考える面白さはこの上なく美味/意識・人間・心・世界・なんでも・霊魂研究/世界は大激動し始めた

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2016.11.18
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11/18:有加筆:このスレッドの継続分にPCでは毎日加筆しているが、このところ加筆した分の一部・・・あちこちに加筆するので、その中の数か所・数パラグラフ(数ブロック)・・・


この「加筆形式#3」は、量がかなり多くなったので、ここに載せるには、(たぶん)11分割しないと納まらない──容量制限があるので──。ほかのサイトにもアップロードするので、総計で手間と時間がかなりかかる。そういうことなので、当分、加筆した一部分を載せることにしよう。





その前に:

・・・なまけ中・・・ナマケモノ中学校の非常に優秀な生徒・JK・・・ナマケモノ中学校のナマケモノコンクールで優勝・JK・・・とはいえそれでも毎日研究し加筆・・・




本論は世界初であって、今までにだれも唱えたことのない論であり唯一無二であって、その仮説体系そのものにかかわる文献も皆無である。

本原稿中の概念や「たとえ」そのほかは、正確・厳密ではない。記述においてもそうである。

本原稿は雑記であって、間違い、いいかげんなところ、訂正すべき個所が多い。
重複も非常に多い。
「対象や在り方」をひとつに限定したような記述をしている個所たちについていえば、「対象や在り方」が複数である可能性もある。つまり、そこでは他の可能性たちもある。

誤解を招く記述もある。
矛盾している個所たちもある。
整合性がとれていないところもある。
文・文章自体にも間違いがあるところもある。



本テーマについての科学的能力のない者の噛みつきを禁ずる。
とにかく揚げ足をとってはならない。ケチをつけてはならない。
誹謗中傷してはならない。
それらは傷害罪に当たる。



引用元の明記なしに、自分のもののごとく用いたら(盗用)、あとが大変なことになるのはわかりきったことである(引用元を記せば使える)。



「ここは公であり、衆人監視・環視の場である」
茂木さんのクオリアマニフェストから言ってもそうである。





本理論体系の理解を完全なものに向かわせるには、全部を読むしかない。複数の仮説がひとつの体系をなしているし、今までになかった概念が複数からまっているので、そういうことになる。









     心脳科学(仮説) 題目と説明



正式題目:
「心・意識・脳を総合したモデルとシステム明細をもつ、科学的で自然工学的な仮説sの体系なる理論」

別の題目:

(仮説は複数である:仮説=仮説たち=仮説体系=仮説たちの体系)



本原稿は研究途上にある雑記である。ある程度正確できれいに整えたものの、構成が不十分であるし、整合性がとれていない部分たちがある。重複も多い。かん違いや間違い、未熟さやケアレスミスなどもある。

ただし、内容においては、今の段階で必要なものはほとんどすべて盛り込んである。
また、タイトルの「システム明細」についていえば、まだ不完全だが、仮説上の自然工学的な数学的枠組みは提示できている。


本仮説体系の完成:2009年頃までに:by西山浩一(世界人、春楽天)

本書の原稿の一応の書き上げ:2012年6月by西山浩一

本書の原稿の加筆・推敲・校正:by 西山浩一

本書の原稿の発案・構想・構築・執筆者:西山浩一

(C)本原稿と表紙絵の著作権者:西山浩一

心脳科学研究所

(本原稿は、400字詰め原稿用紙換算で約1000枚の分量がある)



本原稿は日本国著作権法ならびに国際法によって保護されている。


本原稿のすべての著作権は心脳科学研究所(西山浩一)が保有している。日本国著作権法ならびに国際法は、用紙書面による著作権者の許諾なしに、本原稿を複製ならびに転載することを禁じている。

本原稿からの引用の際には、本原稿名を記すことを要する。







この「加筆形式#3」は、量がかなり多くなったので、ここに載せるには、(たぶん)11分割しないと納まらない──容量制限があるので──。ほかのサイトにもアップロードするので、総計で手間と時間がかなりかかる。そういうことなので、当分、加筆した一部分を載せることにしよう。


11/18:有加筆:このスレッドの継続分にPCでは毎日加筆しているが、このところ加筆した分の一部・・・あちこちに加筆するので、その中の数か所・数パラグラフ(数ブロック)・・・





☆





前回の分の前半に大幅に加筆・・・・・・








以下、いくつものセクションs(ブロックs)はメモとして書く・メモであるから、いいかげんなところもあるし、書き込み不足のところもあるし、考えついた順に並べていくし、構成もてきとうであって、この先加筆し整えていく、というスタンスにある・・・ついでに、日本語などのクオリア研究を・ここにでた「いいかげん」と「てきとう」は当初本来の意味からかなり~ほぼ反転していることに気づく・前にも述べたことがあるが・・・

・・・以下それらをどこかに加筆(とりあえずここにメモ):





・・・・・・筆者は、こういったまじめな文章においては、英訳のことをも考えて、「~というわけである」、「~というわけ」、の「わけ」を使わないように心がけてきていた――初めの頃は――。

なぜなら、「わけ」というのはもともとは「理由(分解し分けて分別し説明すること)」という意味であるが、普通のそういった使用においては、「わけ」という意味ではなく、「こと」「もの、もん(こどもが使う『もん』)」という意味になっている「こと」が多いからである・たぶん・・・ただし、理由を前にだしておいて、あらためて「わけ」と言うケースもある・・・・・・ここらあたりは全部調べて考察した「わけ」ではないので(さっそく、「わけ」がでてきた。このばあい、「そういう根拠にもとづいて」、という意味になっている。理由と根拠はかなり似たようなものだが《・・・あと、原因、も似た意味をもつが、原因、は科学的あるいは哲学的要素が多い ? ・・・日本語のクオリアの研究も奥が深い・・・》)、「根拠」としたほうがよさそうである。前に根拠をだしておいて、「~するわけ」と言ってるのがある程度(けっこう・このけっこうの意味も分析がめんどうだ)多そうだ? ・・・自信が(は)ないが、これからもそこについても研究していこう・・・。

そうであるがしかし、「わけ」を使うと日本語としてはとてもよいカッコウがつくので、使わないと、ふにゃけた文になる

(・・・ふにゃけた、というのは「ふにゃふにゃとふやけてさまにならない」あるいは「ふざけたような滑稽な可笑しみのある」といったような意味である・withJK・according to my dictionary which nobody knows)、

と思って使うことにして使うようになった(・・・筆者も普通の文章では使う。英訳をするかもしれない文章においては使わないように心がけていたが《「わけ」を英訳する多くのばあい、「前に述べた根拠によって」、と訳せばいいのだろうが》・・・という話しである)

――「そういう『わけ』である(これには理由・根拠がちゃんとはいっている)」――。

(またまた読みにくい文章になった。すっきりとさせるのは先の話しである。ただし、ここは眺めるだけで充分である)

