マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2013.03.24
XML


 その元になったのは奈良時代の官道ではないか。官道は国府から国府へとほぼ直線に通る幅広い道路で、確か18kmごとに駅舎が置かれ、駅伝用の馬が備わっていたと聞く。その官道が仙台市太白区の郡山官衙(かんが=官立の建物で、多賀城の前身)、宮城野区の陸奥国分寺、国分尼寺、そして国府多賀城へと通じていた。山沿いの東街道よりこちらがより直線的だ。

 やがて前方に見覚えのある丘。東北最大の前方後円墳である雷神山古墳だ。先ず館腰神社に立ち寄る。ここは数年前に走った「みちのくラン」のコース。雷神山古墳を見上げる農業用水沿いの小道も懐かしかった。この辺は幾つかの種類の古墳が集中している個所。古代からの交通の要衝で、有力な豪族がいたのだろう。

 舗装工事中の道路を北上するとJRの踏切。そのまま進むと国道4号線の旧道に出た。ここは「奥の細道」で芭蕉も通った旧街道。芭蕉は東街道沿いの実方中将の墓に詣でたかったようだが、悪路に阻まれて行けなかったと日記にある。ここはかつて増田と呼ばれた父の生家がある町。田圃が全て住宅に変わっていた。

 小道に入って墓を探す。だが様子が違って分からない。何度か迷って老婦に聞くとようやく分かった。彼女は本家の従兄のことも知っていた。墓地への小道に60年前の面影はない。踏切を渡ると田圃の中の共同墓地が見えた。同じ苗字の墓は、きっと遠い親戚のはず。3つ目で分かった。従兄がお寺で過去帳を調べ、江戸時代からの先祖の法名と俗名を刻んでいたからだ。ここはかつて土葬。土を掘ると遺骨の一部が見えたものだ。

 年寄り婆さんと呼んだ曾祖母、祖父と祖母、そして伯父と伯母など懐かしい名前がそこにあった。残ったお菓子を墓前に供え、しばし冥福を祈る。子供の頃に母と別れ、父を早くに亡くした私達にとって、父の実家は食べ物の宝庫でもあった。従兄の住むその家は、大きくて立派な家に変わっていた。戦後間もなく建てた農家も震災で被害を受けたようだ。

 かつて周囲は広大な田圃で、山や駅まで一望出来た。茶碗を洗った門前の小川や鬱蒼とした屋敷林は、私にとってとても懐かしい風景だった。それが今は直ぐ傍を新幹線が走る近代的な町だ。そこから太白大橋とザル川沿いの練習コースを走って帰る。ゴールは3時過ぎ。だが鍵がかかっていて、家に入れない。

 台所の鍵を開けておくのがいつもの約束なのだが、妻はそれに気づかず仕事へ行ったようだ。仕方なく、お向いさんの家で休憩させてもらう。これで2度目だが、1度は梯子をかけて2階の窓から入ったこともあった。1時間半ほどで妻は帰宅したが、無言のまま。その日は早朝から何やら怒っていた彼女。きっと虫の居所が悪かったのだと思う。



 ハプニングはあったものの、40km近く楽に走れたのは大収穫だった。これなら「峠越えマラニック」も可能な感じ。それには距離を65kmほどまでに延ばす必要があるが、このまま練習を重ねたら大丈夫のはず。一日分の汗を吸った黄色いパンツを、洗濯機の中に放り込む。怪我もなく走り通すことが出来てありがとうね。そして今日3月24日は私の69歳の誕生日。天気も良いし、誕生記念に走りたいね。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2013.03.24 11:03:59 コメント(10) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: