Locker's Style

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『橋の下の彼女』(2)

1999年5月20日(木)

日本・三津丘市

 通勤ラッシュの時間帯をとうに過ぎ、車もまばらになった国道一号線。
 小さな港町のちょうど真ん中を南北に裂くように走るその片側二車線の道路を、型遅れの白いスカイラインが、制限速度を大きく超える速度で走っていた。
 運転席には、百八十六センチの大柄な若者が、着慣れないスーツ姿で、窮屈そうに座っている。
 柏葉将人(カシワバショウト)。
 二十五歳になったばかりの、自称〈フリーランス通訳〉――。
 将人は今日も、人材派遣会社の面接を受けた帰り道だった。そして、いつも通り不機嫌な顔で、いつも通り国道一号線を西へ走り、床を突き抜けるほど強くアクセルを踏み込みたい気持ちを、いつも通りぐっとこらえている。
 今度こそは、と毎度のように期待してみるものの、通訳という仕事は女性がやるものだ、という硬い偏見にはほとほと失望させられる。たった今訪問してきたばかりの人材派遣会社でも、相変わらずおざなりの対応しか受けることが出来なかった。
「何でもいいから英語を使う仕事がやりたいんです。英語力を生かせるなら、簡単な事務でもいいんです」
 将人がそう懸命にアピールしてみても、返ってくる返事はいつも同じだ。
「――もちろん先月、改訂男女雇用機会均等法が施行されたことはご存知とは思いますが、今の段階ではまだ、各企業の対応が追いついていない状態です。採用に関して男女差別をしてはならないと法律上保障されることになったわけですが、だからといって、通訳やその他、英語を使う仕事を、今すぐ男性のあなたにご紹介できる、ということにはならないんですよ。おそらく、この法律が目に見える効果を見せるのは、早くて来年の春以降になるんじゃないでしょうかね――」
 道の先の信号が赤に変わった。ブレーキをぐっと踏み、車を減速させる。塗装こそくたびれてはいるが、ブレーキの効きも、エンジンの吹け上がりも申し分ない。大学時代に親から譲り受けたこの車が納車されたのは、ちょうど今日のような、春の日差しが心地よい、中学校の卒業式の日だった。
 この調子なら、あと五年は持ってくれるかな――鼻先までずれ落ちたサングラスを押し上げながら、将人はそう願った。ガソリンを満タンにする金さえもっていない自分に、新しい車を買う金銭的余裕などない。
 こんなとき、自分は良い名をつけてもらったものだ、と将人はいつも思う。厳密には発音が違うが、日本人の耳には、〈将人〉は英語の〈金欠(Short)〉と同じに聞こえるのだ。
 苦笑いしながら、将人は狭い運転席で大きな体をひねり、ブレーキを強く踏み込んだせいで助手席のシートからマットの上に滑り落ちたA3サイズの封筒を拾い上げた。
 その封筒の中には、たった今、登録を済ませてきたばかりの人材派遣会社の案内資料が詰められている。
 信号が青に変わった。手にしていた封筒を助手席に放り投げて、アクセルを踏み込む。
 就職情報誌には、毎週のように、通訳や翻訳、外国人付秘書などといった人材派遣会社の求人情報が、何ページにも渡って掲載されている。派遣といえば女性のもの、というのがつい先日までの常識だったが、改訂男女雇用機会均等法の効果は、紙面上ではすでに効果を発揮しており、『男性のみ募集』とか『女性限定』などという文字は消え去った。だがそれは、求人広告の形式的な変革に過ぎなかった。会社は今でも、正社員では男性が欲しいし、派遣では女性が欲しい――。
 求職活動を始めてから、英語を使った仕事は女でなければ勤まらない、という偏見は、恐ろしく根が深いと、将人はつくづく思い知らされた。
 本格的に通訳でやっていこうと決めたのが今年の四月。それまで順調だった家庭教師のアルバイトも、生徒たちの受験が終わる三月中旬で辞めていた。
 あれから二ヶ月が経とうとしている。十社以上の人材派遣会社に登録したにも関わらず、そのあいだに請けた仕事は、一日限りの通訳が一件のみ。その派遣先では、「通訳が男で大丈夫なのか」と、挨拶より先に言われる始末だった。通訳は女性がやるものだ、という固定観念に、将人はほとほと失望を感じていた。世間では女性差別がさまざまな形で取り上げられるようになってはいるが、男性差別というものも、事実として存在している。法律が改正されたからといって、社会に長く根付いた偏見と固定観念が、スイッチが切り替わるように消えてなくなるわけがないのは、当然といえば当然だが――。
 バックミラーにパトカーが映っていた。アクセルを踏み込み過ぎていることに気付いて、将人は慌ててペダルから足を離す。
 大きなため息をつきながら、手動式のウィンドウレバーをくるくると回転させて窓を開けた。乾燥した暖かい空気が流れ込む。慣れない窮屈さで首を締め付けていたネクタイを引っ張って緩めると、汗ばんだ首まわりが一気に涼しくなった。
 ネクタイを締め、スーツを着て仕事探しに出かけるのを、初めのうちは心から楽しいと感じていた。しかし最近では、スーツを着るたびに、自分がまるで社会という群れからつまはじきにされてもなお、その一員であるかのように装っているのけ者のように思えてしまう。
「らしくないな――」ふと、そんな言葉が口をついて出た。「悲しそうな顔したって、誰も助けてはくれないよ」
 イギリス留学時代、辛い目に会って心が折れそうになると、将人はよくそうつぶやいて自分を戒めた。
 安い給料ながらもそれなりに楽しんでいた家庭教師の仕事は順調だった。四月から正社員でどうか、と営業担当から誘われた。その誘いを断って、将人は通訳の道に進むと決めた。通訳として認められ、活躍するまでの道のりは相当厳しいものになるだろうことはわかっていた。それでも、海外取引のありそうな地元企業に片っ端からダイレクトメールを送ったり、アポなしで飛び込み営業するくらいの意気込みは持っていたし、実際にそれを実行したときは、楽しいと感じる余裕もあった。しかしそれも、職種に関する性差別の現実を思い知らされるまでの話であり――。
 ふと、携帯電話に耳を当てて歩道を進むサラリーマンが目に入った。自分と同じか、年下に見える。彼は通話を終えると、携帯電話を胸ポケットに突っ込んで、にこやかに歩調を速めた。
 企業に必要とされている人間と、そうでない人間――。
 社会人というものが、将人には日増しにまぶしい存在に思えてくる。
 新卒での就職を考えなかったわけではなかった。ただ、学生時代にさまざまなアルバイトで関わった社会人たちは誰もかれも、盲目的に会社や組織、上司に忠誠を誓い、ただ同じ毎日を繰り返すうちに本来の自分のあるべき姿を失っているように見えた。就職すれば、自分もそうなってしまうのではないかという、恐怖心にも似た気持ちが、新卒で就職することを、将人にためらわせたのだ。
 そう、自分も社会人に対する、根拠のない偏見を持っているのかもしれない――。
 苦笑いしながら運転していると、そういえばもうひとつ、仕事探しができるところがまだあることを、将人は思い出した。
 職業安定所。
 もちろん、一日もしくは数日だけの通訳の求人などは、大抵が人材派遣会社に流れていくのが常だが、それでも、可能性がないわけではない。
 将人は、自分が何のためにこうして毎日、求職活動に車を走らせているのかを改めて思い出した。収入のためでもなく、世間体のためでもなく、ましてや男性差別されるためでもない。
 夢に挑んでいるのだ。
 高校ですら留年しかねない落ちこぼれだった自分が、最終的には大学まで進学できたのは、飛びぬけた英語力のおかげだった。
 その英語力で、今度は学歴ではなく、人生そのものを切り開こうと決心した日のことを思い出す。
 将人は、さしかかった交差点で右折して国道を抜けると、三津丘市職安に向かう幹線道路に向けてアクセルを踏み込んだ。

