児童教育~ある冊子からの抜粋


私は、「敵」を「ダンナ」に置き換えて考え、とても反省させられました。

皆様の何かのお役に立てば、と思います。


何が何でも子供の味方

子の悪口は謙譲の美徳にあらず

私はお母さんにこう聞きたいのです。
「隣の人がある集会で、あなたがいるにもかかわらず人々の面前であなたの悪口を公言した場合。また、あなたのいない所で陰口を叩いていると知らされた時、あなたは隣人をどう思いますか」
この質問は非常に重要なことです。真剣に考えてみて下さい。
きっと、あなたは裏切られたとショックを受け、もう外は歩けないと失望し、ノイローゼにもなりかねません。信頼していたと思えば思うほど心の傷は大きいのです。
彼女は私の敵だ!もう口をきかない、そう思うのは当然です。仕返しをしてやろうとまで思う人もいるでしょう。
世のお母さん方、考えてみて下さい。隣に住んでいる意地悪な人と同じことを平気であなたは、わが子にやっていないかどうか…。
○○学園に入学を希望して子供を連れてくるお母さん。また、生徒、親、教師の三者で話し合いが持たれたとき、お母さんは挨拶もそこそこに、
「この子は勉強嫌いで、テレビばかり見ています。親の言うことなんか、ちっとも聞きません。しょうがない子、先生、なんとかしてください」
こんな具合で本人の前で平気でわが子を侮辱しています。悪口を言うことを謙譲の美徳と勘違いし、近所のお母さんたちに対しても無神経に子供の失敗、欠点をばらしてしまいます。それも次から次へと、しつこく並べたてます。子供は寒風に揺れる小枝のように、小さく小さくなっています。
子供が良くならないのは当たり前です。もっと困ることは、お母さんは自分のこの言動が悪いとはちっとも思ってはいないことです。
子供はますます心を固く閉ざし、やる気を失い、親の屈辱にじっと耐えています。しかし、やがて耐えられなくなります。不満やストレスの蓄積が極限に達し、ある日、突然爆発し、「親の困ることをしてやろう」と、仕返しが始まります。いじめっ子、いじめられっ子の原因もここに見ることが出来ます。
お母さんの心の中には愛がいっぱいありますが、それを心配、不安、焦り、みえが包んでいます。特に、みえはわが子に対して残酷です。
子供から見ると、お母さんの口や目、手は丸で敵のように動くわけです。そうなると子供はお母さんを敵と見るのは当然です。
愛は心の中にあっても当てになりません。愛は顔、とくに目、耳、口および胸、手足に生きているものなのです。愛は名詞でなく動詞なのです。
自分は敵に対してどうするだろうかを考えてみましょう。

不安、不信、疑いを持つ。

敵を降参させたい、自分の思うとおりに支配したい。

脅迫する。監視する。電話の盗聴、手紙の開封などスパイする。耳をふさぐ。さぐる。禁止する。弱みにつけ込む。尋問する。命令する。許さない。

叩く。つねる。いやみや皮肉を言う。叱る。にらむ。冷笑する。悪口や陰口を言う。

このようにしても敵がこちらの思うようにならないと、怒る。憎む。見下す。

《敵の反応》
やる気を失う。憎む、うらむ、反発する。怒る。攻撃する。暴力を振るう。口も心も閉じる。避ける。武装する。緊張する。疲れる。頭の中が不安でいっぱい。不自由。

自分も敵も共に心は氷のように冷たい。

「敵」と言う字を「わが子」と置きかえてもう一度、自分は敵に対してどうするだろうかを読んでください。
そして、次のことを考えてみてください。
(1)「あなたのためよ」「愛しているから」と言いながら、実際にはわが子を敵のように扱ってはいないだろうか。
(2)子供はお母さんの愛情を感じてはいるが、お母さんが具体的に敵側の言動をするから、子供の中の防衛本能が無意識に働き、反抗しているのではないだろうか。
あるお母さんは「子供が私を味方だと思っていないのは当然だ」と気付いて、ハッとしたと私に話されました。

※「強い子、伸びる子の育て方」(著者:山崎房一氏)(PHP文庫)の中から掲載しておりますが、良い本ですので全て読んでみたい方はご購入下さい。





© Rakuten Group, Inc.

Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: