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もういい加減、冬に逆戻りすることはないだろう・・と今までためてきたセーター類を洗濯した。 セーターの中には母のセーターもある。元気な頃でも身長146センチ、体重40キロほどだった母、幸いなことに、同じように小柄な私には着れる母の服は多い。 71歳で逝ってしまった母だけど「年を取れば取るほど若々しくありたい」が口癖だった母の遺品は今の私が使っても違和感がないのが多い。 化粧品もびっくりするほどいろいろ持っていた。ブランドものも多く、シャネルの会員カードを見つけて妹と驚いた。私は普段化粧はしないので、メイク用品はほとんど妹がもらっていった。妹は「もうこれで一生化粧品は買わなくてもいいかも」と驚いてた。 鞄は、バーバーリーとイビサを愛用していたようだった。下着もリボンがついたものもあって、旅行用と普段用と分けて使っていたようだった。 いつかのためにと購入したのだろう、ほとんど新品の靴や服、一度も使っていないのではと思えるジュエリーもあった。 おしゃれな母だった。ピンクなど若々しい色が好きで、入院中もさすがにメイクはしなかったけれど、毎朝毎晩顔の手入れはかかさなかった。パジャマも自分が気に入ったのしか着なかった。 自分では買いに行けないので、私に頼む化粧品はひとつ一万近くかかるものばかりだった。そんな高価な化粧品を買ったことがない私は驚いた、病人なのに、何しているんだろう・・と、母のことをあきれた思いで見つめていた。 今なら分かる、今なら分かる、今なら分かるのに・・と心の中で叫ぶ。 あの頃は、分からなかった・・私は母が生きている頃は、母のことがほとんど分かっていなかった。なぜ、入院中でも顔の手入れに気を抜かないのか、パジャマ一つ、靴下一つにも気を使うのか・・ もっと、もっと母のことを知りたかった、母といろいろな話をしたかった。 いや、母はずっと私に話しかけていたはずなのだ、私が耳を傾けて母の言葉を聞いていなかっただけなのだ。 私の大きな勘違いは、自分の世界で人を見てしまうことだ。自分がこう思うのだから、相手もそうに違いない自分が正しいと思うことは、絶対に正しい。そうじゃないのは相手が間違っているからだ。 こんな風に考えて、ずっとずっと生きてきた。 私は、私は何も分かっていなかった。私はほんのちっぽけな世界で、胸を張って生きてきただけだった・・それに気づかなかった。 「いい物は長く使える」がポリシーだった母の私物は、私たちがそのまま使えるものが多い。そういえば私が母の贅沢を指摘すると「高くても良いものを買わなくてはね、良いものは丁寧に使えば10年でも20年でも使えるんだよ。それをいつか、あなたたちが使ってくれればいいのだから」そう言っていたことを思い出す。 母は物を買うとき、いつもそうやって「これはいつか娘に・・」と思い買っていたのだろうか・・ (でも、お母さん、こんなに早く私たちが使うことになると思ってた?) いつかのためにと、新品同様に丁寧にしまわれた下着や服、靴、アクセサリーを見ると胸が痛い。大切に仕舞われたまま一度も使われなかったものたち。 それでも、母の遺品を見つめる時間は悲しくても私を優しい気持ちにさせる、いつまでも眺めてしまう、時が止まる。 母の遺品を身につけていると心が温かくなる。 今日、掃除をしていたとき、母がもういないことが、とても頼りない現実のように思えた。今日夢の中に母が出てきたせいだろうか、元気な頃の母だった。 自分が生きているのに、母はいない、その不思議さはなぜ自分は生きているのかに繋がる。 そしてこの私もいつかはいなくなるのだ、という思いをたどり自分が生きていることさえも、頼りない現実のように思える。 母が亡くなって一年が過ぎた。大きな悲嘆はあれから湧き上がって来なくなったけど 不透明な、頼りない現実の中を生きているようです。
April 30, 2010
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医療に関心がある人なら見たことがあると思うし、是非見て欲しい映画「パッチアダムズ」 この映画は数年前、夫がレンタルで借りてきてみた。 でも母が亡くなって、医療に関心を持つようになって、改めてまた夫と見た。 最初、見たときも感動したけれど再び見ても、引き込まれ何度も心が熱くなって涙ぐんだ。 この映画のモデルとなったハンターアダムズ氏は実在の人物だ。最近、ご本人が取り上げられたテレビ番組も偶然見た。 医療関係者でもない私が、この映画を見て自分に何が出来るかも分からないのに自分の中で大切だと思うもの、求めていると思うものが、そこにあると感じてしまう。 惹きつけられ、心を熱く満たしていく。 現実に、自分が今から10年以上もかけて医師になることはない。今の自分が医療の世界で出来ることはボランティアしかない。この映画を見て感動した私が、今の私に何が出来る?と私は自分に問う。 母のことがなければ、母の死、母の死に立ち会うことがなければ、私はこんなことは思わなかっただろう それほど、私にとって母の死は 母が入院してから、その最期までを見届けたことは今までの私を変えてしまうほど私の中では大きな大きな存在となっている。 だけどそれはまだ、私の中ではっきりとした形を持たない、まだうまく表現できないモヤモヤした霧のような存在で漂っている。 でも明らかに変わったことがある。 今までテレビで人の死を見ても、何とも思わなかったのが人が苦しんでいる姿を見ても何とも思わなかったのが 今まで合理的に考えて取るに足らないと切り捨ててきたものが、心の中に浸入し、熱い涙となって私の心を揺さぶるのだ。映画「パッチアダムズ」については、私にはうまく紹介できそうにないので興味のある方は、自分の目で見て感じてみてください。
April 29, 2010
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今日、新聞でこんな言葉を見つけた。ある大学の医学部教授(救急災害医療)が「・・・救急医療とは、納得出来る死を迎える手助けをするためのもの・・・」と書かれていた。 目が釘付けになって読み飛ばすところを何度も読み返してしまった。私の中で医療について思っていたモヤモヤを的確に表現した言葉だった。 教授も「医療でも死は避けられない」と書いておられた。「医療とは死なないための技術。医療にとって死は敗北。」という観点からではなく「死は避けられないもの」という立場からみた医療。死を忌み嫌わない医療とでも言ったらいいのだろうか・・うまく表現出来ないのだけど 「死はあってはならないもの、避けるもの」である限り死は恐怖の存在でしかありえない。そんな死と自分もいつかは向き合わなくてはならなくなる、怖い恐ろしいと思うのは当然だろう。 でも、「死は避けられないもの、医療とは死を受け入れるためのもの」であったらどうだろう。 随分、違うような気がする。 死と向き合うとき、何が怖いのだろう。誰しも、人は必ず死ぬと頭では知っている、だけどそれを受け入れられないのは納得出来ないからだ、と思う。 納得・・何を?なぜ自分が死ななくてはいけないのか、 または家族の立場だとしたらなぜ、愛するあの人が死ななくてはならないのか、 これは永遠に人々が問い続ける問いなのだと思う。 そいういう患者や本人の思いを無視した医療はありえない。もちろん医師の能力技術は重要だと思う。名医と呼ばれる人の下に多くの患者が助けを求めて集まってくる。 でも、どんなに優秀な医師でも死を克服することは出来ない。人は永遠に生き続けることは出来ない。 「納得出来る死を迎える手助けをする医療」この言葉を病院の看板に掲げては患者はこないかもしれない。人は生きたくて救われたくて病院を医師を捜し求めるのだから。 でも私は「納得出来る死を迎える手助けをする医療」この言葉に医療に対して救われる思いがした。
April 27, 2010
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この前見た、ストレス解消法の番組はよかった。生活に取り入れるようにしている。・積極実行・気晴らし・回避・否認 私は、何か問題があるとそれを何とか解決しようとする、「積極行動型」それが一番よいと思ってた。だから、こればかりに力を入れてきた。たまに、気晴らしで自分の好きなことをしたり、回避で家に引きこもったりもする。 一番出来なくて、許せないと思っていた方法は「否認」だ。問題を見てみぬ振りをする、これは私には一番出来ないことだった。 でもこの番組で、何か一つだけでなく4つをバランスよく使い分けることが一番ストレス解消によいと教えてもらった。 逆に一つの方法だけをとり続けていると、病気やうつ病になる危険性がとても高いそうだ。 このことが分かっただけでも、私にはとってもよかった。危ない、危ない そもそも何か問題が生じても、全部自分の力で解決出来るわけもない。それなのに「積極行動」して、うまく解決出来ないと自分を責めたり悩んだり、これじゃあストレスは増えるばかりだ。 随分無理なことを自分にやらせてきたんだと気づかされる。 気晴らしすることも、回避することも、否認することも、自分が自分の心と身体を守るためにしている行為なんだ。 生きている中で、自分の力で解決出来ないこと、どうしようもないことはたくさんある。そう気づいて、それにとらわれず自分を楽しませてあげる、他の誰でもない自分のために自分をいたわってあげる、これってすごくすごく大切なんだと気づいた。 だって、他の誰のためでもない、自分のための人生なんだから。 人の役に立たないといけない 問題があれば何とか解決しないといけない 自分の思い通りにならないと、自分を責め続けクヨクヨ悩む。ずっと、こんな風に自分を縛り、いじめてきたんだと思った。 気楽に気楽に で、今、思いっきりしているのは「気晴らし」以前も書いたけど、去年の年末から「韓国版 花より男子」が大大大好きになってしまった。 年末の大雪で、BSが映らなくて見れない回があったのは、すごいショックだった・・ で、ついにレンタルで「韓国版 花より男子」全13巻を全て借りてきた。 今、近所のレンタルショップは、旧作は全部一枚100円!なので、全巻借りても1300円。 一日、一枚見るとして、約2週間楽しめる!!!ありがたい、ありがたい。 純粋に楽しめることがあるって、本当にいいよね~~ 日本のドラマ「花より男子」も好きだったけど、台湾版も見たけれど、韓国のが一番好き、 ひたすら、夢物語なこのストーリーがとっても好きです!!少女マンガが好きだった人は、同じようにはまると思うので、まだ見てない人は是非! ちょっと前の韓流ブーム(今も?)、アイドルの追っかけ今まで私にはずっと無縁の世界だった。そういう人の行為は理解できなかった。そんなに好きになっても仕方ないのにって思ってた。 でも、今は分かる気がする。大事なんだよね、夢中になることって、 何かに夢中になったら、その自分を大切に尊重してあげること、大事なんだよね。 以上、今私がはまっている「気晴らし」でした!!
