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不登校を克服しても、
休んだ期間の3倍はリハビリ期間が必要。
とすれば、ドロシーはようやくリハビリ期間終了かな?
といったところではあります。
日々の、イキイキと逞しく自分の人生を生きる様子を見ていると、
ついつい、私も「もう大丈夫かな」と、
気が緩んでしまうのですが、
そういう時に必ずと言って良いほど、
「いや、ちょっと待て、まだまだだぞ」
と思うような出来事が起こります。
と言っても、小さなサインで、
以前のような背筋にビ~ン!とくるようなものではないのですが・・・
体調不良だったり、寝起きが悪かったり、
「学校行きたくないし・・」という言葉だったり・・・
そんなのは不登校児じゃなくても、ODじゃなくても、
誰にでもあることなのですが、
以前の私は子どもの問題は自分の問題だったので、
全身が心臓みたいに思えるほど、
ドキドキしていました。
今は、そんな時にどんな受け答えをすれば良いかを
すぐに思い出し、実行するので、事なきを得るのですが、
そんな時にはやっぱり、
「まだまだだな」と感じ、勉強を続けなければと思うのです。
また、日々の中で時々、
「不登校児特有の性格」が見え隠れすることがあります。
と同時に、
「変わったなぁ~成長したなぁ~」と思うことも、沢山あります。
娘たちの生活態度や、そうした小さなサインを見るにつけ、
本を読んで勉強するにつけ、
私のこれまでの子育ての間違いが理屈でハッキリとわかります。
「こういう対応をしてきたから、こうなった」
これは面白いほど明確です。
育てたように子は育つ。
まさにそうだなと認めざるを得ません。
残忍な事件を起こした若者の養育歴などが放送されると、
どこに間違いがあったのかが、わかるような気がします。
大事に育ててきました。
友だちにいじめられたから、
「ウチの子に関わらないで欲しい」とお願いして歩き、
学校に行かせずに家に居させました。
友だちのような親子でした。
一緒に色々なところに行きました。
( ↑ )これは岡山で、見ず知らずの人をホームに突き落して殺害した
18歳の少年のお父さんの告白でした。(日本教育白書2008より)
事件後お父さんに送られてきた21通の手紙には、
父親が知らなかった心の叫びが記されていました。
私にはそれが、
「社会に適応できる子どもに育てて欲しかった!」という叫びに聴こえました。
どこに行っても友達とうまくやれない。
孤独だよ!どうしたら友達が出来るの?!お父さん助けて!
そんな叫びに聴こえました。
「現代は、子育てに知識と意識的努力が必要になってきている」
(田中喜美子)
私も「もういいかな~」という心の囁きに負けぬよう、
今日も勉強したいと思います。(今日はお仕事お休み~♪)
小学校での不登校経験は、中学に行ってからまた
不登校を起こす確率が高いそうです。
就学通知がきて、意気揚々と制服の採寸等をしているうちは
さも元気に通えるものと思うのですが、
入学式だけ、2、3日、一週間、一ヶ月の間に休みだし、
ここで休んでしまうと、中学生活そのものがわからず、
部活の仮入部から入部へ、先輩・後輩の問題、
英語・数学がチンプンカンプン、
教科別の9人の先生の名前や顔すらわからない状況になってしまいます。
また女の子は特に、誰とでもうまくやれる協調性を親が育んでやらなければ、
ほとんどが友達関係でのつまづきにあいます。
子どもにとって学校に行くということは、
学校そのものよりも友だちの中にうまく溶け込めるかの方が、
大きな問題なのです。
中学生になるまでのあと4ヵ月、
心してかからなければ・・・
子どもに自立心と協調性をつけ、
みんなと関わるための善悪と常識と社会性を身につけさせる、
それには、親が変わること、そして戻らないことですね。
学校という社会で楽しい生活が出来る子どもでいさせてあげたい。
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