で、以上と重なるところがあるが、おまけにこういった文章を書くにあたっては、英訳しやすいように、と心がけていた――初めの頃は――、しかし、途中からはそれをやめた――あまりにめんどくさいからである――。



・・・以上も、日本語のクオリア研究の中にある・・・。



・・・以上、この1ブロックもカッコと加筆が多くて、いつもながらもの凄くスーパーできそこないの読みにくい文章になつてしまつた。整理するのは先のことになる・・・まあ、たいしたことは言っていないので、ここらは眺めるだけで充分であるすが・・・。





もうひとつ:

物理数学で記述できない領域は広く深い・・・そういった領域は数理的・物理数学的に完璧には描写・表現・記述できない。

完璧ではないどころか、数理的・物理数学的にもぼんやりとしか描写・表現・記述できない(数理的・物理数学的にもぼんやりと描写・表現・記述できるだけである)。



そこにある可能性は・・・

1・決まりきっていない(非決定論で記述される《ここには記述問題がはいるのでややこしくなる》、というと問題がでるので、非決定であると記す)・非決定である(量子論に基づいて言ってもそうである)

2・「決まっている・決まりきっている」が、記述はできない

というふたつの可能性だろう。

(・・・以上についてのより深い内容は、本論全体にある・・・)

筆者は、「1」を採る(それについてもあちこちで既に述べている)。



(加筆)





3っつめ・・・:

断食をすると、条件反射的な~ノイローゼ的な反応が消える、ということを20年以上前に知った。

タンパク質が代謝されてそういうことになるのだろうか。

大隅さんの研究~オートファジーの機構・機序がかかわっているのだろうか・・・。

タンパク質はそういった方面の情報物質であるということの証拠かもしれない。

ただし、普通の記憶は消えない・・・ここはどうなっているのだろうか。

タンパク質以外の情報物質的素子についても考慮すべきだろう、とも言えるか ?。

・・・そこらのところを推測するに・・・前者の「条件反射的な~ノイローゼ的な反応」に仮にタンパク質という情報物質(仮説だが)がかかわっているとして、そういうシステムにかかわるタンパク質は断食で代謝される・なぜならそれは人間に苦悩~不都合をもたらしているから、と考えてみることはできる・そういう機序があると。

一方、後者の記憶のばあいは、代謝されない機構がある、と一応考えてみることはできる。

・・・とはいえ、ここでクウェスチョンマークが頭の中を乱舞し始めるのを止めることはできない・・・といふのは・・・記憶にも人間に苦悩や不都合をもたらすものもあるし、条件反射的な反応にも、人間に好都合な~有効な反応もあるわけだから・・・と混迷してくる・・・・・・





さらにもうひとつ・・・先にのべた日本語関連・言語関連で・・・日本語の長所などについて・・・

本原稿に載せている英文は(ほんの少しだが)、初めから英語(筆者はengleeeeseと呼んでいる――ちなみに日本語はjapanishと呼んでいる――それに関連して逸話をネット上に書いたことがある――しかし以下、engleeeeseと書くのはめんどりくさいではなくめんどくさいので、英語と記す――検索も効くことであるし――)で書いた――辞書を使いながら――。

で、本原稿全部を最初から英語で書くとどうなるか・・・もちろん辞書を用いながらだが・・・そのばあいは複雑すぎる文章なので時間がかかりすぎ滞ってうまく書けないだろう。おまけに書くべき内容を忘れてしまうことも多いだろう。

・・・告白すると・・・ネット上に書いたことがあるが・・・筆者は、学校の勉強においては、予習復習などせずに一応授業を聴いて一応ノートをとるだけ、試験勉強もしない――

(・・・わずかにしたことはあるが。大学のゼミで担当になったときは勉強した。あとは好き勝手なことをやっていた。・・・ただし車の免許を取るときペーパー試験については普通に勉強した。・・・車の免許がでてきたついでに・・・免許は自動車学校《教習所》に行かずに取った。こどもの頃からおやじの運転を見ていて、かんたんだな、と思っていたからだ。で、初めて自動車免許の実技試験を受けたときは、過去に私有地内でちょこまか車を動かした程度で、車で普通の速さで走ったことがなかったので、なんかふらふらする走行になった~フラダンス走行www――そういうことにまでは考えが及ばなかった――。それ以外はまあまあだったんだが――坂道発進などはお手のものだったが――、but失格(爆)。で、試験場のとなりにある、練習場で何回か走って、ふらふらフラメンコを直した。・・・そして・・・そして・・・実技試験7回目でやっと合格(爆)。試験が練習、といった感じだった(笑)(――筆者のばあい、「わかさ」は「ばかさ」「ヴァカサ」である、と言いたくなる――)。・・・・・・この回想文章も心脳研究の一端にある・・・心脳は超複雑であり、安易なやり方では攻めることはできない・・・)、

――とゐう実にいいかげんで不真面目な生徒・学生だったので、そういった英文を書くにあたっては、辞書をひかないと書けない――たとえば、数年前にネット上で英文を書いたことがあるんだが、そのとき「world」を「warld」と書いたくらいのものだ(・・・実際「world」は「warld」になっていきそうだが・・・オトロティア・・・)。

(――しかし、英文法は、授業を聴いていたので、一応頭に入っているつもりだ・・・そこは救いで蟻蟻が鯛・・・・・・蟻ついでにすべってころんで転調して・・・筆者の家のダイニングには蟻が出没する。食べ物をてきとうに置いておくと、たくさんの蟻たちが群がってくる。まあ、それは昆虫のペットを飼っている気分になれるということで蟻蟻が多居・・・これは日本語のクオリア研究を交えた脱線話しwithジョーダンだすた・・・・・・硬い研究や話しがつづくと、ときどきふにゃけておちゃらけるのが心脳には必要である~そうすることによって、心脳のストレスも解消され心脳もからだも柔らかくなり能率もあがるのであるから・・・以上これも心脳研究の中にある・・・と締めておこふ・・・――)。



さて( )の前に戻って・・・そういうことで、本原稿全部を初めから英文で書くことにはムリがある。

仮に、筆者が英語に熟達していたとしても、英語では本原稿は書けないだろうと思う。

しかし、日本語では書けるし、日本語で書いた本原稿を辞書を用いながら英語に翻訳することはできる――既に一部を行っている――すかすめんどうが臭すぎて鼻がひん曲がる(伴JK)――よって、それは滞ってゐる――。



さて、以上に関連して・・・日本語は、実に豊かで内容の濃い言語であると実感する~豊穣の海だ・・・このばあい、主に書き言葉について言っているんだが・・・色、匂い、状況、映像、感情、などが付随しているような感じの漢字――それらを全体把握のイメージ・感性・五感脳(空間や音楽、画像・映像をも含めて全体的に情報処理する)である右脳が情報処理すると言われている――、それに加えて、ひらがな、カタカナ、ローマ字、算用数字、――それらは、逐次分析的・言語・論理脳の左脳で情報処理される(視覚・聴覚からの情報をも含めて――ただし、全体把握の右脳での情報処理とは異なる)と言われている――、それらすべてが組み合わされた文章を、日本語では用いているわけである。まさに、全脳を用いているといえる・・・当然、心器もそれに参加している・・・そういうことなので言えることは・・・日本語の文章を読むにあたっては、把握理解の程度が速く深く高く濃く、書くにあたっても、読むことにおいてと同じようなことが言え、さらに発想をも促され、非常に柿安いではなく書きやすい、ということであり、そう実感する。

つまり・・・日本語の文章は、読み書き・把握理解・発想などにおいて、非常に効率が高く有効である、と実感するし、日本語の文章の文字体系~文法体系から説明してもそうである、ということである。

・・・「文法体系」をだしたついでに・・・日本語の助詞は非常に意味機能性が高いし、論理的である。助詞を正確に用いれば、基本的な語順から離れて、好き勝手に自由な語順でいくこともできる――つまり、助詞が素晴らしい機能――意味をもたせる――を発揮する。――日本語は、特にその書き言葉は、柔軟な軟体的基盤と舞台をもち、おまけに、立体的かつ曲線的で有機的、という感じか・・・。・・・一方、英語は、基本的に語順で意味を構成し(倒置法はあるが)、動詞が品詞語(目的語、補語、など)をコントロールしているというか――動詞のあとにくる品詞語の並べ方は決まっており、品詞語sを並べていき、その上さらに補うように言葉を加えていくだけだ。――英語は、特にその書き言葉は、硬直して頑固な堅物、くわえて、直線的で平面的、という感じか ?・・・・・・。



・・・・・・ここで、気づくことがある・・・以上を本論で述べている内容とすりあわせると・・・

右脳はh(t)的、左脳は心器的なディジタル的情報処理の世界、ということに気づく。

しかしだからといって、左脳が「意識器的」だということにはならない――

(――その説明は省略するが、その解説のできる方は本論の一部をよく把握理解してゐるとゐへるでせふ――)

――似た面がある、ということである。・・・・・・



さてそこで・・・日本語自体は、手順言語――手順どおりに単語を並べていく――

(これも筆者の分析結果と名づけにあるが)

――であるが、漢字を複数組み合わせた漢字語においては、並べる語順は英語――反手順・結論優先言語――

(これも筆者の分析結果と名づけである)

――と同じケースが非常に多い。



・・・で、つまり・・・日本語の文章においては、上述すべてを用いて、非常に高度な情報処理を行える、ということになる。



したがって、どんな対象領域を扱うにしても、日本語はうってつけである、といえるだろう。

日本語に比べれば、英語の書き言葉は薄っぺらで貧弱である、と言いたくなるがwww、そういう実感は間違っているかもしれないのでそうは主張しないでおこう(主観と客観~個人的客観と完璧な客観などの複雑な問題がここにはある――それについても既にある程度述べている)。

・・・ついでに・・・貶したあとは褒めておこう・・・それでこそバランスがとれるというものだ・・・

英文法はたいしたものである――数学的というか論理的というか、そういった要素が非常に多い。

・・・一方、日本語は、情緒的な要素をふんだんにもっている。しかし、日本語も論理的に用いようと思えば、英語のように論理的に使うこともできる。論文的な原稿書きにおいては、論理的に用いるのが効果的であるが、それ以外で英語的に用いると、日本語の尾も白い虎ではなくて面白いところ~醍醐味が減じられ、詰まらなくではなく気分が詰まってしまってつまらなくなる~読み書きにおけるストレス解消の程度も減る、ということが言える。・・・ここの最後半は日本語のクオリア研究を交えてのふにゃけた駄文ですた・・・・・・。



まあ、とにかく、筆者は日本語環境で育ってきた「わけ」で(という根拠・理由をもって)(ので)、(それゆえに)、本原稿も書けるのではないか、という実感がある、ということであるす(――これをも主張したくて、ここらあたりを書いてゐるとゐふところもあるのじゃす――)。



さらに参考を・・・日本人には、文章を書くとき、「私」、という主語を省きたがる人が多いようである(特に、昔は)。さらに、代名詞で人を指すことをも避けたがる傾向にあるようだ(特に、昔は)。多くの日本人にはでしゃばるのを回避したいという心理があるからだと思う。そのほかでも主語を省く傾向がある。決めつけるのを好まないからだろう。多くの日本人は、ぼかす、ぼやかす、

――綿毛や羽毛のように――、

ことを好む傾向にある。

――(それに関連して参考を・・・「空気を読む」――「周りや全体の傾向を読みとってできるだけそれに合わせるようにする」――、とか、「和をもって尊しとなす」、などといった、かなり多くの日本人の気風・気質、という実態があるだろう。近頃ではそこから脱している人たちもけっこう多くなっているようだが――先に記した代名詞などの件をも含めて)――

・・・( )の前に立ち戻って・・・しかし、それによって、わかりにくい文章になる傾向がでてくる(――まるで不確定性原理のもとにあるかのようだ――)。

いい面があれば(このばあい「謙遜の美徳」)、困った面がそれに付随して発生する(このばあい、「文章がわかりにくくなる傾向がでてくる、ということ」)、という実態になるわけであるが、質の科学における「質の対生成」と「質時間回帰則」、から言ってそれは当然なんだろう。



・・・それらに関連してついでに記すと・・・以下これは以前読んだ書物などから得た知見などを総合して考えた内容をもつが・・・

日本は島国であり、昔は稲作(農業。それに加えて漁業。もちろんほかにも産業は多い)などで生活が成りたっていた。米――主食(この概念は外国にはないようだ ? 「主食=主にエネルギー源プラスアルファ」、「必須栄養などの補給のための食材料理=おかず」といえると思う)、――さえあれば、とりあえず生きていける、という状況に当時はあったと思われる。つまり・・・多くの人々は主に稲作に忠実であれば食べていける社会であった(ほかにも、漁業、稲作以外の農業、食品加工、その他がある・あったが。産業や仕事としてはさらにさまざまある・あったが)。

・・・さて、以下述べる内容は、稲作についてだけでなく、他の分野s――人びとが仕事とする――においてもかなり当てはまる内容(状況・実態)だったはずであると思われるが、ここではわかりやすくするために、象徴として稲作に注目しよう・・・

少し前に戻って・・・したがって、別に冒険をすることなく、米栽培の順当なやり方に従うのが、もっとも安全であった、といえる。そこから、多くの日本人の心性が選択され固定されていったのではないか。さらに、日本では、社会に調和しない人の逃げ場が少ない――極言すれば、海の外に出て行くしかない――という要素もかなりあった、といえるだろう・・・・・・――となると、イギリスなどのほかの島国はどうなんだと、という設問もでてくるが・・・

日本について言えば、外国から逃げてきた人たちが多く? イギリスについて言えば、外国から(略奪しに)攻め入った人々が多い? 

