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お久しぶりです。1年以上も更新していないこのブログに、今でも足を運んでくださってありがとうございます。自分のブログでありながら、覗きにくることも殆どなく、メッセージへのお返事が遅れてしまい、本当にごめんなさい。 不登校だった次女は、復学してから3年の月日が過ぎ、中学校に入ってからも一度も学校を休むこともなく、皆勤賞を続けています。高熱が出ても、休みたくないと、這うようにして出かけていく娘。本当に強く逞しく、日々、成長を続けています。現在、中2です。 先日、合唱大会があったのですが、中3の長女、次女、共に、最優秀賞を受賞しました。これはスゴイ!どのクラスも泣いたり笑ったり、喧嘩したり・・・全力でぶつかりあって、最優秀賞の栄光を目指して頑張っていました。その中で、我が家の娘が二人とも、栄光を手にしたこと、本当に感動的でした。 こうして、学校生活を楽しんでいる様子をみるにつけ、皆さまに対する感謝の気持ちを新たにします。当たり前のように見えることが、決して当たり前ではないということを、身にしみて感じた経験があるからこそ、今のこの有難い日常を、愛おしく思っています。 私の方は、おかげさまで、アドバイザー試験に合格し、晴れて、認定子育てアドバイザーになることが出来ました。学童保育所の仕事も順調です。 プライベートでは、バスケットボールも続けていますし、最近では韓流にはまり、寝ても覚めても、コンユくんにメロメロな毎日を送っています(笑) すべては、周りの皆さまのおかげさまです。本当にありがとうございます。 次はいつになるかわかりませんが、皆さまもお元気で
2010.10.20
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ふと気づくと、アクセス30000件を突破していましたしかも、あと3日でこのブログの開設から1年 日記の記入率は19%と、更新もままならないこのブログに、平均すると毎日100件近いアクセスを頂いていることに、驚きと感謝の気持ちを感じております。ありがとうございました 【 私を探して 】http://plaza.rakuten.co.jp/logic1468/diary/200901230000/ 【 私の人生 】http://plaza.rakuten.co.jp/logic1468/8002 ↑過去記事です。 私は、自分の好きなことは何か?何がやりたいのかもわかりませんでした。自分が怒っているのか、悲しいのか、感じることも出来ないところからの出発でした。 でも今は、おかげさまで、毎日、充実しています。好きな仕事をして、家族と楽しく過ごし、学生時代からやっていたバスケットボールを再開し、アドバイザーの認定資格取得の為、講習に通い、美味しいお菓子作り、料理を趣味とし、友達と愉快に呑み、しゃべり、遊び、海で泳ぎ、昼寝し、はしゃぎ・・・ 反省と感謝の心を忘れずに、生きていきたいと思っています。ありがとうございました【 追記 】上のURLは、携帯からでは見られないみたいですパソコンからなら大丈夫です。
2009.09.13
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ようやく長い夏休みも終わり、子ども達の「いってきま~す!」の声が響く、日常が戻ってきました あ~、やっぱり、子どもが学校に行っているのっていいなぁ~そんなことを思うのは、あの日々があったからなのでしょうね。 夏休みは家族で旅行に出かけました。近場なのですが、本当に楽しい旅行でした子ども達も、毎日のように「旅行楽しかったね~また行こうね~」と言います。うん、学校に行くのも良いし、夏休みもいいし、とにかくなんだか毎日が幸せです わが家の娘たちは年子。同じ中学に通い、同じ部活に入っている先輩・後輩の中でもあります。 以前、家庭教育について学んでいなかった時は、2人の姉妹喧嘩の激しさに、内心、本気で心配したことも多々ありました。 でも今は、もちろんたまに喧嘩もするけど、とても仲がよく、家に帰るとまるで合宿所や寮みたいな感じ?2人でず~っとしゃべっています。何せ、同じ学校、同じ部活、女同志、話題には事欠かないようです。~ちゃんが、~先生が、~先輩が、~部の子が、学校行事のこと、部活のこと、愚痴、相談、噂話・・・ともかくずっと話しています。 旅行の行き帰りの車の中でも、その調子でひたすらしゃべり続けていて、もうすぐ家に着くという頃に主人が、「おまえら、ず~っとしゃべってるよな~そんなに面白いの?」と聞くと、「この時間が一番楽しいんだよ~」と言っていました。家族だからこそ言える本音を好きなだけ話せて、本当に楽しいのでしょうね。 昨日なんか、夕方、玄関の前で誰かがずっとしゃべっている声がしてて、でも誰も中に入ってこない・・・ドアを開けてみると、鍵を出すのも忘れて、部活から帰ってきた2人が玄関前で立ち話をしていました^^;それにしてもよくしゃべるな~^^; そして、私も会話が本当に楽になってきました。家庭教育を学ぶようになってから、会話のルールを頭の中で整理しながら、オウム返し中心になりがちな時も結構あり、本当に「聴く」に徹するのみという感じでしたが、今はごく自然に、子どもの話に共感しながら、話を膨らませ、こちらの気持ちも伝えながら話が出来るので、本当に会話を楽しめるようになりました。 気づけば、誰が言い出すわけでもなく、家族4人リビングで、テレビもつけずに、何時間も会話を楽しむなんてこともあります。 会話のしかたって、本当に大事ですね。以前だって、子どもを同じように愛していたのに、今思うとそれは、ちゃんとは伝わっていなかったように思います。会話のしかた次第で、しっかりと愛情が伝わっていくのだということが、今、ハッキリと実感できます。 感謝、感謝の日々です
2009.09.02
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あるところで、こんな質問を受けました。 昨日友人とこんな話になったんだ・・・ 私「他のお母さん達は面談で、子供の2面性を指摘されていたけど、 うちは先生の話を聞く限りはほとんど家と変わらないみたいだった」 友「そのうち爆発したりして???」私「そうも見えないんだよな~」 友「でも反抗期は必ずあるでしょ!!親に限らず、 大人や社会に対して反発する時期が・・・」 私「でもそれって本人が圧力を感じる時に起こすんじゃないのかな? 圧力をかけるような接し方はしてないし・・・ 社会に対しても、いろいろな人がいて、 自分と意見が合わない人がいることや、 大人が必ずしも正しいとは限らない事などが理解できていれば、 爆発せずに消化出来るんじゃないかな?」 ・・・こんな感じ。 私は息子に反抗心が無いとは思ってないの。 反抗されるような意見の押し付けをしていないから・・されない。これって違うの~?!やっぱりそのうち爆発するのかぁ~??? とのことでした。 みなさんは、どう思いますか?良かったら、ご意見お聞かせ下さい 私の考えとしては・・・ 反抗期って本当は、もっと小さい頃(3歳位)に通過するものだと思うんです。それまで親や周囲に頼らないと生きていけなかったのが、徐々に「自分で!」になってくる。「自我の芽生え」ってやつですね。本当はこの辺りから、親は徐々に、それまでの育て方を変えていかなくちゃいけない訳なんだけど、それがわからずに、手出し・口出しを続けてしまうから、プレティーン、ティーンネイジャーの時期に問題が生じるわけで・・そういった意味では、不登校やOD(思春期症候群)を経験している私たちは、「反抗期がなかった(出来なかった)為の問題」を既に経験していると言えるんですよね(^^;) で、今度は「思春期の反抗期」についてだけど、確かに普通は、この時期に子どもが親に反抗する確率は高くなるとは思います。あいあいクリニックではこう書いてありました。「自我が芽生え、自らの独立を望む思春期の子供たちを, かれらの支配者たちが反抗期と呼んでいるだけではないのか?」つまり「防御反応」だと・・・ 多くの親が、思春期の子どもとの正しい距離の取り方を知らずに、小さい頃からの続きとして、手出し・口出し、価値観の押しつけ、心配症、つまり干渉し過ぎるから、それぞれ別の一個の人格を持った人間として、「衝突」が起きる、それだけのことだと思うのですが・・・それを「反抗期」と言う人が多いのかな。 でも、もしその時期に、親の方に正しいスキルがあれば、衝突事故は起きないわけで、反抗期がないっていうのも、充分にあり得ることだと思うんですよね。つまり、反抗は反抗する理由がなければ起こらないってこと。 親が本当の「大人」に成長していて、問題所有が出来ていて(適度な距離を保てる)上手にコンサルタントやカウンセラー的な役割が出来るなら、子どももわざわざ反抗する必要がないわけだし。 ただ、「反抗したくても出来ない」という場合もありますね。例えば、虐待だとか、愛情関係が出来ていないとか、親が何かの事情で可哀そうな存在になっている(子どもの方が大人にならざるを得ない)とか、正論でがんじがらめにされてとか・・・ともかく、安心して反抗なんか出来ない事情がある場合、これは確かに「後に爆発」とか「大きな問題」に発展する可能性があるでしょう。 その辺りの見極めは、確かに必要なんだろうけど、私たちの場合は、もう既に、それまでの問題点に気づいて、日々、精進しながら、一生懸命子育てを学んでいるんだから、大丈夫だと思うのですが・・・そういうのを知らない人から見たら、「反抗期がないなんて、そのうち爆発するんじゃない?」ってことになるかもしれないけど・・・ 私はこの道を信じていこうと、思っています 賛否両論あるかもしれないけど、どうなんでしょうね~???
2009.07.18
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恥ずかしながら、わが家の長女のあだ名は「置き勉の女王」試験前でも何でも、常に教科書等が置きっぱなしだからだそうです1年生、2年生と、面談の時等に担任からそのあだ名についてお話しを聞いています・・ 次女も、そんな姉の勉強に対する姿勢をしっかり受け継いだのか、テスト直し(間違えた問題に正しい答えと間違えた理由を書くもの)が提出出来ていないようで、先生に注意を受けたそうです。 まぁ、2人とも、試験前でも本当に見事なまでに勉強をしないので、ノンビリ母の私もさすがに、大丈夫か?と思うこともあったのですが、昨日の晩、2人して神妙な面持ちで、相談をしてきました。 「これからは勉強を頑張りたい。 明日から家庭学習は一日1時間やる。 だから塾に通わせて欲しい」要約するとそういうことでした。 「あらそう~ 塾ねぇ・・」という反応だった私に、娘たちは二人して、「ほらっやっぱり、ウチは普通の親と違うんだよ」と・・・ 普通の親なら、勉強をやるとか塾行きたいと言ったら喜ぶんだそうで、というか、むしろ、行きたくないと言っても塾に行かせられるし、勉強をするよう言われ、外出禁止になったりもするのだという言い分でした。先日のノエルさんの記事でもありましたが、私は「変人お母さん」のようですので・・・ まぁ、本人たちがせっかくやる気になっているので、以前、かれんさんのところでアドバイス頂いたように、出来るだけ本人たちのやる気は認めてあげたいと思いました。 一応、まずはいくつかの体験入塾Or短期夏期講習への参加への許可は出し、今後も続けるかどうかは、本当に1時間の家庭学習が2ヶ月続いたら考えるということ、それを見て、お父さんの許可が出たらということなどを話しました。さてどうなるやら・・・ これまで、全くやっていなかった勉強・・「子どもの問題」としか考えていなかったので、私の方も、一切、勉強にはタッチしてきませんでした。さて、私がこれから心配すべきは、塾のお月謝のことくらいですかね。本人たちの意思が本物であれば、これまで貯めてきた学資保険の出番かな・・・私はこれまで以上に頑張って働き(好きな仕事なのでむしろ楽しみ^^)節約に励み(こちらはあまり得意ではない^^;)スポンサーとして応援していきたいと思います。 三日坊主の可能性もありですが、見守ってみようと思います
2009.07.13
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気づけば一ヶ月、blogの更新をしていませんでした。しばらくパソコンから離れて生活しておりました正直なところ、まぁ、これがとても心地よく、結構楽しい日々を過ごしています。 娘の不登校~克服~継続登校の日々の約2年間、ほぼ毎日、ネット上でこのことについて語ってきたのですが、このような、非常に重く難しい問題を話題にし、意見交換をするのは、私にとっては、物凄くエネルギーを要することでした。今改めて振り返っても、よくまぁ、続けてこられたものだな~と思ってしまいます。 ここで自分の気持ちを整理したり、皆さんと意見交換させて頂くことで、沢山の学びがあります。本当にありがたく、思っています。 でも、私は今、自分の生活・人生を大いに楽しんでいます。家族との団欒も楽しく、これまで以上に大事にしています。 無我夢中だった2年間でしたが、今後はちょっとだけペースダウンして、あまりムリせずやっていこうかなと思っています。 次の更新はいつになるかな?しばらくないかもしれないし、今日かもしれないし・・(^^;) Let It Be!あるがままに、流れにまかせていきますね。 そんな感じですが、これからも宜しくお願いします
2009.06.24
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ウチは、以前の私の仕事の都合上、小学校低学年から娘たちに携帯電話を持たせています。なので、もう5年ほど使っていますが、これまで、携帯料金が高すぎるとか、有害サイトにいってしまうとか、携帯ゲームにはまってしまうとかいうトラブルもなく、最低限の使用でおさまっています。 でも、高校生になったら自分でバイトして、携帯電話代を払うように言ってあります。娘たちも今のところ、ごく自然にそのつもりでいるようです。 「高校生になったらバイトする」これは娘たちが常々言っていることですし、娘たちの夢でもあります。おこづかいも同時にもらえなくなると思っているようですが、私としては、最低限必要なおこづかいはあげるつもりです。ただ、携帯電話は家の電話がある以上、最低限必要なものとは言えないので、自分でということになります。 私自身、中学卒業と同時に、まだ15歳でしたが、春休みから、ケンタッキーでバイトを始めました。550円の時給だったと思います。当時、携帯電話などなかったのですが、私は収入を得られるようになったので、電話の権利をレンタルし、(毎月1600円位で借りれるシステムがあることを自分で調べました)自分で電話機を購入して、自分で部屋に電話を引きました。自分が話した分だけ、自分が汗水たらして稼いだバイト代が消えます。 当時、音楽事務所に所属していて、その上バイトもして、彼氏もいて、友達とも遊びたくて、寝る間もないほど忙しかったのですが、充実していました。 私の母は当時を振り返り、「あなたは何でも自分で決めて、親を頼ることなく、自分でやってのけた・・ いつも度肝を抜かされたわ。 高校に入らないうちからいきなりバイトを決めてくるし、 ある日、突然NTTの工事の人が来て、あなたの部屋に電話を引いていった・・ わが子ながら、本当にすごい子だと驚かされてばかりだったわ」と言っています^^; 娘たちはそんな話を昔から聞いているので、自分も早く、バイトして自由に電話が出来る日を楽しみにしています。 ちなみに、わが家では、パソコンは1日1時間という決まりがあり、娘たちは自ら、パソコンの横にストップウォッチをおいて、その決まりをしっかり守っています。時々、「もう少し時間を伸ばして」と言ってくることがあります。でも、これがわが家のルールなので、そこは譲りません。何も一切やらせないというわけじゃないのですし・・・ 自分で自分用のパソコンを買って、自分でプロバイダーに毎月の支払いが出来るようになったら、好きなだけどうぞと言ってあります そんな家庭なので、「早く働きたい!」と意欲に燃えている娘たちです。 携帯電話、パソコン、ゲーム・・・今の世の中、色々刺激的なものがありますが、それぞれの家庭で、それぞれの家庭に合ったルール設定をして、上手につきあっていきたいものだなと思います。 自立とは、人を当てにしなくても自分の力で生きられること、自分では出来ない時に素直に人に援助を求める能力だと思います。 小さいうちは、親の手が届くので、物理的な制約が可能ですね。でもある程度成長してきたら親が完全に制御することは難しいでしょう・・・唯一出来るのは、子ども自身に、それらをうまく処理する能力を育ててあげることだと思います。そういった能力が育っていれば、自分の力で問題を最小限に食い止めることが出来るでしょう。 わが家では、家事分担もしていますし、「働かざるもの食うべからず」の精神が根付いています^^;「義務」と「権利」は一体であるもの。そして、家族が共に暮らしていく以上、そこにはルールが存在するし、もし、自由を手に入れたければ、その分の責任を自分で背負う、そういうものであることを、娘たちは、家庭の中で体験していると思います。今は、お父さんとお母さんが働いて、この家庭がある。そこにはルールがあり、それを守る必要がある。そうする中で、自分の欲求をコントロールすることを学ぶ。そしていずれ彼女たちは、自分で稼ぎ、その分の自由を手に入れるでしょう。その時に、自分で自分の欲求をコントロールし、しっかり働いて、その収入の範囲内で、時間を上手に使い、自分のしたいことをする。 この子たちはそれが出来る人になるであろうと、私は信じています。 長女が高校生になるまであと2年弱です。「自立心」をしっかり育てていきたいと思います。
2009.05.24
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「朝起きは自立の第一歩」紅茶さんからお聞きした、母親学校の先生の言葉。「母親はできるだけ手出し口出しをしないで子供に任せる」先生の言われたとおりにしてみると、1ヶ月で本当に朝が楽になったとのこと。 私も、以前は朝が本当に大変でした・・・子どもを何とか送り出したあと、グッタリ疲れてしまって、情けないやら、やりきれないやら・・・涙を流したり、一人、物に当たったりしたことさえありました(^^;)でも、ドロシーの不登校がきっかけで、子育てを学び直し、今は本当に、超ラク~♪な朝になりました^^そして、何より、子どもがイキイキとしています 家族の機能が健全でない場合、子どもは不登校等の問題行動を起こすと言います。(本人は無意識に)ドロシーは不登校という形で、体を張って家庭の問題を外に出す役割を担い、家族の真の崩壊を防いでくれました。ドロシーの不登校・OD・うつ・不安神経症は、家族の苦しみの投影であったと思っています。不登校、それは本当に苦しい試練ではありましたが、ドロシーがその辛い役割を担い、体を張って、「親が変わらなければならない」ということを教えてくれたおかげで、私たち家族は本当に幸せになりました。 これも、紅茶さんに教えて頂いた、あるお母さんのお話し・・・その方は、朝、どうしても、子どもに口出し・手出し(手伝い)をしてしまい、子どもがそれを利用し・・という悪循環にはまっていたそうです。要するに、子離れできない自分に問題があると気づかれたその方は、「朝ご飯の支度をしたらとっとと消える」ことを決め、朝食とお弁当を作ったら、6時半にいなくなるようにしたそうです。子どもたちを見送ることができなくなったことはつらかったそうですが、その結果はすぐ出ました。毎朝、不安を抱えていたお子さんに迷いがなくなり、毎朝、遅刻ギリギリで、支度の間に合わない日もあったお子さんは遅刻をしなくなったそうです。この朝の時間は、そのお母さんの自由時間となり(喫茶店で珈琲タイムだそうですよ)子どもたちにも好評とのこと。「子離れできない私が子どもたちの甘えを引き延ばしていたのだろう」とその方はおっしゃっています。 不登校の子ども、それとセットのように出てくる問題は、「朝起きられない」ということですね。声をかけても、体をゆらしても、引きずりだしても起きられない。親は必死になって色々しがちですが、どうなんでしょう?私は、結局、それは、本人に起きる気がないからだと思っています。よく、「学校に来られても来られなくても、昼夜逆転すると困るので、朝はちゃんと起こして下さい」等とアドバイスされることがありますが、学校へ行けないと「原因」(潜在的な問題)が、解決されないうちは、朝、起きられないという問題は解決しないと思います。 個人的には、五月雨登校の場合が、親として、一番辛いかな~と思っています。親が「今日は行くの?行かないの?」と聞き、イライラを募らせたり、あの手この手で起きてくるよう仕向けたりしがちだからです。でも結局、学校へ行く行かないは子どもの心の中で決まっているように思います。もちろん、葛藤はあると思いますが、要するに、行ける時はそのような行動をするし、行けないものは行けないのだと思います。 親の対応としても、問題ですね。「行くの?行かないの?」とか、「今日はどうするの?」とかいう言葉の中には、「行かないという選択肢があってもいい」という意味合いが入ってしまいますよね。親は、行くことを前提とした対応をする。だからと言って、うるさく言う必要はありません。「行け」とも「行くな」とも言わず、本人に任せる。つまり、親の問題にすり替えないということが大事だと、私は思います。 親は「行かせる」ではなく「行くべきと思ってる」という態度で接する。そうすることで、子どもは、このことを自分の問題として考え、自分で行動するようになると思います。 ノエルさんのブログで紹介していた「思春期の子どもの心のコーチング」という本の中で、『朝起こさないことが子どもに責任を教える第1歩である』と書かれているそうです。私は今その本が手本にないので(予約中です^^;)ちゃろさんが書かれていた事を引用させて頂きますね。 『学校に遅刻しないために、何時に起きる必要があるのか、 そのためには何時に寝なければならないのかを考え、自分で起きる。 どうということのない1日の始まりが、すでに責任を学ぶ第一歩です』と書かれているそうです。 私は、このブログで、自分の子どもの不登校の経験を書いていることから、個人メッセで相談を受けることも多くあります。また、他の場所で、現在不登校に悩むお母さん方の相談にのるコミュニティーの運営をしています。と言っても、もちろん、専門家ではないので、不登校を経験した一母親として、共に支え合っていきましょうというスタンスでやっています。私生活でも、不登校等、子どもの問題を相談される機会もあり、仕事柄、学童の子どものお母さんの相談(朝、行き渋るのですが・・等)にものることも多くあります。 先日、現在不登校の子どもを持つお母さんから、こんな質問を受けました。「朝起こさないと、お昼まで寝ている。 もしかしたら行くかもという期待を持って、平日は起こすようにしているが、 結局、ご飯を食べて部屋に戻り、また寝ている。 学校に行く時は自分で起きてくるのだから、 もう起こす必要はないのかな?」 それに対し、私はこう返事しました。「起こさなくていいと思います。 学校に行かなければ、早起きする意味がないので。 本人が学校に行こうと思えば、自分で起きて来るはずです。 私の場合は、朝起こさずに、家事をバタバタやっていました。 もし起きる気があれば、そういうバタバタ音で、そのうち起きて来てました。 起きても、結局、学校に行けなかったけど・・・ ともかく、頼まれもしないのに起こさなくていいと思います」こんな風に、例えば、朝の対応一つでも、それぞれが勉強したことや、経験したことを話し合ったりして、共に乗り越えています。「学校に元気に通うようになった」というお母さんの報告を聞くのは、本当に嬉しいことです。そしてそういう方は、人が柄まで変わっていくように感じます。 不登校の経験がないお母さん、復学支援を受けたお母さん、独学で親が変わることを学び克服したお母さん、現在不登校中・予備軍・五月雨・別室、付添い登校のお母さん。私は、どんな母親も「子育て」というテーマでつながっていると思っています。子育ての悩み、苦しみ、それを乗り越えていくこと・・・良いことがあったら、共に喜び合い、辛いときは、励まし合う。色々な人、それぞれの考え、それを受け入れ、認めあいながら、共に学び、そうする中で、自分だけの答えをみつけていけたらいいなと思っています。誰かが書いていることは、決して、誰かを否定するものではないことを、お互いに理解し合って、共に歩んでいけることを祈っています。 「朝起きのこと」他にはどんな考え方があるかな?
2009.05.17
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先日、転校してしまった子の事を書きました。彼はきっと前向きに、新しい一歩を踏み出していることと思います。(そう信じています) ところがドロシーは、あれからずっと尾を引いてしまっています。まだまだ弱いですね。人を許すということがなかなか出来ません。クラスの子たちに、反省の姿勢が見られない事に、怒りと悲しみを感じています。 あんなクラス、最悪、大嫌い、最低、許せない。キモイ等と言ったこと、転校と聞いて喜んでいた事、許せない!反省して欲しい!と、クラスメイトに対し、大きな不信感を抱いています。 あんなクラス嫌だ。教室にいるのが苦しくてたまらない。押しつぶされそう。気持ちが悪い。息苦しい。最近、寝付けない。眠ろうとすると、息が出来なくなる。等と訴え始めました。ドロシーの感受性の鋭さは、それはそれで、彼女の持ち味とも言えるかもしれないし、相手の痛みを自分の痛みとして感じる事が出来る事は、無関心でいるよりも、良い部分があるかもしれない。でもそれは、反面弱さでもある。何より、本人が生きていきづらいと思います。だからこそ、不登校になったし、心身症になったし、鬱になったし、神経症にまでなったのだと思います。 クラスメイトは悪かった。反省してる様子は見せない。でも、その人たちの本当の心の中までは、見ることは出来ない。もしかすると、心の中では、後悔したり、反省したりしているかもしれない。そういうことまでは、あまり考えられないようです。 また、一つの出来事で、クラスメイトみんなが悪いみたいに思い込む。本当に、みんながそんなに悪い子なのか?中には、自分と同じように、心を痛めていた子がいるかもしれない。 現に、自分だって、結局は彼を守れた訳じゃない。自分だけがいい子になっていないか?自分以外の人の心の中を推し量る力が不足しているのではないか? もしかすると、転校していった彼にとっては、ドロシーも他のクラスメイトも同罪、いや、小学校が同じ仲間であったからこそ、もしかしたら、もっと罪は重いかもしれない。 「人を許す」ということは、そういう目には見えない事に思いを馳せる事が必要だと思います。ドロシーには、そういった心や、度量がちょっと少ないかな・・ 人を許せない為に、その事が頭から消せない。考える度に嫌な気持ちになる。大切なのは、じゃあ今どうしたら良いのか?だと思うのですが、過ぎた出来事にばかり囚われて、大切な今を嫌な気持ちで過ごす。 「こんな人もいる」「こういうこともある」「本当は反省しているかもしれない」「もしかすると自分と同じように胸を痛めている子がいるかもしれない」そういう風に物事を受け止める、つまり、「現実を受け入れる」ということが必要だと思いますし、それが「今を生きる」ということ、すなわち、「生きる力」だと私は思うのですが・・・ 正義感が強いのはわかります。でもそもそも、人を裁けるほど、自分は完璧な人間なのか?自分の考えだけが正しいだなんて保証はないですから・・・ また、人を「許す」ということは、決して相手のためだけではないと思います。許すことで自分も救われるものだと。いつまでも相手の悪いところや失敗に囚われているうちは、自分自身の幸せもありません。 そして、相手を変えようと思う心は傲慢であるし、そんな思い通りになるはずもありません。自分の心(考え方、とらえ方)を変えることで、自分が相手から自由になり、幸せに過ごせるのだと思います。こういうことに、ドロシー自身が気づくまでには、まだまだ時間がかかりそうです。今、こうして悩んだり苦しんだりして、いつかみつけていく答えでしょう・・・早く楽にしてあげたいけど、私はそこをグッと堪えて聴くだけですね。と言っても、あまりにマイナスの感情ばかり膨らませるドロシーに、ついつい批判的な相槌を打ちがちの自分を反省しています GWも本番に入っていますが、GW明けは、不登校になりやすい時期と言われています。 5月、6月は、相談件数も倍増するそうですね。新学期、「はりきって」学校に通う子ども達。学校に馴染むことができたでしょうか? クラスの中で居場所をみつけられないうちにお休みになる、 学校でも家庭でも上手に自分の気持ちを表現出来ないまま、 まだ、緊張感で何とか学校に通っていた子どは、 このGWによって、学校に行く足が遠のいてしまうことがあるようです。 あんまり神経質になる必要はありませんが、 このGWで、家庭での対応がブレないようにだけは、 気をつけたいと思ってはいますが・・・なかなか難しいですね
2009.05.03
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先日、ドロシーのクラスで、暴力をふるわれた男子がいたことを書きましたが、その子、なんと、転校してしまいました。正直、あまりにも時期尚早な気がして、ショックです あれから色々わかったことがあったのですが、その男の子が、暴力をふるった子に対して、先に手を出したそうです。もちろん、そうするにはきっと理由があったのでしょう。それに対しての応戦が、お腹を蹴るという暴力でした。 周りの子が冷ややかな目を向けていたこと、加勢するようなヤジを飛ばした子もいたこと、それはきっと辛かったと思います。でも、手を出し合ったのは本人同志、一対一です。 そして、翌日から学校に来なくなってしまい、1週間も経たないうちに転校です。 何も出来なかったと言っていたドロシーたち(元・クラスメート)でしたが、実は、何もしなかった訳ではなかったこともわかりました。実は、次女はやめるよう言ったのです。でも、「Kが好きなんだ~」等とからかわれ、それ以上、強く言えなくなったのだそうです。他の子も、かばうようなことはしたそうですが、「なんでだよ!」等と言われて、それ以上言えなかったそうです。それが「何も出来なかった」と言っていた事情です。確かに結果的には何も出来なかったのかもしれません。その事で、今も自責の念に苦しんでいます。 一番驚いたのは、担任から発表された転校の理由は、「家庭の事情で」 だったそうです。子ども達の誰もが、理由は教室で起きたことと知っているのに・・・そのことについて、一切の説明も話し合いもなしです。 暴力をふるった子、ヤジを飛ばした子たちは、「やった~、転校だって~」と笑っているそうです。そこには何の反省も勉強もありません。そして、止めきれなかった子たちの気持ちは放置状態です。 中学に入学したばかりだから、こういうことは、サッサと消してしまって(転校させてしまって)何もなかったことにしてしまおうといった大人の意図が感じられます。 確かに、今の時期なら、転校しても、学校にも馴染み易いでしょうし、元々、同じ小学校だった子の殆どがその学校(転校先)に通っているので、安心感もあるでしょう。これ以上、心の傷をつけたくないという保護者の気持ちもわからなくはないです。早い対応が望ましい、そうかもしれません。 でも、ある1日の出来事で、何事もなかったように、何の説明も話し合いもなく、転校・・・ 何が正しいとかはわからない。でも、何だか、とてもやりきれない気持ちです。 その子自身、小学校の時から、同じようなことはよくあったそうです。話しを聞くと、やはり協調性の部分で、その子自身にも問題はあるようです。 次女は、その子が転校先でもうまくやれるか心配だと言っていました。そこでもうまくやれずに、またトラブルが起こったらどうするんだろう?と・・ その子自身にとっても、お腹を蹴った子にとっても、加勢した子にとっても、止めきれなかった子にとっても、ただ傍観していた子にとっても、大事な経験、成長する機会だったように、私は思います。 ドロシーが今後、どんな答えを出すか、見守るつもりでしたが、見守る間もなく、その子はいなくなってしまいました。 何もなかったことにして、本当によかったのかな?その方がよかったのかな?その子のことは、その子の親がよくわかっているのだろうし、周りがとやかく言う問題じゃないけど、その子にとって、この選択は、本当の意味で良かったのか・・・私は、何だかよくわからなくなってしまいました
2009.04.28
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中学に入学して2週間が過ぎました。ドロシーは毎日、元気に中学校に通っています 部活は、ローラと同じ部活に入部しました。学校の中で一番ハードで忙しい部活、正直、大丈夫か?とも思ったのですが、本人が決めたこと、親は見守るのみですね クラスの状況も、初めはお互いに様子見状態だったようで、あまり話題に出てきていませんでしたが、最近は、徐々に色々と話をしてきます。 お友達も沢山出来て、こんなこと話したとか、あんなことしたとか、楽しげな様子を聞き、一安心です また、同じ小学校出身の男の子が、暴力的な男子に、何もしていないのに、お腹を蹴られたり、からかわれたりして、それを心苦しく思っている話も聞きました。 「あんなことは許せない」と言うドロシーに、周りの子は、その男子は、女の子にも容赦なく暴力を振るうので、何も言わない方がいいよと止められていると言っていました。驚くことに、やられる方も悪いのよと、暴力をうけている子にも冷ややかな目を向けている子の方が多いとのこと。ドロシーは、憤りを感じる自分、でも何も出来ない自分と、葛藤しているようです。 そういう話を聞いて、親が諭すのは簡単ですが、おそらくそれらは本人も充分にわかっていること。今はただ聴き役となって、ドロシーがこのような問題にどう向き合っていくのかを見守りたいと思います。 大人だって、例えば、電車のホームで、ヤクザ風の男に、殴られている気弱そうな男性を見て、たった一人で「やめなさいよ!」と、正義感を持って制止出来るか?と言ったら、やっぱり葛藤があると思います。私なら、怖くて止められないので、駅員さんを呼びに行くとかすると思いますが・・・ でも駅と違って、クラスの中で起きていることを先生に言いに行けば、言った奴は誰だということになるかもしれないし、そこはまた学校ならでは葛藤があるかもしれません。見ていて辛い、苦しい、止めたい、注意したい、怖い、出来ない、先生に言いに行く?チクったと言われる?いや、でも言おう、でもでも・・・そういうことを今ドロシーは経験しているのだと思います。 ローラの以前のクラスでも、いじめがありました。ローラも色々悩んで、自分なりの答えを出し、みんなに無視されている子とも、堂々と仲良くするという行動に出ました。それがローラの答えだったようです。担任に「わけ隔てなく、誰にでも同じ態度で接することが出来る貴重な存在です」と褒めて頂きました。そんな姿を見て、クラスは変わっていったとのこと。最後にはまとまりのある、良いクラスになりました。わが子ながら、誇らしく思います。私に出来るかな?(私は要領のいいタイプだった^^;)←性格悪いんです。 ドロシーがどんな答えを出すかはわかりませんが、話しだけはよく聴いて、見守りたいと思います。私からは来週の家庭訪問の時に、担任に少し話しておこうと思います。 以前、ドロシーに対し、「中学に行ったらいじめてやる」と言っていた子達がいるという話をここでも書いたのですが、私はそのことがとても気になっていて、実は、入学式前日には、心配で眠れないという事件(?)を起こしてしまいました^^;子どもの問題なのにね、お恥ずかしい限りです。ぶにん先生を始め、色々な方に相談をし、ようやく冷静になれたという流れがありました。 その後、ナント、その子達と部活の仮入部等で交流があり、実はその子たちは、ドロシーと友達になりたいと思っていたということがわかりました。それならそうと初めから素直にそう言ってくれればいいのに~ひとまず大丈夫そうです で、それ以外にまた問題発生!クラスに変わった女の子がいて、ドロシーの上履きを、「何これ、デカ!」と取り上げて、「回して~!」と、クラスの子に呼びかけ、「何で?」という子に、「いいから回せよ!」と言って、みんなに回させて、返してくれなかったということが起きました。ドロシーは相当凹んでいましたし、私たち家族も正直、「そんなのいじめじゃん!」と怒っていました。でもそれも数日すると、実はドロシーと仲良くなりたかったということがわかりました。今もその子はドロシーに金魚のフンみたいにつきまとっているらしく、部活にもついてきて、同じ部に入部してしまいました。ドロシーは正直、ウザいと思っているらしいですが・・^^; なんだろ、本当、色々な子がいるものですね。ローラの新しいクラスにも、そうとう絡み辛い子がいて、苦労していると言っていました。ローラもまたそういう子に好かれてしまうんですよね・・そういう性分?星の元?なんだかわかりませんが・・・ でもやっぱり、こういう経験が出来るのは、学校に行っているからこそですね。特に、公立中学なので、この「無作為に集められた集団」の中で、様々なことを学び、成長していくのでしょう。 その絡み辛い子は、小学校の時から「教室の悪魔」に出てくるような(いや、それ以上の)酷いいじめを繰り返したいた子らしく、以前から、その子とだけは同じクラスになりたくないと言っていました。ところがビンゴ!で同じクラスとなりました。私は「え~っ!だいじょうぶ~?」と、正直不安に感じたのですが、ローラは驚くほど冷静で、笑って受け止めていました。これから色々と面倒なことも起きるかもしれませんが、ローラなら、きっと乗り切ることが出来ると信じています。 この無作為集団の中で、どんなドラマが待っているか、出来るだけ冷静に見守っていきたいと思います
2009.04.23
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娘たちの話を聞いていると、何だか会話が噛み合わなくなる時があります。なぜなら、時々、娘たちの話には、主語がないのですおまけに、「いつ」が抜けていたり、「どこで」が抜けていたり、「何を」が抜けていたりして、「どうしたか」とか「どう思ったか」だけが突然出てきたりするのです。 「~してたら、~してきて、~って言ったら、~とか言って~マジウケたし~」みたいな・・・???誰が~していたところに、誰が~してきたの?その後~って言った人は誰?それに対して~って言った人は誰?っていう感じです 本人は頭の中で色々と考えているため、会話はつながっているつもりのようですが、聞いている方は、理解不能です。主語がないまま長々と話すのを聞き、話し終わった後に「で、誰の話?」ってことになるのです。 前後の話の流れで、これは娘のことかな?と思って、「あらそう~、それはよかったね~」なんてうっかり言ったら、「はぁ?ウチのことじゃないし!Aちゃんだし!」とか言われて、「あ~そうなの~?Aちゃんのことだったの~」とか言うと、「もういい!お母さんと話してると疲れる!」とか怒り出したり・・・こっちが疲れるんじゃ~!! 「そんなの言わなくても分かるじゃん!Aちゃんに決まってるし!」って、そんな、ムリだろっ! こういう勘違いがあると嫌だからと思って、会話の途中で「誰が?」とか「誰に?」とか「なるほど、で、それっていつの話?」なんて、いちいち聞いてみたり・・・特に何人か登場する場合には、訳がわかりませんあんまりしつこく聞き返すと、それはそれでイラつくみたいだし、しまいにはもう、適当に相槌を打ったりね(笑) 一緒にいる人に、目の前で起きてることを話すなら、それでもことが足りるのでしょうが、昨日、学校であったことを親に話す場合には、やっぱり、「いつ」「どこで」「誰が」「何を」を話してもらわないとね。そう言うと、みんなそうだよと言うので、それで、友達との会話は通じるの?と聞いたら、わかんない時も結構あるけど、そういう時はとりあえず、「ウケる~!」って言っておけば、何とかなるよですって・・・「マジで?ウケる~」とか「へぇ~ウケるし~」で、お互いにOKらしいです。おいおい・・・ それに、前に言ったことは通じていると思っているらしく、「言ったじゃん!」「えっ?いつ?」「前に言った!全然聞いてないんだから!」なんてことも・・・忘れていることもあるし、もし覚えていたとしても、やっぱり、その度に、ちゃんと説明して欲しいんだけど・・・ しかも、語尾が曖昧だったり、聞き取りにくかったりする、離れたところから話しかけてきたり、モゴモゴしゃべったりってこともあり、もう母はお手上げ~ってことも。 それでも先生は、ウチの娘たちの話し方を褒めてくれたりするのです。「自分の意見をわかりやすく人に説明することが出来ます」と。なんだ、学校ではちゃんとやってるのね、じゃあ家でもお願いしますって感じです。 しかし、ウチの子の話がわかりやすいだなんて、先生たちはすごいわ~もっとわかりにくい話し方をする生徒も沢山いるっていうことでしょう、大変だわ~、先生は・・・ こんな話を友人にすると、みんな「そうそう!ウチもなの~!」と言います。現代の子どもの特徴なんでしょうか?それとも、私たちもそうだったのかな?いや、今でも実は、そうだったりして?な~んてね
2009.04.20
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ドロシーは今週月曜日、無事、中学校に入学し、今日は、早くも、5日目の登校でした。お友達も出来て、毎日楽しそうに登校しています。2年生になったローラのことも含め、色々書きたいこともあるのですが、それはまた後日ゆっくりと書きますね 先日、ayamiさんのブログで、ayamiさんご自身の中学時代の時の日記が出てきたという話がありました。友達には「いつも明るくて笑いが耐えない」などと言われていたのに、日記の中のayamiさんは、とてもネガティブでマイナス志向だったとのこと。どんな内容だったか、別のところでお聞きしたのですが、確かに、ネガティブな内容でした(^^;) 私は、自分はもっと明るかったような気がするな~って思ったのですが、さっき、急に思い出しましたよ・・・(汗)物忘れが尋常じゃない私ですが、時々フッと思い出すんです。で、私も中学生位の時は、そんなこといっぱい考えてたなって思い出しました。あえて暗い曲(オフコースとか^^;)を聞きながら、何故か、部屋の明かりを全部消して、涙なんか流したりしてました(汗) そうなんですよね、色々あるんですよ、10代の頃って。自分もそうだけど、周りもみんな思春期なわけで、未熟だし、傷つけあったりもするんですよね。自分って何なんだろう?とか、いっぱい考えるし、コンプレックスや悩みが頭の中を占めていたり・・・でもそう、それが思春期、なんですよね。 周りからは「明るい」とか「悩みないでしょ?」とか言われたりしてても、実は他人のちょっとした一言に凹んだりしてる。鏡を見て溜息ついたり、「生まれてこなければよかった」とか考えたりもするんですよ、これが。 時を経て、振り返った時には、良い事も悪いように思えたことも、みんな良い思い出と思えるようになっていたり、楽しかったことしか思い出せなくなったりするんだけど・・・ もっと昔の若者は、みんな絶望に悩んで、哲学書や文学を読み漁り考えたんですよね。やっぱり若者っていうのは、そういうものなのでしょうね。いっぱい考えて、いっぱい色々な経験をして、そうやって成長していくものなんですよね。 この年頃で悩んでいない少年少女なんているのだろうか?もしいるなら、その方がむしろ心配かも・・・ 順風満帆、悩みなし、毎日が楽しいばかりの連続、自分の全てが大好きで、自信に溢れていて、誰からも愛されて・・自分の子がそんな風に過ごしていたら、そりゃ嬉しいだろうし、安心する。逆に、自分の子が、「自分が嫌い」とか、「生まれてこなければよかった」とか思っていたら、親としては、ちょっと悲しいし、心配にもなるかもしれない。でも、そこはデーンと構えて、笑顔で見守っていればいいじゃないかと思いました。だってそういう時期、みんなそうなんだ。 自己肯定感が低いだの、自尊心がどうだのって、今の大人は騒ぎ過ぎている気もします。ほら、世界の統計とったりして、アメリカの子はこうだけど、日本の子はこうだとか、何位だったとか、あれこれ分析したりして・・・あんまりそういうの、気にしなくていいじゃない?って気がします。 いつかCMで、悩んでいる若い子に、おばさんが「若いうちよ」って、陽気に叫んでるのがあったけど、覚えていますか?思春期の子どもの心に、親が一緒になって浮いたり沈んだりするより、あのおばさんのように、陽気に笑っていた方が、子どもは安心して、いっぱい悩めるだろうなって思いました。悩むことは決して、悪いことじゃない、むしろ、大切な経験なんだと思います。 世の中のすごい人って、何かしらのハンデやコンプレックスがあって、それを克服する過程で、色々な気づきを得たりしたって話をよく耳にします。そうやって、悩み、もがき、苦しんで、だからこそ、立派な功績を残しているのかもしれないですしね。 ネガティブになって「自分が嫌い」って思っても、大人や周りを敵に回して、反抗したり、学校に行きたくないって思う日があったとしても、親はオロオロ、ジタバタしないで、「そうか、じゃ、今のその自分の感受性を大事にしろよ」って気持ちで、見守ってやれたらいいなぁと思いました。 子どもを信じて、アンテナだけは出しておいて、デーンと構える。そして、いざという時は全力で守ってやる。(ぶにん先生にアドバイス頂きました^^) 今は、い~っぱい悩んで、成長してくださいって思っています。
2009.04.10
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ドロシーが不登校だった5年生の時、養護の先生はドロシーを特別扱いすることはなく、放っておく先生でした。当時の私は、「なんて可哀そうなことするんだろう・・・ もう少し声をかけてくれればいいのに・・ 冷たい先生!あれは使えないわ!」なんて言っていたのでした だから保健室には行かせずに、週2日だけ外部からくる、SCさんが、頼みの綱でした。今思うと、本当に非常識な親だったなと思います。 担任に対しても、もう少し連絡をくれるとか、来るとかしてくれてもいいんじゃない?等と思ったり、何で今のドロシーにそんなこと言うのよ!とか思ったりしました。 一度、担任が相談室にドロシーを迎えに来て、教室に連れて行ったことがあったのですが、帰ってきたドロシーが、「嫌だったもう相談室にも行きたくない」と泣いたので、なんてことをしてくれたんだ!と思い腹を立て、SCさんに「もう二度とこのようなことがないようにSCさんから担任に言って下さいますか?」と言ったこともありました。担任はその夜、「デリカシーのないことをして申し訳ありませんでした」と謝りにみえました。その時の私は、無表情であしらうような態度をした記憶があります。 今思うと本当に「感謝の根っこがないお母さん」だったなと思います。それが「母親の法律」に出会って、自分がどれほど非常識で、感謝の根っこがない母親だったかに気づきました。そんな私だから、今の娘の姿があるのだということにも気づきました。 本当に本当に、心底反省し、私は変わっていきました。 私は、先生方に対して、腰の低い親になりました。お会いする度、電話でお話しする度、「私の子育てがまずく、甘やかして育ててしまったばっかりに、 ご迷惑をおかけしてすみません。 本当にありがとうございます」と、頭を下げる親になりました。 先生の仕事は、学校に頑張って登校してくる子どもたちに、 勉強や、集団生活のルール等を教えること。不登校の子やその親のケアをすることが仕事ではないのですよね。それなのに、何かお願いすればやって下さったり、気にかけて下さって、電話を下さったり、子どもに声かけをして下さったりする。これは本当に感謝すべきことで、いくら頭を下げても足らないほどのことだと思うようになりました。 クラスに1人不登校児が出るということ、それによって先生の仕事は本当に大変なものになると思います。不登校の子の保護者との連絡や相談、家庭訪問、関連教育機関との相談や訪問、教育委員会への報告書の作成、学校内の会議への参加及びそのための資料作成、場合によっては、クラスの保護者への説明などを求められるでしょう。 それ以外にも、学校内での公務分担、地区の教科研究委員会、中学校であれば、部活の分担、部活指導や大会への引率もあります。校内校外の行事の参加や準備、研究授業を初めとした研修、担任としての莫大な量の事務手続き、寝ても覚めても、期日厳守の書類の山・・・もちろん、日々の授業があります。 問題を起こしがちな生徒の親にかぎって、学校に任せきりで、いざ問題が起きれば、逆切れしてウチの子は悪くないと言い張る。親が先生をまるで「何でも屋」のように扱い、本分であるはずの「授業」に使うパワーまで、奪ってしまう・・・ 私が常に、謝りと感謝の気持ちで先生方と接するようになったら、不思議なことに(今思うと不思議ではないのですが)何と言うか、ある時、風向きが変わるというか、 良い方向に流れていくのを感じました。 そこからは本当にとんとん拍子のように、進んでいきました。それまでどこか、自分で何とかしようと意固地になっていたようだった担任も、私がローラの担任に相談したりすることも気持ちよく受け入れて下さるようになり、ローラの担任やSC、養護教諭等とも、密に連絡を取り合って下さるようになりました。 ローラの担任が、「S先生(ドロシーの担任)、頑張ってるよ~ 僕に毎日状況を報告してくれて、 どうすればいいですか、こうしたらまずいですかねと、 必死になって相談してきて、 僕がこうした方がいいと言うと、 はい、わかりました!と素直に動いてくれてるんだよ。 お母さん、心強いね~、ドロシーちゃんは大丈夫だよ」と言ってくれました。 養護の先生にも、私は「甘やかして育ててしまい、ご迷惑をおかけしてすみません。 いつもありがとうございます」と、保健室に頭を下げに行きました。それからは、いつも優しく声をかけて下さるようになり、「ああ、この先生、本当はこんなに良い先生だったんだな~ すべては私だったんだなぁ・・・」と思いました。 私があのまま、非常識な親でいたらどうでしょう・・おそらく今も、ドロシーは学校に行っていなかっただろうなと思います。いいえ、ウチの場合はそれどころではなかったでしょう・・・ 本当に気づけたことに感謝です。 不登校を克服したお母さん方は皆さん、「感謝の根っこ」が太く深く張られています。何を見ても聞いても、「感謝感謝」と手を合わせるようなお母さんばかりです。そんなお母さん方とお近づきになれて、日々、お話しさせて頂ける日々は、本当にありがたく、幸せで、まさに「感謝感謝」の日々なのです。
2009.03.22
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いよいよ明日は、ドロシーの卒業式です 1年生の時から、行き渋り等はあったものの、5年生で完全不登校になり、それからは本当に色々なことがありました。 OD、うつ、不安神経症、大量の薬・・・・母親の法律、親業、復学、継続登校・・・ 私たち親子の2年間のキーワードの一部です。他にも沢山のことがありました。本当に、言葉でいうほど簡単ではなく、まさに壮絶な2年間でした。 カードブックにファイルされた1年生~5年生までの通知表を見ていました。正直、中学生になるドロシーにひとかけらの不安もないとは言えません。でも、5年分の通知表の、先生からの一言ひとこと、出欠欄、家庭からの一言などを読んでいたら、この子はきっと大丈夫だと思いましたこの子はこの子なりに、少しずつ成長している。亀の歩みではあるけど・・・ 親が変わり、子どもにとっての家庭環境は安定しました。沢山の友達と遊ぶようになりました。2年生の頃から先生に指摘されていた嫌なことから逃げる性格も、徐々に変わってきて、苦手なことにも挑戦しようという意欲が見られ、それが出来たという成功体験も積み、失敗した時に気持ちを切り替える術を持つようになり、わからないことは教えてと素直に人を頼れるようになり、(まぁ、最低限ではありますが^^;)勉強もします。将来に対する夢も沢山あり、そのための努力も少しずつ出来るようになってきました。 それは多分、他の子どもたちよりも遅い歩みかもしれません。まだまだ繊細で融通のきかない性格、依存も残っているでしょうし、協調性の部分での心配もないとは言えません。 でもきっと大丈夫根拠はともかく、きっと大丈夫です みなさんの支えがあって、今ここに立っています。本当にありがとうございました 明日の卒業式、ふだんから泣き虫の私・・・でも、できるだけ笑顔でお祝いしたいと思います ここからがまた、親の成長が試されることでしょう。気を引き締めて、引き続き、親育ち、ガンバリマス
2009.03.18
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友達の高校一年生の息子が、ハゲてしまいました初めは、「円形脱毛症になっちゃって~」と言っていたのですが、すぐに、頭全体、無数に円形のハゲが出来て、ヒナドリみたいになってしまい、皮膚科で診てもらったり、あちこち調べたり相談に行ったりしていました。 パソコンが苦手な友達に、何年か前に芸能リポーターの梨元さんがCMしていた育毛剤の事を調べてくれと言われ調べたところ、ミリオンヘアーという商品だとわかり、早速それを買って使用していました。それを頭に振りかけると、髪が生えているみたいに見えるそうです。 16歳。男の子であっても、やはりヒナドリみたいにハゲた頭ではね、相当こたえますよね 学校に行く前に、大量に振りかけて行くので、1本5000円の瓶が1週間もたないそうで、それはもう大出費でした。 ところが、1、2ヵ月でミリオンヘアーでは通用しない程になってしまい、その日から学校に行かなくなってしまいました。これはいよいよ大変だ!ということで、先週末、20万円のカツラを購入したそうです。 経済的に事情があって、貯金もなく、借金して買ったそうです。しかも不幸なことに、ご主人の会社が今月で倒産することが決まり、今後の収入の目途もない状況・・・ すべては、ともかく、息子に学校に行って欲しい!不登校だけは避けたい!その一心だそうです。 そうまでして買ったカツラ、でも、帰りの電車で既に、やっぱり気に入らないと言い出したそうで・・・カツラなんかして学校に行けない どうにかならないかな・・・さすがに、ハゲて不登校、という問題には、かける言葉もみつからない私です
2009.03.16
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昨日、ローラの携帯に、「明日の朝、誰かの机が消えていて、らくがきだらけになってるよ」というメールがきたそうです それを送ってきたRちゃんに、どういうことか聞くと、Mちゃんのプロフにそう書いてあったと言っていたそうです。Mちゃんはクラスの子に、自分のプロフが知られているとは知らずに結構、実名で悪口を書いたりしているそうで・・・多分、Kちゃんの机がそうされている可能性が高いようです。 ローラは、「やられた子が、朝それを見たら辛いと思う。 もし自分だったらショックで泣くよ・・・ だから明日は早く行って、Kちゃんが来る前に机を探す」と言っていました。 ところがローラ、今朝、月のものがきてしまい。。。お腹が痛いとトイレに出たり入ったり・・・で、結局、いつもと同じ時間に登校となってしまいました。 Rちゃんは貧血の通院で遅刻することになっているそうで・・もし、Mちゃんの予告が本当なら、もしかすると悲劇が待っているかもしれません ネットって怖い・・・そして、学校って・・・何事もないといいけど・・・ まだ未熟なティーンエイジャー。せめぎあって、傷つけあって、その中で成長していくのでしょうね。 正しい事、間違っている事、不条理に思えることにも、うまく折り合いをつけたり・・・好きな友達、嫌な子、良い先生、好きになれない先生・・・いいことばかりじゃないけど、その中で、大切な仲間をみつけたり、自己を見つめ直したり・・・ それはやっぱり、自分で感じて、自分で考えて、自分で決断し、自分で行動し、自分で成功と失敗を繰り返し、自分で責任を取り、自分で反省して、培っていく「生きる力」なんでしょう・・・親が口で教えることではないのだなと思います。 もちろん、悪質ないじめなど、大人の介入が必要なことも、色々あるとは思います。その辺りの見極めはしっかりして、見守っていきたいなと思います。 ガンバレ!ティーンエイジャー
2009.03.16
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いやぁ・・久々の40分カウンセリングタイム疲れた~ ローラ、最近またストレスがだいぶたまっているようで、学校行きたくないとか、疲れたとか・・・(ローラは不登校になったことはない方ですよ^^;) 本当に心身ともにかなり疲労困憊というか、相当しんどそうな感じが続いていました。 朝も「行かなきゃ行かなきゃ」と言いながら、リビングにへたれ込んで、「ああ~学校行きたくない~ 何で学校行かなきゃいけないの~」などと喚いていました。 私は忙しく家事をしながら、「あらそうなの~」とか言って、これまで通り、口出し・手出しせずに見守ってきましたが、今日は思い切って指示しました。 「今日は部活を休んで帰っておいで。耳鼻科に行こう」と。 元々あるアレルギー性鼻炎が、ここ数か月かなり苦しそうで、花粉症も重なって、病院嫌いの長女本人も、ずっと「耳鼻科に行きたい」と言っていました。でも、結局部活が休めずに、1ヵ月位前からは「耳が痛い」と言って、眠れないようでした。 痛みに強いローラ。そして、元々真面目な性格で部活も休めない。このまま本人に任せていると、ムリを続けるなぁと、さすがに気になっていました。 で、今日は思い切って、こちらから指示を出したのです。すると素直に従い、部活を休んで早く帰ってきました。 私は今日、ドロシーの学習発表会があり、仕事は休みだったので、一緒に耳鼻科に行き、そのあとは雑誌などを読んで、のんびり過ごしているようでした。 で、PM10時~10時40分まで、ローラの部屋で、ローラの話を、じっくり傾聴しました。 初めはなかなか吐き出さず、ただ「はぁ~疲れた~」「東京に帰りたい」「学校行きたくない」などと言うだけで、あとは沈黙が続きましたが、じっと我慢で待ちました。←(これが結構大変) すると、ぽつりぽつりと話し出し、具体的に、どんなことがあって、どう感じて、なんてことを色々と話してくれました。 そして言いたいだけ言うと、最後に「まぁいいや^^!」と、嘘みたいにスッキリと笑っていました。 我ながら、本当に上手に聴けたと思いますそして、やっぱり、傾聴することのパワーに毎度のことながら驚かされました。本当にすごい! 子どもがイライラしていたり、落ち込んでいる時に、こうしたらいいんじゃない?などと親が自分の考えを押し付けたり、解決策を教えるのではなく、子どもの話をじっくり聞くようにする。 子どもの気持ちのよき理解者となることで、子どもの思考を先に発展させ、子ども自身の問題解決能力を引き出してあげる。人はわかってもらえたと感じた時、思考が動くもの。親が自分の気持ちをわかってくれたと感じることで、やっと、次にどうすれば良いかを自分で考えていくことが出来るのですね。 傾聴とは、途中で口を挟むこと、意見やアドバイス、励ましもせず、もし沈黙が続いても笑顔でじっと待つ。親の価値観を押し付けず、あくまでも、聴き手に専念することだと、私は理解しています。 中学生。思春期真っただ中。私にも経験ありますが、本当に大変な時期ですよ・・・憂鬱なティーンエイジャーの心を少しでも軽くしてあげられる親でいられるよう、がんばります ちなみに、13歳から19歳までの若者を、ティーンエイジャー(ティーネイジャー)と呼び、10歳から12歳(小学校中学年~高学年)にかけてを、プレティーンと呼ぶそうです。わが家には、ティーンエイジャー&プレティーンが混在しています早く大人になっとくれ
2009.03.12
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今日はナントふらわぁさんと、初めてお会いしました ふらわぁさんとhanaさんと、ランチタイムです 実は随分前から約束していたのですが、私の予定がなかなかつけられず・・・ようやく今日、お会いすることが出来ました 待ち合わせは11時。hanaさんとふらわぁさんは初対面。で、私はやらかしました・・・^^; 「ごめん、ちょっと遅れる先に店入ってて」とメールをいれて、15分ほど遅刻・・・ 慌てて店に入って行くと、もう既に、お二人は普通におしゃべりしていました メロディ 「ごめ~ん」hana 「はいはい、毎度のこと慣れてるよ~」 なんて言われながら・・・(は~い、毎度で~す) hanaさんとふらわぁさん、会ったことないのに、先に2人で店に入ってろだなんて。。。「無謀なやっちゃ」とか言われながら・・・(^^;) そういえば、ふらわぁさんに、ちゃんと「はじめまして」の挨拶もせず、いきなり本題に入り、機関銃トークへ。。。 これがオフ会の良いところですよね前置きなしで、いきなり本題、昔からの友達みたいに、しゃべるしゃべるしゃべる&食べ放題の焼きたてパン食べる食べる&ケーキも食べる&お店の人が特別にサービスでくれたコーヒーゼリーも頂きました 4時間しゃべり続け、あっと言う間に時間が過ぎてしまいましたまぁ今回は初回なのでよしとして、次回は呑みたいわ それにここでいつもお話しをしている皆さんにもいつか会いたい 子どものOD、不登校によって、ステキな出会いがありました。克服して数年の月日が経っても、親が勉強を続けることの大切さ、ブログのお仲間との交流によって、日々、学ばせてもらっている有難さ、これからも、それは続けていきたいことだねと話しました。 一期一会、そして、一期幾会ふらわぁさん、hanaさん、ありがとう!そして、ここで出会えた皆さんはみんな大切な存在です。「おお~心の友よ~」です(じゃいあん風♪) 他にはどんな話ししたのかってえへっそれは秘密ですそれはいつかお会いした時に話しましょう hanaさんからステキなお土産いただきました。お菓子かなぁ~って思うでしょ?でもこれ、お吸い物なんです。珍しい~!そして、美味しそう~心づかいが嬉しいよねありがとう~ また会おうね
2009.03.11
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ああ、見目麗しき、マカロンよしかも何という美味しさでしょう。。。 マカロンであればどこの何でも良いというわけではありません。今や、コンビニでも売られているようですが・・・ このマカロンは、patea garden というお店のもの。http://www.pateaga.com/オーナーパティシェはあのアンリシャルパンティエに20年勤務されていた方だそうで、焼きたてのフィナンシェなんか、もうたまりません マカロンとは、卵白に砂糖、アーモンドプードル等を加え、焼き上げたフランス菓子。さくさくでしっとり、間にはクリームが。。。 私のお勧めは「フランボワーズ」甘~いマカロンとフランボワーズの酸味が絶妙です♪ 着色や、甘そうな見た目にマカロン様を差別されている方もおられるかもしれませんが、ぜひ一度、お試しあれです 実は先日、友達と韓国アカすりに行ったのですが、ホクロがね、ポロッととれてしまいましたホクロをとると人生が変わるとか変わらないとか・・・もし変わるとしても、良い方向にいってくれることを信じていますが そんな矢先に、私、病気がみつかりました。先日、20年来の悪友5人が集まった時に、婦人科系の心配を口にしたら、ともかく検診に行ってこい!と背中をガンガン押されました。で、とうとう行ってきたんです。 右の卵巣に腫れがあって、中に水がたまって、しこりが出来ているそうな・・・2週間後くらいに、良性か悪性か結果を聞きに行きます。子宮がんの検査等も一通りしてきました。とりあえず、悪いところがわかって良かったです。 この歳になると、やっぱり身体に変化が出てきますね。主婦はついつい自分のことを後回しにしがちですが、定期的に検査を受けるようにしたいですね。 そして、時々、身体のメンテナンス。マッサージに行ったりすることも、「贅沢」ととらえないで、未病(不定愁訴)のうちに治す、メンテナンスをする、という風に考えて、行きたいものだなと思います。 そして、たまには自分へのご褒美で、マカロンなんかいかがですか?
2009.03.02
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「お母さん!私、明日から学校行かないから!」 昨日は仕事が休みで、学校から帰ってきたドロシーを出迎えた私。「あら、そうなの?」 あまり驚く様子を見せない私に、ドロシーはニコッとして、二人で同時に、 私 「学級閉鎖?」ド 「学級閉鎖!」 と言い合いました。 ちょっと嬉しそうでしたが、それでも、「あ~あ、学校休みたくないなぁ~」な~んてガッカリしたりして・・・ 学童の子どもたちの組でも軒並み学級閉鎖が出ているのと、そうでもない限り「学校行かない」なんて言うわけもないなという信頼感もあって、騙されませんでしたよ~ 今朝、普段とあまり変わらない時間に起きてきて、朝食を食べた後、「じゃあドロシーは部屋に行くね」と上がって行きました。 あれ??そうか、不登校を克服中、そしてその後も休むことがあった時は、部屋で寝ている約束になっていたので、学校を休む=部屋での方がしっくりくるのね(^^;)学級閉鎖なんだから、リビングでテレビ観てたっていいのに(^^;)まあ、部屋でCDガンガンかけて、バタバタやってるようです。 昨日はクラスの半分近くが一気に休んだとのこと。その中で元気にしているドロシー、なかなかやるじゃない ローラのクラスは一度も学級閉鎖にならず。常に5人位休んでいるものの、うまくズレながら順番に休んでいるので、大丈夫だとか・・・こちらは、学級閉鎖になることを心から夢見ています(^^;)ちなみにローラもお休み知らずです。 でもちょっと元気ない感じ・・・口数も減っているし、表情暗い感じもする・・・少し気をつけて見ていきたいと思います。 今日私は遅出なので、のんびりで~す
2009.02.25
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学童の指導員をしていると、毎日痛いほどに実感します。協調性と自立心の育っていない子の毎日は、本当に本当に、地獄のようなものなのです。親は見ていないから知らないですけどね お友達みんなから、毎日毎日、一日中、ひたすら攻撃を受け続けているのです。本人はそういう性格に育てられているから、自分が何故嫌がられるか、みんなに批難されるのか、全くわからない・・・でも言ってることややっていることは、おかしいわけで、みんなが嫌がるのもムリはないのです。学校の先生も、他の指導員も、困り果てています。私はそういう子が本当に不憫で可哀そうで、思わず抱きしめてしまいます。 で、お母さんは迎えに来た瞬間から、「早く早く!」命令、指示、提案、説教、反対のことを言う、ボールの色を変えまくる、まさに不登校児の親特有の性格なわけです 小1にして、「生きるのが辛い」「死にたい」「辛いことばかり」「お母さんは怒ってばかり」「お母さんに嫌われている」「疲れた。。。」「お友達がいじめる」「みんなに嫌われている」と日々泣いているのです。 ところがお母さんが迎えに来ると、そんな様子は見せません。早く早くと言われながら支度をし、「あのね、今日ね」という言葉を遮られ、「何でいつもそうなの?!」と叱られながら、それでもお母さんに必死について行くのです。 私もタイプはちょっと違うけど、不登校児の親でしたからね、そういう子を指導しながらいつも、娘に申し訳ないことをしたと実感し、反省しています。 近い将来、不登校や、神経症になってもムリもないなと思う、本当に過酷な毎日を生きています。 でも指導員も学校の先生も、お友達もお友達のママも、誰もそんなこと教えてはくれません。 親が問題意識を持っていない時に、 「あなたの子育て間違っていますよ」「子どもが可哀そうですよ」なんて、周りは言えるわけもなく・・・ 何か問題が起こってからじゃないと、なかなか気づけないものなのかもしれません。 「ころばぬ先の家庭教育」(著・水野達郎)←ぶにん先生(トップに紹介しています)どうか沢山の人に読んでもらいたいなと思います。 つぶやきでした。。。おやすみなさい。
2009.02.17
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昨日、gooニュースに、こんな記事が載っていました。http://news.goo.ne.jp/article/mainichi/life/20090216dde041100020000c.html 出産・育児を経験した1年後、妻の夫への愛情は、4割に減少していることが、ベネッセ次世代育成研究所(東京)の調査でわかったとのこと。妊娠中は妻の7割が夫への愛情を実感しているそうですが・・・夫への愛情を維持していた妻の7割以上は、夫が「家族と過ごす時間を作っている」「私の家事をよくねぎらってくれる」と回答。一方、愛情が低下したと回答した妻の夫の4人に1人が、「ほとんど何もしてくれない」と答えたそうです。夫の家庭生活への関与や関心の度合いが、妻の愛情を左右していることをうかがわせる調査結果ですね。 「生まれ変わっても今の配偶者と結婚したいですか?」という調査が、11月22日の夫婦の日に発表されていましたが、男性は生まれ変わっても今の配偶者ともう一度結婚したいと答えたのが多いのに、女性は生まれ変わっても今の配偶者と結婚したくない、別の人と結婚したいと答えたのが多かったそうです(^^;) 「今の配偶者と結婚したい」率は、年代が上がるごとに減少傾向にあることを考えると、やはり、夫の家族との関わり、家事・育児等への協力と理解が妻の愛情に反映されているように思います。 人生80年以上ということを考えると、濡れ落ち葉、熟年離婚、亭主在宅症候群なども、他人事ではないなという気がします(^^;) 夫がもう少し、家庭を顧みることが出来る社会になれば、妻の家事・育児・介護などの精神的・身体的負担は減ることになり、妻はその分、夫とのコミュニケーションや、社会(仕事や地域等)に目が行くようになり、そしてその分母親は、子どもに過剰な注目を向けることもなくなり、で、子どもはストーカーのようなお母さんから解放され(^^;)、結果、み~んなハッピーになる!と思うんだけど・・(^^;)極端かな? 子育ての混迷や子どもの不幸は、すでに生産的な仕事が残っていない家庭の中にとどまって、母親が子育てにのめりこんでいる現実からきている。常識では考えられないほどの時間が子育てに費やされるようになり、子どもたちの「生きる力」はそのなかでどんどん衰弱していく。ここ30年来幅を効かしている、間違った育児論に基づく子どもの甘やかし。子どもに手をかければかけるほどいい母親、何でも受け入れ、受容してやりなさいという徹底した甘やかしのすすめ。結果子どもは「自分はこの世の王様だ」と思い込むようになり、「生きる力」の乏しい、ルールの守れない駄々っ子が育ってくるというしくみが全国的にはびこっている。子どもの欲求はすべて満たしてやるのを「善」とするこの風潮が何をもたらすのか。子どもはますます家庭の王様になり、母親はますます小間使い役に埋没していく。その結果子どもたちの「生きる力」の乏しさは、もはや限界を超えている。(主婦の復権はありうるかより) 母子密着、子どもの生きる力の衰弱、中年男性の鬱病、自殺、離婚率、熟年離婚の増加、何かぜ~んぶつながっているように、私には思えます。 先月読んでいた「シングルペアレント」という本。奥さんに捨てられてしまった重川治樹さんという方が、かなり前に出版された本なのですが、そのまえがきを、ちょっと紹介しますね。 離婚を経て父子家庭6年になりました。今ようやく過去を振り返る余裕が出来ました。一番大きかったのは、親子3人生きてゆくために私がいやおうなしに、家事を「しない男」から「する男」に変わらざるを得なかったことでした。そして家事がいかに大変で、しかも重要な仕事かわかりました。離婚直後から始まった生活は、打ちのめされて惨めに凍え、孤立して何処にも救いのない絶望的に暗い淵の底でした。私は不安と崩壊感覚に押し潰され鬱状態が続き、自殺や親子心中の誘惑にかられたことも何回となくありました。ところが不思議なことに家事を続けていくうちに、おぼつかない足取りながら、生まれて初めて誰にも依存しない独立した人間として生きていることに気づきました。自分の腹を満たすものを自分で調達し、自分が汚したモノや場所を自分できれいにするという、人間として当たり前の、本当の意味での自立を果たしたのです。家事は一人の人間にとって、生きることそのものと言える大事な営みです。それを他者に依存することは、自分の生が曖昧でいい加減なものになるということです。同時に自分の一個の営みをしている他者の自由と時間を奪い大変な負担を負わせていることもわかりました。物心つく頃から祖母、母の手厚い世話を受けることを当たり前のようにして大人になってしまったために、他者の辛さ、痛みを理解出来ない身勝手な半人前の坊やであったに違いないかつての自分が見えてきました。そういう男が結婚すれば、自分の安逸を支えてくれた家事奴隷としての祖母、母の代役を妻に求めるのは自然の成りゆきです。妻である女性が逃げ出したくなるのも、また当然です。離婚で私が打ちのめされて惨めに凍えたのは、女性に育児家事を押し付け、一方で女性よりもエライのだという思い込みに安易によりかかっていられる「男の特権」をいっぺんに失い、旧来の男としてのアイデンティティが崩壊したからでした。家事を「する男」に生まれ変わり、ようやく一個の独立した人間としての誇りを回復しました。古びて硬直した、男らしさの鎧(よろい)を脱ぎ捨てることができたからでもあります。私の不幸は、他者に生活のすべてを依存して独立できない「しない男」であったことに由来します。自分のことはすべてやり遂げることのできる独立した人間になるために自分を変えていこうとしない限り、男たちは私の二の舞を踏むことになります。熟年離婚など妻たちの静かな反乱が、そのことを物語っています。男が自己変革できない限り、「夫の抑圧の下に埋もれていた自分」を発見した女性は何歳になっていようと、夫を振り捨てて、わが道を歩むでしょう。「シングルペアレント」 著・重川治樹 まえがきより
2009.02.17
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前回の記事で、皆さん、率直なご意見を書き込んで下さいました。感謝しています。ありがとうございました。 そのご意見をもとに、hanaさんがそのお母さんに、アドバイスをされることと思います。 また、ayamiさんのブログで、時々話題に出てくる神経症の子どもを持つお母さんの対応、ayamiさんもやきもきしながら、話を聞いているようですね。少しずつ、アドバイスをしているようですが、なかなか難しいものがありますね。 相手を思う気持ちからなのですが、聞けば聞くほど、「それじゃまずいよ。。。」という気持ちになることがあります。 「口出ししないようにしています」というわりには、こちらからみると、恐ろしいほどの提案、価値観の押しつけ、勝手な想像による心配の数々・・・ 自分がそうだっただけに、そして、そこを改善した今、親子共々、本当に幸せになれただけに、それこそ伝えたいことが山ほどあって、でもそれがうまく伝わらない、あるいは、伝わっているようなのに、どうしてもそのように行動できないということに、やりきれない思いをしたことも多々あります。 でも、自分が良かったから相手にもその方法が良いとは限らないし、それぞれおかれている状況も、性格も、してきた子育ても、子どもの年齢も、子どもの状態も何も、違うのですから、やはり、自分で気づいて、自分なりにやっていくしかないのかなと思います。(信頼出来る支援の先生の指導を受けるのがベストだとは思います) 「親が変わる」と言っても、親が自分の変化に真剣に取り組むようになるとは限りません。変わることの必要性をもっと根っこのところで理解し、納得しておかないと、変わるための具体的な行動はあまり期待出来ないのだなとわかりました。 問題に対応する姿勢には、大きく分けて二つあると思います。一つは問題に対峙するという対応。もう一つは問題に背を向け(問題がある事を認めない)、あるいは問題から逃避するという対応。 親として、自分と対峙することを抜きにしては、その問題を理解することも、健全な形で解決することも難しいと思います。つまり、問題を生み出す原因が自分の側にもありはしないかどうかを考えてみることが必要なのだと思います。 自分と対峙することを怠り、あるいは恐れるために、周りの人間や環境ばかりを責め、周りの人間や環境の変化のみを求めてしまう、それはきっと、また、新しい不満の種をまくことになるように思います。 紅茶さんに、また良いことを教えて頂きました。母親の法律の番外編、「等しいもの探し」です。 子どもに対し、不満に思っている点があってどうしてもそればかりに目がいってしまうとき、 「不足、不満を思わない」という法律を守ろうとしても難しいときがあります。 そんなときに「等しいもの探し」をしてみる。 子供の部屋が散らかっているなら、自分の台所の引き出しとか、散らかったままにしているところを探してみる。 そしてそこを整理したりしてみる。 子どもに目をむけるかわりに、そういうことをするように心がけていると 子どもに対する不満が消えていく。 というものだそうです。 母親の法律の番外編には、「馬鹿かあちゃん」「うれしかなしかあちゃん」など、本当に素晴らしいものがあります。「等しいもの探し」はまた、私のお気に入りになりそうです。 きっとやっぱり、自分と向き合う、これが「鍵」なのかなと思います。
2009.02.16
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今日は、このブログを読んで下さっている方々に、ご意見をお聞きしたいと思い書いています。いつもここにコメントを書いてくれている私の友人のhanaさんのご相談です。 6年に荒れている子がいて、特定の子を訳も無く叩いたり、ちょっかいを出したり、授業中に突然歩き出してその子の机の物を落としたりするのだそうです。階段の踊り場で股間の横を蹴られて落ちそうになったこともあり、それをされている子のお母さんは、すごく心配して先生に相談したのですが、「いじられキャラ」などと言われ、具体的な対処はしてくれなかったそうです。相手の子が空手を習っているだけにやり返す事も出来ず、お母さんに助けを求めているそうです。お母さんは元々、手出し・指示の多いタイプでしたが、hanaさんの影響で気を付けるようになってきてはいるそうです。でも、毎日どこかしらに痣や傷をこしらえてくる息子が心配でたまらようで、「近づくな!やり返すな!言い返すな!」と言っているそうです。先日、先生を介して相手のお母さんに伝えたところ、お母さんから電話があって「うちの子はやってないと言っています。 あなた達はうちの子が学校に来なければいいって思っているんですね!」と逆切れしてガッチャンと切られたそうです。 やられている子のお母さんは、我が子が学校に行きたくないって言い出すのをものすごく恐れているそうです。また、彫刻刀を使う授業には監視がてら手伝いに行きたいと担任に話し、包丁を使う家庭科の授業には、息子と乱暴な生徒を同じ班にはするなと懇願しているそうです。 こじれてしまい、アドバイスにも困っていて、良かったら皆さんのいろんなご意見を伺いたいです。宜しくお願いします。 とのことなので、良かったらご意見頂けますか? 私もどう考えたらいいのか迷っています。まず、これはいじめの範疇なのか?先生があまり積極的に取り合わない理由は?相手の親子のこともありますし、やられている子のお母さんの心配もわかる。でも、お母さんの今の行動はそれで良いのか?見守るべきか、親として行動を起こすべきか・・・ 今もきっとそのお母さんは、胸をえぐられるような思いで苦しんでいることと思います。それを目の前にして、どんな言葉をかけてあげたら良いか悩んでいるhanaさんも辛いと思います。これが答えというのはないかもしれませんが、ご意見伺えたら幸いです。 また、今、ブログで親交させて頂いている「不登校自立支援センター」の代表カウンセラー藤本 琢先生が、「伸びる子」育てというブログ ↓http://blog.livedoor.jp/oyatokodomo/ の中で以前、「いじめかなと感じたら」というタイトルの記事を書かれています。とても参考になる記事なので、藤本先生の許可を頂き、紹介させて頂くことにしました。どう編集しても文字数がオーバーしてしまうので、フリーページの「いじめ」の欄に、「いじめかなと感じたら」のタイトルで転載しました。ぜひ、読んでみて下さいね。
2009.02.13
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先日、NHK教育テレビの、「土曜親時間」という番組に、私が娘の不登校中に独学で学んだ「母親の法律」の「不登校を克服した母の会」が映るという情報を聞き、観ました。時間が、PM 9:30~だったので、子どもが起きていて観られなかった方もいらっしゃるようですが、次の土曜日の、PM 2:30~再放送があると聞きました。良かったらぜひ観てみて下さいね。 どんな内容だったかをちょっと紹介します。(テレビで観たい!という方は、↓は後日読んでね) 番組の進行は、藤井隆さん、そして、育児マンガ家の高野優さんです。 現在、不登校の小・中学生は、全国13万人(平成19年度 文部科学省調べ)「学校に行きたくないと言われたらどうすればいいかを考えます」というテーマでした。 ゲストは 渡辺美奈代(小5、5歳の男の子2人の母)さん、民間教育相談機関の藤崎育子さんです。藤崎さんは、全国の不登校やひきこもりの子どもと親をサポートされているそうです。 もし学校に行きたくないと言われたら?と聞かれ、高野さんとゲストの渡辺さんは、 ・その日は休ませる・先生に電話して様子を聞く・2人でどこかに出かけちゃう。と答えました。 それに対する藤崎さんの回答は、まず、お子さんにどうして?何があったの?と聞いてみる。低学年などの場合、こうやって話すことで、子どもの方からやっぱり行くとなることも多いとのことでした。 また、お二人のとりあえず休ませる、どこかへ遊びに行くという意見に対し、藤崎さんはこのようなアドバイスをなさいました。 子どもはお母さんのそばが一番好きなんですよ。ですから、例えば「行きたくない」と言って、お母さんが優しくしてくれて、どこかいいところに連れて行ってくれたら、学校よりお母さんのそばが良くなっちゃうかもしれないです。とのことでした。 ・行く方向に目線を持っていく・学校の先生に相談し、様子を聞く。・先生にはなるべ早いうちに子どもと会って話を聞いてもらう。(時間が経ってしまうと、子どもに罪悪感が生まれ、先生に会いにくくなってしまう)とのことでした。 子どもはお母さんのそばに居たいもの。すぐに休んでいいよというのは考えものです。まずはなぜ行きたくないのかを聞き、無理強いするのではなく、話しあってみて下さい。としめられていました。 学校の先生方4人へのインタビューでは、低学年は理由がハッキリしている、高学年は難しい。子ども自身が学校に行けないという罪悪感を持つ、そしておうちの人も自分の子どもが学校に行かないということに、マイナスの感情が強くなる。子どもの様子(サイン)をよく見て、話を聞いてあげて欲しい。朝、笑顔でいってらっしゃい、笑顔で迎える。規則正しい生活。このようなことが大事だとおっしゃっていました。 あくまで「理由」ではなく、「きっかけ」として、体育、給食、音楽の笛のテストなど、意外と時間割とリンクしていることがある。また、離婚、リストラ、引越し、家族の病気など家族の大きな問題、お母さん自身が悩みを抱えている場合、お母さんが心配で学校に行けなくなるというケースも多いようです。 学校に行きたくないと言われたら、つい学校に問題があると思いがちだが、実は素因、原因は家庭にあるものなのですね。と高野さんはおっしゃっていました。 ここで、お待ちかねの不登校を克服した母の会(大阪西区)が映りました。相談にのるのは、かつて自分自身も子どもの不登校で悩み、乗り超えた母親たちです。 代表の林礼子さんは、不登校になると無気力になり、片付けも出来なくなるという子どもも多いとし、学校に行けなくなる子どもの母親には、いくつかの共通する特徴があるとお話ししました。 ↓・先回りして心配する・子どもの行動を仕切る・指示ばかりする・質問攻めにするです。 「母親が一番子どもに接する時間が長かったのだから、ご自分が反省して、そこからやっていかないと・・相手を変えようと思ったら、すごく大変ですから。相手を変えよう、子どもを変えようというよりも、ご自分が変わった方が楽だということです」とコメント。 この会では、母親に子どもとの接し方を見直してもらうと同時に、地域の大学生を派遣します。「子離れ」させることがポイントです。 そして、学校復帰1000人達成パーティーの模様が映り、その中で2名の克服したお母さんのインタビューがありました。 「私は何かにつけて指示が多かった。 朝から夜寝るまで「早くしなさい」が口癖でした。 私の方からいつも先に先にと声かけしてたんだなとつくづく感じました。 親が言いたいことをグッと我慢して、 子どもが自分で気がついて自分で行動するのを待っていると、 子どもは失敗して自分で気がついて、前に進んでいくことを実感しました」 「子どものことしか見ずにやってきました。 家のことも、主人のこともほったらかしで、子ども子どもでやってきた。 だから不登校になった時は、 こんなに子どものことを思ってやってきたのに何がいけなかったのと思った。 他にこれ以上私に出来ることはない、これ以上どうすればいいの?と思った。 で、この会で「やり過ぎだ」ということ、 子どもと親が離れることが必要だと教わりました。 初めはそれが出来なくて辛かったです。 でもそれをするようになったら、グッと子どもが変わってきた。 やはり子離れ、子どもとの距離だと思います。」と、おっしゃっていました。 ・子離れの必要性・子どもが自立できているかどうかこれがポイントのようです。 藤井さん、高野さんは、良かれと思ってやっていることが実は窮屈にさせているとはびっくりしました。と感想。 渡辺美奈代さんは普段から、子どもに自立を促すと同時に、私(母)自身も自立しているんだよということを感じてもらえるように接しているとのことでした。 子どもの自立度チェックというのもありました。「友達と遊ぶのはいつも自分の家?」との問いに、藤崎さんは、友達のところに出かけて遊びに行けることが大切。自分の家ばかりというのは、「場を変えて遊べない」という可能性があるとのことでした。 「おうちの手伝いをしていますか?」との問いには、手伝いが出来る子は自信もついていく、家族の一員としての自覚、そういう自覚のある子は何か辛いことがあっても乗り越える力があるんですよ。不登校の子どもが学校に戻る時にも、勉強の遅れを取り戻すだけではなかなか学校に戻れないことも多い。じゃあどこで自信をつけてあげたらいいかと言ったら、実はそういった生活力が大事。そうやって失敗して自信をつけていくとのことでした。 また、食べ物の好き嫌いは問題で、それは、人の好き嫌い、科目の好き嫌いをも作るとのことでした。そして、家族で鍋を囲むことを勧めていらっしゃいました。(警視庁の調べで、鍋を頻繁にする家庭では、非行に走る確率が低いと発表されているそうです^^;) 最後に、学校が本番になってしまっては辛い。学校は失敗をするところ、いっぱい練習をするところ。子どもに自立心を育て、生活力を養うことが大事なんですねとしめられていました。 これから仕事なので、とりあえず、報告だけですが、皆さんのご意見もお聞きしたいなぁ。。。 ではいってきます(^0^)!
2009.02.12
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本日2回目の更新です。携帯から失礼します(^.^)今、ドロシーの友達が13人も遊びに来ています(汗)男の子もいます。床が抜けるんじゃないか(^_^;)?さっき家の前でシャボン玉したりしてキャーキャー戯れていた時は、その声に、ふと、昭和の夕方を思い出しました。そうだ、私がドロシーと同じ年頃だった頃、夕方は町には子ども達の遊ぶ声が響いていたなぁ…今ではご近所から苦情がこないか、ヒヤヒヤしてる私です。今日は久々の休みだから、ゆっくりしたかったけど、みんな楽しそうだからいいや(^_^)友達がいっぱい♪ありがたいことですo(^-^)o
2009.02.06
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家族はもろい、もろくなる一方である。どうしてこうも家族意識は希薄になっていくのか。かつて住まいの中には仕事場があった。農家、商店、町工場、職人の家。祖父母、父母、そして子どもたちも加わった一家総出の作業、まだ仕事に加われない幼子は囲炉裏端からそれを眺めていたのだろう。そのとき家族は仕事を通して好むと好まざるとにかかわらず結びついていた。家族は老人から子どもまで労働力そのものだったのである。住まいの中に仕事場があり、働くことを通して家族が成立していた。みんなで働かなければ生きていけなかった。そんなとき「最近、うちの家族はコミュニケーションが少ない」などという悩みがどれほどあったのだろうか?かつて子どもは店番をし、掃除をし、手伝いをしながら親の働く後ろ姿を見る時代があったのだ。いまは家族は労働を通した身体的なつながりをなくしてしまった。よく子どもが親の職場を訪ねるという試みがニュースになる。何のためだろうか?働く親の姿を見ると、普段はダラダラとテレビを見ているだけの父親が、少しは偉く見えるということなのだろうか?そんなことではムリだろう。住まいの中に仕事場があった時代の良さは、働く親の姿を見せられるという点にあったわけではない。子どもも働かなければいけないという厳しい現実が家族の結びつきを強めていた。必要なのは子どもに親の仕事をかいま見せることではなく、一緒に働くことだったのである。そのことで、家族という人間関係が身に染みついたのだ。だがそれは今日、ほとんど不可能といっていい。いまの家族は家族の結びつきとしての共同作業を失ってしまった。日本の子どもたちは世界で最も働かない子どもたちだと言われている。こんなに働かない子どもたちがいるなどと、世界の誰が信じるだろう。経済力が弱い国では、子どもはいまでも一家にとって貴重な労働力だ。一方、欧米諸国では子どもに家事の手伝いを積極的にやらせている。父親と共にペンキを塗る子や芝を刈る子、食事の手伝いをする子の姿、日本の親子には見事に何もない。(家族を「する」家 著・藤原智美 より抜粋) これは、「住まいと家族」の現実を、3年間の取材と思索を経て書き下ろした本です。一見、なんの問題もなさそうな家庭の「良い子」が起こす事件。この複雑で不可解な問題も元を正せば、家族関係に根本は帰結する。日本の家族が抱える問題を「家族とその住まい」の関連性にこだわって書いてある、ちょっと面白い目線の本でした。 子どもに個室を与えることについてや、夫婦の寝室が別ということなど、いま、日本の家庭のおかしさを様々な目線で分析していて、ちょっと考えさせられました。あっ、ちなみにウチは夫婦の寝室は別です(^^;)・・・ 母親の法律にも、「朝のないない戦争はしない」の項目で、環境の整備というのがありますが、「住まい」という視点からも、家族の在り方を見直してみたいなと思いました。 そしてしつこいようですが、家族で家事をすることは、やっぱり大事なことだなぁと思いました。まだもう少しだけ、家事のことは書いていきたいと思います。もういい^^;?すみません。
2009.02.06
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気がつくと、10日以上も更新していませんでした。実は、私以外の指導員全員が、ほぼ一斉にインフルエンザにかかり、大変な日々を過ごしていました 今週からみんな復帰したのですが、それと同時に、今度は私が風邪をひいてしまい・・・薬を飲んでマスクをして、何とか仕事は休まずに行っているのですが、まだ治らずです それでも今はずいぶん楽になりました。以前は、風邪をひいていようと、体調が思わしくなかろうと、仕事と家事のダブルシフト、それに加え、夫・子どもの生活の世話の全般を、休むことなど出来なかったので、病気になったら地獄、いや、病気になんかなれない!という状態でした。 今は、私が寝ていても、自分たちで起きて、朝食を食べ、洗濯し、お弁当の用意をして(かなりテキト―ですが^^;)学校に登校していくし、仕事から帰ってきて、夕食後バタンキューしても、洗い物も、お風呂の準備も自分たちでしてくれるので、私は仕事と自分のこと、当番以外はゆっくり休むことが出来ます。 子どもが不登校になり、それまでの子育てを反省し、私は子どもの問題と自分を切り離せるようになり、そのことで、子どもの問題に口を出すことがなくなりました。そのおかげで、今回のように、私が寝込むようなことがあっても、子ども達は、普段と何ら変わることなく、自己管理をしています。自分で考えて、宿題を済ませ、お風呂に入り、10時までには寝て、自分で考えて、間に合うように起きて、支度を済ませ、登校していきます。 朝、「起きて~」「食べて~」「着替えて~」「時間だよ~」「早く~」夜、「宿題は?」「お風呂入っちゃいなさい」「もう寝なさい~」を、何度も何度もひたすら叫び続けていた日々・・・あの頃を思うと、嘘みたいに楽になりました。本当に気づいてよかったです 家事分担。少しずつ修正を加えながらも、何とかやっています。うまくいかないことがあると、自分でやってしまった方がどれだけ良いか!と思うこともありますが、諦めず頑張っています。 これを始める前に私は、「軌道にのるまでは、半年や1年はかかると覚悟する」「その間には、意見の対立や葛藤が繰り返されることも覚悟する」「自分の気持ちと同じように、相手の気持ちも尊重する」「共に試行錯誤を繰り返し、将来に向けて、よりベストな形に出来るよう努力する」「問題が起きても諦めず、失敗は成功の元と信じること」を心に誓いました。 また、重要な覚悟として、「自分の家はキレイではなく、今後もキレイにはならないだろうと認めてしまうこと」が必要でした。家事分担をする家庭を作るためには、母親が大目に見るのを覚える必要があります。家事をどのようにやるべきかといった基準をゆるめるのです。自分とは違う家族のものさしを受け入れる。これがとても大切なことだと私は思いました。 なので、キレイに整頓されたおしゃれな家は諦めましたが、最低限の掃除(掃除機をサッとかける程度)は分担しようと思い、初めのうちは、1階部分の掃除も日ごとに分担していたのですが、やらない人が多く、私はイライラしました。そこで、なぜやらないのかを聞いてみると、家族は私ほど、部屋の掃除の必要性を感じないからだと言いました。要するに、私と家族は、部屋の清潔さに対して、異なった許容度を持っているということです。 こういう価値観の違いに関しては、いくら議論を繰り返しても、解決は難しいので、この当番は廃止し、各人が汚れていると判断した時、時間がある者で協力して掃除をしようということに変更しました。結局は、不清潔が我慢できない私の仕事になると思いますが、私自身も、以前ほどは部屋の汚れが気にならなくなりました。「やりたい!」と思った時だけやっているので、ストレスはほとんどないです。「やつらは何で平気なんだ?!」とは思いますが^^;まぁ、みんなよりも早く私が我慢できなくなるからなんでしょうね。 ローラは皿洗いが上手です。トイレ掃除はローラの担当で、あまりやらないのですが、いざやると、私よりもピカピカにします。料理は苦手です。それでも少しずつ成長してきています。冷凍食品をチン! → 玉子料理プラス → 肉を炒めるという感じに、亀の歩みで進歩しています。 ドロシーは料理は得意なので、冷しゃぶサラダや、ポークチャップなど、美味しく作ってくれますし、ゴミ捨てなどの家事も、積極的にこなしてくれます。 問題のプー。着るものがなくなっても、洗濯をしようとしません。汚れものから引っ張り出して着ていく始末なので、結局、私が見るに耐えられず、時々洗濯しています。これは私がいかに我慢できるかにかかっているのでしょう。 真に自立した人間は、「自分のパンツを自分で洗う人」だと思いますので、これから徐々に、夫を育てていきたいと思います。 それでも週5日、当番の夕食後の洗い物はしっかりしてくれます。また、私が夕食の支度をしていると、自ら、手伝ってくれます。仕事が休みの日に、私の洗濯ものを畳んでおいてくれたりもするので、私は嬉しく思っています。実は私の目指すところはそこなのです。 そもそも、私としては、キッチリと家事分担を行うことが目的ではありません。例えば、家族で食卓を囲む。妻が作れば、夫と子どもは食器を並べる。あるいは、子どもがお米をとぎ、夫が切り、妻が煮る。そして食事が終われば再び全員で片づける。こうした作る・食べる・片づけるの過程で、家族が「つながり」をもてると考えているのです。 洗濯してくれた → ありがとう!じゃあ、私が干すね → ありがとう!じゃあ、私が取り込むわ → ありがとう!畳んでおいたよ → ありがとう!これが私の目標とする家族のあり方です。 「家族とはパンを分けあう人々」食べる喜びを共にし、その苦労もわけあう、家族でしっかり生活に関わる、それは、主婦の負担を軽くするとか、性別分業意識を変えるとかいうことよりも、家族の絆を強める大きなメリットがあると思っています。 誰か一人が犠牲になるのではなく、家族みんなが楽しく過ごせることが目標です。それぞれが自立し、それぞれが自分の人生や夢を持っていて、自己実現のために頑張っているという点では対等であることを認め合う関係。夫婦は、思いやりと感謝、尊敬と友情、共に、家族という大切で大きなプロジェクトに取り組むパートナーとして、一緒に歩いていくこと、それが目標です。(もちろん私も、これからも、経済的にも、家族を支えていきます) 今どきでは珍しいくらいの男尊女卑、関白亭主だったプー。今もまだまだそういうところがいっぱいあり、本当にひどい奴だなと思うこともしばしば・・・正直、私の理想とは程遠く、コイツの性根を直すのは不可能なんじゃないか?と思うこともあります。で、コイツの子らもまた、もう手遅れなんじゃないか?と思ったりもします^^;でも、もちろんそれは、私にも責任があることなので、もう少し頑張ってみます。目指せ! 「家族の再生!」です
2009.02.04
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ローラは夜泣きがひどい赤ちゃんで、1時間毎に泣きました。昼寝もせず、しかも夜更かしでした。なのに元気いっぱい!30分も寝れば充電完了!といった子でした。 そんなローラの世話に追われている最中、年子でドロシーが生まれました。2人が交互に泣くので、私はほとんど一睡も出来ない日々が続きました。少しでも寝て欲しくて、早朝から夕方暗くなるまで、おんぶ紐でドロシーを体に括りつけ、ローラを外遊びに連れて行きましたが効果はなく、私の子育て24時間体制(眠らない日々)は永遠のように続くのでした。 プーは仕事が忙しく、たまの休みに、ちょっとでも何か頼むと、露骨に嫌な顔をしました。せめて話を聞いて欲しいと思っても、彼の目はテレビに向いていてました。そしてすぐに、「だから結局何がいいたいの?!」とイラつきました。俺の休みは俺が休むためにあるんだ!と・・ 専業主婦の鏡のような母に育てられた私は、手抜きの仕方もわかりませんでした。たまにどうしても出来ないことがあると、強い罪悪感に苛まれました。妻とは母とはこうあるべき、そのこだわりが、私を縛り付けていました。 私は、完全に自分を失い、自分の欲求が何かすらも忘れ、日々、「~せねばならない」に追われていました。子どもに愛情を示す一方で、憎しみさえも感じ、そんな自分を責めました。 私は別人になりました。私は私ではなく、母親という生き物になりました。 生活のこともあり、また、この苦しい日々から少しでも解放されたいという思いで、私は再び仕事を始めました。ところが私はいつも、自分が仕事をしていることで、子どもに寂しい思いをさせているのではないかという罪悪感を持っていました。だから、家にいる時はその罪滅ぼしのような気持ちで、一層、子どもに尽くしました。必要以上に手をやき、世話をやきました。朝は4時半に起きて、家事のほとんどを済ませ、毎晩(ローラが5年生になるまで)欠かさず40分、本を読み聞かせ、2人が眠るまで添い寝をしました。プーの帰りは深夜なので、帰ってくると、晩酌と食事の用意をしました。 プーは土日も出勤なので、私は一人で子どもをどこかしらに連れて行きました。私にとって土日は、仕事のある日よりハードな出勤日のように感じていました。平日に休んで、のんびりしているプーを見ると、やはりプーにも、憎しみのような気持ちを感じました。 外でお金を稼ぐ仕事を持っていない時は、働いていないことに引け目を感じ、外で働き出すと、子どものそばに居られないことに罪悪感を持ち、また、プーほどの稼ぎを得ることが出来なかったので、ちょっとグチをこぼしたり、協力を頼むと、「俺と同じだけ稼げるなら、いつだって代わってやるよ。 俺だって出来ることなら代わりたいよ。だって楽だもん!」と言われました。 私は友人たちとストリートダンスチームを結成し、自分を取り戻しつつありました。でも、その時間を作るために、私の睡眠時間は平均2、3時間になりました。自分の好きなことをする分、家事や育児は一層頑張る必要がありました。そんな生活に疲れ、結局、私はダンスを続けることを断念しました。そのうち、友達と出かける体力も気力もなくなっていきました。 ある日私は、全身の激しい痛みで、立ち上がることが出来なくなりました。横になっていても痛くて、泣き叫けぶほどで、あらゆる病院に行きましたが、原因不明とされ、「ストレスだろう」と言われました。でもその時の私には、自分がストレスを感じているという感覚すらありませんでした。私にはストレスなんてない!ましてや、こんなにひどい痛みの原因が、ストレスだなんて考えられない!と、私は医師に抗議しました。重症ですね。 母親は自分自身を傷つけている。まるで汚れ物をため込むように何年間も自分を殺し続けているうちに、やがて自分を完全に見失う。自分のやりたいことなんてたいしたことじゃないと考えるのが自分をなくした女性であり、人間らしさに欠けた女性である。偽りの自分を持つ母親は、おそらく自分が抱えている問題に気づいていないのだ。問題はないと否定するか、子どものためなのだから仕方ないと言い張るかもしれない。でも、偽りの自分を持つ母親は、知らず知らずのうちに苦しみ、静かな怒りと苦痛を溜め込んでいる。わたしは子どものために常に自分を後回しにしていたが、自分では決してそれを認めなかった。そして、私は大人としての自信を失った。しばしば不安と混乱を感じたが、憤りの火を燻らせることに時間を費やした。そういう母親は、信念や自信を失い、憂鬱と悲しみの発作を抱えている。心だけでなく、いずれ身体を壊すことになるだろう。(カリン・ルーベンスタイン) 女性は生物学的にも、他人の感情に敏感なのだそうです。そのため、子どもの要求や不安を自分のことのように感じ、何かで子どもの感情が傷つくことがあると、自分にも責任があるのではないかと思ってしまいがちです。そしてそのうち、自分の要求と子どものそれとの区別がつかなくなります。 多くの母親は、子どもが苦労のない、幸せでよりよい人生を送れるよう、献身します。睡眠時間を削り、友人とのつきあいを控え、自分の洋服を買うことにさえ、罪悪感を覚えます。また、そういう犠牲を払うのは、母親の義務であり、それが子どものためになると信じているのです。 子どもたちの要求を満たし、子どもたちに出来得る限りのものを与え、幸せで間違いのない人間にしようと考える。子どもに尽くし、支えとなる母親でなければと思うのです。 もちろん妻として母として、家族に尽くすことは決して悪いことではなく、むしろ褒められるべきことだと思います。でも私は、家族に尽くすことで、家族の人生を生きてきたことに気づきました。私が生きるべきなのは、私の人生なのに・・・ だから私は子どもの人生に夢中になり、子どもの人生を間違いのない完ぺきなものにしようとしていたのです。子どもの問題の所有者は、子ども自身なのに、子ども以上に悩み苦しみ、必死になって、自分の価値観を子どもに押し付けていました。 つまり、自立出来ていないのは、実は私だったのです。 もう子どもに、家族に、憑依して生きるのはやめよう。私は私の人生をもう一度生き直そう。そう思いました。 そして私は、子どもの問題と自分とを切り離せるようになり、おかげで、子どもはようやく、私の憑依から逃れ、イキイキと自分の人生を生きるようになりました。 私は自分を許せるようになり、「やりたくないことはやらなくていい」と心から思えるようになった時、本当に楽になりました。 でも、私が私自身をもう一度取り戻すことは、想像以上に難しく、私はどんな人間なのだろう?何が好きで、何がしたいのだろう?と、考えてもわからないのです。 私は、かつての自分を思い出してみました。若い頃の私は、マイペースで自信家でした。他人が自分をどう思うかなんて考えたこともなかったので、思ったことはそのまま口にするし、私の破天荒なアイデアや行動に、いつも周りはビックリしていました。望めば夢は叶うものだと思っていたし、実際、そのように行動して、叶えてきました。いつも周りには友達がいて、みんなを驚かせたり、爆笑させるのが常でした。歌うこと、表現することが大好きで、バンドをやったり、お芝居やイベント等を開催しました。 でも妻・母になった私はまるで別人になっていました。大胆無敵、夢いっぱいの私は、どこにいったのでしょう。 もう一度、私が私を見つけるためには、ゆっくり自分と対峙する時間が必要だと思いました。そのためには、自分の負担を家族にも、少しずつ背負ってもらえたらと思いました。また、私の心の奥底で燻ぶっている思いを、家族にもわかってもらいたいと思いました。私はもう、罪悪感や迷いを感じることはなく、胸を張って宣言しました。 私は家族を大事にすると同じように、これからは自分自身も大事にします。なので、私が一身に背負ってきたものを家族で分担、ヨロシクお願いします! 罪の意識を捨てるのは、挑戦であり、鍵となる。それによって母親は、自分について多少考えられるようになり、ひいては子どものためにもなる。母親が年中行っている犠牲的行為が、娘には害を与えている可能性がある。犠牲を払う母親は、娘に偽りの自分を持つよう勧めて、知らず知らずのうちに、娘の自尊心を損ない、自分の意見を持てないようにさせているのである。また、母親が家事をやり過ぎると、自分が苦しむだけでなく、家族のためにもなっていないのが実情である。家族から母親は自分たちより劣る存在であり、自分たちに仕える者だという見方をされるようになってしまうのだ。母親が家事をすべて引き受けることは、大きな間違いであり、家庭生活に参加する機会を夫から奪うものだと考えなければならない。楽しいことだけでなく毎日の嫌な仕事もこなさない限り、夫は家族の一員とはなれないのである。
2009.01.23
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ここのところ、まるで男女平等を訴える女性団体みたいに叫び続けたので、 ちょっとお疲れ…(^_^;) 小難しい話しはひとまず横においといて、 ここでちょっとブレイク…o(^-^)o 先日、友人との新年会がありました。 前にもちょっと話した 中学教師をやってる友人、 今度、教師仲間でミステリーツアーに行くのだそう。 「へえ~、どこに行くの?」 「だから、ミステリーツアーだからわかんないの」 !!! どこに連れて行かれるかも、何をするかもわからずにツアーに申し込むなんて…(^_^;) やっぱ学校の先生って変わってるわ~(^_^;) 職員室は、変わり者の見本市! な~んて聞くけど、 確かに、先生って個性的だわ… 別の友人、 私とオソロのネックレス、 何年かぶりにつけてみたら、 太り過ぎてて、ネックレスじゃなくて、 首輪になってたそうで…(^_^;) 笑うと鎖が食い込んで、 首がしまるんだって… そんな自分が悲しくて、 笑い続けようかと、 つまり自害しようかと思ったくらいだったと言ってました(^_^;) 私も子どもが不登校になって、 ストレスでなぜか激太りしたので、 他人事ではないぞと思い、 ネックレスしてみたけど、 なんとか大丈夫でした~p(^^)q! 今日の食事当番、本当は私なんだけど、 月曜と交替したので、ドロシーが夕飯作ってくれました(^0^)/ 一番お得意の「オムライス」だった♪ 美味しかった~♪ 携帯を防水携帯に機種変したので、 お風呂で半身浴しながら書いてみましたo(^-^)o 大丈夫か?本当に…
2009.01.21
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子育てにおいての家事の分担、また、どのように進めていくか等、まだまだ書きたいことがいっぱいありますが・・・今日は、夫が家事をすることについて、少し書きたいと思います。 私は今回、家事分担をするにあたって、これはプーにとっても、とても良いことだと思いました。プーは転職するまで、尋常ではない勤務をこなしてきました。殆ど休みもなく、1日16時間も働く生活を長いこと続けてきたのです。通勤時間をひくと、家に居られる時間は4、5時間程度、まさに寝食を忘れて、働いていました。それが転職によって一転しました。それまでは、大きな責任を背負う立場ではあったけど、自分の指示で大勢の部下が動くという、やりがいのある仕事だったと思います。今もそれなりの責任はあるのですが、思ったほど、大きな仕事を任される訳ではなく、給料も以前よりだいぶ少なくなってしまいました。 日本の男性は、自分の価値を、給料で量るところがあるようで、このことでプーの自尊心は、すっかりしぼんでしまいました。 実は、「怒鳴らないで」という記事を書いた時、私は彼が、軽い鬱状態なのではないかと思っていました。メッセで、男性にも更年期があるので、それではないですか?とアドバイスを下さった方もおられました。 現在、以前ほどの過剰勤務はなく、家に居られる時間も増えたプーに、私としてはもう少し、仕事以外のことにも目を向けて欲しいなという思いがありました。 何か趣味でも始めてみたら?ボクシングジムなんかどう?などとさりげなく薦めてみましたが、「そんな暇はない」と言って、散歩に連れ出す位が精一杯でした。二人で飲みに行こうと行っても腰が上がらず、せっかく地元に帰ってきたのに、友達の誘いも断ってしまいます。仕事以外では、ともかくずっと家にいて、ひたすら横になって、DVDを観たり、ゲームをしたりするだけで、他には何もしない状態でした。 男性は、家庭の中であえて役割が与えられていない以上、仕事から帰ると、ほとんどやることがありません。男性にとって家は、ある意味では、とても居心地の良い場所です。 でも私は、プーにとって、家庭の居心地が良すぎる(やることがない)のも考えものかなと思いました。家の居心地が良いということ、面倒な事は全て私が引き受けるということは、心おきなく仕事に没頭出来る環境であるということ・・そういう環境を用意することそが妻の努め、良い女房という考え方が一般的なのかもしれませんが、そのことで、男性はワーカホリックへの道へ邁進することが出来ます。 妻としては、夫が家事の煩わしさから解放され、仕事に没頭出来る環境を用意することが、夫のため、如いては家族のためという思いがあるのでしょうが、こうやって、夫の家庭の中での存在価値を小さなものにし、家族から閉め出し、ワーカホリックの道へ、果ては鬱病への道へと、知らず知らずのうちに導いているのかもしれないと思いました。私は、プーが家事に参加することは、仕事以外にも自分の存在価値を見出すきっかけになるのではないかと考えました。 自分は仕事が出来てなんぼ、昇進してなんぼ、家族が少しでも贅沢出来るように稼いでなんぼ、そんな頭と心に風を通すことになるような気がしました。家事、それは、生きるために必要なこと。「生きる」ということ。 仕事に集中出来るようにと妻が尽くすことで、かえって夫の生きる力を奪っているのではないか?だから男性は、仕事で行き詰まったくらいで、精神を病んだり、自殺したり、過労死するまで働いたりするんじゃないだろうか?日本のサラリーマンは、会社の為、自分と家族の経済的豊かさのためによく働きます。上司や同僚、査定等を気にして、あえて有給休暇をとらず、所定勤務時間以降も会社に居残るサラリーマンも多いようです。さらに日本の男性は、妻との関係をより良くしようと考えるよりも、職場での人間関係に重点をおく傾向があり、(それが良い仕事につながるという考えもあり)アフター5も職場の仲間と過ごすなどして、帰宅は深夜になるという状況も平均的です。職場の仲間と過ごす時間の方が妻や家族と過ごす時間よりはるかに多い、つまり、夫にとっては、職場が自分の生活の場なのです。職場で精魂を使い果たした夫は家庭でぬけがらとなり、妻は一人、子どもと半母子家庭状態で暮らします。その分、母親のエネルギーは、ひたすら子どもに注がれます。結果、過保護・過干渉な母親に育てられた、いつまでも自立出来ない、未成熟な子どものような大人を世に送り出すことになります。 自立出来ていない男女の結婚生活や夫婦関係がどんなものになるか?それは想像にたやすいでしょう。わが国の自立心を欠いた男性たちは、まさにこのような母親に育てられた産物なのです。そんな多くの男性が、結婚相手に、母親の代理を求めたとしても、不思議ではありません。 母親に、家事の一切から解放されて育てられ、大事に育てられてきた男性は、生活の世話の一切を妻に依存します。 さらに、伝統的な男性優位の価値観による、自立性を欠いた、未熟性に気づかないばかりか、そのことに問題意識すら持たないのです。 自分は、家では「世話される者」であるという認識で、妻や子どもに対する役割を拒みます。日本の男性にとって、結婚はゴールなので、欧米のように、結婚がスタートで、その後の夫婦関係を育てるとか、家庭生活のために互いに努力するということを怠ります。まさにピーターパン、永遠の子どもです。 また、女性も、母子密着関係、過保護の産物なので、白馬の王子が幸せにしてくれることを願う(他者に依存するという)シンデレラなので、お互いに、相手に対する期待が多く、でも、それに応えるものをお互いに持ち合わせていないので、お互いに欲求不満を募らせます。 永遠の子どもピーターパンと、誰かに幸せにしてもらうことを望むシンデレラでは、うまくいくはずもありませんね。 現在、女性の多くが外で働いています。男性ほどの収入はないにしても、仕事と家事・育児のダブルシフト、トリプルシフトをまるでスーパーウーマンの如くこなしている人は大勢います。それなのに、家事・育児の大半が女性に委ねられたままであることに、女性はいらだちを募らせています。 では、外で働いていない主婦は楽でしょうか?また、子どものため、家事のため、正社員を諦め、パートを選んだ主婦は楽でしょうか?いいえ、最も犠牲を払っているのは、むしろそういう主婦だと思います。 男女平等の精神の元で、女性もしっかり教育を受けてきました。本当は高い能力があるのです。 でも、長い間、家事と育児を一人で背負ってきたため、かつて持っていた自信や自尊心を持ち続けることが出来なくなってしまいました。かつて持っていた沢山の夢も忘れてしまいました。(このことについては、また後日書きたいと思います。) 家族は、喜びを分かち合う。そして、犠牲も分かち合う。そういうものだと私は思います。 家事・育児。ここに男性の参加がないかぎり、互いに自立した関係は望みにくく、ましてや、人生80年以上となった長寿時代を、とてもじゃありませんが女性は、充実して暮らせないのです。 子どもが巣立った後、夫婦2人の生活の方が長く続きます。妻に先立たれたり、熟年離婚したりすると、男性は早死してしまうらしいですが、男性も女性も、それぞれ一人の人間として、自分の世話の仕方を覚えるべきだし、協力しあって自分たちの世話をする方法を学ぶべきだと思います。 家族それぞれが、自分の世話を自分で出来る、つまり、「自立」した上で、本当の家族になれるのではないでしょうか。 母親一人に、夫、子どもが全面的に依存した状態で成り立っている、誰か一人の犠牲によって成り立っている家庭など、私には意味がないと思えました。 長くなりました。また書きますね。遅番勤務行ってきま~す!眠い。。。。
2009.01.21
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私は、妻として、母親として、家族にとって、家庭は安らげる場所であることが大事だと思ってきました。仕事や学校で疲れて帰ってくる家族、せめて家にいる時くらいはゆっくりさせてあげたい、休ませてあげたい、そんな気持ちで家族に一生懸命、尽くしてきました。その気持ちは、義務を超えた家族に対する愛情、思いやりからくるものでした。 でもふと考えました。じゃあ家族の方はどうなんだろう?と・・・ 家族は私に、そういう気持ちを持ってくれているのでしょうか?仕事から帰った私に対し、ゆっくりさせてあげたい、休ませてあげたい、そんな思いやりの気持ちを持ち、それを示してくれているのでしょうか? 答えはNOだと思いました。なぜなら、私が家の中でこまネズミのように働く姿は、家族にとってあまりに当たり前のことだったからです。 妻とはそういうもの、母親とはそういうものという感覚、妻、母親を家族のお手伝いさんとみなす感覚が、確かにそこにあるように思います。 やっとの思いで洗い物を終えたのに、ローラは出し忘れたお弁当箱を、無言でまるで放り込むように出してきました。彼女の口からは、かつて私が母に言ったような「出すの遅れてごめん」「ごちそうさまでした」「ありがとう」といった言葉は出てきません。せめてもの抵抗で、「今洗い物終わったのに~」という私に、「だから何?」と言わんばかりの顔をして立ち去りました。 私は、ああ、この子には、毎日お弁当を作ってもらっている、洗い物をしてもらっているという感覚も、感謝の気持ちもないのだ。そう思いました。 よく世間ではこんな風に言います。 『今こうして何不自由なく暮らしているのは、お父さんお母さんのおかげ。世界中には、食べるものがなくて死んでいく子どもがたくさんいるんだよ。あなたは恵まれているのよ。感謝しなくちゃね』 これが最もだということは、子どももわかっているのでしょう。 でも、いくらそんな話をしたところで、実際には、お腹が空いていようといまいと、時間になれば黙っていても食事は出てきます。寝転がっているうちに、いつの間にか食器は洗われているし、昨日着た服は翌日、綺麗に洗濯され、畳まれ、部屋に戻ってきているわけです。まるで魔法のように・・・ 当たり前じゃないんだよといくら口で言われても、実際には、当り前のことになってしまっているのです。 今、家事を分担していますが、家族が家事を、喜んでやってくれることを期待している訳ではありません。上手にやってくれる事を望んでいるわけではありません。 私が期待しているのは、実際自分でやってみて、それがどれだけ大変なことなのかを実感してもらうことなのです。 反発が出たとしてもいいのです。むしろ嬉しい反応です。その「やりたくない」と思う気持ちさえも、実際に自分自身で感じてもらうこと、それが大事だと思うからです。 母親も日々、その気持ちと闘っています。母親は全自動家事ロボットなんかではなく他の家族と同じように生身の人間なのですから。 大変だし、泣きたくなるほどやりたくない日もある。もし、誰かが「手伝ってあげようか」と一言言ってくれたら、とっても嬉しいのです。 人間は体験したことじゃないと、本当にはその意味を理解することは出来ません。 何もしなくても当たり前にキレイになっていたり、何もしなくても当たり前に温かいご飯が出てきていたら、その有り難さを実感することはなかなか出来ません。当たり前ではないはずのことでも、当り前のことになってしまうのです。 でも、自分がそれを実際やってみることによって、この当たり前のように感じていたことのすべてが、実は誰かが自分のためにしてくれていたことなのだと気づくのだと思います。 また、家事を分担することで、家族の会話が増えました。 「これ、どうやったらいいの?」「ああこれはね、こうしてこうするのよ」「あ、そうか!こうやるんだ~!ありがとう!」「どう?こんな感じでいい?」「うん、なかなかうまいじゃない」「えへっ、そういえば学校でやったことがあった~」「あらそうなんだ」こうやって色々な話をしながら、一緒に家事をします。 それまで私が作ったものを当たり前に食べていたのが、自分で作るようになると、「どう、美味しい?」「美味しいよ~」「本当に?よかった~!これ、何が入ってるかわかる?実はこんな風に作ってみたんだよね~」こんな感じで話しが広がっていきます。 今日の夕食の当番がお母さんだとわかると、みんな「やったー!!!」と喜びます。これも私が毎日当たり前に作っていた時は、有り得なかった反応ですよね。 その日自分が当番じゃなくても、食事を作るということがもはや他人事ではなく、自分の問題でもあるのです。 「洗濯機使う人いる?今私、使っていいかな?」「今日のお風呂当番誰?」「良いことに気づいたよ!自分が洗い物の当番の時は、 なるべく食器を使わないようにすればいいんだ!」等々・・・ 何だか家庭に活気が出てきました。 大切なのは、家族が家事を自分の問題として捉えること。家事、それは、生きるために必要なこと。「生きる」ことに直接つながっています。すなわち「生きる力」です。 自分で洗った服を自分で干す。このことで、子ども達は、自分に自信をつけます。思春期になり、自立心が芽生えた子どもの、自立心が満たされます。 ちゃんと出来た=自尊心が高まり、充実感がみなぎってきました。失敗した=お母さんってやっぱすごいんだな~ 私はもう一人で、誰にも評価されない、感謝もされない家事を、一手に引き受け、みじめな気持ちになることもありません。 なぜならその大変さを、家族はみんな知っています。今私がやっている家事は、明日は他の家族がやってくれます。隣りで別の家事をしている人がいます。一緒に話をしながらやります。 つい先日まで、たった一人、キッチンで黙々と片付けをしていた私。リビングからテレビを観て笑う家族の声だけが聞こえました。あともう少し娘たちが大きくなったら、今度は、お皿を下げた後、リビングではなく、自分の部屋に散って行き、彼氏や友達と電話をしたり、好きな音楽をガンガン鳴らし始めるようになっていたかもしれません。プーは一人リビングで、テレビのチャンネルを回しながら寝てしまい、私は山のようにある、やらなければならないリストとの闘っていることでしょう。 そうしているうちに、いずれは、介護の問題も出てきて、きっとまたそれも、私が一人黙々とこなしていくことになったかもしれません。 娘たちはそんな私を見て育ちます。結婚なんてするもんじゃないな、子どもなんて欲しくないなと思うかもしれません。ピーターパン症候群。大人になりたくない人たちは、こんな親の姿を見て育った人たちなのでしょう。 そりゃそうでしょうね。大人になんかなったって、良いことなんて無いのだと、お母さんを見ていたらわかります。 母親はまず、自分の家庭から、反旗を翻す必要があると思います。そうでなければ、女だから、妻だから、母親だから、自分を犠牲にして生きるべきだという文化や社会の圧力による見えないハンディキャップを死ぬまで背負い、やがては娘や孫娘たちに、それを引き渡すことになります。 ふ~っ、、、今日はここまで。 家事分担のこと、書きたいことがいっぱいあり過ぎて、うまくまとまってないかも・・・私の頭の中のことを、ちゃんと伝わる文章に出来るかわかりませんが、時間の許す限り、少しずつ書いていきたいと思います。
2009.01.19
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前回の記事で、今年のわが家の決まりは「家事はみんなで」になったことを書きました。さて、それは守られているか? 実は・・・ しっかり守られています でも最初からそうだった訳ではありません。年明け、この決まりが出来てからも、家族は何ら変わりない生活を続けていました。「家事はみんなで」という決まりを、みんなで決めたのに、結局はほとんど全ての家事を私がやっていたのでした。 プーがしてくれたことは、自分の仕事が休みの時に、私が干して出かけた洗濯物を取り込み、畳んでおく事、私が洗っておいた食器を食器棚にしまう事、雨戸を閉めることくらいでした。もちろん、数か月前まで、右の物を左に移す事すらもしなかった夫が、そうやって、少しでも手伝ってくれていることは、本当に有難く、嬉しいことでした。 私が100パーセント、すべての家事をこなしていたのは、つい最近までのことです。それまで私は、何の疑問も感じず、家事と、子どもや旦那さんの世話をするのは、自分の義務だと考え、そのすべてを引き受けていました。 いや、本当は疑問を感じていました。何で私だけ? 何で私だけこんなに頑張らなくてはいけないの?この思いは、常に私の中にありました。 でもその度に私は、自分の気持ちを整理して、なぜ私がすべきかという理屈をこねては、自分に言い聞かせて、頑張ってきました。 夕食を終えると、プーと子ども達はお皿を流しに運び、3人でひっくり返ってテレビを観て、大声で笑っていました。 一人キッチンに取り残された私は、残り物にラップをかけて片付け、山のようなお皿や、汚れたガステーブルに向き合うのです。 今まで何度、自分がみじめで、不当に扱われているような気分になったか・・・ でも、他にやる人はいません。手伝ってくれる人もいません。ちょっと前までは、自分のお皿を流しに運ぶことすらしなかった家族です。誰も、「休んでいて。たまには私が(俺が)やるよ」と願い出る気はさらさらないようです。だから私は、疲れた体にムチ打って、一人でやるしかないのです。 多くの母親は知っています。家族に家事を手伝ってもらうのは、一人で片付けるよりもっと大変なことだと。家族を説得する努力はむなしいもので、わざわざ波風を立てるより、自分がやってしまう方が、はるかに家庭はスムーズにいくということを・・・ でもこうした自己犠牲の気持ちが、実際には、家族の毒となるのです。(このことについては、後日詳しく書きたいと思います) 私は、年明けから10日経った時、家族に大きな宣言をしました。ついに家族に反旗を翻したのです。 お知らせ明日より、私、メロディは、皆さんのお手伝いさんから、卒業させて頂きます。これ以上、私一人が皆さんの犠牲になることは、肉体的、精神的に不可能です。ですのでこれからは、私も皆さんと同じように、自分のことだけして、生活したいと思います。今後は、それぞれ、自分の食事やお弁当の支度をして、自分の使った食器や調理器具などの洗い物をし、自分の着たものや使ったものの洗濯をして、自分のゴミを集積所に出し、自分の部屋の掃除をし、それぞれがそれぞれで、自分のことを責任を持ってして下さい。みんなで使用している共有部分、例えば、お風呂、洗面所、トイレ、ダイニング、リビング、階段、廊下、玄関、家周り等については、当番表を作成し、それぞれ責任を持って、やっていくことにしましょう。当然、私も自分の分の食事を作り、自分の食器を洗い、自分の洗濯ものを洗い、自分のゴミを出し、自分の部屋の掃除をし、当番の掃除等をします。それでは皆さん、頑張って。お互いに、自分のことは自分でやって、それぞれの仕事や学校生活を楽しみましょう(^0^)! さぁ参った!晴々とした気持ちの私とは裏腹に、他の家族は戸惑いました。 そりゃそうですよね。あまり家事に参加しないのは悪いなという感覚くらいはあったものの、家で好きな時に好きなことが出来るという贅沢を誰も手放したくなどありませんもの。 妻(お母さん)さえ頑張ってくれれば、掃除機をかける代わりに、新聞やマンガを読んでいられるし、洗濯ものを干す代わりに、テレビを観ていられるのですから。 プーは言いました。「家庭崩壊だ!」ローラは言いました。「それはお母さんの仕事でしょ!」 以前の私でしたら、家族のこんな反応をうけて、妻として、母親として、これでいいのか?という、罪悪感に苛まれ、諦めていたはずです。でも今回の私は違いました。この選択は、必ず、家族全員を幸せに導くという、確固たる自信があったのです。私が楽になりたいというよりも、むしろ、これが家族のためになると信じました。 その気迫に押されてか、私があまりにもニコニコと当たり前にそう宣言したせいか、結局、家族は自分から、「やってみるか!」という結論を出しました。 でもやはり、食事がバラバラというのは良くないということになり、食事の支度や片づけについても、他の共有部分の家事と同じように、当番制にするということで、話は決まりました。 月火水木金土日プー(計11) ・1階掃除・玄関・雨戸・夕食洗い物・ゴミ捨て・夕食洗い物・朝食作り・ゴミ捨て・1階掃除・玄関・雨戸・夕食洗い物・夕食洗い物 メロディ(計17)・朝食洗い物 ・朝食洗い物 ・朝食洗い物・1階掃除・夕食作り・朝食洗い物・夕食作り・お風呂 ・朝食作り・朝食洗い物・1階掃除・ゴミ捨て・夕食作り・お風呂・夕食作り・玄関・雨戸・お風呂ローラ(計12)・朝食作り・玄関・雨戸・お風呂・お風呂・朝食作り ・玄関・雨戸・朝食作り・1階掃除・夕食洗い物・1階掃除・夕食作り・夕食洗い物ドロシー(計13)・1階掃除・ゴミ捨て・夕食作り・夕食洗い物・朝食作り・ゴミ捨て・夕食作り・玄関・雨戸・お風呂 ・お風呂・玄関・雨戸・朝食作り・朝食洗い物 • 自分の着た物の洗濯は自分で。自分の部屋の掃除・ゴミ捨ても各自でする。• お弁当は自分で詰める。• 食器は各自で下げる。 洗濯は、こんな風にして、各自でやっています。 ↓ こうやって、家事を分担するようになってから、まだ数日ですが、家族の絆は深まっているように思います。 ローラが先日寝る前に、こんなことを言っていました。 「お母さん、ローラね、 家事をやるようになってから、 色々なことがうまく回り始めた。どうして? 初めはうまくいかないと思ってた。 学校行って、家事もやるなんてうまくいかないと思ってた。 でも違った。 家事をやるようになってから、こんなにうまくいく、ねぇどうして? お母さん、その方程式、本当は知っているんでしょ?」 「うふふうん、知ってるよ。さぁ、おやすみなさい。」 続きはまた書きます
2009.01.15
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相変わらず、忙しい毎日を送っています。別の学童で欠員が続出し、ウチの指導員がヘルプに行っている為、来月まではほぼ休みなしでの勤務です。今月も、正月明けから休みなし、再来週に1日だけ休めますが、土曜日も出勤、こんな状況が来月末まで続きます。 お正月は、Hey say jump!のコンサートに行ったり、ドロシーのクラブの発表会があったり、正月明けの日曜は、ローラの部活の発表会があったりで、休みも休みじゃない感じです。そんなこんなで、blogの更新もままならない状況です。 しかも!一昨日から、ドロシーが風邪をひいて、高熱を出していますインフルエンザではないようですが、熱が下がらないので、昨日、今日とお休みしています。後期は休んでなかったので、皆勤賞狙えちゃったりするのか?なんて頭もちょっとだけあったのですが、まぁしょうがないですね。ところで、メロディ家では、毎年、お正月に、その年の目標や、係を決める家族会議があります。もう何年もしている事ですが、子ども達は家族会議が大好きです。今年の係は、 ・ プー イベント係 ・ メロディ 公安係 ・ ローラ 整理係 ・ ドロシー 新聞係 です。 イベント係は、家族のイベントを企画・開催します。どんなイベントをやるかと言うと、例えば、漫才大会、ビストロ大会、粘土細工王選手権、健康お散歩大会等、ともかく色々企画してやっています。お金はかけずに、盛り上がる!オールB型家族ならではの愉快なイベントです。 公安は、みんなが係の仕事や自分ですべき事をちゃんとやっているか、家の決まりをちゃんと守っているかをチェックして、公安ノートに書き込み、月一回の家族会議で、みんなに報告する係です。注意3回で、ペナルティーが与えられます。全てみんなで話し合って決めた事なので、不満はほとんどないです。 整理係は、文字通り、整理整頓、アルバムの整理等もします。 新聞係は、わが家のニュースや情報を書いた新聞を発行します。トイレのコルクボードに貼っているので、お客さんも読み、これがかなり好評で、みんなに褒めてもらっています。 で、今年の家族の決まりは、ズバリ!「家事はみんなで」になりました さて、それはどうなっているでしょう?本当に家事はみんなでやってるのでしょうか?その事については、また次回に書きたいと思います。衝撃の記事まで、しばしお待ちを
2009.01.14
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あけましておめでとうございます(*^▽^)/ 昨年末、ご挨拶のblog更新をするつもりでしたが、 時間がとれず、新年のご挨拶を 携帯からさせて頂いてます。 これからお客さんが続々といらっしゃるので、 とりあえず、ご挨拶だけ・・・ 本年もどうぞ、よろしくお願い致します。(^-^)/
2009.01.01
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あ~情けない・・・本当に情けない・・・ 今日から学校は冬休みですが、クラブの発表会が冬休み中にある為、今日はクラブの練習があったドロシー・・・ 昨日学校から帰った時から、明日は行きたくないだの、急に衣装を用意して来いだなんてムリだの、ブツクサ言っていました。 昨日は我が家でクリスマスパーティーがあり、夜遅くまで人がいて、少し寝不足でしたが、それでもサンタさんからクリスマスプレゼントで遊びたいからと早起きして紙包みを開けていましたが、開けてみたらなんと不良品で、遊ぶことが出来ず、もうその時点でかなりナーバスに・・・ もうやだと言いつつも、クラブの練習に行く用意はしていたのですが、やっぱり直前になると、「行きたくない」が始まりました。 夏休みあけから無遅刻無欠席で学校には通っていました。それは嬉しいことですし、よく頑張ったなとは思います。学校は「行くもの」「行きたい場所」と思っているのでしょう。でも、「クラブくらい」嫌なら休んでもいいと、どこかで甘えているのでしょうね。結局、不登校の頃のように、「行きたくない」→「お腹が痛い」→「疲れて動けない」と言いだし、休んでしまいました。 でもいくら学校は休みで、クラブの練習でも、私はクラブは学校と同じだと思います。発表が近いので、みんなに迷惑もかかります。本当に情けない気持ちでいっぱいになりました この子はまだ全然弱い。 その現実を突き付けられました。 クラブに行くも行かないも、それはこの子の問題だとは思っても、この子はこれからも、こうやって嫌なことから逃げてしまうんだろうか、中学に入ったらどうなってしまうんだろうか、部活も、辛いとか嫌だとかで、行かなくなってしまうんだろうか、どうしても胸がざわめきます。 実はここのところ、ずっと様子が少し変でした。例のいじめ予告の噂を聞いたあたりから、生活自体は普通にしていましたが、職場に「何時に帰ってくる?」と電話がきたり、学校で起こる些細な出来事に敏感に反応し、イラだっていたり、落ち込んだりしていました。 OD症状も強く出ていて、お腹も緩くなっていたり、体調に変化がありました。 やはり、10年間も間違いだらけの子育てをしてきたので、1年位気をつけていても、そう簡単にはこの性格は直らないのでしょう。 夫婦間の問題も起こり、それは子どもに伝わり、サインを出しているというのもあるのでしょう。 しばらく調子が良かったので、私の対応にも、気の緩みが出ていたのでしょうし、ここのところの体調不良、色々なことに対する不安や不満も、すべて、私の不徳の致すところです。 不登校児は、ストレス耐性が、極端に低いです。そんな風に育てたからなのですが、本当に情けない気持ちでいっぱいになります。 「嫌なことから逃げる性格」これを何としても直してあげなければ、この子は不幸な人生を歩むことになる。 もう12歳になるドロシー・・・まだ間に合うだろうか・・・間に合わせなきゃ・・・ そのためには、私がまたあらためて自分を振り返り、ドロシーに対する対応、そして、自分の生き方を、見直さなくては・・・ 子は鏡。すべては私にかかっている。頑張ります。
2008.12.25
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年の瀬。皆さまも忙しい毎日を送られていることと思います。 週末はローラの東京の友達が泊まりにきていました。で、今夜も明日の夜も忘年会です(^^;)明後日は我が家でクリスマスパーティーがあり、翌日からは子どもたちの冬休みですね。 ドロシーはあれからは普通に過ごしています。ふーみんさんに紹介して頂いた藤本先生のブログにも書かれてありましたが、子どもが訴えてきた時、親がどういう反応をするのか?その表情などを見て、自分の置かれている状況が、どのレベルに位置するのかを判断する傾向があるようです。訴えてきた最初の段階で、親が過剰反応してしまうと、不安が増長してしまいますね。 以前の私なら、私の方がパニックになり、ドロシーはそんな私の態度をみて、「やっぱりこれは大変なことなんだ。恐ろしいことなんだ」と、余計に不安を強くしていたと思います。 私は全身の血が逆流しそうになりながらも、表情には出さずに、「そういう子いるよね~ 」「まぁ、Eちゃんの言う事だしね~」(よく嘘をつく子なので)「お母さんもよくあったよ~そういうこと。嫌だよね~」と、ドロシーの話に相槌をうちながら、聴くに徹しました。 今後の様子を見守りながら、話だけはよく聴いていきたいと思います。 アダルトチルドレンについても書きたいことがあって、実は1年以上も前から、下書きをしては「公開」をクリックする勇気が出ず、を繰り返しているのですが、世代間連鎖のことを考えた時、子どもの不登校には大きな関連があることだと思っているので、そろそろ何とか公開したいと思っているところです。子どもの不登校の原因を深く掘り下げていくと、親の養育歴(ACの問題)にぶつかります。 ともかく、この忙しい年の瀬を乗り切って、ゆっくりパソコンに向かえる日が来ることを夢見て頑張ります
2008.12.22
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昨日、仕事中に、ドロシーから電話がありました。 「お母さん、いつ帰ってくる? 早く帰ってきて お母さんに会いたい。。。」 きた~!!! 不登校中、よくあった、涙の電話。。。 「何かあった?」と聞いてみたら、「もういや~」と泣いているので、ともかく仕事中だから、帰ったら話そうと言って、仕事が終わるや否や、大急ぎで帰りました。 話しを聞いてみると、クラスは違う、NちゃんとSちゃんが、中学生になったら、ドロシーをいじめてやると言っていたと、Eちゃんに聞いたと言うのです。 こう言っては何だけど、いかにもガラの悪そうな子たち・・・私としては、そのEちゃんの言っていることもどこまで本当かわからないなといった感じではあるのですが、やっぱり母親というのは、「いじめ」というキーワードに弱いです。わが子を、中学生になったらいじめると宣言している子がいる等と聞くと、全身の血液が逆流していくような、そんな感覚を覚えました。 ちょうど、ふーみんさんも、お嬢さんのことで、全身の血液が逆流しそうになったお話しをブログに書かれていて、まさにそうだ!と思いました。 子どものこと、そして「いじめ」?となると、以前の私が戻ってきて、つい、鼻息が荒くなるのでした。 さすがにこのことは、担任の先生に相談した方がいいんじゃないだろうか?などと、一瞬、頭の中を色々な考えが駆け巡りましたが、よくよく聴いてみると、その子たちは、他の子たちともトラブルが多いそうで、みんなから嫌われているらしく・・・私も、日頃の勉強のおかげもあって、そのあとすぐに、クールダウンすることができ、すぐに血液の流れも正常に戻りました(^^;) 今日も寝る前に、「もう色々なことが嫌。。。」と泣いていました。 女子の人間関係、好きな男の子が、別の子を好きみたいだということ等など、何やら色々と悩みは尽きないようです。 みんな悩んで大人になる。命短し恋せよ乙女。 そんな言葉が頭に浮かびます この苦しい気持ちも、ドロシーのこれからの人生にとって必要なものなんでしょうね。 サインだけは決して見逃さないように、でも、鼻息が荒くならないように、血液を逆流させないように、話しはよく聴いてやって、デ~ン!と、見守っていきたいと思います。 ところで今週は「空中庭園」と「幸福な食卓」のDVDを観ました。なかなかよかったですよ^^思春期の子ども、家族とは?など、ちょっと考えさせられる内容でした。 今読んでいる本は、・石原慎太郎の「いま、魂の教育」と・カリン・ルーベンスタインの「愛し過ぎる母親たち」・アダルトチルドレン~アルコール問題家族で育った子供たち~・近藤裕の「愛妻学・愛夫学」 仕事と、(やり過ぎだと噂の)忘年会をこなしながら、何とか時間を作って読んでますまた紹介出来たらいいなと思っています。
2008.12.18
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実は先週から、我が家は離婚の危機に直面していました。それは、結婚当初から続く、プーの「怒鳴る」という行為が原因です。 プーはともかく短気。で、怒り出すと、肉体的な暴力こそありませんが、その形相は尋常ではなく、まるでヤクザのようです。 その調子で、私やドロシーを怒鳴るのです。 昨年、ドロシーの不登校というサインによって、私たち夫婦は、自分たちの問題点に向き合い、家族として大きく成長しました。その時に、ドロシーを怒鳴らないで欲しいということを、お願いしました。 でも復学から1年が過ぎ、プーも転職というストレスを抱えていることもあり、最近また、些細なことで、すぐ短気を起こし、怒鳴るようになってきたのです。 彼が短気を起こす時、私たちからしてみれば、まさかそんなことで?という位のことが原因なので、私たちには、プーの怒りのスイッチがどこにあるのかわかりません。 実はプーが長年務めた会社を辞めたのも、少なからず、その短気が影響しています。 先日、あまりに些細なことで怒りだし、私ににじり寄って、物を床に叩き付け、大声で「てめぇ!この野郎!」と怒鳴りつけてきたプーに、私は、ほとほと呆れてしまい、「もう、やっていけない。別れよう」と言いました。 でも、そうは言っても私は、この先、どうやって生きていけばいいのか?子ども達はどうするか?住む場所、仕事など、色々と考えました。女はこういう時弱いですね。今、仕事をしていると言っても、とても生活していけるようなレベルじゃありません。連れ合いに、ほとほとあいそが尽きても、パッと飛び出して行けるほどの力がないことを、痛感させられます。 でも、友人やきょうだいにこの愚痴を話しながら、一人でじっくり考えながら、私はプーへの愛情が確かにあること、プーが私を愛していることを、かえって実感するのでした。 離婚まで真剣に考えたけど、よくよく自分の感情と向き合ってみると、私がプーに求めていることは、 「怒鳴らないで欲しい」 ただそれだけなんだと気づきました。 で、怒鳴らないためにはどうしたらいいのか?それは、私の言動や行動を悪く捉えないで欲しい。思っていることは、素直に言葉で伝えて欲しい。そうすれば、怒鳴らないで済むのではないかと思いました。 実は、プーはアルコール中毒の家庭に育ったアダルトチルドレン。私たちが、プーの怒りのスイッチがわからないのは、プーのその養育歴に関係しています。 プーの養育歴による性格特性として、悪意のない言葉や出来事、何でもないような話でも、自分をけなしたり、脅したりする意味が隠されているのではないか?恥をかかされた、馬鹿にされたと思ってしまうところがあるのです。何でも、自分に関係付けてしまうところがあり、例えば、まわりは雑談しているだけなのに、それをとらえて「俺に何か言いたいことでもあるのか?」「俺が悪いとでもいうのか」と強引に自分と関係付けてしまいます。他人の笑いや視線に対する「見られている」という過剰な意識もそうです。 だから、プーは、周りの言動や行動の裏を勝手に読み、「本当は俺をバカにしているんだろう」等と思って、激しい怒りを覚えるのです。でも周りにしてみれば、プーの頭の中で、事態がそんなことになっているとは想像もつかない。だから、プーの怒りどころがわからないのです。 私はプーのその養育歴による性格特性について、ついに本人に話すことにしました。自分にはそういうところがあると自覚することで、カッとなった感情を自制することが可能になるかもしれないからです。 彼は、自分のその性格のせいで、仕事も家族も失うかもしれないという岐路に立たされ、でもどうして良いのかわからずに苦しんでいました。 会社でも家でも、カッとなって怒鳴ってしまい、その行き過ぎた行為に、後から反省する。その悪循環を断ち切るためには、自分のそういう考え方の癖を自覚するしかない。 この1年ほどは、私に「怒鳴らないで欲しい」と言われたり、怒鳴ることで、会社での人間関係に支障をきたすということを身にしみて感じている為に、怒りが込み上げてきても、「我慢する」という形で、自制してきたようです。でもそれは、プーにとって、大きなストレスであったと思います。 だから、そうではなくて、その「怒り」の感情自体が、実は根拠のないものであり、自分が育ってきた環境によって形成された考え方のくせによるものだと意識することで、冷静になれるのではないかと思いました。 面と向かって話しをすると、またすぐに怒って話にならない可能性があるので、私は1年ぶりにまた長い手紙をプーに渡しました。 書いた内容は、その性格を自覚すること。そして、夫婦というのは、共に「幸せ」という明確な目標を共有して、それに向かって互いに意見を交換し合って、合意のもとに答えを選択して、協力して努力していく、というものだということ。(プーの家庭は崩壊していたので、普通の家族というものを知りません) つまり、自分の気持ちも伝えずに、相手が自分の思うように動いてくれない、自分の気持ちを理解してくれないと怒るなんておかしいことで、いくら夫婦でも、言葉にして伝えなければ、わかるはずもなく、怒ったりせずに、自分の気持ちを素直に相手に伝える必要があることなどを伝えた上で、次のように書きました。 プーは自分が怒っている時、肉体的な暴力を振るわなければ、許されると思ってる? あのね、大声で怒鳴るという行為は、暴力の一種です。これは、深刻な問題なんだよ。怒鳴る行為は、言葉の暴力です。ましてや、大の男が、女性や子どもににじり寄って、大声で怒鳴るなんていうのは誰から見ても、異常なことだし、本当に恥ずかしいことです。 とにかく、金輪際、子どもを怒鳴ること、私を怒鳴ることは、絶対止めて欲しい。最低限、これだけでも守って下さい。 結婚してからずっと、プーの怒鳴るという行為に脅えてきました。夫婦で意見の相違が起こった時、結婚当初は私も言い返したりして、応戦しましたが、いつの日からか、戦意喪失しました。 プーの機嫌が悪くなりそうなことは言わないようにし、顔色を伺い、要求に沿うように努力していました。そうしていれば、家庭が表面的には穏やかだった。でも、ひとたびこちらが反論でもしようものなら、怒鳴られる。それが、どれだけ惨めで恐ろしくて悲しいかわかりますか? 私はそのことでトラウマを持っています。何か関係ない時でも、大きな声がするたびに心臓がなくなるのではと思うほど縮まります。テレビの討論番組で議論がエキサイトすると、怖くて震えてきて、テレビから逃げます。 でも最近になって私は、夫婦として長くつきあっていく上で、嫌なことは断じて嫌なのだということを、言わなければならないと思いました。 言ったことで喧嘩になったとしても、それは夫婦として必要なことだと思います。 夫婦喧嘩ができないのは、一方が優位に立って相手を無力化し、思うがままに支配し続けているからですにじり寄って、大声で怒鳴って、物に当たって、相手を黙らせる、これは夫婦喧嘩ではありません。 誰でも、そして私だって、毎日思い通りにばかりはいかないですが、怒鳴ったりしません。それはおかしいこと、してはいけないことだということをわかって下さい。 愛情がなくても夫婦をやっている家庭はいっぱいあるでしょう。でも私たちは愛情はあるはずだよね。だから、お互いに心の力をつけて、乗り越えていきたいと、私は思っています。心の力とは、相手の気持ちを理解する力と、自分の気持ちを表現・主張する力が統合されたものです。 素直に話し合える夫婦になろうよ。そしてこの先も一緒にいよう。子どもたちのためにも、本当の意味での良い家族になろう。 この手紙を読んで、プーは何を感じたのかはわかりませんが、様子を見ていると、もしかすると何だか少し、彼は楽になったような感じがします。 まだ、今後どうなるかはわかりませんが、とりあえず、離婚の危機は免れました(^^;)このことが後に、私たち家族の絆をより深いものにしてくれるものと信じて、ガンバリマス
2008.12.17
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携帯からの更新です。 いや今、凄い事があったので… 今、私が家に帰って来たら、 5、6歳の未就学児の男の子達が、 私の家の庭で遊んでいました。 人数は6、7人… えっ?何でウチの庭で? という感じなのですが、 それよりも驚いたのは、 その子達のお母さん達が、 それをただジッと見ていること… ( ̄▽ ̄;) えっ?他人の家の庭で子どもが遊んでいるんだよ? ほらっ、他人の家の庭に自転車乗り上げて、 他人の家の洗濯バサミとか投げ合って、 大声あげて騒いでいるんだよ? 何故止めさせない? で、私が帰って来ても、その親たち、 挨拶一つしない… もちろん、「すみません」の一言もないし、 会釈すらしない… で、私が自転車から買い物袋を出して玄関に入れている間に、 蚊の泣くような声で、子ども達に、場所替えようみたいな事をモゴモゴ言っていた。 隣の小学生の女の子が、 「ダメだよ!そこはメロディさんの家だよ!それはメロディさんちの物だよ!」 と注意しにきてくれて、ようやく去っていった親子たち… いったい何だったんだ?! 日本の若い母親は、今、こんなことになってるのか? 地上げ屋の嫌がらせさながらの光景… 非常識の域を越えた 衝撃的な出来事に、 ただ呆然としてしまった メロディでした。
2008.12.10
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昨日、30人31脚をテレビで観ました昨年、ローラが全国大会に出場した時は、当事者の母親として番組を見ていたので、番組を純粋に楽しむという感じではなかったのですが、今年は、よそさまの子ども達の頑張る姿を観て、なんて「イイ顔」をしているんだろうと、涙涙で、感動しながら観ました。 昨年はこの番組にキャプテンとして映っていたローラ、今年はコタツで寂しく観ていました(^_^;)そして、「もう一度やりたい!」って叫んでいました。30人31脚を観ていると哀しくなる。あの頃の輝いていた自分を思い出し、それに比べて今の私は何なんだろうと思う。何も頑張っていないような気がする。そう言って、胸をキューンとさせていました。 当時は、肉体的、精神的に極限まで追い詰められた状況だったはず、それなのにローラは、苦しかったはずのあの頃を思い、「もう一度やりたい!」と言いました。それはやはり、辛い思い、思うようにならない苦しみ、我慢、自分の力で努力した末の達成感、一人前としての充実感こそが、人間に生きる喜びを感じさせてくれるからなのだなと思いました。 そしてその苦しい時を、怖いけど尊敬出来る先生に導いて頂きながら、仲間と共に支え合いながら、その絆によって乗り越えることが出来た事、それはまさに脳幹が強く鍛えられた出来事であったと思います。 今は頑張っていない気がすると言っていたローラ、でもね、大丈夫だよ。あの経験は、君のこれからの人生に役立つはず。今も君は頑張っているよ。大切な仲間と離れた地で一人、頑張ってる。そしてこれからも頑張れるよ。 「頑張る」って、今ではなんだか悪い言葉みたいに言われがちだけど、やっぱり、頑張るって素晴らしいことだと思います。ローラ達はクラス全員で走ることにこだわって、40人41脚の挑戦だったけど、その40人の走りには、先生も親も加わることは出来ない。その時の君たちの顔は、本当に「イイ顔」だったよ。頑張るっていいなって思ったよ。 昨日、準決勝までいった福岡のチームのキャプテンは、元・不登校児だったそうです。素晴らしい先生との出会いで、彼はその心と身体に、精気を吹き込まれたのでしょう。そして、仲間と共に、苦しみに耐え、彼の脳幹も大きく成長したんだろうな 30人31脚、バンザ~イ!!!
2008.12.06
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一つまえの記事で、脳幹について触れました。まず、脳幹とは何か? 人間は大脳や小脳にダメージを受けても生存は可能ですが、脳幹は、自律神経やホルモン、呼吸にまで影響を及ぼしているので、わずかでも損傷を負うと生きていることが出来ません。脳幹には、人間が人間として生きて行くために不可欠なさまざまな働きを司る機能が備えられていて、生きるための基本的な衝動、恐怖、歓喜、満足感、怒り、優しさ、忍耐といったやがては精神形成に繋がる、心の働きを培い、コントロールする機能が収められています。 石原慎太郎氏は、不登校や家庭内暴力など、現代の子どもの問題について語る時、この「脳幹」について語ります。 現代の特性として子ども達の脳幹そのものがひ弱なものになってしまっている。原因は現代社会の豊かさと平和がもたらした安逸である。暑いといえば冷房、寒いといえば暖房、お腹が空いたといえば容易に間食をあてがわれる子育てでは子どもの脳幹は、耐性を備えることが出来ない。それは同じような環境で育てられてきて耐性を欠いた現代の若い親たちにしても同じことだ。本来子どもに人間としての耐性を鍛え与える役目の父親は、家庭の中で失権し、母親が支配する家庭、母親のいたずらな溺愛、しつけ教育に関しての他力本願といった状況の中、不登校等は、「耐性」の欠如を自己防衛するための彼らなりの哀れな手立てにすぎない。動物行動学者のコンラッド・ローレンツの唱えた脳幹論、「苦痛を味わうことのない子どもは将来、人間的に不幸になる」という言葉が明かすように、欠乏の楽しさ、獲得をかなえられずに耐えるということの貴さ、自力での努力の末の達成感、満足感が、子ども達に自ら一人前としての充実感を与え、彼等をタフな人間に変えてしまう。脳幹の大切な機能の一つは、他者と触れ合い相克もする社会という場で、争い、傷つきながら耐える、あるいは競い合いながら懸命に努め、成功して満足する、あるいは破れても耐え、耐えることで目に見えぬ力を蓄え逞しく成長するといった耐性(こらえ性)を培うということである。脳幹が健全に育たない子どもは、厳しい世の中には通用しない人間にしかならない。(石原慎太郎の言葉より抜粋) 現代は、親、学校、社会が、よってたかって、子どもを「便利」という毒に漬けているように思えてなりません。自分で考えて、自分で行動し、失敗したり、成功したり、我慢したりする、子どもにとって大切な経験を奪っているのだと思います。 これは私自身が実際に体験したことです。過保護、過干渉、神経質な子育てをしてきた結果、私はドロシーを不登校、OD、うつ、不安神経症にしてしまいました。でも、親である私がその過ちに気づき、反省し、不器用ながらも、手出し・口出しをやめた時、わずか2日ほどで、驚くべき変化がドロシーに起こりました。何よりも、その瞳に力がみなぎってくるのを、私はハッキリと感じたのです。 これらは私が子どもを、守り、囲い、手を出し口を出し、大切な脳幹の働きを弱めていたせいであったと思います。その証拠に、ドロシーを含む、不登校児が、親の関わりを変えることで、イキイキとした子どもに生まれ変わっていったのですから・・・ このことについては、もっと書きたいことがあるのですが、長くなるのでまた次回に。
2008.12.06
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学校から保護者あてのプリント。それに、一週間の子どもの持ち物が記載されています。子どもの持ち物なのに、なぜ親に?これには本当に困ってしまいます。 子どもにちゃんと伝えている上での記載の時はまだ良いけど、子どもには伝えないで、親だけに「今週中に、ビニール3枚と、500mlのペットボトルと、新聞紙を持たせて下さい」等と書いてあったりして。 ドロシーには可哀そうだけど、私はこれを伝えません。冷蔵庫の見えやすい場所に貼っておきます。 先日、ドロシーとこんな会話がありました。 「お母さんは、学校のプリントをちゃんと読んでくれていないよね」「ん?」「だって持ち物があるって教えてくれないじゃん」「あら、だってあなたの持ち物でしょ?」「そうだけど、みんなはお母さんが、持って行きなさいって 渡してくれるってよ」 私は学校からのプリントも読まない、子どもに忘れものをさせても平気な無関心な親と思われているかもしれないですね(^^;) いえいえ、私はちゃ~んと、プリントは読んでいますし、子どもが忘れものをするのが平気な母親ではありません。 なぜ、子どもに伝えない?子どもに伝えている場合も、なぜ、親にまで言わないといけないの?忘れられると授業に支障が出るからかな?それはわかるけど、こんな風にしていたら、子どもは忘れ物の経験が出来ませんよね。ということは、自分の持ち物は自分で責任をもって、忘れないよう、気をつけられる子に育たないですよね。何かがおかしい、私にはそう思えてなりません。 先日、PTAの役員会の議題に、学校の連絡網を、有料の業者に頼んで、メール配信するようにしよう!というのがあがりました。 市内ではこのシステムを使用していないのは、3校だけで、そのうちの1校がウチの学校だということです。 もちろん、地震や大型台風などで、引き取りの必要があるなどの、緊急連絡には便利かもしれませんが、「明日からプールが始まります。水着を忘れずに持たせて下さい」なんていうメールもくるとか・・・あ~便利だわ~!と、特に男の子のお母さんたちは言っていて、可決されそうですが、私は正直、恐ろしいなと思いました。 実はローラの習い事でも、連絡事項はすべて親にメール配信されます。しかもローラはもう中学生ですよ・・・本人にちゃんと伝えて欲しいです。 子どもがどんどん「便利」というものに、侵されていくような、そんな気がしてなりません。 こういうことが、子どもたちの脳幹に、恐ろしいことを起こしているそうです。 それはまた次回、書きたいと思います。
2008.12.06
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忙しい毎日を送っております。携帯が壊れて機種変に駆け込み、学童の運動会があり、ミーティングあり、他学童で突然の欠員があり、ウチの学童から応援を出している為、その分、仕事もハードになり、ローラのエイベックスのカーニバル参加の引率、PTAの役員会、しまいには、試験前日だというのに、ローラが大風邪をひいて、ゲーゲーやっていて、看病!更に、転職したばかりのプーが、実は今月から別会社に再就職したりして・・・まぁ、ともかくバッタバタの毎日なのです。コメントの返事もなかなか書けず、皆さんのブログにも訪問出来ず、失礼してしまっていてごめんなさい。 で、前回の記事で、I(わたし)メッセージについて触れたところ、どんな風に使えば良いか?などの、コメントやメッセージ・メールを頂いたので、そのことについて私なりの考えを書きたいと思います。長くなるかもしれないので、こちらにまとめレスしてしまいますね、ごめんなさい。 まず、当然のことながら、私は専門家じゃないので、専門家の本等を読まれる方が良いとは思いますが、あくまで、一お母さんとしての考えを書きますね。 で、ここでは、わたしメッセージが何かということは、ご存知だと思いますので省きます(フリーページにも簡単に書いてあります) わたしメッセージがうまく使えない、使っているのに良い結果が出ないという場合、やっぱり何かがうまく出来ていないということなのでしょうね。やはり、わたしメッセージは、単に主語をわたしにして「わたしは〇〇」と言えば良い訳じゃないんですよね。うん、実は難しいんですよね、わたしメッセージって。 で、私が思うに、実はその前の段階が大事なんだと思うんです。まず、その問題の所有者が誰かということ、問題所有の原則ですね、それが完全に出来ていないと難しいかなと。プラス、能動的な聴き方、これもちゃんと出来ていることが前提だと思うんです。 親業をベースに作ったとも言われている「母親の法律」これには、わたしメッセージや勝負なし法はありませんよね。でも、母の会に通ってらした方に聞いたところによると、実は、ちゃんと母親の法律を守れるようになってから、母の会でも、「わたしメッセージ」のお話しをして下さるそうです。 つまりね、わたしメッセージは、ちゃんと黙れる、ちゃんと聴けるようにならないと、有効にはならないんじゃないかと思うんです。まずはそれがちゃんと出来ているか?それからなんでしょうね。 で、それは出来ているとして話しますね。わたしメッセージの使い方です。そこで重要なのは、 1.子どもの行動の何が問題なのか?2.そのことで、わたしが実際に被っている具体的な影響3.その結果、わたしはどういう気持ちになったか この順での話が必要だと思います。 で、もう一つ、「具体的な要求を伝える」ことが必要だと思います。例えば「片づけて欲しい」よりも、「○○を自分の部屋に持っていって欲しい」みたいな使い方をすると良いのではないかと思います。 で、そこで重要になってくるのが、わたしメッセージを使う人自身が、「自分の感情に向き合う」という作業が必要だと思います。 なぜ、自分は、このことにこんなに腹を立てているんだろう?ここから始まります。それをよくよく考えなければいけません。 例えば、この場所に物を置きっぱなしにされると、私はどう困るのか?そういうことを具体的に深く掘り下げて考えます。 例えば、洗濯ものを干す時に、ここを使うからだわと思うかもしれないし、自分は部屋をキレイにしていることが好きだからだわと思うかもしれません。こうやって考えてみると、その奥に、意外な欲求や思考のくせがあることに気づいたりします。 なぜキレイにしていることが好きなのか?もしかすると、いくら考えてもその答えが見えてこない場合があるかもしれません。実は「部屋はキレイにしていなければならないものだから」という、具体的な理由なき、独自の価値観であることに気づく場合もあります。よ~く考えてみたら、価値観の押しつけに過ぎないな~と、気づく場合もあるかもしれないです。場合によっては、(実際に自分が被っている)具体的な理由がないことに気づき、子どもにわたしメッセージをいう必要がないという考えに至るかもしれません。 わたしメッセージを使うために、自分の感情に向き合っていたら、何だか自分の中で、すっかり消化できてしまったりする場合があるのです。今まで自分がそのことに腹を立てていたこと自体、不思議に思えて笑ってしまうこともあります。 いや、でも、嫌なものは嫌なの!という考えに至るかもしれません。具体的ではないけど、どうしても嫌、そういうこともありますよね。そうしたら、その本当の感情を伝えてみても良いと思うんです。要は、自分の感情としっかり向き合い、考えることが大事なんですよね。 で、洗濯ものを干すのにここを使うからという理由の場合、でも私はなぜ、洗濯物を干すときにここを使う必要があるのか?というところまで考えます。もしかすると、違う方法があるかもしれません。いや、どう考えても、ここを使う以外に道はないという結果になるかもしれません。 母親の法律で、「朝のないない戦争はしない」という項目で、「環境の整備」というのがあります。生活環境の工夫をするだけで、口出しや手出しの必要がなくなることも多いのです。 で、私なりの考えを言うと、極力、環境の整備で何とかするということです。 例えば、帰ってきたら上着をいつもリビングに放りぱなしという場合、→ 実は、上着をかける場所がない、足りない。 上着をかける場所を作ってあげたら解決。 という場合あります。 実際、疲れて帰ってきて、わざわざ二階の自分の部屋に上着をかけるためだけに上がるのは面倒だという気持ちもわかります。それに、そのあと出かけることになったら、また上着をとるためだけに、二階に上がらなくてはいけません。そうやって、相手の立場にたって、物事を考える必要があるんですね。 私の友達が、こんなことを言いいました。「長女は、何度叱っても、玄関で私の靴をふんづける!」と。あまりに頭にきたので、メチャメチャのギッタンギッタンに怒ってやったと・・・で、その後、彼女の家に行ったら、玄関に出ている靴の多さに驚きました。確かに彼女はうまいこと、他の靴を踏まずに靴の着脱をしていましたが、正直私は「これは踏んづけるだろっ」と思いました。実際私は、思わず踏んでしまいました(^^;) 腹を立て、子どもをメッタメタに叱りつける前に、履かない靴はしまう、処分する、置くスペースを新たに作る等すれば、こんなトラブルは起きないと思うんです。 こういうことを、色々色々、ちゃんと考えてからでないと、「わたしメッセージ」が本当の威力を発揮してくれないんですよね。相手は納得出来ないと思います。 あと、もう一つ注意しないといけないのが、こちらの不満を伝える場合、あくまで、その「行動」についてだけ、伝えなくてはいけません。 「だらしがないとお母さん悲しいわ」ではなく、「ここに物を置かれると、ご飯を並べられなくて、お母さん困るわ」みたいに、具体的な行動自体を言えば、伝わり方が全然違いますよね。 最後に、先日、私が使ったわたしメッセージを書いておきます。普段、言ってもなかなかやらない、言えばいうほどやらないローラに、 「ここにカバンを置いたままにされると、洗濯ものが取り込み辛くて、 とても困って、お母さん何だかとても悲しい気持ちになるの。 自分の部屋に持っていってくれない?」と言いました。 久々によ~く考えて、わたしメッセージを使った効果か、コタツに首まで入ってテレビを観ていたローラが、この言葉を聞いた途端、一瞬で飛び出して、すごい速さで、二階に片づけに行った姿には驚いてしまいました。 でも、頻繁に使っていると、そうはいきませんよ(^^;)それでも、ちゃんと意識して使っていると、すぐには行動しなくても、ちょうど立ち上がる用事があった時や、観ているテレビがCMに入った時などに、サッと片付けたりしています。言い方一つでこんなにも違うのだと、あらためて思います。 また、家族として、家の仕事を手伝って欲しい時、 「夕飯の支度を手伝ってもらえると、 みんなに早くご飯を食べさせてあげられるし、 その分、早く片付くから、 お母さん、とっても助かって、嬉しいんだけど・・ これ、お願いしてもいいかな?」 こんな感じでお願いすると、結構スムーズにいきます。 そんなに効果的なら、なぜいつもやらないの?と言われそうですが、でもね、こういう風に、色々色々考えたり、言葉を選んだりするのが面倒くさくて、結局は、あんまり使えなかったりするんです、私・・・(汗)時々思い出したように頑張ってみるんですが・・・(^^;) 自然に出てくるようになるくらい、練習しないといけないですね(汗) とりあえず、思いつくままに、パーっと書きだしました。専門家から見たら、間違っているかもしれないですが、あくまで私はなので、ご了承下さいませ。 あっ、あと、これは以前、親業のインストラクターさんに聞いたのですが、わたしメッセージは、子どもがお母さんを好きじゃないと逆効果だそうです。逆を言うと、わたしメッセージがうまくいくのは、お母さんのことが大好きだっていう証拠だそうです。ギクッ
2008.12.03
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最近、ドロシーは、色々なことに挑戦しています。と言っても、皆さんが聞いたら驚くような小さな挑戦です。 「ウチ(最近、自分のことをウチと言います) アルプス一万尺出来ないんだよね・・」「えっ?!」「教えてくれる?」 そうか、この子は・・・ ドロシーが小2の時に、担任の先生からわざわざ電話があり、「実はお母さん、ドロシーちゃんは、 出来ないことを一切やろうとしないんです。 他の子は出来ないことでも出来ないなりに、 ともかくやろうとするのですが、 ドロシーちゃんにはそれがないんです。 こういう生徒は、長い教師生活で初めて出会いました」 その時は「あらあら。。」ぐらいにしか思わなかったんです。今思うと、あの時に気づいておけばなぁと思うのですが・・・ 今私が保育している、学童の子どもたちの中にもいます。出来ないことをやろうとしない子。知らないことを「知らない」「教えて」と言えない子。 他の子は次々と新しい遊びを覚えてワイワイと盛り上がっていくのですが、誰かが声をかけてくれない限り、みんなの輪から少し離れたところで傍観者となっています。本当は覚えて一緒に遊びたいのに言えない。出来ない自分を見られたくない。だからはじめから挑戦しないのです。 ドロシーは不登校という形で、「お母さん、子育て間違っているよ」とサインを出してくれ、ようやく気づいた親が変わり、ドロシーも大きく変わりました。 アルプス一万尺なんていう些細なことですが、ドロシーはこれまで、言えなかった、挑戦出来なかったんですね。本当に申し訳ないことをしました。 今は学校でも、お友達に、出来ないことを「出来ないから教えて」と、素直に助けを求められる子ですよと、個人面談で先生が言って下さり、私は涙が出ました。 他にも、もっと小さいうちに出来たはずの色々なことに今、挑戦中です 昨日は、「逆立ちってどうやるの?」と言って、一生懸命練習していました^^;もう私より大きくなってしまったドロシー、支えてやるのも大変です^^; 先日、わさびにも挑戦しました。私が、子どもたちが食べないだろうなぁと思うものは、食卓に並べてこなかったので、好きなものばかり食べる子どもにしてしまいました。でも今は、何でも並べるようにしているので、少しずつ好き嫌いが減り、食べられるものも増えてきました。 小学生のうちに、子育ての間違いに気づけたこと、本当によかったなぁと思います。 2人の娘を見ていて思うのですが、バリバリ不登校児特有の性格だった(最悪な性格です←フリーページにあります)ドロシーですが、今はずいぶんと良い性格になってきました 人の言う事を素直に聞ける(決して抑圧によるものではなく)し、本当の意味で「良い子」になってきました。 同じように対応しているはずのローラの方が、今では心配の種です。こんなんで大丈夫だろうか?と思うことが多々あります。まぁ外ではちゃんとやっているようなので、そこは心配していませんが、家庭では、ただの干物、化石化していています。中学生の性格を変えるのは難しいです。 最近あまりにひどいローラの生活態度に、ついついあれこれと口出ししていました。もちろん、ローラの問題に口を出すのではなく、こちらが迷惑していることや、家族の一員としてやって欲しいこと等についてです。でも、言えば言うほど、自分からは何もしない、言われてもしない子になっていました。で、これはヤバいと思い、基本に立ち戻り、I(わたし)メッセージで言ってみたところ、驚くほど素直に態度を改めてくれました。やっぱり、Iメッセージはすごい!中学生には、特に、この手だな~(^^;)
2008.11.27
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本日2つ目の日記です。 gooブログをやっているお仲間にお聞きしたのですが、自分のブログへの訪問者が、どの言葉で検索しヒットしているかがわかるそうですね。私はネットが得意じゃないので、よくわからないのですが、楽天にもそういう機能ってあるのかな?よくわかりませんが・・・^^;「不登校」などの言葉で来訪される方たちが多いそうです。 子どもの不登校に悩んでいる時、色々な相談機関、お医者さんに相談される方が多いと思いますが、年々不登校児の数が増加していることからわかるように、そういったところで相談してもなかなか解決に結びつかないのでしょうね。でもそれってある意味、当然なことなんじゃないかなと思います。 何故かと言うと、そういう専門家と言われる方たちは、自分の子どもが不登校になり、それを克服した人ではないからです。だから「待ちましょう」なんて悠長なことを言えるんじゃない?って、正直、思います。なす術もなく、不登校に苦しむ子どもやお母さんを、「待ちましょう」という言葉で置き去りにしているのだと、私には思えてなりません。 また、同じ境遇の方々と慰め合って過ごしていれば、お母さんの心は一時的に癒されるかもしれません。私も初めはそうでした。そういう方たちに巡り合って、どれだけ救われたかしれません。でも、そうやって、「一人じゃないんだ」「私は悪くないんだ」「このままでいいんだ」と思ったとしても、根本的な問題(子どもの不登校)が解決されない限り、お母さんの身を削がれるような重い不安は消えることはないのです。だって、大切なわが子が、学校に行けずに、体調不良を訴えて、家の中にこもっているんですもの・・・ 出来ることなら、わが子には、元気に学校に行って、沢山の仲間に囲まれて、イキイキと人生を楽しんでもらいたい、親はそう願うものではないですか?幸せな人生を送らせてあげたい、そう思うものですよね。 自分の趣味に打ち込んで、考えないようにしたり、「このままでいいんだ」と、すべてを受け入れようとしたりしても、子どもは実際、苦しみの中にいるんですから・・・お母さんも本当には救われないんじゃないでしょうか・・・ なので私は、信頼出来る復学支援機関に相談されることが、一番良いと思っています。何故なら、一番大変なのは「復学後」だからです。その期間もずっとサポートしてもらえます。私は独学でしたので、本当にそれを痛感しています。 そしてもう一つ。それは、実際に自分自身が子どもの不登校を経験し、そして克服されたお母さんのお話しを聞くことだと思います。そういうお母さんたちは、ご自分の経験に基づいたお話しをして下さいます。そしてそういうお母さんたちが今、どれだけ幸せな気持ちで過ごしているのか、子どもがどれだけ逞しくイキイキと暮らしているか、それが答えだと思います。皆さん、不登校になる前よりも心豊かに穏やかに、感謝の気持ちいっぱいで、幸せに暮らしていらっしゃいます。 このブログのブックマークにある「おすすめのブログ」を書いている方々は、皆さん、不登校を経験し、克服された方たちばかりです。地獄のような日々を自ら経験された方ばかりです。もしまだ読まれていない方は、ぜひ読んで頂けたらと思います。 そこからとんでいくと、エンカレッジという支援機関のHPがあります。とても良さそうな支援機関ですよ。私は指導を受けたことがありませんので、支援を受けられた方のブログにいって、ぜひ相談してみて欲しいなと思います。 市の相談機関やお医者さん等、自分自身に不登校克服の経験のない人に相談しても、解決は難しいと思います。 で、最近思うのは、独学はね、かなり厳しいのかもしれません。お母さんが相当強くないと(図太くないと)←私のこと^^;?私は図太いわ!という方は、私やayamiさんのブログをおススメします^^;独学でやってきた道のりが書いてありますので・・・ 私もこれからがまた試練だと思います。一緒に、頑張りましょう! 追記:復学支援を受けた場合、正式なサポート期間は復学後半年くらいで、 先生にもう大丈夫だろうと判断されたら卒業なのだそうです。 その後は、何かあったら相談でき、 あとは、時々様子を知らせるそうです。 大きな問題が起きた時には適切な対応をしてくれるようです。
2008.11.26
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不登校を克服しても、休んだ期間の3倍はリハビリ期間が必要。とすれば、ドロシーはようやくリハビリ期間終了かな?といったところではあります。 日々の、イキイキと逞しく自分の人生を生きる様子を見ていると、ついつい、私も「もう大丈夫かな」と、気が緩んでしまうのですが、そういう時に必ずと言って良いほど、「いや、ちょっと待て、まだまだだぞ」と思うような出来事が起こります。と言っても、小さなサインで、以前のような背筋にビ~ン!とくるようなものではないのですが・・・ 体調不良だったり、寝起きが悪かったり、「学校行きたくないし・・」という言葉だったり・・・そんなのは不登校児じゃなくても、ODじゃなくても、誰にでもあることなのですが、以前の私は子どもの問題は自分の問題だったので、全身が心臓みたいに思えるほど、ドキドキしていました。 今は、そんな時にどんな受け答えをすれば良いかをすぐに思い出し、実行するので、事なきを得るのですが、そんな時にはやっぱり、「まだまだだな」と感じ、勉強を続けなければと思うのです。 また、日々の中で時々、「不登校児特有の性格」が見え隠れすることがあります。と同時に、「変わったなぁ~成長したなぁ~」と思うことも、沢山あります。娘たちの生活態度や、そうした小さなサインを見るにつけ、本を読んで勉強するにつけ、私のこれまでの子育ての間違いが理屈でハッキリとわかります。「こういう対応をしてきたから、こうなった」これは面白いほど明確です。 育てたように子は育つ。まさにそうだなと認めざるを得ません。 残忍な事件を起こした若者の養育歴などが放送されると、どこに間違いがあったのかが、わかるような気がします。 大事に育ててきました。友だちにいじめられたから、「ウチの子に関わらないで欲しい」とお願いして歩き、学校に行かせずに家に居させました。友だちのような親子でした。一緒に色々なところに行きました。 ( ↑ )これは岡山で、見ず知らずの人をホームに突き落して殺害した18歳の少年のお父さんの告白でした。(日本教育白書2008より) 事件後お父さんに送られてきた21通の手紙には、父親が知らなかった心の叫びが記されていました。私にはそれが、「社会に適応できる子どもに育てて欲しかった!」という叫びに聴こえました。どこに行っても友達とうまくやれない。孤独だよ!どうしたら友達が出来るの?!お父さん助けて!そんな叫びに聴こえました。 「現代は、子育てに知識と意識的努力が必要になってきている」(田中喜美子) 私も「もういいかな~」という心の囁きに負けぬよう、今日も勉強したいと思います。(今日はお仕事お休み~♪) 小学校での不登校経験は、中学に行ってからまた不登校を起こす確率が高いそうです。就学通知がきて、意気揚々と制服の採寸等をしているうちはさも元気に通えるものと思うのですが、入学式だけ、2、3日、一週間、一ヶ月の間に休みだし、ここで休んでしまうと、中学生活そのものがわからず、部活の仮入部から入部へ、先輩・後輩の問題、英語・数学がチンプンカンプン、教科別の9人の先生の名前や顔すらわからない状況になってしまいます。 また女の子は特に、誰とでもうまくやれる協調性を親が育んでやらなければ、ほとんどが友達関係でのつまづきにあいます。子どもにとって学校に行くということは、学校そのものよりも友だちの中にうまく溶け込めるかの方が、大きな問題なのです。 中学生になるまでのあと4ヵ月、心してかからなければ・・・ 子どもに自立心と協調性をつけ、みんなと関わるための善悪と常識と社会性を身につけさせる、それには、親が変わること、そして戻らないことですね。学校という社会で楽しい生活が出来る子どもでいさせてあげたい。ガンバリマス
2008.11.26
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今年もあと1ヵ月半ほど、ここにきてだいぶバタバタしてきました。明日から真冬並の寒さということ、皆さんも風邪などひかぬよう、お体を大事にして下さい ところでドロシー、習い事を始めました。実は、この「習い事」の部分は、私たち親子にとって、トラウマとなっている部分でした。 以前、ドロシーとローラは同じダンススクールに通っていました。そして、そのスクールでは、レッスンは親がスタジオに入って見学、頻繁に発表の場があり、親が同行でした。ともかく、親の関わりが多いスクールだったのです。 私はそれ以前からストリートダンスをやっていて、なまじダンス経験があるために、子どもたちのダンスに手出し口出しをしてしまいました。ドロシーやローラよりも小さい子がすぐに振り覚え出来るのに、2人はなかなか覚えられないのです。「どうしたらいい?」「それはもう練習しかないでしょ」ということで、私は先生に許可を頂いて、レッスンを毎回ビデオ撮影させてもらい、自宅で子ども達と特訓しました。ところが少しやると座り込んでしまい、私からすると、2人共真剣味が足りないように思いました。 「自分がやりたいって言ったんだよね?!教えてと言うから、お母さんは教えているのに、何でそんなにいい加減なの?!あなた達、自分より小さい子より下手くそで悔しくないの?!それよりもなによりも迷惑でしょう?!やる気がないなら辞めちゃいな!でも言っておくけど、この程度の努力が出来ない人間は、何をやってもダメだから!努力が出来ないという時点で、向いてないよ、あなた達!お母さん情けない!こんな子に育ったなんて、ガッカリだよ!」 書いていて恐ろしいけど、こんなような事を言っていたと思います。 私は勉強に関しては、あれこれ言うタイプの親ではなかったのですが、いま思うと、道徳とか倫理にうるさい親でした。迷惑になるとか、誠意を見せるとか、そういうことに異常にこだわる性格だったと思います。でもそれは結局、人格否定のようなものでした。そして私の本当の心は、道徳とか倫理ではなく、エゴばかりだったことを、今なら理解出来ます。 結局、そこのスクールは2人共辞めました。その後、ローラはすぐにエイベックスに移ったのですが、ドロシーはそれ以来、何かやりたいと思っても怖くて始められなくなってしまいました。 また、プーは元々、「やりはじめたことは簡単に辞めてはいけない。3年は続けろ」と厳しく言うタイプだったので、続かなかったらどうしようと思うと、何も始められなくなってしまいました。その後、不登校になり、私は色々学んでいくうちに、自分がした大変な失敗に気付き、深く深く反省したのでした。 でも一度コテンパンに自尊心を打ち砕くようなことをしてしまった為に、ドロシーは長いこと習い事をすることが出来ませんでした。なので今回習い事を始められたこと自体は、ようやくトラウマ克服か?といった感じです。 家族心理学者のジョン・ロズモンドは「習い事は良くない」と言っています。理由は、「親子共々ストレスになること」と「自立心を妨げるから」です。少なくとも習い事は一つまでで、親の関わりの少ないものにということです。 吉岡先生も習い事は、自分で通えるところにと言っていました。 今回、ドロシーが習い事を始めるにあたって、私もその辺をよく確認し、考えて決めました。小学生のうちに習い事のトラウマを超えておきたいので、ドロシーの「チアダンススクールに通いたい」という言葉には笑顔でOKを出しました。で、スクールを決める基準として、親の関わりが殆どないところにしました。そこは、自分で通えるし、親の見学はなし、発表の場も少ないところなので、親子でストレスを感じずに済みます。正直、そんなにレベルも高くなさそうで、先生と子ども達でともかく楽しくやってる感じです。親が見なくて済めば、口出しもしないで済む、だから子どもの自立心を妨げる心配もありません。そしてドロシーは、楽しくチアダンスが出来ると思います。 日本人が子どもに何かやらせようというときは、ほとんどの場合、みんなが行っているから、みんながやっているから、ということが判断の基準になり、それをしないではいられなくなるのです。よその子がここまでできるのに自分の子はできない。自分の子に何かができるできないかは、「みんな」が標準になるのですから、少なくとも平均的なところまではレベルアップしてもらいたい。犬かきで水と戯れているわが子のそばを、素晴らしいクロールですいすい泳いでいる子がいれば、母親の心はとたんに、自分の子にもクロールを教えなきゃ!というさざ波が立つのです。よその子と比べるということになると、これは悲惨です。よく出来なければ出来ないなりに、よく出来れば出来るなりに、お母さんは子どもを追い詰めてしまいます。昔と今との違いは「競争が母親の目の前で繰り広げられる」ことです。(いじめられっ子も親のせい?!より) 一世代前はおそらくこうではなかったはずだ。親は忙しくていちいち子どものお稽古ごとやスポーツ教室につきあう暇などなかった。今は幸か不幸か、自分の目の前で、わが子を含む子ども集団が何かを競う現場に居合わせられるほど、母親にゆとりが出来てしまった。そうなるといやでも自分の子どもを凝視し、ほかの子どもと比較するようになる。競う相手がちょっと知った子だった場合、競争はさらに「現実的な日々のドラマ」の様相をおびてくる。(子どもに手を上げたくなるときより) 習い事はいわば危険行為でもあります。基本は子どもが一人で通えるところ、親の介入(見学等含)がない、又は少ないところを選ぶ。そうでない場合は、出来るだけ口を挟まないよう、気をつける。 これが大事かなと思います。
2008.11.18
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昨日こんな話を聞きました。「文字だけでは7%の気持ちしか正しく伝わらない」こうやって書いていても、私の言わんとしていることや気持ちは、たった7%しか伝わらない・・・ということは、あとの93%は?受け取る側がどう捉えるかにかかっているということ?マ、マジで?!せめて70%位は伝わっているかと思ってた・・・でも確かに、ここにいる私は普段の私からはかけ離れている。リアル友が読んだら多分腰を抜かす位ダークな私だと思う。普段は見せない私の中の1%くらいのダークな部分、更にその内の7%しか伝わっていない。じゃあもうそれは、架空の人物だな・・・こわっ!
2008.11.13
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