Locker's Style

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『橋の下の彼女』(12)

1999年6月27日(日)

フィリピン・メトロマニラ

 革靴を脱ぎ、あぐらになった。思い切り伸びをして、遠慮なくあくびをする。
「雨が降ってきましたから、速度を落とします、サー」
 運転手が言った。
 窓の外を見上げると、つい数十秒前まで晴れ渡っていた空が、分厚い灰色の雲で覆われていた。フロントガラスには、大粒の雨がガラスを割りそうな勢いでたたきつけている。
 ギャランに乗っているのは、運転手の他に将人だけ。関内と辰三は、まだ日も昇りきらない早朝に、サンパブロから二時間ほど走ってたどり着いた、どこぞのゴルフ場で降ろしてきた。
「一緒にプレイしてOBばかり出されても迷惑だから、君はメトロマニラへ観光にでも行ってきなさい」
 ゴルフ場へ向う車中で、そう関内に言われたのだ。というわけで、車は今、マニラ中心部に向かって走っている。
「フィリピンって、今は雨季なの?」
 将人は、くだけた口調で運転手に聞いた。英語だったが、久しぶりに自分らしい言葉使いで話せることがたまらなく嬉しかった。
「そうです、サー。でも、今年は雨が非常に少ないです、サー。本当はもっと良く降ります、サー」
 緊張しているのか、必要以上に「サー」繰り返す運転手が、将人はおかしくて仕方なかった。
「知ってると思うけど、僕はただの雇われ通訳だよ。〈サー〉なんて呼ばれる身分じゃないんだ」
「しかし、あなたはミスター・セキウチの大切なゲストでありますし――」
 将人は思わず吹き出した。
「次にAMPミナモトで調理講習会があるときは、ぜひ君にも参加してほしいよ。僕がどんな風に扱われているか見たら、間違っても〈大切なゲスト〉なんて言葉は選ばないだろうね」
 運転手が慇懃な笑みを保ちながら首を傾げたので、将人は、「いや、気にしないでいいよ」と微笑んだ。
「そういえばまだ自己紹介してなかったね。僕は、ショウト・カシワバ。〈ショウ〉と呼んでよ。イギリスにいたときはそう呼ばれてたんだ。それで君の名前は?」
「私はラウルといいます。あなたの英語は、どこかイギリス人みたいだと、空港で初めてお会いしたときから思っていましたが、なるほど、イギリスにいらしたんですね、ミスター・ショウ」
「〈ミスター〉もいらない、ただ、〈ショウ〉と呼んでよ、ミスター・ラウル」
 運転手が微笑んだ。
「でも、あなたはそんなに背が高いのに、背が低い(Short)という名前なのですね」
「金に困ってるほうの金欠(Short)さ」
 ラウルが声を上げて笑った。
「ところで、今、マニラのどこへ向ってるの?」
「アヤラセンター、というショッピングモールです。上流階級や外国人旅行者が訪れる場所ですから、もしご家族や恋人のために、デザイナーズブランドのお土産を買うつもりでしたら、きっと良いものが見つかるでしょう」
 源社長たち投資家の一行が、以前視察に訪れたとき、きっとそういう買い物をしたのだろうと、将人は思った。
「それはいい、グッチかシャネルの時計、十個くらい買って帰るつもりだったからね」
「気にいるものが見つかるまで、お付き合いしますよ」
 ラウルが真顔で頷いたので、将人は冗談が通じなかったのだと悟った。