April 26, 2010
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今日は、家から自転車で行ける距離にある医療センターにボランティアの説明を聞きに行った。 ここの病院は、筋ジスと重症心身障害者に特化している。そのためボランティアは主に、筋ジスの患者さんに対して行われているそうだ。 実は、私はこの病院に15年ぐらい前にボランティアで来たことがある。そのときは「一日体験ボランティア」という募集だったと思う。 何気に参加したのだけど、初めて重症心身障害者の人と触れ合って、今より(経験も)若かった私はとっても衝撃を受けた。 柵の中に入って、うーうーうなり続けている人、何か分からないことを怒鳴り続けている人、呼吸器を付けられ焦点の定まらない目で横たわっている人、病棟にいる全ての人がそういう人たちだった、そんな中で私は何をしていいのか全く分からなかった。 正直、これでも生きていると言えるのか、と思ってしまった・・・ 先生もこういう人とコミュニケーションを取るのは非常に難しいです、と言われた。あの頃の私は、そういう人たちの姿を見て、生きてるってなんだろうって思った。 その答えは今も出ていない 筋ジスの話に戻る筋ジストロフィーという病気は聞いたことはあった身体の機能がだんだんと失われていく病気・・ でも詳しくは知らなかった。筋ジスの病棟を案内され、患者さんと出会う。 重症心身障害者ほどではないけれど、やはり呼吸器をつけた状態の人、ほとんど手足が動かない人たちばかりだった。 無意識に過去の記憶が蘇り、ちょっと息苦しい気持ちになる。 患者さんと少し離れた部屋で、ボランティア活動について話を聞く。ここで活動するなら、筋ジスについても知っておいた方がいいだろうと思い、いくつか質問をした。「患者さんは身体の機能は失われても、意識はどうなんですか」「意識はしっかりしています、コミュニケーションも取れます」「筋ジスは進行が止まったり、治ったりするんですか」「いいえ、現在では治療法がありません、徐々に身体の機能が失われ、だいたい15年ぐらいで死に至ります。子供の頃発症して、だいたい20から40ぐらいで亡くなる人がほとんどです。」先生が普通の会話のように話すので、私はちょっと内心ひやひやしてしまう、患者さんに聞こえてしまうのではないかと・・つい、声を潜めて聞く。「・・それを患者さん本人は知っているんですか」「知ってると思いますよでも、我々だって死ぬんです、ある日事故に会ったり癌になったりして、筋ジスの人の方が長生きすることもあると思うんです」「でも、そういうことを普段意識して生活するのと、意識しないで日々過ごすのとはずいぶん違うような気がするんですけど・・私ならすごく不安な気持ちになったり絶望するような気がします」「急に悪くなるわけじゃないですから、徐々に15年ぐらいかかって悪くなるわけですから、そんなに心の動揺はないと思いますがね・・誰しも、たとえ余命3ヶ月と言われて不安になるかと言うとそうじゃない人もいると思いますよ。あぁそうですか、と静かに亡くなる人もいると思いますよ」 はぁーーーと私はここで内心大きく反発した。そんな人いるのか、もしいたら、それは悟りを開いた聖者だろうって、思う。 最期は穏やかな気持ちになる人はいるかもしれないでも、最初からあなたは助からない死にます、と言われて「わかりました」と穏やかに受け入れらる人ってどれくらいいるんだろう。例え、例え、人はいつか死ぬとしてもやっぱり、嘆くし、動揺するし、不安だし、それでも死にたくない、生きていたいって、強く強く願うだろう多くの人がそう思うだろう。 だから、だから、だから・・だから私は・・ でもこの先生の言いたいことも分かる気がする。多分、だからと言って彼らを特別視したり、哀れんだりして欲しくないそういう気持ちで言われたのだと思う。勝手な想像だけど・・ この先生のことはともかく、15年以上ぶりに訪れても記憶は鮮明だった。やはり衝撃的だったんだろう ここでボランティアをするかはまだ決めてないあと二つほど話を聞いてみたい施設があるので・・ どれもこれもと複数の施設でするのではなく、一箇所でじっくりやりたい。 でも、筋ジス患者さんはボランティアさんを必要としていると感じました。※あまり詳しくはないのですが、筋ジスにもいろいろなタイプがあるそうです。大人になってから発症するタイプもあり、この場合は非常に進行が緩やかだそうです。この病院に入院している患者さんは遺伝的な筋ジスの方たちばかりだそうです。全ての筋ジス患者さんのタイプに当てはまる内容ではありませんので、誤解されないようにお願いいたします。
April 23, 2010
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ブログを書くときにこれから心がけたいと思うこと。 自分の感情を素直に表現する、これはこれからも続けたい。でも、そういう感情も一歩引いた場所から見つめられるようになってから書きたい、今までも気をつけているつもりだったけど。 でないと、ただ単に自分の感情を吐き出すためのブログになってしまう。(自分の知っている人だけが読む場ならかまわないけど、不特定多数の人が読む可能性があるからその辺は考慮していきたい) 自分の中で整理して表現出来るようになってから、それを誰か不特定多数の人と分かち合いたいと思えるようになってから書いていきたい。 もちろん、人それぞれだから、全ての人に共感してもらえるはずもない、それは分かってる。それでも同じように響いてくれる人と出会えることはうれしい。そうして繋がった人たちもいる、だから書き続けられるんだと思う。 あとは、もう思っても避けたい表現は、自分を卑下すること。自己否定や、自分は悪かったということを書くのはもう避けたい。 ~すれば理想の自分になる、なんて思っている人は、その~が実現したら、きっと別の~したらが出てくるに違いない。そこで満足は恐らくしない。確実に別の理想が出てくるに違いない。そういう今を否定して、理想を追い続ける人生を選ぶのも人それぞれだろうけど・・そういう人生が悪いとは、思わないけれど、 私は嫌だ、人と比較して、幸不幸を測ったり、~したら幸せになれる、と思う人生は選びたくない。今に満足出来ない、悪い自分と一生自分が付き合っていかなくてはいけないほど、辛い人生はないだろう、と私は思う。 まぁ思ってしまうのは仕方ないにしろ、ブログでそれをぐだぐだ書くのはもうやめたい。 母の命日が終わってから、自分宛に手紙を書いた。 自分が自分に手紙を書く、なんて行為は初めてだった。書いて、読み返しているうちに涙が出た。 自分が愛しくて涙が出た、幼子を抱く母のように自分をぎゅっと抱きしめたくなった。 どうしても自分が嫌だ、好きになれない、自分は悪いやつだと思う人は、自分宛に手紙を書いてみてはどうだろう? あともうひとつ、是非して欲しいのは、自分の赤ん坊の頃の写真を見ること見ていると愛しい思いが湧き上がる、あぁ、この子に幸せになってもらいたいと素直に思う。そしてこの子を幸せにするのは、他の誰でもない自分なのだと気づく。 最近、朝起きるとき腰が痛い。ネットで調べたら、脳の状態が緊張していると腰に影響が出る、と書いてあった。 そういえば、母が亡くなってしばらくしたら、腰がものすごく痛くなって、立ち上がるのも手をつかないと立てないほどだった。こんな経験は初めてだった。 年のせいか、運動不足かと思ったけれど、これも、ストレスだったんだろう。心と身体はあまりにも密接に繋がっていることに驚く。 私が書いた自分宛の手紙 載せておきます。---------------------------------------------私へ もういいんじゃない 過去を悔いるのはもういいんじゃない 悔いて自分を傷つけるのはもういいんじゃない 自分を大切にしてあげてもいいんじゃない あなたは、後悔ばかり、出来なかったことばかり見つけているけれど 愛もたくさんあったよね 思い出は愛、 思い出は辛いばかりで、この言葉が分からないと言うよね 愛された記憶はないの? あるよね お母さん最期にこう言ったの忘れたの?「ありがとうございました、ようやく分かりました、お世話になりました」そう言ったよね、どんな思いで、お母さん言ったと思う? きっとこれだけは伝えなくてはいけないって、一番伝えたいことを言ったんだよ最期の言葉は「もっと生きたかった、辛い、苦しい」じゃなかったでしょ それなのに、どうしてあなたは自分が悪いって言い続けるの?お母さんの最期の言葉、どうして受け止めてあげれないの? 愛された記憶、他にもたくさんあるよねお母さん病気なのに、いつもあなたの健康のことばかり心配してたよねお母さん「母親というのは娘に何かしてあげるのが母親なのに、娘にしてもらうなんて申し訳ない」って泣いたよね。お母さん、熱が40度あってもあなたに「気をつけて帰るんだよ、身体に気をつけるんだよ」そう言ったよね。忘れちゃった? どんな状態になっても、母は子を想い続けるとあなた言ったよね 本当にお母さんは最期の最期まで、あなたを愛し続けてくれたんだよねそれでも思い出は「愛」だと思わないの? 辛いだけなの?愛は消えちゃったの? 思い出して泣くことは、それは「愛」だと感じてるからだよね お母さんは別の世界にいってしまったけれど 思い出はきちんとあなたの記憶の中に残っているよね お母さんが残してくれた「愛」は あなたの中にいつまでも生き続けているんだよね だから泣いているんだよね それは愛だよね? 後悔の気持ちが涙になるんじゃないよね 愛された記憶が涙になるんだよね 辛いよね、苦しいよね 涙たくさん出るよね 愛された分だけ、涙出るよね
April 21, 2010
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今日、夫に「最近ため息つかなくなったね」と言われた。そうか~と思う。 逆にそんなに私ってため息ついていたんだと思った。 やっぱり母の命日と法事が終わったことは、私の中で大きい。大きな心の重りが取れた感じ。あまり意識はしていないつもりでも、意識しないようにしているつもりでも、どうしようもなく心が恐れ拒否反応を起こしていた出来事だったからだろう。 もちろん、ふいに母との思い出が生々しく蘇り、胸が苦しくなる時はある。 でも、「あぁこの先、もうずっと母はいないんだな」ということが、苦しみとして心に突き刺さってくるというより、まるで砂漠を見渡しているような気持ちでそう思う。 変な表現かな・・えっと、説明すると 私は砂漠の一端に立って、どこまでも続く砂漠を見渡し「あぁこの砂は見渡す限りずっと果てまで続いているんだな」と、それが悲しいこととか、感情的なこととしてではなく、ここは砂漠だからそうなんだと、自分の中で納得してその風景を見ている・・そんな感じ。 母の存在は、どこかにではなく、私の中に永遠に残り続けるだろうけど、母としては、○○○(母の名前)としてはもうこの世にはいないんだと、受け入れられるようになってきているのかもしれない。 もうこの世で肉体を持ち、あの小柄な姿で、あの声で、あの表情で、母が私の前に手を振り現れることはないのだと、それがどんなに嫌で否定したくて、過去や自分を否定しても、苦しいだけなのだとそれがようやく分かってきたのかもしれない・・ ・・前置きが長くなりました。 今日、テレビでうつ病のことをやっていた。 ただ単に、うつ病の人の現状を伝えるのではなく、どうしてうつ病になるのか、ということを心理学的に、脳科学的に検証しているのが面白いと思って見た。 で、面白かった。人はストレスを感じると4つの対処方法をとると言う・積極行動型(ストレスの原因に立ち向かおうとするタイプ)・気晴らし型(買い物や飲食で気を紛らわすタイプ)・否認型(ストレスの原因を見てみぬ振りをして解決を先送りするタイプ)・回避型(ひきこもるなどストレスそのものを回避するタイプ)で、面白かったのは、どれがいいというのではなく、この4つをうまく組み合わせてストレスを発散するのがよいそうだ。一番、病を引き起こしやすいのは、どれか一つに偏っている場合だと言う。びっくり、初めて知った。 私の場合で言うと、もろ「積極行動型」自分でそれに立ち向かい解決しないと気がすまない、これが突出していた・・偏りすぎるほど・・一番出来ないのは「否認型」 気晴らしと、回避はたまにする、自分の好きなことをさせてあげることで気晴らしをして、人と会わずに過ごしたい時は引きこもり回避する。 否認は私の性格では難しい・・でもこれもうまく使うと有効な手段なんだろうか・・そういえば、妹はそういうタイプかも・・嫌なことは考えないタイプだから。いつもいいこと楽しいことを考える、母もそうだった・・ 物事の悪い面ではなく、いい面を見続ける否認型、こういう解釈で考えれば、否認も出来そう。 つまり、どれか一つにこだわらず、4つをうまく使いこなすことがストレス解消となるそうだ。 う~ん、勉強になった。これからは「積極行動」に偏らないようにしたい。 別のテレビ番組で、死別の悲しみは、うつ病と症状が非常に似ているが、反応している脳の場所が違うので、うつ病の薬が使えないと言っていたけれど、こういう対処法は同じじゃないだろうか。 あと、うつ病の症状として、眠れない、朝起きれない、やる気が湧かないとあったけど、私は母が亡くなってからは、本当に朝なかなか起きれなくなった。目が覚めるけど、身体が起き上がろうとしないダルイ、こういうのもストレスが原因なんだと改めて思った。 ストレスって本人が気がつかないというのが一番大きいと思う。 あとうつ病の新しい治療として「認知行動療法」と言うのがあるそうだ。うつ病のひとは、正常な人に比べて、悲観的な考えに陥りやすいのだそうだ。 なので、悲観的な考えになったとき「状況」「思考」「根拠」の3つに分けて考え方を客観的に整理していくのだそうだ。そうすることで柔軟な考え(多方面的な考え)を身につけるのだそうだ。 「私はだめな人間だ」って思う人って、どんだけ自分が立派な人間だと思っているんだろうって思う。どんな理想を自分に抱いているんだろうって思う。そして今に満足していない人だと思う。そして、そういう人にそういうと、必ず確実に「あぁやっぱり私はだめな人間なんだ」ってますます悲観的になる。「その通りだよね、私ってこういう人間なんだもん、これでいいんだよね~」と思えるようなら、そもそも「うつ」にはならない。 頑張ることって悪いことじゃないと思う。頑張ることで人は、その人が思う以上の力が出せる、その力は無限大だ。それほど人の潜在能力っていうのはすごいと思う。 でも頑張らないと自分がだめだと思うような人や 過去がよかった、嘆き続ける人は、ずっと満足なんて出来ない 自己否定から出てくる頑張りは自分を疲れさせる、それで結局、私には頑張りが足らないから出来ないんだって、同じところをぐるぐる回る。そういう人のブログは読んでると分かる、ぐるぐるいつも同じところを回っているから。 そうです、私のことです。 もう卒業したいよね、そんな自分から 客観的に自分のこと見つめれた? 今の自分がだめなんて、思っているうちは頑張っても頑張っても空回り、そんな頑張りは捨ててしまいなさい 頑張る力は、自分を否定することからは生まれない自分の力が奪われるような頑張りならそれは違うと気づきなさい 本当の力は、頑張ることでどんどん湧いてくる、満ちてくる 分かったかな、私。
April 20, 2010
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本を読んでいると、人は無意識に自分の死を分かっていると言う。私はずっと、母にはそれがなかったと思っていた。 自分は絶対良くなる、治ると、言い続けていたからだ。 でも、それを言い続けていた本心は、不安の裏返しだったのかもしれない。 母が亡くなる前を振り返ると確かに母はいつもと様子が変だった どう見ても、よくなっているとは言いがたいのに、自分はもうすぐ退院すると言い出した。今のまま(車椅子が必要な状態)では、自分は実家では住めないから父に家の改装工事を強く頼み、あまりに母が懇願するので、トイレを和式から洋式に変更する工事を依頼したのは、母が亡くなる一週間前のことだった。 実家では料理もしたいのでと、私にミキサーやスライサーを買うように言い、私が「そんなの先生から退院の話が出てからでいいじゃない」と言っても、聞こうとしなかった。 どうしてと理解できないほど、母は急いでた。 その時は、どうしてだか分からなかったけれど、それは、多分、予感・・だったのかもしれない もう自分には時間がないそういう、潜在意識からの予感 そうやって、死期を無意識に人は悟り、通常とは違う行動を急に取るのだそうだ。 あと、母は最近こういう夢をよく見ると言っていた私たち娘が赤ん坊の頃の夢、内容は、おむつが濡れて泣いているのに、おむつを替えて上げれなくて「あぁ可哀想に」と思う夢や、私たちが川に流されていくのに自分は助けてあげれない、そういう夢をよく見るのだと寂しそうに言った。 どんな解釈もあると思うけどこれも、もしかしたら予感・・だったのかもしれない。 もう自分は娘達に何かをしてあげることは出来ない胸は痛むけど、泣きそうになるけど、今 涙は出ていない それにしても、今から思うと、ああすればよかった、なぜしなかったんだろうって思うことはたくさんある。 でもそれは今だから思うことで、あのときはそんな心の余裕はなかったんだろうあれが私の精一杯だったんだろう そう思えるようになっている。 最期のときも、記憶はところどころ飛んでしまっているけれどあれが私の精一杯だったんだろうって、そうでなければ、最期まで母のそばに寄り添えなかっただろうと、今は思う。 思い出せば、辛さも戻ってくるだろうのに私はこうして、何度も何度も振り返る 自分を責めるためでなく自分の中で何かを確認するかのように またこうして振り返る
