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ロンドン(London) 5 (タワー・ブリッジ 2)タワー・ブリッジ(Tower Bridge)さてタワー・ブリッジ(Tower Bridge)、part 2は内部です。タワー・ブリッジ(Tower Bridge)全景川幅があるのと川に障害物(軍艦)があるので全景を撮影するのは難しいのです。川幅は805フィート(245.3 m)ロンドン港に出入りする大型船舶があるときは水圧ポンプで橋の中央がが開閉。橋桁は重さ1100トンあるとか・・。現在でも1日4~5回開閉するようです。時間については、ホームページで近々の日程時間が公開されています。http://www.towerbridge.org.uk/TBE/JP/BridgeLiftTimes/エキシビジョンの入り口橋にかかる上の通路への出入り口は双方にありますが、エレベーターが設置されているのはロンドン塔に近い橋桁からです。一応混乱を避ける為? 通路は一通になっており、エレベーターは上るだけ。下りは反対の塔から階段で降下します。橋脚の上の入り口は、今は雨よけの屋舎が取り付けられている。エレベーターは当初よりあったようです。以前「バトリョ邸のエレベーター」の所でエレベーターの歴史について書きましたが、1852年エリシャ・オーチスが安全装置を開発。エレベーターの駆動システムに「カウンター・ウエイト方式(つりあいおもり)」が導入され動力源に蒸気機関が採用。自動化されたエレベーターは当時世界に普及されます。エッフェル塔(1887年)、NYの自由の女神(1900年)、エンパイアステート・ビル(1931年)、等オーチス・エレベータ・カンパニー (Otis Elevator Company) は世界最大のエレベーター会社です。このタワー・ブリッジ(1894年完成)も当初図面ではカウンター・ウエイト方式なので「オーチス・エレベーター・カンパニー」のエレベーターが使用されたと思われます。近年落下事故があったらしいけど・・。建設当時の写真上の橋(High level Walkway)はタワーブリッジ・エキジビション(Tower Bridge Exhibition)として橋の歴史などパネルやビデオで紹介されている。意外と知られていないのか? ロンドン塔だけで疲れて終ってしまうのか?案外人は少ない。もともとは橋が開いている間の歩行用通路と言われていますが、結構階段はきつく、歩道橋レベルならともかくウォーク・ウェイまでの高さは40mくらいあるので階段を上る人は少なく、ウォーク・ウェイは一時閉鎖。(たぶんエレベーターはお金がかかるので乗る人は少なかったのでは?)1982年以降エキシビジョンとして再公開。もちろん有料。アダルト8£(約1200円)シニア料金あり。通路は2本ホームページを見て驚いたのですが、この通路など4カ所がパーティーなどにレンタルされているようです。つまり「オープン時間通りに行っても入れない事がある。」と言う事では?川下側通路から川下側を撮影ガラス窓があるのと鉄骨があるので撮影には向かない。川上側通路から川上側を撮影(ロンドン橋方面)こちら側の通路に回る頃にはすっかり日が暮れてしまいました。反対の塔の上を撮影鉄骨むき出しです。上には作業の風景を模した人形が飾られています。実際こんな風に工事していたのでしょう。階段を下りていったん外に出て、さらに橋を南に渡りその橋脚の下に動力室があり続けて観光できます。南側の橋脚の下に動力部となるボイラー室があり、見学できます。南側川岸の橋脚下今は電力によるモーターになっているから使用されていませんが、昔は石炭を使った蒸気機関です。1976年まで稼働。建設当時のオリジナルの蒸気機関が展示ボイラー室を出るとそこはお土産屋だった (≧∇≦)タワー・ブリッジに行くには船でロンドン塔の船着き場からが一番近い。最寄り地下鉄駅はロンドン塔の裏手、タワー・ヒル(Tower hill)らしいが、10分近く歩いた気がする。紋章については番外で紹介するのでタワーブリッジはとりあえず終わり。次回Back numberリンク ロンドン(London) 1 (テムズ川)リンク ロンドン(London) 2 (テムズ川に架かる橋 1)リンク ロンドン(London) 3 (テムズ川に架かる橋 2)リンク ロンドン(London) 4 (タワー・ブリッジ 1)ロンドン(London) 5 (タワー・ブリッジ 2)リンク ロンドン(London) 6 (バトラーズ・ワーフ)リンク ロンドン(London) 7 (シャッド・テムズのカフェレストラン)リンク ロンドン(London) 8 (シティの紋章)リンク ロンドン(London) 9 (テンプル教会 1)リンク ロンドン(London) 10 (テンプル教会 2 Banker)リンク ロンドン(London) 11 (テンプル教会 3 中世の騎士)
