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『橋の下の彼女』(35)
1999年7月19日(月)
フィリピン・アレン
表向きは、いつも通りの月曜だった。
加工係たちは魚をさばき、辰三がそれを見てまわる。将人とアルバートが氷を運ぶ。リンドンがホイッスルを吹き、アルマンは計器類の数値を記録する。ライアンは加工した製品を計量し、イボンとブノンが青い顔でそれを急速冷凍庫に運び入れる。
梱包係のアマリアも、普段どおり淡々と作業を続けていた。昨日、辰三と関係を持ったことなど微塵も感じさせない落ち着いた表情は、こういう情事に場慣れしているとすら思わせる。それでも彼女は、将人と目が合うと口元をほころばせた。昨日の酔いつぶれた将人の惨状を、彼女も目にしているのだ。
「おい、いつまでもしょげてねぇで元気だせよ」加工係たちのあいだをせわしなく動き回っている辰三が、将人の前で足を止めた。「お前がフィリピンに来たのは、色恋ごとのためじゃなくて通訳のためだろ。働く気がねぇならクビにするぞ! ほら、頭を切り替えて、仕事、仕事!」
将人の顔色がすぐれない理由が失恋だと思い込んでいる辰三は、朝から何かとはっぱをかけて励ましてくれている。昨日のことは、朝一番で詫びていた。
「僕をクビにしたら、辰三さん一人になりますよ」
将人は、できる精一杯の笑みを返しながら言った。
「残念だけどな、お前と違って俺はもう一人じゃねぇんだよ。内緒でこそこそ彼女なんて作るからな、バチがあたったんだ」
本音とも取れるような冗談を返しながら、辰三は将人の肩を拳で小突くと、にこやかに加工テーブルの方へ戻って行った。
アマリアのことについていろいろと話したいこともあるだろうが、将人に気を使ってか、辰三は朝からその話題には触れようとしない。いずれにせよ、将人は今、ティサイのこと以外、何も考えたくなかった。彼女は今ごろ、どこにいて、何をして、どんな気分で過ごしているだろう――。
そんなことを考えてため息をついたとき、うしろからジョエルに肩をたたかれた。
「タツミさん、今日はまたいちだんとご機嫌だね。まあ、あんな美人と一日中、コテージにこもりっきりだったんだから当然か」加工場の隅でヒラキを干し網の上に並べているアマリアに卑猥な視線を送りながら、ジョエルは鼻の奥を鳴らすように笑った。「今夜もモーテルを借りて、二人を密会させようと思ってるんだけど、どうかな?」
「辰三さん、二つ返事で『オッケー』って言うと思うよ。それより金のほうは大丈夫なの? 一回に三千ペソも払うんだろ?」
ジョエルが唇の端だけで笑った。
「昨日、彼女に三千ペソ払ったけど、そのとき『これは一回分というわけじゃないからね』と釘を刺した」
「どういう意味?」
「つまり、二回分なり三回分なりをまとめて払った、って意味さ。一日百五十ペソの仕事をしてる彼女だ、さすがに昨日一日で三千ペソ稼いだとは思ってないだろ。だから、今夜の分は支払済みってこと」
昨日一日で、ブエナスエルテ社の二十日分の給料と同額の報酬を手に入れたアマリアが、八時間で百五十ペソにしかならない仕事をするために、今日もこうして出社しているのが、なんだか不思議に思えた。
将人は話題を変えた。
「リンドンがティサイを追い返した話は聞いた?」
将人が言うと、ジョエルは意外にも声を高くして言い返してきた。
「あれはショウだって良くないよ。いくらなんでも、昼間から娼婦を会社に呼ぶなんてバカげてる。町の人間が見たら、『ブエナスエルテ社は会社に娼婦を呼んでいかがわしいことをしている』なんてうわさがたってもおかしくないんだよ。君の希望だからこそ我慢したけどね。それにしても、遅れてきたあげくに、薄汚れた身なりで来たんだって? そりゃリンドンでなくても追い返したくなるさ」
そうかもしれないと懸念していたことをはっきり言われてしまい、将人には返す言葉がなかった。
「とにかく、僕は今から、アマリアとタツミさんの密会の準備をするから、ショウもタツミさんにそれとなくほのめかしておいてね」
言って、ジョエルはアマリアの方へにこやかに近づいていった。
アマリアのために動いている金がかなりの額であることを考えると、この一連の出来事が、実はレックスの指示だという可能性もあるな、と将人は思った。
