趣味の漢詩と日本文学

趣味の漢詩と日本文学

August 29, 2011
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カテゴリ: 国漢文
【本文】さて、とかう女さすらへて、ある人のやむごとなき所に宮たてたり。さて、宮仕へしありく程に、装束きよげにし、むつかしきことなどもなくてありければ、いときよげに顔容貌もなりにけり。
【訳】ところで、あちこちと女は転々として、ある人が立派な場所にお屋敷を建てていた。そうして、女はこのお屋敷にずっとお仕えし続けるうちに、衣装もこざっぱりと上品にし、見苦しいことなどもない状態になったので、容姿も非常に上品で美しくなったのだった。

【本文】かかれど、かの津の国をかた時も忘れず、いとあはれと思ひやりけり。たより人に文つけてやりければ、「さいふ人も聞こえず」などいとはかなくいひつつ来けり。わが睦まじう知れる人もなかりければ、心ともえやらず、いとおぼつかなく、いかがあらむとのみ思ひやりけり。
【訳】女のほうは、このような具合だったが、例の摂津の国を片時も忘れず、とてもしみじみと夫の身の上を思っていた。都合で摂津へ行く人に手紙を託して送ったところ、「そういうかたがいるとはうわさも聞こえませんでした。」などと、非常に空しいことを言いながら戻ってきた。自分が親しく知っている人もいなかったので、自分から、知人を行かせて夫の所在を探させることもできず、非常に気がかりで、どうしているだろうかとばかり、夫の身を思いやっていた。

【本文】かかる程に、この宮仕へするところの北の方亡せたまうて、これかれある人を召し使ひたまひなどする中に、この人をおもふたまひけり。おもひつきて妻になりにけり。
【訳】こうしているうちに、このお仕えするお屋敷の奥様が亡くなられて、屋敷のご主人様が、この人やらあの人やらいる人を召し使いなさりなどする中に、この女を好きになられたとさ。女もご主人様に心を寄せて妻になってしまったとさ。

【本文】思ふこともなくめでたげにてゐたるに、ただ人知れずおもふこと一つなむありける。いかにしてあらむ、悪しうてやあらむ、よくてやあらむ、わが在り所もえ知らざらむ、人を遣りてたづねさせむとすれど、うたて、我おとこききて、うたてあるさまにもこそあれと念じつつありわたるに、なほ、いとあはれにおぼゆれば、男にいひけるやう、「津の国といふ所のいとをかしかなるに、いかで難波に祓しがてらまからむ」といひければ、「いとよきこと、われも諸共に」といひければ、「そこにはな物し給ひそ。をのれ一人まからむ」といひて、いでたちて往にけり。
【訳】何不自由なくすばらしい暮らしをしていたが、ただ人知れず心を悩ませることがたった一つあったとさ。(それは前の夫のことで)どうしているだろうか、困難な状況だろうか、良い暮らしをしているだろうか、私がいる場所も知ることができないだろう、人を行かせて探させようと思うが、(その男とどんな関係だろうと思われるのも)不愉快だし、私の今の夫が聞いて、(自分以外にほかに夫がいたのかとバレて夫婦仲が)不愉快な事態になっても困ると(前の夫を探すのを)ぐっとこらえて我慢しつづけていたが、それでもやはり、前夫のことが非常にいとしく思われたので、今の夫に言ったことには、「摂津の国という所の、非常に風情のあるという名所に、なんとかして、神に祈って厄災をはらいきよめる行事をしがてらお参りしよう」と言ったところ、「それはとても良いことだ、わたしも一緒に」と今の夫が言ったので、「あなたは、お出かけなさいますな。わたし一人で参りましょう。」と言って、身支度して、行ってしまったとさ。

【本文】難波に祓して、帰りなむとする時に、「このわたりにみるべきことなむある」とて「いますこし、とやれ、かくやれ」といひつつ、この車をやらせつつ家のありしわたりをみるに、屋もなし、人もなし。「何方へいにけむ」とかなしう思ひけり。かかる心ばへにて、ふりはへきたれど、わが睦まじき従者もなし、尋ねさすべき方もなし、いとあはれなれば、車を立ててながむるに、供の人は、「日も暮れぬべし」とて、「御車うながしてむ」といふに、「しばし」といふほどに、蘆になひたる男のかたゐのやうなる姿なる、この車のまへよりいきけり。


【本文】これが顏をみるに、その人といふべくもあらず、いみじきさまなれど、わがおとこに似たり。これをみて、よくみまほしさに、「この蘆もちたるをのこ呼ばせよ、かのあし買はむ」といはせける。さりければ、ようなき物買ひたまふとはおもひけれど、主ののたまふことなれば、よびて買はす。「車のもと近くになひよせさせよ。みむ」といひて、この男の顏をよくみるに、それなりけり。
【訳】この男の顔を見ると、(探していた)その人だと言うこともできないほど、ひどく変わり果てたようすであるけれども、自分の前の夫に似ている。これを見て、もっとよく見たいので、「このアシを持っている男を(目下の家来に)呼ばせなさい。あのアシを買おう。」と身近にいる者に言わせた。そういう事情だったので、側近の家来は、奥様は役に立たない物をお買いになるなあとは思ったけれども、主人のおっしゃることなので、目下の家来に男を呼ばせて買わせた。「車のそば近くにアシを担いで寄せさせなさい。品物を見よう」と言って、この男の顔をよく見たところ、やぱり前の夫だったなあ。

