事・・・・・・。 しかし、このバスを待ってくれている人がいる、 感謝してくれる人がいる。 そう思うと、 「お客さんに喜んでもらわなければ!」 という気持ちがわいてきた。 ・怒ったり、嫌味を言ったりせず、 ぐっと抑えて、 まず相手を思いやる言葉をかけていく。 ・「日本一の車掌になるぞ」と決心した。 ・多少気分を害することがあっても、 その目的を果たすためにプラスにならないことには、 こだわらず、忘れるように心がけていった。 ・良二は、父の死に直面し、 「人間は必ず、死ぬ」 という厳然たる事実を突きつけられた。 自分も必ず、死ぬのだ。 今晩かもしれない。 こういう覚悟を強く持つことによって、 非難や中傷を受けても、 「それがどうした。オレには時間がないんだ」 と流すことができるようになった。 ・「生きる目的」がハッキリしていなければ、 「こだわらずに忘れる」ことなど、 できるものではない。=============================== あまり有名ではない一介の国鉄バス車掌のエピソードが最後の最後、かなりのページ数を割いて語られます。有名ではないからこそ、自分に近い一人の人間として、共感できるものがあります。こういう本の構成も、いいなあと思いました。 自分も、「生きる目的」をはっきりさせてしっかりとした生き方をしていきたいです。 ↓よろしければ応援のクリックをお願いします。 ブログ王ランキング ▼にかとまの読書メモリスト ▼にかとま日記全件リスト
2012.06.06
コメント(0)
道下工務店さんのイベントに行ったときに、佐藤初女(はつめ)さんのことを知りました。興味があったので、本を読んでみました。 『いのちのことば 心の道しるべ137言』(佐藤初女、東邦出版、2011、1333円)佐藤初女さんはもうすでにかなりのご高齢のようですが、元気にされているようです。やさしく丁寧に人やものとかかわっておられる、あたたかさが身に沁みます。=============================『いのちのことば 心の道しるべ137言』・私はいつも、自然にまかせる、 直感で決めるということが多いのです。 不安にならずにそのようにできるのは、 きっと私が何も持っていないからです。 何も持たないことが、 私の最大の強みではないかと思っています。・人生の岐路で進むべき道を迷ったときには、 しばらくそこにとどまって 状況を見極めることが必要です。 急いだり慌てたりせず、 物事をしっかり見ているうちに、 いい状況になってくることが多いように思います。・「有言実行」ではなく 「実行有言」 言葉であれこれ言う前に、まず行動。 黙ってやればいいんです。・私のお料理は、特別なことは何もなくて、 普通に作るだけ。 でも 大事なのは、やっぱり煮詰めるときの時間。 ただ熱を加えるのでなくて 途中で何度も休ませる。・休んでいるあいだに味が染みていく。 休ませるというのは、火を止めるということです。 人生も、人間もね、たまには休むのは大事。 それをただ一気に行こうとするから だめなんです。 状況が変わったなっていうときに 少しお休みすると、 考えもまた新しくなります。・私はなんでもゆっくり。 料理をするときも、早さは気にしません。 きゅうりを切るのでも、 ゆっくりやれば 厚さがきれいに揃うでしょう。・大勢の人前で話す機会があったら、 私は自分の失敗について話します。 いいことなんて言わないの。・自分で解決できない問題を抱えているときというのは、 誰かに聞いてほしいものなんです。 アドバイスが欲しいとか よくする方法を知りたいというより、 ただ 聞いてほしい。 それが一番。 だから、私は そういう気持ちで聞きます。・傷つくのは、期待が大きいから。 うまくいかないと思う関係でも、 そのまま受けとめてみてはどうでしょう。=============================僕は基本的に、「すぐやる」「速くやる」「大量にやる」というのを大事にしています。でも、そればっかりでは、いかんなあ、と思うのも事実です。初女さんは、ゆっくり、じっくりされることや立ち止まることを説かれます。こういうことも大事だなあ、と思いながら読みました。「結果よりも過程」という言葉があります。たぶん、教育で大事なのは「結果よりも過程」。結果を気にしているようでは、逆説的なようですが大きな結果なんて出せない、と思います。何が大事かって、「目の前のいのちとじっくり向き合う」。これ以上大事なものは、ないんでしょうね。自分というものを考える契機をいただきました。ありがとうございます。 ブログを読んでいただいて、感謝いたします。 ↓記事がお役にたてましたら、クリックいただけるとうれしいです。 ブログ王ランキング ▼にかとまの読書メモリスト ▼にかとま日記全件リスト
2012.03.04
コメント(0)
『お母さんは命がけであなたを産みました 16歳のためのいのちの教科書』 ( 内田美智子、青春出版社、2011/12、1400円)この本の読書メモの続きです。本日が第2回。(第1回はこちら)==============================『お母さんは命がけであなたを産みました』2(p32~最後まで。 太字は、この本の内容。緑文字は僕の個人的な感想です。)第2章 生きること、生き続けること・母親の千恵さんを病気で亡くしたはなちゃんは、 自分の服の管理、風呂の掃除、玄関の靴を並べること、 みそ汁を作ることが、五歳のころからできます。 (p51)おどろきました。 えっ? この「はなちゃん」のこと、 どこかで聞いたことがあるな、と思いました。 「弁当の日」の竹下先生の講演で 小田和正の曲をバックに聞いたお話と、同じでした。 竹下先生の著書でも、ふれられていました。 「いのちの教育」と「食育」、 こんなところでつながっているのか!と思いました。 第5章 いのちをいただいて、はぐくむ・2002年に厚生労働省が行った 「男女の生活と意識に関する調査」の結果。 (1)家庭での日常会話が少ない子どもほど、 性交経験年齢が低い。 (2)家庭での日常会話が少ない子どもほど、 出会いから性交までの期間が短い。 (3)家庭での日常会話が少ない子どもほど、 人工妊娠中絶の繰り返し率が高い。 家庭の中で親子の日常会話がどれくらいされていたかによって、 子どもの性行動が変わってくる。 早すぎる性行動を遅らせる決め手が、 親子のコミュニケーションであり、 それを培うのが家庭の食卓。 「弁当の日」は親と子のコミュニケーションを増やす。 (p161)わりとこの調査結果はうなづける気がします。 親と子のコミュニケーションは、子どもへの教育の基盤になりますね。 「弁当の日」には、確かに親子のコミュニケーションを増やすメリットが あるようです。 実践の第一人者、竹下和男先生の本はすでにブログでご紹介しました。 僕が手放しで絶賛した本です。(読んだけど紹介してない本もあります。) ▼「弁当の日」講演メモ ▼竹下和男・渡邊美穂『泣きみそ校長と弁当の日』 ~こんなに感動する本はないかも!? 勤務校でも今年初めて「弁当の日」の取り組みを始めました。 他校の取り組みもお聞きしたことがありますが、 「やってみてよかった」という声ばかり聞きます。 まだまだどんどん広がっていくかもしれませんね。 (おわりに より)・「あなたが大切」だと育てられていない子どもたちの前に、 私たち大人はどんな姿で立てばいいのでしょうか。 恥ずかしい姿をさらしていないかどうか。 かっこいい大人として立てているかどうか。 子どもが抱えている問題は、 子どもだけの問題ではなくて、 大人が大人としての資格を問われているのだと思います。 でも、いつの日か、子どもたちは大人になります。 子どもたちが自信を持って大人になれるように、 子どもたちのお手本になれるような大人として 子どもたちの前に立ちたいと思います。著者の内田美智子さんは、本当に立派だと思います。 僕は、子どもたちの見本になれるような姿で 子どもたちの前に立てていません。 現代では、一部の子どもたちが、家庭での愛情をあまり受けられずに 学校に来ていることがあります。 そんな子たちに何ができるのか、自問自答します。 「子どもたちが自信を持って大人になれるように」 本当に、そう思います。 そのために、がんばりたいです。==============================ブログを読んでいただいて、ありがとうございます。 ↓記事がお役にたてましたら、クリックいただけるとうれしいです。 ブログ王ランキング ▼にかとまの読書メモリスト ▼にかとま日記全件リスト
2012.01.30
コメント(2)
これもまた、いい本です。よって、ぜひともこのブログで紹介せずにはおれません。 『お母さんは命がけであなたを産みました 16歳のためのいのちの教科書』 ( 内田美智子、青春出版社、2011/12、1400円)========================内容詳細 (上のリンク先より転載)いただいたいのち、つないでいくいのち、どう生きていきますか?何よりも「あなたが大切」だということを忘れないでください。助産師である著者が伝える、「いのち」と「性」へのメッセージ。若者やその親、親になったばかりの人など、全世代に読んでもらいたい一冊。目次 : 第1章 あなたのいのちは奇跡です-"いのちの現場"からわかった大切なこと/ 第2章 生きること、生き続けること-親はあなたより先に逝きます、どうやって生きていきますか/ 第3章 幸せな恋から、すべてがはじまる-傷ついた女の子たちをたくさん見てきました/ 第4章 いのちを大切にできる人になってください-いまを変えなければ、あなたの未来は変わりません/ 第5章 いのちをいただいて、はぐくむ-いつか親になったとき、子どもに何を食べさせますか?========================中身はこんな感じです。本当に、全世代におすすめの本です。僕はかなり感動しましたっ。ではでは、レッツ、読書メモ!本の中のエピソードについて、いつもより詳しく、長めに引用します。==============================『お母さんは命がけであなたを産みました』1(最初からp31まで。 太字は、この本の内容。緑文字は僕の個人的な感想です。) 第1章 あなたのいのちは奇跡です ▼あるお母さんの話です。 妊娠10か月に入り、今日にも明日にもと、 生まれる日を待っていたお母さんは、 胎動がないことに気付きました。 「おかしい・・・・・・。いつもと違う」 胎児は、母の胎内ですでに輝きを失っていたのです。 亡くなった胎児でも、母親は産まなければならないんです。 私たち助産師は、陣痛に苦しむ母親に 「がんばろうね」 「もうすぐ、元気な赤ちゃんに会えるよ」 と声をかけ、励まします。 でも、死産の子を出産する母親には、 何と言って励ませばいいのでしょうか。 分娩室で付き添った若い助産師は、 何も声をかけることができなくて、 ただ、手を握っているだけでした。 それしかできないのです。 言葉さえ出すことができなかったのです。 そのお母さんは、ご褒美のない陣痛の痛みに耐え、 命を輝かせることのない胎児を出産しました。 産声の上がらない分娩室で、 母親の嗚咽する声だけが悲しく響きます。 泣かない赤ちゃんを母親は泣きながら抱きしめます。 もう、それしかできない。 それ以上のことはできないのです。 (p26-27より)正直、本のタイトルを見たとき、 「お母さんは命がけであなたを産みました」 というのは、少し大げさかな、と思いました。 我が家の子どもの出産には2人とも立ち会いましたが 比較的安産だったこともあって。 ところが、この本の中身を読むと、 僕の知らなかった、産むときのドラマが たくさん書かれていました。 そして素直に、「お母さんは命がけで子どもを産むのだ」 ということが、理解できてきました。 上に紹介したエピソード、涙なくしては読めません。 赤ちゃんを胎内で亡くしてしまうなんて、 こんなにつらい経験が、あるでしょうか。 世の中には、そういった現実がたくさんあり、いろいろある中で、 僕たちは生まれ、そして僕たちは親になっているのです。 自分のケースだけしか知らなかったら、 なんだか何でもないフツーのことだと思って通り過ぎていたようなことが、 実は「奇跡」だったと、 知らされる本です。 ▼ある女の子は、 「お母さんは私を産んだことを 後悔していないと思いますか?」 と聞いてきました。 幼いころお母さんが出て行き、 お母さんの顔を覚えていない。 どこでどうしているかもわからない。 自分が本当に生まれてきてよかったのかどうかを 確かめたい、というのです。 「後悔してないよ」 「後悔なんかするもんですか」 あなたを手放したことは後悔しているかもしれないけど、 命がけで子どもを産んだことは後悔していないよ。 もしかしたらどこかで新しい家族をつくっているかもしれないけど、 そこで自分が幸せであればあるほど、 手放した子どものことは忘れることはできないのです。 (p30より)確かに、こういう子もいるんだよな、ということを 思いながら読みました。 産んでくれた母親のことを、 ずっと気にしながら生きてきたんだと思います。 そして、著者が言われるように、お母さんも、 ずっと気にしながら生きてきたんだろうと思います。 「自分が幸せであればあるほど、 手放した子どものことは忘れることはできない」 そういうものですよね。 親になった今では、そういうことが、 だんだんわかるようになってきました。 お父さん、 お母さん、 僕は元気にしています。 お父さん、お母さんのおかげです。 ありがとうございます・・・。 (p46(第1章の終わり)まで)============================== 次回は第2章「生きること、生き続けること」のページをめくっていきます。事実談に裏打ちされたお話は、講演で聴いても、本で読んでも、本当に、胸を打ちます。 では、続きはまた次回!ブログを読んでいただいて、ありがとうございます。 ↓記事がお役にたてましたら、クリックいただけるとうれしいです。 ブログ王ランキング ▼にかとまの読書メモリスト ▼にかとま日記全件リスト
2012.01.26
コメント(0)
『「また、必ず会おう」と誰もが言った。』(喜多川泰、サンマーク出版、2010、1400円)以前から気になっていた喜多川泰さんの新刊です!やっと読みました。『手紙屋』や『心晴日和』と同じく、これもまた、すごくいい本でした。自分を守るためのウソをついた主人公が、旅の中で出会う人たちに教えられたことを胸に、変わっていく物語です。半分読んだところで、タイトルの意味が分かりました。「ああ、そういうことか」と。最後まで読んだ後、気が引き締まりました。僕の、家での行動が変わりました。「この体も、この家も、すべて借り物だと思ったら・・・ この主人公と同じ、「いそうろう」だ。 感謝して使わせていただく、 その気持ちを行動に表わす、 そういうことをしていかなくては」と思いました。お風呂に入った後のドア、トイレに入った後のドアをそっと閉めている自分がいました。今までずっと「自分の家」だと思っていた家を、他人の家のように感じることができました。これは、けっこう新鮮な感覚です。=============================『「また、必ず会おう」と誰もが言った。』・「ワシはなあ、 娘に好かれたいんやのうて、幸せになってもらいたいだけや。 わかる? 兄弟」#トラック運転手、柳下さんの言葉。 かっこいいです。 こういう言葉を、自分の子どもや学校の子どもたちに対して、言えるだろうか?・信頼して待ってくれる誰かがいる、 そうするだけで 子供は絶対に才能を開花できる。・「今の世の中の母親は、英才教育と称して お金を使って小さい頃からいろんな習い事をさせたりするが、 子供を管理しようとしたり、成績や点数という結果を求めたりする。 信頼して待つことができないんだ」#医師 和田さんの言葉 性急に結果を求める現在の風潮は、教育現場にもあります。 「ちょっとまって」と自分にブレーキをかけ、 立ち止まることが、必要ですね。 自分の子どもや学校の子どもたちに対して、できるだろうか? 「信頼して待つ」ことのできる大人に なりたいです。・「あらゆることに対して、 みんな自分の都合のいい結果になることを成功だと思ってる」・「私は自分にとって都合のいい結果を求めて得られなかったから、 そこから逃げたんだ」・「結局、どこにいようと 自分が頑張ったぶんしか、 人は幸せになることはできないんだと思う」#アメリカに留学した千里さんの言葉。 カリスマセラピストの石井裕之さんの音声ファイルを聴いたときに、 「みんな自分の都合のいい結果になることを成功だと思ってる」 というようなことを聴いた覚えがあります。 自分の都合で、成功だとか失敗だとか、 いい人だとか 悪い人だとか。 結局自分のことしか考えていない。 「自分」という言葉、 あなたには どう響きますか?・自分の好きなことに正直に、真正面からぶつかる。・「使命とは文字どおり、 自らの人生を何に使うのかということを 自分で決めることだ。 そして、自分の命は限りある有限なものだと 強く認識した者ほど、 自分の使命が何か考えようとする」#老人 三品さんの言葉 命は限りがあるからこそ、輝かせられるものなのかもしれません。 自分の命の有限性と、 その使命を思います。・「私の成功は出会いによってもたらされました。 出会った方々のおかげです」・問題は「今できることは無限にある」と思えるだけの想像力が 育てられているかどうかです。#著者あとがきより。 僕はすでにすてきな出会いを与えられていると思います。 だからこそ、「今できることは無限にある」と考えて そのチャンスを生かすようにしていきたいです。============================= ここまで読んでいただいてありがとうございます。 応援していただける方は、ぜひクリックをお願いします。↓ ブログ王ランキング
2011.02.14
コメント(0)
1.17近辺の「阪神淡路大震災」に関連する学習について資料を調べていた時に、ひとつの児童書に行き当たりました。震災関係の児童書を紹介していたWebページがあって、そこで知りました。 (▼将君のホームページ 阪神淡路大震災 図書 より)震災の起こった年、1995年の発刊です。 さっそく『あしたは元気!!』という書名で、図書館で検索。近所の図書館ではなく、市内の他の図書館にあったのでWeb予約。そして取り寄せて読んでみたのですが、これがとてもよかったです。神戸市、芦屋市を中心として、震災当時の子どもたちのドキュメントが、当時の様子がとてもよくわかるように収録されています。読みだすと止まらなくて、涙ながらに読み終わりました。全部で7つのドキュメントが収録されており、最後の話は、僕の前の勤務校、芦屋市立精道小学校で亡くなった4年生の子の話でした。でも、精道小学校勤務当時に、この子の話はほとんど知りませんでした。こういった児童書にまとめられていたとは驚きです。震災当時のことを知るうえで、またとない児童書です。現在、絶版のようですが、地域の図書館や、古本で出回っている分でお読みいただけると思います。登場人物の名前は、一部仮名に差し替わっているようですが、実名のままの記載も多く、また、実際の写真が白黒ですが収録されていて、「本当にあったこと」ということが実感できます。基本的には、悲しいお話、ということもあるのですが、「悲しいけれどがんばっている話」といったものが多く、どの話も、希望が持てる終わり方になっています。こういう本は、ぜひ今の子どもたちにも読ませてあげたいです。僕が読み終わった本は、これから図書館に返すのですが、amazonで中古でネット注文しました。現在の勤務校の図書室に寄贈したいと思っています。 (^0^)いつも読んでくださって、感謝します! ブログを応援してくださる方はクリックしてください!(^^;) ブログ王ランキング
2011.02.12
コメント(2)
3日前に知った「ある作文」。読んでいるうちに、目が離せなくなりました。紹介したくてたまらなくなったので、紹介します。中学3年生の作文。昨年の「少年の主張」全国大会で、内閣総理大臣賞を受賞しました。===============================「命」 「ごめんね。ごめんね。」夢の中の母は、泣きながら私に何度も何度も謝っています。母の癌が発覚したとき、そのお腹の中には一つの小さな命が宿っていました。でも、抗ガン剤を投与すれば、必ず赤ちゃんに影響が出てしまいます。看護士だった母は、そのことを誰よりも知っていたはずです。それでも母は、お腹の中の命を自ら奪ってしまった‥どんなに悩み、苦しんだことでしょう。生まれてくるはずだった私の弟妹‥。でも、もし母の選択が間違っていたら、幼かった私の中の母の思い出は、もっともっと薄らいでいたかもしれません。母は、自分の命を選んだのではなく、幼かった「私」を選んでくれたのだと思います。「この子を残して今は死ねない‥。」と。私が小学2年の11月、母は、再び倒れました。誰かを呼ばなくてはいけない。初めて見る母の苦しむ姿に、私は声も出ず、金縛りにあったように立ちすくむだけでした。やっとのことで父を呼ぶことはできたものの、再入院。それでも、「死」とは、老いていく人からという安易な考えを持っていた私‥幼かったとはいえ、今もその時の後悔を引きずる毎日です。春になろうとする頃でした。父から「お母さん、死んじゃうんだよ‥。」と知らされました。悲しくて悲しくて、庭の花を見ても(何呑気に咲いているんだよ!)と憎くてたまりませんでした。そして、どんなに父に諭されても、「お母さんは絶対に死なない。」と、自分に言い聞かせていました。しかし、その思いを裏切るかのように、母の顔色は日に日に悪くなっていき、ついにはしゃべることも困難になりました。そして‥私が三年生になったばかりの四月九日、母は天国に旅立ちました。 病気になっても、母は私の前では笑顔でした。でも、その笑顔はいつも辛そうで、必死に消えゆく「命」と戦っていたのです。遺影の中で笑う母の笑顔、泣きじゃくる私を抱きしめてくれた父の震える腕。どれもが「命」そのものでした。今日の新聞にも殺人事件の記事が載っています。コンビニのトイレに生み捨てられていた赤ちゃん、自分の欲望のためにいとも簡単に、あたかも人形のように無惨な姿にしてしまう命の終末も絶対に許せません。不況の中、自殺者も増えています。母の苦しみを思うと、安易に命を奪ったり、自ら生きることをあきらめたりすることに腹が立ちます。その命はあなた一人のものではないのに。お母さんから与えられたはずの大切な「命」なのに。簡単に捨てないで!!一つの「命」がこの世に誕生することは、四億分の一の確率だと言われています。奇跡なのです。命はいずれ無くなりますが、自分で落としたり、他人が奪ったりしては絶対にあってはなりません。私の周りにも親を亡くしてしまった友人がいます。でも、精一杯生きています。「命」をしっかり受け止めています。どんなにつらくても、それを乗り越えてこそ「命」には価値があるのではないでしょうか。人はこの世で何か役割を背負って生きていると思うのです。母の役目は、きっと私に命の大切さを教えることだったのかもしれません。 母は今日も変わらない笑顔で私たちに微笑みかけてくれます。病魔と必死に闘い、その一生を精一杯生き抜いた母を私は誇りに思います。 「お母さん、もう謝らないで。 私は大丈夫だよ。 元気だよ。お母さんからもらった命を大切に、 大切に生きているよ。」<静岡県沼津市立第三中学校3年 内村 綸笑> ===============================ここまで気持ちの入った作文を僕は知りません。お母さんの気持ち、それから「私」の気持ちを思うと、胸が張り裂けそうです。「命」の重み、ありがたさ。広く、多くの人に知ってほしい、感じてほしいと思います。 これを知ったのは、あるメールマガジンでした。『てっぺん大嶋啓介の【夢エール】Vol.1131』。そのメルマガも、別のメルマガで紹介されているのを受けてのものでした。(『ドリカムキャンプ 輝けみんなの夢力』)人に伝えたくなる、力を持った作文です。紹介していただいた臼井さん、大嶋さん、そして作文を書かれた内村さん、素敵な作文をありがとうございました。 (^0^)いつも読んでくださって、感謝します! ブログを応援してくださる方はクリックしてください!(^^;) ブログ王ランキング
2011.02.11
コメント(2)
今日は職員会議でした。1月17日の取り組みと、それに向けての「震災に関する道徳授業」についての提案・呼びかけなどをさせていただきました。震災授業については、昨日有意義な研修を受けてきたところです。「良いと思ったことは皆さんに広める」というスタンスのもと、研修でお聞きしたことのうち、「写真を見せる」場合の留意点を、特に2つにしぼってお伝えしました。1つは、震災当時の写真と、復興した後の今の写真を並べて提示することで、子どもたちに気づきを促す方法。 講師の方は「比較することは学習の基本だ」とおっしゃられていました。僕もそう思います。もう1つは、「子ども達の目の高さから見た写真と、そうでない写真」についてです。震災被害の写真には、いろいろな角度から撮影されたものがまじっています。空から撮影したもの、民家やビルを正面からアップにしたもの、被害の様子を遠くから広く捉えたもの・・・。子どもたちに写真を提示するときに、こちらのねらいとしては、「想像力をはたらかせてもらいたい」と思っています。壊れた建物や広い範囲の焼け跡を見せることも場合によってはありますが、「こわい」「かなしい」「かわいそう」といった以上に想像を働かせることがなかなかしにくいことが多いです。これが、子どもの目の高さから見た写真であれば、想像力を働かせやすい。また、モノだけでなくヒトがうつっていると、「あの人はどうしたのかな」と想像を働かせることになる。たとえ人が写っていなくても、建物の写真を見せた後で、「じつはこれは病院なんだよ」と知らせると、途端に、「お医者さんは? 患者さんは? 看護師さんは?」と、人がどうなったかが気になり始めます。「モノから人へ」大変大事な視点を提供していただきました。 震災関係の取り組みについては、僕の方で1月17日当日の追悼集会の司会と、映像や画像の提示を行うことになりそうです。全校生の貴重な時間をいただいての取り組みになります。去年同様、しっかり準備していきたいです。 (^0^)いつも読んでくださって、感謝します! ブログを応援してくださる方はクリックしてください!(^^;) ブログ王ランキング
