趣味の漢詩と日本文学

趣味の漢詩と日本文学

April 23, 2011
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カテゴリ: 国漢文
【本文】筑紫にありける桧垣の御(ご)といひけるは、いとらうあり、おかしくて、世を経ける物になむありける。
【注】
・桧垣の御=北九州に居た遊女という。
・らうあり=心遣いが行き届いている。洗練された情緒の持ち主である。
・世を経=年月を経る。
【訳】筑紫の国にいたという桧垣の御(ご)といった女性は、非常に気の利いたおかたで、風流に、年月を重ねていた人だったとさ。

【本文】歳月かくてありわたりけるを、純友が騒ぎにあひて、家も焼けほろび、物の具もみなとられはてて、いといみじうなりにけり。
【注】
・純友が騒ぎ=平安中期の貴族、藤原の純友の乱。伊予掾(いよのじょう)となって赴任したが、瀬戸内海の海賊と組んで日振り島を拠点として反乱を起こし、一時は瀬戸内全域と九州の一部を支配したものの、敗れて殺された。(生年不祥~941年)

【訳】年月をこんなふうに心行き届いた状態で過ごしつづけていたが、純友の乱に遭遇して、家も焼失し、家財道具もみんな盗まれ尽くして、とてもひどいありさまになってしまった。

【本文】かかりともしらで、野大弐好古、討手の使にくだり給て、それが家のありしわたりをたづねて、「桧垣の御といひけむ人に、いかであはむ。いづくにかすむらむ」とのたまへば、「このわたりになんすみ侍りし」など供なる人もいひけり。
【訳】こういう事情だということも知らないで、小野好古が、征討軍の使者として京からお下りになって、その人(桧垣の御)の家のあった辺りを訪ねて、「桧垣の御といった人に、どうやって会ったらよかろう。どこに住んでいるだろうか。」とおっしゃったところ、「この辺に住んでいましたよ」などと、おともの人も言ったとさ。

【本文】「あはれ、かかるさはぎにいかがなりけむ、たづねてしかな」とのたまひけるほどに、頭白き女の水汲めるなむ、前よりあやしきやうなる家にいりける。
【訳】「ああ、こんな戦乱に、どうなってしまったのだろうか、訪ねたいなあ」とおっしゃっていたところ、しらが頭の女性で、水を汲んでいる者が、前を通ってみすぼらしいような家に入ったとさ。

【本文】ある人ありて「これなむ桧垣の御」といひけり。いみじうあはれがり給てよばすれど、恥ぢて来でかくなむいへりける。

むばたまの わが黒髪は しらかはの みづはくむまで なりにけるかな

とよみたりければ、あはれがりて、きたりける袙(あこめ)一襲(ひとかさね)ぬぎてなむやりける
【注】
・むばたまの=「黒」にかかる枕詞。
・しらかは=阿蘇山に源を発し、熊本県中部を流れる川。熊本平野を西流して熊本市で島原湾に注ぐ。

・あこめ=綾地で裏は平絹の衣服。男は束帯や直衣を着用するさいに、単衣のうえ、下がさねの下に着た。
・襲=たたんだ衣服を数える接尾語。
【訳】ある人がいて、「これが桧垣の御です」と言ったとさ。非常に気の毒がりなさって、部下に呼ばせたが、恥ずかしがってやってこずに、こんなふうに歌を詠んでよこしたとさ。

ぬばたまのように黒々としていた私の黒髪は、いまでは白河の名のように高齢になって白くなってしまい、その白河の水を手ずから汲むまで落ちぶれてしまったなあ。

と歌を作ったところ、小野好古は感動して、自分が着ていたあこめを一枚脱いで、彼女にやったとさ。





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Last updated  April 23, 2011 12:55:10 PM
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