昼休みが終わると、アルマンが加工場にやってきた。昼食のあいだはリーファーコンテナの扉の開け閉めがないので、午後二時くらいまでは庫内温度が安定する。しばらくは計器類から目を離すことができるのだ。彼はその時間を利用して、加工場の手伝いに来る。
アルマンは加工場に入ってくると、リンドンの前を素通りし、将人に軽く頷きかけ、黙々と作業する辰三の背中を通り過ぎて、当然というのようにアマリアの隣に並んだ。そして、いつもと同じように、彼女が干物を干すのを手伝い始める。二人が何を話しているのかはわからないが、アルマンの表情からして、「昨日は大変だったね」と言っているように見えなくもなかった。
辰三がアルマンに気付いて、出刃を持った手を止めた。苦笑いしながら将人の方へ近づいてくる。
「おい、アルマンのやつ、昨日何が起きたか、わかってんだよな?」
顔こそ笑っていたが、辰三はやきもち口調だった。
「アルマンもその場にいたんですから当然ですよ」
「だったら、なんであいつは、あんなに平気でアマリアと話せるんだ? もっとこう、傷心みたいなもんがあっても良さそうだが」
裏事情を知らない辰三がそう思うのも当然だった。思いを寄せる女性が他の男に手を引かれてコテージに入るのを見送ったのだから、心に傷を負ってしかるべき状況だ。しかしアルマンは今日も平然とアマリアの隣に並び、いつもと変わりないでれっとした笑みを浮かべながら彼女と楽しげに会話している。そんな彼の行動が、辰三の懐疑心をあおることくらいわかりそうなものだが、単にアマリアの傍らにいたいだけなのか、はたまた辰三に対する内に秘めた優越感の裏返しなのか、とにかくアルマンは彼女の隣を離れようとしなかった。
「きっと、彼女に対する気持ちがそれほど深いということでしょうね」
辰三に対して嘘はつきたくなかったが、本当のことを言うわけにもいかないので、将人は中間を取ってそう言った。
「まったく、下手をすると、あのまま口説きそうな勢いじゃねぇか」
ヒラキを並べている梱包係は他にもいるが、アルマンは露骨にアマリアだけを手伝っている。
「どうかしましたか?」
振り向くとライアンが立っていた。将人はアルマンの方に目配せしながら、辰三が変に勘ぐり始めたことを小声で説明した。
「それはよくないね」
ライアンが言った。
「まったく、アマリアはもう俺の女だって、あいつにはわかんねぇのかな」
辰三が後ろで独り言のように言った。
「あきらめきれないんですよ、なにせあんな美人はめったにいませんから」
ライアンが同情するような顔でそう言うと、辰三は「そうだろうな」と誇らしげに頷いた。
ライアンはアルマンを呼び寄せると、加工場の外へ引っ張っていった。諭すライアンに、アルマンが「なぜ?」とたてつく声が聞こえてくる。
「そういえば辰三さん、昨日は彼女と、大丈夫でした?」
話すきっかけができたので、将人は今さらながらに聞いた。
「大丈夫って、何が? あっちがどんな具合だったかってことか?」
辰三は、待ってました、と言わんばかりのにやけ顔で答えた。
「会話には問題なかったですか、って意味です。僕がつぶれていたから」
辰三は肩をすくめると、将人を加工場の隅へ引っ張っていって、アマリアに背を向けるように立った。
「俺もな、あの子が俺の手をぐいぐい引っ張ってコテージに向おうとしたときは、そりゃちょっと困ったなと思っよ。話ができねぇからさ。でもお前は酔っ払ってわめき散らしてるし、どのみち一緒に部屋に連れてく訳にもいかねぇからさ、もうなるようにしかならねぇって、覚悟を決めたんだよ」
「すみませんでした」将人はあらためて頭を下げた。「そうすると、やっぱり身振り手振りで意思疎通したんですか?」
「それがよ――」腕組みすると、辰三は背中越しに、ちらりとアマリアの方を見た。「あの子、コテージに入ったら、ものすげぇ手際がいいんだよ。自分からどんどん水着を脱ぎだして、とっととシャワーを済ませちまった。そんで、俺に『シャワー、シャワー』って言うもんだから、なんだかそういう店に来たみてぇな気分になったほどだ」
少しためらったが、将人は気になっていたことを聞いた。
「避妊はしたんですよね?」
辰三は苦笑いしながら、肩をすくめた。
