ら ぶ り ぃ 釜 山

祈祷応答


日本のキリスト教でも言うのかどうかは分からないが、
ここでは韓国式の言い方をそのまま使おうと思う。


*****


私がシングァン教会でキリスト教について学んでいくうちに
キリスト教ではまず、
神様への『祈祷』(日本では『お祈り』だろうと思う)に
重点を置いていることが分かった。


例えば
私がハサモニムと1対1で一緒に勉強をする時、
勉強の前にお祈り、勉強の後にもお祈りをする。
サランパンモイムでも、最初と最後はもちろんのこと、
その場でお祈りしてほしいことをお互いに述べ
それについてみんなで一生懸命祈ったりもする。


特にサランパンモイムでの各自一斉にするお祈りは、
最初面食らった。
みんな1人1人が思い思いの言い方でお祈りをするんだけど、
慣れない私は人のお祈りの声が気になって自分のお祈りに身が入らず、
というか、お祈りの仕方自体が分かってなくて
いつもブツブツ何か言っているふりをしていた。


そんな感じで私はお祈りがうまくできないでいたが、
神様は、こういう私たちがするお祈りに対して、
早かれ遅かれちゃんと応えてくれるという話を聞いた。
それが『祈祷応答』だ。
特に新しく信者になった人たちのお祈りは
けっこう早く応えてくれるらしい。


さて、
確か12月最後のサランパンモイムの時だったか、
いつもセルライフという冊子の内容に沿って話していくんだけれど
その中の問題の1つに
『神様に頼ることで受けた慰労や恩恵について話してみましょう』
というのがあった。


私はその問題の答えとして
『まだ慰労や恩恵を受けたことがないけれど
 今後、神様に頼ることで恩恵を受けたいと思っていることはある』
とし、サランパンみんなの前で
Cを受け入れられずにいる私の気持ちについて話し、
神様に頼ることで
彼女に対する私の気持ちに変化を起こし、楽にしてもらいたい
と思っていることを正直に言ったところ、
一緒に祈ってくれることになった。


あの時はハサモニム、私も含めて4人しかいなかったが、
その場でみんな、
私のために一生懸命祈ってくれた。
特にハサモニムは本当に本当に熱心にお祈りしてくれて、
それに感動した私は途中で涙が出てくるほどだった。
自分のことじゃないのに、
こんなに親身になって一緒にお祈りをしてくれる、ということ自体に
感動したのもあった。


そんなことが12月末にあった後、
年末年始、義父の誕生日もあって釜山に夫兄弟家族たちが集まったのだが、
その時みんな口々にCがどうしてるのか私に聞いてきた。
私が、
9月末に我が家に来て以来
連絡も来ないのであえて私からも連絡していない
と言ったら、
何で連絡しないのか、ご飯食べに来るように言ってやれ
と、特に義母からしつこく言われて
ソウルに戻ってきてからしばらく深く考え込んでしまった。


せっかく離れて暮らせるようになって
無駄なストレスを溜めることなく暮らしてるのに、
何でまた彼女のことで鬱々としなきゃいけないわけ?
経済的な面では今でもずっとストレス溜めててこれからも続くんだから
これ以上私にしんどい思いをさせないでよ。。。
と思いつつも、
でもこのままじゃいけない、
彼女の存在を受け入れないままずっといることはできないんだから
今回いいきっかけだと思ってまずは電話してみよう!
という結論に至り、
まずは携帯メールで新年の挨拶メールを送った。


でも返事なし。
実は釜山に行った時、
義妹たちが
「そういえばCから新年の挨拶メールが届いてたわ」
と言ってるのを聞いてちょっとショックだった私。
私には何で挨拶メールがないわけ?と。
だから私の送った挨拶メールへの返事がないのも
かなり腹立たしかった。
けど、挨拶メールだったから
内容的に返事をする必要はないと思ったのかもしれない
といい方に考えることにし、
今度は電話をしてみた。


でも何度かけても出ない。
仕方ないから携帯メールで
『忙しいの?後で電話ちょうだい』
と送ったが、翌朝になっても電話なし。
不在中電話で名前が残ってるだけだったら電話しないかもしれないけど、
『電話ちょうだい』ってあったら電話するのが普通なのに。
それでちょっとおかしいな、と思ってまた電話したけど
またまた出ず。


いつもの悪い癖で
(きっと私と電話で話したくないから無視してるんだ)
とか
(私の番号はあえて受信拒否設定してあるのかも)
などと悪い方にばっかり想像してしまったりもしたけど、
だんだん心配にもなってきた。
何かあったんだろうか、と。


それで夫にも、一度電話してみてくれと言ってみた。
でも夫がしてみても出なかったと言う。
(ああ、私のを無視してるんじゃなかったんだ)
と思ったと同時に、今度は
何か事件に巻き込まれたんじゃないか、
それとも
精神的に参ってて誰からの電話も取りたくない状況なのか、
とますます心配になってきた私。


今思うと
多分この時を境に、
だんだん彼女に対する私の気持ちに変化が表れてきたような気がする。
うまく説明できないが、
彼女のことを純粋に心配する
・・・つまり、私側の領域に入れて捉えることで
自分の気持ちが楽になったのに自ら気づいたんだと思う。


これが、受け入れる、ということなのかもしれない。


素直な気持ちで
「たまにはご飯を食べにおいでよ」
と誘うことが、憎むことよりもどれだけ楽なことか。
それがやっと分かったのだ。


『お金のかかる夫の娘』
という見方を続けたら、
きっと永遠に否定的に見ることしかできなかっただろう。
『きーくん、よんよんの姉』
という風にもっと私側に引き寄せ、
肯定的に、前向きに考えればいいだけのこと。


4年間の同居&離れて生活するようになって約1年間、
どんなに頑張っても
私の気持ちはかたくなでなかなか変わろうとしなかったのに、
こうして変わることができた。


これはまさしく私のお祈りに対する応答なんだ、と実感した。
同時に、神様の存在を確実に感じた。
神様は私の祈りを聞いてくださった。
私を苦しみから解き放してくれたのだ。


感謝の気持ちでいっぱいになった。


以前、Cが大学に合格した時に
(あ、もしかしたら私の気持ちを変えられるかもしれない)
と思ったけど、結局もとの気持ちに戻ってしまった
ということがあったが、
今回はもう元に戻らないだろう、と確信している。


ああ、もっと早くCのことをこうやって思えていれば
お互い楽だったのに。
今となっては
何であの頃、あんなにCが憎たらしかったんだろう
と思う。


今まで彼女に対して持ってた不満、
例えばCDにお金を投資しすぎることでも、
彼女は彼女なりに
親が離婚したことで空いた心の隙間を音楽で埋めようとしてるのかも
と思うようになったり、
言動不一致な面も
(結局はまだまだ子どもだよな)
とおおらかな気持ちで構えていられるようになった。


「信仰生活をしていればCのことももっと楽だったのに」
と言う義姉の言葉は本当だったんだ。
神様は本当にいらっしゃる。


夫がちゃんと生活費を入れてくれるようになったし
夫が家族のことを考えてくれるようになったから
私の中でも余裕ができて
ちょうどこういう気持ちの変化が表れる時期だったのかもしれない
とも思うけれども、
夫の状況を整えてくれたのもきっと神様なんだと思う。


こうして私のお祈りに対する応えはすぐにあった。
新信者であればあるほど応答が早いというのも本当だった。


感謝の気持ちでいっぱいだ。


2010/1/24

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