ひなたぼっこルーム

ほのぼの、のろけ自慢。(1)

キオーテスとサンチョス。

2003-02-09

1995年8月9日ヒッピーの元祖、グレイトフルデッドのリードギター&リードシンガーのジェリーガルシアがドラッグのリハビリ中心臓麻痺で亡くなった。

1995年11月末サンクスギビングデーにだんなの兄ちゃんがジェリーへの感謝と敬意を込めてヒッピーなバー、‘Quixotes True Blue Cafe’をダウンタウンからかなり離れた、しかもあまりガラも良くないストリートにオープンして約7年と少し。ジェイ、フィル、エリックの3人兄弟はけんかもし、(時には殴り合いも。)まったくの収入なしから始めたこのビジネスがなんと今では4つのバーの経営者になっていた。今でも3人の意見はバラバラで、でもそのバラバラ差がなんとなくバランスがとれていて、お客様はどんどんやってくるらしいのだ。

エリック(私のだんな。)は2件めに開けたバー、‘サンチョスブロークンアロー’でマネージャーをし、フィル(長男)はサンチョスと3件めに開けた‘ダルサンネーズ100モンキーズ’の経営をし、ジェイ(次男)は‘キオーテス’と先月開けた‘サルバンテスマスターピースシアター’で走りまくっている。

2001年、まだキオーテスとサンチョスだけだったにも関わらず、サンチョスがレッドフックというビール会社のセールスがアメリカ全国、しかも酒屋も入れて、ナンバー1の記録を作って大騒ぎになり(だいたいどれだけの飲兵衛がデンバーにいるのかも問題よねえ。。。。)めでたくもエリックと私はシアトル(イチローっ!)に本拠地をおくそのビール会社に招待され、そこの社長さんとまでお会いすることができ、しかもシアトル滞在中のホテルもダウンタウンの真っ只中で向こうさん持ち、(ラッキー!)その上、ニューヨークヤンキーズ(ゴジラああああっ!!)大好きな2人はシアトル対ニューヨークの野球観戦までしてしまい(もちろんチケットは向こう持ち。ふふふ。)ヤンキーズ楽勝で感動し、大魔人を真近で見る事もでき、シアトルではイチロー寿司が売店で売られている事に驚きながら思いがけないバケーションができたこともあった。

注)ここで野球のチケットを取るように命じられた人は必死に奔走したらしい。なぜなら社長から‘チケット獲得せえへんかったらお前はクビじゃ’と脅されたから。。。サンチョスって一体。。。(汗。)

その後もコンサートやスポーツ観戦ではバドワイザーの特別席(ビールも食べ物もただの食べ飲み放題。しかもトイレもあるので長い列で我慢しなくてもすむ。)のチケットを頂くこともあり、一番最初に始めたキオーテスの頃からは考えられないくらいの発展だった。

今日、2月8日、デンバーの有名新聞(日本じゃ毎日新聞とか、読売新聞というとこか。)のエンターテイメントの表紙と記事2ページ写真付きで堂々と彼らは登場したのだった!
注)アメリカの新聞は分厚い。スポーツはスポーツだけのセクションがあり(それが約15ー20枚。)セクションは7ー8つに別れていてそれが1つの新聞になって売られる。週末新聞は1ドル。普段は50セント。

私はよくがんばったね、と思わずにはいられなかった。だんなのほうは相変わらず、新聞に載ったことよりもその影響でまた商売繁盛することのほうがうれしいような顔をして何事もなかったかのように仕事へ行ってしまった。

今日はこのスペースをお借りして3人兄弟を祝福したかったわけである。


おめでとぉうっ!!!



のろけ話。

2003-03-08

だんなが仕事から帰って二人でくつろいでたら急に‘ボンジョビのチケット、出してくれる?’と聞いてきた。

日本から帰ってまっ先に行く予定のボンジョビのコンサートのチケット。今回CDを買った特典で普通販売よりも少し早くチケットが買えることができ、なんと前から36番目を確保してコーフン状態だったのだ。

だから、‘なんで?’と聞くと彼はいとも簡単に‘そのチケット、売らなきゃなんないんだ’と、答えるではないかっ!
パニクった私は‘やだやだやだやだやだ、やだっ!!!’と半泣きで抗議、彼は‘とにかく金がないんだからっ!’とつっぱなすではないかっ!?‘そんなら車売っちゃえっ!チケットは私の血と涙と汗で獲得したものぉぉっ!!’必死になる私は本当に涙がでてた。真剣な顔で彼は‘チケット、売るんだよ’と言った。

ひどい、なんてひどいことするんだっ!どうしてそこまで金欠にしておいて、一言もいってくれなかったんだっ、どうして、こんな冷血野郎と結婚しちゃったんだっ、私達の関係はこの一件で離婚の危機に陥るかもしれないじゃないかっ!!!!!