2010.12.08
コメント(0)
今日は防災担当の研修がありました。神戸市での震災教育の今を、お聞きしました。大変有意義な研修でした。講義を受けた後は、少人数での授業案立案。16時までのところを、20分オーバーして、学習指導の流れを考えました。教材は『明日に生きる』の中の、黙とうに関する小学6年生(当時)の作文です。同じ地域の他の先生方の考え方にふれ、大変刺激になりました。研修後、学校にとんぼがえりし、さっそく校長先生と相談しました。「震災に対する学校をあげての取り組み」についてです。僕の中では案はあったのですが、今日の研修が具体的に動き出すきっかけとなりました。勤務校では初めてになる「1.17追悼集会」を明日の職員会議で提案します。震災を風化させないために、経験されてきた先生方の協力を呼びかけ、学校をあげての取り組みをしていきたいです。 今年は、希望して「防災」の校務分掌を持たせてもらいました。防災担当としての初めての1.17を来月迎えます。兵庫県での震災教育の取り組み、他校での実践もぜひお聞きしたいです。コメントお寄せください。よろしくお願いします。 (震災関連過去記事 ▼震災当時の様子をお聞きする(2010年01月24日) ) (^0^)いつも読んでくださって、感謝します! ブログを応援してくださる方はクリックしてください!(^^;) ブログ王ランキング
2010.12.07
コメント(0)
『君と会えたから…・・・』(喜多川 泰、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2006、1360円)『ココロの授業』の本の紹介中でしたが、わりこみで、喜多川さんの本です。これはブログに書かずにはおられない。前半は割と普通に読んでいましたが、後半は、一気でした。「ネタバレ」になりますので、お話を純粋に楽しみたい方は、まず本を読んでから、見てくださいね。=============================『君と会えたから...』読書メモ(・は本の内容、#の緑文字は僕のコメントです。)・「GIVEのリストとTAKEのリスト」#「これがほしい」という願いを単に書きだすだけでなく、 2枚目は「してあげたいことを書く」というところが新しい。 なるほど、と思いました。 人生は、「受け取る」ことと「与える」ことで、 バランスがとれているものなのですね。・「本当に目標にしていかなきゃならないのは、 2枚目に書いた、自分が他の人に何ができるかのほう。 一日一日を大切にして、 今日というこの1日も、2枚目に書いたことを 一つでも多く実現しようと努力しなくちゃいけない」・「2枚目のライフリストを実現するような毎日を送ることによって、 1枚目の内容を同時に達成することができる」・1日1回は自分でリストを見てチェックする。 「今日できるのはどれかな」・「いつか」ではなく、「今日」できることを考え始めると、 たった一日でも両親の幸せのためにできることはたくさんある。・欲しいものを手に入れるためにお金を払っているのではない。 それに携わった人に、「ありがとう」を届けているのだ。 (例)「180円」=「180ありがとう」#「円」を「ありがとう」と読むとは! この発想も、新しいものでした。・お金を儲けるということは、<ありがとう>を集めるということ。 ・自分の内側に明かりを灯すだけで、 コンプレックスや、今日の自分を作り上げるためにできた傷は、 その人の魅力を引き出す個性になる。・イメージするだけでいい。 心の中に光があるってイメージするだけで。 想像力は人間の持つ大きな武器。 「私の中にはね、小さな炎の塊のようなものがあるの。 小さな太陽みたいなものがあるとイメージするの。 そしてそれがどれだけ大きくて、明るいかなって考えるの。 私の外に漏れて、私を見ている人が眩しいと感じるくらい 大きいかな、明るいかなって」 「それをどんどん大きくしていくの。 誰よりも大きく、明るく、強くって思いながら、 心の中にあるその光をどんどん大きくしていくの。 それこそ、太陽のように大きく」・明日を生きることを約束された人なんてこの世に誰もいない。 どうしてみんな今日一日をもっと大切にしないんだろう。・「死を考えるということは、生を考えることだ。 振り子のように、片方の振れ幅を大きくすれば、 もう片方にも大きく振れる」・身近な2人の死は今まで以上に「生き方」を考えるきっかけになった。 「今日を生きているという素晴らしさに感謝し、 今日一日を精いっぱい生きる」 今まで以上に、そういう気持ちが強くなった。 しなければいけないこととしてではなく、 自分がやりたいこととして、強くそう感じるようになった。#僕の教育観に多大な影響を与えた「阪神淡路大震災」での、 亡くなった人たちについて語る教育について思うとき、 このことは非常に、うなづけることです。 本当ならまだまだ長い人生が待っていた小学生の死について 震災学習の取り組みの中で、痛烈に感じるものがありました。 そしてそれは、「僕はどう生きるのか」というところに、 つながっていきました。 「デス・エデュケーション」(死の教育)というものがあります。 詳述は避けますが、 いつもこういった観点が頭の隅をかすめます。 本当に大事なことを考えてもらう上で、 死を考えることは、本当に生を考えることであるなあ、と思います。=============================最後のことについて、著者の思いもそこのところが中核だったようです。以下に、楽天ブックスの書籍説明から、著者コメントを転載します。=============================【著者コメント】誰かの死を哀しいだけで終わらせてはいけない、生きることに振り替えなければ、そういう想いからこの作品は生まれました。「あなたは今生きている、だからなんだってできるんだ!」僕は僕の身近にいたある人達からこのメッセージを受け取りました。そして、一度しかない人生だからこそ、自分らしい最高の一生をおくってほしいという僕なりのメッセージを込めてこの作品を書きました。この作品が少しでも、若い方たちが生き方について考えるきっかけになってくれれば嬉しいです。=============================生きるということは、どういうことなのでしょう。どうしていくことなのでしょう。 再び自分に問いかけて、命を生かしていきたいと思います。 ありがたきかな、命。 ブログ王ランキング ▲内容がお役に立ちましたら、ぜひ1クリックをお願いします。