「ゴムもってくの忘れたからよ。それに、何にも言わなかったから、しなくてもいいってことだと思ってさ」
フィリピン人のほどんどが、敬虔なカトリック教徒ということもあって、避妊に対する意識が低いとライアンたちから聞かされてはいたが、どうやらそれは本当のようだ。
「いやあ、久しぶりだっただろ、おまけにそういうワケだったから、一発目は一分も持たなかったぞ」辰三は押し殺すように笑った。「そしたらな、『ワンモア、ワンモア』って腕に抱きついて、モノをいじってくるわけよ。自分でもびっくりしたけど、それですぐに元気になっちまって、二回戦突入! ってな」
そのあとしばらく、辰三は、ベッドでのアマリアがどうだったかを、事細かに将人に語り続けた。
「――しかしこの年で一日五回もできるとは、自分でもさすがに驚いたね。斉藤の野朗に話して聞かせるのがいまから待ち遠しいよ」
斉藤というのは、関内に土下座してまで女を用意してくれと頼んだ、斉藤食材の社長のことだと思い出した。斉藤食材は、ブエナスエルテ社に出資した、三津丘市の地元企業の一つだ。ミナモト水産を訪れたとき、その逸話を将人に面白おかしく語ったのは、同じくブエナスエルテ社に出資している清新設備の社員の山本だった。清新設備は、二台のリーファーコンテナと、製氷機の調達、そしてそれらの機材の輸出入を手配した会社だ。あのときは、山本がえらくフィリピンの事情に通じているように感じたが、今こうして思い返してみると、斉藤社長や山本、そして源社長たちが目にしたフィリピンは、表面のほんの薄皮一枚だったのではないか、とすら思えてくる。
「まあ、英語はうまくしゃべれねぇが、『アイラブユー』さえ言えりゃ、何とかなるもんだな」
辰三がにんまりして言った。
「そういえばさっきジョエルから、辰三さんが今夜もアマリアに会いたいかどうか聞いておいてくれ、と言われました」
「向こうが会いたいっていうんなら、もちろん喜んで会うさ。男として、自分に惚れてる女の気持ちを、無下にはできねぇからな」
「わかりました。ジョエルにそう伝えておきます」
将人が答えると、辰三は顔を寄せてきて、耳打ちするように言った。
「母子家庭のあの子のためにも、そのうち社宅で一緒に暮らすことにするからよ、そんときはいろいろと頼むぜ」
将人は目を瞬いた。
「本気なんですか?」
聞きながら、ティサイも社宅で一緒に住めたらどんなに良いだろう、と将人は思った。
「ばかだな、冗談だよ冗談!」
言って、辰三はでれっとした顔を横に振った。
三時を過ぎたころ、先日ティサイへの伝言を頼んだ少年が、ブエナスエルテ社と表の道路を仕切る柵の前をふらついているのが目に入った。
目が合うと、少年は歯を全部見せて微笑んだ。将人も微笑み返す。
今夜は辰三がアマリアと過ごすから、おそらくライアンも彼女に会いに行くだろう。だとすれば、将人がティサイに会う時間もあるはずだ。
今夜は確実に彼女と会えるよう、あの少年にまたひとっ走りしてもらおうと将人は考えた。
バケツ氷を取りにリーファーコンテナへ向う途中、将人は加工場から死角になる位置まで来ると、少年に手を振って合図し、見張り小屋の方へ行くよう指示した。少年はぱっと顔を輝かせて大きく頷くと、ノノイの立っている見張り小屋に向けて、全速力で駆け出した。
「ハロー、サー!」
見張り小屋にたどり着くと、少年がうやうやしく言った。
「また君に頼みたい仕事があるんだ、サー」
少年は「サー」と呼ばれたことに戸惑うような笑みを浮かべた。
「ノノイ、ちょっと通訳してもらえないかな」
「しょうねんを、ティサイのところに、やるのかい?」
「ご名答」
少年に、「今からまたティサイのところへ伝言に行って欲しい」と頼んだ。報酬は前回と同じ三十ペソ、ただし今回は、ティサイと直接会って伝えることができたら、さらに七十ペソのボーナスを渡すと言った。成功すれば、合計で百ペソになる。加工場の従業員が一日百五十ペソで働いていることを考えれば、子供には多すぎる額だというのはわかっていたが、昨日が昨日だっただけに、今夜はどうしても彼女に会わなければならない。
案の定、少年は「彼女が家にいなくてもそこらじゅう駆け回って絶対に見つける」と言った。伝言も聞かないうちから駆け出していこうとする彼を、将人は笑いながら引き止めた。少年は照れ笑いしながら頭をぼりぼりと掻いた。