逃げてきた人びとには優しい人たちが多い?

攻め入った人々には、強烈な人達が多い? といったところだろうか ? 

で、日本では、そういった歴史――「心性が選択され固定されていく歳月」――が非常に長いが、イギリスではかなり短い、と思われる。 

さらに、人種・民族の性質・気質という実態も効いているだろう。

・・・・・・とはいえ、デンマーク人――だったと思うが――は、デンマーク人の特定の人物――名前は忘れてしまった――デンマークで有名な人物・思想家だったと思う ? ――の影響で、競争を排除し人より抜きんでることを避けるようになった、そういう人が増えた ?、というような内容を記した文章を、ネット上で読んだことがあるが・・・それには感嘆してしまった――・・・

・・・――つまり、教育は効く、社会に流布されるものは流行ひいては風潮をつくっていく、ということだろう――ただし、人類全体を考えると、質の対生成と質時間回帰則のもと(下か許と書く。元と書いていたのを訂正。漢字の悪い面が感じられる)にあるから、単純にはそういったことを断定はできないだろうが・・・・・・



・・・上に加筆が入ったので、少し前に戻って・・・日本にも騎馬民族が入ってきているだろう。埴輪を見ればわかる。

(――埴輪はなんとも優雅だ・・・スーツのような服装~ズボンも~をまとっているし・・・それら埴輪の人物は欧人のような顔立ちをしている――埴輪の人物像の中には、腕と手で「しぇー」のポーズをとっている像もある《赤塚不二夫さんの「しぇー」は埴輪からの発想だったのだろうか ?》――さらに、埴輪の馬などは非常にかわいく造形されている。それはキャラクターのキティを思いださせる――)

・・・カッコの前に戻って・・・騎馬民族~狩猟民族は強烈な性質をもっている・いたと思われる。しかし彼らはリーダーによく従う・従ってきた――つまり、彼らは自分の能力と実力を認識しており、その認識とリーダーに素直に従うということだ(――日本人はそうではない、というところがある程度ある――)。

強烈な彼らだが、戦いや狩などが連続する大昔~昔においては、優秀なリーダーに従うのが生きていくためにベストだっただろう。よって、リーダーに従っていたのだろう。――彼らは、能力や力を実証した人物をすなおに尊敬するようだからそう言えるだろう(・・・まあ、中にはひねくれ者がいるだろうが――)。



で、日本について述べたことに重ねて述べると・・・そういったこと――「心性が選択され固定されていくこと」――についての歴史が長い地域では、激しい気質も淘汰されるし馴化される。

イギリスのそういった歴史は日本に比べてかなり短いので、まだ、「淘汰と馴化」の程度が小さいのだろう。

・・・以上、つまり、民族の元もとの性質の傾向などと「淘汰と馴化」の程度の歴史などを考えると、日本は歴史が長いので、日本人の性質・特性が、今のようになった、イギリスは侵略されてからの歴史が短いので必ずしもそうではない――強烈さがかなり残っている――、という内容を記したことになる。――ほかにもありそうだが、「そういったことプラスアルファ」と一応範囲を広げて記して、ここのセクションを一応締めよう。

・・・・・・残念ながらこのセクションは(もw)説得力に乏しい ? 構成もいいかげんであるし・・・・・・





・・・・・・さてかなり前に戻って・・・さふゐふことなので、世界中の皆さん方、これからは日本語を学ぶとよひのではなゐでせふか(笑)・・・・・・





ついでにもうひとつ・・・

大宇宙・世界には、「意識」が存在する。

・・・それについては既に念入りに述べている。

さて、「意識」は、あらゆるさまざまな情報を「意識し味わう」。

普通には、「意識器・意識体」は「心器(知性体)」と結びついて、「心器」が情報処理した情報――心的内容――を「意識器・意識体」が「意識し味わう」(――そこには逆フーリエ変換的変換がある――・・・それについては既に何度も述べてきている――)。

つまり普通は・・・「意識(器)・意識体」は「心器(知性体)」をもった存在と結びついていく→その結果→結びついている。

つまり一般的には・・・「意識(器)・意識体」は人間のような「心器(知性体)」と「意識(器)・意識体」をもつ生物に宿って生まれてくるのである(――ここに2回でている「意識(器)・意識体」は、結局同一の存在といえる。わかりにくいが、こう記すしかない――)。

以上の理解においては、「意識」、「意識器・意識体」、「心的情報処理」、「心器(知性体)」、についての「必然必須の定義」を把握理解していることが前提になる・・・それについても既に何度か詳細に述べている・・・



・・・ここに初めて「意識体」という用語を導入した。「知性体」は控えめながら過去に導入していたが、ここで、「知性体」を用いるのなら、「意識体」も導入すべきだと思い至った。

そこらの解説をなしてみよう・・・

まず、「意識」という「概念実態」は、「自分という純粋意識」と説明される(詳しくは本論の本体に(で)何度も述べている)。

で、その「意識」が発現する「フィールド(個別的で一体的なフィールドである――既に詳述している)」が「意識器」である。

くわえて、「意識」と「意識器」を併せた「存在」が「意識体」である。

つぎに・・・

「心」、「心器」、「知性体」、について述べよう。

「心」という「概念実態」は、それが脳との間で「理活・知性的活動(心的活動)」をなして、その結果の情報(心的内容)を「自分という純粋意識」に送り込むという「事象・実態」そのものである。

その「心」が発現する「フィールド(個別的で一体的なフィールドである――それは意識のフィールドとは異なる――既に詳述している)」が「心器」である。

さらに、「心」と「心器」を併せた「存在」が「知性体」である。





・・・この直近セクションの説得力もいまひとつ(いまいち)弱いだろうか ? ・・・実証するしかないのだろうか・・・





・・・以上、いくつものセクションを並べたが・・・それらも、人間や言語のクオリア研究と心脳研究になっている、と締めておこう・・・・・・。







さらに・・・





設問用:



「当然の流れ・質時間回帰:質時間回帰によって世界中が破れかぶれの時代に突入してしまっている・それは当然の流れである・質時間回帰だ」という文言について解釈~説明すること。



「質時間回帰は完璧になされる:質時間回帰・人間は、やりたい放題をやって生きていけばよい、ということだ――後から(○○を通じて)100パーセント正確な恐ろしい報いがやってくるだけのことだからである・質時間回帰は完璧になされるのである」という命題の解釈をなし解説すること。



「質時間回帰・○○○○の○○○○では桁外れに大変な災いが起きる・質時間回帰である」という文言について、さまざまなケースを想定して、それらを解釈し説明すること。



「質時間回帰・超○○○の逃避地では桁外れに大変な災いが起きる・質時間回帰である」という命題について、さまざまなケースを想定して、それらの解釈をなし解説すること。









加筆用:



アメリカの物理学者ジョン・ホイーラーが考案した思考実験を基にして、

オーストラリア国立大学の物理学者アンドリュー・トラスコットなどが実際に行った。

(他にも実験した科学者がいるようだ)



ホイーラーの遅延選択思考実験が現実の実験で検証・実証されたので、彼らの主張する結論は「観測されるまでは現象はない」「量子論的現象は観測されるまでは現実の現象ではない」といったことになる。

・・・さてここで、以下のように考えれば、彼らの得た解釈~認識~知見の説明がつく・・・

二重スリット実験:

「宇宙の本源(分析思考していくと、意識の外・そとには何があるかわからない、という結論に至る。それについてほかのところで詳細に解説している)~心器(知性をもつフィールド)」での活動という実態が結論され、そこで現実の現象はなんらかの情報として決定される。

その情報が意識器で(あるいは意識器に入る過程で)変換され意識器でh(t)として意識し味わわれる。

それらはリベットの実験事実と同類である。

そこでは、現在が過去に影響を与えた・現在が過去に干渉した、そういうふうに見えるが、そうではなく、h(t)となるのに少し時間がかかる、ということと、意識の中では現実の現象は、h(t)としてしか意識し味わえない、ということである。

で、「宇宙の本源」において、量子論的確率のもとに、事象が発現する、ということである。

「宇宙の本源」に時間はない。

以上によって、ホイーラーの遅延選択思考実験の実験結果にも説明がつく。







太陽活動の変化~周期をも含めて、太陽エネルギーの放出の変化について・・・

以下これは思いつきであるが・・・それをたとえて言うと・・・井戸から地下水をくみ上げることを考える。その地下水が太陽の放出するエネルギーのたとえである。

で、大量の汲みあげが続くと、地下水が減り、汲みあげることのできる量が減る。

そのあと、遠くから地下水が大量に流れてきてそこの地下水の量が増えると、また大量に水を汲みあげることができるようになる。それが、また太陽が活発になり、より大量の太陽エネルギーを放出するようになる、という実態のたとえである。

ただ、太陽内部で、元素などの混合状態が変化し、太陽活動が低下し、その後それが回復したら、また太陽活動は元に戻り活発になる、という可能性もあるが、それも結局は直前のようなことになっているのではないか、という思いが湧いてくる。



地球上の生命エネルギーについても同じことが言えるのではないか。

そこから、地球上に生存できる生物の数~総量には限界・上限(それも変動する)がある、という可能性を考えることができる。







☆






☆




新しい時空の理論:

「ツイスター+ひも=時空の謎解き~日経サイエンス2010年8月号」から引用:
「 いま生まれつつある時空の新理論は仮説の段階だし,数学的に非常に難解なので,直接関係している物理学者たちでさえ進展状況を追いきれていないと認める。時空が派生構造にすぎないとしたら,それにもかかわらず私たちにこれほど現実的に見えるのはなぜなのだろうか。理論家たちはまだ説明できていない。
 命のない物質から生命が生じるように,時空もどうにかして形作られるに違いない。その過程がどうであれ,それは原子より小さなスケールだけの話ではありえない。サイズの概念そのものが,時空に伴って出現するのだから。すべてのスケールで,そしてどこであっても明らかであるはずだ。それを見る方法がわかりさえすれば。」

以上を、心脳科学(仮説)で解明できている――仮説として時空の大枠の原理を提示できている――。




:つづく



☆



「研究者に研究不正をなさないことを学習するよう義務付ける」学術会議、国立大学協会、公立大学協会、日本私立大学団体連合会、の共同声明


研究不正問題:「大学や研究所など、組織の責任をも問う方針」文科省






つぶやきより:

特定の意味で:心器での内容(活動実態)はハイゼンベルク描像に、意識器での内容(発現実態)はシュレーディンガー描像に、それぞれ似ている。さらに、特定の意味で:両方に着目すると、それはディラック描像に似ている。



☆新ことわざシリーズ:世界は、無数の質の対生成と無数の質のもつれでできている。そしてそれらは質時間回帰の流れの中にある。
悠久の大宇宙無限大河 久遠の質時間回帰の限りなき流れ



☆「心は世界の焦点

心をとおして意識は世界を意識し味わう

自分の言動をも含めて

己の体験・経験をも含めて

そこにあらゆるすべてがあるという立場は可能

すべての心器 すべての意識器を総合すればますます決定的にそういえる」



☆



心脳科学(仮説)には、10ほどの仮説sが入っている。
数え方によってはもっと多い。最高16以上か。

それら仮説sがひとつの仮説体系に組み上げられている。

ここで、心脳科学(仮説)が反証されたばあいのことを考える。

そのばあいには、仮説ひとつひとつ(仮説体系ではなく)を取り上げて検証することになる。

それら仮説のうち、重要度が最も高いものから、#1、#2、#3、と番号をふっていくとして、#1と#2、は、心脳の現実を説明するのにどうしても欠かせないと思える。

ついで、#3、もそうだろう。

本論で述べたように、それらには(も)根拠がいくつもある。
根拠の上に仮説sを立てたのである。

以下、検討はつづく(ここでは検証ではないが)。

(重要度の低い仮説は破棄しても本論には影響はでない)

そういうふうに検討していくと、それら仮説sのすべてが反証されるとは思えない。
なぜなら:
(根拠がいくつもある上に)
それらしかないだろうと思う。
ほかに在りようがない。
ほかになにもない。
もちろんこれは、洞察の下、感じ・直観で言っているのだが。
これは非科学的姿勢にみえる。
しかし、科学の歴史は、仮説の構築をはじめとして、多くが、そのようにして進展してきたわけである。

さて、当然やはり、検証が待たれる。


☆


つぶやき:

以下、クオリア・質と大きく関連する:

原稿がほぼできあがっているもの(原稿)、と、構想・内容構築がほぼできあがっているもの(書き散らかし)、と、構想がほぼでき上がっているが少ししか書いてないもの、など:
質の科学(科学的仮説)
転生の科学・哲学(科学的仮説)
世界哲学(希望、哲学)
宇宙は永遠に続いていく(かどうか)(科学的仮説)
論理地図(科学哲学的仮説)
物理数学・数学とは何か(これは論理地図とも大きく深く関連する)
世界理解の哲学(科学的仮説)
歴代の哲学を採点する(心脳科学・仮説にもとづいて)
運命のノート(遊び? 現実? (=仮説という意味))
定義と名づけ方から見える展望
そのほか

以上の中には、それらのうち複数を統合した方がよい内容をもつタイトルもある。


☆


心脳科学(仮説)(それが正しいとして)の立場で、哲学的問題や科学上の問題、その他などにおいて、多くの設問を立て、それに解答することができる。
それらは、心脳科学(仮説)の理解度テストともなる。
心脳科学(仮説=仮説sの体系)には、10ほどの仮説が入っているので(数え方による。最大16以上か。重要度の低い仮説は破棄しても本論に影響はない)、そこでは、その仮説たちのどれどれを用いての解答かをも併せて問うと効果的である。
(筆者がそれらの解答をだしている設問もあるし、その途上にある項もあるし、まだ答えをだしていないものもある。まだ手がけていない項目もある。しかし、当然解答はでてくる)