April 17, 2010
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一度の人生だから、好きなことをしよう興味のある方向に、まるで虫が光に引き寄せられていくようにとりあえず頭でごちゃごちゃ考えるより、実行して見よう。 そう思って、ついに病院のボランティアをすることにしました。 2月ぐらいから、模擬患者のボランティアはしていたけど、これは医学生が相手で、患者さん相手のボランティアは興味があるものの、母を思い出しそうで、怖くて出来なかった。 また、私の中で、無収入のボランティアをすることに抵抗もあった。そんな時間があれば、仕事を探して働けば・・そういう声が内から沸いてくる。(私の中ではボランティアは生活に余裕がある人がすることだと思っている) でも、死ぬとき(出来るだけ)後悔しない人生を送りたいせっかく生まれてきたのだから、心と魂が喜ぶことをしてあげたい。興味があることが、ボランティアでしか参加できないのなら(仕事としては成り立たないのなら)、先ずそこで経験を積んでそこから先を見つけていけばいいと思うようになった。 お金にならないからという理由で、自分がやってみたいことを諦めるのも、どうかと思った。 と言っても、私のことだから、いつ飽きるか分からないけど・・ たった一度の人生だ、自分の好きなことをしてみよう 候補は、大学病院、国立医療センター、ホスピスの3つ。母が長期入院していた市民病院は母のことを思い出しそうで、とりあえず候補から外した。 早速、今日は大学病院に説明を聞きに行った。ここで模擬患者のボランティアをしているので、馴染みがある。 私の希望は入院患者さんと関われるボランティアその旨を伝えると、大学病院は急性期の患者さんが主なので入院期間は平均14日。よって、病棟でのボランティアは少なく、主に外来窓口のボランティアを必要としていると言われた。(一日の外来患者の数は平均1400人だそうだ!) で、来週は、医療センターの見学説明を聞きに行く。ここは、重症心身障害児を主に扱う国立病院だ。家から一番近い病院だということと、母の病気と関係ない病院なのでやりやすいかと思った。 まだ迷っているのは、ホスピス(緩和病棟がある病院)実は一番関心があるものの、一番母を思い出しそうで怖くていけない病院。 昨年もボランティア講習会を受けて参加しようと思ったものの、怖くなった。医療関係者の人にも、大切な人を亡くされて一年以内は、同じような患者さんがいる病院でのボランティアは止めたほうがいいと言われた。 助からないと言われた人や、がん患者さんと向き合うことは、通常でも簡単でないと思う。ましてや、その度に母を思い出すようでは、ボランティアどころか、自分のためにも患者さんのためにも、決してよくない、それならやらない方がいい、近づかない方がいい。 きちんと自分の中で、母と、自分、患者さん、を線引き出来なければ、やるべきではない。 でも、どうすれば線引き出来るんだろう・・ こればっかりは、経験してみないと分からないだろうか・・ 迷いつつ、ホスピスも近いうちに説明を聞きに行こうと思っているそれでだめだと思えば無理はしない。 実際ボランティアをしている人からは、ボランティア同士の人間関係もいろいろあって大変だと聞いた。 う~ん、何事も実際経験してみないと分からない自分に勤まるのか、長続きするのか、も分からない自分のことだけど、自分がどう感じるのか、やってみないと分からない でも、経験してみよう、と思えるだけ、実行しようとしている事実は私の中では大きな一歩だ。
April 16, 2010
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長い、3つ目のブログです。 今日、カウンセリング講座の日だった。 二人一組で会話をするという実習をした。その時、なぜ自分がカウンセリングに興味を持つようになったのかを話した。 「母が生きていた頃、母の気持ちを分かってあげれなかった後悔と夫のことを理解せずに夫に「いろいろ言うのはやめて欲しい、話を聞いて欲しい」と言われたことがきっかけだった」と話した。 すると、相手の人に「随分お優しい人なんですね」と言われて驚いた思わず「誰のことですか?私ですか?」と聞いてしまった。 「お母さんのことをそう思ってあげれたり、ご主人が「もっと自分の話を聞いて欲しい」と率直に言えるのは羨ましいご関係ですよ、そういうことが言える奥様でご主人も幸せだと思いますよ」 そう言われてうれしかった、私はずっとずっと、母や夫に対して申し訳ないと思っていたから・・ だから自分が母や夫にとって優しい人だと言われるとは思ってもいなかった。 質問の時間に講師に、私もうまく自分の感情の処理が出来ない、こういう人はカウンセラーに向いていないのではないでしょうか、と質問をしてしまった。 講師の方は「一番カウンセラーに向いていない人は、相手に対して怒りが湧く人です。自分の感情の混乱を相手のせいにする人です。あなたは、自分が悪いと思うタイプみたいなので、カウンセラーに向いていると思いますよ」と言われた。 私が向いているかどうかは別として確かに、自分の感情の混乱を相手のせいにすることはしていないな、と思った。 ということは、全く向いてないわけでもないと安心した・・ すぐ、図に乗るタイプなので・・気をつけよう。
April 14, 2010
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本当はここからが、カウンセリングというタイトルの内容だけど、長くなってしまったので2つにブログを分けました。 去年からカウンセリングの講座を見つけては参加している、市が主催するものだから、参加費がとても安い。一回が数百円だ。現在無職の私にはありがたい、今まで税金払ってきてよかったな~と思える瞬間。 きっかけは、母の死と夫の摂食障害母に対しても、夫に対しても、自分の有り方が分からなかった。後で反省することばかりだった カウンセラーって、今まで、人に助言をする人だと思ってた。悩んでいる人の話を聞いて、答えを教えてあげる人。そう思ってた。だから夫が、カウンセリングに通っていたとき、カウンセラーがいつも夫の話を聞くばかりで、何も助言をしないのをもどかしく思ってた。 こんなんだったら、誰にでも出来る、どうしてわざわざお金を支払って通うんだろうって思ってた。 でも、実際、自分がしてきたことを振り返ると母に対しても夫に対しても、自分が相手を助けるんだという大義名分の元に相手の気持ちなんて考えず、自分の要求ばかり伝えてきたことに気づかされる。 助言なんて言うと聞こえがいいけど、それは助言ではなく、要求だった。「~した方がいい」「どうして~出来ないのか、そうすれば治るのに」 ちっとも分かってなかったこの自分の傲慢な性格は、一生治らない・・と落ち込みつつ、少しでも、変りたい、相手のことも分かりたい そういう思いで、カウンセリングに興味を持つようになった。 職業として、カウンセラーになりたい、と今は思っているわけじゃない身近な人を先ず大切にしたいから 学校の教師の子供が登校拒否や事件を起こす・・なんて笑い話のような話は実際にあるらしい。 先ずは身近な人を大切にしたい。 幸い、子供もいなくて、夫婦二人暮らし、夫の収入だけで何とか生活は出来ている。夫に対しては申し訳ないと思うけど、許されるなら飽きるまで勉強してみたい。 実は、病院のボランティア(医学生を相手にした模擬患者)もやり始めている。ボランティアする時間があれば、働いて収入を得たほうがいいのでは・・という気持ちもあって、ブログに書いていなかったけれど、2月ぐらいからやり始めた。 まだ、抵抗があって出来ないのは、入院患者の話し相手母とのことがあるから、相手の気持ちが分かるのではないかという思いがある反面、母のことをトラウマのように思い出し、苦しくなってしまったらどうしようという不安もある。 以前からホスピスのボランティアには興味があったけれど、周りから大切な人を亡くした人は一年はホスピスのボランティアは止めたほうがいいと言われていた。 一年経った・・どうだろう・・と迷っている。 相手を救おうと思う気持ちとは違う ただ、自分が母が入院中も随分苦しんだまた母の気持ちを思い遣ってあげれなかった後悔もある だから、何だろう・・でも惹かれている、そういう場所に、もしかしたら自分が救われたいだけなのかも・・ カウンセリング・・私にはとても勉強になる。こういうことを学ぶために生まれてきたのかと思うほど。
