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昨日は久しぶりに銀座に行ってきました。
つくづく日本の街は綺麗だなーと思います。
特にトイレは沢山あるし、どこもダダ。そしてとても清潔で行き届いている。
それにくらべて欧州は国によっても差はありますが、かなり劣悪です。
北欧系は比較的日本に近い。
しかしフランス系は公衆トイレの存在自体がほとんど無く、駅のトイレも有料です。
有料でも綺麗・・と言うわけでもなく、地下鉄にいたっては有料トイレも見当たらない。
トイレに行きたい時は喫茶店に入り、お茶を頼んでから用をたす・・と言うのが一般的です。
英国はそこそこマシです。駅構内に入ればトイレはダタで日本と同じように普通。
しかし、ウェストミンスター寺院のトイレは男女一緒で、男性職員が中をウロウロ・・と言うのには驚きました。
ロンドン(London) 3 (テムズ川に架かる橋 2)
7.ハンガーフォード・ブリッジ(Hungerford Bridge)(Golden Jubilee Bridges)
チャリング・クロス(Charing Cross)
クレオパトラの尖塔(Cleopatra's Needle)
8.ウェストミンスター・ブリッジ(Westminster Bridge)
芸術家が愛したウェストミンスター・ブリッジ
9.ランベス・ブリッジ(Lambeth Bridge)
赤いランベス・ブリッジと緑のウェストミンスター・ブリッジ
今回はロンドンと言えば必ず紹介されるビッグ・ベンを背景にしたウエストミンスター地区の橋の紹介です。
テムズ川はロンドンの歴史でもあります。川辺にはいろいろオブジェもありました。
7.ハンガーフォード・ブリッジ(Hungerford Bridge)
現在の正式名(Golden Jubilee Bridges)
ロンドンアイから最初の橋がハンガーフォード・ブリッジです。
最初にこに橋が架かったのは1845年。
鉄道の拡張に伴い1864年に鉄道橋としてかけかえられ、1990年掛け替えが決定。
初代のレンガ壁も利用され2002年に現在の橋が完成。
エリザベス2世女王の即位50周年記念から橋の名前は50周年橋(Golden Jubilee Bridges)に変更されたそうですが、長く親しんだハンガーフォード・ブリッジの方が知られています。

北岸にはチャリング・クロス駅(Charing Cross station)
チャリング・クロスはロンドンの中心
チャリング・クロス(Charing Cross)
エドワード1世( 1239年~1307年)が王妃(Eleanor of Castile)の亡骸をウエストミンスター寺院に輸送する道程に建てた十字架がチャリング・クロス(Charing Cross)の由来
だと言われています。
エドワード1世との間に16人の子がてきたと言うくらい二人は仲の良い夫婦だったようです。
王妃は現在のリンカンシャー州 (Lincolnshire) リンカン (Lincoln)で1290年に病没。
王は妃を連れて帰るべく、内臓をリンカン修道院に埋葬し腐敗処理したボディーをロンドンに。
ウェストミンスター寺院までの道程12日。その12カ所に木の十字架を建てて搬送の印としたのがチャリング・クロス(Charing Cross)
だそうです。
木の十字架は後にゴシックの石の塔(Eleanor cross)に変わりその一つが現在のチャリング・クロス駅の前にあったそうです。
鉄道橋と言っても、その両サイドに歩行者用歩道橋(幅13フィート 4 m)が付いた珍しい橋
ハンガーフォード・ブリッジ越しにクレオパトラの尖塔が見える。
クレオパトラの尖塔(Cleopatra's Needle)
実は対になっているこのオベリスクの片割れはニューヨークにある。
本来の出所は、第18王朝6代目のファラオ、トトメス3世がヘリオポリスに建てた2本のオベリスクの一つ
です。
そのオベリスクはローマのアウグストゥス帝がアレキサンドリアのカエサリウム神殿の前に飾る為にヘリオポリスより運び入れ、 19世紀後半になって倒れていた一つがロンドンに運ばれ、建っていた一つがエジプト総督からの贈り物としてニューヨークに渡った
のだそうです。
