ローズダンサーのHP

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吹奏楽物語 H26年度



本庄にとって人生20回目の春を迎えた。
高校の吹奏楽部を定期演奏会で引退し、一応の区切りがついた筈で、大学では吹奏楽を続けないはずの本庄であったが現実はどうであろうか。また変わらずチューバを吹いていた。
また受験戦争において自分の納得いく結果が残せなかった本庄は、浪人という道を選び、そしてその結果2浪という結果を回避し、東京の某私立大学へと進学した。
山梨から通学することは不可能であるので一人暮らしをすることとなった。環境が激変した。
「結局楽器から自分は離れられなかったんだな…」
本庄はそうぼやいた。
そう、心のどこかではやはり吹奏楽を続けたい思いがあったのだのだろう。
そして、吹奏楽を続けるに当たって本庄は2つの選択肢に迫られた。
1つは大学公認の吹奏楽団。出席もとるところでいわば高校の部活の雰囲気を続けるという場所だ。
もう1つは学部のサークルで、吹奏楽を単純に楽しみたいと感じる人の集まりで雰囲気は緩かった。
吹奏楽団の方に高校の時一緒の部活だった人が居たこともあって、まず本庄はこちらの見学にいくことにした。
「いやー、チューバは貴重だからね…うれしいよ!」
歓迎された。正直こちらの方に籍をおこうかとも考えた。
しかし、よくよく話を聞いてみると
「ここは厳しいよ…大学生活全部犠牲にするつもりでやらないと」
そっと高校の時の同じ部活だった人が教えてくれた。
自分はいったい何をしに大学へ進学したのか。
吹奏楽をやるためなのか?
「ここは兼サーはできないんですか?」
「兼サーは禁止だね…そもそもそんなことしてる余裕ないけど」
この一言で完全にここに入る気はなくなった。
本庄は大学に入るに当たってせっかく上京をするんだから自分の見解を広げるために様々なことに挑戦したいと考えていた。
吹奏楽に全力で取り組む大学生活も悪くないだろう。
ただ、自分は様々なことは挑戦したい。
そこで本庄の足は自然ともうひとつのサークルの方へ向いていた。
もうひとつの方はサークルということもあって緩い雰囲気。また、吹奏楽団の方はキャンパスから離れたところで練習しなければならなかったがこちらはキャンパスで練習できるということも魅力的であった。
ここにするか。
吹奏楽を続けるつもりはなかったがやはり開講式や入学式の演奏を聞いて心が動いた。
自分はもう吹奏楽とは離れられないんだろうな。
「これだから吹奏楽はやめられない…」
高校のコンクール終了時の顧問の先生のこんな言葉を本庄は思い出していた。
また、他にも写真のサークルや歴史のサークルなど計4つのサークルに所属することとなった。
吹奏楽の新歓には写真のサークルの新歓が被ってしまい行けなかったが、様々な楽器を吹いてみる楽器巡りという行事でのこと。
本庄は体験に来ていた男子たちと話していた。
「え、○○高校!同じ県じゃん!」
「まあ遠いけどな」
こう話すのは稲生。本庄と同じ県の高校に通っていたので始めに話題のきっかけとなった。
「本庄はチューバなのか。俺も昔低音やってたわ」
いっぽうこちらは遠藤。神奈川出身で昔はバリトンやチューバをやっていたらしい。
当初本庄は浪人ということを隠す筈であったが、遠藤が
「実は俺浪人なんだよ」
「まじか!びっくりしたよな、本庄?」
ここで一瞬迷ったが
「実は俺も…」
「まじか!じゃ、ここ両方年上かよ!」
ということがあって浪人ということが知れわたってしまった。
また、浪人仲間の遠藤とはこれを機によく話すようになった。
この楽器巡りでは1年生の男子では、他にも稲生と同じ学校出身の生駒や、吹奏楽初心者の清水とも話すようになれたし、先輩の女子とも話せたが、同級生の女子とは話せなかった。
そしてついにやってきた楽器決め。
本庄は正直楽器決めについては楽観視していた。なぜならチューバという楽器は万年人員不足で、中学でも高校でもすんなりとなることができたからだ。
しかし、
「今からいう希望楽器の人は残ってください。トロンボーン、クラリネット、チューバ・・・・」
え・・・
なんとこの年はチューバ希望者が本庄を含んで3名居たのだ。
しかし、空いているチューバの席は1つ。
その3人と指揮者の先輩とで話し合いが行われた。
「今、ほかにあいている楽器はユーフォとパーカスがあるけど・・・どうだろうか?」
迷った。どうする・・・?
ユーフォに興味がないわけではなかった。中学高校と吹奏楽を続けていてチューバの次に興味があったのがユーフォであったからだ。
しかも、自分の技量を考えてもここでチューバを譲る方がサークルのためとまで考えていた。
しかし、
「じゃあ自分はユーフォやります」
という言葉が出なかった。やはりなんだかんだで自分はチューバが大好きで離れたくなかったのであろう。
本庄はわがままを通してしまった。
結局、2人に辞退までさせてしまい本庄はチューバとなった。
他にやりたい人が居て、それを辞退してもらってまで楽器をやらせてもらうのだ。
これまで以上に真剣に楽器に向き合わなければと感じた。

入部してから2週間ほど経ったある日のこと。
サークルに行った本庄に対してチューバの先輩がこう声をかけた。
「隣でユーフォ吹いている子も1年生だから仲良くしてあげてね!」
そこでお互いに顔を合わせた。
「あ、どうも。チューバの本庄って言います」
「どうも。ユーフォの平井です」
これが初めて同級生の女子と話した瞬間だった。
その日のサークル終了時。先輩たちがご飯をおごってくれるということで稲生や生駒、遠藤らとファミレスに来ていた。
この日は男子ばかりでてっきり本庄は女子は誰も来ないんだろうなと思っていたら先ほどの平井はついてきていた。
ああ、なるほどこういう女子っているよな。
本庄の抱いた最初の感想はこれであった。
そして、席決めをした結果、本庄と稲生と平井は同じテーブルになった。
しばらくして盛り上がった後で、
「じゃあみんなのあだ名をきめようか!」
テーブルで一緒だった先輩がこんなことをつぶやく。
本庄は高校までの自分とは決別するためにもやし、というあだ名は封印することにした。
「そういえば本庄って浪人なんだよな」
「はい・・・」
先輩とのやり取り。
「じゃあ本庄さんでいいんじゃない?」
平井がこう笑う。
「ちょ・・・敬称は距離感ある感じするからなしで!」
「今までなんて呼ばれていたの・・?」
ここでみんなが自分の今までのあだ名を公開した。
しかし、どうにか本庄さんを略してほっさん、と呼ばれていくということでもやしと呼ばれることは回避した。
みんなのあだ名も決まったことでそれぞれの親睦が深まったのであった。
これだけではない。これから数日たたないうちに、
本庄と生駒と平井で帰っていたときの電車での会話。
「そういえばほっさんって一人暮らしなんだよね」
「そうだよー、駅は途中の○○ってところでさー」
「なら定期圏内だから行けるね!」
ここで一瞬の沈黙の後、
「来ちゃいます・・・?」
「行っちゃうか・・・!」
ということでわずか出会って数日で本庄は家に初めて大学の友達を招いたのであった。
それまでは知多や小学校の時の友達だけであったのだが。
平井や生駒、稲生、遠藤らとは急激に仲良くなっていった。
そしてそれは、本庄のサークルに対する求めているものも変化していった。
これまでの中学高校ともちろんいろんな人に会いに行くために吹奏楽部の活動を続けていた面もあったがこの時ほどその思いが強くなったことはなかった。
楽しい。
本庄は心の底からそう感じた。
また、本庄のアパートはたまり場化しだしていた。
上京前、大学近くにアパートを借りようとした時、
「たまり場になるからやめなさい」
という母の勧めで若干大学から遠い場所に部屋を借りたのであるがどのみちこうなるだろうと本庄は予想していた。
だが、それはうれしいことであった。
こうして、サークルでいろんな人々と仲良くなることができた本庄はサークル内の発表会であるサマーコンサートに向けての練習に身を投じるのであった。


第30楽章 秋合宿と学園祭

サマーコンサートが終わったら次の発表の舞台は学園祭である。
前期はサークル皆勤賞を達成するほどやる気のあった本庄であったが、夏休みに入り免許のための教習があったりと忙しくなってさすがに出席率が落ちてしまった。
さて。
学園祭では全体発表以外に有志で集まって発表することができる。
普段はあまり参加する人がいないらしいが、本庄はこれを機にいつも一緒にいるメンバー以外で演奏するいい機会だと思いアンサンブルを立ち上げることにした。
Tpにはこれまた男子の成田と、サマコン前からちょくちょく話をするようになった丹原。
Tbは高校時代吹いていたということで現在はClだが稲生。
Euphは平井。
Tubaに自分。
Clには生駒と、丹原と仲がいい上野。
Percに遠藤。
本庄はこのアンサンブルを機に自分をはじめいろんな人がいろんな人と仲良くなれればいいと思い企画したのであった。
曲決めや練習場所・時間に難儀したが、どうにか形にはなってきていた。
そして夏休みも早くも終わりに近づいてきていたが、ここで夏合宿を迎えた。
この合宿は4泊5日という長期間のもので、主に12月の定期演奏会の曲を仕上げるのが目的である。
この合宿を通してまた仲良くなることができた人が増えた。
Flの須藤である。
須藤と本庄は同じ学科で同じクラスであって、本庄からは一方的に認識していたのだが、向こうは知らなかったようで
「須藤さんだよね・・?クラス一緒の!」
と本庄が言った時に非常にびっくりしたとのちに須藤は語ってくれた。
合宿時、夜の自由時間でたまたまその場に居合わせたのが生駒と本庄と須藤であった。
なんとなしにUNOをすることになったのだが、ここで須藤が5連勝する。
「わー、須藤さん強いなー!女王様みたい!」
と生駒が言ったのがきっかけである。
生駒はこういうときにすごいと思うと本庄は感じた。
また、この後稲生の提案で人狼をやることになったのだが、これがみんなはまってしまいまさかの最終日オールに。
翌日の会議ではみんな顔が死んでいたのである。
須藤とはこれを機によく話すようになり、やはり同じ史学科ということもあってまた歴史の話で盛り上がり、打ち解けたのであった。
(あ、もちろん吹奏楽の方もしっかりやってましたよ・・・?)

合宿も終わってそろそろ学校も始まろうかという時期。
これまた稲生の提案で本庄にとっては人生初のカラオケオールをすることとなった。
この時のメンバーに、今まであまり話す機会のなかったこれまたFlの高橋が居たのだが、この時のオールでだいぶ打ち解けることができた。
こうして、数多くの人たちと仲良くなり学園祭まで残すことあと少しとなったのであった・・・

第31楽章 ゲーセン部

合宿も終わり少し経ったある日。
4年生のPercの永井先輩と平井、生駒、そして学園祭の一緒に演奏するメンバーのTpの成田でサークル後にゲーセンに行く機会があった。
この永井先輩とはパズドラがきっかけで話すようになったのであったが、まだそこまで話したことはなかったし、成田ともちょくちょく話す程度であったのだが、
それまでゲーセンとは無縁(UFOキャッチャーに多少自信があっただけ)だった本庄にとって大きな衝撃であった。
「先輩一緒に太鼓の達人やりませんか・・?」
「おう、いいだろう」
まさかこの一言が本庄をゲーセンにいざなうことになろうとは・・・・
音ゲーといえば太鼓の達人しか知らなかった本庄であったが。
隣で永井先輩は難易度"おに"でフルコンボを達成していた。
それまでせいぜい自分の周りで音ゲーできる人といえば知多のむずかしいフルコンボくらいでいわゆるガチ勢というものを知らなかった本庄にとっては十分すぎる衝撃であった。
「まじっすか・・・」
「いやいやほっさんも十分上手だって・・!」
この時本庄は思った。あっちの世界へ行ってみたいと・・・!
太鼓の達人しか知らなかった自分にとってはmaimai、リフレク、jubeat、サウンドボルテックスなど次々とあらわれる音ゲーが非常に魅力的に感じた。
結局この日に音ゲーにどハマリしてしまい、(ちなみに平井もガチ勢)終電を危うく逃すまで遊んでいた。
「うちのサークルにはゲーセン部なるものがあってね・・・」
「ゲーセン部・・・?」
どうやら永井先輩の話によると代々ゲーセンが好きな人が集ってゲーセン部なるものを作っていたらしい。2年生のオーボエの五十嵐先輩もそうであるらしい。
それから本庄はよくこれらゲーセン部の人たちとゲーセンに足を延ばすようになっていた。
吹奏楽とは関係ないかいかもしれないが、より仲が良くなったと感じたのであった。

第32楽章 激動の1年後期

サークルで出演する地域のお祭りの演奏も終わり、いよいよ学園祭が近づいてきた。
曲決めに難儀し、遠藤がパーカス初心者ということもあって曲の仕上がりが遅れた。
また、最終局面になって曲が変わるというハプニングもあり大変な思いであった。
それでも本庄は楽しかった。
「高校までの吹奏楽とは違う、これは自主的にやっている音楽だ。真剣にやっている人たちからは怒られるかもしれないけどこういった音楽の形だってあっていいじゃないか。」

そんな中、本庄は20歳の誕生日を迎えた。
その時、サークルの学年ラインには「ほっさんおめでとー!」のメッセージの大合唱が。
うれしい。
ここには自分の居場所がある。
本庄は素直に感じた。
正直、高校までの自分のキャラはいじられキャラ(で、自分で無理矢理居場所を作ろうとしていた感じも否めなかったのである。
また、バイトを始めたのもこのころからであった。
幸いにも近くに新しくコンビニができたのでこれ幸いにとバイトを始めた。
人生初めてのバイトということで緊張はしていたがこれまたいい経験となった。
様々な人から誕生日のお祝いもいただいた。
ゲーセン部からはゲーセンで使えるカードを。(今も愛用しております)
須藤からはクッキーを。(おいしくいただきました)
遠藤からは飯をおごっていただき、多くの人から祝福を受けた。

そんなこんなで楽しい日々が続いていた中、どうにか演奏も形になり始めた中で迎えた学園祭本番。
雲行きが怪しい中、屋内でサークル全体での発表を終わらせる。つづいて有志によるアンサンブル。屋外ステージなので雨天中止なのだ。
「なぜこういう日に限って雨が降るのか」
本庄はそう感じていた。なぜだ、本当になぜなんだよ・・・・
結局、このアンサンブルメンバーによる発表の機会は来ることはなかった。
雨ざらしになる発表場所になるはずだったステージを見つめながら本庄は思った。
「来年こそ、は・・・!」

第33楽章 僕と演奏会とクリスマスパーティ

いよいよこのサークル一番の大行事、定期演奏会が迫ってきていた。
ここまでの合宿や学園祭や地域のお祭りで演奏した曲もすべてこの定期演奏会で演奏するためのものであったのだ。
また、このころ本庄は平井に、平井の所属する楽団への見学へ誘われた。
まさか大学まで続けることになるとは思っていなかったチューバ、社会人になっても続ける場所が欲しいと感じていた本庄にとっては渡りに船であったのである。
見学に訪れた本庄を待っていたのは低音を歓迎する声。自分が必要とされているということが本庄にはうれしかった。
しかし。この楽団に入るのには自分の楽器を用意しなければならない。
正直ためらった。これは今までの買い物とはレベルが違う。
しかし同時にあこがれもあった。本庄の姉はmy楽器を持っていて、そのかっこよさに正直あこがれていたのである。
また、自分の楽器を持つというステータスにもあこがれを感じていた。
端的に言ってしまえば、my楽器持っている人ってかっこよくね・・・?ということである。
しかし、今すぐには、ということは無理なのでとりあえず保留に。

そして、練習をする時間はあっという間に過ぎていき。
ついに本番当日を迎えた。
12月24日・・・世間ではクリスマスイブ真っ盛りの中、定期演奏会は始まった。
今回挑戦したのは難曲も含めて15曲ほど。

指揮者の先輩がとても楽しそうに指揮をするので本庄もとても楽しく演奏することができた。
・・・願わくば、もうちょっと人が見に来てくれればなぁ・・・・
さすがに日が悪かったのかあまり演奏会を聞きに来てくれる人はいなかった。
審査員に評価されてランク付けされる音楽ももちろんいいものであるが、こうして自分たちが作り上げて楽しむ&楽しんでもらう音楽もいいものである。
・・・このように本庄は感じていた。
そして、この演奏会次の日。
本庄宅でクリスマスパーティが開かれた。
メンバーは本庄、平井、須藤、遠藤、生駒、清水、高橋のオール1年生である。
それぞれ各自で料理を持ち寄り披露して大パーティとなった。
去年の浪人中はまったく人と関わらずずっと孤独であった本庄であったが、このようにこの1年間は大変充実していた。
本当に自分にはもったいない人たちばっか。
本庄の本心はこれであった。
サークル、私生活ともども順調であり、そして新年を迎えるのであった・・・・

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