2013年06月29日
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テムズ川に架かる橋シリーズでタワー・ブリッジのみ単独で紹介です。実はこのタワー・ブリッジは観光で登る事ができるのです。今回は内部も紹介する予定ですが、まず写真はタワー・ブリッジの美しさから紹介です。ロンドン(London) 4 (タワー・ブリッジ 1)ロンドン塔(Tower of London)公式な英国王室の宮殿ロンドン塔の王子タワー・ブリッジ(Tower Bridge)ロンドン橋より川下、ロンドン塔(Tower of London)のすぐ脇に架かっている跳開橋が、タワー・ブリッジ(Tower Bridge)です。1884年建築家Sir Horace Jones (1819年~1887年)の設計。ロンドンを代表する建築家として知られ、他にシティにあるテンプル・バーの設計も彼だそうです。テンプル・バーはテンプル教会の紹介の時に載せます。タワー・ブリッジのタワー(Tower)はTower of Londonから来ているようです。この橋の左手前にロンドン塔があります。写真上が川下。ロンドン塔(Tower of London)イングランドを征服し、ノルマン・コンクエストを果たしたウィリアム1世(1027年~1087年)が1078年に要塞としての宮殿(城塞)を築いたのがロンドン塔(Tower of London)の始まりだそうです。右がタワー・ブリッジ。対岸がロンドン塔。王の居城としては1625年まで使用され、居住していた最後の王はジェームズ1世とされています。が、公式な英国王室の宮殿は下記のようになっていてロンドン塔は含まれていません。1049年~1530年 ウェストミンスター宮殿 1530年~1698年 ホワイトホール宮殿1702年~1837年 セント・ジェームズ宮殿 1837年以降 バッキンガム宮殿ロンドン塔。右の高い建物がホワイト・タワー。この川岸はかつて浜になっており、20世紀には遊泳場としてロンドン子に人気のスポットだった・・と、言う看板が出ていました。宮殿と言うよりは、ロンドン塔は身分の高い政治犯を幽閉したり処刑する監獄として使用され、政敵や反逆者を処刑する処刑場として利用された事で知られています。ロンドン塔の王子特にシェイクスピアのリチャード3世でも記されたエドワード5世(13歳)と弟王子ヨーク公リチャード(11歳)の幽閉事件。父エドワード4世の死後、ここに幽閉され行方不明になったとされる王子達。叔父のリチャード3世により殺されたのではないか? 実際1674年7月、ロンドン塔のホワイト・タワーで発見された2体分の子供の骨がそれを誠しやかに裏付けている。真相は不明であるが・・。ロンドン塔の東側城壁保守用のcrenel(銃眼・じゅうがん)がまるで無数の十字架がきざまれたように見える。実はタワー・ブリッジは単に川に橋がかかっているだけでなく、橋に至るアプローチが非常に長い橋なのです。写真の東側城壁はそのアプローチの橋からの撮影です。また、タワー・ブリッジの橋桁からロントン塔への入り口もあります。crenel(銃眼)・・・ボウガンなど弓や銃を構えるために城壁等に備えられた小さな窓タワー・ブリッジ(Tower Bridge)鉄骨、石造りの橋は、ロンドン塔(Tower of London)との景観を考慮されてゴシック様式にデザインされたそうです。全長800フィート(244 m) タワーの高さは40m 形式 跳開橋1886年に着工、1894年に完成した。一見石の橋のようだが、石は装飾壁で基本は鉄骨造りである。次回構造の図を載せます。可動部分は初期の頃は水力を利用して開閉していたらしいが現在は電力。タワー見学の中に動力室の観覧も含まれています。Bascules今でもまれに開くと言う橋の部分。次回はHigh level Walkway内部の写真も紹介。前に一度載せた写真ですが、一応載せておきます。ロンドン塔前からの撮影。寝ぼけてupしていたようで修正した箇所がいくつかあります。