 十二時まで数分というところで、三津丘市合同庁舎にたどり着いた。その一階に、職業安定所がある。
 駐車場の手前の道路には、十台ほどの車が列をなしていた。駐車場は狭く、二人の誘導員が車の誘導にせわしなく動き回っている。
 昼飯代わりの缶ジュースをすすりながら、将人は車を列の最後尾につけた。フロントガラス越しに照りつける太陽が暑かった。緩めたネクタイのまとわりついた首まわりが、再び汗ばみ始める。
 十分ほど待って、将人は車を駐車場に入れた。
 昨年建て直されたばかりの真新しい建物の中へ入ると、最新の求人情報を貼りだした車輪付きの掲示板が、縦横交互に並べられ、ロビーで小さな迷路を作っていた。職員が新しい求人票を貼り出すたびに、中年の求職者たちが先を争うように迷路に押し寄せている。
 将人もその迷路をひとまわりしてみたが、やはり〈通訳〉という単語にはめぐり合えなかった。
 奥の休憩所では、自販機の紙コップのコーヒーを片手に、心ここにあらずという顔で、宙に視線を漂わせて座っている初老の人たちがいる。
 人材派遣会社ではありえない、職安独特の光景だった。
 ロビーの左にある自動ドアを抜けて、職業安定所に入った。手前の壁に沿って、求人票が納められた赤いファイルが、ラックの中にずらりと並んでいる。そのラックと向き合うように、五人は座れる黄色の長椅子が十脚、二列で並んでいる。昼食どきのこの時間でも、空いている席はごくわずかだった。
 一番左側のラックに歩み寄ると、将人は〈専門職〉と書かれたファイルの一番と二番をすばやく引き抜いて、貴重な空席のひとつに大きな体を滑り込ませた。
 求人票のフォーマットは職種に関係なく同じなので、応募資格の位置に視点を定めて、ページを手早くめくった。応募資格に〈TOEIC〉や〈英検〉の文字が見えたところで手を止めては、その内容を確かめてみる。
 何度も見直したが、目に付くのは〈英語教師〉ばかりで、〈通訳〉という文字は見つからなかった。
 次に、〈営業職〉や〈事務職〉のファイルに目を通してみたが、〈通訳〉どころか、〈英語〉という文字すら見つからなかった。
 将人はいったんロビーに出ると、掲示板の迷路を一周してから、うつろな視線を宙に漂わせている一団に混じって、自販機のコーヒーを飲んだ。
 職安に戻り、すでに目を通したファイルをまた取ってきて、何度も見返してみたが、結果は同じだった。
 結局、三時間以上そんなことを繰り返して、ようやくあきらめる気になった。
 もう十回以上目を通した〈専門職〉のファイルを勢い良くラックに挿し入れると、将人は足早に出口に向かった。
 ロビーにつながる自動ドアの前に立ったとき、ふと、その脇にある、小さなテーブルの上に置かれた、薄い緑色のファイルが目に入った。
 将人はファイルを手に取って、ドアから一歩脇に外れた。〈新着情報〉という文字が小さくプリントされている。何人もの求職者たちに乱暴に扱われたらしく、緑色の表紙はよれて皺だらけだった。
 将人はファイルを開いた。そこに納められている求人票は、短期の新着求人を集めたものらしく、記載事項は赤いファイルより簡素化されていた。
 ページを何枚かめくってみたが、フォークリフトオペレーター、薬剤師、清掃員、事務、電話オペレーターなどの契約社員、レジ打ち、引越しのアルバイトといった、求人誌でも頻繁に見つかるような求人ばかりだった。
 ファイルも残り少なくなり、矢継ぎ早にページをめくっていたそのとき――。
 将人は、そこにあるはずのない単語を見たような気がした。