April 14, 2010
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なんとなくだけど 自分の中に母の居場所を見つけてあげた気がするなんとなくだけど、 外ではなくて内に 今まで、真剣に人は死んだらどうなるかと想った。母は今どうしているか、死ぬ時はどういう気持ちだったか、ずっと考えてた、 別の世界に行っているのか、生まれ変わっているのか、 私の傍にいるとはあまり想ってなかった、もうこの世での役割は終わったのだから、成仏していて欲しいし、ましてや自縛霊なんかになって欲しくない。 私の苦しみは、生きていた頃の母に対する罪悪感と、まだ死んで欲しくなかったという母の死を認めたくないことから生じてくる苦しみで、魂になった母を束縛するための苦しみじゃない。 でも、今は、人は死んだらどうなるか、というのが問題なのではなくて遺された人にとって、その人の存在がどうなのか、ということがもっともっと大切なのだと思った。 死んだらどうなるかは、自分が死んだらいつか必ず分かるそれよりも生きている今、愛する人を亡くして、嘆き苦しんでいる私をどうするのか、の方がもっともっと大切なのだと思った。 だから、変な言い方をすれば、現在の母が極楽にいるのか、生まれ変わっているのか、どうしているのかということより、 母を亡くした私が、母の存在を自分の中でどう捉えて、これから生きていくのか、 ということの方が、もっともっと大切なのだ 生きている人が、生きていくためにどう亡き人の存在を自分の中で消化していくのかそれが多くの人が言う「お母さんはいつもあなたを見守っているよ」ということなのだと思う。 自分の内に、母の居場所を見つけてあげること。 実際に母の魂が私の中に入り込んでいる、というのではない母との思い出(楽しかった思い出も、辛かった思い出も全て)や、母の愛を私の中に住まわせてあげること、それが「お母さんはいつもあなたの傍にいる」ということなのだと、ようやく分かった。 随分と、外や過去に求めて探していたな、と思う。 母の魂はどうしているか、私には分からないけれど(人は死んだら終りではなく、魂の存在は信じている) 母の愛は、私の内に居場所を見つけつつある。 私は外にではなく自分の内に話しかける「お母さん」 自分を大切にすることは母の愛を大切にすることだ。
April 14, 2010
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昨日、法事が終わった。 法事の日までは、何か憂鬱で行くのを止めようかと思ったくらい。母の供養ということなら、命日に一人で充分したつもり。 でも妹も来るし、だんだん行ってもいい気になって、行ってきた。夫も仕事が休みだったので、貴重な休日だったけど一緒に行ってくれた。 終わって帰る なんだろうな~、不思議な感覚だ。妙な高揚感というか、充実感、というのか、何かポワポワした気持ち何なんだろう、これって確かに分かるのは嫌な重苦しい気分ではない、ということ。 家族みんなで集まって過ごしたせいか????それだけではないだろう・・ 母の命日が過ぎたら去年の今頃は・・と思うことが辛くなくなった去年の今頃は「あぁ、もう母はいないんだ」そう思うと、辛いというより、心がもう過去に振り回されなくなる母がいないのは、もう去年も今も同じだから今に気持ちが戻っていく、過去にとらわれない。 何が、一番辛かったのか 去年の今頃は、と振り返るときそのとき、まだ母は生きていた。その母の面影があまりにリアルに生々しく思い出されてしまうから、会いたくて恋しくて泣かずにはいられなかった。 今は、去年も今も同じ現実「母はもういない」これが一年経つということなのだと、実感した。 こんな話を聞いたことがある。インドの昔話だっただろうか 昔、昔は、今日しかなかった、今日という日がただあるだけだった。あるとき、愛する人を亡くした女性が「彼が亡くなった」といつまでも忘れられず嘆き続けるので、神様が過去を作られた。そのため彼女は「昨日彼が亡くなった」「2日前彼が亡くなった」「一週間前彼が亡くなった」と嘆くようになり、だんだんその悲しみを癒していくという話らしい・・ 一年過ぎて、私の中で何かが少し変わった気がする。 もしかしたら、私の中に、母の居場所を見つけたのかもしれない。 最近、母が夢の中に出てくることがあるメッセージ性のある夢とかではなくて まるで普通にそこに母がいる夢、だから目が覚めると、まだ母は生きている気がする。 以前はそれが辛かった、でも今は、そういう夢を見ることは辛くないむしろうれしい気持ちになる。 もしかしたら私の中に、母の居場所が出来たのかもしれない。 外に求めるのではなく自分の中に母の居場所を造ってあげること こうして喪失は癒されていくのかもしれない。 まだ、よくは分からないけれどでも、 命日にさんざん泣いたせいかもしれないけれど今は気持ちは穏やかだ
April 12, 2010
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母の遺品は、妹と分けた。他にも、母の妹や、私の友人や義母にももらって頂いた。 ずっと保管しておくばかりではなく、人に使ってもらいたいそういう思いが私にはある。 その中の遺品で今も使用せず、そのままの状態で保管しているのが母の「財布」 入院中、母は私が夕方帰るとき、必ずこう言うのだ「そこのお財布から、夜ご飯代を持って帰って、美味しいもの食べて」 父から「お母さんの渡すお金はもらってあげて」と言われていた。 妹から、母が父に、もう成人して結婚もしている私に、なぜ毎回金を渡すのかと咎められたとき(いつも父が母の財布に数千円入れていた)「なんで私の気持ちが分からんのや、私はこんな状態になってしまって、母親らしいことは何一つしてあげれなくなってしまった、それが辛いんや。せめて夜ご飯代をあの子に渡してあげることが、精一杯の私が母親として出来ることや、こんなことしかもう出来ん、そんな自分をどれだけ情け無いと思っているか」そう言って泣いていたと聞いた。 母は昔からそうだった私は、子供の頃からすごく痩せていて(普通でも40~42キロ、母が入院してからは37~38キロになってしまっていた)体力もなくてよく風邪を引いて熱を出した夜中に病院へ母にタクシーで連れられていった記憶も何度もある。 母の中では、私はいつまでも永遠の幼子なのだ。だから私が大人になっても、母は会うたび「よく食べてる?もっと太らなくては」が口癖だった。 食事に行っても自分の分を必ず私に渡す。 母にとっては、健康=よく食べるそういうイメージがあるのだろう、いつもいつも痩せている私の食生活や健康を気にかけていた。 それは私が結婚してもずっと変わることはなかった。 入院中、熱が39度あった時も、帰り際脇のテーブルの引き出しから、震える手で財布を取り出そうとした。 どうして、自分の方が苦しくて仕方ないはずなのにどうして、私の食事の心配なんてするんだろう・・・ 「私が出すから、お母さんいつもありがとうね」そう言ってお金をもらって帰った。 母が私にお金を渡さなかったのは、肺炎が悪化して高熱で生死を彷徨った数日と、転倒して寝たきりになってしまった、最後の数日だけだった。 眠ってしまっているか、意識が朦朧としていたとき・・そのときだけだった・・・ その母の財布はまだ使っていない。中身のお金もそのままだ・・ 母の財布とお金は母の私への愛、そのものだ
April 10, 2010
