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白い倍音の魔法使い

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白い倍音@ そうだったんですね ごちゃまぜアイスさんへ  ブログ閉鎖さ…

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November , 2025
April 30, 2010
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カテゴリ: 死別
 もういい加減、冬に逆戻りすることはないだろう・・と今までためてきたセーター類を洗濯した。

 セーターの中には母のセーターもある。
元気な頃でも身長146センチ、体重40キロほどだった母、
幸いなことに、同じように小柄な私には着れる母の服は多い。
 71歳で逝ってしまった母だけど「年を取れば取るほど若々しくありたい」が口癖だった母の遺品は今の私が使っても違和感がないのが多い。

 化粧品もびっくりするほどいろいろ持っていた。
ブランドものも多く、シャネルの会員カードを見つけて妹と驚いた。
私は普段化粧はしないので、メイク用品はほとんど妹がもらっていった。

 鞄は、バーバーリーとイビサを愛用していたようだった。
下着もリボンがついたものもあって、旅行用と普段用と分けて使っていたようだった。

 いつかのためにと購入したのだろう、ほとんど新品の靴や服、一度も使っていないのではと思えるジュエリーもあった。

 おしゃれな母だった。
ピンクなど若々しい色が好きで、入院中もさすがにメイクはしなかったけれど、毎朝毎晩顔の手入れはかかさなかった。パジャマも自分が気に入ったのしか着なかった。
 自分では買いに行けないので、私に頼む化粧品はひとつ一万近くかかるものばかりだった。
そんな高価な化粧品を買ったことがない私は驚いた、
病人なのに、何しているんだろう・・と、母のことをあきれた思いで見つめていた。

 今なら分かる、今なら分かる、今なら分かるのに・・と心の中で叫ぶ。

 あの頃は、分からなかった・・

なぜ、入院中でも顔の手入れに気を抜かないのか、パジャマ一つ、靴下一つにも気を使うのか・・

 もっと、もっと母のことを知りたかった、
母といろいろな話をしたかった。
 いや、母はずっと私に話しかけていたはずなのだ、

 私の大きな勘違いは、自分の世界で人を見てしまうことだ。
自分がこう思うのだから、相手もそうに違いない
自分が正しいと思うことは、絶対に正しい。そうじゃないのは相手が間違っているからだ。
 こんな風に考えて、ずっとずっと生きてきた。
 私は、私は何も分かっていなかった。
私はほんのちっぽけな世界で、胸を張って生きてきただけだった・・それに気づかなかった。


 「いい物は長く使える」がポリシーだった母の私物は、私たちがそのまま使えるものが多い。
そういえば私が母の贅沢を指摘すると
「高くても良いものを買わなくてはね、良いものは丁寧に使えば10年でも20年でも使えるんだよ。それをいつか、あなたたちが使ってくれればいいのだから」
そう言っていたことを思い出す。
 母は物を買うとき、いつもそうやって「これはいつか娘に・・」と思い買っていたのだろうか・・

 (でも、お母さん、こんなに早く私たちが使うことになると思ってた?)

 いつかのためにと、新品同様に丁寧にしまわれた下着や服、靴、アクセサリーを見ると胸が痛い。大切に仕舞われたまま一度も使われなかったものたち。

 それでも、母の遺品を見つめる時間は悲しくても私を優しい気持ちにさせる、
いつまでも眺めてしまう、時が止まる。
 母の遺品を身につけていると心が温かくなる。

 今日、掃除をしていたとき、
母がもういないことが、とても頼りない現実のように思えた。
今日夢の中に母が出てきたせいだろうか、元気な頃の母だった。

 自分が生きているのに、母はいない、その不思議さは
なぜ自分は生きているのかに繋がる。

 そしてこの私もいつかはいなくなるのだ、という思いをたどり
自分が生きていることさえも、頼りない現実のように思える。

 母が亡くなって一年が過ぎた。
大きな悲嘆はあれから湧き上がって来なくなったけど

 不透明な、頼りない現実の中を生きているようです。










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Last updated  May 18, 2010 08:39:49 PM
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