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夫が朝からアンジェラアキさんの歌を聞いている とっても素敵な歌だと思うけど けど・・なぜか、彼女の歌を聴くと母を思い出す そして悲しく泣きたい気分になって、苦しくなる なぜか、 多分、彼女の歌を夫がやはり、 母の入院中や、母が亡くなったばかりの頃によく聞いていたからだと思う。 曲や歌って、その時の思い出も引き連れてくる 初めて聞いたとき、よく聞いたときその時の状況、心情、風景までも、はっきりと蘇る アンジャラアキさんには申し訳ないけど悲しくて、辛い気持ちになってしまう・・ でも、これは脳の作用だ医学的科学的詳しいことは知らないけれど 普段忘れている記憶が、あるスィッチの刺激で蘇ってくるそう、忘れているだけ、消失してしまったわけじゃない 私の脳はこうして、普段忘れている膨大な情報量や能力を詰め込んでいるんだろう 最近、脳科学の話題がよく出るせいか、私もとっても関心がある脳の仕組み、心の作用、潜在意識知りたい、とっても、 今までは心の仕組み、みたいなものは神様の領域だと思ってた複雑で自分の意識ではどうしようも出来ないもの でも実はもっとシンプルなものじゃないかと思うようになった。 最近、また通い始めた講座でセルフイメージということを学んだ。 イメージ力が潜在意識に与える影響はとても大きいらしい イメージすることが現実の自分を創り上げていくこれは神業でも何でもなくて 人はそういう風に出来ている もし自分にポケットが一つしかなかったらそのポケットに何を入れて生きていきたいか 一つしか選べないなら 例え、目の前に辛いこと、悲しいことがたくさんあってもきっと、楽しいこと、うれしいこと、感謝することもある。きっと、一つはある。 一つでいいなら その楽しいこと、うれしいことをポケットに入れて生きた方がいいよね 実は、脳は一つだけしか焦点を当てれないらしいその一つのことが潜在能力に影響を与えていく いつも自分が焦点を当てていることが、現在の、未来の自分を創り上げていく。 悲しみや苦しみに自分が飲み込まれそうになっている時はたった一つの喜びに意識を向けることは難しいかもしれないけれど でも逆にそういう時だからこそ、光り輝くたった一つが見えるかもしれない それをたった一つしかない、自分のポケットに入れて生きていけたらと、それがなかなか出来なかった私もそう思えるようになりました。
June 20, 2010
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母のことがあって以来生と死について、心と身体の関係について関心を持つようになった。 カウンセリング講座や救命救急講座、ICサポーター養成講座など、心や身体に関する講座やボランティアに参加してきた。 特に医療には関心を持っていて、医療実習ボランティアは自主的活動として行っている。(ボランティアというと献身的奉仕的な無償活動と誤解されているけれど、本当の意味は自発的活動を言うらしい)誰かのためとかではなく、自分がこれは必要だと強く感じるから行動する。それが私にとってのボランティア活動だ。 なぜ、医療に関心を持つのかそれは、今の日本ではほとんどの人が病院(医療)で死を迎えるからだ。医療現場は生の現場でもあるけれど、同時に死の現場でもあるからだ。 まさに、「生と死」がそこには凝縮されているからだ。 私は死を見つめることは、生を見つめることだと思っている。 母の死を身近に感じたとき、バス停で目に映った街路樹の緑を私は思い出す。母の死を思う私の目に映ったのは、鮮やかな緑むせ返るような生々しい木々の生命力だった。 その不思議・・ 死を覆い隠してしまっては、よりよく生きることは出来ない 死を恐れる私はそう思う。 あぁ、いけない、私は生と死、医療に関することはつい熱く語ってしまう・・語り続けると終わりそうもないのでこの辺で切り上げる。 そうそう、タイトルの「うれしい」 というわけで、私はこういう思いで今出来ることをしているのだけど昨日、知り合いの方が「こういう仕事があるのですけど、どうですか」とメールを下さった。 仕事は事務補助だけど、職場は医療関係だった。私に向いていると思い紹介して下さったようだった。 それがすごくうれしかった。 何がそんなにうれしかったか、私が興味を持っていることに心を留めて連絡をして下ったことその行為が何よりうれしかった。 事務に関しては、エクセルとワードを使いこなすのが事務職としては当たり前となっている今では、エクセルとワードで基本的なことしか出来ない私は一昔前の事務職員だ。 だから事務能力を優先的に求められるなら、私はそこでは役立ちそうにない。 だけど、そこで働く働かないとは全く関係なく「こういう仕事あなたに向いているのではないですか、どうですか」と声をかけてもらえたことが何よりうれしかった。 これからも、この道を進んでいこう!という勇気と自信をもらった ありがとうTさん!
June 16, 2010
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カウンセリング講座、医療実習ボランティア、セルフメンテナンス講座、などなどから学んだこと。 それは、「誉める」ということ。「目の前の人の良いところをあげてください。」と言われて私は非常に困った。 その目の前の人は、全く知らない人、だから見た目と雰囲気からだけでその人の良いところを言わなくてはいけない。 日本人は誉められ慣れてないとよく言われるけれど、 私の場合は、誉め慣れてない。 私の母は「親ばか」だった。娘の私の悪口を他人の前では決して言わない。 むしろ誉める、そばにいる私が恥ずかしくなるくらい誉めた。母が亡くなって叔父や叔母から、私は母にとっては自慢の娘だったと聞かされた。 だからだろうか、私は人から誉められることにはあまり抵抗がない。素直にうれしいなと有頂天になってしまう。「いえいえそんなことはございません」と謙遜することはあまりなかった。 でも、そういう誉め上手な母の娘の私は、人を誉めることが非常に下手だ。 人の欠点はズバズバ指摘するのは得意なのによいところを見つけるのは非常に苦手だということが最近、本当に最近、よく分かった。 私は人のアラ探しばかりしているということが、よく分かった。 どんな人にも、良いところ、他人より優れているところは必ずある。なのに、私は人の悪いとことばかり見てしまう。 これって、実は人間関係や教育という場ではあまりよくない。 厳しく育てるのと 誉めて育てる どちらがいいかと言われれば、誰だって誉められて育ちたい。 厳しくしてはいけないとか、叱ったらいけないというのではない。一つ叱ったら、二つ誉めるこれがコツ、誉める数を叱る数より必ず多くする。 人は厳しい人や批判ばかりする人には心を開かない。 よくこんな私が今まで社会で生きてきたものだと思う。 あっ、だから人間関係で悩むことが多かったんだ~とようやく気づく。 ようやく気づいたせいかな 最近、人のよいところに目が行くようになった、気がする。 そうするとね、欠点ばかり目がつく頃よりも その人のことが好きになれるし、自分の心も優しくうれしい気持ちになる。 人の欠点ばかり目についてた頃の自分ってなんかカリカリしてて、自分でも嫌な感じなんだよね。 誉める、誉める、先ず誉めるお世辞を言うのではなくて、その人の魅力に気づける自分になる。 これからも実行していきたいな~
June 10, 2010
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5回に渡るカウンセリング講座が終わりました。 継続することも出来るらしいけど、今後のことはまだ決めてません。 何より、趣味で通っていたのではなく、実生活、特に夫との生活に活かしたいために参加した講座なので、その場限りで終り、では意味がない。 なので、講座を継続するかどうかより、今後の生活で活かせるかどうか、が私には大きい。 講座の中だけで「ふむふむ、なるほど!!」と言って終わってしまうのが怖い・・ なので、復習?のつもりで、自分が講座で学んで「なるほど~」と思ったことを書き出してみます。 カウンセリングとは、相手の気持ちに寄り添っていくこと 解答や解釈をしない。 質問はあまりしない、質問ばかりすると相手は責められているように感じてしまう。 アドバイスをする場合は、相手を説き伏せようとしない。 相手が望まないのに、延々と話さない。 相手の感情を確認しながら聞く。 (話し手が伝えたいのは、出来事や事柄ではなく、 それを通して心に留まっている感情である) 安易に「分かりました」と言わない 「分かるような気がします」と言うに留める。 よき理解者とは、分からなくても、分かろうとしてくれる人である。 こう書き出すと、簡単そうに思えるかもしれないけれどこれを実際するのは、私にはとっても難しい。 お節介、おしゃべり、自己主張が強い、私にはとっても難しい。つくづく、自分はカウンセラーには向いてないなと思うけど・・ それでも、学びたいと思うのは、やっぱり夫婦仲良く、楽しく暮らしていきたいから。自分のためにも学びたいと思ってる。 カンセラーの講師の方が「プロでも家族をカウンセリングするのは不可能と言われています」と言われたけれど、 カウンセラーまではいかなくても相手の気持ちや痛みが分かる人間にはなりたい。 マザーテレサも言われたではないか「先ず、一番身近な人を愛することから全ては始まる」いつも心に留めている言葉
June 9, 2010
