2004年10月26日
XML
テーマ: 地震情報(631)
カテゴリ: カテゴリ未分類
新潟を中心とする、新潟中越地震によって甚大な被害が続出し、亡くなられた方や住む家を奪われて避難所生活をされている皆さんの事を思うと、阪神淡路大震災で被災して避難所生活を送った自分には他人事では無く、一刻も早く救済の手を差し伸べてやって欲しいと思うばかりだ。

自分も震災で住んでいた木造の家屋が倒壊し、止む無く逃げ込んだ近所の小学校で、約5ヶ月の避難所生活を強いられた訳で、その当時の状況を思い出しながら振り返ってみる。どちらかと言えば、まだ恵まれた方かも知れないので、もっと不便な状況下に晒されている方々への、援助の仕方の参考になるかどうかは分からないけれど。

その前に、くどい様で申し訳ないのだけれど、8月28日付けの日記も合わせてお読み頂きたいので、お手数でも遡って是非御一読の程を。

平成7年1月17日の早朝に発生した、阪神淡路大震災によって、住処を失い仕方なく近所の方達の勧めもあって、運べるだけの荷物と共に、近所の小学校に転がり込み、何とか職員室の角っこが空いていたので、当夜はその場で寝泊りした。その夜に配給された食べ物は1人当たりリンゴ4分の1切れとみかん1個だったと記憶している。

夜になっても余震の不安と寝床の狭さで眠れたもので無く、故障した信号機、サイレン、ヘリコプターの音がお構いなしで鳴りっ放しの日々が続いた。

3日程経って職員室を対策本部に使うので、部屋を替わるように言われて、移った先は幸運にも家庭科室であった。上履きにしているらしく床も殆ど汚れていなかった。とはいえ、ここで約5ヶ月も過ごす事になろうとは、予想も出来ない位気持ちに余裕は無かった。

部屋を移った辺りから徐々に食料の配給も、そこそこ安定する様になりつつあったものの、温かい物は口に出来ずにいた。そのうちに配給の食事を貰いに行ったり、連絡事項を伝えるのにそれぞれ部屋毎に避難者同士で役割分担をしながら、助け合って新しい住家へ移るのを待っていた。

風呂にも10日程入れずに、ようやく部分復旧した電車と代行バスを乗り継いで、大阪市内の銭湯迄丸1日掛けて行った事もあった。

この間傾いた元の住家から出せるだけの物を救出して、親戚や知り合いの家に預かって貰い、自分自身は避難所から職場へ通勤した。



日が経つにつれて、住処が決まり部屋を出る人も増えていった。仮設住宅の当選結果には一喜一憂の明暗もあった。そして夏を迎えようとする6月に入ったところで、親の知り合いの紹介で空いた借家(この8月迄の住家。)へ移り、ようやく人並みの生活に戻る事となったのである。

もう2度とあんな生活は御免蒙りたいが、現実に今は新潟の地震や、豊岡・舞鶴の台風による水害で同じ様な事態が起こっている。不便な生活を強いられている方々を早く人並みの生活に戻してやって欲しいと思う。

「もう台風も地震も来んといてくれ、何人犠牲を出したら気が済むんや!」





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2004年10月27日 19時43分15秒
コメント(20) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

星の風来坊

星の風来坊

お気に入りブログ

最早岸田は侍 New! チョーサン8278さん

須磨デジタルスタン… New! かねやん0701さん

第36節 神戸1-1ガンバ… mumumu_visselerさん

らぶ♪ 24love。(らぶ♪)さん
バモスヴィッセル! … vamos-vkさん
*** mi gustar *** bettys papaさん
せっけん好き*あわだ… mayrinさん
前向きに・・・ hyu_koさん
kirei*mitsuketa H*roppyさん
Orange Candy 羽 佑海さん

コメント新着

滋賀県彦根市@ 滋賀県彦根市 2025年10月28日今日は地震0回まだまだない…
滋賀県彦根市@ 滋賀県彦根市 ほくは彦根市です。
学校多賀県@ 学校多賀県 ほくは2023年学校卒業しました。 小林さゆ…

カレンダー


© Rakuten Group, Inc.

Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: