鍋・フライパンあれこれ美味
100万ポイント山分け!1日5回検索で1ポイントもらえる
>>
人気記事ランキング
ブログを作成
楽天市場
000000
ホーム
|
日記
|
プロフィール
【フォローする】
【ログイン】
Lemonhart755
山中鹿之助・清水宗治
「願わくば、我に七難八苦を与え給え」
これは有名な山中鹿之助の言葉である。
鹿之助は、尼子十有志の筆頭に上げられた武将だが、その生涯は
主家である尼子家の再興に命を賭す、というものであった。
しかし、最後は、敵の毛利方に捕らえられ、護送の途中で斬殺された。
鹿之助は天文14年(1545)頃、尼子氏に仕える山中満幸の子として生まれた。
すでに8歳で人を斬り、13歳で戦場に出て敵の首級を挙げた、という。
永禄3年(1560)鹿之助が16歳の時、尼子氏と伯箕の尾高城主山名氏との合戦があった。
鹿之助は出陣を前に、兜の前立に半月をつけ、三日月に向かって
「願わくは今日より30日のうちに、武勇の誉れを得さしめたまえ」と祈った。
この祈りが通じたのか、鹿之助は戦場で奮闘し、菊池音八tぴう豪の者を討ち取ることができた。
しかし、油断は禁物である。
一時の成功に心を暖ませては、いつ敵に討たれるか分からない。
鹿之助はそれ以来、三日月の夜になると必ず
「願わくば、我に七難八苦をあたえ給え」と祈った、と伝えられる。
それだけ自己に厳しく、ひたむきに生きたともいえるが
これは母親の影響が大きかったようである。
父の満幸は鹿之助が生まれた翌年死去。
母親は貧苦のなかで、鹿之助を育てた。
尼子氏は出雲の富田城を本拠とし、経久の時代には戦国大名として飛躍的に成長し中国11ヶ国を領した。
だが、天文10年(1541)経久が没してからは衰滅の一途をたどった。
山中家の先祖は尼子家の一族だったが、父の頃は尼子氏の軽臣でしかない。
そのうえ、尼子氏もかっての勢いは無く、すっかり衰弱していた。
そうした状況の中で、、母親は彼に望みを託したのだろう。
まだ、幼いうちから、彼に栄光に満ちた尼子氏と、山中家がその一族
だった正統性を教え込んだ。
そればかりか、尼子氏のかっての隆盛を取り戻すのは御前の役目だ、と
いわんばかりの態度を取り続けたようである。
いずれにせよ、教育の影響は大きい。
鹿之助はそうした母の教育によって、生涯を尼子家再興のために尽くし
苦難の日々を送ることになった。
隆盛を誇った尼子氏が滅亡したのは、永禄9年(1566)鹿之助が22歳の時だった。
山陰に勢力を広げつつあった毛利元就によって、富田城は攻め落とされたのである。
その後、鹿之助は流浪の旅を余儀なくされたが、富田城の奪還と尼子家再興の願いは消えることはなかった。
むしろ、それは強まり、京へ出て尼子家の血筋を引く者を探し始めた。
こうして、京都の東福寺で僧になっていた尼子孫四郎勝久を探しだし還俗させて、尼子家再興の盟主とすた。
永禄12年(1569)勝久17歳、鹿之助は25歳だった。
勝久と鹿之助は尼子家の旧臣達を結集し、3000ほどの軍勢と、数百艘の軍船を率いて出雲に上陸し
富田城の奪還に乗り出したのである。
当時、毛利方の主力軍は九州で大友宗麟と戦っていたが、急遽引き返してため、激しい戦いになった。
戦いは元亀2年(1571)まで3年に及んだが、ついに富田城を取り戻すことはできなかった。
鹿之助は、その後はゲリラ戦を繰り返したが、吉川元春に捕らえられ、尾高城に閉じ込められた。
元春は2000貫の土地を与えることを条件に、鹿之助に味方するよう誘った。
しかし、尼子家再興のほか眼中に無い彼は、全くとりあわない。