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今日は、ある無料カウンセリング予約の日これで3回目の予約日 一回目、挑戦したけど、全然繋がらず電話の「しばらく経ってからおかけ直しください」の言葉に素直に従って、しばらく経ってからかけ直したら、繋がったけれどもう予約は終了していた。夫に、繋がらなくても絶えず挑戦しないと電話は繋がらないと後で言われた。 二回目の時は、予約日を忘れてしまって三回目はカレンダーに書いておいた。 で、今日、予約時間の一分過ぎぐらいに電話をしたら、もう全然繋がらないまたしても空しく「大変込み合っていますので、しばらく経ってから・・」のアナウンスしばらく経ってからだと、もう終わってるんだよね~と、しつこく何度もリダイヤル。 たまにアナウンスではなくて「プープー」と言う音がすると、もうすぐ繋がるのかと意味もなく期待してしまう。 概ね30分で予約は全て埋まると聞いているので、ずっと30分間かけ続けているか、というとそれはしなかった・・・ なんと言うか、そのカウンセラーの方は難病や自殺願望の人など、切実な人たちの相談に乗ってみえる方で、私が申し込むのは何か、申し訳ないな~という気持ちがあるからイマイチ、絶対予約を入れてやるぞ!!という積極性が出てこない。 でもその人の講演を拝聴してすごく面白かったし、私も全然悩みがないわけではないから、お会いしたいな、という気持ちはある。 はっきり言うと、救ってもらいたい、気持ちがある。 でもカウンセラーの方から言うとカウンセラーが救うのではないそうだ 人は、その人本人に自分を救う力を持っている。カウンセラーはその力を引き出してあげるだけでその人本人をカウンセラーが救うわけではない 自分は、自分にしか救えない そうだよね、私は、私にしか救えないんだよね でも、予約できたら幸運だと思い、チャレンジしてみた数分置きに電話をかけ続け、45分を過ぎた頃、諦めた・・・ 「予約は全て埋まりました」と言われるまで、諦めるべきではないかもしれないけれどへなちょこだな~~~引き下がってしまった。 諦めて、夫のシャツのアイロンがけを始めた。 夫が転職してから初めてアイロンがけをするようになった。それまでは、アイロンを必要としない生活や職場だった。(要するに、ワイシャツを着ることがなかった) 夫は袖口と襟がパリッとした感じが好きなのだそうだ。袖口と襟元を糊付けする。アイロンがけは、はっきり言って面倒だ。不器用な私は片手間に出来ない。しっかり時間をかける。 でも、集中すると楽しくなる、嫌じゃない。極めれば職人芸だなとさえ思う。アイロンがけ講座なんてのがあったら通おうかと思うほど。 他人に救ってもらいたいというより、他人に自分の中で眠っている何かを起こしてもらいたい それには外からの刺激は欠かせない自分の内に籠もっていては私には見つけられない 何が眠っているのか分からないけど探してるのだから、何かあるはず
June 4, 2010
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今日、履歴書を出しに行きました。また一つ、仕事に応募しました。また落ちるとなんなんで、内容は詳しくは書かない。 書類選考とあるのに、履歴書の提出は郵送ではなく持参とある。これは、どんな人物か観察するためかな、と思いつつ、正式な面接でもないし、ありのままの自分でいいだろうと、カジュアルな服装で出かけた。 履歴書を提出すると、簡単に仕事の内容の説明を受けて「どうですか?」と聞かれたどうですか、と言われても「やってみなければ分かりません」と正直に答えてしまった。 立ち話程度の会話で、あっという間に提出終了。帰り道「分かりませんは、まずかったかな~やっぱりマニュアル的には、是非やらせて下さい、だろうな~また書類選考で落ちるかもな~」とちょっと反省。 でも、今回のことで一つ分かったことがある。短大を出てから、仕事と言うと事務職しか経験のない私。(アルバイトを除く) そもそもなんで事務職を選んだかと言うと「残業もなく、プライベートが思いっきり楽しめる職種」として選んでいた。だから私の職場は夫と違い、残業はほとんどない職場ばかりだった。 5時過ぎには職場を出て、プライベートを思いっきり楽しむ、そんな20代だった。30代は結婚したので、家事と両立させるためにも、残業のない職場は外せなかった。 でも、今は、事務職に興味が湧かない。今回、応募したのも事務職ではない。今まで仕事としては経験したことのない分野。免許はあるけど経験がない、それでもいいと言われたから応募してみた。それゆえに、どうですか、と聞かれても、やっぱり「やってみなければ分かりません」としか言いようがなかった。でもやってみたいと思った、だから応募した。 履歴書を提出してすっきりした気分どうなるかは分からないけど、私こういう仕事がしてみたかったんだなと、自分の中で少しクリアになった気がする。 また落ちても、またチャレンジしていこう。自分の心が「やってみたい」と思ったことに。
June 1, 2010
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