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ヤマブキななえやえ 花は咲けども 山吹のみの一つだに なきぞかなしき母は日記を書き和歌も添えていたようですこの歌も意味も子供の頃に母から教わった早合点してヤマブキは実がならないと長い間 思いこんでいました。(苦笑)間抜けなうさぎさんです~。と言うことで・・・ちょこっとおさらい八重のヤマブキは雄しべが花弁に変化し雌しべは退化したので実がなりませんが一重のヤマブキは実がなります。ネットから拝借しました。m(_ _)m一昨日アップしたシロヤマブキはヤマブキとは別種ですが実がなります。シロヤマブキの花弁は4枚、葉は対生です。葉の付き方も違いますね。・・・・松尾大社でこんなこともおみくじを結ぶ場所がお洒落~酒樽のような的に投げるようです先輩に教わりながら繰り返して練習中新入の巫女さんかな。練習中なので後姿にしました。松尾大社を終わります。有難うございました。・・・・ななえやえ 花は咲けども 山吹のみのひとつだに なきぞあやしきという歌が兼明親王(後拾遺和歌集)あります。ご参考まで。
2015.04.30
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京都・松尾大社の庭は作庭家・重森三玲氏によるものです。パンフレットでは庭が三つとありましたが別途挟み込みの資料には宝仏殿の横に”即興の庭”がありました。全部で四か所になります。昨日ご紹介した曲水の庭、上古の庭、今日の蓬莱の庭、即興の庭です。即興の庭当初の計画にはなかった空間に即興的に造られた庭園だそうです。蓬莱の庭不老不死の仙界の意味羽根を広げた鶴を形どっているそうですが広いので全景は撮れません。池泉庭園で池の周りを一巡できます奥に滝も作られています。蓬莱の庭は三玲は池の形を指示し、長男の完途が遺志を継いで完成させた親子合作の庭園とのことです。霊亀の滝霊泉・亀の井神水ペットボトルを持参してお水を入れて持ち帰って行かれます。近くの方は毎日来られているようです。お庭を拝見するのは入園料が要りますがお水は自由に汲むことができます。「お水 美味しいですよ!」「お水を使うようになってお通じも・・」と、おっしゃるお方も・・・。結構なことで・・・。・・・・・歴史のある建物とモダンな庭うさぎさんも初めての松尾大社でした。
2015.04.29
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京都・松尾大社はヤマブキが見頃洛西の総氏神として鎮座し、神社としては京都で最古 ここにも神のお使いである”亀”と激流を上るかのような”鯉”も松風苑(三つの庭が造られています)作庭は重森三玲(東福寺の方丈の庭も氏の作庭です)曲水の庭庭!!・・・目を見張りました。神社仏閣なら苔や池、枯山水と思いがあり敷き詰められた石を見て・・・立派な庭なのに鱗を連想しました。雅な曲水の宴の舞台を現代風に表現しているそうです。1975年に完成・・・斬新です。上古の庭松尾大社の裏山に眠る磐座(いわくら)をモチーフにしているそうです。(磐座は岩に対する信仰、信仰の対象の岩)中央の巨岩はご祭神の男女二柱大 山 咋 神(おおやまぐいのかみ)市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)周りの岩は随従する諸神の姿だそうです土塀越しに・・・庭園を裏側から一重のシロヤマブキです。シロヤマブキは山吹に似ていますがシロヤマブキ属という別属の花だそうです花弁は四枚です。蓬莱の庭と滝、神水は未整理なので明日に。
2015.04.28
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京都・松尾大社洛西の総氏神であり、最古の神社です。この時期は山吹が境内いっぱいに咲いて参拝客を喜ばせています。黄色の花は明るくて元気が出るような…新緑と黄色の山吹を楽しんで・・・水彩画教室の方たちも楽しそうにヤマブキを描いておられました。筆がよりも口が動く方が多いような・・太田道灌に差し出したヤマブキの花はこのような一枝かしら・・・。庭園に白いヤマブキが咲いています。との表示がありました。庭園に入ってみよう~。うさぎさん・・ビックリの庭でした。
2015.04.27
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松尾大社は今の時期、ヤマブキです松尾大社は・・西暦701年に創建された京都で最古の神社の一つですが、改築され現在の本殿は室町初期の建造だそうです。京都・洛西の総氏神です開拓、治水、土木、建築、商業、文化、寿命、交通、安産(因みに洛東の総氏神は大将軍八神社です)楼門拝殿中門中門の中に本殿がありますが入れません.酒造祖神・・・酒造家に崇敬(すうけい)されています「相生の松」雌雄根同じくし相生の松として樹齢350年だが昭和31年、32年にそれぞれ枯死 しかし恋愛成就、夫婦和合の象徴として今日まで信仰されているようです。神幸祭の川渡しの御舟今年の祭(神幸祭)は本日です。神様が丹後まで開拓に行く際、川の緩やかなところは亀に急流は鯉に乗って行かれたと伝えられているので松尾の神のお使いは亀と鯉だそうです。楼門横のヤマブキ・・・ヤマブキの写真は明日に
2015.04.26
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シクラメン”肘湯の効果” ってご存じですか。先日、俳画の仲良しメンバーでお食事会をしました。その時Tさんが・・・実は・・暮れに突然頭の中が真っ白になってその場にへたり込んでしまった。電話口へどうして行ったのか覚えがないが娘に電話を掛け、帰って来てもらって病院へ行くのは嫌なので治療してもらっている整体師の方へ電話整体師の方は「右の肘を10分、左を5分温めるように」と指示があって、温めたら元気にになった。(時間はこの方の場合です)貧血だったらしいのですが肘を温めて元気になれた。と言う話。足湯は聞きますが肘湯・・知らなかった~。・・・・・肘が冷えると脳の血行も悪くなって脳の働きも鈍くなってしまう。また肘は呼吸器の伸縮にも関連していて肘を温めると胸部の緊張が弛み呼吸が楽になる。・・・と。・・・・42~45度の熱めのお湯に肘をつけると効果があるとのことです。パソコンなどで肩がこったりした時ちょこっと肘湯も良いのかもね
2015.04.25
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白峰神宮の蹴鞠奉納蹴鞠の会場になった拝殿は薄暗く写真もこの狭い間から見える範囲です(涙)毬は(リーダーかな?)に渡されてセンターに毬が置かれ毬は120g前後だそうです。方法は毬を足の甲で二度リフティングして三度目で相手に蹴ってパスをすると説明がありましたが・・・試技では二度リフティングして転がして相手に始まったらリフティングもするが普通に蹴っておられます。ようは何回ラリーが続けられるか。掛け声は「アリ」「ヤア」「オウ」上半身は動かさず腰やひざを曲げないすり足で動く、蹴る高さも4m位など作法があって難しいようです。毬はまんべんなく座に回すことも毬がボケましたが見えるかしら・・・天井があるのでやりにくいようです。(わかりにくい写真で申し訳ないです)写真はリベンジですね~。・・・・・時間待ちの間 ここでの一期一会は・・俳句をされている男性とお祭りを撮るため広島の竹原市から来られた女性またどこかでお会いすることがあるかな。お元気でご活躍を・・・。
2015.04.23
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蹴鞠を拝見しに白峯神宮へ球技の守護神修学旅行生のお参りも次々に訪れて白砂の毬庭で開催される予定が(写真は31日)前夜までは雨、雨水をスポンジで吸い取ったりと努力もしかし今にも降りそうな空です蹴鞠は拝殿で開かれることに観客は一斉に拝殿の周りへ移動・・・蹴鞠は鹿皮で作られています濡れては困るので場所を移動されました。蹴鞠の場所は拝殿神事が執り行われ、待つこと一時間 やっと蹴鞠奉納へ蹴鞠をされる方たち蹴鞠は神官から競技者へモミジの枝に挟まれて・・・厳かに毬庭になった拝殿へ運ばれてきました拝殿の中は四隅の灯りだけで暗いです。ここで蹴鞠が出来るのかしら・・・。
2015.04.22
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白峯神宮は・・・崇徳天皇・淳仁天皇を御祭神として蹴鞠と和歌の宗家の飛鳥井家の屋敷跡球技全般、スポーツの守護神されていますスポーツ関係者の参拝が多いです。修学旅行生も立ち寄って行かれます。春季例大祭(蹴鞠奉納)がありました。4月14日のことです。拝殿(この写真のみ3月31日です)右近の橘左近の桜桜の前で・・・蹴鞠を雨は止みましたが前日の雨で白砂が濡れています出来るのから・・・。
2015.04.21
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フリージャー京都駅をぐるっと一周・・・お散歩!?6月某日の日曜日にクラス会を開きます。早くに店を探しておくべきでしたが・・・のんびりではないが、延び延びになって慌てて先日の木曜日、幹事が集まって会場探しをしましたJRの近くが良いだろうと京都駅周辺のホテルを次から次へホテルを順に聞いて回りました。・・・でも、何処も日曜日は予約でいっぱいです・・・・「お腹空いた~ 何か食べよう。」と言う人「今日の分の散歩は出来ました!」と言う人とかなんとかで・・・昼食・・・・もう ”無理” と思ったが・・・、最後に行ったホテルで予約ができてやっとクラス会が開けそうです。幹事一同 ”ホッ”結果・・京都駅の周辺を会場探して ”てくてく” 一周お散歩~。ひやひやの一日でした。