つづくリンク ロンドン(London) 5 (タワー・ブリッジ 2)Back numberリンク ロンドン(London) 1 (テムズ川)リンク ロンドン(London) 2 (テムズ川に架かる橋 1)リンク ロンドン(London) 3 (テムズ川に架かる橋 2)ロンドン(London) 4 (タワー・ブリッジ 1)リンク ロンドン(London) 6 (バトラーズ・ワーフ)リンク ロンドン(London) 7 (シャッド・テムズのカフェレストラン)リンク ロンドン(London) 8 (シティの紋章)リンク ロンドン(London) 9 (テンプル教会 1)リンク ロンドン(London) 10 (テンプル教会 2 Banker)リンク ロンドン(London) 11 (テンプル教会 3 中世の騎士)
2013年06月24日
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Break Time(一休み)橋の写真に飽きている人もいるかもしれないので、ここらへんでランチでブレイクです。テンプル教会を探してシティ(City of London)をさまよっていた時に裁判所近くでたまたま見つけて入ったパブ(Pub)です。実はこの日も朝から雨で、外観の写真をとるどころではありませんでした。ですから外観はホームページから借りてきました。偶然入った割にランチは美味しく、実はビールの品揃えも多く、評判の良いパブだたみたいです。シティのパブ The Edgar Wallace City of London界隈にあるRoyal Courts of Justice (王立裁判所)しかし、この王立裁判所はシティの外、ウエストミンスター区にある。イングランドおよびウェールズの控訴院および高等法院が入っています。1882年12月4日にヴィクトリア女王の手により開設されたと言う。設計者はGeorge Edmund Street。建物はゴシック風であるが、意外に新しいのだ。1912年に増築され、裁判所初のエアコン付き法廷が誕生した・・と言う。東西に140m、南北に140m、高さ75m石の煉瓦が3500万個も使われ、部屋数は1000を超える広さ。シティについてはテンプル教会の時に改めて紹介予定ですが、ここから2~3分の所に件のPub(パブ)があるので紹介しました。パブはEsex st(エセックス通り)に入ってすくの所。後々考えたらテンプル教会の半径200メートル圏にあった。Pub The Edgar Wallace (Temple)Address 40 Essex Street London WC2R 3JE王立裁判所の周辺は、弁護士事務所など司法関連の施設が多く、昼のお客様のほとんどはネクタイをきちんと締めた紳士。2階席が少しとトイレも2階廊下に2箇所。ペール・エール(Pale ale) の取り扱いの種類が多く有名なお店だったらしい。エール(ale)はいわゆる英国の地ビールで、淡い色の大麦麦芽を使用して醸造。アルコール度数は 3% から 4% 以上。伝統的なイギリスのパブのビター(Bitter)・・ビール(beer)だそうです。ランチで入ったので、レモネードしかのまなかったから後で知った。残念。ところでイギリスは飲み物の量が少ない。2杯分頼んでも、アメリカのスモールサイズである。値段は忘れたが、400cc位で5ポンドしたと思う。その割に料理は味もバツグンで安かった。フィシュ&チップス 12ポンドくらいいちおうフィッシュ&チップス(fish&chips)はイギリスを代表する料理の一つだと言うので頼んでみたが、屋台のと違って大きくて柔らかくふっくら仕上がっている。魚はタラやカレイなどそれぞれで、基本は白身魚のフリッターである。チップスは薄いポテトではなく、欧州ではどこもジャガイモのステイック・フライが付け合わせと言うよりは、主食代わりに良く使われています。ソースはいろいろラザーニャとガーリックブレッド、サラダ添え 同じく12ポンドくらいちゃんとボローニャ・ソースとホワイト・ソースが入っている久しぶりにおいしいラザーニャでした。前回来た時は、本当にまずかったイギリス料理で期待していなかったのですが、大当たりでした。オリンピック以降イギリス全体で味が改善されて美味しくなった・・と聞きましたが、今回ハズレは一つもありませんでした。ただ、ホテルの朝のブッフェで、野菜がレタスしかないのに驚きました。アメリカ系なのに・・。メニューを見ても、サラダの欄でアメリカのようなフレッシュ野菜がいろいろタップリ入ったサラダは無かった気がします。野菜を使った料理・・がこちらのサラダの認識みたいです。もしかしたらフレッシュで使う野菜が少ないのかも・・。それにしてもドシャブリで時間つぶしに飛び込んでなければ・・。ビール頼んでいたのにな・・。ロンドンのレストランリンク ロンドン(London) 7 (シャッド・テムズのカフェレストラン)リンク ビクトリア& アルバート博物館 のカフェテリア