更には赤痢と偽って厠にしげしげと通い、見張り役の目を盗んで
厠の吸取り口から脱出してしまったのである。
その後、彼は京都に行き明智光秀を頼って信長と会見し尼子家の再興を訴えた。
天正5年(1577)中国攻めが始まると、秀吉は上月城を占領し鹿之助と勝久とともに入城させた。
ところが毛利は翌年天正6年(1578)3万もの大軍を派遣し、上月城を包囲してしまったのだ。
秀吉は三木城を攻略中だったが、上月城を救援するため、一万の軍勢を率いて駆けつける。
しかし、毛利の大軍を前にして劣勢を挽回することができない。
まもなく、信長から上月城を放棄して、三木城を攻略せよ、との命が伝えられ秀吉はやむなく上月城を見捨てた。
上月城は7月5日、あえなく落城し、尼子勝久は切腹したが、鹿之助は捕らえられた。
鹿之助は、なんとしても敵将の吉川元春うを討ちたいと、その機会を得るために切腹しなかったという。
だが、7月17日、護送される途中、備中甲武川の阿井の渡しで、鹿之助は護送役の河村新左衛門に切りつけられる。
傷を負った鹿之助は、川に飛び込んで逃げようとしたところ
あとから飛び込んだ福間彦左衛門に追いつかれ斬殺された。
鹿之助34歳だった。武将としては最後の往生際が悪い。
このため、鹿之助には武将としての潔よさがない、という評もある。
しかし、それまで尼子家再興の機会が何度も巡ってきただけに
鹿之助は生き延びさえすれば、また機会が訪れると信じていたのかも知れない。
秀吉の軍から離れるべきではなかった。
城は、あとからで良かったと思う。
武将としては優れていたが、先が読めるような
知将には、ほど遠かったのが残念だ。
秀吉の下で戦略を少し学んでいたら、違う結果が
生まれていたと思えてならない。
清水宗治
備中高松城主、清水宗治は天正10年(1582)6月4日、秀吉に水攻めにされ
5000人の籠城兵を救うために切腹して果てた。46歳の潔よい死である。
当時、宗治は、毛利方の小早川隆景に属しており、高松城が毛利方の前衛となっていたため
秀吉の攻略目標となった。
だが、高松城は平城ながら西南には足守川が流れ、三方が沼などの湿地帯だし
一方に堀があっていわば水に守られた堅城だった。
そこで秀吉は、得意の勧降工作をする。宗治に対して
「味方すれば備中と備後の二国を与えよう」と誘ったのだが
宗治は隆景との昔からの友誼を重んじて、きっぱりと拒否した。
秀吉はそれならと、総攻撃を仕掛けたものの、逆に数百人もの犠牲を出し失敗に終わった。
秀吉が次に行ったのは、城の周囲に堤を築いて、水攻めにするという作戦だが
これは秀吉の軍師黒田官兵衛の発案である。さっそく5月8日から足守川の
水をせき止める堤防工事に取り掛かった。
高さ4か間(7m)、長さ30町(約3.3km)という大堤防が12日間で完成した。
ちょうど梅雨の時期だったから、大雨が降り続いて足守川はたちまち増水、氾濫してしまった。
濁流は大堤防に遮られ、渦巻きながら城へ流れ込み、高松城は数日で水に浮かぶような格好となった。
その頃、5万人という毛利方の援軍が到着したが、なすすべが無い。
しかし、大軍がやって来たことを知った秀吉は、あわてて安土城の信長に使者を派遣し応援を求めたのである。
信長が出陣すれば、宗治に勝ち目は無い。宗治はやむなく講和の道を選んだ。
何度か交渉が行われ、城兵を助ける代わりに、宗治が切腹し、備中・美作・伯木の
三国を織田方に割譲するという条件で講和がまとまった。
秀吉は6月2日、宗治へ酒肴を届けた。
宗治は早速城内で城兵とともに別れの宴を開いた。
