してみると



普段はたいてい一人であてもなく計画もなく車などを流して気に入った場所をみつけ、
風に吹かれてじっとしているか歩いているかなのだ。

今回のように屋内に来ることはない。

自分の価値・プライド・尊厳を少しずつ削ってくる物事にふれないためだ。

屋内は、ひとがたくさんいるし、周囲を建物の壁が囲っていて空気の流れがない。
その中に様々な作為がよどんでいて、中には自分にとってマイナスにしか働かないものも多い。

例えばその時の気分や内容にあわない雰囲気、美しくないデザイン、サービス、
自分がどうだっていいと思っているようなことでストレスをため込んでいる人々・・・。
そんなものを見てしまうと自分の価値が下がってくる気がするのだ。

自分で自分をバカにしているような環境にわざと身を置いて、
気晴らしに行って卑屈になって帰ってくるのでは、意味がない。

一方屋外で風に吹かれていればそんなことに気を回す必要がないのだ。
身近な自然は、人間を無条件に受け入れてくれる気がして癒される。
自然であれば作為がないし、
たとえそうでなくても風がそのよどんだ気分を吹き飛ばしてくれる。

身勝手な話で他人には責任はないのだが、これは自分の時間への好みなのだ。


しかし今日はその点、とても満足だ。
プライドの高い、調和の高い、美しいものを見た。

完璧なトランポリンの演技、
一輪車のグリップを確かめる動作、
ブランコに飛び移らない決断とバック音楽の協調・・・。

それは簡単に言うと「決まった・・・」という一瞬である。

例えば演技なら成功さえすればいいと言うものではない。
そこにはこだわりとプライドが欲しい。
逆に失敗が悪いばかりではない。
そこにたとえ妥協があったにしても、ポリシーと決断があって切り捨てるのであれば納得がいく。
音楽だって、誰も間違えないのとは少し違う。
気持ちがぴったりあっていて、仲間が皆同じくらいの緊張感を持って手はず通りに進んでいく状態だろうか。

完璧さのみを求めているのではない、行い手の満足を見たかったのだ。
その満足感を共感することで、同じ人間どうし繋がっているという癒しが得られるんだ。
そんなとき、自分が浄化されて心は高い空の上に昇っていくようだ。

その癒しは私にとっては滅多に巡り会えない、自然から得られる穏やかなものとは全く異なる、
もっともっと積極的なものだったんだ。






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