2013年06月18日
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昨日は久しぶりに銀座に行ってきました。つくづく日本の街は綺麗だなーと思います。特にトイレは沢山あるし、どこもダダ。そしてとても清潔で行き届いている。それにくらべて欧州は国によっても差はありますが、かなり劣悪です。北欧系は比較的日本に近い。しかしフランス系は公衆トイレの存在自体がほとんど無く、駅のトイレも有料です。有料でも綺麗・・と言うわけでもなく、地下鉄にいたっては有料トイレも見当たらない。トイレに行きたい時は喫茶店に入り、お茶を頼んでから用をたす・・と言うのが一般的です。英国はそこそこマシです。駅構内に入ればトイレはダタで日本と同じように普通。しかし、ウェストミンスター寺院のトイレは男女一緒で、男性職員が中をウロウロ・・と言うのには驚きました。ロンドン(London) 3 (テムズ川に架かる橋 2)7.ハンガーフォード・ブリッジ(Hungerford Bridge)(Golden Jubilee Bridges)チャリング・クロス(Charing Cross)クレオパトラの尖塔(Cleopatra's Needle)8.ウェストミンスター・ブリッジ(Westminster Bridge)芸術家が愛したウェストミンスター・ブリッジ9.ランベス・ブリッジ(Lambeth Bridge)赤いランベス・ブリッジと緑のウェストミンスター・ブリッジ今回はロンドンと言えば必ず紹介されるビッグ・ベンを背景にしたウエストミンスター地区の橋の紹介です。テムズ川はロンドンの歴史でもあります。川辺にはいろいろオブジェもありました。7.ハンガーフォード・ブリッジ(Hungerford Bridge) 現在の正式名(Golden Jubilee Bridges)ロンドンアイから最初の橋がハンガーフォード・ブリッジです。最初にこに橋が架かったのは1845年。鉄道の拡張に伴い1864年に鉄道橋としてかけかえられ、1990年掛け替えが決定。初代のレンガ壁も利用され2002年に現在の橋が完成。エリザベス2世女王の即位50周年記念から橋の名前は50周年橋(Golden Jubilee Bridges)に変更されたそうですが、長く親しんだハンガーフォード・ブリッジの方が知られています。北岸にはチャリング・クロス駅(Charing Cross station)チャリング・クロスはロンドンの中心チャリング・クロス(Charing Cross)エドワード1世( 1239年~1307年)が王妃(Eleanor of Castile)の亡骸をウエストミンスター寺院に輸送する道程に建てた十字架がチャリング・クロス(Charing Cross)の由来だと言われています。エドワード1世との間に16人の子がてきたと言うくらい二人は仲の良い夫婦だったようです。王妃は現在のリンカンシャー州 (Lincolnshire) リンカン (Lincoln)で1290年に病没。王は妃を連れて帰るべく、内臓をリンカン修道院に埋葬し腐敗処理したボディーをロンドンに。ウェストミンスター寺院までの道程12日。その12カ所に木の十字架を建てて搬送の印としたのがチャリング・クロス(Charing Cross)だそうです。木の十字架は後にゴシックの石の塔(Eleanor cross)に変わりその一つが現在のチャリング・クロス駅の前にあったそうです。鉄道橋と言っても、その両サイドに歩行者用歩道橋(幅13フィート 4 m)が付いた珍しい橋ハンガーフォード・ブリッジ越しにクレオパトラの尖塔が見える。クレオパトラの尖塔(Cleopatra's Needle)実は対になっているこのオベリスクの片割れはニューヨークにある。本来の出所は、第18王朝6代目のファラオ、トトメス3世がヘリオポリスに建てた2本のオベリスクの一つです。そのオベリスクはローマのアウグストゥス帝がアレキサンドリアのカエサリウム神殿の前に飾る為にヘリオポリスより運び入れ、 19世紀後半になって倒れていた一つがロンドンに運ばれ、建っていた一つがエジプト総督からの贈り物としてニューヨークに渡ったのだそうです。途中ビスケー湾で暴風に遭い行方不明になったオベリスクは奇跡的に沈む前に発見され、川を曳航されてここに設置された・・と言ういわくつきです。