2015.04.20
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わたし大原女・・・国際会館の駅に立っています。茶色で、ブロンズ像と言うのかなぁ~ちょっと太め~・・・でしょう!!恥ずかしいわ~大原女と言うより”お福さん” ”おたべ” みたい。”健康そう” って・・・嬉しいわ~。大原女はね~・・・京都の時代祭りやイベントでは紺の着物に赤い襷、白い手ぬぐい可愛いのよね~。と、言ったかどうか・・・。・・・・・当時、京都までの12キロ~16キロを牛馬に荷を負わせてやって来て重い品を頭に載せて市中を売り歩きます。売りきるまで帰らないこともあったとか。柴を売る八瀬(矢背とも言う)の大原女、梯子、鞍掛を売る高雄女(たかおめ)、材木などを売る中川郷女(なかがわめ)花を売るのは白川や鴨川の女性鮎を売る桂女(かつらめ)地域で商うものが違っていたようですまた、衣装も少し違っていたようです。「柴はいらんかえ~」「梯子 鞍掛はいらんかえ~」こんな声は聞こえてきません。大原女
2015.04.18
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国立京都国際会館で~桜・さくらスペシャルデイズ 2015~4月4日と5日に開催されました。メインホールなど施設の見学ができ桜も満開です。桜が空を覆っていますどちらを向いても桜・桜・桜ハラハラと舞い散る花弁明日の天気は荒れ模様・・花吹雪かな。比叡山が見えています。周りの景色を上手く取りこんで素敵な会場になっていました。国立京都国際会館を楽しんだ一日でした。これで今年の桜は終了します。ご訪問、コメント、有難うございました。また来年・・《鬼が笑ってる~?》
2015.04.17
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国立京都国際会館のメインホール(大会議場)です。4階まで吹き抜け1階は机付の代表席後方(AV機材がある辺りから)随行員席収容数は2000人天井の銀天板は”大空に下で人が集い、話し合う”を概念に雲・星・空のイメージだそうです舞台背面のオブジェは20種類のアルミ鋳物、全て角度を変えて設置されて、照明演出にも役立っているそうです壇上に上がって次々に記念撮影を・・・代表者席に腰かけて・・気持ちいいよ!代表者になった気分を味わって・・このんな場所で会議が開けたら気分も良いだろうな~・・・・コンサートをされていた会場もあったのですが、大会議場を見て圧倒されました。閉館時間も迫り、桜を見ていないので急いでお庭へ戻ります。隣接の宝が池です。暖かくボート遊びも気持ち良さそう・・残りの桜は明日お届けいたします。・・・・館内をもっと撮ればよかったと反省
2015.04.16
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国立京都国際会館の庭園には四季の花や緑が・・松に竹、梅、桜、サツキ、キショウブ、二千年ハス、モミジなど・・・植えられています。日本の四季が見られるのでしょうね。展望台から・・・優雅ですが・・餌探しに忙しい白鳥さん会議場へ・・・。
2015.04.14
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国立京都国際会館京都、地下鉄烏丸線の終点の駅国際会館駅下車宝が池に隣接し比叡山を借景にして建っています梅、桜も沢山植わっています。~桜・さくらスペシャルデイズ 2015~が4月4日と5日に開催されてました。桜も館内も見たいので出かけました。・・・・岩倉川の両岸は満開の桜並木です桜に柳の黄緑色が美しく岩倉川から高野川へ…鴨川へ続いています八重の緋色の梅とピンクの桜に”✌”横からの写真です庭園に面した場所・・桜がお出迎え庭園を周って桜園へ・・・・・・・・・国立京都国際会館は国が主催の建築コンペの募集で選考された大谷幸夫氏の設計です。会議場(本館)は1966年に竣工イベントホールが1985年にアネックスホールは1998年に2018年に多目的ホールが完成予定です。
2015.04.14
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京都御苑の近衛邸跡・・糸枝垂れ桜もう終わったかな? と、思いながら曇りのち晴れの11日、御所まで~昔を偲ぶかのように・・・厳かに咲いていました。樹齢の若い木は花を付けるのが遅いようで満開です。後の糸枝垂れ桜と重ねて撮っています一本の木に見えて豪華でしょう古木は早く花を咲かすと聞いたような・・(事実かな?・・・俗説かもしれません)若草色の葉になって 対照的でした。数本の古木の桜が見られなかったが京都御苑をお散歩のうさぎさんでした。
2015.04.13
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姫だるま京都の「姫だるま」は吉田神社・・だるまみくじ壬生寺・・起き上がりだるま守市比賣(いちひめ)神社・・姫みくじ他の神社仏閣にもあると思いますがうさぎさんは三ヵ所のダルマが揃いましたお顔は似ています。一年たったら納めればいいのですが可愛いので並べています。・・・・・・先日の土筆の絵に句を頂きました。姫だるまを添えてみましたがうさぎさんは字も下手で・・・小さい色紙なのでペン書です。何方の句なのか。土筆を描いた日のコメント欄を見てもらったらわかります。
2015.04.11
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桜で有名な平野神社、夜桜も楽しめます。昼間の賑わいをそのままに提灯に灯りがはいるといっそう華やかに西の鳥居辺りから屋台が並び桟敷(有料)には人がいっぱいです夜桜を楽しむ方が次から次へと柵に中の桜は子供たちの描いた絵の灯りで桜が彩られ人々の心を和ませています。昼の間 ビデオカメラを移動させ撮影のシュミレーションをされていましたがジェフ・バークランドさんがカメラの前に立ち桜の下で収録が始まりました。日本語が達者なバークランドさんですが日本語のセリフは ”NG” ご本人も悔しそう英語での収録は流石に一回で ”OK”おまけ付の楽しい夜桜見物でした。・・おわり・・
2015.04.10
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お釈迦様の花祭りで寄り道していましたが平野さんへ(平野神社)戻ってきて桜見物を神苑は柵の中 全部桜です。桜で覆われた中の道を上ばかり見つめて頸が痛いです。近郊の子供の絵で灯りを作っています夜のライトアップが楽しみです。八重紅枝垂れ桜寝覚桜・・黄緑色の葉と白い桜が美しいです。十日桜桜に名前が付いていますが全て撮っていません。拝殿で音楽演奏がライトアップの時間になりました。夜桜見物も・・・。
2015.04.09
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花まつり平野神社の桜の続きは明日にして8日はお釈迦様の誕生日と言われておりこれを祝う仏教行事灌仏会(かんぶつえ)別名・・花祭です。・・・・・昨年の今日は丁度サークルのお花見運よく”花祭り”の日と重なって近くのお寺へお花見に”甘茶”やお接待の”いなり寿司”も頂いてお花見弁当とでお腹がいっぱいに今年のサークルのお花見はこの先の日曜日桜は散っていることでしょう。でも、でも、手話の花を咲かすことでしょう。きっと。・・・・・昨日はOB会のお花見散策蹴上からインクライン⇔水道橋この間なぜか往復・・・(笑)⇒南禅寺⇒平安神宮前解散桜は散り始めていました。インクライン上の噴水に花筏が・・・。
2015.04.08
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京都北区にある桜の名所・・平野神社創建・・延暦13年(794年)京都の人は「平野さん」と呼びます。因みに北野神社も「北野さん」です。本殿神社も紋があります。ここの紋は桜です。桜の時期は子供の時以来かなぁ~。これほど桜の木がなかったような・・・ほとんど桜の木ですね。神門と魁桜拝殿御神木の大きなクスノキです願を込めながら樹に触れて一周すると願がかなうとか・・・。一時、人がいなくなりましたが御神木の周りは鈴なりでした。本殿の前も3列になって長蛇の列今はお参りも順番に並ぶのですね。名前が付いたを桜も・・・神苑も桜と人・人・人・・・どれだけ撮れるかな。
2015.04.07
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醍醐寺 五重塔(国宝)平安時代の創建 弁天堂への橋 桜は少しだけ(此処は紅葉の時が良いようです。)弁天堂弁財天をお祀りしていますしかし、此処をお参りされる方が祠の前で神妙に手を合わせてられます礼拝の方法はその方流で良いのですが弁財天は神様のはずだが・・・(二礼二拍手一礼)仏様?考え込んだうさぎさんでした。(≧◦≦)今回の醍醐寺は桜が目的この辺で終わりにご訪問に感謝・・・合掌・・・・・お月様が微かに五重塔の向こうに・・・十日に満たない月、見えたでしょうか?・・・・・五重塔は・・・約38m重要文化財の地蔵菩薩像(絵)(縦119.1cm 横54.8cm)など国宝、重要文化財など数多くあります。流石世界遺産!