どんどん膨れ上がる妄想と怒りのあまり、チケットを破いてやろうかとも思った。チケットを彼に投げ打って気分晴らしにジャックダニエルを一気に喉に流し込んだ。

だんなは‘75ドルの価値があるからダフ屋だと120ドルくらいで売れるかな。’なんてことをこの哀しみと怒りに浸っている私にのうのうと言うではないかっ!!!もう腹が煮えくり返って、私は言葉もでない。

しばらくして、‘ああ、そうそう、これ、お前にやるよ’となんだか白い封筒をよこして来た。

開けて見ると....

開けて見ると....

ボンジョビのチケットが入っていた。
しかも前から‘8列め’....

彼はぽっつりと‘だからお前のチケットは売らなきゃなんないんだよ’と言った。

このびっくり、あんまりにもびっくりなので私の騒ぎぶりは普通じゃない。‘なあんでっ!?どおしてこんなことしたのよっ!36番目でも充分うれしかったのに、前から8番目なんてっ、奇跡よっ、これはっ!!’

だんなはちょっと照れくさそうに‘だって、ボンジョビは‘お前の’バンドなんだろ。’とつぶやいて横を向いてしまった。

‘でも、だからってなにもそんなまでしなくてもよかったんだよ。’って言うと‘俺がそうしてやりたかったんだ。’ともごもごしながら彼は微笑んだ。

‘ありがとおおおっ!ほんとにありがとおっ!’あの、魔の妄想はどこえやら、完璧ラブラブモードに入った私でした。。(汗)

こういう仕掛け付きのびっくりが彼は大得意だ。友達にそんなのろけ話をしたら‘いいねえ、彼、あなたの事本当によくわかってるねえ。’と羨ましがられた。

相手を喜ばせるにはその人が大切に思ってる事を自分も大切に思うことなんだな、って気付いた。

いいだんな様で、私は幸せものだと、つくづく思い知らされる。。。



ただいま。

2003-03-30

26日に無事、日本からコロラド、デンバーに帰ってきた。LAに着いたとたん、後はもう帰りたいの一心。

おかしなもので日本に行く時も‘帰る’と言い、デンバーに行く時もまた‘帰る’になる。2つの国に‘帰る’場所を持つ私は贅沢者だな、と思う。

デンバーを発つ日はだんながギリギリまで一緒に空港にいてくれ、そして‘気をつけてな。’と別れのキスをおでこにくれる。

日本の空港に着くと友達がお迎えに来てくれ、
‘お帰り’と笑ってくれる。

そしてデンバーへ‘帰る’時も何人かの友達が見送りに来てくれ、

‘気をつけてね。’と言って、こらえきれず涙を流してくれる。

やっとの思いでデンバーに着くと2週間という、長い休暇を与えてくれた優しいだんなが花束持参で空港で待っててくれた。

‘おかえり’、と言って。。。。

本当に私は贅沢ものだ。けれど、愛されているというのはそんなに悪い気はしない。だってその分また私も愛するということをみんなとわかちあえるから。。。。


庭いじり+虫=ぎゃあっ!

2003-05-06

毎年咲くんだと思っていたデイジーがなかなか戻ってこない。おかしいな、と思って植木屋さんに聞いて見ると‘ああ、その種のデイジーはコロラドじゃ育たないんだ。カリフォルニアなんかだと毎年咲くんだけどね。’と言われてしまいちょっとがっくりしながらコロラドでも毎年咲くデイジーと、ポピーと菊の一種を買って家に帰った。

がっくりしたのは‘思い込みだった’というのともうひとつ。実は去年の春から夏にかけて友達とだんなと私の3人で前庭を大改造して、ロックガーデン+ドロップシステム=ゼロスケープという方法にしたのだった。というのも去年、コロラドはひどい水不足に襲われ、しかも私の前庭の芝生はもう雑草だらけの、芝生と言えるのか疑問のあるものだったということも手伝って、それなら水をあまり使わずに手のかからないゼロスケープにしよう、と11トン(!)ともいうロックを3人で運んだのだ。

で、がっくりした理由がそのデイジー達はその11トンものロックの中に植えた物達だったのだ。。。。帰り道、ロックをかきわけながら新たに植えなければいけない21個のその花たちを見てため息がでた。

買った花たちとスコップを手に庭に出た。風のきつい一日だった。さて、まずはポピーからっと。1つめ、問題無し。2つめ、3つめ指はロックをかき分けなきゃいけないから痛かったけど、順調に進んだ。さあ、あともう2つ。

あ、みみずだ。。。。。やだなあ。。。でもお花さんの味方だから、殺さずにどこかへ行ってもらおう。スコップでちょっと動かして見る。動かない。。。。

動物もヘビもカエルも大丈夫なんだけど虫はどうしてだろう、いつ頃からだろう、どうも‘ぎゃっ’っとなってしまう。。。嫌いとか憎たらしいとかじゃなく‘怖い’に近いものがある。
ましてや庭をいじるといじってるうちにとんでもない見た事もないような輩に出会う時がありできれば避けて通りたいのが‘虫’。とりあえず直視だけは避けたい。。。

