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途中で方向性が変わって聖遺物の話に展開したので、少し時間がかかってしまいました![]()
ローテンブルク 7 (聖遺物のある教会)
ドイツ連邦共和国(Federal Republic of Germany)
バイエルン( Bayern)
ローテンブルク・オプ・デア・タウバァー(Rothenburg ob der Tauber)
聖遺物のある教会
街の主教会には著名なアーティストの祭壇画があるそうです。
ゴシック最高の建築家ティルマン・リーメンシュナイダーにオーダーされたのは聖遺物を納めるにふさわしい祭壇でした。
この教会にはキリストの聖遺物がある
のです。この教会最大のお宝である聖遺物は、十字軍の終わり頃にこのローテンブルクにもたらされたと伝えられている。
(市役所発行のパンフに書いてある。)
街の教会が、聖遺物を所有することは、ものすごい事
なのです。特に中世は、そのお宝を拝む為に人々が遠くから来訪。教会にとっても、街にとっても経済効果があったのですから・・。
※ 街の規模の割には大きな教会と聖遺物の存在は、この街が商業的に裕福な街であった事も物語っている
。
聖遺物収集
聖遺物とは、イエス・キリストの遺品、あるいは諸聖人の遺骸や遺品で、身に付けていた衣装の布とか、十字架の木の破片とか、聖人に至っては骨のかけらなどがあります。
この聖遺物収集と言う行為は、中世十字軍の遠征で一大流行を見る。
聖地巡礼と同時に聖遺物を持ち帰る為に十字軍に参加する者が多かったからです
。
実際、その頃大量に欧州の教会に持ち帰えられた遺物は多かったはずです。何しろ コンスタンティノーブルでは聖遺物産業とも呼べる聖遺物を売買する店もあった
ようですから![]()
そもそも、
キリストのお宝集めは、紀元313年、ローマ帝国のコンスタンティヌス帝がキリスト教を公認した頃から始まっていたようです。
※ 最初に聖遺物収集に出かけたのはコンスタンティヌス帝の母ヘレナだったと言われている。
その頃の品さえ怪しいのに、十字軍の時代に遺物が残っているとは思えないのですが、 カトリック信仰の高まりと共に実際お宝を手に入れたい街や教会が多かったと言う事です。
聖遺物には等級があるのですが、特にキリストに近い一級の聖遺物に関しては、そもそも最初から真贋があやしいものだらけだったと思われますが、みなさん信心深かった? 「コンスタンティノープルから持ち帰えられた品ならそれは本物だろう。」なんて簡単に信じたのかもしれません。
実際は聖人と称される僧侶のお骨を手に入れるくらいが関の山?
聖人になりそうな偉大な貢献をした僧侶の遺骸の公開の時などにこっそりと小指をちぎって持ち帰る・・なんて事があったようです。それ自体がバチ当たりだけど・・。
そんなわけで ランクが上がれば上がるほど聖遺物は高値で取引されたので、買うお金が無い教会やライバルの教会などからの略奪も起きた わけです。
聖遺物 の存在は、街や教会の格を高めてくれるだけでなく、先にも紹介したが、外から多くの巡礼者をもたらせてくれると言う経済効果もあったから、 当然、 聖遺物を有する教会の格は上がった 。それ故、
形ある特別なキリストの一部を拝み見る事ができると言う事は、何にも代え難い幸せだったと言うのが本音であった
と思われますが・・。
ラートハウス展望台からの聖ヤコブ教会撮影・・・街の北東方面です。
聖ヤコブ教会(St Jakobs-Kirche)
1311年に建設開始~1485年献堂式されたプロテスタント(Protestant)の教会だそうです。
後期ゴシック建築のハレンキルヘの工法のようです。
ハレンキルヘの工法は、昨年12月の「ディンケルスビュール 3 (聖ゲオルク教会とハレンキルヘ)」を見てね。
聖堂突き当たりが主祭壇。
ティルマン・リーメンシュナイダーの祭壇は別室にあります。
12使徒祭壇「ツヴェルフ・ボーテン・アルタール」
ドイツ国内でも芸術的な価値の高さで有名な祭壇だそうです。
絵画部分はフリードリッヒ・ヘルリン
彫刻はシュバーベンの工匠
プロテスタントの教会なのに・・・
実に不思議な事は・・・聖遺物が存在するのはたいていカトリックの教会だと言う事です。
祭壇もこれはカトリックの祭壇だと思いますが・・・。
カトリック教会のように教会権力に左右されないプロテスタントの教会は、福音主義を取り、基本聖人も特別ではなく、偶像崇拝は禁止されてい
る
はずです。
特に 1 6世紀に起きた宗教改革ではキリスト教の教義に反すると、聖人、聖遺物の崇拝までもが全廃
され
たはずなのに、聖遺物を納める為の祭壇のオーダーが1500年頃に出されているのです。
ブュルツブルクの祭壇彫刻師、ティルマン・リーメンシュナイダーの「聖血の祭壇」
最初にオーダーされた聖遺物の為の祭壇
祭壇は、階段を上がった上に現在は配置。
上段・・・・・・金の十字架
祭壇右・・・・ゲッセマネの園
祭壇中央・・最後の晩餐
祭壇左・・・・エルサレム入場
下段・・・・・・十字架の死
祭壇の中の十字架に取り付けられていた聖遺物の入った金の十字架
。
小さな天使が持つ十字架中央の水晶のようなガラス?の器の中に「 キリストの血液が3滴納められている・・」ようです。

祭壇中央・・最後の晩餐のほぼ立体図。
平面彫刻ではたいへんな技術です。しかも、質実で丁寧に彫られたこの祭壇は、彩色無しの木彫りのみなのに、とても豪華で美しいものです。
聖書の内容がリアル感を持って伝えられています。
全体の制作は1499年から1505年。
主祭壇側から入り口方面の身廊を撮影。
入り口の上には5500のパイプを持つパイプオルガン。
祭壇か、聖遺物か・・いずれにせよ必見の教会です。
聖遺物の置かれた教会は案外少ないです。
次回塔を紹介して終わる予定です。
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