2015.04.06
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3月29日の桜の開花情報で京都市内の満開の処は二か所醍醐寺と後一か所他は蕾でした。30日、秀吉公が花見をした醍醐寺へ総門バスを降りたら凄い人・人・人行事があるのかと勘違いするほどです仁王門総門から仁王門までの並木が綺麗です仁王門をくぐって振り返ると(仁王門で拝観料を払います)(下醍醐)清瀧宮本殿前の桜金堂横に白く綺麗な桜でした五重塔へ・・・・・醍醐寺 京都 伏見区にあります真言宗醍醐寺派 ご本尊は薬師如来醍醐寺は醍醐山山頂一帯を中心に200万坪以上の境内があり世界遺産の登録された大きなお寺です境内は上醍醐と下醍醐に分かれたいます。
2015.04.05
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椿寺(正式名:地蔵院)の椿は加藤清正が豊臣秀吉に献上した椿を北野大茶会の際、秀吉が地蔵院に献木されたものだそうです。(一代目が枯れて現在の椿は二代目です)枝垂れ桜も咲き始めました。地蔵堂・枝垂れ桜・椿のコラボは桜の木が大きすぎて上手くゆきません。(涙)椿寺の椿の花を撮ったみました散椿の様子です散っても咲き続けているようなご想像通りだったでしょうか。・・・・・地蔵堂の横に別のお地蔵さんの祠がありますがお地蔵さんのお顔がありません。説明によると京都の市電の敷設工事の時に土中からお地蔵さんが出てきたので地蔵院へ運ばれ預けられたそうです。その時すでにお顔がなかったそうです。寂しい話ですね。・・・・・地蔵堂は洛陽四十四ヵ所第十二番霊場です。・・・・・十一面観音菩薩をお祀りした観音堂があります洛陽三十三所観音霊場第三十番札所です。三十三所観音霊場は全て市内にあります。
2015.04.03
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通称・・椿寺 正式名は地蔵院五色八重散椿が有名です。浄土宗・・ご本尊は・・阿弥陀如来もとのご本尊は地蔵菩薩高さ6尺の地蔵菩薩をお祀りしてある地蔵堂です。裏手に沢山のお地蔵さまが其々に良いお顔で並んでいました。一本の木からピンクの濃淡や絞のある白など八重の椿が咲くので有名です。樹齢400年の一世は昭和58年に枯れ今は二代目の樹齢120年の椿です。樹の下にはピンクに白色鮮やかに散椿散椿は明日に・・・。・・・・・椿寺の開創は聖武天皇の祈願により摂津の昆陽池のほとりに地蔵院を建立したのが始まりでその後、衣笠山の南に移設したが焼失足利義満がこれを惜しみ金閣造営の余材で仮堂を建て地蔵菩薩を奉安した。豊臣秀吉の命により現在の場所に移された。もとは八宗兼学であったが1671年善曳和尚の時に浄土宗になり知恩院の末寺に改めた。とこのような説明書きがありました。ご本尊は正月三が日のみ参拝できます。
2015.04.02
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