2010.09.28
コメント(0)
『音楽療法士のしごと』という本との対話を続けます。(^^)♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~◆『音楽療法士のしごと』との対話 その6==================: 本からの抜粋 : にかとまのコメント (絵文字以降)==================:人間というのは、 「認知」「感情」「運動」の3つの側面からできています。 問題なのは、 この3つのまんなかのことを教えていない。 (p114):はあ、なるほど。 「認知」だけ、「感情」だけ、「運動」だけをとりあげて 働きかけたり、向上を目指しているということはあるけれども、 それに寄りかかりすぎてる、 人間というのは、そんなに一側面だけに偏って見ることでは いけないんだ、と。:下の図は、人間が、この3つの側面をめぐりながら、 まんなかのいちばん上のスピリチュアリティ――つまり 人としての核のようなものを目指して、 螺旋的に成長していく様子を示してみたものです。(p116) (p115に記載された図):「発達は螺旋を描く」という言葉を、僕は気に入っていて、 自分のホームページに書いたことがあります。 あっちこっちいきながら、ぐるぐるまわって成長していく。 だから、ストレートに、効率よく成長だけを求めるようなものではないんだ。 けっこう今、効率優先で結果だけ重視するような風潮があるので、 「回り道してこその成長」ということは、ふまえておかなればいけない、 と思います。 また、自分の成長を考える際にも、 そんなにすぐにストレートに成功しなかった場合に、 それでいいのだと思える、おおらかさ・余裕につながると思うんですね。 「教育」というのも、そういう、どこかの側面だけに寄りかかるのではなく、 真ん中の部分の成長をめざすのだ、という本質的理解がないといけない。:(私は音楽療法士なので、) 最初から、そしてつねに、このまんなかを目指しているのが、 ほんとうの音楽教育なのではないかと思うんですね。 なんのために音楽をやるのか、 自分の「中心」は音楽とつながっているのか、 という根本的なことをいつも意識していることが大切。 この考えかたは、非常に療法に近い。 その人の人となりというか、人としての中心点を、 つねに意識する、そこを目指す、という姿勢ですね。(p117):人としての中心点、 それは、表面上のことや、ある結果上だけのことを見ていたら、 見誤るものですね。 中心は見えないからこそ、意識して推し量らなければならない。:人間や音楽を 全体として見る(Wholeness)。 これを基本にこれからやっていきたいなという 出発点になったと思います。(p119)「全体として見る」! Wholenessという視点。 いいですね。 マンガの「風の谷のナウシカ」の中に 「個にして全、全にして個」というセリフが出てきて、 僕はこれが非常に印象に残っています。 「個」をばらばらに見る時も必要でしょうが、 「全体」を見ることも必要。 Wholenessというのは、視野を広く持たないと見えませんから、 その意識は非常に大切、と思います。♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~引用文献: 『音楽療法士のしごと』(生野里花 、春秋社、1998、2000円)非常に深い話が、述べられていると思います。 この本、本当に大変おすすめです。(^0^) 「風の谷のナウシカ」も、いい本です。大人になってから読んだ方が、この本の深みがわかります。風の谷のナウシカ7巻セット(アニメージュ・コミックス・ワイド版、2970円) ↓応援のクリックを ブログ王ランキング
2010.07.29
コメント(0)
募金について、本日届いたメールマガジンからの転載です。(転載元はてっぺん大嶋啓介の【夢エール】Vol.1002)=====================子供の同級生が 心臓移植しないとあと半年の命の小学生がいます。 先日テレビスッキリでも放送されました。 【なっちゃんを救う会】 カナダでの移植には9,000万が必要です。 現在の募金が8,400万。 あと少しです。 皆さんの力を貸して下さい。 詳細はこちら↓ http://www.save-nacchan.com/ =====================ホームページ、今見てきました。なっちゃんは、とてもかわいい女の子でした。今、7歳だそうです。学校の子どもたちや、僕が今まで見聞きしたことのある、障害や難病のある子どもたちの姿が重なります。子どものためにできることは、少しでもやりたい気持ちです。金額的に多くできなくても、少しでも、募金ができればと思います。郵便局から郵便局への振り込みが一番手数料が少ないと思うので(^^;)ケータイメールに郵便局の口座番号を転送し、郵便局から振り込みします。目標金額まであと少しのようです。もし賛同していただけるようなら、あなたも、僕と一緒に募金してみませんか。 ブログ王ランキング▲内容がお役に立ちましたら、クリックをお願いします。
2010.07.09
コメント(0)
