『フォトコンライフ』 の冒頭にいい文章があったので転載したいと思います
あたりまえのものが、あたりまえのようにそこにあることのしあわせとありがたさ、それをわが子や孫の代まで伝えてくれるのが写真です。
大震災のあと、瓦礫のなかから
家族のアルバムや額に飾った写真を捜しだす被災者や、
泥だらけのアルバムや写真をもとの姿に再生する
ボランティアの姿が忘れられません。
家族も財産もなくした被災者にとって、
写真が心のよりどころだったのです。
大震災は被災地ばかりでなくこの国に生きる
すべての人に深い傷跡を残しましたが、
はからずも写真がいかに私たちの暮らしに
重要な役割をはたしているかを教えてくれたように思います。
あたりまえのものが、あたりまえのように
そこにあることのしあわせとありがたさ、
それをわが子や孫の代まで伝えてくれるのが写真なのです。
ややもすると私たちは誰のために写真を撮るのかを
見失いがちですが、写真の在るべき本来の姿は
家族写真にあるのではないでしょうか。
写真を見て喜んでくれる日とがいる。
写真を大切にしてくれる人がいる。
だから写真を撮ることが楽しいし、
もっと喜ばれる写真を撮ろうとする励みも生まれるのです。
写真を趣味とするワタクシにはとてもいい言葉に聞こえます。
写真だからというわけでなく、思い出そのものが大きな財産ですからね。写真はその思い出を鮮明にしてくれるツールという意味で大切にしている人はたくさんいらっしゃいます。
ワタクシの写真でもお世辞もあるでしょうが、感動したと言って下さる方もわずかですがいらっしゃいます。
その言葉が大きな励みになり、キレイな景色を記録として残したい一心であります。
さてさて本編は月夜見宮から。
名前の通り月夜見尊(ツキヨミノミコト)を祭神とする宮です。
月夜見尊は天照大御神の弟にあたる神様です。
その入り口から。

ここから少しあるくとお社があります。

125社の中でも、別宮は位が高いので、皇大神宮・豊受大神宮の遷宮と一緒にこちらでも遷宮が行われます。
敷地内はやはり鬱蒼としていて、山や森が好きなワタクシはこういった場所が好きです。

由緒ある神社仏閣には大きな立派な樹木があることが多いですよね。
その偉大さに敬意を表した人々がそこに神社仏閣を建てたのか、はたまた逆に神社仏閣のパワー(?)によって立派な木々が成長するのか…皇大神宮ではとくにそう思わされるのですがここでも立派な樹木の下で同じことを思いました。
普通に考えれば前者でしょう。しかしですね、現在は立派な樹木も建立された時は樹齢から判断すればまだそんなに大きくない頃だったりもするので…。
ま、不思議だね…ってことで片づけときましょう(笑)
そして御朱印。やっぱりシンプル!!

この後は伊勢市駅そばの世木神社へ。
『世木』は『堰』に由来しているそうで、ここらに昔は宮川分流の堰があったことからこうよばれているとか。

ご朱印。

次回は皇大神宮レポートです!
でわ~
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