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このブログに、先月立て続けにあった兄と妹の結婚式について書きたいのですが、その前にどうしても書いておかなきゃいけないなーと思うことがあるので、まずはそこから書こうと思います。
それは、祖母のこと。
私の母方の祖母が6月28日に急逝しました。生徒を引率した日本旅行で私も日本にいたのですが、その日は姉妹校がある札幌から関西に向かう日で、連絡を受けた時はちょうど新千歳空港に着いて今からチェックインするって時でした。あと10日くらいで会えると思っていたし、まさかその前にこんなことになるとは思ってなかったので本当にショックでした。その日の朝まで元気にしてたらしいので尚更です。
実は祖母は、年末に私が日本に帰ってきたときに硬膜下血腫で倒れて入院し、その時にかなり危険な状態だったのですがそこから持ち直し、私が最後に会った一月にはリハビリに精を出しているところでした。私も日本にいた数週間の間、何度も祖母がいる病院を訪れて顔を見せていたので、今ではそれが救いかな。
とりあえずお通夜は翌日、翌々日はお葬式と決まったという連絡がその日の夕方に入ったのですが、なにしろ私は日本旅行引率の身。しかもその日からは姉妹校ホームステイではなくホテル滞在の観光旅行だったし、全ての行程を把握してるのは私だけだったのでお葬式に行くかどうかかなり迷いました。結局一緒に引率で来てくれた他のスタッフの好意に甘え、お葬式の日が比較的大人数でも観光しやすい奈良観光の日だったというのもあって京都から日帰りで広島にお葬式のために帰ってきました。
その日は早朝に起きてホテルを出て、始発の新幹線で京都から広島へ。そしてそこからローカル電車に乗って、それでも間に合いそうになくて最後はタクシーで葬儀会場へ。ギリギリで間に合って祖母の顔を見ることができました。
祖母はもともと小柄な人なんですが、なんだか本当に小さく見えたな。子供のころ、遊びに行くたびに「どれくらい大きくなったかね?」って言って抱き上げてもらうのが習慣だったんだけど、よく考えたらおばあちゃんってこんなに小柄だったんだなぁって。そして、きれいにお化粧してもらって、すごく穏やかな顔をしてました。
何年も会ってなかった従姉妹達も揃っていて、悲しい中にも祖母があらかじめわかっててわざわざこの日を選んでくれたような感じもして、不思議な気分のお葬式でした。だって、これがオーストラリアにいた時だったら、こんなふうに来られなかったと思うから。みんな、「おばあちゃんはきっと、ルナLunaが日本にいて、この日ならお葬式に来られるってわかっとったんよ。」って言ってくれて、そう言われるとなんかあの祖母ならそういうこと全部わかってたような気がするんです。
その日は時間の都合上関西にトンボ返りして大阪で生徒たちを合流しなければいけなかったので骨上げまではいられなかったけど、お葬式に行けたっていうのは本当に私にとっては意味があることでした。そうさせてくれた同僚に感謝です。
祖母と最後に会った時、リハビリ中だった祖母に「お正月のうた」の歌詞を平仮名で書いたものを渡されたんです。なんかそれを読むリハビリをしてたのかな?
「日本語を忘れたらいけんけえ、これを持って帰って読みんさい。」
最後にそう言ってた祖母。自分のことなんて棚に上げて30歳超えた孫の心配をしてるあたりがすごく祖母らしかったなぁ。私なんて、まがりなりにも日本語教師やってるのに(笑)。今、空から私が日本語で本を読んだりしてるのを見て、祖母は少しは安心してるでしょうか。
そんな祖母の昨日は納骨でした。私が生まれる数ヶ月前に他界した祖父に、その後33年分の出来事を報告してるのかなぁとかいろいろ考えてしまいます。