「〈今夜、会いたいから、自宅か、もしくはタタイ・アナックにいて欲しい。たぶん八時ころになると思う。二時間待っても僕があらわれなければ、何かの事情で社宅を抜けられなくなったと思って欲しい。もしタタイ・アナックで待つ場合は、好きなだけ飲んで食べてくれ、料金は僕が後で払うから〉――伝言は以上だよ」
ノノイが通訳を終えると、少年はアジアンハイウェイを南へ向かって弾丸のように突っ走っていった。
「あのちょうしじゃ、インドネシアかマレーシアまで、ティサイをさがしにいくかもしれないな」
言って、ノノイが大笑いした。
終業まで一時間を切ると、従業員たちは怠けるどころか、追い込みをかけるように、さらに作業に集中する。すると辰三までつられて、他の従業員たちと競うように、出刃を動かす速度を上げる。そういった雰囲気は、ホイッスルを咥え、厳しい目つきで作業を見つめるリンドンによってではなく、始業から終業までまるっきり集中力を切らすことなく美しい製品を仕上げ続けるトトによってもたらされているということに、将人は最近気付いた。
使いに出した少年が戻るのを、そわそわした気分で待ちながら、将人は加工場に顔を出したクリスに、ティサイとの会話で使いそうなワライ語の単語を教えてもらった。フィリピンの南端、バブヤン諸島出身のクリスは、ワライ語を流暢に話せるわけではないが、ノーラと話すときは、タガログ語とワライ語を織り交ぜて話しているという。
途中からブノンが加わると、「そうじゃない」「もういっかい」「それじゃタガログ語だ」などと、ワライ語のレッスンは思った以上に白熱した。
君を抱きたいんだ、というワライ語を繰り返していたとき、防寒服姿のアルバートがやってきて、ライアンが呼んでいる、と将人に告げた。
将人はレッスンを中断して、計量所へ向った。
計量所に入ると、驚いたことにシャイメリーがいた。また、エメラルドグリーンのアイシャドーを、まぶたにびっしりと塗っている。
将人はぎこちなく彼女に挨拶してから、計量テーブルの空いた椅子に座った。
「またダンスパーティーの誘いかい?」
言った途端、将人は後悔した。ライアンもシャイメリーも笑わなかったからだ。冗談のネタにするには、まだ時期早々だったらしい。
しばしの沈黙のあと、ライアンが口を開いた。
「実は昨日の昼間、シャイメリーが偶然、闘鶏場の近くの安食堂でティサイを見かけたんだって」
シャイメリーがティサイの話を持ってきたことに将人は驚いた。つまり、彼女は将人とティサイの関係を知っているのだ。パンプスを送った相手が彼女だということにも当然気づいただろう。
将人は肩をすくめてから答えた。
「リンドンに追い返された彼女が、どこで何をして過ごそうがかまわないだろ。まさかライアンまで、彼女がジープニーやトライシクルを使ってでもサンホセに来なかったと責めるつもりなのか」
「そうじゃない。そうとがらずに、まずは彼女の話を聞いてみてくれ」
シャイメリーは、心底憤慨している、といった口調で――それでいて、ときおり将人と目が合うと、媚びるように微笑みながら――語り始めた。
――闘鶏場の近くの食堂は、テレビが一台置いてあるのが売りの簡素な場所だが、日曜の昼間には、家にテレビのない貧困層が集まって、番組を見ながらビール片手に雑談するといった、一種の社交場のような役目を果たしている。
シャイメリーは普段、そのような場所には近づかないのだが、昨日は昼食を一緒に取る約束をしていた女友達が彼氏を伴って店にやってきて、その彼氏が、日曜にその食堂に行くのは教会のミサへ行くのと同じくらい大事だ、と言い張ったため、シャイメリーも仕方なく一緒に行くことになった。
食堂は身なりの良くない人々であふれかえっていた。テレビは一昔前のアメリカ映画を流していた。あちこちから立ち上るタバコの煙、テーブルにこぼれたまま拭き取られていない飲食物、調理場から流れてくる油の臭い。
シャイメリーがうんざりして店を出ようしたそのときだった。汚臭と喧騒の中で、十人近い人々に囲まれながら、テーブルを挟んで向かいに座る小太りの女を相手に、大声でなにやら自慢げに語っている女が目に付いた。