途中ビスケー湾で暴風に遭い行方不明になったオベリスクは奇跡的に沈む前に発見され、川を曳航されてここに設置された・・と言ういわくつきです。
下のスフィンクスはイギリスで後に製作されて置かれたもの。
クレオパトラとは直接因縁は無いのですが・・
そのオベリスクの納められたコンテナ船の名前が「クレオパトラ号」だったと言います。
さらに言えばここに来る前にオベリスクが置かれていたアレキサンドリアは最後のエジプトの王朝、プトレマイオス王朝の首都があった場所です。
そして最後の女王がクレオパトラで、王朝最後の王がクレオパトラとユリウス・カエサルの間に生まれたカエサリオン(プトレマオス15世)でした。
8.ウェストミンスター・ブリッジ(Westminster Bridge)
テムズ川には、昔から今みたいにたくさん橋がかかっていたわけではなかったようです。
技術にお金はもちろん、渡しの船頭の反対もあったようです。
撮影は水族館前 背景は北岸のウェストミンスター宮殿とその時計塔(ビッグ・ベン)
最初に橋がかかったのは1739年~1750年頃。
現在の橋は1862年開通。
全長 826.8フィート(252m) 幅 88フィート(26.8m)
ロンドン・アイから撮影
ウェストミンスター宮殿(the Palace of Westminster)とビッグ・ベン(Big Ben)
王は1049年からこの宮殿に居住。
13世紀にはウェストミンスター宮殿がイングランドの中心として機能。
1529年の大火が発生するまでウェストミンスター宮殿は王宮だった。
何度も火災や爆撃で宮殿は崩壊。
19世紀にイギリス政府はコンペ形式によって、新国会議事堂の設計。
外観はテムズ川対岸からの眺めに重点をおきながら威厳のあるファサードが構成されている。
芸術家が愛したウェストミンスター・ブリッジ
ウェストミンスター・ブリッジは、多くの画家が描いていますが、中でも印象派の画家 クロード・モネはこの橋の上から「国会議事堂をバックにしたテムズ川の眺め」の連作を描いています
。
「・・・霧はロンドンに驚嘆に値する広がりと、規律正しく建てられる建築物に神秘的なヴェールと静けさを与えている。」
彼は特に冬の霧に覆われた薄暗いロンドンの景色を好んだようです
。
また、 イギリスの偉大なる詩人、ウィリアム・ワーズワース
(William Wordsworth)は
1802年、Westminster Bridgeの詩を詠んでいます。
「・・・船や塔や ドームや劇場 教会の建物が広々と 青空にそびえながら立ち並び清浄な大気を浴びてきらめき輝く・・」
彼は モネとは対照に朝の静寂の中に街が輝く美しさを何よりも素晴らしい眺めだ・・と好んだようです。
9.ランベス・ブリッジ(Lambeth Bridge)

1932年開通のアーチ橋
赤いランベス・ブリッジと緑のウェストミンスター・ブリッジ
両者の橋の間にはウエストミンスター宮殿があり、宮殿は現在英国議会の議場になっている。
上流側に上院(赤いベンチ) 下流側下院(緑のベンチ)
橋の色は上院側と下院側を表しているとか・・。
撮影時は調度雨が上がった時。天気にはめぐまれなかったロンドンです。
天気に恵まれなかったのはロンドンだけではないけど・・。
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リンク ロンドン(London) 1 (テムズ川)
リンク ロンドン(London) 2 (テムズ川に架かる橋 1)
リンク ロンドン(London) 3 (テムズ川に架かる橋 2)
リンク ロンドン(London) 4 (タワー・ブリッジ 1)
リンク ロンドン(London) 5 (タワー・ブリッジ 2)
リンク
ロンドン(London) 6 (バトラーズ・ワーフ)
リンク ロンドン(London) 7 (シャッド・テムズのカフェレストラン)
リンク ロンドン(London) 8 (シティの紋章)
リンク ロンドン(London) 9 (テンプル教会 1)
リンク ロンドン(London) 10 (テンプル教会 2 Banker)
リンク ロンドン(London) 11 (テンプル教会 3 中世の騎士)
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