☆




前回の分(「意識とクオリアの外側」)にさらに加筆があります。


つぶやきから:

心脳科学(仮説)から、さらに大胆な仮説としての、この世界の記述もでてくる。

それは、超弦理論による、この世界の記述、と一致しそうである(超弦理論をそういうふうに構築できそうである)。
(私は、超弦理論を、私の研究に必要な程度学んだ)

そこで、超弦理論を万物の理論とするためには、それを心脳科学(仮説)に適用できるように構築すべきである、ということになるだろう(人間や心脳などのことまで記述できないのなら、万物の理論とはいえない)。

それらは、超弦理論の構築に制限をもたらす。そのことは、超弦理論がこの世界・大宇宙・森羅万象を、現実どおりに記述する担保・保証になると考えられる(超弦理論は数学に多くを頼っており、多様性が高いので、構築にあたって迷う要素sがある。そこにおいて、迷うことなく超弦理論を構築できる。心脳科学がその羅針盤となる)。

↓(矢印の向きは、難しい。反対でもいいようだ。下から読んでいただきたい。一番下を元にしたばあいと、一番上を元にしたばあいでは、矢印の向きが反対になる)

こういうことを考え記述するのも、心脳である。そこらのところも解説・・・(以下略)・・・

↓(矢印の向きは、難しい。反対でもいいようだ。下から読んでいただきたい。一番下を元にしたばあいと、一番上を元にしたばあいでは、矢印の向きが反対になる)

こういうことを考えるのは、心脳である。心脳科学(仮説)で、そこらのところも解説できる。

↓(矢印の向きは、難しい。反対でもいいようだ。下から読んでいただきたい。一番下を元にしたばあいと、一番上を元にしたばあいでは、矢印の向きが反対になる)

以下は、心脳科学(仮説)とも深く関係がある内容で、「意識とクオリアの外側」についての論にもなっています。


つぶやきから:


1:昔むかし、考えたことだが(精密に注釈や対論などもつけたいところだが、ここではそれを省略):

2:「この世界に、森羅万象~その一部、を意識し味わう人間のような意識をもつ存在がいないと、この世界・大宇宙はないに等しい」
(ついでに記しておこう「それと同時に、この世界・大宇宙がないと、意識をもつ存在も存在しえない(かもしれない)」)

3:「よって、そういう存在がいるようにこの世界・大宇宙はできているはずだ(映画と映画館には観客の存在が必須であるように。観客がゼロだと確定していたら、映画も映画館もつくられない。それに反する例が趣味人によってなされたとしても、その趣味人は観客でもある)」

4:(ここまでは哲学であり、私はそれが好きだ)

5:「そして、明らかにそういう存在(たち)は居つづけてきたし居るしこの先も居つづけるだろう(途切れることはあっても―一応これも記)」「それに先立って、この世界・大宇宙も同じく過去から未来まで存在」(これは事実だ)(哲学的ゾンビについては別なところで論ずる)

6:「これから先も永遠にそれは続いていくだろう(途切れることはあっても)。そしてたぶん永遠の過去からも続いてきているだろう」(この後者はなくてもよいが)(これは希望であり、哲学であり、科学的仮説だ)

7:「そこでは、質の対生成、『質のもつれからまり融合離反融合・・・』、質時間回帰、が起こりつづけ《い》ていくだろう」(これは希望であり、哲学であり、科学的仮説だ)

8:「以上は、『意識の存在の必須性・必須絶対性』からの、主に哲学的な論の展開だが、私はそれが好きだ。科学だけではそういうことはできない」

9:以上は、何十年も前に考えたことで、7年くらい前にブログにも書いた。



つぶやき:相対論での空間について、遊びで少し言及した個所に加筆:「虚空間・素空間」と筆者が表現した空間は相対論では否定。



○心脳科学 超弦理論 超ひも理論 クオリア 質の科学 世界哲学





◯1年以上前に公表した心脳科学(仮説)の初版には、一切手をいれないで、ネット上公表サイトにそのまま置いている。もちろん私のPCの中でもそうである。PC上では、原稿を書いていくたびに新しいファイルとして記録してきている。





前回の分に加筆があったので、載せます。


つぶやきより:

有加筆:この文は、少し変なんだが、こう書くと要点がわかる:推測による「脳における情報構造」からいって(言って、行って)、心・意識・脳の全体を矛盾なく説明できるのは、心脳科学なる仮説体系しかない、今のところ。(推測による「脳における情報構造」は、心脳科学なる仮説体系の中にはいっている)

つづき:推測による「脳における情報構造」が非常に重要なので、そういう表現になった(実際は、心・意識・脳における情報構造だが)。。仮説体系の仮説は複数である・仮説たちの体系。








世界情勢がますます緊迫化してきているように見えます。金融や経済を含めてそうでしょう。

今までもそういった方面は大変だったともいえますが、この先はさらに困った事態に至りそうです。


さて、そろそろ、心脳科学(仮説)の全体像をここに載せたいと思いますが、その前に:

つぶやきより:

推測による「脳における情報構造」からいって、心・意識・脳の全体を矛盾なく説明できるのは、心脳科学なる仮説体系しかない、今のところ。


心・意識・脳の全体の現実を説明できるのは、心脳科学なる仮説体系しかない、今のところ。


リベットの実験事実を説明できるのは、心脳科学なる仮説体系しかない、今のところ。


この世界の本質的なことごとや現象的なことごと、あらゆる現実を説明できるのは、心脳科学なる仮説体系しかない、今のところ。


話したり書いたりすることなどは、簡単な内容では、反射的な脳の活動でありうる。
しかし、それが複雑・高度な内容、今までにない内容になると、もうひとつの心が、その活動を監視し指導する。







世界人






さて、ここの皆さまが、学問研究などにおける慣行と常識や法律などに従って、「優先権を保護する―つまり最初の発案・独創者を尊重する」―のであれば、私はとっくにここに「心脳科学(仮説)」をエントリーしていたことでしょう。

既に一年以上前、「心脳科学(仮説)」を公表しているし、それ以前にも私はネット上に、それに関係した内容でかなりつっこんだことを書いています。
しかし、世界の風潮をみるに、警戒してここには詳細を書かなかった。

今や、研究不正をなすと後がとんでもなく大変なことになるという常識が社会一般に浸透してきたし(ここの部分は、かの細胞についての実験事実・成果はなかったといってはいない)、文科省も研究不正はあばいた上で罰する方針を表明し実行に移す途上にあるので、そろそろ「心脳科学(仮説)」をここに載せたいと思っていますが、なんというかかんというか、はっきり書きたくはありませんが、書かないわけにいかず、こう書くしかないわけで、可能性のある新しいなにかの誕生を妨害することだけは断じて避けなくてはならない。