シャイメリーはその女を知っていた――ティサイだ。彼女もまた、薄汚れて穴の開いた服を着ていて、周囲のみすぼらしさと完全に調和していた。
彼女の向かいに座っているのも、ハルディンの娼婦で、名前は確か、ノーラ――。
シャイメリーがそこでいったん話を止めると、ライアンはあきれたように、かぶりを振りながら言った。
「ティサイがそこで何を話していたか、君に想像がつくかい?」
将人は肩をすくめた。
「あんなことがあっ後だ、悪態をつかれても仕方ないよ」
「悪態なんてもんじゃない。君がそういうなら―――いいだろう、シャイメリー、続きを話してあげて」
――ティサイとノーラのテーブルの上には、食べ散らかしたいくつもの料理と、サンミゲルの空き瓶が十本以上並んでいた。明らかに派手な金遣いをしていた。ノーラばかりかティサイまで、指のあいだにタバコを挟み、ビールに口をつけては煙を吸い込み、話すときは口や鼻から煙を立ち昇らせていた。
シャイメリーには、おおよそ女の振る舞いとは思えない下品な姿だった。
友人のカップルを席に残し、シャイメリーはティサイたちのテーブルに近づいて聞き耳をたてた。二人の娼婦の会話に、テーブルを取り囲む人々が、ときおり茶々を入れたり、質問を浴びせたりしている。ティサイは椅子にふんぞり返ってその人々を無視し、彼らの質問にはノーラが代わりに答えていた。
彼女たちの話の内容は、おおむね将人に関することだった――あの大きなコンテナのある日系企業に出張でやってきた、若くて背の高い日本人が、私にすっかり惚れちゃったのよ――金はくれるのに体は求めてこないんだから、楽ったらありゃしない――これからも、アレンには年に何回か来るみたいだから、私はもう金には不自由しないわ――。
「本当にティサイがそんなことを話してたのか?」
シャイメリーの話の中のティサイは、将人の知っている彼女とはおよそ別の人物だった。うわさ話が大好きなフィリピン人ゆえに、多少誇張をしていることも考えられるが、ティサイが食堂にいたという時間も矛盾がなく、彼女の服装の描写も、リンドンの言っていたものとほとんど一致している。話の中身はともかく、彼女がティサイに鉢合わせしたというのは本当だと考えて良さそうだった。
「いいかい、アレンの田舎娼婦に日本人の客がついたんだ。おまけに、その日本人は若くて背が高くてハンサムで金持ちで、さらに週に千ペソの金を、何の見返りもなしに与えると言い出したんだ。ティサイでなくても、普通の人間なら町中に吹聴してまわるだろうね」
言いながら、ライアンが顔を歪ませた。状況は違えど、町中に吹聴してまわっているバネッサを重ね合わせているに違いない。
「ねぇショウ、私が口を出すような話じゃないってことはわかってる。でも事情を知ってしまったからには、ひと言だけ言わせて欲しいの」
言って、シャイメリーは何度か大きくまばたきした。そのたびに、ラメの入ったアイシャドーがきらきらと輝く。
「あんな娼婦に関わるべきじゃない。騙されてるのよ、あなたは。お人よしなのはわかるけど、この国には、もっと貧しくて、もっと助けを必要としてる人たちがたくさんいるの。それなのに、あのティサイって女は、あなたからもらったお金で、ビールを飲み散らかし、カートンでタバコを買い、注文した料理にろくに手もつけず、たくさんのチップを置いて、得意な顔をして帰っていったのよ。あなたがそんな仕打ちを受けるのを、私は黙って見過ごすなんて、とてもできないの」
今にも涙を落としそうに語るシャイメリーの言葉に、将人は心を打たれたが、ティサイ本人に確かめるまでは、彼女の話の真偽の判断は待つつもりだった。
ライアンが、言葉に詰まっているシャイメリーのあとを引き継いだ。
「昨日の晩、ティサイが見つからなかっただろ。なぜあんな時間に家にいないのが、ずっと気にかかっていたんだ。でもシャイメリーの話を聞いて気付いたよ。きっと僕が探しにいったとき、彼女はハルディンで客をとって、モーテルにしけこんでいたんだ。だから自宅にもいなかったし、ハルディンにもいなかった。そうでなければ、アルフォンソと森の中で動物みたいに――」
「わかったから――」将人は大きな声を出した。「それは君の推測じゃないか。僕が知りたいのは真実なんだ。とにかく、わざわざ伝えに来てくれたことには感謝してるよ、シャイメリー」
私は本当のことを話したのよ、と繰り返す彼女の上ずった声に耐え切れず、将人は計量所を飛び出した。終業まであと三十分ほどになっていたが、とりあえず氷バケツをかついで加工場へ戻った。何かやっていなければ、気が変になりそうだった。
終業のホイッスルが吹き鳴らされ、加工場の清掃が始まった。そのとき、ノノイがやってきて、表の道に顎をしゃくった。
見ると、道端に汗まみれになった少年が立っていた。
将人はノノイを従えて彼に駆け寄った。顔の表情がすぐれないので、ティサイに会えなかったのだな、と直感した。
「ご苦労だったね」
将人が言うと、少年は息切れをしながら微笑んだ。少年は、ノノイに向って早口で弁明を始めた。
「ティサイは、やっぱりいえにいなかったんだって。かのじょのこどももいない。やぬしにきいたら、きのうのゆうがたから、かえってないらしいよ」
少年は橋の下の集落を一軒ずつ訪ねて回ったが、彼女の行き先を知るものは誰もいなかったという。もちろんハルディンにも寄り、中に入れてこそもらえなかったが、彼女がいないことは門番に確認したそうだ。
将人は、泥なのか垢なのか、赤茶色に汚れた少年の手に、五十ペソを握らせた。
「君はいつもよくやってくれる。次こそは、百ペソを稼げるようにがんばれ」
少年は、「サンキュー、サー!」といって仰々しく頭を下げると、飛び跳ねるように帰っていった。
加工場から死角になる位置までノノイを引っ張っていくと、将人はシャイメリーから聞かされたことを彼にかいつまんで話した。
「僕はね、ティサイがそんなことを言いふらす人間だとは、どうしても思えないんだよ」
ノノイは苦笑いしながら、太い腕を胸の前で組んだ。
「たしかに、あのしょくどうは、そういううわさばなしや、じまんばなしをするれんちゅうが、このんであつまるね。ティサイが、そこにいても、おかしくない。しょうふのおんなたちも、あのみせには、よくやってくるからね。ただ、もしそのはなしがほんとうだとしても、ティサイは、わるぎがあってやったわけじゃない、とおもうんだ」
「どういうこと?」
「いいかい、ショウとティサイのことは、いくらかくしても、いずれ、まちのうわさになる。しょうふは、ただでさえ、うとまれるそんざいなんだから、まちのひとびとは、ショウとティサイのことをしれば、きっと、とても〈しっと〉するはずさ。だからティサイは、まえもって、ふたりのかんけいが、しんけんじゃなく、あくまでしょうばいなんだって、うわさをひろめたいのかもしれない。そうすれば、じゃまするにんげんは、ずっとすくなくなる。ショウだって、ライアンやジョエルやリンドンには、ティサイのことは、あそびだとおもってもらったほうが、いろいろとらくだろ?」
なるほどな、と将人は頷いた。ノノイは顔だけでなく頭まで良い。
「ありがとう。どうやら、ノノイは脳みそまで筋肉ってわけじゃなさそうだね」
一瞬、意味がわからなかったらしく、ノノイは首を傾げたが、すぐに表情を崩すと、将人に向けて、「せっかくひとがしんけんにこたえてあげたのに」と言いながら、ブルースリーのようなポーズを取って、突きや蹴りを出してきた。
将人も笑いながら、空手の構えをして、それをうまく受け流した。加工場で清掃している何人かが、派手な突きや蹴りが飛び交うのを見て、歓声を上げた。
「おいコラ! みんなが掃除やってるときに、なに遊んでやがる!」
辰三に険しい顔でそう怒鳴られて、将人は慌てて加工場に駆け戻った。
その夜。
ライアンは、ブエナスエルテ社の車庫で眠っていたカローラ――ミナモト水産が、パジェロと一緒に輸出した――を自分で運転すると言い出して、車庫の外に引っ張り出したまでは良かったが、数メートル走ったところでエンジンが止まってしまった。ボンネットを開けると、ラジエターが液漏れを起こしていて、冷却水がほとんど空になっていることがわかった。車の修理もできるクリスが、水漏れしている箇所に濡れたダンボールを突っ込むという手荒な応急処置をして、何とか運転できる状態にした。ライアンは念のため、四リットルのミネラルウォーターのボトルを車に積んで、彼女に会いにいった。
アマリアの待つモーテルまで辰三を送り届けたのち、将人はクリスと一緒にティサイを探しに出かけた。
二時間ほど探したが、やはり彼女は見つからなかった。
社宅に戻り、将人はアルマンと二人きりになった。
「もうじき、レックスが戻ってくるね」
ダイニングテーブルに腰を降ろしながら、将人はアルマンに言った。
時間はもう十一時になろうとしていたが、アルマンは、レックスに提出するための資料の作成にいそしんでいた。
「あさっての水曜日だってさ。飛行機が飛べばの話だけど」
アルマンは鉛筆をダイニングテーブルの上に投げ出すと、大あくびをしてから、コーヒーカップを口に運んだ。
「関内さんに提出する資料と、レックスに提出する資料って、もしかしてどっか違うの?」
将人は興味本位で聞いた。
「あんまり大きな声じゃ言えないけど、関内さんへの資料では、発電機の燃費を過大申告してる。なにせ、AMPミナモトが、というか、関内さんが、ブエナスエルテ社に半ば強制的な目標値としてつきつけた卸値が非現実的に低いからね。従業員の作業効率や鮮魚の仕入れ価格が良いほうに変わらない限り、燃費で帳尻を合わせるしかないんだ。そうでなきゃ、ブエナスエルテ社は永遠に赤字だよ」
「まるでブエナスエルテ社は最初から倒産する運命にあると言ってるみたいじゃないか」
「まんざら、そうでないと言い切れない部分もあるから困るんだ」
言って、アルマンは肩をすくめた。
将人はかぶりを振った。
「僕はこっちに来るまで、出資とか投資とか合弁会社とか系列企業とか、そういうことにまるで興味がなかった。だから出発前に、ミナモト水産の人たちが〈ミツオカプロジェクト〉の運営が関内さんひとりにまかせっきりになっていることをやたら懸念してたんだけど、その理由がまるでわからなかったんだ。でも今なら、何となくわかる気がする」
「僕はAMPミナモトの従業員だけど、ブエナスエルテ社で働いているという、微妙な立場だろ。それを承知で、ショウにはこの話を聞いて欲しいんだけど――」アルマンがコーヒーにむせた。「今のままのシステムだと、ブエナスエルテ社が、業務拡張や従業員の昇給ができるような利益を得る事は、永遠にないんだ。はっきり言うと、ブエナスエルテ社は、AMPミナモトのために作られた植民地なんじゃないかって疑いたくなることもしょっちゅうさ」
「なんだって?」将人は身を乗り出した。
「ブエナスエルテ社の製品の専売権を持っているAMPミナモトは、好きなように製品を買い叩ける。そんな専売権を付与したのは、そもそも〈ミツオカプロジェクト〉の関連企業が一心同体だという前提があるからだろ。でも実際はそうでないとしたら?」
「そうえいば、関内さんの事業の経営母体であるGFCは、AMPミナモトには出資してるけど、ブエナスエルテ社には出資してなかったはずだね」
「その通り」
「つまり、ブエナスエルテ社がどれだけ利潤を上げても、専売権のあるAMPミナモトは卸値を下げることで、彼らの利益を自由自在に吸い取ることが出来る。ブエナスエルテ社に出資していない関内さんにとっては、ブエナスエルテ社は生かさず殺さず、つまり本国のAMPミナモトのために植民地にしておくのが都合がいいってわけか」
二年ものあいだ、関内は、ブエナスエルテ社の出資者たちに、彼らが英語を理解できないのを逆手に取って「万事上手く行っているから大丈夫」とだけ言い続け、詳しい進捗状況も会計報告もしてこなかった――するつもりがなかった、という方が正確だろう――理由が、おそらくそれなのだ。
「その通り。だけど、ブエナスエルテ社の出資者たちにだって悪いところはあるよ。自分たちの出した金が、いったいどこにいくら使われているかなんて、ろくに確かめようともせず、どう考えても都合良すぎるセキウチさんの話を、うんうん、と聞いているだけなんだから。ミナモト社長、ヤマモトさん、サイトウ社長。みんな、わざわざフィリピンまで足を運んでも、うまいものを食って、高い酒をビールみたいにがぶがぶ飲んで、とどめに女をあてがわれて、上機嫌で日本に帰っていくんだからね。経営の話なんかろくにしない。自分たちが何に投資したのか、本当に理解しているのかと問いたくなるよ」
女を用意してくれ、と土下座した斉藤社長の後頭部を見つめながら、関内は内心で「してやったり」とほくそ笑んでいたのかもしれない。
アルマンが続ける。
「しかし、いよいよミナモト社長も、何かがおかしい、って気付いたんだろ。だから今回のタツミさんの派遣で、君を通訳として雇ったわけだ。セキウチさんの通訳ではなく、ショウの通訳で、タツミさんが真実を知ることができるように」
そうだろうね、と将人は頷いた。
「関内さんは専売権をちらつかせてレックスに無理難題を押し付けているんだな。アレンに来てから、関内さんとレックスがしょっちゅう険しい表情で言い合っていたけど、そういうわけがあったんだね」
レックスやリンドンが、自社製品の開発と独自販売網の拡大について力強く語っていたのも、独立しなければ搾取され続けるだけということがわかっていたからこそだろう。
そうなると、関内が真実をかぎつけるかもしれない将人の存在を異様に疎むのも当然なことなのだ。しかし狡猾なことに、彼は将人の英語力をこき下ろすことで通訳の信用度を低下させるという手に打って出て、サンパブロでは見事に成功している。今でこそ辰三は将人の通訳を信頼しているが、それが再びサンパブロの監禁生活に戻された後でも継続してくれるかはわからない。
「レックスは、メトロバンクのミンダナオ島統括副局長時代に貯めこんだ財産のほとんどを、ブエナペスカ社とブエナスエルテ社に注ぎ込んだ。ブエナペスカ社の利益はブエナスエルテ社が食いつぶしてる状況だから、けっこう借金がかさんでるんじゃないかな、投資も債務として計上されてるだろうし。〈ミツオカプロジェクト〉の専売権を何とかしない限り、レックスはセキウチさんに対して強硬な態度に出られないだろうね」アルマンが一呼吸置いた。「AMPミナモトは、ブエナスエルテ社の製品をほぼ原価に近い値段で買い取るつもりだ。メトロマニラ一帯のスーパーや、君の訪れた日系企業の工場の日本食店舗に、〈日本基準の品質〉を売りにして、高い値段で販売する。粗利はものすごく大きいけど、それがブエナスエルテ社に還元されることはない。利益はもっぱらAMPミナモトの経営正常化のために使われるんだ。じゃあ、AMPミナモトはどんな企業努力をしているのかというと、昼間から、がらんとした調理場に、五人かそこらのUP卒のインテリが集まって、関内さんの好物のカレー粉を練ってるだけなんだよね」
AMPミナモトとブエナスエルテ社をしっかり視察して、関内にはくだらない晩酌話の代わりに収支報告をさせれば、英語のかわらない源社長や、斉藤社長、それに山本だって、ある程度は実情を把握できるはずだと将人は思った。ましてや社長の二人は〈ミツオカプロジェクト〉に数千万円を投資した張本人なのだ。
「つまり、関内さんは初めからブエナスエルテ社には会社が維持できる最低限の利益しか稼がせないつもりだった。にも関わらず、日本では高額の償還が見込めると投資を募ったのか。まるで詐欺だよ」将人の言葉に、アルマンがうなった。「レックスはこの状況を、どう打開するつもりだろう?」
「そうだな、例えば僕がいま書いてるこの資料、よく読まなくても、ブエナスエルテ社は永遠に投資家に償還できるような利益を上げることがないって一目瞭然なんだけど、これを君とタツミさんに持って帰ってもらって、翻訳して日本の投資家たちに読んでもらうつもりなのかもしれないし、あるいは、セキウチさんが折れることを期待して、こういう資料が手元にある、投資家たちに見せることもできるが、専売権を何とかしてくれるなら考え直す、とかなんとか、かなり際どい交換条件を申し出るつもりなのかもしれない。実際、専売権さえ何とかなれば、ブエナスエルテ社は作業の効率化と経費削減に努め、AMPミナモトは販売網を拡大をすることで、二つの会社の関係は、相思相愛、相互依存のいたって良好なものになるんだからね。それこそが本来の〈ミツオカプロジェクト〉の図式だよ、どっかで捻じ曲がったみたいだけど」
そんな会話を続けているうちに、十二時まであと数分になっていた。
将人は資料の作成を続けるアルマンを残して部屋に戻ると、書類鞄から、日本で渡された〈ミツオカプロジェクト〉の企業組織図を取り出し、AMPミナモトからブエナスエルテ社に向けて矢印を引いた。そしてその矢印の横に、赤ペンで〈搾取?〉と書き加えた。
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