日台国際結婚  in横浜  withワンちゃん

日台国際結婚 in横浜 withワンちゃん

はじめに~まじめに~台湾のまちづくり



 やっぱり、「比較文化論」といって、なにか書こうと思いましたが、なぜか、かしこまってしまって、全然書き出せなくなってしまったので、思うに任せて書くことにしました。^^とりあえず、台湾を知る、そしてminiを知るきっかけとなった大学院での研究テーマについてから、かいつまんで書こうと思います。


きっかけ「東アジアのまちづくり~韓国・台湾のまちづくりの特徴」

 大学院で台湾のことを研究するまで、まったく台湾について無知でしたが、旅行に行けると思って、研究テーマを決めました。結果として、この研究は、挑戦かつ冒険であり大変刺激的なものでした。
 編集後記には以下にように書かれてあります。「かなりエキサイティングな旅であり、それぞれの国で感じたことは、共通性というよりも、異質性というものが強かったように思う。現地へ行く前までは、日本と近いし、それほど変わらないものだと思って、現地へ向かったのだったが、やはり違った。まったく違う異文化だということが率直な感想だった。もちろん共通するなにかを感じるときは多々あったが、私にとっては、異質性の方をより強く感じた。そう感じたのは、隣国に関してあまりにも無知すぎたからであろう。2年前には韓国・台湾の歴史や文化について、驚くべきほど知らなかった。・・・・・・」

 ということで、この研究を通して、台湾をよく知るようになったのです。^^


台湾の政治

  まずは、台湾の複雑な政治の状況、近代の歴史を知る必要があります。もちろん、まちづくり的にもターニングポイントは、1987年の戒厳令解除、1988年の李登輝党主席の就任を契機として、急速に進められていった民主化です。
 それ以前をちょっと、振り返ってみます。民主化以前の台湾は、1945年の光復後、大陸から国民党軍が台湾を制圧し、政権を担当しました。その後、1947年の「2.28事件」に代表されるように、台湾民衆による国民党支配への抵抗が開始されました。大陸から渡ってきた「外省人」と、もとから台湾に住んでいた「本省人」との確執の構造が、この時点からできあがっていたのです。その後、国民党政権からの台湾人独立、すなわち「台湾独立」運動は民主化運動として、もと議会議員の「党外人士」らの活動によって1950年代以降断続的に展開されました。国民党政権下では、1967年に警察、及び秘密の治安情報機関を再編して「国家安全局」が創設され、国家の治安情報活動の名を借りて、内外の台湾人の政治活動や思想を監視して、国民党政権や国民党に対する批判者の摘発などを行ってきました。
  1979年にはアメリカは「台湾関係法」を制定し、台湾とアメリカの国交関係はないものの、台湾を主権国家に準ずる「政治的な実態」として認め、防衛に必要な武器を提供するばかりでなく、経済的にそのマーケットを開放してきました。
  その「台湾関係法」には、「台湾における民主主義」という項目がつけられ、その後ろ盾により台湾の民主化が進みました。1986年「台湾独立」を掲げる「民主進歩党(以下、民進党)」の結成、1987年の戒厳令解除、1988年の李登輝のの就任により、より民主化が加速されました。1992年に台湾史上はじめての総選挙「第2期立法委員選挙」が実施され、40年来の国民党の万年議員が総辞職しました。
  1994年には、台北市長選挙が実施され、民進党の陳水扁氏が当選し、「本省人」の政治は活気づくが、1998年には、台北市長に「省籍」対立の克服を呼びかけた国民党の馬英九氏が当選し、国民は「安定」を求めて国民党に回帰しました。「独立」志向の民進党に政治を任せる場合、内政、対中国関係とも「安定」が損なわれる可能性があり、穏健な改革を目指す李登輝総統の「民主化・台湾化」を選択したのです。一方、高雄市長には民進党の謝長廷氏が当選しています。現在の台湾は、独立志向の「民進党」、「民主化・台湾化」の穏健路線の「国民党」、超保守派の「新党」で3極化しています。(1998年時点)


研究の目的は?

 miniに「こんな文字がいっぱい書いているの誰も読みはしないわよ!!」と言われましたが、ちゃんと書かないと気がすまなくなってきたので、そのまま書きつづけます。^^

 「韓国・台湾は1987年相次いで民主化された・韓国では、1987年盧泰愚大統領の<6.29民主化宣言>、台湾では、1987年の戒厳令解除、1988年の李登輝国家主席の就任により、民主的な国家として新たな出発をとげた。中央集権的な体質が徐々変容を遂げ、この10年来、日本のまちづくりと類似した活動、その萌芽的な現象が多数見られ、分権化・住民参加の傾向は確実に強まっている。
 韓国においては・・・・・(以下、省略)
 台湾においては、1994年に「社区総体営造」政策が提唱され、都市計画分野に限らず、「由下而上(ボトムアップ)」方式・住民参加が奨励されている。「社区」はコミュニティー、「総体」は全体的、「営造」は経営、建造、創造の意味であり、日本のまちづくりの概念に類似している。1996年以降、「社区総体営造」政策を受けて、台北市では「地区環境改造計画」を毎年策定しており、歩行者、車道空間、広場、公園、旧商店街、水辺空間などの設計をワークショップ等の手法を用いて、積極的に空間改善を推進している。
 以上のように韓国・台湾とも、まちづくりに類似した活動が展開されている。そこでそうした活動が、どのような特徴を有するかを明らかにすることとする。」

 まぁ、明らかになってるか、どうだかわかりませんが、とにかく、つづけます。。。。


なぜ、まちづくり?

 ひとことで言うと、都市計画の欠陥を補うしくみと、とらえられるからである。近代都市計画のしくみは、19世紀末から20世紀初頭にかけて形成されました。その時代は、イギリスやドイツなどの先進国において、工業化の進展により大都市への人工集中が進み、同時に中産階級が登場しました。社会の中核を担う中産階級は、環境の悪化した大都市を離れ、環境のよい郊外部に新規住宅を求めました。その中産階級の利益を優先させ、郊外部の新規住宅地を形成するしくみとして用意されたものが、近代都市計画なのです。その主な手法は、地域地区制や道路を中心とした都市施設図です。それらは、新規開発の都市基盤を整備するという意味では成功を収めたといえますが、事前確約的で機能面に偏重していると言えます。
 しかし、各国において都市問題が深刻化します。郊外部への流出が激しく、アメリカにおいては、1960年代から都市内部のスラブ問題、イギリスではインナーシティー問題が発生し、都市が内部から崩壊していく危機に直面していました。また、スプロールも大きな問題としてあげられます。これらは、近代都市計画が用意したしくみによって、既成市街地における問題が引き起こされたものといえます。
 日本においては、郊外部への人口流出は顕著にはみられないが、騒音・大気汚染・振動・水質汚濁などの公害が発生し、都市部での既成市街地の環境が悪化する一方でありました。1970年代においては、神戸市真野地区や丸山地区で、公害反対運動を契機に「コミュニティー運動」のまちづくりが行われ、また乱開発から歴史的建造物を守るという妻籠宿のまちづくり運動が展開されました。つまり、既成市街地に対して、なんら対策もこうじられない都市計画に代わって、まちづくりがその役目を担ったといえます。「都市計画」とは異なる別のシステムが既成市街地に対処したといえるでしょう。そういう意味では、まちづくりは「都市計画」のカウンター概念と位置付けることも可能かと考えられ、同時に日本独自の動きともいうことが可能であります。

 「まちづくり」とは、即地的かつ空間を対象として、住民の多様な価値観、利害、視点を包含している住民活動のしくみとします。「まちづくり」は画一的、機能偏重的な「都市計画」と対照的に、多様性に満ち、住民生活全体を包含するもので、「都市計画」と相対する重要な概念であるといえます。「都市計画」が事前確約的で、うえ(行政)から行うシステムであるのに対し、「まちづくり」は、した(住民)からの発意で行われるシステムと考えます。


じゃぁ、台湾の「まちづくり」はどうなの??

 台湾の「まちづくり」の展開は、社会的な背景に大きく影響されているといっていいでしょう。民主化以前は、国民党の台湾文化が抑制されていたが、1987年の民主化以降、その反動から、台湾の歴史文化を発掘することを目的とした市民団体である「文史工作室」が各地に発足しました。この「文史工作室」が、台湾における「まちづくり」のきっかけのひとつになったともいえます。「文史工作室」は、郷土文化研究やまつり、儀式の再現、市民への公開講座の開催、市民への啓発活動も行いました。つまり、国民党独裁の支配からとかれ、台湾人としてのアイデンティティーを求めて、自らの地域文化発掘へと向かったのです。そこで地域文化保全を目的とした調査が行われ、結果としてそれがまちづくり資源として認識されるようになった、というひとつの筋道が浮き上がってきるのです。台湾の「まちづくり」は、地方文化の強調という要素を多分に含みながら、地区レベルの計画がなされているのです。
 このように、台湾独自の「外省人」と「本省人」の対立の構造から、まちづくりが急激に発達しているといえます。政治的にも、国民党独裁政権と正反対の「台湾人のための政治」というスローガンは、多数を占める「本省人(台湾人)」の支持を獲得することが可能で効果がある。また、住民参加を標榜する「社区総体営造」という政策も、住民に受け入れやすく、社会的な運動として急速に受け入れられていったと考えられます。つまり、台湾では、「民主化」=「本省人による政治」=「台湾人中心」=「住民主体」=「社区総体営造の受容」という構図が成立しているのです。また、「台湾人中心」=「過去の歴史重視」=「歴史・文化の重視」という傾向も導かれます。台湾の「まちづくり」は、台湾のアイデンティティーの追求と、政治的な戦略の波に乗り、急速に発展していったのです。
(2003.7.20)


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