そんなことをするのは卑怯・卑劣そのものにほかならず、その人自身を汚すことになる(あとが大変だろう。それはクオリア・質時間回帰の一種でもある)。
それよりも自分の説をぶつけるのが正道でしょう。

ともかく、自分の論を展開できない人はコメントしない方がいいでしょう。
好意的であればそこは問題はありませんが(ここに参加すると、健康を害するという代償を支払わねばならないというのは、断じてあってはならないことだ。それは傷害罪を犯したこととなる)。

さて、とはいえ、「心脳科学(仮説)」は可能性を秘めた仮説体系であり、検証が必要です。反証されたらSFということになるでしょうが、その一部分は生き残るかもしれません。


世界情勢などをみていると、いろんな意味で早くここにエントリーしなくては、と思います。


茂木さんは、クオリアマニフェストを『高らか』に謳いあげ、『知的に誠実な』研究者の参加を激烈に呼びかけて、ここを開設したのですから、そこらのところの充分な配慮が必要でしょう。
いずれにせよ、ここは有益で大変ありがたいサイトです。




クオリア・質研究関係のつぶやきより

I have been translating the summary of the"mind-consciousness-brain science(hypothesises-system)"in japanish into engleeeese one.

The translation can not be done without my explanations because it includes new concepts which did not exist before.

So,I continue doing it by myself.







クオリア・質時間回帰:

8月16日現在:世界情勢がさらに緊迫化してきています。

それもこのスレの趣旨の中にあり、クオリア・質時間回帰で説明がつくでしょう。




さて、心脳科学(心・意識・脳を総合した科学)の翻訳は進んでいます。





「クオリア・経験の質」関連のつぶやきから:


I think so,and it makes me crazy.


The past contribution of you that was about logic was interesting.





心脳科学(仮説)で、科学による意味論をも構築できる。


心脳科学(仮説)で、科学による言語論をも構築できる。



引用元を明記すれば、引用できるわけです。



☆

このスレのトップ(再掲):
私は40年前後前からさまざまな研究を断続的に独自にやってきているのですが、一番世に問いたいのが「質の科学(仮説)~世界哲学」です。それが今現在の世界に必要な科学というか思想・哲学なのかもしれません。そう遠くないshourai sekai ha kaimetu ni mukaisou(それは、質の科学~質時間回帰則と、その他いくつかの立場からの予想)ですから。そうなるかどうか断定はできませんが。もうそんなことどうでもいいとも思いますがね。

「心脳科学(仮説)」はその一部です。

☆





このスレの最初に書いたように、世界情勢がさまざまに深刻化してきています(クオリア・質時間回帰だとみなしているわけですが)。
その先、世界の状況がどうなっていくか注視に値します。
生活環境がよく保たれた上での、研究だということはいうまでもありません。

できるだけ早く心脳科学(仮説)の概要を英訳し公表してからここで講義を始めるということで、翻訳に努めていますが、まだその途上にあります。

ここでの心脳科学(仮説)講義はその後になります。



☆ 引用元を明記すれば、引用できるわけです。



つぶやきから:



加筆:
心脳科学(仮説)の中で、その検証のための実験sについてかなりな程度言及している。


さらに、心脳科学(仮説)で、量子力学における最大の謎である現象を象徴して現す「二重スリット実験」の実態を仮説として説明できる。




心脳科学(仮説)内の一片:意識する意識内容を、知性で選択できるケースがある。選択できないケースもある。意識内容そのものには知性は介入できない。


つづき:その表現・記述には誤解される面がある。その面は、また別の問題である。次元が異なる。「意識内容そのものに知性が介入できる」という面がそれであり、それまで否定されるという誤解が生じうる。





心脳科学(仮説)で、科学による哲学を構築できる。


心脳科学(仮説)で、科学による形而上学を構築できる。


心脳科学(仮説)で、一元論と二元論をも統合できる。


心脳科学(仮説)で、唯心論と唯物論をも統合できる。


ツイッターのクラウド的利用、


心脳科学(仮説)で、一元論も二元論も統合できる。


心脳科学(仮説)で、唯心論も唯物論も統合できる。


学問についていっても、同じ表題で何かを唱えている人たちの間でもその内容は異なるし、任意のそれを学んでいる人たちの間でもその理解は違ってくる。心脳科学(仮説)では、そこらのところもすっきりと把握できるだろう。


離れた訂正:科学哲学→科学による哲学(科学的哲学)


心脳科学(仮説)によれば、大陸合理主義(論)もイギリス経験論も、両方正しい、と解説できる。


不可知論にもいろんな立場がある。ぼくが以前ネット上で用いた、不可知論の領域、という用語は、単に、知ることが難しい領域、という意味で用いたので、不可知領域とした方がすっきりするが、まちがいではない。


質時間回帰はつづいていく


呪われた星、地球、



SF:Spesial Fact
SF:Shocking Fact
SF:Sciense Fact



カオス理論は、因果的に決定論に立つ立場が主流だが(量子論をも含めて。あるいは量子論ははずして)、ぼくがネット上などに書いた立場は、それを超えた(越えた)それになる。


心脳科学(仮説)で、科学による哲学・その他いくつもの分野を構築できる




心脳科学(仮説)で、「現象判断のパラドックス問題」の構造解説もできる。




心脳科学(仮説)で、「水槽の脳問題」の構造解説もできる。


心脳科学(仮説)で、「哲学的ゾンビ問題」の構造解説もできる。


心脳科学(仮説)で、「逆転クオリア問題」の構造解説もできる。


心脳科学(仮説)で、「コウモリであるとはどのようなことか、という問題」の構造解説もできる。


心脳科学(仮説)で、「マリーの部屋問題」の構造解説もできる。


心脳科学(仮説)で、科学による形而上学をも構築できる。


心脳科学(仮説)で、科学による哲学をも構築できる。


心脳科学(仮説)で、唯心論と唯物論をも統合できる。


心脳科学(仮説)で、一元論と二元論をも統合できる。





つぶやきから:

これも当然→研究不正がネット上で指摘された件も調査対象:ネットで指摘された研究不正をも調査することを大学や研究機関に求める方針が文科省で始動した。罰則付き。




☆ 引用元を明記すれば、引用できるわけです。




#3「引用元を表記しないとあとで大変なことになる」について



「引用元を表記しないとあとで大変なことになる」と以前書いたことに関連してつぎのエントリーを載せておきます。


さて、今までに何度も何度も現実に起きたことからいって、「他人の考え(アイディア)」を、引用表記をせずに用いると、後が大変なことになる、ということは常識ですな。その代表的な件として、以下でそれが確認できる。


