わたしのこだわりブログ(仮)

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2009年11月05日
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カテゴリ: 旅行

号泣
30秒おきに水に浸すか、氷をにぎるか・・・結局保冷剤を握りしめていましたが、ちっとも冷たく感じないのが怖かったです。
パラペーニョ漬けのオイル・・・私はとんでもない物を作ってしまたのでしょうか?びっくり

さて、サンテミリオンは一応終わって、やはり、さらっとボルドーの街も紹介。ボルドーの街には最新鋭のトラムが走っています。

ボルドー(Bordeaux)
フランス南西部 アキテーヌ地方最大の都市で、ガロンヌ川河口に位置する港町 は、南はスペイン、西は大西洋に隣接。

ガロンヌ(Garonne)川とピエール橋(Pont de Pierre)
ボルドーの街 1
ピエール橋1810年~1822年 ナポレオン・ボナパルトの命で建築。橋のアーチは17個あり、ナポレオンの名(Napoleon Bonaparte)の文字数 になっているそうです。側面の橋脚のレンガにはそれぞれ、皇帝を記念するメダイヨンが付いているそうです。

街の歴史
BC300年ケルト系ガリア人により作られ、BC1世紀にローマに占領 されてから、ワインの生産が始まり、3世紀にはその生産と貿易ですでに広く知れ渡っています。
元は、ローマ軍の兵士に供給するワインを調達する為に農民にワイン作りを奨励した事にがきっか
け だったそうです。

5~10世紀にかけて、街そのものは、ローマ帝国が崩壊した後にゲルマン民族の一派のゴート人に支配されたりと様々な支配を受けます。

アキテーヌ公女アリエノール・ダキテーヌと百年戦争
(仏語:エリアノール・ダキテーヌ)
1154年、 フランス全土の3分の1近くを支配する 大領主アキテーヌ公女アリエノール・ダキテーヌ(1124年~1204年)が再婚 してアンジュー伯・ノルマンディー公アンリと結婚。

後に 夫アンリはイングランド王を継承してヘンリー2世となり、結果的にフランス国土の大半がイングランド領となり、12世紀~15世紀はイングランドの支配に置かれる 事になったわけです。

公女アリエノールは最初の結婚でフランス王妃となり、次いでイングランド王妃となり、リチャード獅子心王(リチャード1世)の母となった女傑です。

彼女がフランス王とイングランド王の両方と婚姻関係を結んだことが、広大なアキテーヌ公領の領有問題を引き起こし、百年戦争の遠因 となったと言われているそうです。
確かに、 百年戦争は現在のフランスとイギリスの国境線を決定した戦争となった と 言われています。

ボルドー・ワインはイグランド領の時代にイギリスに大量に輸出されワイン=ボルドーと言われるくらい有名になったようです。
(百年戦争末期1453年にイングランドは撤退してフランスに奪回。)

ガロンヌ(Garonne)川
源流はスペインのカタルーニャ州のピレネー山中アラン谷に発する長さ647kmの川です。
が、ボルドーに入ってからドルドーニュ川と合流し、ジロンド川と名を変えてから96km流れて河口に・・。

ガロンヌ川とサント・クロワ河岸通りを走るトラム
ボルドーの街 2

サント・クロワ河岸通りを走るトラム
ボルドーの街 3
街の移動はトラムか市バス

ゴシック建築の中を走るトラム・・・面白いかも・・。
ボルドーの街 4

サンタンドレ大聖堂(Cathedrale St.-Andre)
ボルドーの街 5
大聖堂自体は1096年にウルバヌス2世によって献堂
イングランドの統治時代に増築。
1440年に造られた鐘楼、ペイ・ベルラン塔は高さ50m。

ボルドーの街 6
公女アリエノール・ダキテーヌの最初の結婚(1137年)で、ルイ7世と結婚式をした教会としても有名なのだそうです。

ボルドーの街 7
大聖堂は「スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」の一部として、1998年に世界遺産に登録

教会内部からつづく






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Last updated  2009年11月06日 17時29分06秒
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