【本文】「いとあはれに、かかる物商ひて世に経る人いかならむ」といひて泣きければ、ともの人は、なほ、おほかたの世をあはれがるとなむおもひける。かくて「このあしの男に物など食はせよ。物いとおほく蘆の値にとらせよ」といひければ、「すずろなるものに、なにか多く賜(た)ばむ」など、ある人々いひければ、しひてもえ言ひにくくて、いかで物をとらせむと思ふあひだに、
【訳】「とてもしみじみとしたようすで、女が、このような物を商売して世の中を生きていく人はどんな暮らしなのだろう」と言って泣いたので、供の者は、ただ、身分あるかたは、やはり一般的に世間のさまざまなことをしみじみと感じるものだと思った。こうして、奥様が「このアシ売りの男に食事を与えなさい。品物をとてもたくさんアシの代金として与えなさい。」と言ったところ、「行きずりの者に、どうして多くお与えになるのだろう」などと、その場にいる人々が言ったので、無理にでもとは言いにくくて、なんとかして品物を前の夫に与えようと考えているあいだに、

【本文】下簾のはざまのあきたるより、この男まもれば、わが妻に似たり。あやしさに心をとどめてみるに、顏も声もそれなりけりとおもふに、思ひあはせて、わがさまのいといらなくなりにたるをおもひけるに、いとはしたなくて、蘆もうちすてて逃げにけり。
【訳】すだれの下のすきまの空いている所から、この男がじっと見たところ、自分の妻に似ていた。不思議さに、気をつけて見たところ顔も声もやっぱり妻だなあと思って、いろいろ考え合わせて、自分のありさまが、非常に没落した状態になってしまっているのを考えたときに、いたたまれなくなって、アシもほったらかして、逃げてしまったとさ。

【本文】「しばし」といはせけれど、人の家に逃げいりて、竈のしりへにかがまりてをりける。この車より「なをこの男たづねて率て来」といひければ、供の人手を分ちてもとめさはぎけり。人「そこなる家になむ侍ける」といへば、この男に「かくおほせごとありて召すなり。なにのうちひかせ給べきにもあらず。ものをこそはたまはせむとすれ。幼き物なり」といふ時に、硯を乞ひて文をかく。それに、

 君なくて あしかりけりと おもふにも いとど難波の 浦ぞすみうき

とかきて封じて、「これを御くるまにたてまつれ」といひければ、あやしとおもひてもてきてたてまつる。あけてみるに、かなしきこと物に似ず、よゝとぞなきける。さて返しはいかゞしたりけむしらず。車に着たりける衣脱ぎて包みて文などかきぐしてやりける。さてなむ歸りける。後にはいかゞなりにけむしらず。

 あしからじ とてこそ人の わかれけめ なにか難波の 浦もすみうき

【訳】「ちょっと待て」と女が家来に言わせたけれども、前の夫は他人の家に逃げ込んで、かまどのうしろにしゃがみこんでじっとしていた。この車から「それでもやはり、この男を探して連れて来なさい」と言ったので、供の者たちが手分けして探して(あっちにはいない、こっちにもいないと)さわいだとさ。ある人が、「そこにある家にいました」と言うので、この男に「このようにお言いつけがあって呼び寄せるのだ。なにも牛車の前を横切ったバツにお前を無礼だという理由で牛車でおひきになるつもりではない。品物をお与えになろうとしたのだ。愚かなやつだなあ。」と言った時に、男が硯を貸してくれといって手紙を書いた。その手紙に



と書いて封をして、「これを御くるまの中にいらっしゃるかたに差し上げよ」と言ったので、(乞食のようなみすぼらしい身分の低い男が手紙を書くなんて)フシギだと思って、車のところへ持ってきて手紙を差し上げた。女が開封して見てみたところ、かなしきことといったら似る物もないほどで、オイオイと声を上げて泣いた。ところで、この男の歌への返歌はどうしたのであろうか、わからない。車の中で着ていた衣を脱いで、包んで手紙などを書いて添えて男に送った。そうして京に帰ったとさ。その後はどうなったのであろうか、わからない。

生活が悪くなるのを避けよう、と言って人が別れたのであろうに、どうして難波の浦が住みづらいことがあろうか。(アシを刈るのはやめようと言って人が解散して帰っていったのであろうに、どうして難波の浦が澄みづらいことがあろうか。) 





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Last updated  August 29, 2011 12:29:26 PM
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