今日も気ままに韓流DAY

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銀の手鏡(母の日に)



銀の手鏡


   母の日を間近にして街のショッピングセンターのショーウインドーには、
  母の日用のプレゼントが並びます。
   私が勤めていたショップでも5月は母の日ギフトで
   休む暇もありませんでした。
   息をつく暇もないほどの店内で、それでもお客様のご要望に答えて
   商品を選びラッピングするのはとても楽しい時間でした。
   中には幼い兄弟がお金を出し合ってエプロンを買いに来ます。
   思いっきりリボンを豪華にして渡してあげるのです。
   彼らからプレゼントを受け取ったお母さんのとびきりの笑顔が
   ふと浮かび、それは私の心をとても温かくしてくれました。


   大学に入りバイト代は書籍と習い事に消えていったのですが、
   そう、5月の連休後に、横浜の地下街の通りがかりのお店で
   銀の手鏡とブラシのセットを見つけたました。
   それを購入して、1週間ほど私の机の引き出しに隠して
   母の日に「ありがとう」の言葉と共に贈りました。
   母は鏡を手に取り、とび切りの笑顔をその鏡に映しだして
   「素敵だねぇ、ありがとう」
   と、にこやかに言ってくれました。
   しばらくは、子供がおもちゃを扱うように
   鏡に自分を映して楽しんでいました。


   当時は、父の事業不振に大変な日々を送りやっと生活も母の病気も
   落ち着いて、母の心も穏やかな日々となったときでした。
   母は、にこやかな笑顔でしたが、ふと
   「私は、もう使わないからあなたが使いなさいね。」と言いました。
   贈り物にケチをつけている様子はなく、重くて使いづらいのかな、 
  などと余分な憶測をしてしまう私だったのですが・・・。


   その後、何日もしないうちに母は帰らぬ人となりました。
   叔父が亡くなって、叔父と同じ宗派の母は「どんなお葬式か見たいね」
   と叔父の葬儀に出かけていったものの
   一週間後には、自分自身の葬儀となりました。


   その日の朝は珍しく早起きし、階下のダイニングに下りていくと
   6時前、いつのもように母は朝食の準備をしており、
   キッチンに立って私には背を向けたまま嬉しそうに
   「今日は早起きだね。もう、大丈夫だね。」とひとこと。
   それが母との別れの言葉になってしまったのです。


   母の日が近づくと毎年、その出来事を思い出します。
   たった一週間しか母の手元になかった母の日のプレゼント。
   私はその手鏡とブラシを棺には入れませんでした。
   まだ、私が持っています。
   毎年母の日にはその鏡に自分の顔を映し出し、
   あれからの時の流れを感じとっています。


   今年の母の日も、もうすぐきます。
   そっとあの手鏡を出して、亡くなった母の年に近づいていく自分を
   見つめ、時空を越えて母の亡くなった日の笑顔を思い出します。


   今年も、墓参りにはたくさんのカーネーションと共に
   訪れるでしょう・・・。



                     -2002/5/9記-





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