★★ポッキーの育児日記★★

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産後  マタニティブルー



020415生後3日目

マタニティブルー。

産後二日目の2002年4月14日。
私は個室に入院していた。
入院前は絶対個室!お風呂もついてるし、気を使わなくて良いから。と思っていた。
だけど、面会に誰も来ないとすごく孤独。
育児の事が全く分からない。
看護婦さんは忙しそうでなかなか聞く事が出来ない。

朝、食事を済ませ、授乳時間まで少し時間があり、部屋のソファに座って外を眺めていた。
すると、不安や寂しさで涙がとめどなく出てきた。
声をあげて号泣。足まで震えてきた。

何でこんなに涙が出るんだろうといろいろ考えた。
1.出産という大仕事をやってのけたのに、哲平は新生児室。生んだ実感が無い?
2.これからの育児の不安?オムツを換えることすらまともに出来ない。
3.胸が痛くてたまらない。
4.色々と事情があり、私は産後ダーリン実家にお世話になる事になっていた。帰らないと決断したのは自分だが、廻りの母親学級友達は全員自分の実家に楽しそうに帰って行くのをみて正直羨ましかった。その思いが急に出てきた?
5.ドラマ等では皆私は良いからとにかく子供を!!というシーンがある。出産したら自分もすぐにそうなるのかと思っていた。
だけど、私は自分の事ばかり考えている。傷やお腹や胸が痛い。事など。そんな自分で子供なんて育てていけるのだろうか?
6.とにかく今一人でいる事が辛い。

色々と考えたがはっきりとは自分でも分からない。
とにかく誰かと話したかった。
急いでダーリンの携帯に電話したのだが、こんな時に限って繋がらない。
私の実家に電話しても、母も兄も仕事があるのですぐにこれるかどうか分からない。
もし来ても最低1時間半はかかる。
それすらも待てない。
病院の側に住んでいるダーリン実家に電話して義母に来てもらおうと何度も思った。
だけど、そんな事で電話するのもなと思い躊躇し、遠慮して出来なかった。

段々、こんな時はやっぱり夫だろう!
何故電話が繋がらないのだろうとイライラしてきた。
何度も何度も電話したけど駄目。
どうしたら良いんだろうと思った頃に、看護婦さんが部屋に入ってきた。
理由はわからないけど泣けてくるとは言えず、胸が痛くてと看護婦さんの前で子供の様に大泣きした。
すると看護婦さんは
「少しお風呂に入って気分転換してみては?さっぱりしますよ。胸が痛いのは母乳が出てくれば収まるから」と優しく言ってくれた。

言われた通りにお風呂に入ると、大分落ち着いてきた。
そして丁度涙も出なくなった頃に、義母が来てくれた。
義母には泣いた話しはしなかったが、たわいもない話しを1時間位した。
そして授乳時間が来て、あわただしい午後になった。
忙しくなるとそんな事はすっかり遠くに行ってしまった。
次の日一人になっても全然大丈夫!

数日経った頃あれがマタニティブルーだったのだとやっと気付いた。
母子手帳や色々な妊娠本にも書いてあった。
訳もなく不安になり涙が出たりしますと。
読んだつもりだったのに全然頭に入ってなかったと言う事だ。
その後色々読んだら産後すぐにマタニティブルーが来た方が良い。と書いてあるのを読みほっとした。

産後二年たった今この文章を思い出しながら打った。
今となっては何であんなに不安だったのだろうと思う。
始めての事なんだから、子供の世話が出来ないのは当たり前。
愛情なんて子供を育ててるうちに徐々にわいてくる。
今では大事な大事な私の息子君だ。
あんなに遠慮がちだった私も、子供を育てているとそうもいかない。
変わったもんだわ。
段々人って変わるのね。

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