〈通訳〉

 今まで、何度も似たような漢字の見間違いをしてきた。荷物の〈仕訳〉や〈通話〉などという漢字でも、〈通〉と〈訳〉を含む単語が、将人には〈通訳〉に見えてしまうのだ。
 どうせ見間違いだろうと、通り過ぎたページに戻った。

(株)ミナモト水産
職種 通訳
勤務地 フィリピンのサマール島
期間 五月三十一日より、三十日から九十日程
給与 月給十万円(他に現地手当として月一万ペソを支給)
条件 五五歳以上・適応性の高い人、食べ物の好き嫌いがない人
備考 家政婦付きの社宅提供


 目の錯覚だ、と将人は思った。あと何度か目を瞬けば、〈仕訳〉か〈通話〉に変わるはずだと思った。
 だが、何度まばたきしても、〈通訳〉という文字は変わらなかった。
 全身から汗が噴き出すのを感じた。紛れもない、本物の通訳の求人だった。
 それまで片手で持っていたファイルを両手で握り締めると、将人は黄色の長椅子の空席に再び腰を下ろした。
 辺りはぼやけて、世界にはそのファイルと自分だけしか存在していないような不思議な感覚がした。歓喜と興奮と恐怖と不安がごちゃまぜになり、指先が軽く震え始める。
 気付くと、隣に座っていた中年の求職者が、将人が手にしているファイルを覗き込んでいた。はっと我に返り、将人は慌てて立ち上がった。
 いつまでも余韻に浸っている場合ではない、と自分の冷静な部分が告げていた。求人票の日付は、五月十三日になっている。すでに一週間が経過している――こうしているあいだにも、他の通訳志願者が、面接を受けているのかもしれない――。
 一等が当選した宝くじを換金するために銀行まで行く道のりは、きっとこんな気分なんだろうなと将人は思いながら、擦り切れた緑色のファイルを両手でしっかりと懐に抱え込み、相談窓口の整理券を取った。
 長椅子に座って、緩めたネクタイを締め直しながら、自分の番が来るのを待つ。
 それほど待たずに、将人の整理券の番号が呼ばれた。飛び上がるようにして席を立つ。
 窓口に進むと、中年の男性職員がにこやかに応じた。将人は緑色のファイルを丸ごと差し出した。職員の顔がわずかに歪んだのを見て、本来は求人票に書かれた番号を告げるだけで良いことを思い出した。
 職員は慇懃なしぐさでファイルを受け取ると、「少々お待ちください」と言って、端末に何か入力し始めた。プリンターが動き、さっきまで見ていた求人票と全く同じものが、将人の目の前に差し出される。
「こちらでよろしいですね?」
 男性職員が将人に向き直った。
「はい、間違いありません」
 答えながら、一瞬だけ嫌な予感がした。この職員が次に言う言葉は、「通訳は女性の仕事ですからね」ではないか――。
 だが、そうはならず、男性職員は淡々と話を進めた。
「通訳のご経験はおありですか?」
「はい、あります」
 たった一度だけ、それも三時間ですが――とは言わなかった。
 職員が感心したように大きく頷いた。
「外国語大学出身で、イギリスにも留学経験がおありですか。体も丈夫そうですし、求人票の条件は満たしているようですね。募集年齢が五十五才以上となっていますが、これは恐らく誤植でしょう。それで、〈フィリピンに三十日から九十日程〉という部分ですが、こちらは問題ありませんか?」
「まったく問題ありません。通訳ができるなら、どこへでも行きます」
 将人は力を込めてそいう言った。まさか外国での通訳の仕事を得るチャンスがあるとは――それも職安で――想像すらしていなかったのだ。たとえ勤務地がアフリカのジャングルだろうと、喜んで応募していたことだろう。
「それでは、今からこちらの会社に電話を入れてみますね」
 言うなり、職員は受話器を取り上げ、ミナモト水産に電話をかけた。
 職員は、受話器を耳に押し当てたまま、求人票をじっと見つめて相手が出るのを待っている。
 一秒一秒が、将人には永遠のように感じられた。
 少なくとも面接まではたどり着きたい――そう願いながら、将人は職員の顔をじっと見つめた。
「お忙しいところ失礼します、私、三津丘市職安の――」
 電話がつながった。職員は慣れた口調で、将人が面接を希望している旨を伝えている。
「――こちらは、まだ募集を継続しておられますかね?」
 職員は受話器に耳を当てたまま、可なのか不可なのか、小さく頷いた。
 もう決まってしまったと告げられているのだろうか――そんな不安が、将人の胃の中をかきまわす――。
「――そうですか、それでは早急に履歴書を送付すればよろしいですね。わかりました。お若いし、条件面でもほぼ完璧な方だと思いますので、よろしくお願いします」
 職員は受話器を戻すと、将人に柔らかい笑みを向けた。
「まだ募集は継続中とのことです。よかったですね。それで、まずは履歴書で書類審査をするそうです。受付期限が今週いっぱいということなので、今日にも送付した方がいいですよ」
「わかりました。帰りに履歴書買って、ついでに写真も撮ってきます」
 すぐに、一回六百円の自動証明写真機があり、履歴書も売っている近所のコンビニが頭に浮かんだ。すでに、同じ目的で何度も利用している。
「志望動機や資格など、書き漏らしのないよう、気をつけてくださいね」
「はい!」
 職歴は一行しか埋めることはできないが、志望動機と資格欄には、たっぷりと書くことがある。
「がんばってくださいね」
「ありがとうございました」
 職員は笑みを返してきたものの、将人が礼を言い切らないうちに、次の求職者の番号を呼んでいた。