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20度以上のぽかぽか陽気午後から外に出た。今年、初めて桜を見るために外に出た。 歩いてすぐの公園は、市内では桜の名所。平日なのに多くの人でにぎわっていた。 もう桜が散り始めていて驚いた風が吹くたび、桜が雪のように舞う。 桜吹雪を見ていたら去年を思い出した。去年、夫と見た桜・・ 見に行こう、そう思った。ずっと引きこもっているから、帽子と手袋、ウィンドブレカーなんていうトンチンカンな格好で外に出てしまい、暑い、暑い。先ずは自宅に戻り、服を着替え、帽子と手袋を置いて出た。 去年、夫と見たのはお寺の桜。自転車で15分ほどのその寺は、納骨堂があるというので見に行った。そしたら、そこのお寺の桜が丁度満開だった。 そしてまさに散り始めていた、桜の木のそばに座り、流れるように舞う桜の花びらに見とれた。 去年、4月9日、私はブログにこう書いている。------------------------------------------------- 今日、お寺に桜を見に行きました。満開の桜が今、散り始めています。 桜吹雪が舞う中、私はその美しさに見とれていました。 桜が散ることは寂しいことではないですね 精一杯生きて、最期は潔く散っていく その姿は美しく気高い まるであなた(お母さん)の生き様のようだと想いました。---------------------------------------------------- 桜が散るのがあんなにも美しいと思ったことはなかった。 その場所に、一年後の今日また来た。お寺だからだろうか、それとも知られていないせいだろうか、近所の公園に負けないくらい、桜が満開に咲いているというのに、ほとんど人がいない。去年と同じ静けさだ。 でも、お寺の桜はまだ散り始めてはいなかった。 去年と同じ場所に座り桜を眺めるずっと座って見ていると、時々桜が風に乗って舞う。 夫を想ったその時、夫は階段の近くで寝転がっていた。桜舞う中、夫は仰向けになって寝転がっていた。 今日は一人で来たのだけど、そこに夫が寝転がっている気がする、・・優しい気持ち今生きているありがたさを想う。 去年、ここで寝転がっていた夫は、今もいてくれる。一緒に話し、触れることが出来る存在としていてくれる。 この現実が私を暖かい心にさせる。過去から現在、未来に続く時間が夫と私には、今ある。このありがたさを想う。 昨日さんざん泣いたせいだろうか今日は、桜を見ても涙は出ない。
April 6, 2010
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母の命日の翌日 朝、やっぱり魔法なんてなかった、昨日、思いっきり泣けば、今日からは別人の私、にはなってなかった。 昨日の夜は、かなりすっきりした感じだったんだけど・・ もう、母が亡くなってから、朝、幸せな気持ちで起きれたことは一度もない。また、母のことを悶々と思いながら起き上がる。 今日は、天気がいい、最高気温も20度を超えると言う。先ずは、ヨガの太陽礼拝を3回繰り返す。 少しづつ、生きる気力が蘇る。 もうさすがに着ないだろうなと思う、ダウンコートを手洗いする。(以前テレビでやっていた方法で、簡単だった) 布団も干す、クッションも干す、それから水晶も太陽浴をさせてあげよう。 もう今日は泣きたくないな、泣くのもエネルギーがいる、疲れる、と思いつつCDプレーヤーに目がいってしまい、スイッチを入れてしまった昨日から入れっぱなしの「川の流れのように」が流れ出す。 本当にいい曲だなって思う。そりゃ、母も好きだっただろう。 涙はやっぱり、悲しい気持ちで流すより、感動したり、うれしくて泣くほうがいいな。この曲、本当にいい曲だから泣けてきた。 誰しもいつか、愛する人を亡くす。人類が誕生してから、ずっとそれが繰り返されてきた。私一人が、こんな想いになっているわけじゃない。 昨日、夫の寝顔を見ながら明日からは、生きている人を大切に思い生きていこうと強く思った。 母を忘れるとか、そういうわけではなくて、もっと、生きてる人との今の時間を疎かにせずに、大切にしようと思った。 でも、つい、思い出に足元をすくわれてしまう、今もこんな風に「川の流れのように」を聞いていたら、母を思い出さずにはいられない。難しいな、無視するのではなく、なかったことにするのでもなく「喪失」の居場所を自分の中に作ってあげること。それが「喪失」と生きることだと言われた。 今日から別の私、という魔法はなかった。 お釈迦様の言葉過去を追うな未来を願うなただ、今日なすべきことを熱心になせ さぁ、今からお経をあげて、掃除でもしよう。
April 6, 2010
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今日4回目のブログ今までの一日の最多記録・・ 意識するかな、それとも忘れてるかなと思っていた、9時35分 母の死亡時刻 意識してしまった、8時半を過ぎると、ちょくちょく時計を見るようになった。午後9時が近づくと、妹はどう過ごしているだろうと気になった。 ふと、母が好きだった、美空ひばりの「川の流れのように」を聞きたくなった。葬儀でも会場でずっと流してもらった曲・・ 聞いていたら、たまらなくなってきた。夫に、「ちょっと一人になるね、もうすぐ母の亡くなった時間だから」話しているうちに、涙顔になってしまった、「ごめんね」と言って寝室に向かう。 母の写真、遺骨、CDプレイヤーも持ち込む。一人寝室の壁にもたれ「川の流れのように」を流す。 母の大好きな曲だから、よく病室でも流してあげた。最期の日も、母が息を引き取る間際に流し続けていた曲。 最期の日の、最期の時間が曲の流れと共に蘇ってくる。隣に、ティッシュの小山が出来ていく。 妹は今、この時間どう過ごしているんだろう、そう思い電話した。「もしもし~」元気そうな妹の声、「あのさ、もうすぐお母さんが亡くなった時間だね」こっちは泣きそうな声、「今、何してたかなと思って」と言うと「えっと、テレビ見てた、もうすぐそんな時間だってすっかり忘れてた」明るい妹の声、「今日どう過ごしてた」と聞くと普通に過ごしたと言った。 同じ姉妹でも違うんだなって思った。 妹は、母がいたころは私より母想いで親孝行な娘だったけど母が亡くなってからは、私の方が母を恋しがって泣き虫になっている。 親不孝な子供ほど、親に何かあったとき弱くなるっていうけど本当だな。 私って、こんなに母が大好きだったんだ母の写真を見つめ、改めて思う。 私って、こんなに涙が出るほど母が大好きだったんだ こんなに涙が出るほど、母に愛されていたんだ。この悲しさや、涙は、まぎれもなく、愛されていた証なんだ。 私は母に愛されていたから、今母がいないのがこんなに悲しく辛いんだ思い出は、今まで私には辛く苦しいものでしかなかったけれどこんなに辛く苦しいのは、愛されていたからなんだ、そうだったんだ、そんな風に考えたこと今まで一度もなかった。 そして午後9時35分母が息をしているのか、していないのか、心電図がないと分からなくなっていた音がやみ、波形が平坦になり、ゼロをさす。(私は見なかった) 主治医が入室し、母の瞳孔を確認する。そして、時計を示しながら言った「死亡確認をさせていただきます。午後9時35分、ご逝去されました」なんて、あっけない死亡確認だったろう 今の今まで生きていた人なのにこんな風に、簡単に生と死は分けられてしまう。 母の意識はとうに肉体から離れていたかもしれないけれど もしかしたら戻ってくることだってあったかもしれない本当に母はあのとき死んでいたのだろうか・・・そんなことを今でも思ってしまう。 それほど、あっけなく母の死は告げられた。 一年後の午後9時35分過ぎ、母の写真の前で一人でお経をあげた。お母さん、 今もこんなに悲しく、涙が出るほどお母さんは私を愛してくれていたんだね そして私も今もこんなに辛いほど、お母さんを愛していたんだね。 お母さんがいるときはちっとも自覚しなかったけれど今は苦しいほど、辛いほどそれがよく分かる。 お母さんは私をこんなにも愛してくれていたんだね。 ずっと気がつかなかったよ、お母さん この辛さや悲しみは、愛していたからなんだって。
April 5, 2010
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今日3度目のブログです。 悲嘆は癒し、 涙は癒しと書いたし、そう思ったから、 泣いていいと今日は、母が入院中のブログ「治療記録」を勇気を出して読み返してみた。やっぱり、思い出す、そして所々で泣いた しばらくして、もっと泣いてしまうものを思い出す。母が入院中に書いていた日記帳・・ 母の日記は会話調だ、読んでいると本当に母が語りかけてくるようで、怖くてずっと読み返せなかった。 これは確実に泣ける 怖い、どうしよう・・まだ止めようかと迷ったけれど、思い切ってダンボールから出してきた。 そして正座して読み始める。視界がゆがみ、鼻水が垂れてくる・・ティッシュの箱を横に置き、読み続ける。 ティッシュの小山が横に出来ていく。 すぐ涙は出てくるけど、号泣はしない。胸の奥から溢れてくるほど涙は出ない、浅い部分で泣いてる気がする。 ただ、頭はズキズキ痛くなった、 目が腫れた、鏡を見たら、もともと細い目が、むくんだように益々細くなって、不細工な顔が映ってた。 心の中の辛く苦しい塊を搾り出すように、吐き出すように泣けたらどんなにいいだろう吐き出したい、すっきりしてしまいたい。 言葉だけじゃなく、身体と心と魂で、めでたしめでたしと思いたい。 でもやっぱり、無理だよね、涙は枯れないもの、癒しは枯れないもの涙は愛だから、愛は枯れないもの やっぱり、無理だよね今日、思いっきり泣けば、明日は別人の私なんてまだ分かってないんだな・・私って 受け入れることは、乗り越えることじゃない、回復することでもない今の状態(喪失感)をずっと抱いてこの先も生きていくのだと受け入れること。「永遠の別れ」の中で著者も言う。 悲嘆は喪失を忘れることでも、二度と喪失の苦しさに襲われないようにするためのものでもない それが意味するのは、人生を最大限経験したということ誕生から死まで、我々は喪失を生き抜くこと 悲嘆の力は、我々が癒え、失った人とともに生きるための助けとなる力である。 まぁいい、よく分からないけど今日は泣こうと思ったのだから泣けるだけ泣こう、浅い涙だけど、それでも悲嘆は癒しになると言うならば、 頭は痛く、目は腫れてどんどん不細工な顔になるけれど今日は、誰にも会えない、こんな顔では相手はぎょっとする。 でも夫は、きっと理解してくれるだろうこの不細工な顔の理由を