下のスフィンクスはイギリスで後に製作されて置かれたもの。クレオパトラとは直接因縁は無いのですが・・そのオベリスクの納められたコンテナ船の名前が「クレオパトラ号」だったと言います。さらに言えばここに来る前にオベリスクが置かれていたアレキサンドリアは最後のエジプトの王朝、プトレマイオス王朝の首都があった場所です。そして最後の女王がクレオパトラで、王朝最後の王がクレオパトラとユリウス・カエサルの間に生まれたカエサリオン(プトレマオス15世)でした。8.ウェストミンスター・ブリッジ(Westminster Bridge)テムズ川には、昔から今みたいにたくさん橋がかかっていたわけではなかったようです。技術にお金はもちろん、渡しの船頭の反対もあったようです。撮影は水族館前 背景は北岸のウェストミンスター宮殿とその時計塔(ビッグ・ベン)最初に橋がかかったのは1739年~1750年頃。現在の橋は1862年開通。全長 826.8フィート(252m) 幅 88フィート(26.8m)ロンドン・アイから撮影ウェストミンスター宮殿(the Palace of Westminster)とビッグ・ベン(Big Ben)王は1049年からこの宮殿に居住。13世紀にはウェストミンスター宮殿がイングランドの中心として機能。1529年の大火が発生するまでウェストミンスター宮殿は王宮だった。何度も火災や爆撃で宮殿は崩壊。19世紀にイギリス政府はコンペ形式によって、新国会議事堂の設計。外観はテムズ川対岸からの眺めに重点をおきながら威厳のあるファサードが構成されている。芸術家が愛したウェストミンスター・ブリッジウェストミンスター・ブリッジは、多くの画家が描いていますが、中でも印象派の画家クロード・モネはこの橋の上から「国会議事堂をバックにしたテムズ川の眺め」の連作を描いています。「・・・霧はロンドンに驚嘆に値する広がりと、規律正しく建てられる建築物に神秘的なヴェールと静けさを与えている。」彼は特に冬の霧に覆われた薄暗いロンドンの景色を好んだようです。また、イギリスの偉大なる詩人、ウィリアム・ワーズワース(William Wordsworth)は1802年、Westminster Bridgeの詩を詠んでいます。「・・・船や塔や ドームや劇場 教会の建物が広々と 青空にそびえながら立ち並び清浄な大気を浴びてきらめき輝く・・」彼はモネとは対照に朝の静寂の中に街が輝く美しさを何よりも素晴らしい眺めだ・・と好んだようです。9.ランベス・ブリッジ(Lambeth Bridge)1932年開通のアーチ橋赤いランベス・ブリッジと緑のウェストミンスター・ブリッジ両者の橋の間にはウエストミンスター宮殿があり、宮殿は現在英国議会の議場になっている。上流側に上院(赤いベンチ) 下流側下院(緑のベンチ)橋の色は上院側と下院側を表しているとか・・。撮影時は調度雨が上がった時。天気にはめぐまれなかったロンドンです。天気に恵まれなかったのはロンドンだけではないけど・・。Back numberリンク ロンドン(London) 1 (テムズ川)リンク ロンドン(London) 2 (テムズ川に架かる橋 1)ロンドン(London) 3 (テムズ川に架かる橋 2)リンク ロンドン(London) 3 (テムズ川に架かる橋 2)リンク ロンドン(London) 4 (タワー・ブリッジ 1)リンク ロンドン(London) 5 (タワー・ブリッジ 2)リンク ロンドン(London) 6 (バトラーズ・ワーフ)リンク ロンドン(London) 7 (シャッド・テムズのカフェレストラン)リンク ロンドン(London) 8 (シティの紋章)リンク ロンドン(London) 9 (テンプル教会 1)リンク ロンドン(London) 10 (テンプル教会 2 Banker)リンク ロンドン(London) 11 (テンプル教会 3 中世の騎士)
2013年06月14日
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「London Bridge Is Falling Down. Falling Down.(ロンドン橋落ちた、落ちた ♪)」♪ ヽ( ^^)ノヽ(^ ) ヽ(^^ )^-^)ノ ♪幼稚園の頃に歌って友達と遊んでいたのを思い出しますが、それが伝承童話のマザーグースから来ていたとは知りませんでした。ロンドン(London) 2 (テムズ川に架かる橋 1)テムズ川に架かる橋ロンドン橋(London Bridge)London Bridge Is Falling Down(ロンドン橋が落ちた)サザーク・ブリッジ(Southwark Bridge)ミレニアム・ブリッジ(Millennium Bridge)ブラックフライアーズ・ブリッジ(Blackfriars Bridge)ヘンリー8世縁のブラックフライアーズ(Blackfriars)修道院ウォータールー・ブリッジ(Waterloo Bridge)テムズ川に架かる橋下はロンドン中心部を流れるテムズ川と橋を紹介する為見やすさを考慮してupした、元はバス路線の地図です。しかしその為に鉄道の橋が抜け落ちてしまいました (;^_^A主な橋を川下から番号ふりました。1.タワー・ブリッジ(Tower Bridge)2.ロンドン・ブリッジ (London Bridge) 鉄道橋 キャノン・ストリート鉄道橋(Cannon Street Railway Bridge)3.サザーク・ブリッジ(Southwark Bridge)4.ミレニアム・ブリッジ(Millennium Bridge)5.鉄道橋 ブラックフライアーズ・ブリッジ(Blackfriars Bridge)6.ウォータールー・ブリッジ(Waterloo Bridge)7.鉄道橋 ハンガーフォード・ブリッジ(Hungerford Bridge)(Golden Jubilee Bridges)8.ウェストミンスター・ブリッジ(Westminster Bridge)9.ランベス・ブリッジ(Lambeth Bridge)1.タワー・ブリッジ(Tower Bridge)全長 800フィート (243.8 m)次回改めて予定2.ロンドン・ブリッジ (London Bridge)ロンドン橋はローマ人が最初にテムズ川に架けた橋だったそうです。次にサクソン人が木の橋をかけますが、これは火災で焼失。1178年~1209年にはりっぱな石の橋が完成。その橋は1762年、橋の上に乗っていた木造の商店や民家を取り壊し大改造が行われています。1813年~1831年壊れた訳では無いけれど、橋桁の間隔が短く船の航行に支障があるので橋は再び架け替えられました。現在3代目(1967年~1972年建設)の橋はあまりにつまらない・・。全景は入れられなかったのです。北側の岸全長 860フィート (262 m) 幅 107フィート (32 m)形式 プレストレスト・コンクリートボックスガーダー橋開通 1973年3月17日。南側の岸には今やこれからの名称となった「シャード(The Shard London)」がそびえている。ヨーロッパでもっとも高い超高層ビル「シャード」は今年2013年2月にオープン。展望台付きの複合ビルで、オフィスやレストラン、高級ホテルにマンション(53階から65階)が入っている。スカイタワーより低い高さ1,016フィート(310メートル)だが展望台に行くには事前予約と高い料金がかかるのでなかなか庶民は行く事もできなさそう。タワーブリッジからのロンドン・ブリッジ (London Bridge)ロンドン・ブリッジの向こうには鉄道橋 キャノン・ストリート鉄道橋(Cannon Street Railway Bridge)とサザーク・ブリッジ(Southwark Bridge)も見えます。London Bridge Is Falling Downロンドン橋が落ちた(壊れた)ロンドン橋は、歴史上何度か壊れたり流されたりしているそうですが、17世紀に石橋になってからはそんなに破損は無いそうです。冒頭のマザーグースのロンドン橋が落ちた(壊れた)はいつから歌われたのか? その来歴は不明。内容は、ロンドン橋が落ちたので建て替えよう。では素材は何を使用したらいいのか?と、言う趣旨の歌です。ですから、17世紀に建て替えられる頃にできのかもしれない・・。が、しかし、本当に「壊れて建て替える時」の事を歌っているのか? 実は何かの比喩なのか? 歌詞の内容についても解釈が難しく、謎だらけの歌なのだそうです。確かにマザーグース自体が比喩的な言葉遊びの歌・・の印象がある。 鉄道橋 キャノン・ストリート鉄道橋(Cannon Street Railway Bridge)開通 1866年元の名がアレクサンドラ橋。キャノン・ストリート駅と接続する為に1863年に着工した時の形式はドーリア式。その後拡張工事が行われ、ガーダー橋 (Girder bridge) となった。3.サザーク・ブリッジ(Southwark Bridge)全長 800フィート (243.8 m) 幅 55フィート (16.8 m)開通 1921年4.