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昨日一日、あるてんかん患者のHPを全部読んで暗澹としました。
…このHP読んだ人は、てんかんをよく分かっている人はともかくも、なったばかりの人やてんかん患者・家族以外の人はかなりの誤解を抱く事になるな…。
悪い事が起こればすべて『てんかん』とそれに対する偏見・差別のせいだろうか?
『一人の体験がすべてに通ずる』わけじゃない。参考にもならない事もあるんだけど…。
以前にも書いたように、てんかんの発作は百人百様といってもいいくらい見かけも中身も違います。その上、生育歴もてんかん以外の健康状態も性格も違う個人がやるのだから、当然、病気に対する受け取り方もその人の社会への対し方も、社会のほうの受け止め方も違ってきます。
薬の副作用一つとっても全然でない人もいれば、極めて重い副作用の出る人もいます。
同じタイプの発作の人に同じ抗てんかん薬を使うにしても個体差があって、効き目はまちまち。だから、自分にあった薬を必死で医者と探していくわけです。抗てんかん薬は効き目や副作用を探るのに結構長いスパンが要るのでもう 『忍』
の一字です。
それと同じく、社会の偏見や差別という問題も、『障害者』につきものの共通項もありますが、その人の能力・社会性・性格・上司との相性などという問題も当然絡むわけです。
ルーちを例に取れば、 12/4の日記 に書いた、私を対人恐怖におとしいれたトップは、ルーちの『てんかん』よりも『可愛げのない性格』を憎んでいました。…男職場でしたので、みんなに交じって下ネタ話を平気でする所とか、路上で二度も倒れた事のある主人と一緒に帰る為にトップの「先に帰って風呂を沸かしてメシを作っといてやんなさい」という言葉を聞かなかった事など…。(てんかんを忘れて生きろと言われるのも困るものです)
「あんた方は悪夫悪妻の見本だ」…これで苛められ追い出されても、それはてんかんへの差別とは別の事です。…そのせいで彼が「てんかん患者はみな可愛げが無く、言う事を聞かない」と思うようになれば、そこで新しい差別が作られて行くのでしょうが…(鉛のため息)。
ルーちもあの頃は若くて世間知らずで、人を見る目がありませんでした。病はその場で治せなくても、行動や物言いは直せたはずなのです。それができずに起こった軋轢まで社会や『てんかん』のせいにしては 『あ、てんかん患者の名がすたる~!』 (歌舞伎のフォントを使いたかったな~!)
個人の情報発信というのは確かに貴重で、生の感情や経験に教えられたり慰めを受けたりする事が多いです。
その一方、それが『一人の限定された現実』である事もわきまえて、情報というものを生かしていかねば、と強く思いました。読む時も、書く時も。
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