 地に足が着いていないような感覚のまま、建物の外へ出た。太陽はすっかり傾いて、橙色に変わり始めている。
 首まわりを締めつけるネクタイの感覚を、初めて心地よいと感じた。
 駐車場の入り口では、こんな時間になっても、相変わらず車が列を作っていた。将人は、待っている車のために早くスペースを空けてやろうと、塗装のあせたスカイラインに向って駆け出した。

 自宅に向かう車中で、将人の頭は激しく回転していた。
 もしこの通訳の仕事が決まれば、いよいよフリーランスの通訳として本格的な第一歩を踏み出すことができる――そうなれば、ただ飯を食わせてくれる両親も、こんな生き方をしている自分を、少しは認めてくれるかもしれない――。
 そう考えて、将人はひとり、にんまりと微笑んだ。
 ただ、もしこの仕事が決まったら、恋人のひとみがどういう反応をするかが気がかりだった。口説きに口説いてようやく付き合うことになってから、まだ二週間ほどしか経っていない。付き合う前はえらく冷めた態度だった彼女も、付き合うと決めるやいなや、メールも電話もひっきりなしによこすようになったし、用事がない限りは二人で過ごすのが恋人の義務だとまで言い出す始末だ。
 下手をしなくても、数ヶ月も外国に行くとなれば、得意の〈じゃあ別れる〉を切り出してくるだろうな、と将人は苦笑いした。
 ひとみは、二年ぶりにようやくできた大切な恋人だ。しかし、ミナモト水産の通訳の仕事とて、人生で二度とやってこないかもしれない、千載一遇のチャンスだ。
 通訳かひとみかの、どちらかにしか傾かないような天秤ならば、真ん中からへし折って、両方へ傾けてやる――。
 そんなことを考えながら、信号待ちをしているあいだ、将人は、バックミラーに映る自分の顔をまじまじと見つめた。
 坊主頭に色黒の肌、濃い眉とそれにつりあうだけの大きな目、高い鼻と引き締まった頬――。
 それらの組み合わせが、学生時代は異性の関心を引いて止まないこともあった。しかし、通訳の求職活動を始めてからというもの、その顔に浮かんでいるのは、社会に溶け込むことを拒むひねくれ者の膨れっ面か、世間からつまはじきにされて怯えている泣きっ面のどちらかだった。
 だが、その異性の関心を惹かなくなって久しい顔が、今は昔のように、にっこりと微笑んでいた。

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