ミレニアム・ブリッジ(Millennium Bridge)全長 1,214 フィート(370 m) 幅 13フィート(4 m) 形式 吊り橋名前の通り、ミレニアム記念事業でコンペされたこの吊り橋は2000年6月10日に開通3日後に横揺れの為に閉鎖。再開通は2002年2月22日。5.ブラックフライアーズ・ブリッジ(Blackfriars Bridge)全長 923フィート(281.3 m) 幅 105フィート(32 m)手前にあるのは以前の橋桁。現在はブラックフライアーズ鉄道橋。全景がないのが残念であるが、橋の上にはブラックフライアーズ駅のホームがはみ出しているのが見える。ヘンリー8世縁のブラックフライアーズ(Blackfriars)修道院もともとこの橋はブラックフライアーズ修道院から名がつけられたと言う。ブラックフライアーズ(Blackfriars)の意味は「黒衣の修道士」・・と言うところだろう。それはここが清貧を重んじたドミニコ会系の修道院だったからに他ならない。実はその修道院はイングランド王ヘンリー8世(1491年~1547年)が離婚宣言した事で有名な修道院なのだそうだ。つまり、イングランドがローマ・カトリック教会を離脱してイングランド国教会を設立(1534年)、自ら長となるきっかけとなった因縁の教会だった・・と言うわけだ。しかし修道院自体は1539年に解散。その後一部が屋内劇場「ブラックフライアーズ座」となっている。橋の名になって残った修道院の名はどうしても歴史に残しておきたい名前だったのかもしれない。6.ウォータールー・ブリッジ(Waterloo Bridge)1代目は、ジョン・レニー(John Rennie)によって1809~10年に設計。現在は2代目。ウォータールー(Waterloo)はフランス語でワーテルロー。ワーテルローと言えば、ナポレオン。1815年、エルバ島の島流しから帰還したナポレオンは自ら12万の兵を率いてイギリス・オランダ連合軍&プロイセン軍と戦うも敗北。ウェリントン率いるイギリス軍がワーテルローの戦い(The Battle of Waterloo)でナポレオンを打ち破ったのだ。そしてそれはナポレオン最後の戦いとなった。その主戦場となったワーテルローは実は現在のベルギーにあるのだが、ナポレオンに勝利した事から記念して橋の名が付けられたらしい。(ここで戦ったわけではない。)Back numberリンク ロンドン(London) 1 (テムズ川)ロンドン(London) 2 (テムズ川に架かる橋 1)リンク ロンドン(London) 3 (テムズ川に架かる橋 2)リンク ロンドン(London) 4 (タワー・ブリッジ 1)リンク ロンドン(London) 5 (タワー・ブリッジ 2)リンク ロンドン(London) 6 (バトラーズ・ワーフ)リンク ロンドン(London) 7 (シャッド・テムズのカフェレストラン)リンク ロンドン(London) 8 (シティの紋章)リンク ロンドン(London) 9 (テンプル教会 1)リンク ロンドン(London) 10 (テンプル教会 2 Banker)リンク ロンドン(London) 11 (テンプル教会 3 中世の騎士)
2013年06月09日
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アムステルダムで飛行機を乗り換え、最初に入ったのがロンドンでした。ありきたりのロンドンではつまらないので、やはり、行った気になれるように普通は紹介しない細部にこだわり紹介することにしました。ロンドン(London) 1 (テムズ川)1802年ウィリアム・ワーズワース(William Wordsworth)ヒースロー空港周辺テムズ川(River Thames)とロンドン国際線利用者数では世界一にして、イギリス最大の空港がヒースロー空港(London Heathrow Airport)(LHR)です。その着陸直前の写真が下です。(機内から撮影したので色調調整しています)ちょっと驚く川と池?たぶん湿地帯を造成して農地や街があるのかも・・。ヒースロー(LHR)は一応グレーター・ロンドン(Greater London)の西端にあります。グレーター・ロンドンの総面積は1,572 km²と言うので、東京都(2,187km²)より小さいけど23区(621km²)よりは広い。ここも一応ロンドンなのです。ヒースロー空港(London Heathrow Airport)(LHR)確かに都心までは1時間。成田よりは近いけどずいぶん田舎です。