『不育症戦記 ~生きた赤ちゃん抱けるまで』(楠 桂、創美社コミックス、創美社/集英社、2010、980円)==============================お腹の中で、赤ちゃんが育たず流産・死産をくりかえしてしまう『不育症』年間患者数7万人以上妊娠女性の2~5%が直面している現実です。 ==============================我が家に赤ちゃんが来て、7か月になります。赤ちゃんを抱けるってしあわせ!ありがたい!っていうことが、本当に実感できる本です。著者の体験に基づくエッセイマンガ。現実にこういったことあるのだ、ということを知ってよかったと思います。本を読むことで、自分だけのことだけでなく、他の人の人生も知ることができること、それによって自分の人生やその周りを取り巻くすべてが、ありがたいものに変わってくるということ。知らなかったことを知らせていただけるありがたさをかみしめながら、楠桂さんや、不育症で悩まれている多くの方々に、思いをはせたいと思います。楠桂さんの絵柄は久しぶりに見ました。男性でも抵抗なく読める、マンガです。「不育症」という言葉はこのマンガを読むまで知りませんでした。こういったことがあるのだということを知ってもらうためにも、広くいろいろな人に読んでもらいたいと思います。 ブログ王ランキング ▲応援のクリックをお願いします。ブログ継続の力となります。 (「おすすめ本」のブログランキングに新しくジャンル登録しました。 まだ登録したてで実績がないので、ぜひ、クリックお願いします!(^0^))
2010.06.05
コメント(0)
『観音力』(玄侑宗久 ,PHP,2009,1100円)玄侑宗久『観音力』を読みました。仏教に関することや、心に関することが分かりやすく述べられています。「へえ!」と思うことが多くありました。===============================玄侑宗久『観音力』読書メモ1(「第1章 観音力ということ」より)・やめてもらいたいときに「もうやめなさいよ」と云う = はたしていちばん効果的なのか? ひねりが足りない・正しいことが好きな人というのは、 「はた迷惑かもしれないけど」という思いがない。・正面から説教しても絶対無理。 まずその人が食いつくようなエサを前に出さなきゃいけない。・観音というのは、相手に応じて自分を無限に変化させること。・観音さまは正しさを主張したりはしない。 応じて変化する力、これが観音さまの場合、とてつもなく大きい。・日本記録は数えで243歳。 江戸の天保年間 三河の国の百姓である満平さん夫妻が日本一だった。===============================↑最後の、長い聞記録の話、びっくりしました。 本当かな? いちおう理論上は、100歳を超えてもまだまだ長生きできると 聞いたことはありますが、それにしても243歳・・・! 第2章以降は、また次回。(^^)それでは! ブログ王ランキング ▲よければ1クリックお願いします。ブログ継続の力となります。
2010.05.18
コメント(0)
福島正伸『キミが働く理由(わけ)』の読書メモ。今日は第6回です。 『キミが働く理由(わけ)』(福島正伸、中経出版、2009、1300円)==========================『キミが働く理由』読書メモ6 (p138~154)(僕が線を引いたところの部分抜粋です。 #以下のミドリ文字は、僕のコメントです。)・すべての人に生まれた理由がある・きっと自分が必要だからこそ生まれてきたのだ・自分がいることで誰かを幸せにすることもできる ・難病の子どもたちは、人類を守るために生まれてきてくれた・電話を受けることだけでも、人に喜んでもらうことができます。・笑顔になるだけで、まわりの人に喜んでもらうことができる。 (#さだまさしの最近の曲で、「いのちの理由」という曲があります。 「私が生まれてきたわけは・・・」というフレーズが何度も繰り返されます。 初めて聴いたときから印象的で、その後も幾度となくふいに聴きたくなります。 CDアルバム『美しい朝』(2009、さだまさし、定価3300円)に収録。 ▼曲詳細は、この曲のシングルCD発売のニュースから 「いのちには理由がある」ということを ずっと考え続けています。) ・何かをなしとげることが成功ではなくて、 自分の使命を見つけ出すことが、本当の成功・ひたすら次の目標に向けて努力を続ける、 この過程状態にいる、ということが、自己実現 = 生きる意味・「何のために生きるのか」 というのがベースにないのに、就職しても意味がない・何をしていいかわからない人は、何をしてもいい (↑詳しくは、次回に続く!)(p154まで)==========================「働く」ということをテーマにした本から、「いのち」というところまで、根源的なところに降りてきました。働くことを考えることは、いのちを考えることなのですね。 ☆以下のブログランキング(読者投票)に参加しています。 当てはまるところをクリックしてもらえると、うれしいです。 ↓ためになった! ↓読みやすかった! ↓おもしろかった! ↓また来るよ! ブログ王 人気ブログ
2010.02.01
コメント(0)
1月29日に、勤務校の2年生を対象に「震災」の授業をするので、今日1日はその教材研究・準備にあてていました。授業準備にあたって多数の資料を提供していただいた当時の芦屋市内の学校の校長先生にお話を伺い、一緒に授業の流れの詳細検討をしていただきました。その中で、数多くの知らなかったことも教えていただきました。びっくりしたのは、子どもたちの「疎開」について。クラスの約半分の子どもたちが、よその学校に疎開。家が大丈夫だった家庭では、そのまま通学してくる子どもが多かったそうですが、トイレやお風呂に困る状況。あたたかいご飯は食べられず、基本的には毎食、「パンと牛乳」。それを知っている疎開した子どもたちは、疎開先ではご飯やお風呂にそれほど困らないにもかかわらず、ご飯をおかわりしなかった。お風呂も1週間に1回しか入らなかった。それほど、気持ちがつながっていたんだそうです。当時、学校は避難所となっていて、授業が再開になったといっても、別の学校の教室を借りての授業。卒業式だけは、自分の学校でぜひおこないたい、という思いから、6年生の担任の先生の呼びかけで、ボランティアが集合。体育館においてあった救援物資を動かし、スペースを作ったそうです。僕は震災当時、現地にはいなかったので当時の様子をこうやって生の声でお聴きできたのは、本当に勉強になりました。2年生向きの、60分の授業として教材研究を進めていますが、情報を入れすぎると子どもたちの集中力が持たないので、扱う内容を、今どんどん削っていっています。一方で、今日のお話を受けて、新しく追加したいお話もできました。授業で直接扱わなくても、僕の中でこういった情報を得て感じたり考えたりすることは決して無駄にならないと思っています。震災を語り継ぐ活動を今後も続けていくために、大変有意義な1日となりました。 ブログ王ランキング