 三十分ほどして、アラヤセンターに到着した。駐車場へ入るため、周囲をぐるりと一周したが、その規模に将人は心底驚いた。ひとつのショッピングモール、というよりは、街そのもの、といった感じだ。巨大なビルをモノレールがつないでいるところはイギリスでも見かける光景だが、その距離が段違いだ。
 駐車場に車を止めると、ラウルが後部座席のドアを開けにやってくる前に降りて、遅れてやってきた彼にウィンクした。
 土砂降りだった雨はすっかり上がって、青々とした空が広がっていた。まだそれほど高くない位置で輝く太陽の日差しはすでに十分に強く、先ほどの大雨で湿っている地面からは息が苦しくなるほどの熱気が立ち昇っている。
 将人は、駐車場から〈ランドマーク〉と書かれたビルの入り口に向って伸びる横断歩道を、軽快な足取りで渡った。横に並んで歩くラウルは、よく見れば、日曜ということもあってか、開襟シャツに黒のズボンといういつもの服ではなく、柄物のポロシャツにジーンズといういでたちだった。
 何だか友人と買い物に来たような愉快な気分になって、将人は意味もなくラウルの肩をポンポンとたたいた。ラウルがにんまりと微笑み返してくる。
 ビルの入り口まで来て、ガラスの扉の取っ手に鎖錠がかけられているのに気付いた。時計を見れば、九時の開店まであと二十分ほどあった。まだそんなに早い時間だったのかと将人は驚いたが、考えてみれば、サンパブロを出発したのが朝の五時三十分、ゴルフ場に到着したのは八時前だったのだ。
「ここは暑いですし、車で待ちますか?」
 ラウルが困ったような顔で聞いたが、ふとそのとき、見慣れた黄色い〈M〉の文字がある看板が目に入った。開店時間は八時と書いてある。
「開店時間まで、ちょっとマクる(Mac it)?」
 ラウルが首を傾げたので、将人は笑って「マクドナルドに行こう」と言いなおした。彼は頷いて、あちらです、と地下につながる広い階段に向って歩き出した。

 〈ランドマーク〉の地下階は、四方の壁を除いて、床と天井をつなぐような仕切りがほとんどないせいで、目を凝らせば地平線が見えるのではと思えるほど広かった。端から端まで、ゆうに二百メートルはある。その手前半分には、無数の椅子とテーブルが並ぶフードコートになっていて、何軒ものファーストフードの店舗が軒を連ねていた。マクドナルドの他にも、ケンタッキーやピザハットの看板も見えた。地下階の残り半分は、広大なスーパーになっている。
 将人はマクドナルドのカウンターの前に立ち、店員の挨拶を受けながら、メニューにざっと目を通した。タガログ語ではなく、すべて英語で書かれている。
「何にする?」
 将人はラウルに聞いた。
「私は大丈夫です。朝食は済ませましたから」
「だけど君は四時には起きたはずだよね。もう五時間も経ってるよ、そろそろ腹が空くころでしょ。大丈夫、僕が払うから。実はね、関内さんから、飲食代をもらってるんだ。使い切らなきゃ損だよ」
 ゴルフ場に着いたとき、将人は関内から、観光のあいまにピーナッツのはちみつ漬けを買うように、余った金は飲み食いに使ってかまわない、と二千ペソ渡されていた。プラスチックのボトルに入ったその菓子は、母屋とゲストハウスのダイニングテーブルに、調味料のように常備されている。
「でもそれはあなたの――」
「僕が食ったことにすればいい」
 将人が答えると、ラウルは「サンキュー、サー」とにんまりと頷いた。
 どれにしようかと迷ったあげく、ビッグマックのセットを二つ注文したが、百ペソ札を三枚(約1000円)出して釣がきたので驚いた。セットが出てくると、ラウルは「私が持ちます」と言って、将人の分まで運んでいった。
 四人掛けのテーブルに、ラウルと向き合って座る。こんな早朝でも、食事をしている客がけっこういた。
「いつもはマックで何を食べるの?」