論文(研究についての発表を目指した記述体系)において、「研究不正」として糾弾されるものとしていろいろあるが、ここでは、その視座からこれに着目する。

「研究不正」に該当するもの(その一部):
「盗用」=「他人の考え(アイディア)、作業内容、研究結果や文章を、適切な引用表記をせずに使用すること」

(この「盗用」については、今、世間の話題になっている、あの細胞に関わる研究論文に関してのやりとりの一環として、提出された不服申立書から抽出引用した。(「(アイディア)」は私の加筆である))


そういった観点からいって、人は常識的かつ普通に(これには、後で大変な事態にならないやり方・在り方で、という意味を多く含むが、それ以上の説明は難しい)行為・言動するのが最善である、ということになりますな。


(この小文は、「その細胞に関わる実験事実・結果はない。それは不正だ」、といっているわけではない)




加筆:


心脳科学(仮説)の中で、その検証のための実験sについてかなりな程度言及している。


加筆:


さらに、心脳科学(仮説)で、量子力学における最大の謎である現象を象徴して現す「二重スリット実験」の実態を仮説として説明できる。



☆ 引用元を明記すれば、引用できるわけです。




To be honest,or not to be honest:that is the question.


Check out all my description on the Web.

Check out all and all descriptions on the Web and others.






世界人




☆



「クオリア・質」の科学(仮説)による、特定の事象の解説をなしてみます(質⊃クオリア。文字化け? クオリアは質に含まれる)。

それは、「Disneys Frozen - "Let It Go" Multi-Language Full Sequence のサイト」における人々のコメントたちの内容を分析した上での解説である。


その成り行き:
その歌が好きになって、何度も聴いていて、さらにそこでの多くのコメントたちを眺めているうちに、コメントしたくなった結果そこにコメントした(それを後ろの方に付記する)。そのコメントが、そのサイト参加者にとっていくらかの慰めになればいいなと思い書いたものである。

付記にあるように、「Disneys Frozen - "Let It Go" Multi-Language Full Sequence のサイトで、いがみ合いがあったので、こんなコメントをしてみた、数日前に」という文言でその経過の一部がわかる。


そこでのいがみ合いの発生源はふたつあって、ひとつは、25言語しか用いられていないということであり、それによってそれ以外の言語の人たちは不満をもつということ、もうひとつは、25言語の中での優劣の争いである。


さてそこで:
その私のコメントの中で、「Minds of people who are being satisfied are going to lose some kind of those beauty.」の「some kind of those beauty」と、「Minds of people who are being unsatisfied are going to get some kind of beauty.」の「some kind of beauty」(こちらには、「those」はつけない。なぜなら外部から入ってくるからである。「some kind of beauty from the outside」である。以下、そこでも略記して「some kind of those beauty」を用いる)は同じ内容・概念を指している。

「some kind of those beauty」とは、「クオリア・質」時間の一種である。「some kind of those beauty」を失っていくと、美を感じる資格や能力が失われていく。
「some kind of those beauty」を得ていくと、美を感じる資格や能力を獲得していく。

ただし、後者が前者の歌を美しく感じる資格や能力は健在であり強化される。


そういう解説ができるところの、事象とその考察、の経過を辿った内容を今こうして記している。




以上、そのサイトにおける「クオリア・質の科学(仮説)」の、内容、適用例、実態、などを説明しました。





付記:

Disneys Frozen - "Let It Go" Multi-Language Full Sequence のサイトで、いがみ合いがあったので、こんなコメントをしてみた、数日前に。




With corr.:in a website where the "Disneys Frozen - "Let It Go" Multi-Language Full Sequence" has been uploaded


☆


Hi everybody,Im an(the)alien...XD lol...
The aliens spellings and grammar in english are as I wrote in my last comment...XD lol...
But Im going to be an earthperson ,So I want to study english.
Now, in such situation ,Im going to correct it.


With corr.:

Hi everybody,Im an(the)alien.XD lol.
I love the "earthic".You know it?...

All of the 25languages on the earth are very ugly all for my ears gahahaha...My language is like this "♪ bgdvzgbdzgggzzzvvvdddbbb... ♪”
...(I call languages on the earth "earthic",you see)...

...Oh no!...but...but...and...and...I love The earthic(s)...
And I guess those songs of languages which are not in the vid must be more beautiful than ones in the vid. Because 25languagess people would be satisfied in a sense.Minds of people who are being satisfied are going to lose some kind of those beauty.
Reverse,Minds of people who are being unsatisfied are going to get some kind of those beauty.By the effect, songs of the people except 25languagess people must be more beautiful than songs of the 25languages,in the viewpoint of each peoples mind-quality.
Its only my conclusion.
And adding words,in a sense,such a matter is caused by The commercialism...
...from UFO(from UFO & United Friends Orgaization(UFO))...XD lol.



☆



茂木さんのクオリア・マニフェストに「7、アジテーション」、という項目があります。
つまり、クオリアMLはストレス解消の場なんかではなくて、研究の場でありクオリア問題を研究する人たちが集うところ、ということははっきりしてますな。クオリア・マニフェストから、ぼくはここにたどり着いたわけだから。
ぼくも、クオリア・マニフェスト「7、アジテーション」、に触発され煽られて参加したわけです。

以下引用:

「7、アジテーション

The Qualia Manifesto

 革命が近い。単なる科学革命ではなく、人間存在の拠って立つ基盤自体が変化し、私たちと世界の関係自体が変化するような革命の足音が聞こえはじめている。

 人間とは何か、人間はどこから来てどこへ行くのか? このような究極の問いに答えるための鍵となるステップが今や見えてきている。

 人間とは何かという問いに答える鍵は、私たちの心の中のクオリア、及びそれを支える主観性の構造の物質的基礎を明らかにすることである。

 クオリアや主観性の起源を明らかにすること以上に重要な知的チャレンジは存在しない。

 私たちがクオリアや主観性の起源を理解した時、その認識が私たちの人間観、世界観をどのように変えるかはわからない。来るべき認識革命の後で私たちの迎える状況がどのようなものになるにしろ、その可能性が今や開かれていること、そして、認識革命に至る道筋は論理的な議論とち密な思考と知的な勇気によって開かれうることを再確認しておこう。

 クオリアの問題の解明には、論理的厳密性、開かれた感性、そして、今までにない思考のプロセスに踏み出す、知的勇気が必要である。

 クオリアの問題の解明は、一個人では不可能である。自然科学者、数学者、芸術家、宗教家、心理学者、社会学者、全ての分野の優れた知性が共同し、総合的文化運動を起こさなければ、クオリアという人間の存在にとって核心的な概念の解明は可能にならない。

 今や、勇気あるステップを踏み出す時機が熟している。

 知的に誠実であり勇気を持つ者達よ、「クオリア」の解明のために団結せよ! 」

:以上、引用








世界人













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Last updated  2016.11.18 06:46:49
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