小説 こにゃん日記

小説 こにゃん日記

縁日



夢中で遊んでいたら、すっかり遅くなってしまった。
僕は大慌てで家への道をたどる。
空は紫を含んだ蒼。
ぽつんぽつんと、家々の明かりも灯り始めた。
どうしようかな。
僕は迷った。
途中にある神社を通っていけば、家には早く着けるけど。
長い石段を上がらなきゃいけないし、それに・・・。
神社のある石段の下まで来ると、上の方がポッと明るい。
僕はその明かりを見て安心した。
人気のない夕暮れの神社。
だけど、明かりがあれば怖くない。
僕は長い長い石段を登り始めた。

上がっていくにしたがって、明かりはだんだん強くなって、眩しいぐらいになった。
それにお囃子の音までしている。
アレッ?今日は縁日だったっけ?
石段を上がりきると、神社の参道には、裸電球が吊るされ、道の両脇には、綿菓子、たこ焼き、射的に、くじ引き。
ずらりと並んで、やっぱり縁日だ。
でも、お客さんが誰もいない。
屋台の赤や黄色や桃色や橙。
いろんな色が、夕暮れの蒼に、ぼおっとほの明るくにじむ。
なんだか水底から、見ているみたい。
僕は、思わず入り口で立ちすくんだ。

『どうしたの?はいらないの?』
僕の前に、何かがひらりとやってきた。
白地に赤い花模様の浴衣を着て、赤い帯をちょうちょ結びした女の子だ。
見かけない子だな。
僕は思った。
『今日は縁日だったっけ?』
僕が首をかしげながら言うと、女の子はくすくす笑った。
『なんだよ。だって誰もお客がいないじゃないか。』
僕は笑われて、ちょっぴりむっとした。
『まだ始ったばかりなのよ。私たちが最初のお客よ。』
女の子は、僕の手を引っ張るようにして、参道へ導いた。
僕はあわてて手を引っ込めようとした。
知らない子の手を、いきなり引っ張るなんて・・・。
女の子は、黒々とした眼で、僕を覗き込むようにした。
『あのね。私少し心細かったの。』
なあんだ。
この子は、早く来たのはいいけど、誰もいないから、一人じゃ入りにくかったんだな。

『僕、もう家に帰んなきゃ。』
そういったら、女の子は驚いてた。
『だって、今来たばかりなのに?』
『僕、縁日に来たんじゃないんだ。
ここを通って帰ると、家に早く着けるから。』
僕が説明すると、女の子はがっかりしたようだった。
『お父さんか、お母さんと来たほうがいいんじゃない?』
僕が言うと、女の子は首をかしげた。
『お父さん?お母さん?』
ちょこんと不思議そうに、首をかしげた女の子を見て僕は思った。
もしかしたら、この子はお父さんも、お母さんもいないのかな?
そういえば、こんな夕暮れ時に、子ども一人だけで縁日に来るなんて・・・。
『一緒に縁日に来る人いなかったの?』
僕は、恐る恐る聞いてみた。
女の子は下駄を履いた足で、コツンと、小さな石をはじいた。
『昔はいたんだけど、今は私だけなの。』
僕はなんともいえない気持ちになって、あわてて言った。
『僕は、水野幸也。』
女の子はぱっと顔を上げて、
『私は、花ちゃん。』とにっこりする。
『苗字は?』
でも、花ちゃんは、
『ないしょ。』と笑う。
『ちぇ。いいよ、いいよ。
ほんの少しだけだからな。
付き合うよ。』
どうせ、もう急いで帰ったところで、お母さんに怒られるのは決まってる。
だったら少しばかり、この子と縁日を覗いていってもいい。
ほんの少しだけ。
そう思って、僕は、花ちゃんと参道に入った。

花ちゃんは嬉しそうに僕の手を、ヨーヨーすくいの屋台に引っ張った。
『いらっしゃい。』
ぎょろ眼のおじさんが声をかけてきた。
白地に黒いブチの、まるで牛柄のような浴衣を着ている。
花ちゃんは水の中に、ぷかぷか浮かんでる色とりどりのヨーヨーを、楽しそうに眺めていた。
『ほい。』
おじさんが、小さな釣り針がついた紐を花ちゃんに差し出した。
『いいの。お金持っていないから。
見てちゃ駄目?』
花ちゃんが尋ねると、おじさんは僕にも紐を差し出しながら、
『最初のお客さんだからな。
特別サービスだよ。』と笑った。
僕たちは並んで水の中に糸をたらした。
僕は黄色いの、花ちゃんは赤いのを、ひとつずつ釣り上げて、おじさんにお礼を言った。
ヨーヨーは手に乗せると冷やっこくて、ポンポン打つと中の水がタプタプと揺れた。

それから僕たちは、宝くじも、輪投げも、射的もやった。
たこ焼き、綿菓子、バナナチョコ。
どこへ行っても、
『最初のお客さんだからね。』と言って、お金を受け取ろうとはしなかった。
ちらほらと、お客さんの姿も見えるようになったけど、それでも僕たちは、どこでも、最初のお客さんだった。
僕はこんなに縁日で、思う存分遊んだのは初めてだ。
それで夢中になって、すっかり帰るのを忘れていた。
気がついたのは、さんざん遊んで、参道の一番端っこ。
神社のお堂の前まで来てからだった。
『もう帰らなきゃ。』
僕が言ったら、花ちゃんは今度は素直にうなずいた。
花ちゃんは、ずっと握っていた、僕の手をすっと離す。
僕は熱く汗ばんだ手が、急にすうすうして、なんだか変てこな気分になった。
もうずいぶん、時間がたったように思ったのだけど、あたりは僕が来た頃と変わりなく、日暮れ時の蒼がゆらゆら残ってる。
その中で縁日の光は水中花のように見えた。
まるで時間が止まってるみたい。

『ありがと。』
花ちゃんは始終ニコニコしてた。
『私ね。
遠くに行っちゃう前に、幸也と遊べて楽しかったよ。』
僕は、びっくりした。
僕は、また会えるかな?
もしかしたら同じ学校かな?って思ってたんだ。
『どこかに引越しするの?』
僕は、せっかく知り合いになれたのにと思った。
『うん。遠くだよ。
でも、そこにはお父さんとお母さんがいるの。』
僕は残念だったけど、ちょっぴりほっとした。
花ちゃんは、別に親がいないわけじゃないんだ。
何か理由があって、離れ離れだったんだな。
僕は自分の手の中の景品を見た。
さっき宝くじで当てた赤い髪飾りだ。
プラスチックの赤い花がついている。
お母さんにあげようと思っていた品だ。
『花ちゃん。』
僕はぶっきらぼうに、花髪飾りを差し出した。
『これやるよ。』
女の子にこんなものをあげるなんて、普段の僕なら恥ずかしくてできない。
クラスのみんなに知られたら、どんなにからかわれることだろう。
でも、特別だもの。
花ちゃんは、どこか遠く、お父さんとお母さんのいるところに引越しするんだ。
『ありがと。』
花ちゃんは、ほっぺたを赤くして笑った。
浴衣の赤に映えて、可愛いなと、僕はぼんやり思ってた。

僕はその日、家に帰ってから、お母さんに、
『もっと早く帰りなさいよ。』と一言いわれただけだった。
僕が思ってたよりはずっと、家についた時間は早かったんだ。
『神社で縁日やってたよ。』と言っても、
『あら、おかしいわねえ。』とつぶやいただけだ。
僕は、なんとなく、お母さんが元気ないように思えて、
『お母さん。何かあったの?』と聞いてみた。
『う・・・ん。
5年前の縁日でね。
金魚を3匹すくったでしょ。
お父さんと、私と、幸也、一匹ずつ。
幸也覚えてないかしら?』
僕は首を振った。
『幸也ったら、どうしても自分ですくうって聞かなくって、さんざん粘って、やっと小さな赤い金魚をすくったじゃない。』
そういえば、そんなこともあったっけ。
玄関先においてある金魚鉢。
『僕が餌をやるんだ。』と言って、一日に何回も、餌をやって怒られた記憶。
すっかり興味をなくして、見向きもしなくなったのは、いつの頃からだったっけ。
『最後の一匹がね。
さっき死んじゃったのよ。
幸也がすくった赤い金魚。』
僕の中でとっくに姿を消してた金魚。
いつもいつも、そばにいたのに、なんだかもう、その姿もよく思い出せない。

僕はその晩、花ちゃんの夢を見た。
『幸也。ありがとうね。
遊んでくれてありがとうね。
名前を呼んでくれてありがとうね。
赤い髪飾りもありがとうね。』
花ちゃんはニコニコと笑って、
それからくるりと、僕に、背中を向けて駆け出した。
背中の赤い帯がひらひらと揺れる。
いつのまにかそれが、魚のしっぽになった。
人魚になった花ちゃんは、ひらひらと、蒼い蒼い空を泳いでく。
お月様の光が、まるで、水しぶきのように、ぴしゃんとはねて、僕は、まぶしくてまぶしくて、思わず涙が出たんだ。




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