青空のように

青空のように

大瀧詠一を讃える 1


書きたいことが多すぎて、今まで手をつけなかったのですが、僕が世界で一番好きなアルバム「ナイアガラ・ムーン」が再発されるとあっては、もう、書かずにはおれぬ、というわけで、書き始めることにしました。
このページは多分、大瀧詠一マニア以外には、面白くともなんともないはずです。申し訳ない。
完全に自己満足のページですが、いつか大瀧詠一マニアの目に触れる事を願いつつ・・・。

大瀧詠一とはそもそも何者か。
69年、ロックバンド「はっぴいえんど」として、細野晴臣・松本隆・鈴木茂とともにデビュー。
73年バンド解散とともに、東京・福生市にスタジオをつくり、自分のレーベル「ナイアガラ」を設立。
プロデューサー・エンジニア・アーティストとひとりでこなし(!)、「ナイアガラ・ムーン」、「ゴーゴー・ナイアガラ」「ナイアガラ・カレンダー」、などのアルバムを発表したが、ほとんどわかってもらえず・・・。

そして81年、「ア・ロング・ヴァケイション」でブレイクする。
ちなみに作曲作としては、小林旭「熱き心に」、森進一「冬のリヴィエラ」、薬師丸ひろ子「探偵物語」、松田聖子「風立ちぬ」、などなど。
アーティストとしての最新作は、「東京ラブシネマ」の主題歌「恋するふたり」です。
アーティストとしての名前は大滝詠一、プロデューサー・作曲者としての名前は大瀧詠一であります。

なんでレーベルが「ナイアガラ」かというと、大きな滝だからということですね(ちびまる子ちゃんのだいぶ前のテーマ曲「うれしい予感」(大瀧・作曲)は「KEGON」レーベルです)。

さて、何から書き出せばいいものやら・・・。
この人、テレビにでたことありません(実はあるのだが、それはまたそのうち書きます)。
テレビに関しては、今でも強烈に印象に残っている出来事があります。
「笑っていいとも」が始まってすぐの頃、テレフォンショッキングに細野晴臣がでました。
僕は、大瀧を紹介しないかなあと思って見てたら、ホントに大瀧を紹介した。
で、大瀧に電話がいって、大瀧氏本人がでた。
僕、あんなに興奮したことないです。
明日来てくれますか?というタモリの問いに、大瀧氏がなんと答えたと思いますか?
「イヤです」
こう答えたんですよ!
信じられないでしょ。でもホントなんです。
しかたなく細野氏は別の人(坂本龍一だったような気がする)を紹介した。
会場、氷のようでしたよ(笑)。
いやー、今思い出してもスリリングな瞬間でした。
現在は当然、何週間も前にスケジュールが決まってるんでしょうけど、当時ははじまったばかりで、ホントにその場でかけてたんでしょうね。
しかし、イヤですと断ったのは、大瀧詠一ただ一人であったと思う。

このことからもわかる通り、かなり変わった人です(笑)。

今回はプロローグということで、ここまで。
あー、とにもかくにも書き出せてホッとした。



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