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エジプト 10 (コーランと礼拝所とマドラサ)
エジプト・アラブ共和国(Arab Republic of Egypt)カイロ(Cairo)
ハーン・アル・ハリーリ(Khaan il-Khaliiii)
マドラサとイラン革命
イスラムとコーラン(クルアーン)
ミフラーブ
「エジプト7」でとょっと触れたハーン・アル・ハリーリの市場近くにあるアル・ハズハル・モスク(Ghaami'il-Azhar)には建設初期の頃から高等学府(マドラサ)があったと紹介しましたが、アル・ハズハル・モスク以外にもこのあたりはモスクとマドラサが何件もあります。
マドラサ(madrasa)
アラビア語で「学校」そのものを指す言葉
でも 本来のマドラサはイスラム世界におけるイスラム教徒(ムスリム)の為の宗教を中心としたイスラム教育の為の学校
で、学校はモスクに併設されて建てられ、ムスリムのお坊さんが師となって子らを教えていたと言う、 所謂「寺子屋」
といったものだったようです。
現在は
さすがに
近代教育が普及してきたようで 、「マドラサ」はイスラムの宗教教育の専門機関として存在
しているようです。 所謂ミッション・スクールですね。
マドラサの近くには本屋さん? コーラン屋さん? があります。
余談ですが・・・マドラサで思い出したので・・
マドラサとイラン革命
1979年に起きたイラン革命は、イランの元
国王パーレビ2世を国外に追い出してイスラム教シーア派の指導者が、イランの政権を奪取した出来事
でした。
この 真実は、結論から言うと、仕事を取り上げられると身分も職も失うイスラムのお坊さん達の復権を死守した革命だった
のです。
パーレビ国王は、古いイスラム体質から脱却し、西欧のすぐれた文化をイランに取り込み、イランを世界有数の近代国家にする計画の改革中でした。
その改革の一つに、きちんとした学歴のある先生による西欧の教育を子らに与え、国民レベルを上げたいと言う思いがあった
のです。(革命の一要因として)
結果はイスラムのお坊さん側が勝ち、イランの近代化は潰(つい)え、革命後西洋書物は焼き払われて近代化どころか指導者はイスラムの開祖ムハンマドの時代(6世紀)にイランを押し戻そうとしたのです。
イスラム教の聖典、コーラン
「イスラム」とは、帰依と服従を意味
するそうです。
唯一新アッラーの言葉を聞いた開祖ムハンマド (570年頃~632年6月8日)
がアッラーの教えを伝え記してまとめたものがコーラン
です。
114章、6239節から成り、651年に編纂された当初のアラビア語で記載。
イスラム教では、一切が神アッラーの教えであり、その 啓示を伝える介在者ムハンマドは「預言者」
と呼ばれています。
アッラーの 教えに一切手を加える事は許されず、当初伝えられたままの教えを何も考えずに、ただ祈り、ひたすら実行する事が「イスラム」
の教えだそうです。
ファーティマ朝の新都アル・カーヒラ最初の合同礼拝所、アル・ハズハル・モスク
左のくぼみの壁はミフラーブ。右にはミンバルと言う説教壇があります。

ミフラーブ
ミフラーブはキブラ(祈りの方角)を指し示す壁です。
祈りの方角はサウジアラビアのメッカ。
詳しくは、 メッカにあるイスラム教のモスク、マスジド・ハラームの中の最高の聖所であるカアバ神殿を指すようです。
ミフラーブ自体は聖なるものではないのでそこで背を向けて座っていたり、寝ている人もしばしば・・・。
ミフラーブの右には必ずミンバル(説教壇)がセットされている。
礼拝所の床のミフラープ
ミフラーブ・デザインは、三日月と並んでイスラム教の象徴。
前にも紹介しましたが、ここは、970年~972年ファーティマ朝の新都アル・カーヒラの最初の合同礼拝所として建設。
礼拝所内で礼拝(サラート)する人
礼拝所はとても広い
5つのミナレット6つの入り口。48m×34mのスクエアの中庭。
300本のた柱でできた柱廊。
眠いし長くなったで、写真が残っていますが・・つづく
リンク エジプト 11 (地元民の市場とマムルーク朝のスルタン)
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