グレーター・ロンドン(Greater London)グレーター・ロンドン(Greater London)は特別区で、公式にはイングランド9つの州の1つとされているようです。東京で言えば23区をさらに特別扱いしたようなところかな?ウィキメディア・コモンズから借りてきました。グレーター・ロンドン(Greater London)の回りを世界最長の環状道路と言われる「M25 motorway」と言う総延長117マイル (188 km)の環状高速道路が通っています。ヒースロー空港は使い勝手が悪い空港です。ターミナルをつなぐモノレールでもあればいいのに、増設に増設を繰り返しこんなに広いのにロンドン市内行きバスターミナルは1カ所のみ。どのターミナルからも遠くて乗り替えるだけでもどれだけ歩くか・・。テムズ川(River Thames)とロンドンところで上の湿地を見ながらガイウス・ユリウス・カエサルのガリア戦記(ガリア戦争の遠征記録 第4巻 BC55年) 第1次ブリタンニア遠征が思い浮かびました。かつてブリテン島はローマに支配されていた。ロンドンの語源と言われるケルト語で「沼地の砦」ロンディニウム(Londinium)はローマ人が最初に築いた砦だったと言われています。ロンディニウム(Londinium)・・・その意味は「渡るには幅が広すぎる川」それは「テムズ川」を指していた。これもウィキメディア・コモンズからです。実はもともと上流の川幅が狭い場所をテムズ川と呼び、下流の渡るには幅が広すぎる部分をプロワニダ (Plowonida) と呼んでいたらしい。テムズ川(River Thames)はロンドンを海とつなぐエスチュアリー(estuary)三角州だそうで、カエサルもすでにガリア戦記の中でテムズと呼んでいたらしいが、ローマ帝国支配下のBC43年、川が海の満潮時に潮が遡上して達した地点の川辺ににローマ軍は集落を形成。(現在は河口から90kmまで海水が遡上)プロワニダ (Plowonida)の川辺の街はロンディニウム(Londinium)と呼ばれるようになったようです。ロンドンの歴史はテムズ川無くして語れないのはそんな理由があるからなのでしょう。テムズ川 ロンドン・アイとウエストミンスター橋ロンドン・アイから見たウエストミンスター橋国会と時計塔(ビッグ・ベン)方面ロンドン・アイのカプセルの中から撮影\乗る前は晴天だったのに、長い順番待っていたら自分が乗ったときにいきなり曇り、頂上で雨に降られる・・と言う不幸が (Ω_Ω)ウエストミンスター橋の袂からクルーズ船が就航途中から晴れてきたのですが、天気がネコの目のようにくるくる変わり、写真に統一性がでません ・°°・(>_<)・°°・タワー・ブリッジ(Tower Bridge)訂正 タワー・ブリッジ(Tower Bridge)の上から下流方面を撮影(ガラス越しです)大英帝国が世界を制した18世紀、テムズ川は世界で最も交通量の多い河川になり、世界最大級の港湾になったそうです。しかし、繁栄の一方、19世紀、産業革命期のテムズ川は工場からの排水や屎尿が垂れ流しとなり、汚臭でテムズ川辺にある国会議事堂では議会も開けなくて移転する・・と言うひどさだったそうです。現在は下水は川には流れず下水管によりに海に廃棄されていると言う事です。Back numberロンドン(London) 1 (テムズ川)リンク ロンドン(London) 2 (テムズ川に架かる橋 1)リンク ロンドン(London) 3 (テムズ川に架かる橋 2)リンク ロンドン(London) 4 (タワー・ブリッジ 1)リンク ロンドン(London) 5 (タワー・ブリッジ 2)リンク ロンドン(London) 6 (バトラーズ・ワーフ)リンク ロンドン(London) 7 (シャッド・テムズのカフェレストラン)リンク ロンドン(London) 8 (シティの紋章)リンク ロンドン(London) 9 (テンプル教会 1)リンク ロンドン(London) 10 (テンプル教会 2 Banker)リンク ロンドン(London) 11 (テンプル教会 3 中世の騎士)リンク シティのパブ The Edgar Wallace リンク ケルト(Celt) のドラゴンリンク ロンドン(London) の地下鉄(Underground)リンク ビクトリア& アルバート博物館 のカフェテリアリンク 英国のEU離脱の失敗 ・ ウェストミンスター宮殿
2013年06月04日
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