2010.01.24
コメント(2)
前任校の追悼式の翌日の今日、今の学校での交流学級の子どもたちに、少し、昨日のことを話ししました。昨日のことがまだ心に残っています。なんだか、教室の中に子どもたちが並んで座っている光景がとても、ありがたくて、ありがたくて、ありがたくて・・・今いることが決してあたりまえなことではない、ということが今までになく、なんだか実感として感じられた今日の日でした。「子どもを怒る」などという気分には、とてもなれない日でした。どの子たちも、ただ、そこにいるだけで、いとおしくて、ありがたくて、ただ、それだけで・・・被災地ではない学校の2年生、ちゃんと聞いてくれるかなと少し不安でしたが、とっても真剣に聞いてくれました。昨日の追悼式のことは、新聞各紙でも取り上げられているようです。本当に、いい式でした。新聞記事はまだ読めていませんが、載っているのは確認したので、きちんと授業の中で震災のことを扱う前に、しっかり読んでおきたいと思います。 ブログ王ランキング
2010.01.18
コメント(0)
今日は1月17日。15年前の今日、午前5時46分、阪神・淡路を未曾有の大地震がおそいました。犠牲になって亡くなられた方、6434人。前任校の在籍児童も、8人が亡くなりました。その追悼式がおこなわれ、僕も出席してきました。日曜日ですが、児童登校日として、例年通り6年生の司会・進行、全校児童列席でおこなわれました。明日の月曜が代休となるようです。式の後で「1月17日の当日に追悼式をする意味は大変大きい」と校長先生から教えていただきました。前年度は土曜日と1月17日が重なったので、前日の金曜日に追悼式をおこないました。そうしたところ、職員から「やはり1月17日におこないたい」という希望が相次ぎ、今年は全く反対もなく、1月17日開催に決まったようです。震災の日の意味を重く受け止め、真摯に取り組んできた学校ならではの、職員の意識の高さを感じました。子どもたちの意識も高く、1時間の間、立ちっぱなしでしたが、じっとするのが苦手な子どもも姿勢よくじっとして話を聞いており、感心しました。遺族代表の6年生児童の言葉には、涙が出ました。たとえ、震災から20年、30年たとうとも、こういった学校上げての取り組みはぜひ続けていってほしいと思います。僕も被災地の学校にいた経験を他地域にも広げるべく、ささやかでも自分が教わったことを、語り継いでいきます。 午後は、阪急六甲駅近くの六甲幼稚園へ。合唱団TERRAの震災コンサートです。団のオリジナルである震災組曲『めぐる春に』でも、また同じように、涙を流しました。この曲も、広く知られてほしい曲です。(団のホームページにある今日のコンサートのpdfファイルに、 歌詞がちょっとだけ紹介されています。) ブログ王ランキング
2010.01.17
コメント(0)
図書館で借りた本なのに付箋を貼ってしまった。こんなことは初めてです。このブログを書いたら、付箋をとります。この本のことは、しっかり記録に残します。 『豚のPちゃんと32人の小学生 命の授業900日』(黒田恭史、ミネルヴァ書房、2003、2000円)僕は、「いのち」について考えることは、一番大切な授業だと思っています。自分の命も、他人の命も・・・そして、もちろん、毎日いただいている食べられる命のことも。この授業実践は、「ブタをクラスで飼い始めた」という、そういうことから始まるのだけれど、4年生から飼い始めて、6年生の卒業するまで、様々なことが起こります。特に、卒業前の1週間ほどには、ブタのPちゃんをどうするか、で、子どもたち同士のすごい話し合いが起こります。これは、実際にあったことだからこそ、すごいと思います。すごい、で片付けてしまうのが僕の言葉の至らないところです。筆者の黒田先生の、真摯な語りかけには、僕は激しく共感し、同意しました。教育とは何か、ということ。最終局面、「最終的には飼っていた豚を食べる」ということを思い描いていた黒田先生が、教師の思い描いていたレールからはずれ、子どもたちに最終的に任せるということがいいのではと思い始めたところは僕は、非常にこれは分かります。子どもたちが、すごいのです。先生がすごいのではないのです。ブタのPちゃんの存在が、クラスの子どもたちの、頭から離れない「問題」として共有され、何とか解決できないか、と紛糾する姿は、読んでいるこちらが巻き込まれてしまうパワーに満ちています。教育者であれば、ぜひ読ませていただきましょう、という内容でした。御一読あれ。 ・ところで、僕が付箋を貼ったところというのは、次のところです。(授業実践の内容や、子どもたちの様子についてのところではありません。 それらはすべてつながっており、一部分だけ切り取ることは困難です。 最後の方は、かなり圧倒的なものがありましたが、 それは僕の記憶に残る印象として、自分の実践に生かしていくべきものです。 付箋を貼ったのは、資料的な意味合いで、 調べてみたいことが書いてあったところです。)p10「鳥山実践に会う」 先行実践にあこがれたことが載っています。 鳥山敏子先生。 お名前はお聞きしたことがあります。 実践や著書について調べてみようと思います。 少し調べたところでは、なかなか鋭い批判もあるようです。p76 日本での豚肉の消費について、客観的なデータが書いてあります。 「想像を絶する豚が毎日豚肉に変わっている」 「たった6か月しか命がない」 (6カ月したら100kgの体重になり、食肉として処理される) というのが、驚いたことです。この本を読んだことを契機に、関連することを少し調べてみたいと思っています。「いのち」のことは、生涯をかけて、真剣に取り組みたいテーマです。(参考リンク)▼You Tube動画 「命の授業900日 豚のPちゃんと32人の小学生」 ▼Yahoo!映画 - ブタがいた教室 (映画情報)▼映画「ブタがいた教室」 公式ブログ時間がなく、上の参考リンクはまだちゃんと参照できていません。自分の記録のために、今日の日記に残しておき、後で読みに行こうと思います。 特に、動画は本でふれられていたTV放映そのものらしいので、きちんと見ておきたいです。家でネットで見られるとは、便利な時代ですね。 にほんブログ村
2009.09.25
コメント(0)
全27件 (27件中 1-27件目)
1