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白い倍音の魔法使い

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白い倍音@ そうだったんですね ごちゃまぜアイスさんへ  ブログ閉鎖さ…

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November , 2025
October 4, 2010
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カテゴリ: 死別
 彼岸前の暑さが嘘のよう。


 不思議、
母のことで唐突に泣くことはなくなった。
苦しくて、苦しくてどうしようもない
ということもなくなった。
 入院中の母を思い出すと、
「もっと生きたかったろう、絶対元気になると信じていただろう」と辛くなる。
 記憶は全く色あせないのに、

言葉は蘇り動き、触れられそうに存在するのに、触れることが出来ない。
肉体を持ったその人自身だけがもうこの世には存在しない。
 記憶を抱えた私だけが置き去りにされている。
この事実に何度驚いたか、

 私は泣かない人だ、そう思っていたころが嘘のように、
その気になればすぐ泣ける。

 でも、胸が張り裂けそうに泣いたりはしない。

 時のおかげなのか
 慣れたのか

 私には分からない

 ただ、死の瞬間は母は苦しくはなかっただろう


 怖いのは、死の瞬間ではなくて

 死を意識して、死に向かう道程

 ずっと問い続けていたこと

それでも死を避け死を恐れ
生きたいと切に願う。
では、何のため、人は生きるのか」
子孫を残すため?
魂の成長のため?
どれもなるほどと思う・・

 こんな本を読んでいる。
「それでも人生にイエスと言う」
V.Eフランクル著

 ナチス収容所を生き延びた著者
この中で、彼はこんなことを書いている。
「我々は人生とは何かを問う存在なのではない。
人生の問いに答える存在なのである。
人生は絶えず、私たちに問いかけているのだ。」

 私たちは、問うのではなく
問いかけに答える存在なのである

 「神様、母は死にました。どうしてですか。
どうしてこんなことが私の人生に起きるのですか。」
と問うのではなく
 「あなたの母は死にました。
それで、あなたはどうするのですか」
と私は人生から問われている。

 その問いにどう答えるかが、生きることである。
問うのではない。
 問われているのだ。

「私は・・・」












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Last updated  October 4, 2010 12:35:45 PM
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