新潟  柏崎・刈羽観光案内

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良寛さん


漁港の町、昔は、佐渡金山の交通の重要地点でした。
そこに、 良寛さん は産まれ
育った。

彼の庵も記念館にのこる。
そんな中、心に残っている話として、のびて来た竹がのびれるようにと
床に穴をあけたという話。そして、貞心尼とのプラトニックラブ、良寛さんの
人間としての逸話も多いですね。

柏崎市 良寛関連遺跡(貞心尼終焉の地)

良寛を最も敬愛する貞心尼 の遺跡が多くあります。貞心尼は長岡藩士・奥村五兵衛門の娘として生まれました。幼いころ母と死別し、乳母に育てられ、ふっくらとした美少女で「更級日記」や「源氏物語」などを読みふけるという文学少女でした。17歳のとき、小出の医師・関長温と結婚するが、理由あって6年ほどで離婚した貞心尼は乳母の住んでいた柏崎に移り、23歳のとき閻王寺にて髪を落とします。

28歳のとき長岡の北5Km位のところにある閻魔堂に移ります。
長岡付近を托鉢している間に良寛のうわさを親しく耳にして、思慕の念を深めていきます。
30歳のとき、その願いがかない和島の木村家の庵で良寛と運命的な出会いをします。

良寛の没後しばらく閻魔堂にとどまっていましたが、44歳のとき柏崎・洞雲寺住職・泰禅から、得度を受け柏崎の釈迦堂の庵主となります。
54歳まで釈迦堂に住み、火災に遭って不求庵を建ててもらい以後晩年まで平穏な日々を柏崎でおくりました。
せっかく洞雲寺を訪れても、貞心尼のお墓まいりをして帰られる人が多いので、登り口の左側にある良寛と貞心尼の「恋は学問を妨ぐ」の歌碑も是非見てください。

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