April 5, 2010
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今日、思いっきり悲しんだら、明日から元気!明日からは楽しい毎日のブログなんてうまく気持ちの切り替えが出来たらどんなにいいだろう 今日、2回目のブログです。今日は自分への癒しの日です。 いつもと同じ朝だけどなんとなく違う気分の今日、 数日前から、朝はヨガの「太陽礼拝」をしている。身体が気持ちいいって分かるから 知り合いの人から頂いたホワイトセージを炊く、この香りがすごく好きヒーリング?ミュージックをエンドレスでかける。 静かに一人で過ごしたい一日--------------------------------------------- 可哀想なのは誰?可哀想なのは誰? ずっとお母さんだと思っていたお母さんもっと生きたかったのにお母さん私に助けて欲しいと思っていたのにあんなに頑張ってよくなるんだって、どんな治療でも受けていたのに信じていたのに・・ 治らなかった、助からなかった死んでしまって、お母さんが可哀想だと、助けてあげれなかったとずっと、お母さんは被害者、私は加害者の一人だと思ってた。 でも本当に可哀想な人は誰?哀れなのは誰? 私、じゃないのか・・・もう一年経つのに、母が恋しくて、会いたくて自分を責めている、可哀想な人は母ではなく こんな私ではないのか 今まで、母のことを想って泣いてきた でも、今日は私は私のことを想って泣く 母を亡くして、それは自分のせいでもあるんだと 傷ついているのは自分なのに 自分は傷つけた方なのだと言い張って、 自分を傷つけている、本当に哀れなのは誰 可哀想、 可哀想なのは私
April 5, 2010
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4月5日、今日は母の命日 母の法要は今日ではなく11日になった、だから関西にいる妹にも今日は会えない、本当は、彼女と一緒に母を偲びたかった。夫も仕事でいない、一人で過ごす母の命日。 どう過ごそうか考えた、母の好きだった旅行でもするか、母の好きなデパートに行くか、母の好きだったことをしようかと、いろいろ考えた、 結局、どうするかは決めなかった、その日にしたいことをすればいいと思った。 そして、今日。 今日は、私を癒す日にしよう。 この一年、 母を想うときは過去ばかり振り返ってた。 過去を振り返っては、「もしあのとき~ならば」「もしあのとき~していたら」そんなことを思っては、自分を責めていた。 過去を振り返って後悔しても、何にもならないと頭ではわかっていても母がいない寂しさと辛さで、後悔せずにはいられなかった。母の死を否定したかった。 でも、今を生きていくには、いつかは手放さなくてはいけない 過去は変えられない 手放さなくてはと思う自分 手放せなくて苦しむ自分 今の母を想う私はずっとこの一年、過去の母ばかり想ってきた。 過去を否定することしかしてこなかった。 今の母を想う今、母がいたらきっとこう言う「身体に気をつけて、幸せになるんだよ」どうして、私には今の母の声が届かないんだろう。 今の母に私も言う「お母さん、そちらの世界で幸せに暮らしてね」 今の私の姿を母がみたらどんなに心配するだろう 本当に私は、あれだけ後悔した過去の自分と少しも変わらない相変わらず、母の想いより、自分のことばかり考えてる。------------------------------------------------自分へ もういいんじゃない 過去を悔いるのはもういいんじゃない 悔いて自分を傷つけるのはもういいんじゃない 自分を大切にしてあげてもいいんじゃない あなたは、後悔ばかり、出来なかったことばかり見つけているけれど 愛もたくさんあったよね 思い出は愛、この言葉が分からないと言うよね 愛された記憶はないの? あるよね お母さん最期にこう言ったの忘れたの?「ありがとうございました、ようやく分かりました、お世話になりました」そう言ったよね、どんな思いで、お母さん言ったと思う? きっとこれだけは伝えなくてはいけないって、一番伝えたいことを言ったんだよ最期の言葉は「もっと生きたかった、辛い、苦しい」じゃなかったでしょ それなのに、どうしてあなたはお母さんに悪いって言い続けるの?お母さんの最期の言葉、どうして受け止めてあげれないの? 愛された記憶、他にもたくさんあるよねお母さん病気なのに、いつもあなたの健康のことばかり心配してたよねお母さん「母親というのは娘に何かしてあげるのが母親なのに、娘にしてもらうなんて申し訳ない」って泣いたよね。お母さん、熱が40度あってもあなたに「気をつけて帰るんだよ、身体に気をつけるんだよ」そう言ったよね。忘れちゃった? どんな状態になっても、母は子を想い続けるとあなた言ったよね 本当にお母さんは最期の最期まで、あなたを愛し続けてくれたんだよねそれでも思い出は「愛」だと思わないの? 辛いだけなの?愛は消えちゃったの? 思い出して泣くことは、それは「愛」だと感じてるからだよね お母さんは別の世界にいってしまったけれど 思い出はきちんとあなたの記憶の中に残っているよね お母さんが残してくれた「愛」は あなたの中にいつまでも生き続けているんだよね その愛はどうなの? 後悔の気持ちが涙になるんじゃないよね 愛された記憶が涙になるんだよね 辛いよね、苦しいよね 涙たくさん出るよね 愛された分だけ、涙出るよね
April 5, 2010
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最近、朝なかなか起きれない目は覚めるけど、起き上がれない・・暖かくなってきてるのに「春眠暁を覚えず」というから、気持ちいいから起きれないのか?春だから眠いだけなのか? それとも・・精神的なことだろうか・・心の状態には波がある。もう大丈夫って思ったり、また深く落ち込んだり、私の場合は、母の納骨が終わった9月もうこれで気持ちを切り替えようと、新しい自分になったつもりで仕事探しを始めた・・ でも、結局仕事には就けず(就かず)、また心の波があって12月にふと「もう母の死は受け入れた」と思ったのに、大丈夫って思ったのに、春が近づいてきたら、また頻繁に母を思い出し辛い気持ちになった。 愛する人を亡くした人の症状は、うつ病の症状によく似ているけれど、うつ病の薬は効かないと言う。脳が反応している場所が、うつ病の人とは違うのだそうだ。症状は似ていても、心の状態(正確には脳の状態)は違うのだろう・・ 春が終われば、命日が過ぎれば、法事が終われば、また変れるだろうか。 頭ではもう大丈夫、って思ってても、身体は正直なんだろう一日があっという間に過ぎていく。家にずっといて家事をしているだけなのに、気づくと夜になっている。掃除洗濯料理、生活の基本が出来ているだけでも良しとしよう・・でも食事は、夫の満足のいくように出来てないような気がする、自分のことしか考えてなくて、夫の食事に気を配ってあげてない気がする・・自分勝手な自己嫌悪の始まり・・・悪循環 外に出る気がしないのは、春を感じたくないからかも、桜を見たくはないからかも、意識しているつもりはないのだけど、 やはり春は、母の死を思い出してしまうからか またまたテレビのニュースで桜の話題、今度はチャンネルを変えずにじっと見た。桜だけを見るのは辛い気持ちになるけど、花見をしている人を見るのは楽しい。楽しそうにしている人を見ると、見ている私まで楽しい気持ちになれる。うれしいと思える自分にほっとする、よかった。 大丈夫、大丈夫って思ってても、 やはり心や身体は正直なのかな・・ぎくしゃくしてる時々、どっと不安になる。 もうこのまま負の気持ちから抜け出すことは出来ないのかなってそう思うと、底なしの気持ちになってしまう。 春のせいにはしたくないのに、気持ちと身体はうまくついてこない。
April 3, 2010
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今度は悲嘆と涙について 悲嘆と罪悪感は違うと書いたけど 悲嘆と涙はイコールだと思う。 悲嘆が癒しかは、まだ実感がないけれど涙は癒しだと感じている。 泣くことは癒しで、涙は浄化だ。 力が入った状態では泣けない身体が緩んできたとき涙は出口を見つける。 そして涙を流し続けていると、胸の辺りが暖かくなってくる。 母が亡くなったとき、涙は出なかった。淡々と母の個室の荷物をまとめ、主治医と母の兄弟、叔父叔母にきちんと挨拶をした。涙は出なかった。病院からの帰り、夫が運転する車に妹も同乗していたのだけど私一人、ずっと車の中で話し続けていた。何を話していたかはもう覚えてないけれど、ハイテンションだったような気がする。 初めて泣いたのは、自宅に戻った午前3時過ぎ、母の死後から6時間後浴室だった。自分の身体を洗っていたとき、涙が急に溢れてきた。シャワーを流しながら、声をあげて「お母さん」と何度も呼びながら泣き続けた。 私は人前では泣かない。というか、やはり緊張してしまうので、素直に泣けない。 だから泣くときは一人の時がほとんどだ。一人だと号泣出来る、大きな声で母を呼ぶことも出来る。 誰にも遠慮なく、自分のために泣ける。 泣くことは許しだと思う。 自分に悲しむことを許し泣く。 今でも、もっと泣きたいという思いがある。心の奥で、もっともっと泣きたがっている自分に気づく。 心の中の悲しみを全部涙で洗い流してしまいたいと思っている自分がいる。 今日はヨガをしていたら泣けてきた。落ち着いた静かな気持ちの中で泣けた。 熱い涙だった・・、ただ泣いた。 憎しみや怒りでいっぱいの時は涙は出ない。からだが、固まってしまっているから泣けない。 でも憎しみや怒りの中で涙が出てきたときは許しや癒しが始まったときかもしれない。 怒りと憎しみもまた、罪悪感同様、許しとは共存出来ない。 涙は許し、癒しだと思う。
April 2, 2010
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昨日、悲嘆ということを書いた。どんどん悲嘆してもいいんだと思った。 また気持ちが楽になった。 今日、スーパーの駐車場に桜の木があった、満開だ。悲嘆していいんだ、と思い、いつもは無感情で通り過ぎるのを、立ち止まりジッと桜の花を見つめた。「ピーピー」野鳥が飛んできて桜の木の枝に止まった。 悲しくなってもいいんだ、と思い、桜を見つめているとなぜか、悲しくはなかった、不思議と心が暖かくなった。大丈夫だった・・ 不思議だな、悲しみ、嘆いてもいいんだって、思ったら急に楽になった。母の命日も過ごせそうな気持ちになってきた。泣いても悲しんでもいいのだから、そうする日なのだから。 そう思うと不思議だな悲しみが薄らぐ気がする。 そうしていいんだよ、って言ってもらえたことで逆にそれほど悲しくなくなる・・・ 心って不思議だな~って、つくづく思う。我慢してるとか、そういうのとは違う。 心がほっとして、緩んで暖かくなる。許すって、こういうことなのかも・・ でも、罪悪感や自分を責めるのは悲嘆とは違う気がする。同じように苦しみや辛さの中にある状態かもしれないけれど、ずっと罪悪感を抱いたり、自分を責め続けるのがいいとは思わない。 私の場合は、罪悪感を持つことで、母の死から目をそらそうとしている。それをなかったことにしようとしている。 自分を責めることは、この世が自分の思い通りにならないことへの苛立ちで、もっと自分は出来る人間のはずなのに、という傲慢さの現われではないだろうか。 そして、なにより、悲嘆と罪悪感の大きな違いは罪悪感や自責は「許せない」ことから湧き出てきている。 現実が許せない、 自分が許せない許せない状態で、ほっと出来る訳ない、心が暖かくなるはずもない。 悲嘆は許すことだ、認めることだ。母の死を認め、母に会いたいという自分の願いは叶えられないのだと、悲しみ苦しむ自分を許すことだ。 その先には何があるかは、まだ分からないけれど 今まで好き放題させてきた罪悪感は、手放すことだ。罪悪感がなぜ湧いてくるのか、罪悪感を抱くことで自分や他人に与える影響を考えれば、出来るはず、 罪悪感を抱く自分を許す、というのもいいかもしれない。 罪悪感と許しは共存できない。罪悪感を許せれば、きっと罪悪感は消えていく。 いつまでも、自分はだめな人間だ、悪い人間だ、と想い続ける事は、 癒しからは一番遠い。 私は自分を癒したい 自分を愛したい、大切にしたい、と思う。 だから罪悪感はもう手放したい。何かを見て母を思い出したとき、例えば旅行の案内を見たとき今までなら「あぁ、あんなに一緒に旅行しようと言われていたのに私は連れて行ってあげれなかった、なんて私はひどい人間なんだろう、お母さんごめんなさい、ごめんなさい・・」と言い続けていたのだけど、 これからは、旅行案内を見たとき「あぁ、私はもう生きている母と旅行することは、二度とないのだ」と自分を責めるのではなく、母は死んでしまったから旅行が出来ないのだと、その事実を見つめ悲しければ、涙を流そう それが、罪悪を手放し、悲嘆することだと思う。 悲嘆と罪悪感は違うと思う。
April 2, 2010
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私にはまだよく分からないのだけど心に響いた言葉なので、抜粋してみました。 永遠の別れ エリザベスキューブラーロス・デービッドケスラー著P373~要約「悲嘆には秘められた力がある。傷ついて疲弊した心を悲嘆は蘇らせる。朝になってもベッドから起きたがらない心生きる理由を失っている心信じがたい喪失に苦しんでいる心を悲嘆は変容させるのだ。 悲しみぬくことそのものに癒す力がある。もし治癒が生じていなければ、それはほとんどの場合その人が悲しみぬくことを自分に許さなかったからだ。 我々が抱える問題の多くは決着がついていない悲嘆、癒されていない悲嘆から生じている。 自分の悲嘆をうまく経過させることが出来なかったとき我々は心と魂を癒す機会を失うのである。 苦しみはいくら回避しようとしても回避しきれない。しかし、悲嘆を回避することによって、悲嘆に秘められた癒す力に背を向けてしまい、苦しみの期間を長引かせてしまうのだ。 人はなぜ悲嘆するのかその理由は二つある。 よく悲嘆するものは、よく生きることが出来る 悲嘆は心の治癒に必要なプロセスだから我々は悲嘆と言う道を通って、全体性・完全性に回帰していく。悲嘆を経験しない限り、我々は感情のわだかまりから生じる苦しみを味わうことになる。 人は永久に悲しみ続ける。それが現実である。愛する人の喪失に「打ち勝つ」のではない。喪失と「共に生きる」ことを学ぶのだ。新しい自己を再建するのだ。 悲嘆の道は曲がりくねりながら続いている。悲嘆は感情の大変動という激しいサイクルを完成させる。 それが意味するのは、人生を最大に経験したと言うこと、誕生から死までのサイクルを完成させたということである・・・」 悲嘆がなぜ素晴らしいのかはよく分からないでも涙は心を軽くしてくれることは知っている。 感情を、特に負の感情を押し留め、心の奥にしまい込む危険性も知っている。感情は閉じ込めておいてもなくならない。ずっとその人の心の奥に潜み、浮上するときを待っている。 インナーチャイルドと呼ばれるのもきっとそうだ。 子供の頃の傷は、自然には癒されない大人になってから顔を覗かせ、その人を苦しませ続ける。 母が亡くなって一年・・まだ、なのか、もう、なのか、 悲嘆を「悲しみぬく」ことで、心の傷は必ず癒えるという。新しい自分に出会うのだと言う。 逆に「悲しみぬくことを自分に許さなかった人」は、いつまでも悲しみから抜け出せずに辛い人生を送るという。 悲しみぬくとは、「克服」するとか「打ち勝つ」と言う事ではなくその人の死という現実を「受容」して、「喪失と共に生きる」ことを学ぶことだと言う。 けれど、 一体いつになれば癒えるのか、と不安になるときもある。いつまでこんなことばかり言っているのかと思うときもある。自分を甘やかしているだけではないかと思うときもある。 仕事や趣味に没頭して悲しみを忘れる方法もある。きっと多くの人がそうして、悲しみを乗り越えているのだと思う。 けれど、 現在無職の私、 子供もいない私には 悲しみを味わいつくす時間は充分にある。 悲嘆が喪失を生き抜き、人生を最大限経験することであるというならば悲嘆が恩寵であり、奇跡であるというならば 私には、人生を最大限経験し 恩寵や奇跡を受け取る時間は充分にある。
April 1, 2010
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