さて、この動かないみみず、限られたスペースでどうやったら違う場所へ行ってもらえるのか。。。こわごわ、もう一回スコップでこついてみる。。。。ごそっ、ごそっ。。。。
‘ぎゃあっ!動いたっ!’もうこわくてこわくてたまらない。それでもいっこうに違う場所へ行く気配がない。仕方ないのでまたこわごわスコップでこついて違う場所へ行かそうとした。
‘ぎゃあっ!でっかいっ!’。。。。。
そう、みみずがあんなにでっかくていいのか、と思うくらい長くて鳥肌が立ってしまい、怖さも極限まできてた。

やっとの思いでそのみみずはどこかへ行ってくれ、ドキドキしながら(?)ポピーを植えた。

さ、これが最後のポピーだから、気を取り直して、っとロックをかけ分けた時、ぞろぞろ、わやわや。。。。

‘ぎゃあっ!ありの集団っ!’
いきなりの事(?)だったので走って逃げてしまった私。。。。よっぽどあわてたのか、気が付けばだんなに電話をしていた。。。。

‘もしもし、あのね、ありんこってお花さん達にとっていいもの?悪者?’

だんな。‘さあ、どっちだったっけ?どうして?’

わたし。‘すっごいいっぱいのありんこさんが集団でロックをかき分けた時でてきたの。きっと巣を作ってんだと思うっ!’

だんな。(とっても冷静に。)‘まあね、悪者であったとしても全部は殺せないだろ、ありんこだってそこで生活してんだから。’

その一言でふと、我に戻った。

あ、そうだった。ありんこだってみみずだって、地球で暮らしてるんだった。

私。‘そ、そうだよね。私ったら久しぶりに、しかもいきなり、たくさんだったからパニクっちゃった。’

だんなは電話の向こう側で笑ってたみたいだった。‘ありんこだっていきなり太陽が見えて‘ぎゃあっ’って叫んだかもね。’

さ、気を取り直して今度はデイジーを植えよう。

‘ぎゃあっ!みみずが動いたっ!!’

私と虫との関係はあまり変っていない。。。



夢が現実にっ!?

2003-05-08

アメリカに移住してから、ずっとあこがれてた事のひとつに庭付きの家と大きな犬、その上ジャクジ(泡風呂?庭にある温水浴槽のことなんだけど。。)があれば最高よねえ、といつもだんなと話してた。お蔭様で庭付きの家はローン付きで手にいれることができ、大きな犬は裏庭の大改造でフェンスさえ治せば、だんなは犬好きなので問題なしといえそうだ。

さて、残りのジャクジ。。。。。

そんなこと、全然思わないまま裏庭大改造はモクモクと進められいた、ある日の事。(実は今日も一日中だんなは穴掘り、私はごみ掃除と雑草抜き、そしてなんと75個もあるブロックを運びシャワーを浴びた後2人ともくらげ状態のグニャグニャ。。。。)

庭用の物置をおかなきゃいけないね、と言っていた所をだんなが整理していた。休憩もかねて昼食を食べに行って一休みしたらだんなが急に‘あの、物置にしよう、って言ってたところなんだけど。。。。’

私。‘どうしたの?’
だんな。‘あんなに大きな物置場所がいるのかな、と思って。’
私。‘どうだろう?いるのかな?でもあなたがいるんだ、って言ってたんじゃないの?’
だんな。‘そうなんだけどさ、整理してみて、なんだかもったいなく思えてね。’
私。‘もったいないんなら他に何に使えると思うの?’
だんな。‘例えば?。。。例えばさ、ほら、ジャクジとかさ。。。’

え?????え?????え????えーっ!!!ジャクジーッ、あの、ブクブク泡がでて大っきくて深々と入れて、まるで日本のお風呂屋さんを思い出させてくれて、しかも、クラゲ状態間違いなしの、あの、夢のジャクジッ!!???

まじーっ!??

だんなはそれでも冷静に‘この近くに一件、ジャクジを売ってる店があるんだ。後でちょっと覗いてみようか?’

覗く、覗く、もちろん、覗いてみますわよっ。

昼食を終えた後すぐにそのお店へと向かって行った。道中、‘でもきっとばかほど高いんだ。’とか、‘ローン、組めないよ、きっと。’とか、とにかく自分の気持ちを静めさせようと必死になってマイナス思考をしてみた。

店の中に入るとうわあああ、、、いいなあ。。。ジャクジが一杯。。。。しかも、なんだかどれも、気持ち良さそう。。。。最初は2人とも‘小さいのでいいよね、どうせ2人でしか使わないんだし。’とか言ってたのにくやしいかな、店の人がこれまた商売上手で最後には‘やっぱりそれなりの大きさで機能もよくて。。。’なんて事を言い始めた私。。。。


値段も聞いてその日は終わった。あれからもう2週間になるのか、今日、だんながうれしそうにオーケーサインを出したのだったっ!!!

やったあっ!我が家に夢のジャクジが来るのはそう遠い日ではないらしいっ!(そして借金が増える日もそう遠くはないらしい。。。。汗)

だんなに‘これからは裏庭大改造がたのしくなりそうだね。’と言うと不思議な顔をしたので、‘ほら、ジャクジが我が家に来たら、大改造のあと、ゆっくりブクブクして、2人でクラゲになれるでしょ。’

するとだんなは‘借金でブクブク言わなきゃいいんだけどね。。。’とあくまでも現実派を通し、私を白けさせるのだった。。。



リスと鳥のけんか。

2003-05-24

今日はだんなと早起き(といっても仕事柄、朝11時に起きることを私達は早起き、と呼んでいる。)して、家の中の大掃除を仕事前にやってしまおう、と計画を立てていたのでめずらしく、朝(昼?)のすがすがしさを感じながら掃除の準備に取り掛かっていると、まだ眠そうにベッドから起き上がったまま、だんなはコーヒーをすすりながらぼんやりと窓から見える景色を見ていた。しばらくしてもまだ、だんながベッドルームから離れそうにないので、ちょっと苛立った私は‘何してるの?’と声をかけてみた。そしたら、‘ちょっと、あそこに、リスがいるだろ?’と梅の木でじっとしてるリスを指差した。別段、変わったことじゃないから‘あ、また何か言い訳を作って掃除しない気でいるんじゃないの?’と疑いつつもそのりすに目をとめると、だんなは‘鳥が、追いかけるんだ。’と言う。ちょっと不思議になって、‘なんだろう?急に追いかけっこしたくなったのかな、鳥さん?’と聞くと‘いや、それが、もっと真剣みたいなんだ。’と窓の外をずっと見守りながらつぶやいた。

しばらく2人でベッドに腰を下ろしてコーヒーを飲みながらの裏庭ウォッチングすることにした。

あ、ほんとだ。カラスではないかもしれないけれど、まっ黒の小柄な鳥がリスに近寄って来た。どうするんだろう?

じりじり、じりじり。。。。追いつめる鳥、逃げる体制に入るリス。。。じりじり、じりじり。。。

あっ!鳥があっと言う間に飛び上がり、リスは猛ダッシュで走り逃げるっ!と、なんと、その鳥は1羽でなく、なんとスケダチの1羽もいて、2羽対1匹の勝負!リス、逃げる、鳥追いかける。
そして、彼らの姿は見えなくなってしまった。

なんどか、鳥とリスの追いかけっこは見ているが、今回のはなんか、ちょっと違う。他にもリスは家の周りにいくらでもいるのに、この鳥は確実にこの、決まったリスを相手にしていた。しかも、2羽で、ということは、夫婦か?一番考えられるのはリスが彼らになんらかのちょっかいをかけ、怒った鳥が反逆にでたというとこか?
それにしてもどんなちょっかいをかけたんだろう?だんなは‘巣に近寄ったか、荒らしたか、卵を食べたか、だろうね’と冷静にこの状況を判断。それにしても、リスって卵食べるの?私はてっきり、鳥のえさのようなものとか、トウモロコシだと思っていたのだけれど。。。

あっ!またこの1匹と2羽が戻ってきたっ!やっぱり、この鳥たちはかなり怒っているようだ。リス、逃げる、鳥、空上から、つつき攻撃、(痛そうっ!)リス、‘もう勘弁してえ’と言わんばかりに逃げ場所を探す。鳥、容赦せず、どんどん追いつめ、ついにフェンスの隅にまでリスは逃げ、2羽の鳥たちはまたもや、じりじり攻撃。ついにリスはフェンスを超え、野原へと脱出したのにもかかわらず、その2羽はしばらくじーっとその場を動こうとせず、リスが戻ってこないように監視までしたのだった。

あーっ、ビデオに取っておけばよかった。
あーっ、それにしても、なんでうちの家の裏庭で、けんかしなきゃならないんだ。

あーっ!掃除するの、すっかり忘れてたあっ!
今何時?え、もうそんな時間っ!?お弁当作らなきゃ、掃除の時間なんてないよおっ!

バタバタ、バタバタ。。。。。

そんな一日のスタートだったのに、教育テレビか何かにでてきそうな、貴重な自然の一面を見ることができて、うれしかった朝だった。




散々な5日間。

2003-07-30

私のだんなが4泊5日の出張でボストンに行ってしまった先週の事。‘出張’と言えば聞こえはいいが、彼の仕事はバーのマネージャーで、‘出張先’はビール会社の醸造所。ということは、ビールがどうやって作られるか、ビールの肴には何がいいか、とかを語りながらビールを(ただで)飲むわけだ。

彼には前歴(?)があって、どこかへ行く時(しかも、相手払い。)は必ず‘野球観戦’が付いてくる。(試合のチケット確保、チケット代ももちろん相手払いときたもんだ。)

2年前、シアトルに本社がある、このビール会社の社長さんが招待して下さった時ホテル、夕食、醸造所案内、飛行場までのリムジーン、すべて確保してもらっておいたあげく、‘じゃあ、ついでにシアトルの球場で、マリナーズとヤンキーズの試合が見たい。’とのたまったのはうちのだんな。さて、この社長さん、‘では、なんとかしましょう’とおっしゃり、社員の一人にチケット確保を命じた。

その社員さんはがんばった。

一所懸命、がんばって、チケット確保に奔走した。にもかかわらず、チケットがなかなか手に入らない(だって両方とも人気のあるチームだもん。)と社長さんに通報。社長さんもそれなら仕方ない、とうちのだんなに‘申し訳ないが。。。’と断ったらしい。するとだんなは何を思ったか、‘じゃあ、シアトルには行かない’と駄々をこねてしまった!びっくりした社長さんは再度その社員さんを呼び出し、今度はその社員さんに‘チケット取らなきゃお前はクビだっ!’と脅したらしい。ちぢこまってしまった社員さんは本職などそっちのけでなんとかチケットを確保してしまった。

しかも、その社員さんが夕食の手配、醸造所の案内もして下さったのだ。笑ってはいたがお互いかなりひきつった顔をしていたと思われる。ホテルでお会いした時‘いやぁ、子供がつい最近生まれたとこだったのにクビになっちゃうとこでした。’と頭をかかれた時は申し訳ないのと大笑いしたいのとがごっちゃになったのを覚えている。

そういういきさつがあったので、今回はすんなり‘ボストンレッドソックス対ニューヨークヤンキーズ’のチケットは確保されていた。この2チームは宿敵中の宿敵、しかも、ボストンは1918年以来ワールドシリーズに勝っていない。ヤンキーズは26回も勝っている。ボストンはかの、有名なベイブルースをヤンキーズに売っちゃった呪が付きまとっているとしか、思えない。。。。(わはははは。)

そう、だんなも私も大のヤンキーズファンなのだ。

木曜日の朝、旅立ってしまった彼を寂しく見送り、みどりの散歩も終え、さ、コンピューターとゆっくり遊べる、といすに腰掛けてスイッチオン。
あれ???様子がおかしい。つながらない。。。。なんどやってもつながらない。おかしいな、ちょっと待ってからもう一度やってみよう、その間、テレビでも見るか。

あれ???テレビも。。。。テレビもつかない。。。。あ、もしかして、うちの近所のケーブルがダウンしちゃったのかな、たまにそういうの、あるものね。じゃ、もうちょっと待ってみようかな。その間、ご飯でも作ろう。コロッケとご飯と、あとは何がいいかな。それにしても暑いなぁ、今日も。ルームクーラーをつけ、炊飯器のスイッチをつけ、揚げ物用に買ったフライヤーにもスイッチを入れた。
さ、準備オーケー、コロッケを揚げ...

あれ?なんで?電気、付いてないぞ。コンセント、ちゃんとつながってなかったのかな。確かめる。おかしいな、つながってる。あれれ?いつのまにかルームクーラーも、止まってる。。。キッチンの電気も、冷蔵庫もちゃんとついてるのに、どうして、使おうとしてる部分だけ???

パニくる、とはこういう時の事をいうのだと、その時知った。
私の‘怖い妄想’はあっという間に広がった。

‘電気のない真っ暗やみの中を猫と犬とで過ごす1日。’
‘ご飯もなく、音楽もない、真っ暗闇のトイレ。’

どんどん、怖くなって来たので、近所の家へ行って聞いてみた。
‘え?うちのケーブルも、電気も全然普通ですよ。’

ゲェーッ!!!ポルターガイストだぁーっ!(怖い妄想の極致。)

どうしよう、どうしよう、で、電話、しなきゃ。誰かに、電話、電話。。。握り締めた受話器は心なしか汗ばんでいる。つ、つながらない。やっぱり、ポルターガイストだっ!ちょっと、待て、だんなは今ごろまだ飛行機の中。つながらないに決まってる。じゃあ、一体誰に電話すればいいのっ!?
完璧にパニくってしまった私はへなへなと座り込んでしまった。

どれくらい、経ったのだろう。。。。。

リンリンリーンッ!電話だっ!神様だっ!しかも、だんなからだっ!
‘今ね、ボストンに無事着いたよ。’

もう、そんなことはどうでもいい(!?)
一気に早口で何が今、起こっているか説明した。
だんなは電話口の向うであっけに取られたのか、ちょっと考えてから

‘あのね、電気はね、フューズが飛んじゃったのじゃないのかな?ちょっと外へ出て行ってみてごらん?’

。。。。。大汗。。。。。。

言われるとおり、フューズが飛んでただけだった。

でも、でもケーブルはっ!?

‘ほら、今、裏庭のフェンスを新しいのにしてもらってるだろ?多分それでおかしくなってるんだよ、ケーブル屋さんに問い合わせて修理してもらわなきゃいけないかもね。’

。。。。。大汗。。。。。。。

なんでこの人はこんなに冷静に物事がわかるんだ、しかも実際、この家にはいないのに。この人は絶対私より先に死んじゃいけない人だわ。

我に返った私はやっと無事に彼がボストンに着いたことを喜ぶことができた。

ケーブル屋さんに問い合わせると、’月曜日まではスケジュールがありません。’といわれ、4日間、テレビなし、インターネットなしの生活が続くのだった。。。



結婚記念日。

2003-09-23

9月18日、結婚して11年になった。去年は念願のヤンキーズスタジアムで野球を見て10年を祝った。だんなは元コックさんということもあり、2人ともかなりグルメだといえる。ニューヨークではアメリカで最高級の5スターを獲得した高級フランスレストランの‘ダニエルズ’と言う所へ行って格別な夜を過ごした。

今年は去年ほど節目(?)ではないのでデンバーに留まることにした。でもやっぱり特別な日を過ごしたいのでデンバーでも一番古い、格調あるホテルに予約を入れた。そして、日本で買った着物を来てホテルにあるこれまた高級レストランで夕食をすること、という予定だった。

その何日か前、だんながステファニーという、いつもペットシッター兼ハウスシッターをしてくれる子に車を預けた(彼女は今車を持っていない。)、と言っていた。というのも彼女が送り迎えしてくれるからだそうだった。

さて、ステファニーが来るのは午後2時ということだったのでその日の朝はかなりバタバタしていた。家をできるだけきれいにし、ミドリをトレーナーさんが経営しているデイケアまで連れて行き、家に戻ってステファニー用に作った我が家の注意事項を再度確認しているとだんなが‘早く、早く、車が来たから行かなくちゃ’とせかしてきた。私はモタモタしていたので仕方なく‘ステファニーに家に入って来てもらって。’と彼に告げた。そうすることでもっとこまかく彼女に注意事項を言い伝えることができる、とか考えてたんだと思う。だんなは少し不服そうな顔をしていたけれど、私はいつものことだ、とまたその注意事項に目をやった。
だんなが‘行こうよ’とまた言ったので彼のほうに目を向けるとなんだかスーツにネクタイの男の人がドアごしに立っていた。事態があまりよく飲み込めてなかった私はすっかりステファニーの彼氏かなんかだと思い込み、‘ハロー?あれ?ステファニーはどこ?’とその人に聞いていた。その人はちょっと困った顔をして‘え?ステファニーですか?’とだんなの顔を見た。私もなんだかわからないのでだんなの顔を見た。彼は呆れ返った顔をして、‘準備はいいかい?車に乗るよ。’とドアを開けた。

ドアの向うには。。。。。

ドアの向うには。。。。。。。

ドアの向うには。。。。。。。

なんと。。。。。

リムジーンが待っていたああああっっっ!!!

びっくり仰天した私は訳もなく、意味のない言葉を叫んでいた。
‘わーっ!リムジンだっ!リムジンだっ!きゃああああっっ!’
まったく、子供のようにはしゃいでしまい写真もバンバン撮りまくってしまった。だんなに押し込まれるような格好でリムジンの中に入り込むとそこにはとってもきれいな薔薇の花束とシャンペインがあった。
だんなはシャンペインをグラスに注ぐと
‘結婚11年、おめでとう’と笑った。
私はシャンペインを飲む前からもうすでにかなりナチュラルハイになっていたのでとにかくヘラヘラ笑い続けていた。リムジンの中はおっきかった。(当たり前か。。。)それにしても、なんて上手に騙したんだろう。でも、楽しいびっくりだから、いいよね、私なんかびっくりを隠すことなんかできないから、こんなこと、絶対できないわ、などとひたすらだんなの巧みなびっくり技に感心していた。

車の中で彼は4時に彼の友達が働いているレストランでアペタイザーと飲み物を買ってあげると言ってもらっているのでホテルについたらそこへ行くんだよ、と言った。私はまだ上の空で車の外を、まるでちがう都市を走っているかのような気持ちで眺めていた。

ホテルはダウンタウンのど真ん中にある。リムジンから降りて受け付けカウンターの所へチェックインしに行った。受け付けのお兄さんは私の抱かえている薔薇の花束を見て‘素晴らしい薔薇ですね、何か特別な日ですか?’と聞いたので‘結婚記念日です’というと‘それはまた、スペシャルな日にお立ち寄りくださいました。今日は特別、お部屋をアップグレード、こちらでさせて頂きます。’と言って下さった。
予約した段階で一般市民が予約できる一番いい部屋を取っていたのでアップグレードなんて言ってもらってもそんなにたいして変わらないんじゃないかなぁ、なんて思っていた。お兄さんは‘それではお部屋は9階にございます。’と鍵をくれ、荷物を運んでくださるベルボーイの方がエレベーターの9階のボタンを押した。私はそれを見てだんなに‘あらまっ、最上階よっ!’と囁いた。それでもまだ、一般市民が泊まる所の一番いい部屋、と思っていた。
ところが。。。。。
部屋に着くと。。。。。。

ドアを開けるとなんと、リビングルームが奥にあり、そのリビングにオフィスもあるではないかっ、しかも、ベッドは別の部屋、バスルームは大理石、ウェットバー付きのテレビは2台っ!?こ、、、これは、もしや。。。。もしや。。。もしやスゥイートッ!!!???
ぎゃーっ!わーっ!すっごい、すっごいよ、スイートだって!スイートだって!!とまたもや言葉にならない珍雄叫びをあげる私。。。。
そう、この部屋は言わずとも、かの有名な‘ビートルズ’‘ローリングストーンズ’、‘エリッククラプトン’、‘エアロスミス’そして、そして我が愛する‘ボンジョビ’のご一行様がお泊りになられたお部屋あああっっっ!!!
珍声をあげながら部屋の隅々を探索し、写真をバッシバシ撮っているとだんなが‘4時にはアペタイザーを食べに行くんだよ。’とうながした。仕方なくカメラを置いて準備をし、ダウンタウンへと向かった。

だんなに‘そのレストラン、どこにあるの?なんて名前?’と聞くと‘それが、俺もよくわかんないんだ。’と言うので‘じゃあ、誰かに聞かなくちゃね。’と言った時美容院が目に留まった。‘いつかあんな素敵な美容院で髪をセットしてもらえるといいね。’と言うか言わないかの間にだんなが‘ああ、あそこで聞いてみよう。’と引っ張って行った。美容院で道順を聞くのも何か変じゃなぁい?とか私はまだその会話を続けていたにもかかわらず、だんなは受け付けの姉ちゃんに‘それじゃあ、よろしく’と言っていた。私は‘なにがよろしくなの?レストラン、行かなきゃ、’とか言うと受け付けの姉ちゃんが‘素敵なだんな様をお持ちですね。今日は奥様の髪とメイクアップをさせて頂きます。’
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

。。。。。またびっくりだった。。。。。。

リムジンだけに留まらず、こんなことまで。しかも、だんなの言うことをすっかりまともに聞いていたから驚くマグネチュード数も大きい。
私の顔はまっ赤っ赤。体は震え出してしまった。あんまりにもうれしいのでもう奇声は発することさえできなかった。私はひたすらだんなの顔を見ていた。だんなは‘じゃ、終わったら電話しろよ。’と言ってその場を去ってしまった。。。。。。。
その後、ヘアスタイリストもメイクアップアーティストもため息まじりに彼の後ろ姿を眺めていたのであった。。。。

(この話はまだ続きます。)




結婚記念日パート2。

2003-09-24

さて、髪もアップにしてもらい、メイクアップもしてもらい、もうすぐ出来上がり、という頃にだんなが迎えに来てくれた。お店で働いている方はみんなジェントルマンな彼に感激(ほとんどの人が女の人だったし、多分まだシングルなんだと思う。あ、ゲイの人もけっこういたっけ。)するし、私はみんなからそれはもう、ダイアナ妃かシンデレラみたいに思ってもらえるし、とにかく普通の日ではなかった。もちろん、彼はそれがお目当てでやったことなんだろうけれど。。。。

‘もうびっくりはいらないよ、こんなじゃ心臓がもたないわ。’とは言いつつも、心の底から感謝しながらホテルへと向かった。

さて、ホテルに着いてから私と着物との戦いがすぐさま始まるのだった。。。
うううう。。。。
浴衣の時はもうちょっと簡単だったのに。。。
む。。。。難しい。。。。
ああでもない、こうでもない。。おかしいな。
ちゃんと何度か練習したのに。
どうして襟がこぶし一つ分開いてくれないの?
どうして襟がこぶし一つ分開くとこんどは胸がはだけちゃうの?
しわが。。。。どうしてもできちゃうよ。
あれれれれ???おいおい、帯はきっちり練習したのにまだ緩い?しかも、浴衣の帯より長いからグルグルグルグル、足にまきついちゃっている。。。
ぜぇぜぇ。。。
だんなは優しく‘さ、水でも飲んで、ちょっと休憩したら?’
。。。ってねぇ。。。。休憩しなきゃ着れない物だったのか。。。。
約1時間半後、最終段階では‘ええええいっ!アメリカ人にはわぁからっない!’の一声で少々荒い着方ではあったけれど、食欲には勝てず、
‘着れたことにしておいて’
レストランへと向かったのであった。。。。

ロビーにおりて、自分で叫んだ‘えええいっ、アメリカ人にはわからない’は本当だったことがわかった。。。(大汗)ロビーにいる人達から視線を感じること、感じること。中には‘おおおおっ’ってため息ついて下さる方もいて、だんなが‘着物着た女の横を歩くのもまんざらじゃないな。’と言っていたことを思い出した。

さてさて、レストランはこれまたとってもクラッシックなお店でまずはキャビアとシャンペインで乾杯。その後はフォアグラ、ロブスター、ほたて貝の3つのアペタイザーを食べ、シャーベットで一息ついた後、メインコースのバイソン(バッファロー)でもう、帯は苦しい、草履は痛いけれど、はずむ会話にすっかり酔いしれケタケタ笑い、楽しんだ一時だった。‘ああーお腹一杯だようんっ!’と言ったその時お店から‘デザートはこちらでご用意させていただきました。’ときたもんだ。出されたら食う、がモットー(?)の私はもちろん食べた。(んまかった。)そうして約3時間に及ぶ夕食が終わったのであった。。。。

その後、だんなは最近葉巻に凝っていて、ロビーにある‘葉巻歓迎バー’に行く事になった。(そうなのだ。まだまだ飲むぞ、の、この2人。)いつもなら私はスコッチを頼むのだけれど、ほろ酔いだったからか、コニャックなるものを頼んでみた。着物を着てブランデーグラスに入ったコニャックを傾ける、なんてなんか水商売のママさんみたいだぁー、と言ってだんな
と大笑いしたのであった。

本当に夢物語のような一日だった。
11年前、結婚した時、誰もが想像できなかったことだった。
私達でさえ、自分自身に自信がなかった。
葉巻を満足げに吸っている彼を見つめながら、
‘本当にここまでよくがんばったね。ありがとう。’
と何度も何度も心の中でつぶやいていた。。。



だんなとお兄ちゃんのお店。

2004-05-05

このHPを初めてすぐの頃、もう一年と二ヶ月も前のことになるのだけど、だんなとだんなのお兄ちゃんが経営するバーがローカルの新聞に堂々掲載されたことを書いたように思う。前回はオーナーである、真ん中のお兄ちゃんのインタビューがほとんどで、だんなもおっきい兄ちゃんもインタビューの中には入っていなかった。それでも写真だけでも自分のだんながそういうものに掲載されると(犯罪以外で!?)やっぱりうれしかった。そのすぐ後だったか、これまたローカルのニュースで少し紹介された。この時はおっきい兄ちゃんが主に話をしていて、だんなは横でニコニコ話を聞いてるようなだけだった。それでも、テレビに映るだんなを見てやっぱりうれしかった。

だんなは寡黙だ。私はおしゃべりでうるさすぎるくらいだ。彼は自分をあんまり主張するほうではない。だから、新聞でも、テレビでも、全然目立たなかった。だんな自身はそれでいい、と思っていたようだったので、私もまぁ、そんなものなのか、と思っていた。

おとつい、今度はデンバーのローカル雑誌が発売された。しかも、今回はこの3人兄弟の、5ページにも及ぶ、大特集があった。ページを開けるとそこにはおっきい兄ちゃんが、紙面一面に載っていた。たばこをくゆらせながら、‘Hey,What’s Up?’と言うかのような顔をして。そして、その横にはだんなと、真ん中の兄ちゃんが交互に写っていた。次のページには兄弟3人の写真があった。

私は食い入るかのようにその雑誌を読み始めた。一番最初はおっきい兄ちゃんのインタビュー。もちろん、バーのこと、ビジネスについてのことなどが主なインタビューの内容だった。その次に真ん中の兄ちゃんのインタビューだった。音楽のこと、お父さんのことを語っていた。そして、だんなのインタビュー。

一番始めに書かれていたことが彼の大好きな野球選手、ニューヨークヤンキーズの、ルーギャレックのことからだった。‘アイロンホース’-鉄の馬-と呼ばれた彼は2130試合、休まず出場した。最近になって、この記録は塗りつぶされてしまったけれど、彼の現役時代は1925年代だったことを考えるといかに難しいことかは鮮明だ。そんな彼の事をだんなはインタビューでこう答えていた。

‘毎日働いていただけでなく、彼は死に向かいつつある中で(‘ルーギャレック病’とは彼が原因不明の病に犯されてから名がついた。)まだ球場に姿を現した。彼はベイブルースのように大スターとして脚光を浴びることもなく、また、そういったそぶりも見せなかった。ただ、黙々と働き続けた。そんな彼を尊敬しますね。’

と。ああ、そうだったんだ。だんなはお店が始まって以来ずっと脚光を浴びることなんかより、お店が‘良いお店’になることで一生懸命だったんだ。ギャレックが‘良いチーム’になるように、毎日、毎日、精いっぱいの自分を見せたように。

その後、ユニークな彼の青年時代(日本で過ごした7年、私との出会い、日本での学校生活など。)が書かれ、そして、大好きなお料理のことももちろん書かれていた。‘外でワイワイするよりも、仕事が終わると早く家に帰って妻と一緒に過ごす方がいい。家で料理でもしながらね。’と最後にあって、私は本当にうれしかった。

インタビューの一番最初におっきい兄ちゃんが言っていた。‘毎日毎日、19ー20時間働いてたったの75ドルを稼いでいた。カップラーメンをすすりながら、店の地下で眠る毎日だった。’本当にそうだった。それだけでは食べていけないから、だんなは3つ、私は2つ、仕事をしていた。当初、お店は朝の7時にオープンし、夜の2時に閉店していた。だから、兄弟で殴り合いの喧嘩もしたし、口喧嘩なんてしょっちゅうだった。もう駄目だ、と何度も唇をかみ締めたことがあった。あの、一番辛かった時の彼らを見てきているから、今回の優れたインタビューはとんでもないご褒美のように思えた。とてもよくできあがったインタビューと写真だった。だから友達みんなにメールを打って伝えた。興奮していたのか、とにかくみんなに教えたかった。

興奮がさめた今日、もう一度、雑誌を読み直してみた。熱い涙がポロリ、と私の頬をつたっていった。。。



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