思春期の君たちへ 

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2009.01.19
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カテゴリ: 家族

私は、妻として、母親として、

家族にとって、家庭は安らげる場所であることが大事だと思ってきました。

仕事や学校で疲れて帰ってくる家族、

せめて家にいる時くらいはゆっくりさせてあげたい、休ませてあげたい、

そんな気持ちで家族に一生懸命、尽くしてきました。

その気持ちは、義務を超えた

家族に対する愛情、思いやりからくるものでした。

でもふと考えました。

じゃあ家族の方はどうなんだろう?と・・・

家族は私に、そういう気持ちを持ってくれているのでしょうか?

仕事から帰った私に対し、

ゆっくりさせてあげたい、休ませてあげたい、

そんな思いやりの気持ちを持ち、それを示してくれているのでしょうか?

答えはNOだと思いました。

なぜなら、私が家の中でこまネズミのように働く姿は、

家族にとってあまりに当たり前のことだったからです。

妻とはそういうもの、母親とはそういうものという感覚、

妻、母親を家族のお手伝いさんとみなす感覚が、

確かにそこにあるように思います。

やっとの思いで洗い物を終えたのに、

ローラは出し忘れたお弁当箱を、無言で

まるで放り込むように出してきました。

彼女の口からは、かつて私が母に言ったような

「出すの遅れてごめん」「ごちそうさまでした」「ありがとう」

といった言葉は出てきません。

せめてもの抵抗で、

「今洗い物終わったのに~」という私に、

「だから何?」と言わんばかりの顔をして立ち去りました。

私は、

ああ、この子には、毎日お弁当を作ってもらっている、

洗い物をしてもらっているという感覚も、感謝の気持ちもないのだ。

そう思いました。

よく世間ではこんな風に言います。

『今こうして何不自由なく暮らしているのは、お父さんお母さんのおかげ。

世界中には、食べるものがなくて死んでいく子どもがたくさんいるんだよ。

あなたは恵まれているのよ。感謝しなくちゃね』

これが最もだということは、子どももわかっているのでしょう。

でも、いくらそんな話をしたところで、

実際には、お腹が空いていようといまいと、

時間になれば黙っていても食事は出てきます。

寝転がっているうちに、いつの間にか食器は洗われているし、

昨日着た服は翌日、綺麗に洗濯され、畳まれ、

部屋に戻ってきているわけです。

まるで魔法のように・・・

当たり前じゃないんだよといくら口で言われても、

実際には、当り前のことになってしまっているのです。

今、家事を分担していますが、

家族が家事を、喜んでやってくれることを期待している訳ではありません。

上手にやってくれる事を望んでいるわけではありません。

私が期待しているのは、

実際自分でやってみて、

それがどれだけ大変なことなのかを実感してもらうことなのです。

反発が出たとしてもいいのです。

むしろ嬉しい反応です。

その「やりたくない」と思う気持ちさえも、

実際に自分自身で感じてもらうこと、

それが大事だと思うからです。

母親も日々、その気持ちと闘っています。

母親は全自動家事ロボットなんかではなく

他の家族と同じように生身の人間なのですから。

大変だし、泣きたくなるほどやりたくない日もある。

もし、誰かが「手伝ってあげようか」と一言言ってくれたら、

とっても嬉しいのです。

人間は体験したことじゃないと、

本当にはその意味を理解することは出来ません。

何もしなくても当たり前にキレイになっていたり、

何もしなくても当たり前に温かいご飯が出てきていたら、

その有り難さを実感することはなかなか出来ません。

当たり前ではないはずのことでも、当り前のことになってしまうのです。

でも、自分がそれを実際やってみることによって、

この当たり前のように感じていたことのすべてが、

実は誰かが自分のためにしてくれていたことなのだと気づくのだと思います。

また、家事を分担することで、

家族の会話が増えました。

「これ、どうやったらいいの?」

「ああこれはね、こうしてこうするのよ」

「あ、そうか!こうやるんだ~!ありがとう!」

「どう?こんな感じでいい?」

「うん、なかなかうまいじゃない」

「えへっ、そういえば学校でやったことがあった~」

「あらそうなんだ」

こうやって色々な話をしながら、一緒に家事をします。

それまで私が作ったものを当たり前に食べていたのが、

自分で作るようになると、

「どう、美味しい?」

「美味しいよ~」

「本当に?よかった~!

これ、何が入ってるかわかる?実はこんな風に作ってみたんだよね~」

こんな感じで話しが広がっていきます。

今日の夕食の当番がお母さんだとわかると、

みんな「やったー!!!」と喜びます。

これも私が毎日当たり前に作っていた時は、

有り得なかった反応ですよね。

その日自分が当番じゃなくても、

食事を作るということがもはや他人事ではなく、

自分の問題でもあるのです。

「洗濯機使う人いる?今私、使っていいかな?」

「今日のお風呂当番誰?」

「良いことに気づいたよ!自分が洗い物の当番の時は、

 なるべく食器を使わないようにすればいいんだ!」等々・・・

何だか家庭に活気が出てきました。

大切なのは、家族が家事を自分の問題として捉えること。

家事、それは、生きるために必要なこと。

「生きる」ことに直接つながっています。

すなわち「生きる力」です。

自分で洗った服を自分で干す。

このことで、子ども達は、自分に自信をつけます。

思春期になり、自立心が芽生えた子どもの、

自立心が満たされます。

ちゃんと出来た=自尊心が高まり、充実感がみなぎってきました。

失敗した=お母さんってやっぱすごいんだな~

私はもう一人で、誰にも評価されない、感謝もされない家事を、

一手に引き受け、みじめな気持ちになることもありません。

なぜならその大変さを、家族はみんな知っています。

今私がやっている家事は、明日は他の家族がやってくれます。

隣りで別の家事をしている人がいます。

一緒に話をしながらやります。

つい先日まで、たった一人、キッチンで

黙々と片付けをしていた私。

リビングからテレビを観て笑う家族の声だけが聞こえました。

あともう少し娘たちが大きくなったら、

今度は、お皿を下げた後、リビングではなく、自分の部屋に散って行き、

彼氏や友達と電話をしたり、

好きな音楽をガンガン鳴らし始めるようになっていたかもしれません。

プーは一人リビングで、テレビのチャンネルを回しながら寝てしまい、

私は山のようにある、やらなければならないリストとの闘っていることでしょう。

そうしているうちに、いずれは、介護の問題も出てきて、

きっとまたそれも、私が一人黙々とこなしていくことになったかもしれません。

娘たちはそんな私を見て育ちます。

結婚なんてするもんじゃないな、子どもなんて欲しくないなと思うかもしれません。

ピーターパン症候群。

大人になりたくない人たちは、

こんな親の姿を見て育った人たちなのでしょう。

そりゃそうでしょうね。

大人になんかなったって、良いことなんて無いのだと、

お母さんを見ていたらわかります。

母親はまず、自分の家庭から、反旗を翻す必要があると思います。

そうでなければ、

女だから、妻だから、母親だから、

自分を犠牲にして生きるべきだという文化や社会の圧力による

見えないハンディキャップを死ぬまで背負い、

やがては娘や孫娘たちに、それを引き渡すことになります。

ふ~っ、、、今日はここまで。

家事分担のこと、書きたいことがいっぱいあり過ぎて、

うまくまとまってないかも・・・

私の頭の中のことを、ちゃんと伝わる文章に出来るかわかりませんが、

時間の許す限り、少しずつ書いていきたいと思います。






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Last updated  2009.01.19 23:51:41 コメント(5) | コメントを書く
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