ら ぶ り ぃ 釜 山

聖霊を感じる




今日
私の家に、牧場モイムのモクチャンニム、階下のオンニ、ソルチプサニムが来て
私が聖霊の降臨を経験することができるように一緒に祈ってくれ、
そして実際に体験することができた。
その出来事を忘れないように、今日ここに書き留めておこうと思う。


5月の終わりに
神様の存在を急激に身近に感じるようになった私だけれど
その後、それほど進歩のないまま過ごしてきた。
そんな私に気付いたのか、階下のオンニが
「3人目が生まれる前に新約聖書を通読して、
その後聖霊降臨のためのお祈りをしよう」
と言ってくれて、6月終わりからだったか
牧場モイムのメンバーとともに新約聖書の通読を始めた。


今まで聖書を部分的に読んだことはあっても
今回のようにまとめて読んだのは初めて。
新光教会に通ってた時に
旧約聖書から少しずつ決められた箇所を読む、というのはしたことがあったけど
少しずつだと、前後の部分を忘れてしまったりして
なかなか興味を持ち続けることができず、
しかも旧約聖書だったから余計に難しく感じて結局途中で脱落。


でも今回はマタイならマタイ、マルコならマルコ、と
一気にまとめて読んだので
まとまった時間は必要だったけどその方がずっと理解しやすかった。
そしてヨハネの黙示録まで読み終えたのが一昨日。


聖霊の降臨を体験すると異言をしゃべるようになる
という話を聞いていたので
私は昨日から、
(具体的にどんな体験をするようになるのだろうか)
とドキドキしながら、その一方で
(私にそんな体験ができるのだろうか)
という不安も入り混じり・・・という複雑な気持ちで今日を迎えた。


お祈りを始める前に
モクチャンニムに新約聖書を通読した感想を聞かれ、
(その時は自分の言いたいことがうまく伝えられなかったのが
 今でも心残りではあるんだけど;;)
そして、聖霊に関する聖書の箇所をいくつか読んだ後
いよいよ4人集まって聖霊の降臨のためのお祈りが始まった。


私はまず
悔い改めのお祈りを捧げ、そして聖霊降臨を願うお祈りをするように
言われていたので
まずは悔い改めの祈りを日本語で始めたのだけれど
(その時既に他の3人は異言を使って祈っていた)
祈り始めてそれほど経っていないのに突然私の中の何かがプツンと切れ、
涙がとめどなく流れてきた。


ただ単に泣く、というのではなく
号泣する、という表現の方が正しいぐらい、
延々と泣き続けた私。
そんな私の背中を階下のオンニがずっとさすり続けてくれてたんだけど
ある瞬間から私の舌が勝手に動き始め、
言葉にならない言葉を発するように。


日本語でもなく韓国語でもなく、
お経を読んでいるかのような言葉、と言えば一番近いだろうか。
舌が私の意思とは関係なく、勝手に動いて言葉を発するという現象、
もちろん私にとっては初めてのことで少し怖かったけど
この私の意思とは全く別の次元で起こっている現象こそが
聖霊降臨の証しなんだと思い、
やっと私も身をもって神様の存在、聖霊の存在を体験することができたんだ
という気持ちでいっぱいになりながら
延々と続く異言に身を任せた。
確か、その間私はずっと涙を流し続けていたと思う。


20分ぐらい経ったのだろうか、
ようやくみんなの異言が静まり、私も固く閉じていた目を開けた。
オンニに
「途中からは日本語じゃなくて異言でしょう?」
と確認され、頷く私。
頷きながらも初めての体験に朦朧とした状態で、しばらくボーっとしていた。


そしてしばらくしてからもう一度、
今度は4人で手をつないでお祈りを始めた。
そんなにすぐにまた異言が出てくるのだろうかとちょっと不安だったが
その不安とは裏腹に、またちょっと前の状態と同じように
私の意思とは関係のなく、口と舌が動き始めた。
そして15分?ぐらい、4人で祈り続けた。


こうして
初めて異言を発することができた人間は
ある意味『新信者』なので、
神様への祈りに対して神様がすぐに答えてくれるらしい。
だからなるべくたくさんのお祈りをするように、と言われ、
更にはチプサニムやモクチャンニムからもお祈りを頼まれた。
そして、
これからは1日30分ぐらいは訓練として異言でお祈りをした方がいい
というアドバイスも受けた。


夕方1人になった時
(私1人でも異言を発することができるのだろうか?)
と、少し不安になりながら短いお祈りをしてみたら
最初はうまく出てこなかったけれど
少しずつ昼間と同じような意味不明の言葉が出てきて
自分で始めておきながらも少々驚きつつ、
まだちゃんとした祈りの体制に入ってなかったので少しだけでやめておいた。


こうして異言を体験したことによって
以前よりもぐっと身近に聖霊を感じることができ、
祈るということに対する自信のようなものも生まれてきた気がする。
お祈り、というと、私はいつも日本語でばかりして、
韓国人のたちを前にして韓国語で祈ることをついつい避けてきたけれど
今日のことで
聖霊の力を借りれば何でもできる、という気持ちが沸いてきたのだ。


神様、聖霊はいつも私の中に宿っていてくださる、
そう思うと、人生が今まで思っていたのとは全く違ったものに感じられる。
今日こうして聖霊に出会うことができたこと、
聖霊を感じることができたことは私の人生において非常に大きな意味を持つだろう。


2011/7/20

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