家臣達には「命を大切にして毛利家に忠勤を励むよう」と語り
自分に殉じることの無いようにと論した。
宴が終わった後、城を明け渡すため、城内を清掃させている。
ところが、信長は出陣の途中、6月2日に明智光秀の謀反に遭い本能寺で死んだ。
秀吉は、すでに3日、そのことを知っていたが、それを押し隠して宗治切腹の日を迎えた。
6月4日正午過ぎ、宗治は兄の月清や家臣の難波伝兵衛、高市之充らとともに船に乗り秀吉の陣所近くまでこぎ出した。
秀吉方からは、堀尾吉晴が検死役として船に乗り込み、宗治の船に近づいてゆく。
吉晴は、秀吉からのねぎらいの言葉を伝え、酒を与えた。
宗治は杯を飲み干すと、辞世の歌を詠んだ。
「浮世をば今こそ渡れ武士の、名を高松の苔に残して」
そのあと、宗治は小太刀を抜き払い、謡曲「誓願寺」の一節を謡いながら舞うと自刃して果てた。
兄の月清もそれに続いた。船は遺体を乗せ、高松城へと戻って行く。
宗治の死により、5000人の籠城兵は助けられた。
宗治の最後は辞世の通り、潔いものであったが、信長の死を知っていれば死ぬことも無かった。
信長という強大な幻に押しつぶされたともいえる。
秀吉がその後、中国大返しを行い、山崎の合戦に勝利し、主君信長の仇を討てたのも
宗治の潔よさに助けられたところが大きいといえる。
秀吉は宗治を切腹させず、山崎の合戦に連れて行くべきだった。
宗治のことだから、その意をすぐ理解し、秀吉のために
また、毛利家とのパイプ役となり、大いに活躍できたと
思われるのだが・・・・・
彼が秀吉の幕僚として生存していたなら、助けられた
恩義を忘れず、豊臣家のために働いてくれることは
容易に予測できる。
徳川の時代は無かったかも知れないと思われてならない。
秀吉は惜しい人物を自らの手で葬り去ったことを
あの世で後悔していることだろう・・・・・?
ジャンル別一覧
出産・子育て
ファッション
美容・コスメ
健康・ダイエット
生活・インテリア
料理・食べ物
ドリンク・お酒
ペット
趣味・ゲーム
映画・TV
音楽
読書・コミック
旅行・海外情報
園芸
スポーツ
アウトドア・釣り
車・バイク
パソコン・家電
そのほか
すべてのジャンル
人気のクチコミテーマ
株式投資でお小遣いを増やそう
《最簡潔》【悪材料は好材料?】経済…
(2026-08-10 17:46:21)
写真俳句ブログ
秋に入る
(2026-08-10 17:46:20)
お買い物マラソンでほしい!買った!…
今だけ半額!かかとケアソックスとユ…
(2026-08-10 08:25:41)
© Rakuten Group, Inc.
X
共有
Facebook
Twitter
Google +
LinkedIn
Email
Design
a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧
|
PC版を閲覧
人気ブログランキングへ
無料自動相互リンク
にほんブログ村 女磨き
LOHAS風なアイテム・グッズ
みんなが注目のトレンド情報とは・・・?
So-netトレンドブログ
Livedoor Blog a
Livedoor Blog b
Livedoor Blog c
楽天ブログ
JUGEMブログ
Excitブログ
Seesaaブログ
Seesaaブログ
Googleブログ
なにこれオシャレ?トレンドアイテム情報
みんなの通販市場
無料のオファーでコツコツ稼ぐ方法
無料オファーのアフィリエイトで稼げるASP
ホーム
Hsc
人気ブログランキングへ
その他
Share by: