一緒に歩こう

一緒に歩こう

PR

Profile

白い倍音の魔法使い

白い倍音の魔法使い

Calendar

Comments

白い倍音@ そうだったんですね ごちゃまぜアイスさんへ  ブログ閉鎖さ…

Archives

November , 2025
April 1, 2010
XML
カテゴリ: 死別
 私にはまだよく分からないのだけど
心に響いた言葉なので、抜粋してみました。

永遠の別れ  エリザベスキューブラーロス・デービッドケスラー著
P373~要約


傷ついて疲弊した心を悲嘆は蘇らせる。
朝になってもベッドから起きたがらない心
生きる理由を失っている心
信じがたい喪失に苦しんでいる心
を悲嘆は変容させるのだ。
 悲しみぬくことそのものに癒す力がある。
もし治癒が生じていなければ、それはほとんどの場合
その人が悲しみぬくことを自分に許さなかったからだ。
 我々が抱える問題の多くは
決着がついていない悲嘆、癒されていない悲嘆から生じている。
 自分の悲嘆をうまく経過させることが出来なかったとき
我々は心と魂を癒す機会を失うのである。

 苦しみはいくら回避しようとしても回避しきれない。
しかし、悲嘆を回避することによって、
悲嘆に秘められた癒す力に背を向けてしまい、苦しみの期間を長引かせてしまうのだ。
 人はなぜ悲嘆するのか
その理由は二つある。
 よく悲嘆するものは、よく生きることが出来る
 悲嘆は心の治癒に必要なプロセスだから
我々は悲嘆と言う道を通って、全体性・完全性に回帰していく。
悲嘆を経験しない限り、我々は感情のわだかまりから生じる苦しみを味わうことになる。

 人は永久に悲しみ続ける。それが現実である。
愛する人の喪失に「打ち勝つ」のではない。
喪失と「共に生きる」ことを学ぶのだ。新しい自己を再建するのだ。
 悲嘆の道は曲がりくねりながら続いている。
悲嘆は感情の大変動という激しいサイクルを完成させる。
 それが意味するのは、人生を最大に経験したと言うこと、誕生から死までのサイクルを完成させたということである・・・」


 悲嘆がなぜ素晴らしいのかはよく分からない
でも涙は心を軽くしてくれることは知っている。
 感情を、特に負の感情を押し留め、心の奥にしまい込む危険性も知っている。
感情は閉じ込めておいてもなくならない。

 インナーチャイルド
と呼ばれるのもきっとそうだ。
 子供の頃の傷は、自然には癒されない
大人になってから顔を覗かせ、その人を苦しませ続ける。

 母が亡くなって一年・・
まだ、なのか、もう、なのか、

 悲嘆を「悲しみぬく」ことで、心の傷は必ず癒えるという。
新しい自分に出会うのだと言う。

 逆に「悲しみぬくことを自分に許さなかった人」は、いつまでも悲しみから抜け出せずに辛い人生を送るという。

その人の死という現実を「受容」して、「喪失と共に生きる」ことを学ぶことだと言う。

 けれど、

 一体いつになれば癒えるのか、と不安になるときもある。
いつまでこんなことばかり言っているのかと思うときもある。
自分を甘やかしているだけではないかと思うときもある。


きっと多くの人がそうして、悲しみを乗り越えているのだと思う。

 けれど、
 現在無職の私、
 子供もいない私には
 悲しみを味わいつくす時間は充分にある。

 悲嘆が喪失を生き抜き、人生を最大限経験することであるというならば
悲嘆が恩寵であり、奇跡であるというならば

 私には、人生を最大限経験し
 恩寵や奇跡を受け取る時間は充分にある。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  April 1, 2010 10:23:45 PM
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X

Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: