ひなたぼっこルーム

肉球日記。もんどと気まま

もんどについて。その1。 2003,5,15


私は子供の頃から動物が大好きだったが、母が‘死んだらかわいそうだから’とずっと動物を飼う事を許可してくれなかった。

16歳になって、何度も、何度もお願いし続けた結果、やっとの思いで許可がおり、私の誕生日の一日前、父と一緒に小犬を買いに上機嫌で出かけていくことができた。

なんだかうす暗いペット屋さんだった。母は紀州犬が欲しい、と言ったので、‘白い犬’を私は探していたら、そこに生後約5ー6ヶ月になろうか、
その‘白い犬’はしっぽを振って、とってもかわいくて、かしこそうに私を見つめ返した。

‘お父さん、この犬....’と指差しながら振り向くと父は全然見向きもせずになんだか楽しそうに店の人と一緒に他の犬を見ていた。

私は‘どんな犬だろう?’と思いながら父の見ている子犬のほうに寄って行った。

そこにはふわふわの毛をした2匹のもっと小さい、生後2ヶ月になるか、ならないかの小犬が2匹並んで毛玉のように小さくなっていた。私はそのうちの一匹を手に取ると、その子はしっぽを振って私の手を舐めはじめ、私はすっかり夢中になった。
かわいい、女の子だった。

私はてっきりその女の子を連れて帰るのだと思っていたのに、父はもうすでに交渉済みらしく、もう一匹の、抱いてもまだぐっすり眠ったままのほうの子を選んでいた。

子供心にも、‘どうしてこんなおっとりな子を....’と不思議に思えずにはいられなかった。そう思いつつも、その小犬は小さな箱に入れられ、私達は家路へと向かって行った。電車でそう遠くない場所だった。

改札を通り、電車を待っている間もその小犬はひたすら眠り続けていた。
さすがに私も気になって‘大丈夫かなあ?’と思った矢先、電車がけたたましい音を立てながら到着した。

その時、やっと、その小犬はびっくりして箱の中でグルグル回りながら‘うわああっっ!僕はどこにいるのっ!?なんなのっ!?このおっきい音はっ!?’と言ってるようで、私も父も大笑いで、でも優しく‘夜明けの行灯’と言いながら頭をなでて落ち着かせたのだった。

またもや深い眠りについた、その子を家に連れて帰ると今度は母が、
‘こんな犬、紀州じゃないっ!’と大憤慨。そうだった。。すっかり忘れてた。条件だったはずの‘白い犬’。。。。
その子は薄茶のムクムクちゃんだった。。。。。

そんなこともお構い無しにそのムクムクはぐっすり眠っていた。

夕食時、‘夜明けの行灯’の話をして家族と大笑いをしていた時私の兄が
‘中村主水みたいやなあ’とつぶやいた。関西では有名なテレビ番組‘必殺仕事人’の主人公の名前だった。

そして、このムクムクの名前はすぐさま、簡単に決まった。‘もんど’と。。。


baby mondo 1




もんどについて。その2。 2003,5,18



もんどはスクスク、なんの問題もなく育っていった。病気もせず、悪さも程々で、走るのが大好きだったもんど。誰からにもかわいがられ、人が大好きだったもんど。母は番犬にしたかったようで、的が外れてしまい、愛玩犬だということをなかなか認められなかった。

私はもんどになんでもしゃべった。好きになった男の子のこと、学校をずる休みしたこと、楽しかったこと、嫌だったこと、もんどは愚痴でも何でもただ側にいてるだけでうれしそうだった。

もんどは3歳になっていた。元気はつらつの頃だった。

私の父が急死したのだった。

半狂乱になる母、ただ、おろおろするだけの兄。。。私は何が起こってるのか把握するのが精いっぱいだった。

そんな時、もんどが怒り狂ったように吠え出した。あの、人が大好きな、もんどが。しかも、今までに聞いたことのないような、全身の毛を逆立てて。

あわてて玄関に行くと見知らぬ男性がおびえながら隅っこに立っていた。
なんとかもんどをなだめ、その男性は家に入っていった。
もんどはそれでもその人の後ろ姿をずっと睨んでいた。どうしたんだろう?あんなに優しいもんどが?

その男性は父の会社の同僚だった。母に安心して葬式は自分に任せろ、と言っている。母も兄も混乱状態の中、すがる思いでその人に頼ろうとした。

なぜだか、知らない。けれど、その時、私は‘だめだ!もんどがだめって言ってる!’と伝えようとしたけれど、もちろん聞いてはもらえなかった。

葬式の日もその男性は来た。そして、もんどはまたもその人にだけ、毛を逆立てて吠え立てた。まるで私に‘こいつを追い出してっ!’といわんがばかりに。無力な私は何もしてやれず、ただただ、困惑してしまっていた。
ただ、その直後に彼がまるで、吐き捨てるように‘うるさいなっ’ともんどに言ったのを私は聞き逃さなかった。

葬式も無事終え、その後、何もなかったかのように誰かれかまわずにしっぽを振っているもんどを見ながら、どうしても、附に落ちなかった。

父の49日が来た。
品の良さそうな女の人が、父との古くからの友人で、お線香だけ上げさせてくれとやって来た。
もんどはしっぽを振って迎え入れている。
その人が帰った後、母と兄は真剣に何やら話し込んでいた。そして、葬式の時の帳簿も確かめていた。どうやら、計算があわないらしい。

その女の人はもんどが吠え立てた人のお金の使いぶりなどをそっと教えてくれたのだった。

。。。。。もんどはずっと、知っていた。。。。。

私はもんどの無邪気な顔からあの日の事件を想像できなかった。なんの取り柄もない、といつもみんなから笑われながらも愛されていたもんど。‘お手’と‘おすわり’と‘ねんね’くらいしか覚えられなかったもんど。ボールを投げると受け取ることも、よけることもできずいっつもボールに当たってたもんど。。。。

その後さらにわかったことは父が亡くなる前日、めったにないことに、父はもんどと散歩していたと言う事だった。。。。


happy mondo




仔猫の気まま。 2003,5,28




父の突然の死が長年患っていた肝臓をさらに悪くして母は入院から3ヶ月の後、まるで父の後を追うかのように亡くなってしまった。

兄はもうすでに仕事場の寮に引っ越していたので私は1年前まで4人家族だったその家にたった一人、残されたような形で住んでいた。私は二十歳になったばかりだった。今でこそ、トラウマとかよく言われているけれどその当時の私にそんなこと知る由もないし、とりあえず、食べていくには仕事をしなくては、と昼は動物病院のお手伝いをし、夜になると眠れないくらい怖くて寂しくて酒を横に眠れるまで飲んでいた。

もんどは母が‘番犬’にしたかったがためにずっと玄関先から部屋に入ることは許されていなかった。けれど、私はもうそんな馬鹿げたルールなんてどうでもいいからもんどには部屋にいて欲しかったし、もし私に何かあったらもんどだけが守ってくれると信じてもいた。
もんどは急な待遇がうれしかったらしくそれ以来玄関にあったベッドを使う回数がどんどん減っていった。

その頃、バンド仲間の友達が働いている楽器屋さんに入り浸っていた。大きな音で練習するバンドの音楽が全てを打ち消してくれるような気がした。心の通い合う友達と他愛のないことを話すだけで、いつもあんなに長く感じられる夜が短くなるようで安心していたのかもしれない。

あの日も同じようにその楽器屋さんでくだらない話をして友達の仕事の邪魔をしていた。いつものように大きな音楽もかかっている。そんな時だった。私の耳が何かいつもと違う音を聞き取った。即座に周りにいた友達に‘ね、今何か聞こえなかった?’と尋ねた。もちろん、大音量の音楽の中、そんなかぼそい音を耳にするはずがない。気のせいか、と気を取り直してまた会話に参加した。ところがすぐさま、私はまた、さっきの音を耳にしたのだ。
‘ね、やっぱり何か聞こえるよ、ちょっと見て来る’と私は外へ出てみた。
周りを見渡したがやっぱりなにもそれらしい音は聞こえない。なんだったんだろう。。。そう思いながらやっぱり勘違いだったということにして、店に入ろうとした時、私の耳がまた、その音を捉えた。どこ?やっぱりなにか聞こえたよ。どこなんだろう?その音のほうへ近寄ってみた。ごみ場所のある路地のほうだ。なんだろう?その音はどんどん大きくなってきた。そして、音は仔猫の叫び声だったこともわかった。

仔猫はよちよちと私のほうへ走って来る。
泣きながら、まるで‘やっと、見つけたよ!’と言ってるかのように。
ずっと、ずっと、私を探していたんだ、というように、必死になって。

動物病院で働いてはいたものの、猫はあんまり言うほど好きじゃない、と思っていた。もんどの散歩道で野良猫に威嚇されたりしていたからだろうと思った。

私はその仔猫を抱き上げた。とにかく、連れて帰らなきゃ、しか頭に
なかった。‘自分で飼う’とかって言う気持ちもなかったように思う。ただ、ぐちゃぐちゃになったその仔猫の目をふいてやって病院へ連れて行かなきゃ、だけは思っていた。

段ボール箱にいれてとりあえず、家に連れてかえった。明日は病院へ連れていって、とかいろいろ考えながら。。。いつも野良猫にいじめられているもんどはどうしよう。この仔猫をいじめないかな、とそればかり心配だった。

家に帰り部屋の中でそっとその段ボール箱をあけてその仔猫を見たら疲れたのか、ぐっすり眠っている。私はもんどに恐る恐る紹介した。段ボール箱を覗き込んだもんどのあの顔は忘れられない。‘この子、新しいうちの子だね?早く一緒に遊びたいなあっ!’というようにしっぽを一生懸命振っている。ちょっと意外な反応に私はショックを受けていた。というのも、
もんどは他の犬達が大嫌いだったのだ。でも、猫は大丈夫????

ともあれ、それからというのは毎日、毎日、ご飯や病院やでけっこう駆けずり回っていたように思う。元気になったその仔猫はもんどが先住人だというのもおかまいなしに猫キックをしている。もんどもなんだか、うれしそうにそれを受け止めて、まるで、ちいさいおもちゃと戯れるかのように遊んであげている。毎日が少し、変わったような気がした。私は少なくとも笑う
事ができるようになってきた。私は猫って犬と違って、勝手気ままな生き物だから、という理由で、その仔猫に‘気まま’と名付けた。

今本当に思うのは私が気ままを見つけたんじゃない。彼が私を見つけてくれたんだ、ということ。

ずっと昔、まだ小学低学年くらいの頃、捨て猫をなんども拾ってきては鬼のように怒った母にしかられてまた、捨てに行かされた、ということがあった。私はあの時いっつも辛くて母を恨めしく思った。なんとかしてやりたい、と思う子供の心は‘また捨てに行かなければいけなかった’ことにひどく罪悪感を感じていた。

気ままが私を見つけてくれるまで、ずっとこの罪悪感があったから、‘猫は嫌い’と言っていたんだ、と気が付いた。昔、昔、本当は猫のこと、大好きだったんだ。助けてあげたい、って思ったんだ。でもできなかった。。。。気ままはそんな私を見つけてくれ、こう言った。

‘もう、できるでしょ?僕を育ててよ。そして、子供の自分に‘さよなら’って言いなよ。’と。。。。


baby kimama




もんどと気まま、そして私の新しい旅立ち。 2003,6,1



もんどと気ままはそうしてとっても仲良く、一緒になって寝るくらいの仲良しになっていた。

私にも付き合ってくれる彼氏ができた。アメリカ人の留学している大学生だった。その彼ともつきあってまだ3週間になるかならないかの時だった。
映画に行こう、と迎えに来てくれたのに私はまだ準備ができていなくて家に上がってもらうことにしたのだ。しばらくして、やっと用意ができ、さあ、行こうかと、彼が靴を履こうとした時だった。

もんどは彼の靴の中におしっこしていたのだった。。。

‘えー!何っ!これっ!あーっ!もんどおっ!’まったく、はずかしいやら、おかしいやら、でも、もんどはあいかわらず、怒られているのも気にしないかのようにしっぽを振って私達を見ている。私は彼の様子をこわごわ伺った。彼はしばらくあ然とし、ポツリと

‘僕の一張羅。。。’

あわてて私は‘ごめんなさいっ!新しい靴、私、買うからっ、もんどはこんなこと、する子じゃないのっ!しつけはちゃんとできてるのに、私もどうしてこんなこと、今日に限ってしたのかもわからないの。ごめんなさいっ!’

心中、あーこれで彼ともお別れだ、こんな恥ずかしいこと、まだ3回目のデートだったのに、と思っていた。

‘これじゃあ、遊びにも行けないなあ。’

...やっぱり...

‘どうしよう。。。ほんとにごめんね。’

すると彼は‘靴、洗って、乾かさなきゃいけないから、その間、ピザでもおごってよ。’と微笑んだ。屈託のない彼の顔を私はまじまじと見つめてしまった。そのまま怒って(というか、あきらめて。)帰ってしまうとてっきり思い込んでいたからだ。

その日はピザを注文し、とにかくいろんな事を話し、楽しい一時を過ごした。もんども気ままも私達のすぐ側でくつろいでいる。彼もすっかり打ち解けていた。彼が帰った後、もんどのこの行為が納得できずに横目でにらんでいたのだがもんどはただ、しっぽを振るだけだった。

彼と付き合って1年半という月日が過ぎた。彼はホームシックになっていた。あるデートの日、彼はアメリカに帰りたい、とこぼした。私達はどうなるんだろう。。。

長い間話し合った。

‘アメリカに一緒に来る?’

これが、彼なりのプロポーズだった。

‘どうしよう、行ってもいいけど。。。’

これが、私の答えだった。

そして、次の日、私達は領事館へ行き、言われるまま‘イエス’と答え、区役所へ行き苗字を変え、はんこを押した。
結婚式もシャンペンも記念撮影もお祝いも何もないままの結婚だった。

彼はアメリカのコロラドへ先立った。私は日本に留まって荷作りや、ビザを取る準備で毎日を過ごした。

もんどと気ままをどうするか。。。。。友達に里親になってもらおうと相談したけれど誰もできなかった。後は保健所だけしか残っていない。。。近づく出発予定日。。。

私はあわてて国際電話をしていた。
‘あのね、大事な相談があるの。’
‘どうした?’
‘もんどと気ままのことなんだけど。。。’
‘飼い主、決まったの?’
‘ううん。。見つからなくて。’涙声になっていた。

‘あとは保健所しかなくて。
それだけは私なにがあってもできない。’

もし、もんどと気ままを連れて行けないならこの結婚は無理かもしれない、私はそこまで考えていた。

彼はいとも簡単に‘連れてきたらいいよ。条件付きでね。’と言ってくれた。

私の顔が見る見る明るくなった。

‘え?で、その条件って。。。?’

‘気ままが僕の飼ってる魚にちょっかいを出さないこと。それから。。。’

‘それから?’

‘君がもんどと気ままと一緒に来ること。’

そうして、もんど、気まま、私の2匹と1人の大引越しが決まった。飛行機で20時間もの引越し。

もんどはやっぱりしっぽを振っている。まさか、まさか、よね?あの時おしっこしたのが縁だ、なんて考えてるの、もんどだけよね?
気ままは横目でもんどを見ていた。。。。


mondo and kimama





神様の瞳。 2003,7,31




私は23歳、彼は20歳という、まだまだ大人になるには若すぎた2人が‘結婚’の意味もわからないまま一緒になった。子供がままごとをするように、手探りで暮らす生活だった。私は日本にいたたくさんの友達と別れたこと、カルチャーショック、英語での毎日、彼は私への気配り、仕事、家族のいざこざ、とかなりのストレスとプレッシャーが覆っていた。

それにもまして、遊び好きの2人は毎日毎晩、どんちゃん騒ぎのパーティに明け暮れてもいた。遊び半分にドラッグにも手を出した。
この-パーティ-夜遊び-ドラッグ-金欠-ストレス-の堂々めぐりはずいぶん長い間続いた。そして、ドラッグはもう、‘遊び’ではなく、‘生きるための必需品’と変わり果てていた。何度もやめよう、とした。そして、いつもその志は夜の闇に葬られ、気が付けばまた自分でもどうしてやっているかもわからないのに、体(脳)だけが一人歩きしていた。

私達は‘どん底’にいた。

お金もなく、仕事も続かず、自分ばかりを責めていた。惨めで情けなかった。

ある日、いつものように家にあるお金の全てを使い切りドラッグを買い、いつものように朝までふけっていたら急にだんなが‘俺、今からカウンセリングに行く’と言い出した。まだ、頭ももうろうとしていたから、‘好きにしてよ。’と放っておいた。

彼はその日以来、ドラッグから一切手を切った。

私はまともになった彼を羨ましい、と思いながらも‘いつまた手を付けるかわからない’と自分に都合のいい理由をつけて彼に隠れてまだ続けていた。
仕事に行った彼を見送った後、いつものように、まるで、儀式の始まりのように隠していたドラッグをテーブルに置いた。

どれくらいの時間が経っていたのかわからない。

ふと横を見ると、もんどと気ままが私をじっと見つめていた。
いつもなら、別の部屋に閉じ込めておくのに。
‘なに見てるのよ、どうしてそこにいるのっ!?’
ものすごい罪悪感が襲って来た。

‘情けない。’

自分の犬や猫の顔がまともに見ることができないなんて。
涙がポロポロあふれて私はもう、どうしていいのかわからなかった。

もんども気ままも、泣きじゃくる私をずっと見つめていた。
泣くだけ、泣いて、ふと顔を持ち上げると

‘今まで辛かったね。’

と言うかのようにもんどは私のひざを舐め、気ままは私の側でぐるぐる言い出した。私は‘ごめんね、ごめんね。’と何度も何度もあやまった。

何を責めることもなく、彼らは側にいた。
何を咎めることなく、彼らは私を見つめていた。

‘辛いよね。’‘悲しいね。’‘もう大丈夫だよ。’

と言いながら。
彼らの瞳が、私を救ってくれた。

無慈悲の愛。

動物界では一番優秀とされる人間の一番不得手なこと。

誰に許してもらいたかったのか、わからない。
誰に認められたかったのか、わからない。
不安と罪悪感と自己嫌悪ばかりの毎日だった。

私は宗教もなにもないが、以前読んだ詩を思い出した。

‘その男は嘆いた。-主よ、あなたは一度全てをあなたに委ねたら
何があっても見放さない、とおっしゃったではないですか!?
でも、こうして私の人生を振り返ると、いつもなら2つある足跡が
辛かった時や悲しかった時、たったひとつの足跡しか残っていません。
私にはわかりません、どうして、私が一番あなたを必要とした時私を見放されたのですか?

-主は答えた。-おお、我が愛しい子よ、お前を本当に愛しているよ、決して見放さないよ。お前が一番辛かった時、お前がたったひとつの足跡しかみつけられない時、それは私がお前をかついで歩いたからだよ。-’

ひとりぼっちでこの人生を歩いていると思っていた。
もんどと気ままは‘ひとりじゃないよ、一緒に歩いてるんだよ。’とずっと言い続けてたに違いない。私がその声を聞こうとしなかっただけだった。

父の死も、母の死も、友人の死も、兄とのけんか別れも、国際結婚をした後の親戚からの冷たい目も全部私の責任だと思い込んでいた。私のせいで、みんなを苦しめていると思っていた。誰も許してくれない、とずっと信じてた。

もんどと気ままは囁いた。
‘自分で自分を許さない限り、他の人を許す事はできないよ。’

許さなければならなかったのはこの私だった、なんて。

その後、だんなと私は今までのこと、全部話し合ってお互いを許しあった。
亡くなった父に届かない手紙を書いた。
‘今までありがとう、そしてさようなら。大好きだよ。’と。

あの日以来ドラッグには手を出していない。
ドラッグを絶って6ヶ月後、私達は小さな家を買うことができた。
1年後、彼と彼の兄ちゃんの経営するバーが波に乗り出した。
去年、私達は結婚10周年を迎えることができた。

小さな瞳の奥に神を見出したのは私だけじゃ、きっとないはず。。。。。。


pretty mondo

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