青空のように

青空のように

結願 とりあえずの終わり

へんろみち・結願

8月19日(金)
朝7時、「栄荘」を出発。
ここの女将さんは本当にやさしい方で、前日の夕飯を僕が残したので、体調が悪いのではないかと気遣ってくれ、おまけに、昼食のお弁当まで持たせていただいた。ありがとうございます。

86番・「志度寺」を打ち、87番・「長尾寺」まで7キロは街中の道。
結願の寺が近いためか、きれいな休憩所が、一気に増える。

休憩所2

昨日突然思い出したのだが、僕が「お遍路」として歩き始めたのは、偶然にも去年の今日なのであった。
四国に入ったのは18日だが、1番・「霊山寺」門前の宿で眠れぬ夜をすごし、不安いっぱいで歩き始めたのが19日なのである。
あれから1年が経った。「霊山寺」の売店で買った杖はずいぶん短くなった。
僕は成長しただろうか。
途中、「オレンジタウン」という駅の横を通る。
1年前、徳島に向かう列車の中で、ずいぶん変わった名前だなあと思ったが、1年後歩いて通りすぎることになるとは。

オレンジタウン
見にくいけど、ORANGE TOWN と看板がでてます。

朝露
これも見にくい。朝露に濡れる稲穂。きれいだったんだけどねえ。

87番から街中を離れ、車道をゆっくりと上ってゆく。
途中で、「お遍路交流サロン」というところに寄る。
建物に入ったとたん(まさしく入ったと同時です)、ザーッと雨が降り始める。サロンで、バッジと、「四国八十八ヶ所遍路大使任命書」なる賞状(?)を貰う。

降り始めと同じように、ピタリと雨がやむ。
国道沿いのベンチで頂いた弁当を食べ、いよいよ最後の難関、「女体山」越えに入る。あと7.8キロだ。

大窪・のぼり


山に入ったとたん、蒸し暑さと虫の大群に驚く。携帯の蚊取り線香も虫除けスプレーも全然役に立たない。
ものすごい数のブヨとアブで、パッと下を見たら、ズボンの周りがブヨだらけで、気絶しそうになる。
特に耳のそばのプ-ンという羽音は、蚊嫌いの僕には耐えられない。しかも、耳の中まで入ってくる。
もう、僕半ベソかいてましたね。
しょうがないので、タオルで頬かむりし耳をふさいで歩いた。ほとんど泥棒コントのような姿であったでしょうね。

のぼり2

ようやく虫は消えたが、頂上に近づくにつれ道は険しくなり、山頂手前はほとんどロック・クライミング状態で、ガケを這い登る。
そう簡単に結願はできないのだよ、といいたそうな最後の試練であった。

がけ
角度がわからないですねえ。

木の枝をつかみ、一際大きな岩の横を、必死で登りきると、そこが山頂だった。

表紙
この本は、遍路ちゅう、とても役に立った「四国お遍路 バックパッキング」(ホーボージュン&BE-PAL 小学館)というポケットサイズのガイドブックである。
僕のほかにも、多くの歩き遍路が持っていた。
この表紙の写真、僕は石鎚山だと思っていた。

そして、「女体山」山頂で僕が撮った写真をご覧頂きたい。

山頂

そう、この表紙の写真はここなのであった。

再び雨が降り始める。
山頂奥のあずま屋で雨宿りする。
誰もいない中、どしゃぶりの雨がたたきつける。
あとはもう下るだけだ。
この1年の、いろいろなことを思い出す。

お寺の風情などは、あまり思い出さない。
思い出すのはやはり、出会った人であり、歩いた道だ。
不安な気持ちで歩いてた1日目、雨の中を追いかけてきてタバコをくれたおばちゃん。
歩き遍路の大阪の大学生くん。
葛飾のご夫婦。
焼山寺への道で出会った案内犬。
麻薬中毒のおにいちゃん。
仙台のフリーターくん。
僕を騙したおじいちゃん。
みんな元気でやってるかい?

どこまでもどこまでも、果てしなく続くかと思われた室戸への灼熱の国道。
台風に閉じ込められた3日間。
足が痛くて、これはもうダメだと思いながら、這いずるようにたどり着いた、どしゃぶりの今治駅。
いくつもの遍路転がしの山道。

「お遍路交流サロン」で貰った賞状にはこう書いてある。
「貴方は四国八十八ヶ所歩き遍路約1200キロを完歩され・・・」
しかし僕は、四国一周の旅に来たのではない。
1200キロ歩くことがスゴイことなのかどうかもよくわからない。

信心深くなったわけでもないし、真言宗や空海について理解できたわけでもない。
ただ僕は、「四国八十八ヶ所をお遍路で歩く」と自分と約束したので、その約束を守った・・・ということです。
僕は約束は破りたくないと思う。
誰に強制されたわけでもない、自分で決めた約束だ。
これからも守っていきたいと思う。

歩いた意味がわかるのは、ずっとあとになるんでしょう。
くじけそうになった時、突然その意味を悟るのかもしれません。

雨はやみ、最後の下り。いろんな思いが交錯し、どんな道だったか憶えてない。
何度か、涙ぐんだ気もする。

そして、88番・「大窪寺」が突然現れた。
当たり前のように僕ひとり。
最後だ。大声で般若心経を叫んだ。
杖は奉納した。

原爆
ここに「原爆の火」があるとは知らなかった。
後ろは、奉納された杖たち。

大窪寺・ラスト
さようなら。
ありがとうございました。

門前の民宿、「八十窪」に泊まる。お祝いとして、お赤飯をだして下さる。客は僕ひとり。
10番・「切幡寺」までは20キロだというので、翌日お礼参りに行く事にする。
「切幡寺」までの道は特に書くこともありません。

最後に、

当たり前ですが、僕ひとりで結願できたわけではありません。
御接待して下さった多くの皆さん、ありがとう。
庭先を心良く通して下さった皆さん、ありがとう。
「おはようございます」、大声で挨拶してくれた子どもたち、ありがとう。
すべての四国の皆さん、ありがとう。
僕の稚拙な般若心経を、失笑しながら(たぶん)、聞いてくれた御大師さん、ありがとう。
りゅう君をはじめ、常に僕を励ましてくれた友人たち、ありがとう。
このページで、常に僕を励ましてくれた友人たち、ありがとう。
そして、僕の背中を押してくれ、一緒に歩いてくれた母よ、ありがとう。
記して感謝します。
また歩けることを願いつつ・・・。

               遍路日記 終わり


ラスト

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