「私は、いつもマクドナルドで食べたりしません。一食に何百ペソも使えませんから」
 ふと、辰三の壮行会で誰かが言っていたことを思い出した――関内さんの運転手は、月に一万ペソもらってるんだって――。
 月に一万ぺソの給料なら、一食百ペソのビッグマックセットは確かに高い食事だろう。
 ビッグマックを、「うまい、うまい、めったに食べられませんからね」と繰り返しながら口いっぱいに頬張るラウルを見て、将人は彼に豪華なご馳走を振舞ったような、誇らしげな気分になった。日本では男友達におごられることはあっても、おごったことなどめったにない。
「ラウルはいくつ?」
「四十歳です」
 将人は驚いた。ラウルは、まだ三十代前半にしか見えない。
「ショウは結婚していますか?」
「結婚なんて考えたこともないよ」
「なぜです?」
「なぜって――」将人は自嘲気味に笑った。「夢ばっかり追いかけて、定職に就かないからさ」
「ガールフレンドは?」
 外見とは裏腹に、ラウルは話し好きのようだ。
「別れたばかりだよ、こっちに来る前に」
 将人は、ひとみと破局に至るまでの過程をかいつまんで話した。
「手紙、書かないんですか?」
「何のために?」
「仲直りするためですよ」
「だから僕たちはもう終わった――」
 そこまで言って、将人ははっと気付いた――手紙なら、今の自分の素直な気持ちを書けるかもしれない――決して仲直りに結びつかなくとも、読まずに捨てられることになっても――フィリピンに来てからのことを手紙に綴り、ひとみに伝えたい――そんな気持ちが、急激に体の中から湧き上がってきた。
「手紙、出せるの?」
「そうこなくっちゃ」ラウルが手をポンとたたき鳴らしてにんまりと微笑んだ。「書いたら私に渡してください。仕事の合間を見計らって郵便局に行ってきますよ」
 今夜書き上げれば、明日には送ってもらえる――将人は、もうそんなことまで考えていた。
「なんだかこっぱずかしいよ」
 将人は苦笑いした。
「何も恥ずかしいこおとなどありません。自分の家族を持つというのは、本当に幸せなことですからね、その第一歩です。私には子供が二人いますが、サンパブロから、バスを二つ乗りついで二時間かかる町に、妻と住んでいます。いつも日曜は休みなので、土曜日の仕事が終わると、会いに帰るんですよ。下の子は私が週末しか帰ってこないと、文句ばかり言うんですが、そんな風に私の帰りを待っていてくれる子供たちが可愛くて可愛くて」
「もしかして、今日は僕の観光につき合わされたせいで家族に会えなかったの?」
「いえいえ、ショウのせいではありません、もともと、ミスター・セキウチをゴルフ場に送迎する予定になっていましたからね。安心してください、日曜日は給料を割増ししてくれるんです。家族に会えないのは寂しいですが、これはこれで、ありがたいことなんですよ」
 家族を思って身を粉にしているラウルの話を聞いて、将人はなんだか自分が急に子供になったような気がした。
「それを聞いて安心したよ。僕にとっても、ラウルとこんなふうに出かけることができて、本当に嬉しいんだ。生き返ったような気分だよ」
 わたしもです、とラウルが嬉しそうに微笑んだ。
「関内さんの下で働いて、嫌だったことはない?」
 将人は聞いた。
「とんでもない、ミスター・セキウチはとても良くしてくれます。妻や息子たちは、私が日本人の社長の運転手をしていることを、誇りに思っていますしね」
 関内に召使いのように扱われて、さぞかしラウルは不満が溜まっているだろうと思っていた将人にとっては、意外な答えだった。
「関内さんの英語って、僕はすごく独特だと思うんだけど、ラウルはどう思う?」
「確かに、ショウの話すような、欧米人の英語ではない、独特な英語ですけどね、慣れ、とでも言いましょうか――今では、問題なく理解できますよ」
 将人は、同意しかねる、というように肩をすくめて見せた。

 それからもラウルと世間話を続け、気付いたときには、開店時間をとっくに過ぎ、十時近くになっていた。
 とりあえず関内の遣いから済ませてしまおうと、奥のスーパーに行った。ラウルが押すカートに、はちみつ漬けピーナッツのプラスチックボトルを一つだけ入れて、レジに並ぶ。レジ係は、みな一様に中学生のように幼く見える少女たちだった。百五十ペソです、と告げられて、将人は財布から千ペソ札を一枚抜き出して差し出した。すると、レジ係の少女が受け取るのをためらうようなしぐさを見せたので、将人は百ペソ札と間違えたのかと思い、ごめん、と慌てて財布から別の札を抜き出そうとすると、ラウルに押し留められた。
「すまないけどそれで頼むよ」ラウルはレジ係を諭すようにそう言ってから、将人に顔を寄せた。「ピーナッツのビン一つを千ペソ札で払う人はあまりいないんです」
 釣りを受け取りながら、ごめんごめん、と将人はレジ係に詫びた。

 開店した一階に上がると、典型的なデパートのような光景が広がっていた。紳士服、婦人服、靴、アクセサリーなどを扱う店舗が、広々としたフロアに整然と並んでいる。
「〈ランドマーク〉は、アラヤセンターの中でも、やや庶民的な店舗が多いんです。もしここの店の商品が安すぎて買う気にならないようでしたら、デザイナーズブランドの店舗がある〈グロリエッタ〉の方に行きましょう」
 将人は、ラウルが冗談を言っているのだと思ったが、彼の顔を見て、本気で言っているのだと悟った。
「本当のことを言うと、ブランドものにはまるで興味がないんだよ」将人は答えながら、ふと、物価の安いフィリピンなら、シャネルが安く買えるのではないかと思った。「参考までに聞くけど、例えばシャネルのバッグなら、いくらで買えるものなの?」
「私もあまり詳しくないのですが、以前、こちらにいらっしゃった日本人ゲストの方々は、五万ペソもあればいろいろ種類を選ぶことができると知って驚いておられましたよ」
「バッグ一つに五万ペソだって?」
 将人は声を上げていた。日本円で約十五万円だ。
 将人が安くて驚いているのだと勘違いしたらしいラウルが、にこやかに頷いている。
 五万の支度金で、ひとみの誕生日プレゼントにシャネルのバッグを買うつもりになっていた自分が、いかに間抜けな勘違いをしていたのか、将人は今更ながら思い知らされた。
「どうかしましたか?」
 ラウルが将人の顔を覗き込む。
「あ、いや、なんでもない。それより、デザイナーズブランドじゃなくて、ナイキやアディダスなんかの、スポーツブランドの店ってあるの?」
「さっき、看板を見た気がします。探してみましょう」ラウルは歩きながら、フロアをきょろきょろと見渡した。「ところで、ショウは何かスポーツをやっていますか?」
「バスケットをやってるんだ、サークルだけどね」
「背の高いあなたにはぴったりですね。フィリピンには、バスケットのプロリーグがあるんですよ。テレビでも中継されますから、ぜひ一度、ご覧になって下さい。あ、あそこにありましたよ――」
 一階フロアにいくつもあるエスカレーターのひとつの周辺が、スポーツブランドコーナーになっていた。アディダス、ナイキ、フィラなど、将人が大好きなロゴマークの看板が掲げられている。将人は思わず歩みを早めながら、財布の中身を確かめた。関内から渡された二千ペソの残りのほかにも、観光に行くなら金が必要だろ、と辰三から渡された五千ペソが入っている。ゴルフ場の駐車場で、ゴルフクラブセットをトランクから降ろすのを手伝っているときに、辰三から耳打ちするように告げられた話だが、源社長が、ブエナスエルテ社から支給される現地手当とは別に、ミナモト水産からの手当てとして、必要に応じて将人に支給するよう、数万ペソ預かってきたのだという。
 支給された手当ての半分の二千五百ペソを使って、Tシャツ二、三枚でも記念に買えればいいかな、と思って、試しにナイキのTシャツを一枚取り上げてみて、将人は仰天した。値札には、三百ペソ、と書かれている。日本円で約九百円だ。慌ててラウルを呼び寄せ、「ここの商品、本物だよね?」と聞いた。
「アラヤセンターは、マニラでも一流の店舗が入ってますから、偽物はありませんよ。そもそも、偽物がこんなに高いはずないでしょう」
 ラウルは言って、ショウのジョークは面白いですね、と大笑いした。
 夢中になって店舗の中を見てまわり、気になった商品は、買う買わないに関わらず、とりあえずカゴの中に投げ込んでいった。ラウルが持ってくれているカゴは、三十分も経たないうちに、Tシャツ、ジャージ、ハーフパンツなどで、あふれんばかりになっていた。
 値札を見ながらその全ての合計をざっと計算してみたが、三千ペソをわずかに超える程度だった。もうこの際だからと、将人は全部買ってしまうことにした。
 ラウルがレジにカゴを置くと、レジ係の若い店員が目を丸くして「本当にこれ全部ですか?」と英語で聞いてきた。
「計算した限りじゃ、払えると思うんだけど」
 将人が答えると、ラウルが笑いながら言った。
「一度にこんなに買う人はめったにいないんですよ。彼女は別に、ショウの財布の中身を疑っているわけではありませんから」
 合計で二千百ペソだった。計算が間違っているんじゃないかと将人が聞くと、特別割引中の商品が何点かあるんです、とレジ係が教えてくれた。
 将人は千ペソ札を三枚、トレイの上に乗せた。
「安く売りすぎたからやっぱり返してくれ、なんて後で言わないでくれよ」
 たいして面白くもない将人の冗談に、レジ係がクスクスと笑った。

 アラヤセンターでの買い物を終えると、将人はギャランの後部座席ではなく、助手席に座った。その方が、ラウルと話しやすいからだ。
 しばらく走ると、車は海沿いの道に出た。威圧的に星条旗をいくつも掲ているアメリカ大使館の前を通り過ぎ、〈リサール公園〉という、大通り公園のような場所の周辺をぐるっとまわる。ラウルが、ツアーガイドのように、フィリピンの英雄、ホセ・リサールについて詳しく解説してくれた。元の道路に戻って、国際会議センターを過ぎ、公害汚染のひどいという港湾地域をぐるっと一周した。港の一角で車を止め、出店でラウルと一緒にアイスクリームを食べた。
 それから、ラウルは米軍記念墓地に向うと言った。関内から、将人を必ず連れて行くようにと言われているのだという。
 マニラの郊外に出て、緩い上り坂に入った。ギャランは、小高い丘の上へ続く緩いカーブの続く道をひたすら進んだ。道の両側には、手入れの行き届いた背の高い並木が連なっている。
 頂上付近にたどり着くと、視界が一気に開けた。
 目の前に広がった光景に、将人は唖然とした。
 広大な芝生一面に、無数の白い十字架が、列を成して並んでいる。
「緑の芝生に白い十字架が映える景色が有名で、観光名所のひとつになっているんです」
 ラウルが、何の含みも無く笑顔で言った。
 ようやく、米軍記念墓地とは、第二次世界大戦で死んだ米軍兵の墓なのだと、将人は思い至った。
 その緑と白のコントラストを、将人はきれいだとはまるで感じなかった。
 ラウルが駐車場に車を止めた。丘のちょうど頂上にあたる場所には、何枚もの白い大きな石壁が、ストーンヘンジのように円を描いて並んでいる。
 数歩も歩かないうちに、小雨が降ってきた。
 ラウルは、それら石壁に刻まれた米兵戦死者の名前を指でなぞりながら、声に出して読み上げていた。壁の上の方には、米軍がどのように日本軍をフィリピンから撃退していったのかが、地図と矢印で詳しく解説された図が描かれていた。
 石壁の列と、大量の白い十字架――。
 将人は何だか、戦死した米軍兵たちからじっと見つめられているようで、落ち着かない気分になった。
「たくさんのアメリカ人が死んだんですね」
 いつの間にかうしろにいたラウルが、ぼそっとつぶやいた。
「それに、たくさんのフィリピン人も――そして、たくさんの日本人も死んだんだろうね。ここに墓はないけどさ」
 将人の言葉に、ラウルは肩をすくめて苦笑いした。
 ふと、関内がゴルフ場に向う車中で、独り言のように言っていたことを思い出した――アメリカ人ってのはね、自分たちがやることは全部正義だと思っていやがるんだ、だからさ、自国の兵隊が死んだら、そこが外国の首都のど真ん中だろうが、記念墓地を作るのが当然の権利だと思うような連中なのさ――。
 関内が、なぜこの場所を将人に見せようと思ったのか、その理由を考えてみた――この南国の地で、かつて米国と日本が激戦を繰り広げた。米兵の墓地はあっても、日本兵の墓地はない、今でも日本は敗戦国のままなのだ、という証を見せたかったのかもしれないし、米国のグローバリズムは昨日今日に始まったことではない、と伝えたかったのかもしれない。いろいろ考えてみたが、結局、関内がわざわざ自分をこの場所までつれてくるようラウルに指示した意図が、将人には分からずじまいだった。

 午後三時を少し過ぎてゴルフ場に戻り、ホールアウトした関内、辰三、城村と合流した。それからカフェテリアで軽食を取りながら二時間ほど、再び関内の日商赤丸の昔話を聞かされた。
 GFCサンパブロ工場にたどり着いたのは、日もすっかり沈んだ七時過ぎだった。将人と一緒にゲストハウスへ戻ろうとした辰三は、毎度のごとく関内に呼び止められ、晩酌に付き合わされることになった。
 シャワーを済ませると、将人は日本から持ってきたノートを破って、さっそくひとみに手紙を書き始めた。封筒は持ってこなかったから、ラウルに用意してもらうしかない。
 書いても書いても、筆が止まらなかった。フィリピンに来てから経験したこと、感じたことを、一つ残らず綴りたい気分だった。
 いったん筆を置いて読み直してみると、手紙というよりは、日記のような文章になっているのに気付いた。これでは仲直りの手紙には程遠いと、またノートから何ページか破って書き直してみたが、やはり日記になってしまう。
 どうせひとみが読んでくれるとは限らないんだからと、将人は開き直る気持ちで、それからは日記のつもりで書き綴った。


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